岡山県日生町鹿久居島の原発阻止千日闘争考

 (最新見直し2016.03.04日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「岡山県日生町鹿久居島の原発阻止千日闘争」を確認する。共産党岡山県議・武田英夫「10年近く前、鹿久居島(日生)原発建設計画を中止させた経緯-鹿久居島原発計画の発表から中止にいたるまで」、2012.2.15日付けブログ「41年前、岡山で原発建設をストップさせた」 、日生町原子力発電所誘致反対町民会議「鹿久居島原発斗争報告 」(1972年、松下正春、福島捷美、柿山英也、浜野覚一郎)その他を参照する。

 2016.01.15日 れんだいこ拝


 吉備太郎の鹿久居島原発阻止千日闘争考 投稿者:れんだいこ  投稿日:2016年 3月 4日
 「2013年/田舎暮らし希望地域ランキング」調査によれば、岡山県は全国移住人気ナンバー3位の評価を得ている。今静かに「移住するなら岡山」ブームが起きている。その大きな理由に「原発のない県」であることが挙げられると思う。従来の温暖にして雨の少ない「晴れの国岡山」だけの位置づけではこうはならなかったであろう。しかしながら、岡山県に原発がないことに対して、岡山県民自身が理由を知らない。それが「たまさかの僥倖」であることを知らない。

 かく云う私も、福島原発事故後、「実は岡山にも原発誘致の動きがあったんだよ」とある人に教えられるまで知らなかった。そういう按配だからましてや全国で知られることもなかろう。要するに知らされていない故に知られていない訳である。本稿で、岡山県下に原発が導入されようとして、それを見事に阻止した闘争を確認しておく。この闘争を仮に「岡山県日生町の鹿久居島原発阻止千日闘争」と命名しておく。以下のサイトに格納しておく。詳しくはこちらを見るべきだろう。本稿は情報が入り次第追々に更に詳しく確認して行くつもりである。

  「岡山県日生町鹿久居島の原発阻止千日闘争考
 http://www.marino.ne.jp/~rendaico/jissen/hansenheiwaco/
 genshiryokuhatudenco/hinasetosoco.html

 この闘争の意義は、原発阻止闘争のほんに数少ない勝利経験の一つとなっていることにある。こういう闘いは他にも「高知県東洋町の放射能廃棄物最終処分場拒否闘争」があるようである。現在進行形の闘いとしては、「山口県上関町の原発阻止闘争」、「あさこはうすの青森県大間町の原発阻止闘争」(「あさこはうす」の闘い実録)がある。完全勝利での決着済みは「鹿久居島原発阻止千日闘争」だけかも知れない。他のものは、既に遅かりしではあるが原発導入後の稼動阻止闘争であり未然阻止のものではない。

 岡山に原発基地がないのはこの闘争のお陰であり、その賜物である。岡山県民はこの僥倖をどんなに謝しても足りることはない。この「元一日」を謝しつつ暮らすべきだろう。既に原発基地を持たされている全国各地の住民は、この闘争を知るほどに地団太を踏んで悔しがるべきだろう。目下闘争の渦中の自治体住民は今からでも遅くない大いに学ぶべきだろう。かくメッセージしておく。

 「鹿久居島の原発阻止千日闘争」から見えてくるものは、住民、漁協、社会党、共産党、学者、僧侶、文化人の見識の高さである。この時の青木僧侶の予見力を見聞きせよ。神主たる者、住職たる者はかくあるべきだろうの手本のような気がする。

 「青木敬介/浄土真宗西念寺(さいねんじ)前住職/播磨灘を守る会代表の2カ所の原発建設計画阻止記
 http://www.marino.ne.jp/~rendaico/jissen/hansenheiwaco/
 genshiryokuhatudenco/hinasetosoco.html

 この闘争は共同戦線型運動により功を奏した貴重な経験である。全共闘こそが勝利の方程式であることが分かる。逆は逆と心得るべきだろう。加えて、1970年代前半のこの時期の政府、各省庁、地方自治団体等の選良が担う政治の質の高さが垣間見られる。行政当局として大石環境庁長官、加藤県知事が矢面に立ったが、両者が最終的に聞き分けを能くし、原発誘致阻止に廻ったことで今や最も評価の高い「原発のない憧れの岡山県」が温存されることになった。

