「シオンの議定書」本文3

 (最新見直し2006.6.9日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 三日目の抗議録である。「プロトコール20」から「プロトコール24」がこれに入る。いよいよ最終コースになり、財政、租税、国債問題について縷々論及している。最後で、ユダヤ王国の神権政治について論じている。


【プロトコール20 】
 「プロトコール、20」は、財政、租税、国債問題について縷々論及している。
 今日は財政計画の諸問題を取り上げる。この問題は扱いが最も難しく、我々の計画の中では最高かつ決定的に重要なので、私の報告の中では最後に述べることにしておいた。本論に入る前に想起していただきたいのは、私がすでにヒントとして提示しておいたが、我々の活動の総括は常に数字で解決するということである。
(私論.私見) 「財政政策」について
 議定書はここから「財政政策」を論ずる、と云う。「我々の計画の中では最高かつ決定的に重要なので、私の報告の中では最後に述べることにしておいた」、「我々の活動の総括は常に数字で解決する 」と述べている。
 我々が天下を取り王国を実現した時には、我らの専制政府は、自衛のために賢明にも、人民大衆には重税でもって人民に負担をかけ過ぎないようにする。これは、我々の政府は父親であり保護者であるという役割を忘れてはならぬからである。さりながら、国家組織には莫大な金がかかるのであるから、その存立に必要なだけの資金は確保する必要がある。故に、我々は、格別細心の注意を払って適切な課税方式を定めなければならない。
(私論.私見) 「適切な課税方式」について
 議定書はここで、「適切な課税方式」について述べている。
 我らの王の政治方式では、国の資産は動産不動産を問わずことごとく王が唯一の所有者である。形式的にそうするのではなく実際にそのようにする。それはそう難しいことではない。そうなると、流通する国内貨幣から如何にして税収を上げるのかという問題になる。我々は、あらゆる資産の総額から按配よく合理的に徴収する方法を採らなければならない。
(私論.私見) 「資産の国有制」について
 議定書はここで、「資産の国有制」について述べている。
 このことから、課税は累進課税方式で徴収するのが最もよろしいという結論になる。これによれば財産の多寡に応じて資産総額の何%という形で、格別の困難もなく、何びとも困窮したり破産したりすることがなく徴収できる。富める者は、税金さえ払えば残りの財産を国家が保障してくれ、なおかつ「正当に」利益を収める権利を保護してくれるのだから、財産の一部を国家に差し出し御自由にお使い下さいと申し出るのは義務であると考えなくてはならない。私は今、「正当に」とわざわざ断った。それは、財産をしっかり監督すれば、法律でいう泥棒を駆逐するということを意味している。

 社会改革は上記のことから始めなければならない。その時機は熟している。それは安寧の印として不可欠なことである。真っ先に、しかも上層富裕な階級から手がけなければならない。

(私論.私見) 「累進課税方式」について
 議定書はここで、「累進課税方式」について述べている。

 貧困な階級に対する課税は、下手をすると革命の種を蒔くことになる。少しばかりの所得を追って、民心という大を逃してしまうのは国家の損害となる。なお、資本家に累進課税するのは、個人の富の増加を防ぐことになる。我々が昨今資本家の手に富を集中させたのは、ゴイム政府の力つまり国家財政が強くならないように、重し(平衡力)をつけるためであった。

 資本の高に応じて累進課税を課すると、現行の個人課税や資産課税よりも遥かに大きな収入となるが、現在の均等課税方式はゴイムの間に不満と反抗を起こさせるという理由でのみ、我々には必要なのである。

 我々の王は、均衡を保つことと安寧を保証することに強みがある。それがためには、資本家たちは国家機関を正常に動かすために自分の所得の何分の一かを投げ出すことが絶対に必要なのである。ゆとりのある人々は公共の必要を賄わなければならない。

 そういうことが行われると、貧民は富豪を怨まなくなり、富める者は国家になくてはならない財政的支柱となり、国家に必要なものを支払っているからには、平和と安寧、繁栄の守り役であるということが解ってくるのである。

(私論.私見) 「累進課税方式の政策的意義」について
 議定書はここで、「累進課税方式の政策的意義」について述べている。
 知識階級の納税者に新体制の納税方式にあまり不平を言わせないようにするには、公費の細かい支出を見せてやれば良い。但し、王室費と行政費とは例外である。

 すべてを支配する王には、国家のすべてが王の財産であるから、王個人のものと称する財産は何もない。と言うと矛盾があるように思われるが、実はある方法で、実際には国家のすべてを所有するということは出来ないようになっている。

 国家資産で扶養する王の妻子は別として、統治者の親族は国家公務員になるか、資産を得るべく働かなければならない。王の血族だからといって、国庫に属するものを私する権利は与えられない。
(私論.私見) 「王室費の取扱い」について
 議定書はここで、「王室費の取扱い」について述べている。
 販売、所得、相続には、累進課税を掛ける。所有権を移転するときには、動産であろうと不動産であろうと、姓名を記載した印紙による納税支払の証拠がなければ、最初の所有者は移転の宣告が発覚した日からの利息を支払わねばならないようにする。

