「シオンの議定書」本文1

 (最新見直し2006.10.27日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 第一日目の抗議録である。「プロトコール1」から「プロトコール9」がこれに入る。いわば総論のような箇所となっている。

 2006.10.27日 れんだいこ拝


 (れんだいこの解説を付けましたが、不要の方は原文のみお読みください)

【プロトコール、1 】
 いわば「議定書宣明」であり、「国際ユダ邪帝王学」を約15分野にわたって総論を開陳している。

 諸君、我々は、美辞麗句や空疎な言葉による観念遊戯を控え、思想の本質を総合的に究め、我々を取り囲むもろもろの事情に対して比較と推論の光をあて解き明かそうと思う。

 ここで、二つの観点、即ち我々自身の観点とゴイム(豚的動物すなわち非ユダヤ人)のそれを提起し、両者の違いをはっきりさせ、我々の体系を明確にしてみようと思う。

(私論.私見) 「議定書書き出しの『我々とゴイムの視点の違い』」について

 秀逸なるかな。議定書は、「ユダヤ人とゴイムの違い」を「観点の差」に求めている。実にそうだ。認識の始まりは、「科学的真理」に裏付けられてはいない。或る投企的な「打ったて」をもって始まっているのではないのか。この「打ったて」により認識のレールが敷かれ、認識が体系化していくことになる。最初の「打ったて」が違えば、その後の認識体系が異なるのは当然である。

 議定書は、ユダヤ人とゴイムの差をこの「打ったて」に求めている。その上で、「両者の違いをはっきりさせ、我々の体系を明確にしてみようと思う」と云う。この識別はかなり高度なものであり、それこそ認識の「真理」を言い当てているように思われる。以下、議定書は数々のこういう「深い認識」を示している点でも注目に値する。

 2004.9.20日 れんだいこ拝

 世の中には、低級粗雑な考えを持つ人の数の方が、上質高尚な考えを持つ人の数をはるかに凌ぐ。これが常であり、まずはこのことが踏まえられねばならない。私は指摘しなければならない。彼らを統治するには、学者ふぜいの論議によってではなく、強権と恐怖政治(テロリズム)によって為すに如かず。これこそが最良の方法である。

 誰もが権力を欲し、誰もが独裁者になりたがる。実に個人的私益の為には公益を犠牲にしても顧みない連中ばかりである。我益を手中にすることを抑えて、万人の利益のために我が身を犠牲にしようとする者などは、めったに居るものではない。
(私論.私見) 「暴力の社会的本質性」について
 議定書は冒頭より「議定書派の帝王学」を披瀝する。その最初の指摘が、「統治するには論議によってではなく強権と恐怖政治(テロリズム)によって為すに如かず。これこそが最良の方法である」とする「暴力の社会的本質性」についての言及である。仮に、これを「議定書派帝王学その1、暴力の正義性を知れ」とする。

 「その是非はともかく単に聞き置くことにする」としていたがコメントしておく。なぜなら、この観点こそが「国際ユダ邪帝王学」の「らしさ」を露骨に語っているからである。彼らは、返す刀で「誰もが権力を欲し、誰もが独裁者になりたがる。実に個人的私益の為には公益を犠牲にしても顧みない連中ばかりである。我益を手中にすることを抑えて、万人の利益のために我が身を犠牲にしようとする者などは、めったに居るものではない」と述べているが、国際ユダ邪以外の大多数は、権力や独裁者を求めず、万人の利益と釣り合いを取りながら生きようとしている。断然こちらの方が多い。にも拘らず、手前たちの強権と恐怖政治(テロリズム)礼賛帝王学を推奨する為の詭弁を弄している。かく分別せねばならない。
 人間という名の禽獣を抑え、彼らを牽引してきたものは何であったか、それを思案せねばならない。社会の仕組みが始まった原始時代にはそれは暴力であった。その暴力の威圧の前に人々は盲目的に服した。その後には、法律に服するようになった。だが、この法律とて所詮仮面を被った暴力に他ならないではないか。これがありのままの法則であり、ここから推論すると、「正義は力の中に横たわっている」と結論したい。
(私論.私見) 「仮面暴力法律論」について
 「国際ユダ邪帝王学」は「仮面暴力法律論」を説いている。これも彼ら特有の法律論であり、彼らの世界史的登場以前、世界中の法律がこのようなものであった訳ではない。それまでは「臣民の父母たらんとする帝王学」が主流であった。日本の天皇制も元々はそのようなものである。
 政治的自由は単なる思想であっていささかも現実ではない。が、政権党派を打倒すべく、この思想を餌として人民大衆を我らが陣に引きつけるには、その撒き方や使い方を知っていなければならない。その際、打倒対象である相手方が自由思想、いわゆる自由主義(リベラリズム)に立脚して政権を維持している場合には好都合である。そして、その思想の為になら喜んで全力を投げうつつもりがあるならば、仕事はさらにやり易くなる。

 この場合には、我々の所説が勝利することは目に見えている。政権の支配の手綱がゆるめられると直ちに、新しい手に手綱が執られるのは、自然法則の赴くところである。それは、盲目的な大衆にとっては一日たりとも指導者なしには済まされないからである。新しい権力者が単にすでにリベラリズムによって弱められた前任者の地位に座るだけのことである。
(私論.私見) 「リベラリズムの陥穽」について
 「議定書派帝王学その2、リベラリズムは単なる観念でしかない」。議定書のこの指摘つまり「リベラリズムの陥穽」は物議を起しそうである。ここでは、その是非はともかく、議定書が概要「リベラリズムとは、旧権力打倒に都合よい思想であり、我々にとって都合の良いものである」と「リベラリズム与し易し論」を説いている。このことに注目しておく。
 今日においては、自由主義的権力に代わって金力が支配する。かっては信仰が支配した時代があった。自由主義の理想が実現することは不可能である。なぜなら、誰一人としてほどよい使い方を知らないゆえに。

 人民大衆を無秩序な群集に一変させるには、彼らに一定期間自治を与えるだけで十分である。与えた瞬間から尖鋭な共食い闘争が勃発し、やがては社会闘争にまで発展し、遂にはその真っただ中で国家は焔に包まれて炎上し、その権力は一山の灰燼に帰するであろう。

 国家が内乱によって消耗するか、内部不一致のために外敵の手中に落ちるにせよ、どのみちその国は回復できず没落するほかはない。その時こそ、我らの出番である。完全に我々の手中にある資本の専制力が、その国に救いの藁を差しのべると、否応なく彼らはそれに縋(すが)りつかなければならない。拒めば底に沈むのである。

 リベラルな考えをもっている人が、上述のような考えを悪辣、不道徳であると評するならば、私はこれに対して次の問いを投げ返したい。どの国も内敵外敵両面の敵をもっている。外敵にはあらゆる策略を用い、たとえば敵には攻撃防御計画を伏せておき、夜間奇襲あるいは圧倒的優勢な戦力で撃破しても不道徳ではないとされるならば、さらに悪質な敵、社会秩序の紊乱者、安寧の妨害者に対して同じ方法を用いることが、いかなる理由で不道徳且つ許しがたいと云われなければならないのか? と。
(私論.私見) 「策略的政治手法」について
 「議定書派帝王学その3、策略は正義である」。議定書はここで「策略的政治手法」を公然と是認している。ここではその是非はともかく単に聞きおくことにする。
 大衆は、うわべのことにしか理性の力が働かない。愚にもつかぬ表面的なものへの反対とか批判にうつつを抜かし、反対ということを喜ぶ習性を持つ。かかる場合に、健全で論理的な精神が、道理の通った助言や議論の助けを借りて上手に大衆を導くことができるだろうか? 

 彼らは、もっぱら軽佻浮薄な情熱、迷信の類、風習的習慣、伝統、感傷的な理論に同調し易く、それらに囚われている間違いだらけの者達であり、故に党派の争いに巻き込まれがちである(党派根性にとらわれる)。

 故に、筋の通った議論を基にして出来上がっている調停案でもその妥協が潰され、合意が妨げられることになる。大衆の決議というのはどれも偶然の結果か、表向きの多数決によるものであるのだが、それは政治の裏面を知らずに、みすみす不条理な決議をさせられ、政治の中にアナーキーの種子を蒔き奇妙な芽を兆させるのである。
(私論.私見) 「大衆の政治能力」について
 「議定書派帝王学その4、大衆は無知である」。議定書はここで「大衆の政治能力に関する見立て」を披瀝している。ここではその是非はともかく単に聞きおくことにする。

 政治は、道徳とは何ら関係がない。道徳に基づき統治する支配者は練達の政治家ではない。そういう者が統治すると政権の王座は動揺し、永く保つことができない。支配したいと思う者は、我々が常々所有する新聞に感謝するところであるが、気付かれぬように策謀(欺瞞)と偽善との双方を用いなければならない。誠実や正直さとかのような、民衆において偉大な大徳目と称されるものは、政治においてはむしろ悪徳でしかない。

 それらは支配者を王座から転がり落とすのに効果あるもの、最も強力な敵よりも確実な破壊力をもつものなのである。そのような徳目は、ゴイムの王国の属性にしておいてもよいが、我々ユダヤ人は決して彼らの轍を踏んではならない。

(私論.私見) 「政治と道徳の関係」について
 「議定書派帝王学その5、政治から道徳を切り離せ」。議定書はここで「政治と道徳の関係」について言及し、「政治における道徳性」を排斥している。これは卓見かも知れない。ここではその是非はともかく単に聞きおくことにする。
 我々の正義は力の中に横たわる。「正義」なる言葉は抽象的な概念であって、なんら具体的なものではない。その言葉は次のことを意味するに過ぎない。「わが欲するものを我に与えよ。我が汝らよりも強きことを証せんが為に」。

 正義(権利)は何に拠って始まり、どこで終るのか?  

 権力の仕組が薄弱で法律が空疎であり、リベラリズムの乱用により権利を乱発し、支配者たちが脆弱となった国家には、新たなる権利を見つけ出しこれを行使することができる。

 その新しい権利が既存の制度、秩序、法規の一切を粉砕し、すべての機構を再構築し、我々はリベラリズムの中で放棄されて残されていた彼らの権威ある権利を継ぐ王者となる。
(私論.私見) 「政治における正義」について
 「議定書派帝王学その6、正義は権力を目指す」。議定書はここで「政治における正義」について言及し、「正義は権力を目指す」ことを指摘している。ここではその是非はともかく単に聞きおくことにする。
 あらゆる形態の政治権力が動揺している現在、我々の権力は、他のいかなる権力にもまして目に見えないであろう。我々の権力が敵のいかなる狡知をもってしてもこれを覆えさせられない強さに到達する瞬間まで、我々の権力は表面に出さないことにする。

 我々が目下用いざるをえない一時的な悪策から、確固たる善政が顕現する。この善政は、自由思想によって形無しにされた国民生活の仕組みを平常の状態に修復することになるだろう。結果は手段を正当化するので、目的が善ければ手段は選ばない。我々の計画においては、必要と有効なこと以上には、善とか道徳とかにはこだわらないことに留意しようではないか。

 我々の眼前には戦略的に敷かれた計画がある。数世紀にわたる我々の辛苦の労働が無に帰する危険を顧みるならば、この路線から逸脱することは許されない。
(私論.私見) 「目的と手段の関係」について
 「議定書派帝王学その7、目的は手段を正当化する」。議定書はここで「政治における目的と手段の関係」について言及し、「目的は手段を正当化する。ないしはそれを凌駕する」と述べている。ここではその是非はともかく単に聞き置くことにする。
 我々が、我々の活動に有効な満足すべき行動を練りあげようと欲するならば、大衆の下賎さ、狡猾さ、だらしなさ、軽薄さ、無定見無節操さを考慮に入れ、彼ら自身の生活状況、あるいは彼ら自身の福利を顧慮する必要がある。大衆の力は、盲目的であり、愚かしく、何かからの暗示にかけられるがままに衝動的に動き、判断力が弱く道理を弁えないということを踏まえておかねばならない。

 盲人が盲人を道案内すれば、共に奈落に落ちこむのは必然である。大衆から選ばれた何人かが天才的な賢者であったとしても所詮成り上がり者のこととて、政治の何たるかの真の理解に達しておらず、そういう指導者が指導すれば全国民を滅亡の淵に落としこむのは必然である。
幼児時代から特別の方式によって訓練された者だけが、政治の秘訣つまり政治の基本を成り立たせているイロハ(ABC)を理解することができる。大衆が大衆に政治を任せれば、すなわち人民の中から選出された成り上がり者の代表者に任せれば、権力と名誉を追うあまり党派間の軋轢とそこから生ずる無秩序状態に自滅するのが関の山である。