 以上は本稿の前半である。後半はその後の鹿久居島について記したいと思う。日生周辺では、原発のみならず火力発電所の建設計画に対してもその都度、島民の漁師たちが真っ向から反対して中止に追い込んできた。リゾート開発計画に対しても同様に阻止したのかどうか、その功罪は分からない。その為に日生は瀬戸内海屈指の遠浅な海域にも拘らず自然海岸が多く残されていて、今ではそれが地域の誇りになっている。2004年11月、鹿久居(かくい)島と頭(かしら)島との間に頭島大橋(300m)が開通している。2015年4月、岡山県備前市日生町の本土と鹿久居島の間に備前ハート日生大橋(765m)が開通している。

 この間、竪穴住居に泊まり、貫頭衣を着て火を起こし、狩りをする等の縄文時代生活体験で知られる「古代体験の郷まほろば」を観光地としていたが、2015年11月、管理棟から出火の火災で高床式の建物3棟が全焼、現在まで再建されていない。

 思うに、電力各社の原発誘致の甘言が、当該地域の自治体への交付金、給付金を餌にして行われている。とするならば、寒村であり続けるとワナの仕掛けに嵌る。それを思えば、地域毎に自律自存の産業力を持ち地産地消の経済圏を確立しておく必要がある。今や去る50年近く前にもなるが、田中角栄が政権獲得前に世に問うた「日本列島改造論」がこのことを的確に指摘している。この名著の中身は未だに瑞々しい。今からでも遅くない手にして学ぶべきだろう。原発阻止闘争と村興し&町造りは案外と密接不可分なんだなと思う次第である。

【岡山県日生町鹿久居島の原発計画阻止闘争考】
 ある調査によれば、今日、岡山県は全国移住人気ナンバー3位の評価を得ていると云う。その大きな理由に「原発のない県」が挙げられると思う。しかしながら、岡山県に原発がないのは「たまさかの歴史の僥倖」であることを岡山県民自身が知らない。知らされていない故にである。かく云う私も、福島原発事故後、「実は岡山にも原発誘致の動きがあったんだよ」とある人に教えられるまで知らなかった。そういう按配だからましてや全国で知られることもない。本稿で、仮に「日生町鹿久居島の原発基地阻止千日闘争」と命名しておく。以下確認していくように、原発阻止闘争の数少ない勝利経験の一つとなっている。岡山に原発基地がないのは、この闘争のお陰であり、その賜物である。岡山県民は、この「元一日」を謝しつつ暮らすべきだろう。既に原発基地を持たされている全国各地の住民は、この闘争を知るほどに地団太を踏んで悔しがるべきだろう。目下闘争の渦中の自治体住民は今からでも遅くない大いに学ぶべきだろうかくメッセージしておく。

 「日生町鹿久居島の原発阻止千日勝利闘争」から見えてくるものは、住民、漁協、社会党、共産党、学者、僧侶、文化人の見識の高さであり、彼らの共同戦線型運動により功を奏した貴重な経験である。加えてこの時期の政府、各省庁、地方自治団体等の選良が担う政治の質の高さが垣間見られる。大石環境庁長官、加藤県知事が矢面に立ったが、両者が最終的に聞き分けを能くし、原発誘致阻止に廻ったことで今日的に評価の高い岡山県が保存されることになった。