 売買物件登録は、新旧の所有者の住所・氏名を付して、毎週大蔵省地方支所に届出しなければならない。この姓名付き登記は所定の金額を超える場合から始め、通常の日常品売買には一定単位ごとの所定パーセンテイジの印紙税を支払えばよろしい。
(私論.私見) 「印紙税」について
 議定書はここで、「印紙税」について述べている。
 このような方法だとゴイム政府の収入の何倍になるか計算してみていただきたい。大蔵省は一定額の予備金を確保し、それを超える徴収額は全額流通に還元しなければならない。その還元額は、公共事業に当てる。国庫から資金が出るこの種の事業は、国家が企画実施するのであって、これにより労働者階級の利益とかれらを支配する国家の利益とが固く結び付くのである。この資金の一部は、事業の発案者や施行者に与える報償金にも当てる。
(私論.私見) 「政府財源還元策としての公共事業費」について
 議定書はここで、「政府財源還元策としての公共事業費」について述べている。
 国庫には、たっぷりと確保した所定の予備金のほかには、たとえ少額であっても決してよけいな金を置いておいてはならない。金というのは流通させるべきものであって、およそ流通を妨げることはすべて国家機構の運営には支障を来たすことになるからである。それは潤滑油のようなものであり、潤滑油が滞った日にはよどみなく活動すべき国家機構が齟齬を来たす。
(私論.私見) 「その他国家の財政投融資政策」について
 議定書はここで、「その他国家の財政投融資政策」について述べている。
 貨幣の代用に紙幣を使うことが、確実に流通を阻害した。この状況が続いてどういうことになっているかは、すでに明らかである。
(私論.私見) 「貨幣代価としての紙幣発行抑制論」について
 議定書はここで、「貨幣代価としての紙幣発行抑制論」について述べている。
 我々は王が直轄する会計検査院を設ける。そこでは王がいかなる時でも、まだ決算されていない当月分とまだ発生していない翌月分は別として、前月までの国庫の収入支出状態を親しく検査できるようにする。

 国庫から盗んでも何の利益にもならない唯一の人間は、その所有者であり、王である。これによって紛失や浪費の可能性を封じることができる。
(私論.私見) 「会計検査院」について
 議定書はここで、「会計検査院」について述べている。

 支配者の代表的な行為に、儀礼のための宴会というのがあるが、これは貴重な時間を浪費するものであるから、王に統括と熟慮の時間を確保するために、宴会は一切廃止する。王の力は、きらびやかな王位を取り囲み、自分のことしか考えず国家の問題なぞ念頭にない取り巻き連中にかしづかれ、取るに足らないことに時間を割かれるべきではない。

(私論.私見) 「宴会の廃止」について
 議定書はここで、「宴会の廃止」について述べている。
 我々がゴイムの間に作り出した経済危機では、流通貨幣の引上げほど効果のあるものはなかった。我々が国内から貨幣を引き上げると巨大資本たる国家が行き詰まり、不足した資本を我々の資金に頼らざるをえなくなる。こうして借金を申し出る。借金には利息が嵩むものだから利子支払いが一般金融に重荷をかけ、ひいては国家を我々の資本に従属させることになる。工業の集中は生産を小さな親方たちの手から奪い資本家の手に渡したから、権力が人民と国家の手から離れることになった。故に、人民及び国家が活力を失うことになった。
(私論.私見) 「流通貨幣の引上げ政策の意味」について
 議定書はここで、「流通貨幣の引上げ政策の意味」について述べている。
 一般的に言って、現在の通貨発行は国民一人当りの消費に相応していないので、労働者の需要を満たすことができない。通貨発行は人口増加に相応すべきであり、子供は生れたその瞬間から一人前の消費者であるとみなして計算しなければならないのである。

 通貨発行量の変更は世界中どこの国でも重大問題となっている。御存知のように、金本位制を採用した国々は危殆に瀕している。我々が流通している金を出来る限り引き上げるものだから、通貨が需要を満たすことが出来なくなっている。

 我々は紙でも木でも構わないのだが、労働力の価値に見合う通貨を作らなければならない。我々は国民の必要に応じて、つまり、人が生れれば通貨発行額を増加させ、死ねば減少させる。
(私論.私見) 「通貨発行政策の意味」について
 議定書はここで、「通貨発行政策の意味」について述べている。
 各官庁各地方(たとえばフランス行政部)の財政は、それぞれが運営管理する。国費の支払に遅延を来さないようにするためには、支払日と支払額とは王の命令で一定に定める必要がある。これにより、ある省の大臣だけが便宜を得て、他の部門は迷惑するというようなことが起こらないようにする。

 収入予算と支出予算とは、両者が隔絶することがないようにいつでも比較対照できるようにする。
(私論.私見) 「財政バランス」について
 議定書はここで、「財政バランス」について述べている。
 我々が計画したゴイムの財政制度と原理の改革案は、誰も肝を潰さないように衣をかぶせてある。我々は、ゴイムがしでかした不始末によって財政に撒き散らした混乱の結果、改革が必要であることを指摘する。

 我々が指摘する第一の不始末は、次々と起こる原因で年々膨れ上る年次予算に初めから仕込まれている。その予算は、上半期まではダラダラと行われ、それから補正予算を要求し、三ヵ月ぐらいかかって補正予算を作ると、もう清算予算を出さなければならない時期になって終りである。だが、翌年の予算は前年の総支出に基くので、経常の必要よりも年間50%にも達し、十年もたつと3倍に膨れ上る。ゴイム政府の無頓着なやり方のお蔭で、国庫はついに空になる。ここで国債時代が始まるのだが、国債は国庫以外のものまで呑み込み、かくてゴイム国家全部がご破産となるのである。