 大衆がおだやかに、つまらぬ嫉妬を交えた非難を言いたてずに、個々人の関心がごちゃまぜになっている国の諸問題を処理することが可能だろうか? 彼らが競争や個人的利害を度外視して国政を切り盛りできるものであろうか。外敵に対して有効に対応することができるだろうか? それは不可能である。なぜならば、大衆の頭数と同じだけバラバラになった計画が、一切の同質性を失って理解を絶し、実行不能なものとなるからである。
(私論.私見) 「大衆の政治能力、それに依拠する大衆政治の愚昧性」について
 「議定書派帝王学その8、大衆政治は愚昧である」。議定書はここで「大衆政治の愚昧さ」について言及し、概要「大衆政治は名指導者に指導されても失敗する」ことを指摘している。ここではその是非はともかく単に聞きおくことにする。
  国家を見渡して全体を適切に要素化させ、これらを機関として纏め上げるといったような、大規模かつ明確な諸計画を念入りに練れるのは独裁支配者だけである。このことから、どんな国でも申し分ない統治形態は、一人の責任ある人間の手に全機能を集中したものであるという明白な結論が得られる。

 文明は絶対専制の他には有り得ない。大衆によってではなく彼らを指導する絶対的な独裁によって政策が遂行されるでなければ、文明は維持できない。
(私論.私見) 「独裁政治こそ政治の要諦」について
 「議定書派帝王学その9、独裁政治こそ政治の要諦である」。議定書はここで「独裁政治の善性」について言及し、概要「真っ当な政治を為しえるのは独裁政治においてこそである」と述べている。ここでは、その是非はともかく単に聞きおくことにする。

 大衆は野蛮人であり、ことごとくの機会にその野蛮さを発揮する。下層民大衆が自由を手にすると途端にアナーキー(無政府状態)に転ずる。そのアナーキーさこそ野蛮の極みであろう。

 飲酒で馬鹿になりアルコール漬けになったゴイム(獣類動物)どもを見よ。自由がかれらに節度なき飲酒の権利をもたらしたのである。それは我々及び我々一族の歩む道ではない。ゴイムの畜生どもはアルコール飲料に酔いしれ、彼らの若者たちは因習陋習とごく若いうちからの性的堕落に痴呆状態となって成長する。

 その性的堕落は、我々の特別な代理人つまり富豪の邸宅の家庭教師、下男、家政婦、書記その他によって、しばしばゴイムの娯楽場にいる我らの女性たちによって手ほどきされる。かれら代理人の最後に、頽廃と奢侈に他の者たちを引き込む尖兵であるいわゆる「社交界の貴婦人たち」も入れておく。

(私論.私見) 「大衆は野蛮且つ自由を与えればアナーキーに陥るという大衆観」について

 「議定書派帝王学その10、大衆は野蛮且つ自由を与えればアナーキーに陥る」。議定書はここで「大衆観」について言及し、概要「大衆は野蛮且つ自由を与えればアナーキーに陥る。大衆にとって自由は弊害である」と述べている。ここでは、その是非はともかく単に聞き置くことにする。

 我々の合い言葉は力と偽善である。特に力のみが政治的諸問題を克服する。政治家に本質的に必要な才能の中にこの力が宿されているならば、ことに然りである。

 強権政治が根本原則でなければならぬ。我々の後押しする政府の手先どもが強権政治を敷こうとしない場合には、欺瞞と偽計が用いられねばならない。これを鉄則とすべしである。この悪は終局である善に達するための手段にすぎない。

 それゆえに、我々は、目的達成のために役立つときは、贈収賄、詐欺、裏切りをためらってはならない。これが役立つ場合には躊躇無く用いねばならない。政治の世界では、相手を屈服させ支配権を握る為には、他人の財産を奪い取る方法を遠慮してはならぬ。

 我々の国家が戦争という方法によってではなく平和的な征服の道を進んでいる際には、大衆を盲目的に服従させる為に恐怖を用いねばならない。我々は、目につかないけれども効果のある死刑宣告をもって統治する権利をもっている。

 仮借ない厳しさだけが、国家の強さを見せつける最大の力である。単に利益を得るためのみならずわれわれの義務としても、また、勝利のためにも、我々は暴力と偽善による計画を保持し続けなければならない。

 報復主義は使われる手段と同じく、有無を言わさず強力である。それは手段そのものであるというよりも、我々が勝利し、すべての政府を我らの超政府にひざまづかせる厳格な教義なのである。我々は抵抗する者及びその精神に対して容赦なく鉄槌を浴びせ、二度と歯向かわないように十二分に思い知らせる。

(私論.私見) 「強権恐怖政治支配論」について
 「議定書派帝王学その11、強権恐怖政治支配こそ目指さねばならない」。議定書はここで「強権恐怖政治」について言及し、概要「政治的諸問題を解決する有効な方法は、強権と恐怖、偽計である」と述べている。ここではその是非はともかく単に聞きおくことにする。
 はるか以前の時代にさかのぼれば、我々は大衆の中にあって「自由・平等・友愛」という言葉を叫んだ最初の人達であった。以来、幾度となく愚かなオウムたちが四方八方からこの餌に群がり集まり、世界の繁栄と、以前は下層民の圧力に対して頃合い善く保護されていた真の個人的自由を、この餌をもって破壊し去った。

 教養あり才智ありと自称するゴイムの知識人も、この三つの標語の間に隠れている矛盾に気がつかなかった。これらの言葉が意味するものとその相互関係を検証せねばならぬところを為さず、その矛盾に気づいて否定せねばならぬのに、そこまでは考え及ばなかった。彼らは、自然界には平等の存立しないことや自由など有り得ないことに留意しなかった。

 自然界には掟があり万物はその掟に従わせられるように作られているように、我々もまた気質、性格、能力が不平等に作られていることを見なかった。結局、ゴイムの知識人は「自由・平等」からは何も作りだすことができなかった。

 彼らは、大衆が盲目であること、彼らの仲間から選ばれ支配を委託された選良にしても、政治に関しては大衆と同様に盲人であることを見抜かなかった。政治の奥義を授けられた者は多少愚かであっても統治ができるが、反面、大天才であったとしても奥義を授けられない者は政治に関しては無知蒙昧であることを、決して考えようとはしなかった。これらのことを、ゴイムは一切顧みなかった。

 永い間一貫して王朝政治が保たれたのは、これらの奥義に依ってきたからである。王室以外の者や統治される者には誰にも知らされない政治統治の奥義が、父から子へ一子相伝で伝えられたのである。時代が過ぎ、政治の要諦を一子相伝する意義が失われた。このことが、我々の主義を成功に導く絶好の機会となった。

 地球上のいたる所で、我らの盲目の代理人たちのおかげで、「自由・平等・友愛」 という言葉が、我らの旗を熱狂的にかざす大群を、我々の隊列に引き入れてくれた。これらの言葉はまた常に、ゴイムの繁栄を蝕み、いたる所で平和、安寧、協同を毀損し、ゴイムの国家の基礎を破壊する生きたエダシャクトリ(果樹の害虫)となった。後に述べるように、このことが我々の勝利を助けた。
(私論.私見) 「自由・平等・友愛」について
 「議定書派帝王学その12、『自由・平等・友愛』はまやかしである。議定書はここで「自由・平等・友愛」について言及し、概要「『自由・平等・友愛』はまやかしである。これな気づかず、ゴイム社会は蝕まれた」と述べている。議定書のこの指摘は物議を起しそうである。ここではその是非はともかく単に聞き置くことにする。
 こんな風に我々に幾多の有利な材料はあったが、とりわけ、我々に切札を手中にせしめたのは、特権の破壊、云い換えればゴイム社会のにおける貴族支配の存在そのものの破壊である。唯一、人民と国とを守るこの階級は、我々に敵対してきたのである。

 ゴイム社会における血統的な、系図上の貴族階級を滅亡させた廃墟の所に、我々は、我々の金力が主導する、我らの教育を受けた階級を貴族として樹立した。それが金権貴族政治である。金権貴族政治は、我々自身のものである富と、我らが学識ある長老たちが備蓄した知識とによって確立されたところに特徴がある。
(私論.私見) 「貴族支配の打倒、それに続くに金権貴族政治」について
 「議定書派帝王学その13、『貴族支配の打倒、それに続くに金権貴族政治』は我々の政治戦の勝利である」。議定書はここで「貴族支配の打倒、それに続くに金権貴族政治」について言及し、概要「『貴族支配の打倒、それに続くに金権貴族政治』は我々の政治戦の勝利である。ゴイム社会の大衆はこれに気づかず利用された」と述べている。議定書のこの指摘も物議を起しそうである。ここではその是非はともかく単に聞き置くことにする。
 我々の勝利をいっそう容易ならしめた事実がある。それは、我々に必要欠くべからざる好ましい人物たちとの交際を通じて、我々は常に人間心理の琴線をくすぐり、即ち金銭欲、貪欲、人間のあくことをを知らない物質的欲望に働きかけた。云うまでもなく、これらへの耽溺はいずれも独創性を麻痺させる効果がある。この弱点故に、彼らの心と意思を、彼らに金を出してくれる人間に、自分の意志の最終決定をゆだねることになるのである。 
(私論.私見) 「エージェント作りとその手慣づけ方」について
 「議定書派帝王学その14、エージェント作りとその手慣づけ方」。議定書はここで「エージェント作りとその手慣づけ方」について言及し、「人間のあくことをを知らない物質的欲望に働きかけ、」概要「我々は、エージェント作りとその手慣づけ方に成功したことにより、我々の勝利を容易にした」と述べている。議定書のこの指摘も物議を起しそうである。ここでは、その是非はともかく単に聞き置くことにする。
 自由という言葉の空疎な抽象性が大衆にこう考えさせるようになった。彼らの統治者・政府などは、本来の国家の所有者である人民に委任された管理者(豚小屋の番人)に過ぎず、従って番人は使い古しの手袋のようにいつでも取り替えられるものだ。そう思い込ませることができた。

 人民の代表者が取り替えの効く仕組みとなっていると気づかせるのは我々の思う壺で、我々が自由に利用できるということであり、云うなれば、我々に代表者の身柄を預けたようなものであり、我々が代表者の任命権を握ったことになる。
(私論.私見) 「自由思想による支配者打倒戦略戦術」について
 「議定書派帝王学その15、自由思想利用による我々の旧支配者打倒戦略戦術」。議定書はここで「自由思想による支配者打倒戦略戦術」について言及し、「自由思想普及により我々は旧支配体制打倒を用意にせしめた」と述べている。議定書のこの指摘も物議を起しそうである。ここではその是非はともかく単に聞き置くことにする。

【プロトコール、2 】
 「プロトコール、1」の総論を受け、個別課題各論に入っている。
 我々の目的には戦争は欠くべからざるものである。が、できる限り、戦争が領土的な利益をもたらさないように仕向けるべきである。そうすれば、戦争は経済に基盤を置くようになり、この領域において各国は我々の支配の強力さを思い知らされるであろう。また、戦争当事国は双方とも我々が国境を越えて放っている我々の代理人団(エージェント)の思うがままに操られることになるだろう。どんな国境も我々のこの活動を阻止できはしない。
(私論.私見) 「戦争政策及びその要諦」について
 議定書は「プロトコール、2」から各論に入る。その最初に取り上げられているのが「戦争政策及びその要諦」である。余程戦争問題が重要であるかが分かる。議定書は、1・国家間の戦争をけしかよ、2・但し、利益をもたらさないようにせよ、3・いずれ疲弊し経済的問題に帰着する、4・我々の出番になる、と記している。

 さて、議定書のこの示唆を我々はどう受け取るべきだろうか。「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような奥の院の手の内までわざわざ書き付ける必要があるのだろう。
 私個人にはどんな制約があろうとも、我々のエージェントが百万の眼を持って監視し情報を収集しているので、節穴になることはない。むしろ手に取るように事態が掌握できる。

 世界にまたがる我々の法は各国の法を無効にしてしまい、丁度国家の市民法が国民の関係を律するのと全く同じように、我々の法の方が正確に各国を支配することになるであろう。
(私論.私見) 「各国に放たれたエージェントの役目」について
 議定書はここで、「各国に放たれたエージェントの役目」について触れている。その活動を支えるために、ユダヤの法が各国の法に優先されている」、と云う。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような奥の院の手の内までわざわざ書き付ける必要があるのだろうかについて。
 我々が公衆の中から選んだ行政官たちは、奴隷のように従順な資質であるかどうかを厳しく監視され、支配技術に長けた人物にはさせない。それゆえに、彼らは、我々の賢人と顧問と、全世界の諸問題を律すべく幼年期より養育された助言者・専門家の手中に握られ、将棋の歩(ふ)のような役目を引き受けることになる。
(私論.私見) 「各国における我々のエージェントとしての行政官の役目」について
 議定書はここで、「各国における我々のエージェントとしての行政官の役目」について触れている。概要「各国政府にはエージェントが送り込まれる。但し、人選に当たっては、能力の有る者は選ばない。何故ならコントロールし易いから」、と云う。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような奥の院の手の内までわざわざ書き付ける必要があるのだろうかについて。
 諸君もご存知のように、我らの専門家たちは、歴史の教訓や一瞬一瞬の現実の出来事の観察から、我らの政治計画に必要とする学術を体得しているのである。