 付言しておけば、日生周辺では、原子力発電所、火力発電所の建設計画やリゾート開発計画が浮上するたび、島民の漁師たちが真っ向から反対して中止に追い込んできた。その為に日生は瀬戸内海屈指の遠浅な海域にも拘らず自然海岸が多く残されていて、今ではそれが地域の誇りになっている。2004年11月、鹿久居(かくい)島と頭(かしら)島との間に頭島大橋(300m)開通。 2015年4.16日、岡山県備前市日生町の本土と鹿久居島の間に備前ハート日生大橋(765m)開通。
 「日生町鹿久居島の原発基地阻止千日闘争」の経緯は次の通りである。 
 1964(昭和39)年、9月、岡山県和気郡の日生(ひなせ)町議会で、「広島通産局で、鹿久居島に原発を建設する為の実地調査をするそうだが、何か相談があったか」との質問が出され、町は、「新聞を見て驚いた。何も関知していない」と答えている。鹿久居島は瀬戸内海の国立公園の中にあり、環境庁が所管していた。 
 1967(昭和42)年、11月、兵庫県と香住町が、香住町下浜地区に関西電力の原発を誘致する方針を発表した。日本共産党兵庫県委員会が直ちに「誘致反対」の態度を決め、「ひとたび事故が起これば深刻な被害を及ぼす」、「関西電力の言い分をまるごと飲み込むような政治的な態度はおかしい」と、県議会で県当局を追及した。香住町の地元では有志が講演会を開き、共産党の代表が講演したり、党香住町議も地元の人たちと協力して奮闘した。原発設置反対の集会は「町はじまって以来」の約300人デモとなり闘いの輪が広がった。 
 1969(昭和44)年、12月、中電が、東京で、島根原発計画を変更して日生町の鹿久居島に原発を建設する計画を発表した。国が地質調査を許可する方針を表明した。但し、鹿久居島は瀬戸内海国立公園の中にあり、環境庁の所管でもあった。鹿久居島が候補地にあがった理由は ①用地は国有地なので買収に都合が良い。②島に民家が少ない。③水島、播磨工業地帯の中間地点に位置する。④既に中電は島根県鹿島に原発1号炉を建設中なので今度は山陽側に建設予定である。⑤日生町は誘致運動をするのに都合よく保守的であるとしていた。

 以来、漁民の反対総決起大会の開催、日生町と町議会の大論議・・さらに岡山県議会でも精力的な議論が行われることになった。
 1970(昭和45)年
 1.30日、日生町首脳部の岸本町長、山口議長らが中電岡山支店で中野常務らと会談。席上、中電側より現地調査協力の正式要請があった。町側は即答を避けた。計画の概要は、総工費450億円、着工1974(昭和49)年度、営業開始1978(昭和53)年度、軽水炉型75万キロワット電力発電。

 2.2日、日生町議特別委へ付議され、日生町原子力発電問題特別委員会(以下、「原発特別委」と略す)が設置された。当初、日生町は、原発が建設されれば2~3億円の固定資産税が入ることに期待があった。(但し、後に、固定資産税について、新設後5年間は3分の1、その後5年間は3分の2しか課税できず、さらに、2~3億円の固定資産税を歳入に加えると標準額をオーバーして国からの交付金が不交付になることが分かり、推進派に大きな痛手となった)

 2.14日、原発特別委に中電の中野常務が出席。立ち入り調査を認めてほしい旨要請が為され、議員と3時間にわたって質疑応答した。日生漁協(坪本組合長)にも挨拶があった。

 この動きに対し、共産党系市民運動「鹿久居島原子力発電所反対実行委員会」が組織され活動を開始した。日本共産党西播地区委員会は「赤穂の鼻の先“鹿久居島”の原子力発電所計画に反対しよう」と訴えた政策を発表。「住民に放射能被害の不安をあたえ、日生町・赤穂市の住民の生命と生活をおびやかす原子力発電所建設計画をすぐ中止すること」を求めた。そして「全民主勢力は、日生町の『鹿久居島原子力発電所反対実行委員会』と協力して原発建設反対の闘争にたちあがろう」と呼びかけた。

 2.23-24日、社会党日生支部の原発調査団が福井県入りし、原発の安全性、漁業補償、固定資産税、原発の日米関係、誘致運動と反対運動の問題を調査した。結果、固定資産税2億円がタナボタ式に入ると云う話しにつきデタラメであるとして宣伝、全戸に新聞折込で知らせた。

 3.5日、日生、頭島の両漁協全員が集合し、町長、議長ら立会いの下、中電の詳しい説明を聞く。出口議長、山崎原発特別委委員長が「漁業組合の了解が得られるのならば、今の原発特別委を誘致特別委に切り替えたい」と述べた。