 先刻御承知であろうが、かくのごき財政管理法は我々がゴイムに授けた方法であって、我々の王の支配下ではこのような施策は適用してはならない。
(私論.私見) 「国家財政の逼迫政策」について
 議定書はここで、「国家財政の逼迫政策」について述べている。
 国債はどんな種類であろうとも、政府が誤った行政を行い、権力を正しく行使しなかった明白な証明である。つまり、自らの弱体、無能の告白と云うべきだろう。国債は支配者の頭の上にぶら下っているダモクレス(註、紀元前4世紀、シュラクサイのディオニシオス1世の臣。抜き身の剣を馬の尻尾で吊るした宴に列なり、常に身に迫る危険を教えられた)の剣のようなもので、いつも支配者の頭上にぶら下がっている。支配者は国民から税金を取る代わりに、我々ユダヤ人の銀行家に掌をさしのばして嘆願してくる。
(私論.私見) 「国債発行政策の意味」について
 議定書はここで、「国債発行政策の意味」について述べている。
 そして外債を募るのだが、外債は国家の体に取りついている蛭(ひる)のようなもので、蛭の方で自然に落ちるか、国家が根本的方法で叩き潰さない限り払い落とせない。ゴイの国家にはこの蛭を払い落とす力が残っていない。蛭はいつまでも血を吸い続け、行き着く先は減亡というところまで取り付き太り、国家は最後は失血して自ら死を招くことになる。
(私論.私見) 「外債募集政策の意味」について
 議定書はここで、「外債募集政策の意味」について述べている。
 細かい点は別として、国債とは、とりわけ外債とは何であるか? 吸血動物以外の何物でもない。

 国債とは、利息を支払う約束で振り出した政府発行の手形借金(借用証書)である。その利率は、調達しようとする元金の額に応じて変動する。発行総額に比例して利息が上って行く。仮に国債に5分の利息が付いているとすると、20年間に国家は国債総額と同額、40年間に元金の2倍、60年間に3倍の利息を払い、なおかつ元金は未払いのまま残る勘定になる。

 この計算を見れば次のことが明らかである。国家は、どういう徴税方法かで一人当りから徴税し、余計な利息など払わずに必要な額を調達すべく小銭をかき集める工夫をすれば良かろうにゴイム国家はそれをせず、富める外国人から金を借りてしまうことによりその利息払いに追われることになり、その挙句遂には貧しい納税者から最後の小銭まで巻き上げ、それを外国の資本家に貢ぐことになる。

 国債が内国国債(内債)であるうちは、ゴイムは貧民の懐から集めた金を富豪の懐に収めただけだったが、我々が政府高官を買収してやらせたのだが、外債募集により国債を外国に売らせるようにしてからは、ゴイム国家の富はすべて我々の金庫に流れ込むようになり、ゴイムは我々の家来となり、我々に貢物を献上し始めるのである。
(私論.私見) 「雪達磨式国家債務の膨張政策」について
 議定書はここで、「雪達磨式国家債務の膨張政策」について述べている。
 ゴイムの王者たちの国務に対する浅薄な態度、大臣たちの腐敗、国政を預る者たちの財政問題に対する理解の欠如が、彼らの祖国を我々の金庫に対する払い切れないほどの巨額の債務者にしてしまった。今日ではもはやいつまで経っても借金返済が出来ず、我々の手から自由になり得ない有り様となった。この過程は、我々の側の労力と金銭の多大な出費なしには容易にできることではなかった。
(私論.私見) 「国家債務に対するゴイム政府の無能」について
 議定書はここで、「国家債務に対するゴイム政府の無能」について述べている。
 我々は貨幣の流通になんらの障碍も許さないし、一%利ものを除いては利付き国債は発行しない。従って、国家の力を吸い取る吸血の蛭どもに利息を払う ことがない。利付き公債発行権はもっぱら、利益から利息を払うことが無理でない工業関係の会社に与える。国家は、会社のように借りた金で利益を収めるのではない。 国家は消費のために金を借りるのであって、運用資金として借りるのではない。 

 政府もまた工業公債を買うけれども、政府の立場は現在のように配当を払う債務者ではなく、利息を受ける債権者の立場になるのである。この方法ならば、貨幣の流通停滞や奇生資金や遊休資金をなくせる。

 ゴイム政府の借金膨張政策は、ゴイム政府が独立しており我々の支配に従う気がない期間に対して我々が採用した政策であった。それは、ゴイムに政府対する有効な手だてだった。我々の政府ににるとそういう必要はなくなる。
(私論.私見) 「ユダヤ王国治世下での国債発行禁止政策」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国治世下での国債発行禁止政策」について述べている。

 ゴイムの頭というのは、思考力の発達していないことにかけては、全く野獣並みであることが明々白々ではないか! ゴイムの頭脳は後先が見えない。彼らは、我々から利子付きの金を借りてい る。その元利を返そうと思えば、国庫から取り出す以外に手はなく、結局また我々から借りなければならず、どうあっても我々の懐に戻るということを考えても見ようとしない。再度云うが、彼らが必要とする金は、直接納税者から取り立てた方がはるかに簡単であったのに!