 これに対して、ゴイムの専門家たちは、歴史の事実の赤裸々な歴史的観察を為し得ず、一連の結果に厳しい批判を加えることなく機械的に空理空論に走り、何ら批判的研究を為し得ない。
(私論.私見) 「我々の専門家とゴイムのそれとの能力の違い」について
 議定書はここで、「我々の専門家とゴイムのそれとの能力の違い」について触れている。概要「ゴイムの専門家は、ユダヤのそれに劣る。何故なら本当の学術を体得しておらず、空理空論に走り批判的研究を為しえないから」、と云う。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような奥の院の手の内までわざわざ書き付ける必要があるのだろうかについて。
 故に、我々は彼らに一顧も与える必要もない。時が一撃をくらわせるまでは存分に遊ばせ楽しませてやろうではないか。過去の栄光に新しい形を与える希望に生きさせてやろうではないか。古き良き思い出に浸(ひた)らせてやろうではないか。

 彼らには、我々が「科学が説くところでは」(学説)と吹きこんだ科学的法則を信じこませ、それを後生大事にいつまでも墨守させておこうではないか。
(私論.私見) 「ゴイムの専門家は暫くの間駄弁にうつつをぬかさせておけば良い」について
 議定書はここで、「ゴイムの専門家は暫くの間駄弁にうつつをぬかさせておけば良い」と述べている。興味深いことは、概要「いわゆる学説など当てにならないものなのに、ゴイムの知識人というものはあたかも真理の如くに後生大事に抱えね癖がある。所詮それだけの能力しかない。放っておけ」、と指摘していることである。これを聞いて頭が痛い者も出てくるだろう。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような奥の院の手の内までわざわざ書き付ける必要があるのだろうかについて。
 我々が一貫して、新聞マスコミを通じて、声を大にしてそれらの学説を盲信させるべく使う。それが言論機関の目的である。ゴイムの知識人たちは彼らの知識にいい気になり、論理的検証を行なうことなく科学から得た知識すべてを信じこむだろう。

 その知識たるや、我らの代理人団たる専門家が、ゴイムの心魂を手なづけてわれわれが望む方向に赴むかせんが為に、巧みに断片を寄せ集めたものなのである。
(私論.私見) 「言論機関の目的」について
 議定書はここで、「言論機関の目的」について述べている。興味深いことは、概要「学説は学説でしかないのにこれを盲信させるべく、言論機関を使う。ゴイムの知識人たちの頭脳はそれがお似合いで、信じ込む。それは塩梅が良いことだ」、と指摘していることである。これを聞いて頭が痛い者も出てくるだろう。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような奥の院の手の内までわざわざ書き付ける必要があるのだろうかについて。
 ここに述べたことは根も葉もないことであるとは、瞬時たりとも考えないでいただきたい。我々が仕掛けたダーウィン主義(ダーウィニズム)、マルクス主義、ニーチエ主義が、いかに功を奏しているかに注目していただきたい。

 我らユダヤ人にとっては、少なくとも、これらの指導者たちがゴイムの心魂に及ぼしたことどもを直視すれば、事は十分に明白であろう。
(私論.私見) 「ダーウィン主義(ダーウィニズム)、マルクス主義、ニーチエ主義」について
 議定書はここで、「ダーウィン主義(ダーウィニズム)、マルクス主義、ニーチエ主義」について述べている。興味深いことは、概要「それらはいずれも我々が仕掛けた学説である。ゴイムの人心を惑わすのに非常に功を奏した」、と指摘していることである。

 ここの下りが「議定書偽書説」派の根拠を与えているように思える。ここではこれを詮索しないでとにかく拝聴しておくことにする。しかし、「議定書偽書説」派の者は、むしろ説明せねばならない。何故かような奥の院の手の内までわざわざ書き付ける必要があるのだろうかについて。
 政治上の、また、行政上の諸問題の方向において些細な誤りを避けるためには、各国民の思想、気風(性格)、民情傾向を顧慮することが絶対に必要である。我々の方式は、我々が遭遇する人民の気質に応じて様々に仕組まれ案配されるけれども、もしも過去の成り行きと現状とを睨み合わせて上手な運営ができなければ、この方式の勝利はおぼつかない。
(私論.私見) 「ゴイム社会及びその歴史の研究の必要」について
 議定書はここで、「ゴイム社会及びその歴史の研究の必要」を説いている。これは議定書派の根拠の有る指摘ではないかと思われる。れんだいこが思うに、「社会及びその歴史の研究」は何も国家、民族のみならず、あらゆる事象の研究の際に言える事で、議定書が云おうが云うまいが重要なことではなかろうか。これは感心する下りである。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような奥の院の手の内までわざわざ書き付ける必要があるのだろうかについて。
 近代国家は、大衆の世論を創り出す強力な力をその手に持っている。すなわち、新聞・雑誌がそれである。新聞・雑誌が果たす役割は、必要欠くべからざるに至った国民の声を指摘し、世論の声を伝え、大衆に愚痴のはけ口を与え、不平不満を表明させ更にはそれを作り出すことにある。

 言論の自由の勝利が具体的になるのは新聞においてである。だが、ゴイムの国家は、いかにこの力を効果的に使うかについては知っていたためしがなく、つまり活用法を知らなかったこともあって新聞・雑誌は我らが手中に落ちた。新聞・雑誌を通じて、我々はその背後にあって、影響力を行使し得ることになった。

 金力が我々の手中にあることを周知のことであるが、我々が新聞を手中にする過程も又実に、血と涙の海の中においてであった。我々は、あまたの同胞を犠牲にしてきた。けれども、今や十分に報いられている。わが方の犠牲の一人一人は、神の前においては千人のゴイムに相当する。
(私論.私見) 「新聞の役目」について
 議定書はここで、「新聞の役目」を説いている。概要「新聞の社会的影響力は大きい。ゴイムはこれを上手に使うことが出来ず、我々が今支配している。新聞を通じてこそ我々は影響力を強めることができたのである」と述べている。これも感心する下りである。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような奥の院の手の内までわざわざ書き付ける必要があるのだろうかについて。

【プロトコール、3 】
 「プロトコール、3」で、ゴイム政府及びその社会の批判的検討に入っている。
 今日、我々はあと数歩で目標に到達せんとしていると言ってよい。横切るべき空間はあとわずかを残すのみであり、我々が歩んできた長い道のりは、今まさに我々の民族の象徴たる両頭の蛇の輪を締め合わそうとしている。この輪が閉じられるとき、ヨーロッパのすべての国家は強力な万力によって締め上げられることになる。
(私論.私見) 「民族の象徴たる両頭の蛇の輪」について
 議定書はここで、「両頭の蛇」について述べている。その両頭の蛇の輪が結ばれる時、彼らの世界支配が完成される、と述べている。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような奥の院の手の内までわざわざ書き付ける必要があるのだろうかについて。
 当今の国政機構の天秤はほとんど破壊しているも同然である。なぜならば、我々が、秤の均衡を損なうように支点を操作して狂わせているからである。ゴイムはしっかり固定してあると思い込んでいて、いずれ天秤は釣り合いを取り戻すはずだと、ずっと期待し続けている。だが、支点つまり王座に即位している王たちは、自分たちで押えが利かず無責任極まりない力に困惑するだけの阿呆家来どもに取り巻かれている。権力的家臣達は特有の茶坊主的密議支配を好む。宮殿内に風靡するこの政治支配が王権政治の特徴である。

 かくて、王たちには人民に近づく手だてがない。まさに取り巻き連中のど真中で王位に就いている王たちは、人民と一緒になって、権力の簒奪者たちに対抗する術を持つことができない。明敏な統治権力と人民の盲目の力との間に、双方ともがあらゆる意味を失うように、我々が深い溝を設けた。盲人と彼の杖のように、両者は離れ離れにされれば全くの無力となる。
(私論.私見) 「茶坊主政治による密議支配、ゴイム王の隔離と孤独」について
 議定書はここで、「茶坊主政治による密議支配、ゴイム王の隔離と孤独」について述べている。ゴイム国家の凡俗政治を云いえて妙な的確にして辛辣に批判している。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かようなゴイム国家の無能政治性の批判を為す必要があるのかについて。
 我々は、権力を追い求める者たちを煽動して権力を誤用させるため、すべての勢力を独立させ、極力相対立させ、それを促進する自由主義的傾向を鼓吹するように仕向けてきた。この目的に向って、我々はどんな形の企てでも指示教唆し、あらゆる政党を炊きつけ、戦闘準備させ、どんな野望の目的をも権力に対して向けるようにさせた。我々は、ゴイムの国家というものを、混乱した問題の大群が争乱する競技場と化せしめた。ほどなく、混乱と破綻があまねく広がるであろう。
(私論.私見) 「ゴイム社会の内部対立誘引」について
 議定書はここで、「ゴイム社会の内部対立誘引」について述べている。こうなると、左派運動はこれに乗ぜられない自己規律を持たねばならないことになろう。これに無自覚なままの有り様は問題ということになる。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような陰謀の手の内を明らかにする必要があるのかについて。
 あとからあとから出てくるおしゃべり屋たちが、議場と行政会議の場を討論会場に変えてしまった。あつかましい向う見ずなジャーナリストと厚顔無恥なパンフレット屋(コラムニスト)が毎日のように政府当局を攻撃する。権力に対する悪口雑言はすべての制度を転覆させる最後の一太刀となり、ことごとくが狂乱した大衆のめった打ちに遭って空中に吹き飛ばされるであろう。
(私論.私見) 「ゴイム政府批判扇動」について
 議定書はここで、「ゴイム政府批判扇動」について述べている。こうなると、左派運動はこれに乗ぜられない自己規律を持たねばならないことになろう。これに無自覚なままの有り様は問題ということになる。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような陰謀の手の内を明らかにする必要があるのかについて。
 なべての人民は、奴隷や農奴として縛り付けられていたかっての時代よりも更に難儀な、貧困なるがゆえの重い労働の鎖につながれている。彼らは何とかしてこの束縛から逃れようとするかも知れないが、この重荷を取り除くことはできず、決して貧困から脱却できない。

 我々が憲法に書き込んだ大衆に関する権利というようなものは、虚構であって実際に使える権利などではない。いわゆる「人民の権利」なるものは、単なる観念、実際生活では決して実現されるはずのない観念としてのみ存在する。
(私論.私見) 「人民大衆の疲弊、憲法権利の空疎性」について
 議定書はここで、「人民大衆の疲弊、憲法権利の空疎性」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような観点をひけらかす必要があるのかについて。
 おしゃべり屋には無駄口をたたく権利があり、ジャーナリストには真面目なことも書くが阿呆なことを書きなぐる権利があるとして、生活の重荷に打ちひしがれ、重き犠牲に腰を二重に折り曲げているプロレタリア労働者には、何があるというのか。かってプロレタリアートは、我々が説きつけたことに賛成し、我々が権力の中に潜ませておいた我らが代理人団の手下に賛成して投票した見返りに、我らが食卓からパン屑を恵んでもらっただけで、憲法からは何の利益も得られなかった。

 共和国の憲法は、貧者にとっては皮肉以外の何ものでもない。なぜならば、ほとんど一日中働いている労働者に必要なものは、憲法を使うことによっては全く与えられないだが、その一方で、彼は仲間たちが打つ同盟罷業や主人が行う工場閉鎖によって、確実な生活の資を奪われてしまうからである。
(私論.私見) 「共和国憲法の空疎性」について
 議定書はここで、「共和国憲法の空疎性」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような観点をひけらかす必要があるのかについて。
 我々の誘導によって人民は、貴族階級を破壊させてしまった。貴族自身の利益は人民の厚生福利と密接に結びついていた。そういう意味で、貴族階級は人民の本当の保護者であり養い親であった。現今では、貴族階級の滅亡によって、人民は労働者の首に残酷無慈悲なくびきをつなぐ守銭奴の手中に落ちた。その支配が人民の上に重荷となって遠慮なくのしかかっている。
(私論.私見) 「ゴイム社会における貴族階級の没落の歴史的意味」について
 議定書はここで、「ゴイム社会における貴族階級の没落の歴史的意味」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような観点をひけらかす必要があるのかについて。
 我々は、労働者に我が戦列即ち社会主義者、無政府主義者、共産主義者に加わるよう提案し、振りかかる圧迫からかれらを救出する救世主を買って出る。我々は、我らがフリーメーソン員が標榜した「人類団結という兄弟的友愛」の定め通りに、一貫して主義者たちを支援している。
(私論.私見) 「ゴイム社会における社会主義者、無政府主義者、共産主義者台頭の歴史的意味」について
 議定書はここで、「ゴイム社会における社会主義者、無政府主義者、共産主義者台頭の歴史的意味」について述べている。ここは議論せねばならないところのように思える。何と、社会主義者、無政府主義者、共産主義者運動は彼らの手の内で御されていると云うのだ。こうなると、左派運動はこれに乗ぜられない自己規律を持たねばならないことになろう。これに無自覚なままの有り様は問題ということになる。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような観点をひけらかす必要があるのかについて。
 貴族は、人民の労働から恩恵を蒙っていたから、労働者たちがよく食べ、健康で、強壮であるかどうかに関心を払っていた。我々は全く反対のこと即ち劣化、ゴイムから生命を奪うことに関心を寄せている。我々の権力は、労働者の慢性食料不足と肉体的虚弱を必要とする。まさにそうしておいてこそ、彼は我々の意のままに従うようになり、我々に敵対する強さも意志もなくなり、自分たちの権力を見つけ出そうとはしなくなる。