 だが、ここにこそ我ら選ばれたる民が如何に天才であるかの証しがある。我々は、公債発行という手段が如何に彼らの利益になるか彼らに持ちかけ、その気になるよう仕向けてきたのである。ここに我らのゴイムに対する頭脳の勝りが確認できよう。

(私論.私見) 「ゴイム政府の無能の真因としての知能の遅れ、対照的なユダヤ頭脳の天才ぶり」について
 議定書はここで、「ゴイム政府の無能の真因としての知能の遅れ、対照的なユダヤ頭脳の天才ぶり」について述べている。

 時至り我らが会計を提示する場合には、我々がゴイム政府に対して幾世紀にわたって仕掛けてきた経験にかんがみて対処する。我々の予算は明白かつ決定的な内容とし、我々の新制度の利益の様子が万人に一目で判るようにする。我々がゴイムを従属させるために多用した方法はすべて打ち切り、我々の王国においてはかかる方法は微塵も許さない。

 我々は王であろうと最下級公務員であろうと、いかなる些少な金額でも、あらかじめ決められた支払先以外の所には支払われぬように会計方式を立て厳重管理する。

(私論.私見) 「ゴイム政府の無能の真因としての知能の遅れ、対照的なユダヤ頭脳の天才ぶり」について

 議定書はここで、「ゴイム政府の無能の真因としての知能の遅れ、対照的なユダヤ頭脳の天才ぶり」について述べている。
 明確な計画なしには、統治は不可能である。英雄や半神といえども、どこへ行くかも解らない道を、十分な金の準備もなしに旅立てば、失敗するほかはないであろう。
(私論.私見) 「計画と青写真の重要性」について
 議定書はここで、「計画と青写真の重要性」について述べている。

 ゴイムの支配者たちは、かって我々が助言したとおりに、国務を怠って各国代表たちとの宴会や儀礼、歓楽にふけっていた。彼らは我々の支配が目に見えないようにする衝立に過ぎなかった。王たちに代って寵臣たちが書いた回顧録なるものは、実は我々の代理人が書いたのであるが、そこには決まって将来の経済と繁栄が約束されていたので、皮相的にしか物を考えない者達を満足させた。

 が、何の経済のことか? どんな新税を? 我々の回顧録や計画を読めばそういう問が出てくるはずなのに、誰一人として質問しなかった。彼らの人民は驚くべきほど勤勉なのに、彼らが途方もない財政的混乱に陥った原因が、そのうかつさにあったことは、諸兄はよく御承知のことと思う。

(私論.私見) 「ゴイム政府の国務の怠りに見られる無能」について
 議定書はここで、「ゴイム政府の国務の怠りに見られる無能」について述べている。

【プロトコール21 】
 「プロトコール、21」は、国債、政府の累積債務問題、金融市場論等々について縷々論及している。
 前回の集まりで述べたことに引き続いて、今回は内国債について細かい説明を付け加えたい。外債については、重ねて申し上げることはない。外債のおかげで、我々はゴイム政府からたんまり稼がせて頂いたが、我々の政府においては外国人がいない、すなわち、国外というものがないのである。

 我々は行政官の腐敗と支配者の怠慢に乗じて、ゴイム政府には少しも必要でない金を貸して、その二倍、三倍、さらに数倍を我々の金庫に収めた。いったい誰が我々をそんなにしてくれたのか? そこで、私は内国債について詳しくお話ししようと思う。

 政府が政府の為替手形すなわち利付き債券の購入者を公募したとする。額面は小口大口いろいろ設けられる。一般の誰でも買えるように額面を安くし、百円から千円までにする。早くから申し込んだ予約者には額面よりも割引いた金額で売る。が、翌日になると、小細工を弄して、何しろ購入者が殺到したのでという口実で人為的に値上げする。数日後に、予定発行高に達し、超過申し込みの処置に窮している、大蔵省の金庫はあふれんばかりで、予定額をはるかに超過したと発表する。それなら、なぜ申し込みを引き受けたのか?と詰問されるだろう。この場合には、 「申込額が発行予定額を数倍も上回ったからだ」と発表される。かくして、公衆が国債に対して信用を抱いていることを示す。目的は達成される。

 こんな芝居は芝居ですむが、新たに発生した債務をどうするのかという問題が起こる。途方もない額の債務が生じたのである。利息払いの為の新たな公債を発行することになるが、新たな債券は初めの元利を清算するのではなく、ただ単に新たな債務を上乗せするだけにする。

 政府の国債発行の限度を超えたら、新しい課税で取り立てる必要が生じる。それも国債元金返済のためではなく、ひたすら利払いのためである。 新税はひたすら借金のための借金となる。
(私論.私見) 「ゴイム政府の累積債務問題」について
 議定書はここで、「ゴイム政府の累積債務問題」について述べている。
 そのうち債券書替えの時期がやってくる。だが、これとても利率を下げることはできても、債務をなくなしてしまうわけではない。それだけではなく、債権者の同意がなくては書替えはできない。書替えにあたっては、同意しない人々には金を返済すると公告する。もしも誰も彼もが、書替えは嫌だ、金を返せと言ったら、支払い不能に ることは火を見るよりも明らかであり、政府は自ら墓穴を掘ったことになる。幸いにもゴイム政府の臣民は経済のことはとんと事情にうといから、金を新しい事業に投資して危険を冒すよりは利が薄くなる方がまだましだと思って同意する。かくして臣民は数百万という政府の債務を穴埋めすることに協力してやる。

 今日では、ゴイムといえども外債でこんな芝居を打つことは、ごまかしが利かないことが判ってきた。我々が全額払戻しを請求し得ることが判ったからである。このようにして明らかな破産倒産状態が生じ、人民の利益と支配者のそれとは一片も共通する所がないことが明々白々となった。

 今お話したこと、これからお話することには格別の留意を払っていただきたい。現在では内債はいわゆる短期公債、すなわち、多かれ少なかれ期間の短いものに整理されているという点である。これらの借金は貯蓄銀行に収納され資金として確保される。政府はこの資金を外債の利子支払いに当て雲霧消散させてしまい、その穴埋めに同額の公債を当てているのである。

 ゴイムの国庫からの資金漏出をとりあえず穴埋めしているのは、実にこれらの短期国債なのである。
(私論.私見) 「ゴイム政府の短期国債」について
 議定書はここで、「ゴイム政府の短期国債」について述べている。
 我々の天下となり世界の王座に昇る時は、我々の利益に反するかかる財政上の窮策を痕跡も残さず一掃し、併せて金融市場をすべて廃止する。我々の権威は価格変動に左右されるべきではないから、価格上昇も下落もできないように、法令をもって価格というものを固定してしまう。なべて価格は吊り上がりもするし落ちもする。実にこの方法によって我々はゴイムとの闘争の初期には彼らの債権を弄んだのである。
(私論.私見) 「ユダヤ王国治世下での金融市場の廃止政策」について

 議定書はここで、「ユダヤ王国治世下での金融市場の廃止政策」について述べている。

 我々は、金融市場に代えるに政府による大規模な国立信用取引所を設ける。その目的は、政府の意図する通りに商業上の有価証券に課税することにある。この組織は一日に五億の産業証券を出してやり、また同額を買い取ることができる。この方法により全事業がわれわれに従属するようになる。このことがいかなる力を我々に与えるか、諸氏は御自分で想像していただきたい。

(私論.私見) 「ユダヤ王国治世下での国立信用取引所創設政策」について

 議定書はここで、「ユダヤ王国治世下での国立信用取引所創設政策」について述べている。

【プロトコール、22 】
 「プロトコール、22」は、国債、政府の累積債務問題について縷々論及している。
 これまで長々と述べてきたことをもって、私は、将来、過去、現在の秘密を注意深く明らかにしようと試みたが、残るは近い将来、洪水のように起こるであろう大いなる事件と、我々とゴイムとの関係を律する秘密計画を述べ、その財政策に入ることにしよう。が、この件に関しては、私が付け加えることはごく僅かである。

 我々の手中には、現代社会に最も威力を発揮するもの即ち金≠ェある。我々はものの二日間あれば、我々は必要なだけの金を貯蔵庫から集め、耳を揃えてお見せすることができる。この事以上に、我々の世界支配が神の思召しであることを証明する必要があるだろうか。

 かような富があればこそ、何世紀にもわたって我々が重ねなければならなかった悪がすべて、真実の福利を最終の最終にもたらす。万物に秩序をもたらすために役立つことが疑いもなく明らかであるだろう。たとえ暴力を用いたとしても、全く同じ結果となるだろう。我々が引き裂かれねじ曲げられた地球に、真実の善と個人の自由をも回復する大恩人であることを、我々は証明するだろう。もちろん、我々が確立した法をきびしく遵守する限りにおいてである。我々は、地上に平和と秩序をもたらすことができるであろう。
(私論.私見) 「ユダヤ王国治世下での金融支配の威力」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国治世下での金融支配の威力」について述べている。
 我らの王国を築いた暁には、我々は次のことを明白にする。自由とは放縦ではないことを、人間の品位とか力とかには自堕落が含まれていない以上に自由とは抑制の利かない権利は含まないことを、良心の自由や平等その他これに類するものは人間の本性にある破壊的な原理であることを万人に公表し、個人の自由とは決して無秩序な群集の前で言語同断な言説を弄して煽動することではないことを。

 真実の自由とは、社会の法律には敬虔に厳しく従う人の不可侵性にあること、人間の尊厳とは権利意織に包まれてはいるが同時にいかなる権利意織ももたぬものであること、そして自分勝手な空想を実現しようとすることは決して許されないことを。
(私論.私見) 「『真の』自由論」について
 議定書はここで、「『真の』自由論」について述べている。

 我々の権威は強力なるがゆえに栄光に満ち、支配し指導し、自分では大真理と思い込んでいるが中味は何もない無意味な言説を声高に上げる夢想家に過ぎない指導者や弁舌家の後塵を拝するのではなく正直に話す。我々の権威は秩序の王冠であり、その中に人類の至福が宿っている。

 この権威の後光の前では、すべての人民が神秘のあまり平伏し、畏怖の情にとらわれるのである。真実の力はいかなる正義にも、神にさえも譲歩しない。何びともあえてこの力に近付いて一毫たりとも毀損することはできないのである。

(私論.私見) 「ユダヤ王国治世下の神聖政治論」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国治世下の神聖政治論」について述べている。

【プロトコール23 】
 「プロトコール、23」は、ユダヤ王国治世下の強権政治、神権政治について縷々論及している。
 人民大衆を服従に慣らすためには謙遜ということを教える必要があり、従って奢侈品の生産を縮小すべきである。これによって贅沢を張り合う卑しい根性から醸し出される不道徳を防止する。

 我々は小さな親方製造業を再編成して、個人資本の工業家を倒すという狙いをもっている。大規模の製造業は必ずしも意識的ではないにせよ、政府に反対する考え方を大衆に植えつけるので、この処置は欠かせない。小さな親方たちに分割すると罷業(ストライキ)を知らなくなり、既存の秩序にしっかり結び付くようになる。罷業は政府にとっては大いに危険な一大問題である。 我々時の権力をわれらの手に移す時に、この手を使う。

 酩酊も法律によって禁止し、酒の力で野獣に変わる人間の尊厳性に対する罪として処罰する。

 重ねて繰り返すが、臣民は自分たちとは隔絶した強大な権力を持つ者に対してのみ、盲目的に絶対的に服従する。彼らは、その力強い権力こそ自分たちを襲う社会的な鞭から守ってくれる防御の剣と感じるものなのだ。彼らは、王に天使のような心を期待してはいない。彼らが王求めているのは力、力、力の権化なのである。
(私論.私見) 「ユダヤ王国治世下の強権政治論」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国治世下の強権政治論」について述べている。