 王たちが正当に貴族に与えた権力よりも、さらに確実に労働者を資本の権利に従わせるのが飢えである。飢えが引き起こす貧困と嫉妬と憎悪によって、我々は大衆を動かし、彼らの手を使って我らが行く手を阻む者すべてを掃討するであろう。全世界王が王冠を戴く時が至れば、同じ方法を用いて障害となるものをことごとく一掃するであろう。
(私論.私見) 「飢餓の持つ統治上の意味」について
 議定書はここで、「飢餓の持つ統治上の意味」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような観点をひけらかす必要があるのかについて。
 ゴイムは、我らの専門家たちの助言なしに物事を考えるということができなった。自分で考えるという習慣を失ってしまった為に、我らの王国が実現したあかつきに我々が直ちに採択し、一歩も譲歩(じょうほ)する事なく確保(かくほ)するであろう施策の必要性の意味が見えない。即ち、公教育の場においては、唯一単純かつ真実の知識、全知識の基礎を教えることが肝要であるということである。 それは、人間生活の構造に関する知識、社会存在のあり方に関する知識、労働には分業が必要であり、従って、人々は階級と身分に分かれなければならないということである。

 人間活動の実際にはさまざまな差異があって、平等などというものはありえず、なんらかの行為で階級全体に累を及ぼす者と、自分自身の名誉を傷つけるだけの者とは、法律の前では平等の責任を負うはずがないということは、万人が心得ておくことが肝要である。

 ゴイムには知らされていない秘密であるが、社会構造の真の知識は、身分とかけ離れた仕事をさせないようにしなければならず、個々人に要求される仕事と受ける教育との落差が悩みの元にならないように、万人に実地をもって示そうと思う。この知識を完璧に身に付けたあかつきには、大衆は進んで権力に服従し国家に指示された仕事を受け入れるであろう。

 現状の知識と我々が人民大衆を育成してきた方向からいえば、大衆は印刷されたものを鵜呑みにし、我々が彼らに誤りを吹き込んできたためと、彼ら自身の無知のおかげとで、これまでに考察した身分という身分に対して、全面的に憎悪を燃えつのらせる。それは各階級には常々相応しい重要な職務があるという身分の意味を全く理解していないことから来ている。
(私論.私見) 「分業、階級、身分の差の生得性の認識及びその理解」について
 議定書はここで、「分業、階級、身分の差の生得性の認識及びその理解」について述べている。ここは議論せねばならないところのように思える。いわゆる哲学的問題なるが、「ゴイムには知らされていない秘密」として概要「各階級には常々相応しい重要な職務があるという身分の差の意味」を知ること、教えることが肝要と云う。鵜呑みには出来ないが、意味するところはかなり重要な示唆かも知れない。いわゆる平等運動のナンセンスさを指摘していることになる。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような観点をひけらかす必要があるのかについて。
 この憎悪は、「経済危機」の効果で数倍もの火の手を挙げるだろう。経済危機たるや為替取引を中止させ、工業を停止させるだろう。我々は、自分たちが熟知している隠密な方法を総動員し、すべて我々の手中にある金力の助けを借りて、大規模な経済危機を作り出し、それによって全ヨーロッパ諸国の労働者大衆をいっせいにまとめて路上に放り出すだろう。

 これらの大衆は、ただ単に無知であるがゆえに、揺籃時代から羨み妬(ねた)んでいた連中を喜んで血祭りにあげることで痛快な気分を味わい、連中の財産を略奪するであろう。

 彼らは、「我々のもの」には手をつけない。なぜなら、襲撃の時機を知っているのは我々であり、我々は財産を守る手を事前に講じるからである。 
(私論.私見) 「経済危機の効果」について
 議定書はここで、「経済危機の効果」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような陰謀の手の内を明らかにする必要があるのかについて。
 我々は、進歩こそがすべてのゴイムに理性の支配をもたらすだろうと強調してきた。しかし、我々の専制は一分の隙もない独裁である。それがいかに、炯眼厳格な方法によってあらゆる不満を鎮圧し、すべての制度慣習のリベラリズムを麻痺させるかを知るだろう。

 一般大衆はあらゆる種類の利権特権は自由の名のもとに生み出されたと見ていて、君主がそれを握っていると思い込み、怒涛のように襲いかかったが、盲人のならいでおのずとあまたの石に蹴つまづく結果となり、案内人を求めて猛進したが、今さら昔の状態に戻ることはできず、我らの足下に全権をゆだねてしまうことになった。
(私論.私見) 「進歩概念の意味」について
 議定書はここで、「進歩概念の意味」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような陰謀の手の内を明らかにする必要があるのかについて。
 フランス革命を想起していただきたい。それを「大革命」と名付けたのは我々であった。その準備が秘密裡に行われたことを、我々は熟知している。あの革命は全面的に我らの手で遂行した一大事業であった。

 その時以来、我々は人民大衆を幻滅から幻滅へと導いている。それは、その帰結として最終的には彼らをして、我々が世界のために準備しているシオンの血を受けた専制君主に賛同するに至らしめんが為である。彼らは、我々に頼らずして歓呼して迎えるようになるだろう。
(私論.私見) 「フランス革命とフリーメイソン、革命の効果」について
 議定書はここで、「フランス革命とフリーメイソン、革命の効果」について述べている。ここは議論せねばならないところのように思える。いわゆるフランス革命の背景事情について精査し直さなければならない、ということになるだろう。これに付き、歴史学者は如何なる見解を示しているのだろうか。併せて「世の革命的闘争」と云われているものの裏舞台を検証し直さなければならない、ということになろう。

 れんだいこが思うに、そういう背景があったとして、そのシナリオに乗ぜられず押し進めた革命があるとしたらそれこそ値打ちもののそれではなかろうか。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような歴史の秘密を明らかにする必要があるのかについて。

 今日我々は、多国家にまたがる勢力として無敵である。なぜならば、何ものかが我々を攻撃しようとも、我々は他の国家に支援される仕組みになっているからである。ゴイム人民の底無しの無気力さ、且つ権力の前には腹這いになって這いつくばるが、弱者には無慈悲、他人の過失には厳しく罪悪には寛容、自由社会制度の矛盾は認めようとしないが思い切った専制者の強権に対しては殉教者のように耐える、ゴイムのそれらの特徴が我々を今日にあらしめた。

 我々はこれに全く助けられたところが多い。現在の首相という専制者のもとでゴイム人民は呻吟しているけれども、かってならその何分の一かの権力乱用でもあれば、王の二十人ぐらいは打ち首にしたであろう。

(私論.私見) 「ゴイムの人民大衆の劣等性質」について
 議定書はここで、「ゴイムの人民大衆の劣等性質」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような観点をひけらかす必要があるのかについて。

 この現象、同じ性質の事象と見えることに対する人民大衆のこの矛盾撞着はどう説明したらよいのか? 

 ここには厳然たる事実がある。現代の専制者たちは彼らの代理人を通じて、人民大衆に向いこうささやくのである。権力をこういうふうに使えば、国家には害を及ぼすけれども、崇高な目的にはかなっているのだ。人民の生活保護、国境を超えた人民大衆どうしの友情、社会連帯、平等の権利という目的を実現しようとする為であると。云わずもがなのことではあるが、彼らは、これらすべては我々の統治支配のもとで初めて実現するものだとは言っていない。

 かくて人民大衆は正しいものを罰し、不正なるものを許し、前にもまして、望んだことは何でも実現できると信じ込まされるのである。このような事態のおかげで、人民大衆はあらゆる種類の安定を覆し一歩一歩混乱を生み出している。

(私論.私見) 「ゴイムの人民大衆の軽薄さ」について
 議定書はここで、「ゴイムの人民大衆の軽薄さ」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような観点をひけらかす必要があるのかについて。

 「自由」なる言葉は、さまざまの人間集団に、あらゆる種類の権力、あらゆる種類の権威、さらには神や自然の掟に対してまで闘争することに向わせる。このため、我々が我らの王国を実現したあかつきには、大衆を血に飢えた獣に改造する暴力的概念であるこの言葉を、我々は、目に触れる辞書から抹殺するであろう。 

 獣たちは血をたらふく呑んで腹がふくれると眠り込むので、鎖につなぐのはいともたやすいというのは事実である。だが、血を呑まさなければ彼らは眠らず、引き続き闘争を続けるであろう。

(私論.私見) 「自由概念の性質」について
 議定書はここで、「自由概念の性質」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 「議定書偽書説」派の者は、説明せねばならない。何故かような陰謀の手の内を明らかにする必要があるのかについて。

【プロトコール、4 】
 「プロトコール、3」のゴイム政府及びその社会の批判的検討を受け、ユダヤ王国再興運動推進上の要点確認に向っている。その絡みで、秘密組織フリーメーソンについて堂々と触れている。
 あらゆる共和国はそれが出来上がるまでにいずれもいくつかの段階を経る。その最初は、かなたこなた、右に左に攪乱された盲目の大衆の狂瀾が猛威を振るってやまないことから始まる。次はデモゴギー、つまり民衆煽動の時代である。ここから無政府状態が生じ、無政府状態は必然的に専制に向う。
(私論.私見) 「共和国制の発生過程」について
 議定書はここで、「共和国制の発生過程」について述べている。それによれば、衆愚政治から扇動政治続いて専制政治に向う、との観点を披瀝している。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 この独裁は、合法的に公明正大な専制というものではなくて、目には見えず密かに姿を隠しているものだが、それだからといって弱体という訳ではない。それは種々の手先の庇護の下に楽屋で地味に働く秘密組織が活躍するからである。

 その活動は幕の蔭であらゆる代理人の背後で働くだけに、手きびしいことでも平気でやる。それら代理人たちは交代するので、不当に襲われないばかりか、秘密の勢力を効果的に助けている。しばしば交代するおかげで、長期活動の報酬が節減できるのである。

 それでは誰が、何者が、そんな見えない政権を樹立できるのか。

 ここにこそ我々の特徴がある。非ユダヤ人即ち外部の者を入れてあるフリーメーソン員は、本当の秘密政権を隠蔽する屏風であり、目的を分からなくする仮面となる。我が勢力の活動計画やその本当の所在は常に、人民には全く謎に包まれたままにしている。
(私論.私見) 「秘密組織フリーメーソン」について
 議定書はここで、「秘密組織フリーメーソン」について述べている。「フリーメーソン」は、議定書派の世界支配計画の手足となる秘密結社である、と述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 自由は、それが神に対する信仰や人類愛に支えられ、平等思想と結びつかないならば無害なものであり、人民の安寧幸福になんら害を与えないから、国家の政権綱領の中に居場所があってもよろしい。だが、平等思想は自然法則に悖(もと)るものであるから、自由思想とは切り離さなくてはならない。

 このような信仰をもって、人民が教区の保護のもとにあり、地球に対する神の支配に従う牧師の手に導かれ満足して敬虔に歩んでくれるならいい。そうでないからこそ、我々は信仰という信仰をむしばみ、ゴイムの心から神の摂理と霊魂なるものを引き離し、代わりに損得勘定と物欲を入れることが絶対不可欠なのである。
(私論.私見) 「宗教対策及び平等思想の排斥の必要」について
 議定書はここで、「宗教対策及び平等思想の排斥の必要」について述べている。いわゆる身分制秩序安泰型の宗教は結構なものだが、平等思想及びそれに貫かれる宗教は排斥されねばならない、と云う。してみれば逆に、無政府主義、社会主義、共産主義運動それ自体は利用し得るものであるが、それが平等思想に貫かれたものであるならば危険であり、望ましくない、ということになるのだろう。

 人民大衆をこの流れに向わせない為に、意図的に信仰心を抑制し、物欲主義を煽る、と述べていることになる。取りあえず拝聴しておこう。
 ゴイムに物事について考えたり留意観察したりする暇を与えないためには、彼らの気持を工業や商業に向けさせ引き付けなければならない。そうしてこそ、国民という国民が国家・社会など眼中(がんちゅう)になくなり、ただひたすら私利的利益追求に没頭し始め、その結果として彼らの共同の敵に注意を払わなくなる。

 重ねて述べるが、自由をしてゴイム社会をきっぱりと崩壊滅亡させんが為には、投機を産業の基礎にしなければならない。その結果、産業が国土から引き出したものは、いくつかの手を通り抜けて投機に手渡される、即ち、我らがユダヤ階級の金庫の中に転り込んでくるであろう。
(私論.私見) 「事業活動、投機活動奨励の意味」について
 議定書はここで、「事業活動、投機活動奨励の意味」について述べている。それによれば、「我々が物事について考えたり留意観察したりする暇を与えない」為に、事業活動、投機活動が奨励されている、ということになろうか。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 経済生活で他人よりも優位に立とうとする激烈な闘争と、市場での不断の投機とが、薄情冷酷きわまりないな社会を生み出すだろう、いや、すでに生み出している。その社会は、本来高等な政治・宗教などのものに対して無関心どころか嫌気、反発を強めるだろう。彼らの生きがいは唯一、利益、すなわち金を集めることだけになる。彼らは金があれば手に入る物質的喜びを求めて、まぎれもなく貨幣を偶像視し始め拝金教徒と化すだろう。

(私論.私見) 「拝金教徒化政策」について
 議定書はここで、「拝金教徒化政策」について述べている。ということは、拝金主義は意図的に作られている、ということになるのだろうか。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 次いで時至れば、ゴイムの貧乏人どもは、高邁な目的のためでもなく、また、富を得んがためですらなく、ただひたすら特権上流社会への嫉妬にかられ、ゴイム憎しのために我々に付き従い、権力をめぐるわれらの競争相手、ゴイムの知識人たちに逆らって我らの指導に従うことになるであろう。
(私論.私見) 「ゴイム大衆の政治的利用政策」について
 議定書はここで、「ゴイム大衆の政治的利用政策」について述べている。とすれば、「大衆の不断の啓蒙、高等教育政策」がこれを防ぐ手立てになろう。ここは取りあえず拝聴しておこう。

【プロトコール、5 】
 「プロトコール、4」のユダヤ王国再興運動推進上の要点確認に向っている。これを受け、「プロトコール、5」では、その王国新政府の諸政策上の要点確認に向っている。
 見せ物団体、言説混乱による疲労困憊が進み、いたる所で腐敗が広まっている社会、富が詐欺同然の悪賢い奇策に類する方法で獲得される社会、たるみ切った社会、道徳が進んで守られるのではなく懲罰厳罰によって維持される社会、信仰心や愛国心が無国境主義的信念に一掃された社会に、どんな種類の統制支配なら適用できるか? あとで述べるような専制支配以外に、どんな支配形態ならこのような社会にあてはめられるか? 

 我々は社会の全勢力をこの手に掌握せんがため強力に集中化した政府を樹立しようと思う。我々は新たな法律によって、国民の政治生活すべてを手加減することなく律しようと思う。それらの法律は、ゴイムが許してきた寛大とか特典とかを一つづつ全部取り潰すだろう。いかなる時にもいかなる場所でも、行動や言葉でわれらに盾突くゴイムどもを一人残らず一掃する立場で臨み、専制ということの強力さを遺憾なく発揮するのが、わが王国の特徴である。

 私が述べているような専制は、時代の推移による近代の進歩とはそぐわないという意見も聞くが、事実は正反対であることを証明しよう。
 ●われわれの専制は一分の隙もない独裁である
 われわれの専制は一分の隙もない独裁である。それがいかに、炯眼厳格な方法によってあらゆる不満を鎮圧し、すべての制度慣習のリベラリズムを麻痺させるかを知るだろう。
(私論.私見) 「ユダヤ王国の専制政府」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国の専制政府」について述べている。ゴイム政府打倒の為にはリベラリズムのエキスを注入したが、自分達の天下政府を樹立すると手のひらを返し、専制政治に切り替える、と云う。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 人民大衆が、王は神の意志を純粋に体現した者だと見ていた時代には、なんの不平不満も漏らさずに王の専制権力に従った。だが、人民には権利というものがあるという考えを我々が彼らの心に植えつけてからは、彼らは王座に座る者を単に普通の人間とみなし始めた。「神権による王」の聖油は人民が見ている前で王たちの額から消えうせてしまい、我々が人民から信仰心を奪った時に、権力の強力な力は飛び散って公共の場所へ移って行き、我々がそれを押収したのである。

 加えるに、巧妙に仕組まれた学説と詭弁により、社会生活の制約やその他ありとあらゆる方便により、あるいは、ゴイムどもにはまるで解らない手段を動員して大衆や個々人を支配する技術は、他の技術と相並んで我々ユダヤ人の天才的政治力に属するものである。我らが支配の中枢である専門家がもともと手中にしていたものである。

(私論.私見) 「ユダヤ王国の人民大衆支配政策」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国の人民大衆支配政策」について述べている。ここは注意を要する記述である。字句通りに受け取れば、そういうユダヤの陰謀があるのなら、人民大衆は封建的専制政府の擁護に向うべし、ということになる。そういう意味で、いわゆる左派運動を牽制する内容となっている。

 しかし、れんだいこは、議定書口述者の率直な感慨を書き付けているだけのことと受け止める。それによれば、ゴイム政府の権威を奪い取り、その打倒を炊きつける能力、その他様々な大衆支配の技術は「他の技術と相並んで我々ユダヤ人の天才的政治力に属するものである」と自画自賛していることになる。
 この天才政治というのは、事象の分析、観察、精緻な計算によって成立しており、この種の熟練技術に関しては我々に肩を並べる者はいない。それはあたかも、練り上げられた政治的活動と固い結束関係の組み立てにおいて我々の競争相手がいないのと同じである。いるといえば、イエズス会だけは我々と比べられるだろうが、我々は無分別な大衆の間にその信用を失墜させることに成功した。

 というのは、我々は我々の組織が目に見える組織として存在することがないように工夫してきた。その裏でわれわれは終始一貫秘密組織を維持し続けてきた。これに比して、イエズス会はその組織が外部から見えるようになっており、それだけ攻撃を受けやすかった訳である。
(私論.私見) 「ユダヤ人の天才政治能力」について
 議定書はここで、「ユダヤ人の天才政治能力」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。しかし思い当たることが多い気がする。

 結局、カトリックの首領であろうとシオンの血を受けたわれわれの独裁者であろうと、専制君主は専制君主であることに変わりはない。が、神の選民である我々にとっては、このことは無関心ではいられないのである。

 ほんの一時は、我々が全世界のゴイム連合にうまくしてやられることもあったやも知れぬが、ゴイムの間には今では決して取り返しのつかぬほど深く根を張った軋轢があるので、我々はそのお陰でついぞ危険にさらされずにいる。

 我々は、二千年も前からゴイム間に個人的、国家的、民族的、人種的、宗教的反目を拵え、相互の憎悪によって個人も国民も対立反目応報を繰り返すように仕組んだ。これがなくならないよう努力してきたので、手が付けられないほど劇しいものになっている。これが、我らに腕を振り上げたとしても、支持してくれる国はどこにもただの一国もない理由である。我々に対抗する同盟を結べば自分が不利になることを、どの国も肝に銘じているからである。

 我々はあまりにも強力である。何人も我々と妥協せねば存立できない。我々は我々のこの力を信頼しなければならない。我々の力から逃れおおせるものはない。国家は我々の蔭の関与なしには、ほんの些細な協定でさえ結ぶことすらできないようになっている。

(私論.私見) 「ゴイム諸国家への意図的分裂策動」について
 議定書はここで、「ゴイム諸国家への意図的分裂策動」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。しかし思い当たることが多い気がする。

 Per Me reges regnant.(王は我によりて支配する)。我々の預言者たちによれば、「我々は世界のすべてを支配すべく神自身に選ばれたのである」。神は我々がこの使命を遂行できるように、我々に天与の才を授けられた。仮に反対陣営に天与の才が授けられた者が現れ、我々に闘いを挑んだとしても、駆出し者というものはしょせん古くから職業的にやってきた者には太刀打ちできない。

 そういう者がでてきたら、我々と彼らのとの闘いはこの世が始まって以来見たこともないような熾烈を極めたものとなるであろう。しかし、我々の闘争は未だかってなかったほどの残酷なものであろうから、天才先生は現われるのが遅過ぎたことになろう。

(私論.私見) 「ゴイム有能者の反抗の限界」について
 議定書はここで、「ゴイム有能者の反抗の限界」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。しかし思い当たることが多い気がする。
 すべての国家機構を動かす車輪はエンジンが駆動する。エンジンは我らの手中にある。国家機構のエンジンとは金である。我々ユダヤの学識ある長老たちが創造した政治経済学は、久しい以前から資本に君主の威光以上の威信を与えてきた。

 資本、それが束縛なく相携えて力を発揮するには、存分に工業と商業の独占がはかられねばならぬ。そのことはすでに世界のあらゆる隅々で、見えざる手によって実践に移されているところである。この目的が達せられると、政権は商人の手に移って大衆はこれに屈従することになる。
(私論.私見) 「ユダヤ金融の国家支配」について
 議定書はここで、「ユダヤ金融の国家支配」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。しかし思い当たることが多い気がする。

 今日では、人民大衆を武装解除させることは、戦争に赴かせることよりも重要である。さらに重要なことは、我々の都合からいえば、我々の考えを実行しようとする大衆の焔を抑えることよりも燃え上らせることである。さらに重要なことは、他人の考えを根絶するよりは、その考えをすばやく掴みとり我々に都合がよいように翻案することである。他人の意見を知らずにいるのは愚かである。

 我々の役員会が採択している原理に次のことがある。非難によって大衆を意気阻喪させること、抵抗心をかき立てるまじめな思考をさせないようにすること、心の力を空理空論の論争にそらさせることである。

(私論.私見) 「ユダヤの人民大衆操作術」について
 議定書はここで、「ユダヤの人民大衆操作術」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。しかし思い当たることが多い気がする。
 いつの時代でも世間の大衆というものは、個人も同様であるが、言論と事実(行動)とを混同してきた。競技場で見た通りのように直に自己の感覚に現れてくるもので満足しているが、約束されたことが社会生活の中で実行されているかどうかを検討しようとする者は稀である。もっぱらショーを見るだけで満足している。そこで我々は、大衆の利益が進歩に向っていると声高く証明するショー団体を作るだろう。

 我々は、あらゆる政党に自由主義的な綱領や主張を吹き込む。我々の弁士はリベラルな顔つきを装おって全政党に入り込み、聞き手が聞き飽きて辟易するようになるまで喋り立てる。
(私論.私見) 「ユダヤの世論操作」について
 議定書はここで、「ユダヤの世論操作」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。しかし思い当たることが多い気がする。
 世論をわが方に引き寄せるには、あらゆる角度から意見を続出させ、相反する説をいくつも並べ立て、ある期間、十分ゴイムの判断を迷路に迷い込ませて、遂に結局、一番いいのは政治上のことには何も意見をもたないことだと思い至らせるようにしなければならない。政治はそれを司る者だけが理解できる領域であり、所詮一般大衆には解らない。なぜなら、大衆は自分たちを導く者を通じてしか理解できないからである。それを悟らせる。これが第一の秘訣である。

 統治に成功するのに必要な第二の秘訣は、次のことにかかっている。すなわち、国民大衆の欠点、悪習慣、情欲を助長させ、これに対する法律規則を頻発して社会生活上の取り決めを複雑化することだ。すると市民生活が混沌に陥り、その中にあって誰もが訳がわからなくなり、その結果、大衆同士相互の理解ができなくなる。これこそ別の意味で我らにとっては有利なこととなる。
(私論.私見) 「ユダヤの大衆操作の要諦」について
 議定書はここで、「ユダヤの大衆操作の要諦」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。しかし思い当たることが多い気がする。
 諸党派その他組織対策も然りである。党派の中に不和・軋轢の種子を蒔き、まだ我々に従わおうとしない集団を撹乱し、どの程度のものであれ我々の仕事を妨害するような個人の企てに対しても片っ端から気勢をそぎ骨抜きにしてしまうことになる。