 現存する支配者たちに代わる我らが至高の君主は、何をしなければならないか。 現在のゴイム政府を取り巻く社会は、我々によって頽廃させられたものであるが、神の権威すら失墜させ、四方八方から無秩序混乱のアナーキーな火の手に包まれている。我らが王は何よりもこの燃え上がる炎を消し止める事に身を投じなければならない。

 それゆえに、王は、この社会を血の海に溺死させ、これら現存する社会を根絶せざるをえない。改めて彼らをよく組織された軍隊に復活再編成し、ただれた国家を覆うあらゆる種類の伝染病に対して意織的に闘わせなければならない。

(私論.私見) 「ユダヤ王国治世下の王の義務」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国治世下の王の義務」について述べている。

神に選ばれた者≠ヘ、理性ならぬ本能によって、また人間性ならぬ獣性によって動くばかげた力を粉砕すべく天から下される。この力は本能から生まれでておりいわば動物域のものである。それは知恵から出ておらず人間の魂に支えられていない。今は自由の原理という仮面をつけて略奪とあらゆる種類の暴力をはたらき凱歌を挙げているが、この力が社会秩序を破壊した跡にイスラエル王を王座に据えるのである。

 だが、彼らの役割は王が王国に入ったその瞬間に終る。王国の路からは、その残骸の一片すらも残さないように一掃される必要がある。

 その時、我々は世界の人民に次のように言うことができるだろう。「神に感謝せよ、祈れ。額に人類宿命の験(しるし)を付けた方の前にひれ伏せ。その験は神おん自らが星を導いてその方に付けられたのだ。その方を措いては生来の罪と悪から解き放って下さる方はいないのだ」。

(私論.私見) 「ユダヤ王国治世下の自由の掃討」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国治世下の自由の掃討」について述べている。

【プロトコール24 】
 「プロトコール、24」は、ユダヤ王国治世下の強権政治、神権政治について縷々論及している。

 次に、ダヴィデ王朝の土台を世界最後の段階まで一層強固にする方法に進もう。

 この方法は、何よりも第一に、今日まで世界の全問題をあらゆる困難に打ち勝って成功裏に遂行し、思うままに人類の思想を導いてきた我らの賢人長老たちが積み重ねてきた伝統的な方法を適用することになる。我々は、シオン賢者たちが、いままであらゆる障害を乗りこえて、世界の問題を処理し、人類の思想を導いてきた故智に学ぶだろう。それは、我々が望む方向に人間を教育するということである。

(私論.私見) 「ユダヤ王国治世下の臣民教育」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国治世下の臣民教育」について述べている。

 ダヴィデ王の子孫のうちの数人の賢者が、王と後継者の教育に当たる。後継者は相続権によるのではなく王となるのに相応しい優れた資質を基準にして選ぶ。選ばれた王予定者達には、政治の最高機密と我々の律法の仕組が伝授されるが、何人にもこの極秘の知恵が漏れないように留意せねばならない。政治はその秘訣を知った唯一人の者によってのみ行われる、という原則が保たれる。この方式の真意は、このような秘義を授けられたことがない者には、政権を委すことはできないということを徹底させることにある。

 これらの人々にのみ、何世紀にもわたる諸経験と比較しつつ、私がこれまでに述べたような計画の実際化や、政治経済運動や社会科学研究の全成果、一言で言えば、人間関係を律する動かしがたい天然法則の大真理が伝授される。

 直系の子孫といえども、秘義伝授の過程で浅薄・軟弱その他、王の権威破滅となる資質が明らかになった場合には王位継承から外される。そのような性向は統治者には不向きであり、王冠の権威の維持において危険な人物となるからである。

 残忍な事であったとしてもこれを断固たる決意で精力的に無慈悲にやり通す事の出来る人物にして始めて、われらの賢人長老たちから支配統治の手綱を渡されるのである。

(私論.私見) 「ユダヤ王国治世下の帝王教育」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国治世下の帝王教育」について述べている。
 病気に罹ったり精神障害があったりその他王たるにふさわしくないことがあった場合には、王は律法に従って統治の手綱をふさわしい者に譲らなければならない。
(私論.私見) 「ユダヤ王国治世下の王の交代」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国治世下の王の交代」について述べている。
 平時においては、王の行動計画と将来に関することはすべて、最も親しい助言者たちにも知らされない。王と三人の顧問のみが、将来の計画を知っている。
(私論.私見) 「ユダヤ王国治世下の王の顧問」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国治世下の王の顧問」について述べている。
 断乎とした意志で自分と人類を律する王の人柄に、万人が神秘の宿命を認めるのである。何人も王が何を行おうとしているのかその目的がどこにあるのかを知らぬので、あえて知らぬ小路を遮ろうとする者はいない。

 王の頭の中には実行すべき政府計画を理解するに足りる知恵が貯えられていなければならない。王位に就く前に、前に述べた賢人長老たちが試験を行うのは、そのためである。

 人民が王を敬愛するのは、王が市場などで人民に意見を述べることを欠かさないからである。現在では我々が両者の間に恐怖の溝を作って引き離しているが、双方を結びつける必要がこれで満たされる。この恐怖は、時が至るまでは、両者を我々の影響下に置くためには必要欠くべからざるものである。
(私論.私見) 「ユダヤ王国治世下の王の秘密主義」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国治世下の王の秘密主義」について述べている。