 個人の企てほどまたとなく危険なものはない。その裏に天才があろうものなら、このような企ては、我々が蒔いた軋轢の種子を台無しにし、人民何百万人にも勝る力を持ち始めるからである。
(私論.私見) 「ユダヤの抵抗者対策の要諦」について
 議定書はここで、「ユダヤの抵抗者対策の要諦」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。しかし思い当たることが多い気がする。
 我々はゴイム社会の教育を指導する際には、彼らが何か創意を示す徴候があれば、いつでも気力を失って絶望してしまうように仕向けなければならない。自由奔放な活動というものは、別の自由奔放さに出会うと無力になる傾向がある。衝突すると、容易ならぬ精神的打撃、失望、意気消沈が起こる。これらありとあらゆる手段を駆使して、我々はゴイムを疲労困憊させたあげく、国境を越えた現実の力を我々に提供せざるをえなくなるだろう。
(私論.私見) 「ゴイム社会の教育指導の要諦」について
 議定書はここで、「ゴイム社会の教育指導の要諦」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。しかし思い当たることが多い気がする。
 その現実の力が、いかなる暴力も用いることなく、世界中の国家支配力を次第に吸収して、超政府を形作るのである。今日の支配者たちに代わって、我々は超国家管理機関という怪物を設けるであろう。その手は鉗子のようにあらゆる方向に伸び、その組織は巨大な規模に広がり、世界中の人間という人間を制圧せずにはおかないだろう。
(私論.私見) 「来るべき超国家管理機関の超政府」について
 議定書はここで、「来るべき超国家管理機関の超政府」について述べている。いわゆる「ワンワールド国家」のことであろう。ここはそのまま拝聴することにする。

【プロトコール、6 】
 「プロトコール、5」のユダヤ王国新政府の諸政策上の要点確認を受け、更に具体的施策に言及している。
 我々は近く巨大な独占を確立し始めるだろう。それはゴイムの巨万の富がすっぽり入るような、並外れた富の貯水池である。政治的破滅に続く時期には、政府の債権ともどもゴイムの財産も一挙に枯渇するだろう。御列席の経済人諸君は、この連携作用の趣旨を評価されるのにやぶさかかではなかろう。
(私論.私見) 「ゴイム国家の破滅」について
 議定書はここで、「ゴイム国家の破滅」について述べている。「政治的破滅に続く時期には、政府の債権ともどもゴイムの財産も一挙に枯渇するだろう」とは不気味な示唆である。ここはそのまま拝聴することにする。
 我々は、あらゆる手だてをつくして我々の超政府の人気を煽る。あらゆる手だてをつくして、我々に進んで従う者すべての保護者であり儲けさせてくれる恩人だと思わせなければならぬ。そういうものとしての我らが超政府の重要性を強調しなければならない。
(私論.私見) 「超政府プロパガンダ」について
 議定書はここで、「超政府プロパガンダ」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 ゴイムの貴族は政治的勢力としては死んだので、我々はもはや彼らに考慮を払う必要はない。だが、土地所有者としての彼らは我々にとって警戒を要する存在である。それは彼らがその資産で自給自足していけるからである。それ故に、本質的な問題として、代価がいくらかかろうとも何としてでも、彼らからその土地を取り上げなければならぬ。

 この目的達成の最も良い方法は、土地を所有していることがだんだん重荷になるようにすること、即ち土地税を高くして土地を抵当に入れさせる等々で圧迫することである。このために土地所有の状態を監視し、土地収入を最小限にさせねばならない。ゴイムの貴族は、生れつき足りることを知らないのでいろいろ試みるが、急速に燃えつきたり初めはうまく行ってもいずれ失敗に帰するだろう。
(私論.私見) 「土地所有者への打撃政策」について
 議定書はここで、「土地所有者への打撃政策」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 そうなったらすかさず、我々は無条件に商業と工業の保護者にならなければならないが、特に投機事業を奨励せねばならない。それは産業の成長に重しをつける役割がある。投機産業がないと個人資本を増大させ、為に土地銀行が地主に貸付けたせっかくの債務を返済され、工業に出資した地主の運命が持ち直すことになるだろう。

 我々が欲するのは、産業が土地から得る富を吐き出させることであり、投機という手段で世界の金すべてを我々の手に移すことである。そうしてこそゴイムは、無一文となって無産階級の列に落とされ、何とか生きていこうとすれば我々の前にひざまづくほかはなくなるだろう。
(私論.私見) 「投機事業の奨励」について
 議定書はここで、「投機事業の奨励」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 ゴイムの産業を完全に滅亡させるには、投機の助けを借りて、我々がゴイムの間で盛んにしてきた奢侈、財力を使い果たしてしまうような奢侈に対するあくなき欲望を募(つの)らせることである。
(私論.私見) 「奢侈の奨励」について
 議定書はここで、「奢侈の奨励」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 我々は、労働者には好都合にならない程度に賃金の上昇をはかるだろう。同時に、農業や家畜飼育の収穫が駄目になったから上がるのだという理屈を付けて、生活必需品の価格をあげるだろう。

 我々はさらに進んで、労働者を混乱と酒漬けにし、それに加えるに、ゴイムの頭の良い者たちをすべてこの世から根絶すべくあらゆる処置を講じ、生産の根源力を巧みに深く蝕むだろう。
(私論.私見) 「労働者対策としての賃金上昇政策、弱脳化政策」について
 議定書はここで、「労働者対策としての賃金上昇政策、弱脳化政策」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。

 ゴイムに時期尚早のうちに真相を悟られないようにするために、我々は仮面をつけて、表面上は労働者の経済状態を改善し、経済上の大問題を解決する為にと称して真相を隠しながら取り組む。我らの経済学説が精力的に宣伝する偉大な政治経済原理のもと、いかにも労働者階級に役立つかのように情熱を傾けて説き伏せるだろう。

(私論.私見) 「我々の仮面政策、経済学説喧伝」について

 議定書はここで、「我々の仮面政策、経済学説喧伝」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。

【プロトコール、7 】
 「プロトコール、6」の「ユダヤ王国新政府の具体的施策」を受け、その際の最も肝腎な点に付き留意を喚起している。
 軍事力増大と警察力強化、この二つを欠いては、前述の計画を完成させることは全くできない。我々の到達目標は、我々を除いては、世界のすべての国家には、労働者階級大衆と我々の利益に奉仕する少数の百万長者と、警察官と兵隊たちだけがいればよろしい。
(私論.私見) 「軍事力増大と警察力強化」について
 議定書はここで、「軍事力増大と警察力強化」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 ヨーロッパ全土、また、ヨーロッパとの関係を通じて他の大陸にも、我々は騒乱と混乱と敵愾心を起こさなければならない。そのことは、我々にとっては二重の利益がある。まず第一に、各国は我々が指一本で意のままに混乱を作り出したり秩序を回復する力を持っていることを熟知させ、却って我々に一目置くようになるだろう。こうして各国は、我々を厄介だけれども無くてはならない重荷と認めるように習慣づけられることになる。

 第二に、我々は策謀や工作を駆使して、政治的手段により、通商条約あるいは借款協定により、すべての国々の内閣の内部に伸ばしてあった糸という糸をもつれにもつれさせるであろう。このことを成功に導くためには、我々は交渉協定締結の際に狡猾さと洞察力を発揮しなければならないが、いわゆる「表向きの言葉」を使うときには、心とは裏腹に正直従順を装おい続ける。このようにして、ゴイムの個人や政府は、我々が見せてやることなら何でも上辺(うわべ)だけを見るように躾けられているので、我々を恩人とか人類の救世主と思い続けるのである。
(私論.私見) 「権謀術数政策」について
 議定書はここで、「権謀術数政策」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 我々に反抗する国がある場合は、その隣の国から戦争を仕掛けさせ、反逆行動をことごとく叩き潰す位置にいなければならない。しかし、その隣国も束になって反抗するならば、その折には我々は世界戦争という手段に訴えて報復しなければならない。

 政治上で成功を収める秘訣は、腹の中を隠すことである。つまり、その企図を秘匿することにある。外交官は言行一致してはならないのである。
(私論.私見) 「世界戦争の訴求」について
 議定書はここで、「世界戦争の訴求」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 我々が練り上げた大規模な計画は今や成功を収めんとする域にあるが、我々はこの計画に従って更にゴイムの政府を誘導せねばならぬ。何によってかといえば、いわゆる「言論大砲」と称する手段を使う。これによりひそかに我々が吹き込んだ世論というものを作り出し政府を砲撃する。「言論大砲」とは新聞である。新聞は、ごくわずか例外はあるが、すでに完全に我らの手中にある。
(私論.私見) 「言論大砲としての新聞の活用」について
 議定書はここで、「言論大砲としての新聞の活用」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。

 ヨーロッパにおけるゴイム政府を統制する政策を一言に要約すれば、一国をテロ攻撃して我らの強力さをすべての国に見せつけることにあり、もしも我々に対して総決起することでもあれば、我々はアメリカ、支那、日本の火砲を向けさせて応戦するだろう。

(私論.私見) 「ゴイム政府に対するテロ及び牽制政策」について
 議定書はここで、「ゴイム政府に対するテロ及び牽制政策」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
  • 新聞は「強国」である.
      ゴイムの政府は,すでに完成の域に達しつつある,われわれが練り上げた大規模な計画に沿うように行動させなければならない.何によってかといえば,いわゆる「強国」と称する手段を使い,ひそかにわれわれが吹き込んだ世論というものによってである.「強国」・・それは新聞である.その中には,ごくわずか例外はあるが,すでに完全にわれらの手中にある.<七>

【プロトコール、8 】
 ここで一区切りし、「プロトコール、8」より「ゴイム政府懐柔策」について言及している。
 我々は、敵対者が我々に向って使いそうな武器をすべて備えていなければならない。我々は、常軌を逸していると思われるほど大胆かつ不正な裁定を下さなければならない場合のために、言葉の微妙な綾を探し出し、こんがらがった法律用語を駆使して事態を正当化せねばならない。そして、この裁定が最も公正で理にかなったように大衆に見せかける法律用語を駆使する能力を磨かねばならない。
(私論.私見) 「法律用語駆使能力」について
 議定書はここで、「法律用語駆使能力」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 我々の操作する政府の要職(幹部団)には、周囲に全分野の知的人士を従え、その仕掛けのど真ん中で仕事をするようにしなければならない。政府の要職iは、政界人、新聞記者、老練な法曹人、行政官、外交官、そして決定的に重要なことは、我々の特別な教育機関で特別教育を受けた人士で構成されねばならない。

 これらの人士は、社会の裏街道を知り、政治の初歩から要諦までのすべての用語に通じておりこれを使いこなせる。これらの人士は、人間の深層心理と急所に通じており、かれらが操作しなければならない人間機微の体系を熟知している。それらの体系とはゴイムの素質、欠陥、悪習、本質、階級、身分の特徴など、考え方・感じ方の類型を意味する。

 言うまでもないことであるが、我々の陣営の補佐役をゴイムから選んではならない。彼らは何が目的かを考える苦労をせず、何が必要なことであるかを決して熟考せずにただ執務する癖に慣らされている。ゴイムの役人たちは、書類に目を通さずに署名をしている。ただ報酬目当てか野望のためかで仕事をしているのである。
(私論.私見) 「我々の操作する政府の要職に相応しい人物」について

 議定書はここで、「我々の操作する政府の要職に相応しい人物」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。

 我々の政府には多くの経済学者が控えており、政府を取り巻かせている。ユダヤ人教育の主たる内容が経済学であるのは、この目的のためである。さらに、我々の周囲には、銀行家、実業家、資本家がおり、特に大切なことであるが百万長者が睨みを利かせている。どうしてかといえば、実際のところ、万事は金で解決がつくからである。

(私論.私見) 「我々の操作する政府を取り巻く経済学者の役割」について
 議定書はここで、「我々の操作する政府を取り巻く経済学者の役割」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 政府の要職にユダヤ人同胞を就けることがまだ危険な間は、もはや政府の要職にユダヤ人兄弟を据えても危険はないという時期までの暫しの間、その椅子にはとかく過去や世評に何かとあり、国民との間に溝がある人間を据える。

 その人物が我々の意に従わない場合には処刑し放逐しなければならない。そう仕掛けしておけば、後釜は、彼らが最後の息を引き取るまで、我々の利益を守る為に働くようになるであろう。
(私論.私見) 「我々の操作する政府の大統領ないしは首相職に就く人物の要件」について
 議定書はここで、「我々の操作する政府の大統領ないしは首相職に就く人物の要件」について述べている。何と、「その椅子にはとかく過去や世評に何かとあり、国民との間に溝がある人間を据える」と云う。なぜなら、そのような人物であればコントロールし易くいつでも放逐できる。それが為、彼は必死になって我々のために働いてくれる、と云う。