 ユダヤ王は自分の感情、とりわけ情欲のとりこになってはならない。王は自分の人格のどの一面でも、荒々しい本能に精神をしのがせることがあってはならぬ。情欲はいかなる精神的な欠点よりも、明晰に見る力を殺ぎ、思考を人間の性質中最悪の獣的なものに落とし込む。

 ダヴィデの聖なる子孫である全世界統治王その人は、人類の支柱であり、宇宙の支柱である。王は、人民のためにはいかなる個人的希望をも犠牲にしなければならない。

 我らが王は、至高にして完全無欠の権化、非の打ち所のない者でなければならない。

(私論.私見) 「ユダヤ王国治世下の王の能力、理想像」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国治世下の王の能力、理想像」について述べている。

 「シオン賢人議定書」管理人氏は次のように述べている。「ダヴィデ王朝の土台を世界最後の段階まで一層強固にする方法としてトリを飾るはずの『議定』なのだが、何とも心許ない。観念的な言葉を振り回すだけになっていて、議定の会議も24回を迎えることには疲れが出てきたんだろう。『完全無欠の権化』と『朕』にとっては結構辛い要求を『賢人』から突きつけられている。『朕』はぐうの音も出ない」。




(私論.私見)


 『われわれが世界の王座に昇る時は、われわれの利益に反するかかる財政上の窮策を痕跡も残さず一掃し、併せて金融市場をすべて廃止する。われわれの権威は価格変動に左右されるべきではないから、価格上昇も下落もできないように、法令をもって価格というものを固定してしまう。(価格を吊り上げるのは落とすためであり、実にこの方法によってわれわれはゴイムとの関係の初期に彼らを弄んだのである)』(21議定書)

 『神に選ばれた者≠ヘ、理性ならぬ本能によって、また人間性ならぬ獣性によって動くバカげた力を粉砕すべく天から下される。この力は今は自由の原理という仮面をつけて、略奪とあらゆる種類の暴力をはたらき、凱歌を挙げているが、この力が秩序破壊の跡にイスラエル王を王座に据えるのである。だが、彼らの役割は王が王国に入ったその瞬間に終る。王国の路からは、その残骸の一片すらも残さないように一掃される必要がある』(23議定書)


●「自由」なる言葉は神や自然の掟に対してまで闘争させる
「自由」なる言葉は、さまざまの人間集団に、あらゆる種類の権力、あらゆる種類の権威、さらには神や自然の掟に対してまで闘争することに入らせた。このため、われわれがわれらの王国を実現したあかつきには、群集を血に飢えた獣に改造する暴力的概念であるこの言葉を、われわれは、目に触れる辞書からは抹殺するであろう。獣たちは血をたらふく呑んで腹がふくれると眠り込むので、鎖につなぐのはいともたやすいというのは事実である。だが、血を呑まさなければかれらは眠らず、引き続き闘争を続けるであろう。


●金本位制を採用した国々は危殆に瀕している
 御存知のように、金本位制を採用した国々は危殆に瀕している。われわれが流通し
ている金を出来る限り引き上げるものだから、通貨の必要を満たすことが出来なくな
っている。<二十>

●われわれが計画したゴイムの財政制度と原理の改革案は国庫を空にさせる
 われわれが計画したゴイムの財政制度と原理の改革案は、誰も肝を潰さないように
衣をかぶせてある……ゴイ政府の無頓着なやり方のお蔭で、国庫はついに空になる。
ここで国債時代が始まるのだが、国債は国庫以外のものまで呑み込み、かくてゴイ国
家全部がご破産となるのである。先刻御承知であろうが、かくのごき財政管理法は、
われわれがゴイムに授けた方法であって、われわれがこれを実行することはできない。
<二十>

●国債は支配者の頭の上にぶら下っているダモクレスの剣である
 国債はどんな種類であろうとも、国家が脆弱であり国家機能を理解することすら欠
如している証拠である。国債は支配者の頭の上にぶら下っているダモクレスの剣のよ
うなもので、支配者は国民から税金を取る代わりに、われわれの銀行家に掌をさしの
ばして憐れみを乞うようになる。外債は国家の体に取りついている蛭であって、蛭の
方で自然に落ちるか、国家が叩き潰しでもしない限り取れるものではない。だが、ゴ
イの国家はこの蛭を払い落とさない。行き着く先は減亡というところまで、ますます
取りつかせ太らせ、最後は失血して自ら死を招くのである。<二十>

●かれらの人民は驚くべきほど勤勉なのに途方もない財政的混乱に陥った原因
 ゴイの支配者たちは、かつてわれわれが助言したとおりに、国務を怠って各国代表
たちとの宴会や儀礼、歓楽にふけっていた。かれらはわれわれの支配が目に見えない
ようにする衝立に過ぎなかった。王たちに代って寵臣たちが書いた回顧録なるものは、
実はわれわれの代理人が書いたのであるが、そこには決まって将来の経済と繁栄が約
束されていたので、皮相的にしか物を考えない人間たちを満足させた……が、何の経
済のことか? どんな新税を?・・われわれの回顧録や計画を読めばそういう問が出
てくるはずなのに、誰一人として質問しなかった。かれらの人民は驚くべきほど勤勉
なのに、かれらが途方もない財政的混乱に陥った原因が、そのうかつさにあったこと
は、諸兄はよく御承知のことと思う。<二十>

●ゴイム政府が必要とする金は人民から取り立てた方がはるかに簡単であったのに!
 ゴイムの頭というのは、思考力の発達していないことにかけては、全く野獣並みで
あることが明々白々ではないか! かれらは、われわれから利子付きの金を借りてい
る[外債]。その元利を返そうと思えば、国庫から取り出す以外に手はなく、結局ま
たわれわれから借りなければならず、どうあってもわれわれの懐に戻るということを
考えても見ようとしないのである。かれらが必要とする金は、人民から取り立てた方
がはるかに簡単であったのに!<二十>


●富があればこそ万物に秩序をもたらす
 われわれの手中には、現代最も威力を発揮するもの・・金≠ェある。われわれは
二日間あれば必要な量の金をわれわれの貯蔵庫から集めることができる。この事以上
に、われわれの支配は神の思召しであることを証明する必要があるだろうか。かよう
な富があればこそ、何世紀にもわたってわれわれが重ねなければならなかった悪がす
べて、真実の福利を最終の最終にもたらす・・万物に秩序をもたらす・・ために役立
つことが疑いもなく明らかであるだろう。<二十二>



●資本家に富を集中させたのはゴイム政府の力が強くならないようにするため
 貧しい者に課税することは革命の種を蒔くことになって、小を追って大を逃し、国
家の損害となる。そんなこととは全く別に、資本家に課税するのは、個人の富の増加
を防ぐことになる。われわれが昨今資本家の手に富を集中させたのは、ゴイム政府の
力・・国家財政・・が強くならないように、平衡力をつけるためであった。<二十>

●われわれは小さな親方製造業を再編成する
 われわれは小さな親方製造業を再編成して、個人資本の工業家を倒すという狙いを
もっている。大規模の製造業は必ずしも意識的ではないにせよ、政府に反対する考え
方を群集に植えつけるので、この処置は欠かせない。小さな親方たちは罷業を知らず、
既存の秩序にしっかり結び付いている。<二十三>

●現在の課税方式はゴイムの間に不満と反抗を起こさせるためにのみ必要である
 現在の課税方式はゴイムの間に不満と反抗を起こさせるという理由でのみ、われわ
れには必要なのである。われわれの王は、均衡を保つことと安寧を保証することに強
みがある。それがためには、資本家たちは国家機関を正常に動かすために自分の所得
の何分の一かを投げ出すことが絶対に必要なのである。ゆとりのある人々は公共の必
要を賄わなければならない。そういうことが行われると、僻n民は富豪を怨まなくなり、
富める者は国家維持にはなくてはならない財政的支柱であり、国家に必要なものを支
払っているからには、安寧福利の守り役であるということが解ってくるのである。
<二十>

●貨幣の代用に紙幣を使うことが確実に流通を阻害した
 貨幣の代用に紙幣を使うことが、確実に流通を阻害した。この状況が続いてどうい
うことになっているかは、すでに明らかでる。<二十>

●われらの王国は金融市場をすべて廃止する
 われわれが世界の王座に昇る時は、われわれの利益に反するかかる財政上の窮策を
痕跡も残さず一掃し、併せて金融市場をすべて廃止する。われわれの権威は価格変動
に左右されるべきではないから、価格上昇も下落もできないように、法令をもって価
格というものを固定してしまう。(価格を吊り上げるのは落とすためであり、実にこ
の方法によってわれわれはゴイムとの関係の初期にかれらを弄んだのである)。<二
十一>

●罷業は政府にとっては破滅的な一大問題である
 罷業は政府にとっては破滅的な一大問題である。われわれは時の権力をわれらの手
に移す時に、この手を使う。<二十三>

●われらの王国では酩酊も法律によって禁止する
 酩酊も法律によって禁止し、酒の力で野獣に変わる人間性に対する罪として処罰す
る。<二十三>

●われわれの支配者は目に見えない護衛だけに守られる
 われわれの支配者は目に見えない護衛だけに守られる。反政府暴動があるやも知れ
ず、王にはそれを抑える力がなく逃げ隠れているという考えは断じて与えてはならな
い。<十八>




●われらの王は宴会を一切廃止する
 支配者の代表的な行為に、儀礼のための宴会というのがあるが、これは貴重な時間
を浪費するものであるから、王に統括と熟慮の時間を確保するために、宴会は一切廃
止する。王の力は、きらびやかな王位を取り囲み、自分のことしか考えず国家の問題
なぞ念頭にない取り巻き連中にかしづかれ、取るに足らないことに時間を割かれるべ
きではない。<二十>

●国の資産はことごとく王が所有者である
 われらの王は、法的な形では国の資産はことごとく王が所有者であり(形だけでな
く実際にも容易にそれが適用できる)、国内流通を規制するためにはあらゆる資産の
総額から合法的に徴収することができる……富める者は、税金を払えば残りの金は国
家が財産不可侵権で保障してくれ、なおかつ正直な利益を保護してくれるのだから、
余分な金の一部は国家に御自由にお使い下さいと差し出すのが義務であると考えなく
てはならないのである。私は今、「正直な」と言った。これは財産をしっかり監督す
れば、法律でいう泥棒を駆逐するということを意味している。<二十>

●秩序破壊の跡にイスラエル王が王座に就く
神に選ばれた者≠ヘ、理性ならぬ本能によって、また人間性ならぬ獣性によって動
くばかげた力を粉砕すべく天から下される。この力は今は自由の原理という仮面をつ
けて略奪とあらゆる種類の暴力をはたらき凱歌を挙げているが、この力が秩序破壊の
跡にイスラエル王を王座に据えるのである。だが、かれらの役割は王が王国に入った
その瞬間に終る。王国の路からは、その残骸の一片すらも残さないように一掃される
必要がある。<二十三>