 戦後首相列伝における小泉首相なぞこの典型ではなかろうか。

【プロトコール、9 】
 「プロトコール、9」では、ユダヤ王国創出後の諸施策について言及している。
 我々の原理を実行に移すにあたっては、諸兄が現に居住し活動している国々の人民大衆の性格を考慮していただきたい。我々が作った鋳型で人民大衆を再教育し終らないうちは、一律に原則を当てはめようとしても上手(うま)くいくとは限らない。しかし、慎重に適用するならばものの十年とたたないうちに、最も頑強な民族性も変化して、すでに我々に従っている列伍に新しく加わってくることになるだろう。
(私論.私見) 「ゴイム人民の再教育」について
 議定書はここで、「ゴイム人民の再教育」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 リベラルな言葉、我らがフリーメーソンの標語として効果の高い「自由、平等、友愛」 は、我々の王国が到来した暁には、もはや標語(スローガン)としては使わせず、「自由の権利、平等の義務、友愛の理想」という風にもっと的確に有り得べき境地を表現したものに改正する。これが我々のやり方である。「牛は角を捕えよ」の格言にあるように急所を捉える。
(私論.私見) 「自由、平等、友愛標語(スローガン)の廃止」について
 議定書はここで、「自由、平等、友愛標語(スローガン)の廃止」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。

 実際には我々は、我々自身以外のものは、あらゆる種類の支配を一掃したけれども、法律上はまだ数多くのものが残っている。今日では、どこかの国が我らに対して反抗を示したとしても、我々の裁量下、我々の指導下にあって形式的に反抗して居るに過ぎない。一例として反ユダヤ主義は、我々が下層の「兄弟ユダヤ人」を監視するには必要欠くべからざるものだからである。この問題に関してはすでに討議が重ね られているので、これ以上立ち入らない。

(私論.私見) 「反ユダヤ主義対策」について
 議定書はここで、「反ユダヤ主義対策」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。

 実際において我々の眼前には行動を制限する障害は存在しない。我らの超政府はすでに強力絶大な言葉で現わされている超法規的な状態即ち独裁状態で存続している。

 私は衷心からから申し上げるが、然るべき時に、我々は法律を作り、裁判と宣告を行う。我々は生殺与奪を実行する。我々は全軍の先頭にあって、指導者の軍馬にまたがる。我々の意思力で全てを支配する。なぜならば、かって権力を握っていた党派の残党も、今や我々に屈伏し我々の掌中にあるのである。我らの手中にある武器は、貧欲なまでに容赦なき復讐であり、憎悪と敵意の深き恨みに燃えている。我々には果てしなき野望がある。

(私論.私見) 「超政府の独裁権力」について
 議定書はここで、「超政府の独裁権力」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 現今、世界的に広がり行く恐怖は我々が生み出している。それはすべてを巻き込み行く恐怖である。帝政復興主義者、大衆迎合煽動家、社会主義者、共産主義者、その他あらゆる種類のユートピア夢想家といったあらゆる意見、あらゆる主義の人物たちが我々の用を勤めている。我々は彼らを操り働かせている。彼らの一人一人が、権威の最後の残党まで叩き潰さんがために、現在秩序を転覆させることに燃え上がっている。

 これらの行動により、全世界の国々が拷問を受けている。各国政府はもう止めてくれと手すり足すり哀願し、平和のためならどんなことでも代償に出すからという気になっている。だが、我々は、彼らが心底から我らに服従し、率直に我らの国際的超政権を受け入れるまでは、平和を与えるわけには行かない。
(私論.私見) 「我々の各種の主義者操作について」について
 議定書はここで、「我々の各種の主義者操作について」について述べている。留意すべきは、この弁によると、「社会主義者、共産主義者、その他あらゆる種類のユートピア夢想家」の運動は、議定書派の世界支配計画の手の内で踊らされているということになる。先に、概要「ダーウィン主義(ダーウィニズム)、マルクス主義、ニーチエ主義のそれらはいずれも我々が仕掛けた学説である。ゴイムの人心を惑わすのに非常に功を奏した」と指摘されていた。

 これらを考え合わせると、左派運動はこれを反証せねばならない義務があると考えられる。ならば各党派は如何に反証し得るのか。きいておきたいところである。
 人民は、社会問題を国際的協調という手段で解決する必要を感じて遠吠えを挙げている。だが、彼らの党派は分立している故に我らの掌中に飛び込んでいる。というのは、分立抗争すれば金が要るが、金はすべて我らの手中にあるからである。
(私論.私見) 「金力支配」について
 議定書はここで、「金力支配」について述べている。考えさせられるところである。この弁によると、概要「政党の組織維持、抗争には金が要る。その金を支配しているユダヤ権力に跪かざるを得ない仕掛けにしている」ということになる。

 となると、自前の資金調達能力を確保することが自律政党の第一歩ということになる。しかし、最近の政治資金の闇雲な規制化、日共式「潔癖運動化」は却ってこの存立基盤を危ぶませているのではなかろうか。ロッキード事件以来金権批判が為されてきたが、考えねばならないところではなかろうか。
 我々にはゴイムの王たちのうちの「利口な」勢力がゴイム大衆の「盲目的な」 力と連合しはしないかという懸念があったが、そのような可能性に対する打つべき手はすべて打った。両者の間でお互いに恐怖の念を抱かせるという防波堤を設けたのである。このようにしておけば、大衆の盲目勢力は相変らず我々を支持し続け、我々のみが彼らを指導することができ、もちろん、彼らを我らが目指す目標へと引っ張って行くのである。
(私論.私見) 「ゴイムの王権力と大衆の離反策」について

 議定書はここで、「ゴイムの王権力と大衆の離反策」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 盲目的な大衆の手が我々の指導の手から離れないようにするためには、時々彼らの中に入って直接交流を図らなければならない。実際に我々自身が行えなければ、とにかく最も信頼の置ける兄弟を通じて行う必要がある。我々だけが唯一の権威者となった時には、我々はそれこそ市場のような所で直接呼びかけるだろう。また、我々が目指す方向に彼らを向けさせるように政治に関わる問題を指導してやるだろう。

 田舎の学校で教えることを誰が点検するのか? 政府や王の特命全権公使が語ることは、直ちに全国に広まらずにはすまない。それは人民大衆の声によって広まるのである。
(私論.私見) 「大衆掌握策」について
 議定書はここで、「大衆掌握策」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 ゴイムの諸制度を時期尚早に破壊しないようにするため、我々はきわめてソフト(巧妙)に事に取り掛かった。そして、彼らの機械を動かしているぜんまいバネの端をつまんで細工し、これらのバネはかっては精妙にしかも秩序正しく動いていたが、我々はそのバネを混沌放従のリベラリズムに代えることで不整脈を打つようにした。こうして我々は、裁判(訴訟手続き)、選挙法、新聞紙法(マスコミ)、個人の自由問題を、ことに人間の土台である教育と訓練、それは原理的にはどうにでも加工できるものであるが、それらのバネを操った。
(私論.私見) 「リベラリズムの効用」について
 議定書はここで、「リベラリズムの効用」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 我々は、我々が教え込んだことではあるけれども、ゴイムの若者たちに、我々には百も承知の嘘と解っている主義や学説を注入することによって、彼らを翻弄し愚鈍にし堕落させてきた。
(私論.私見) 「エセ主義や学説の効用」について
 議定書はここで、「エセ主義や学説の効用」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。
 現行の法律については、条文の内容を変えることなく、単にねじ曲げて正反対の解釈をすることによって法の意味を歪曲し、結果としては大層な成果を挙げてきた。その成果は、第一に多様な法解釈で法の真の精神が覆われ、次いで立法の錯綜した糸のもつれにより、政府自身をして法をどう処理してよいかわからなくさせた。

 もはや法の解明が不可能になるといったほどに分かりにくいものになった。法律を文字に拘泥せずに解釈するという学説は、ここに起源がある。
(私論.私見) 「法の捻じ曲げ解釈の効用」について
 議定書はここで、「法の捻じ曲げ解釈の効用」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。

 諸兄の中には、来たるべき時が来ないうちに、もしもゴイムが事前に我々の計画を嗅ぎつけたら、彼らは武器を手にして我々に向って蜂起すると考える方もおられようが、心配ご無用にしている。西欧においては、最も太い肝玉の持ち主をも戦慄させる恐怖作戦をもって対抗する。首都には地下鉄道、大都市の地下通路が設けられているが、いざという決定的な瞬間が来る前に事到ったその時には各所から首都を建物や書類もろとも空中に吹き飛ばしてしまうのである。

(私論.私見) 「戦慄の恐怖作戦の効用」について
 議定書はここで、「戦慄の恐怖作戦の効用」について述べている。ここはそのまま拝聴することにする。




(私論.私見)

     力と偽善

●フランス革命を「大革命」と名付けたのはわれわれであった
 フランス革命を想起していただきたい。それを「大革命」と名付けたのはわれわれ
であった。その準備が秘密裡に行われたことを、われわれは熟知している。あの革命
は全面的にわれらの手で遂行した一大事業であったのである。

●われわれの到達目標
 軍事力増大と警察力強化・・この二つを欠いては、前述の計画を完成させることは
全くできない。われわれの到達目標は、われわれを除いては、世界のすべての国家に
は、プロレタリアート群集とわれわれの利益に奉仕する少数の百万長者と、警察官と
兵隊たちだけがいればよろしい。<七>

●われわれはあと数歩で目標に到達せんとしている
 今日、われわれはあと数歩で目標に到達せんとしていると言ってよい。横切るべき
空間はあとわずかを残すのみであり、われわれが歩んできた長い道のりは、今まさに
象徴の蛇の輪を閉じようとしている。その蛇は、わが民を象徴している。この輪が閉
じられるとき、ヨーロッパのすべての国家は強力な万力によって締め上げられるので
ある。<三>

●われわれの合い言葉は力と偽善である
 われわれの合い言葉は・・力と偽善である。……力のみが政治的諸問題を克服する。
暴力は原則でなければならず、新権力の代理人の足もとに王冠を置こうとしない政府
に対しては欺瞞と偽善が鉄則でなければならない。この悪は終局である善に達するた
めの手段にすぎない。それゆえに、われわれは、目的達成のために役立つときは、贈
収賄、詐欺、裏切りをためらってはならない。政治の上では、支配権を握って屈伏さ
せるためならば、躊躇なく他人の財産を奪い取る方法を知っていなければならない。
<一>

●報復は厳格な教義である
 報復主義は使われる手段と同じく、有無を言わさず強力である。それは手段そのも
のであるというよりも、われわれが勝利し、すべての政府をわれらの超政府にひざま
づかせる厳格な教義なのである。われわれは容赦なく不服従というものを根絶するこ
とを、十二分に思い知らせる。<一>

●善とか道徳にはこだわらない
 すべての形態の権力が動揺している現在、われわれの権力は、他のいかなる権力に
もまして目に見えないであろう。いかなる狡猾な者もくつがえせない強さに到達する
瞬間まで、われわれの権力は表面には現われないからである。われわれが目下用いざ
るをえない一時的な悪から、確固たる支配という善が顕現する。この善は、自由思想
によって形無しにされた国民生活の仕組を平常の状態に修復するだろう。結果は手段
を正当化する。しかしながら、われわれの計画においては、必要と有効なこと以上に
は、善とか道徳とかにはこだわらないことに留意しようではないか。<一>

●道徳で統治する支配者は練達の政治家ではない
 政治は、道徳とは全く関係がない。道徳で統治する支配者は練達の政治家ではない
から、彼の王座は動揺する。支配したいと思う者は・・われわれが所有する新聞に感
謝する・・気付かれぬように欺瞞と偽善との双方を用いなければならない。率直とか
正直とかのような、偉大な国民資質と称されるものは、政治にとっては悪徳である。
それらは支配者を王座から転がり落とすのに効果あるもの、最も強力な敵よりも確実
な破壊力をもつものなのである。そのような資質は、ゴイムの王国の属性でなければ
ならないが、われわれは決してかれらの轍を踏んではならない。<一>

●盲人が盲人を導けば奈落に落ちこむ
 満足すべき行動を練りあげるためには、群集の狡猾さ、だらしなさ、情緒不安定、
かれらの理解力の欠如を考慮に入れ、かれら自身の生活状況、あるいはかれら自身の
福利を顧慮する必要がある。群集の力は、盲目的であり、愚かしく、何かからの暗示
にかけられるがままに動き、道理をわきまえないということを理解しなければならな
い。盲人が盲人を導けば奈落に落ちこむのは必然である。群集の何人かが天才的な賢
者であったとしても成上がり者であり、政治を理解することはできず、指導者として
前を進めば全国民を滅亡の淵に落としこむのは必然である。<一>

●群集の解決というものは偶然の結果か表向きの多数決によるものである
 群衆の解決というのはどれも偶然の結果か、表向きの多数決によるものであり、政
治の裏を知らずに管理の中にアナーキーの種子を蒔くという奇妙な解決を出航させる。
<一>

●人民の政治は自滅するのが関の山である
 人民が人民に任せれば、すなわち人民の中から出た成上り者に任せれば、権力と名
誉を追うあまり党派間の軋轢とそこから生ずる無秩序状態に自滅するのが関の山であ
る。人民群集がおだやかに、つまらぬ嫉妬を交えた非難を言いたてずに、個々人の関
心をごちゃまぜにしている国の諸問題を処理することが可能だろうか? 外敵に対し
て自分自身を守ることが可能だろうか? それは考えられない。群集の頭数と同じだ
けバラバラになった計画が、一切の同質性を失って理解を絶し、実行不能となるから
である。<一>

●政治の奥義を授けられた者でなければ政治はできない
 群集が盲目であること、支配を頼むためにその中から選挙された成り上がり者は、
政治に関しては群集と全く同じく盲人であること、政治の奥義を授けられたる者は多
少愚かであっても統治ができるが、反面、大天才であったとしても奥義を授けられな
い者は政治に関しては無知蒙昧であることを、決して考えようとはしなかった・・こ
れらのことを、ゴイムは一切顧みなかった。<一>

●絶対的な独裁なしには文明の存在はありえない
 全体を適切に国家のいくつかの部分に割り当てるといったふうに、大規模かつ明確
な諸計画を念入りに練れるのは独裁支配者だけである。このことから、どんな国でも
申し分ない統治形態は、一人の責任ある人間の手に全機能を集中したものであるとい
う明白な結論が得られる。絶対的な独裁なしには、その人が誰であろうとも、群集に
よってではなくかれらを指導することによって遂行される文明の存在はありえない。

●政治上で成功を収める根本原則は企図を秘匿するにある
 政治上で成功を収める根本原則は、企図を秘匿するにある。外交官は言行一致して
はならないのである。<七>

●系図上の貴族に代えるに金力の貴族を樹立した
 唯一、人民と国とを守るこの階級[貴族]は、われわれに敵対したのである。ゴイ
ムの血統的な、系図上の貴族階級を滅亡させた所に、われわれは、金力の貴族が主導
する、われらの教育を受けた階級を貴族として樹立した。われわれはこの貴族政治の
特徴を、われわれ自身のものである富と、われらが学識ある長老たちが備蓄した知識
とによって確立した。<一>

●ゴイムの王と群集の間には防波堤が設けてある
 われわれにはゴイムの王たちのうちの「利口な」勢力がゴイム群集の「盲目的な」
力と連合しはしないかという懸念があったが、そのような可能性に対する打つべき手
はすべて打った。両者の間でお互いに恐怖の念を抱かせるという防波堤を設けたので
ある。このようにしておけば、人民の盲目勢力は相変らずわれわれを支持し続け、わ
れわれのみがかれらに指導者を与え、もちろん、かれらをわれらが目指す目標へと引
っ張って行くのである。<九>

●われわれの誘導によって人民は貴族階級を全滅させた
 われわれの誘導によって人民は、貴族階級を全滅させてしまった。人民の福利と密
接に結びついた貴族自身の利益のために、貴族階級は人民の唯一の保護者であり養い
親であった。現今では、貴族階級の滅亡によって、人民は労働者の首に残酷無慈悲な
くびきをつないだ守銭奴の手中に落ちた。<三>

●ばらばらに分れた党派はわれらの掌中に飛び込んでいる
 人民は社会主義の問題を国際的協調という手段で解決する必要を感じて遠吠えを挙
げている。ばらばらに分れた党派はわれらの掌中に飛び込んでいる。というのは、分
立抗争すれば金が要るが、金はすべてのわれらの手中にあるからである。<九>

●新聞はわれらの手中に落ちた
 今日の国家は、人民の世論を創り出す強力な力をその手に持っている。すなわち、
新聞である。新聞が果たす役割は、必要欠くべからざると考えられることを指摘し、
人民の愚痴にはけ口を与え、不平不満を表明し作り出すことにある。言論の自由の勝
利が具体的になるのは新聞においてである。だが、ゴイムの国家は、いかにこの力を
効果的に使うかについては知っていたためしがなく、新聞はわれらが手中に落ちた。
新聞を通じて、われわれはその背後にあって、影響力を行使した。<二>

●新聞は「強国」である。
 ゴイムの政府は、すでに完成の域に達しつつある、われわれが練り上げた大規模な
計画に沿うように行動させなければならない。何によってかといえば、いわゆる「強
国」と称する手段を使い、ひそかにわれわれが吹き込んだ世論というものによってで
ある。「強国」・・それは新聞である。その中には、ごくわずか例外はあるが、すで
に完全にわれらの手中にある。<七>


●ゴイムの生きがいは金を集めることである
 かれらの生きがいは唯一、利益、すなわち金を集めることである。かれらは金があ
れば手に入る物質的喜びを求めて、まぎれもなく拝金教徒と化すだろう。次いで時至
れば、高尚な目的のためでもなく、また、富を得んがためですらなく、ただただ特権
ゴイム憎しのために、ゴイムの下層階級は権力をめぐるわれらの競争相手、ゴイムの
知識人たちに逆らってわれらの指導に従うであろう。<四>

●法律を文字に拘泥せずに解釈する
 現行の法律については、内容的には変えることなく、単にねじ曲げて反対の解釈を
することによって、結果としては大層な成果を挙げてきた。その成果は、第一に解釈
が法律を覆い隠すという事実に、次いで立法の錯綜した糸から何かを引き出すのは不
可能なために、政府の目から法が完全に姿を隠すという点に明かに見てとれる。法律
を文字に拘泥せずに解釈するという学説は、ここに起源がある。<九>

●こんぐらがった法律用語を駆使して事態を正当化しなければならない
 われわれは、常軌を逸していると思われるほど大胆かつ不正な裁定を下さなければ
ならない場合のために、言葉の微妙な綾を探し出し、こんぐらがった法律用語を駆使
して事態を正当化しなけれはならない。そして、この裁定が最も高潔で道徳にかなっ
たことを法律用語で言っているのだと思わせるように、はっきり述べることが肝要で
ある。<八>


●労働者を資本の権利に従わせるのは飢えである
 われわれの権力は、労働者の慢性食料不足と肉体的虚弱を必要とする。まさにそう
しておいてこそ、彼はわれわれの意のままに従うようになり、われわれに敵対する強
さも意志もなくなり、自分たちの権威を見つけ出そうとはしなくなる。王たちが正当
に貴族に与えた権力よりも、さらに確実に労働者を資本の権利に従わせるのが飢えで
ある。<三>

●憎悪は経済危機の火で倍加される
 憎悪は、経済危機≠フ効果で数倍もの火の手を挙げるだろう。経済危機たるや為
替取引を中止させ、工業を停止させるだろう。われわれは、自分たちが熟知している
隠密な方法を総動員し、すべてわれわれの手中にある金力の助けを借りて、大規模な
経済危機を作り出し、それによって全ヨーロッパ諸国の労働者群集をいっせいにまと
めて路上に放り出すだろう。これらの群集は、ただ単に無知であるがゆえに、揺籃時
代から羨み妬んでいた連中を喜んで血祭りにあげ、連中の財産を略奪できるだろう。
かれらはわれわれのもの≠ノは手をつけない。なぜなら、襲撃の時機を知っている
のはわれわれであり、われわれは財産を守る手が打てるからである。<四>

●投機を産業の基礎にしなければならない
 ゴイム社会をきっぱりと崩壊滅亡せんがためには、投機を産業の基礎にしなければ
ならない。その結果、産業が国土から引き出したものは、いくつかの手を通り抜けて
投機に手渡される、すなわち、われらが階級に転り込むであろう。<四>

●戦争は経済に基礎を置くように仕向けるべきである
 われわれの目的には戦争は欠くべからざるものである。が、できる限り、戦争が領
土的な利益をもたらさないように仕向けるべきである。そうすれば、戦争は経済に基
盤を置くようになり、各国はわれわれの支配の強力さを思い知らされるであろう。ま
た、当事国は双方ともわれわれが国境を越えて放った代理人団の思うがままに操られ
るだろう。<二>

●飲酒や性的堕落はわれわれが手ほどきしたものである
 飲酒で馬鹿になりアルコール漬けになった動物どもを見よ。自由がかれらに節度な
き飲酒の権利をもたらしたのである。それはわれわれやわれわれ一族の歩む道ではな
い。ゴイム々はアルコール飲料に酔いしれ、かれらの若者たちは因習陋習とごく若い
うちから性的堕落に痴呆状態となって成長する。その性的堕落は、われわれの特別な
代理人・・富豪の邸宅の家庭教師、下男、女性家庭教師によって、書記その他によっ
て、しばしばゴイムの娯楽場にいるわれらの女性たちによって手ほどきされた。かれ
ら代理人の最後に、私は、頽廃と奢侈に他の者たちを引き込む尖兵である、いわゆる
「社交界の貴婦人たち」も入れておく。<一>


●われわれの政府はすでに超法規的な状態で存在している
 われわれの行動範囲には限界を遮るものがない。われらの超政府はすでに強力絶大
な言葉で現わされている超法規的な状態で存続している・・すなわち独裁である。
<九>

●武装蜂起にはこういう手段に出る
 諸兄の中には、来たるべき時が来ないうちに、もしもゴイムが真相を嗅ぎつけたら、
かれらは武器を手にして蜂起すると言われる方もおられるようが、それに備えるに西
欧においては、最も太い肝玉の持ち主をも戦慄させる恐怖作戦をもって対抗する・・
すなわち、決定的な瞬間が来る前にすべての首都に地下鉄道、大都市の地下通路が設
けられ、事到ればそれらの首都を建物や書類もろとも空中に吹き飛ばすのである。
<九>


●反抗する国がある場合は世界戦争という手段に訴える
 われわれに反抗する国がある場合は、その隣の国から戦争を仕掛けさせ、反逆行動
をことごとく叩き潰す位置にいなければならない。しかし、その隣国も束になって反
抗するならば、その折にはわれわれは世界戦争という手段に訴えて対抗しなければな
らない。<七>


●われらの手中にある武器は、貧欲、復讐、憎悪と果てしなき野望である
 しかるべき時に、われわれは法律を作り、裁判と宣告を行う。われわれは生殺与奪
を実行する。われわれは全軍の先頭にあって、指導者の軍馬にまたがる。われわれは
意志の力で支配する。なぜならば、かつて権力を握っていた党派の残党も、今やわれ
われに屈伏しわれわれの掌中にあるのである。われらの手中にある武器は、貧欲、容
赦なき復讐、憎悪と敵意に燃える、果てしなき野望である。<九>


     幹部団とメーソン員

●メーソン員はわれわれの前に立てられた屏風である
 あれこれの秘密組織の手による専制、その活動は幕の蔭であらゆる代理人の背後で
働くだけに、手きびしいことでも平気でやる。それら代理人たちは交代するので、不
当に襲われないばかりか、秘密の勢力を効果的に助けている。しばしば交代するおか
げで、長期活動の報酬が節減できるのである。見えない勢力というものを転覆する位
置にあるのはいったい誰か? ここにこそわれわれの特徴がある。非ユダヤ人を入れ
てあるメーソン員は、われわれとわれわれの目標の前に立てられた屏風として隠密裡
に活動するが、わが勢力の活動計画は、その所在すら人民には全く謎に包まれたまま
にされる。

●われわれの幹部団は特別な人士で構成される
 われわれの幹部団は、周囲に全分野の知的人士を従え、その中心にあって仕事をす
るようにしなければならない。幹部団は、政界人、老練な法曹人、行政官、外交官、
そして決定的に重要なことは、われわれの特別な教育機関で特別教育を受けた人士で
構成されるだろう。これらの人士は、社会構造のすべての機微を知っていて、政治の
初歩から要諦までのすべての用語に通じている。これらの人士は、人間の裏側すべて
に通じ、かれらが操作しなければならない人間機微の体系を熟知している……言うま
でもないことであるが、われわれの陣営の補佐役をゴイムから選んではならない。か
れらは何が目的かを考える苦労をせず、何が必要なことであるかを決して熟考せずに
事を運ぶことに慣らされている。ゴイムの役人たちは、書類に目を通さずに署名をし
ている。報酬目当てか野望のためかで仕事をしているのである。<八>


●「反ユダヤ主義」は下層ユダヤ人を監視するには必要である
 実際にはわれわれは、われわれ自身以外のものは、あらゆる種類の支配を一掃した
けれども、法律上はまだ数多くのものが残っている。今日では、どこかの国がわれら
に対して反抗を示したとしても、われわれの裁量下、われわれの指導下にあって形式
的に反抗してあるに過ぎない。一例として反ユダヤ主義は、われわれが下層の兄弟た
ち[ユダヤ人]を監視するには必要欠くべからざるものだからである。<九>

     ユダヤ王とその王国

●われわれは世界のすべてを支配すべく神自身に選ばれたのである
 預言者たちによれば、われわれは世界のすべてを支配すべく神自身に選ばれたので
ある。神はわれわれがこの使命を遂行できるように、われわれに天与の才を授けられ
た。仮に反対陣営に天与の才が授けられたとしたら、われわれに闘いを挑んでいたで
あろうが、駆出し者というものはしょせん古くから定着している者には太刀打ちでき
ない。……さよう! かれらの天才は現われるのが遅過ぎたのである。<五>