 3.9日、岡山県議会において、日生町出身の延原社会党県議が原発質問。県知事が、「安全性を十分調査して確認されるのならば誘致したい」と述べた。

 3月下旬、漁協組合員百数十名が4班に分かれて、福井県敦賀、美浜、島根県鹿島(現松江市)の原発推進地、大阪府堺火力発電所を視察する。連合町内会五十余名が敦賀、美浜へ。

 4.9日、社会党日生支部の主催で、「原発問題懇談会」を日生漁協会館で開催、出席者約70名。

 4.13日、日生町主催「原発の講演と映画の会」が午後2時-4時まで開かれた。講師に内田秀雄(東大教授、原子炉安全審査会会長)が招かれ講演した。出席者約70名。

 4.22-23日、日生町議会特別委員会が未調査の島根県鹿島(現松江市)を視察。

 5.6日-7.3日、集団町民視察。1世帯1人が1泊2日で敦賀、美浜へ。川西、川東、川向、島、寒河で、希望をとり、約3200世帯のうち約1300人の申し込み。中電の経費負担で1千万円。

 5.12-15日、日生町職員が、例年の研修旅行を鹿島への視察に変更。

 5.9日、日生町議会特別委員会でとりあえず陸地部の予備調査を認める方針を決め、中電及び関係漁協へ回答、了解を求める。

 5.13日、日本原子力産業会議の科学技術週間行事で、日生東映で講演会、内田東大教授が「原子力発電の安全性に関して」。美浜原発記録映画上映。

 6.23日、延原社会党県議が兵庫県赤穂市地区労主催の反安保集会に招請され、社会党日生支部所属の日生町原発反対町民会議議長・松下正春氏が原発反対のアピール。

 8.17日、日生、頭島漁協総会で、「原発にはあくまで反対するが、第一次調査(陸上部門)は妨害しない」と決議した。

 9.25日、岡山県知事が、社会党議員団の質問に答えて次のように答えている。
 「鹿久居島での原発は我が国内海最初のものであり、また普通の企業と異なるので県自ら厳正な調査をする為に400万円程度の予算を組んでいる。昭和46年度も専門家の意見を聞いた上で決定したい」。

 9.28日、日生町が、中電に、6項目の条件をつけ、第一次調査の承諾を回答、中電が了承した。調査は昭和46年初から6ヶ月の予定で行われることになった。漁協は、「二次調査は原子炉の安全性や温排水の影響など科学的結論が出ない限り絶対反対」との基本姿勢変わらず。

 同日、中電から国立公園、国有林の関係で、厚生省、林野庁へ認可申請。

 9月、兵庫県の香住町議会で、日本共産党町議の質問に、町長がついに原発を事実上たなあげにする答弁を行った。続いて隣町の浜坂町の居組などが次の建設候補地にあげられたが建設を許さなかった。

 10.4、11日の岡山民報で、共産党が、「原子力発電所建設を止めさせ、安全、繁栄、民主の日生町を」との政策を発表する。町長候補に竹村豊一氏を立てることを明らかにした。

 10.25日、合併紛争で不参加を決めた岸本町長辞任を受け、11.1日を投票日とする町長選挙が告示された。前助役の南正人と社会党、共産党が政策、組織協定を結び統一候補とした原発反対派の松下正春氏が立候補した。結果は、南正人3576票、松下正春3291票、無効36票。南氏が僅差で当選。

 11.19日、中電の桜内社長が、東京大手町の電気事業連合会で、関西電力と輪番制の出力75万キロワットの膨大な原発計画を発表。この発言に対し、県側が事前に何の相談もないとして態度を硬化させた。厚生省の自然公園審議会管理利用部会は、中電が申請していた建設の為のボーリング調査を認め、環境庁から正式認可が下りることになっていた。

 11.25日、中国電力の松浦管財部次長等が日生町役場、漁協を訪ね、11月19日の社長発言は遠い将来のビジョンで、はっきりしたものではない、と説明する。日生漁協組合長は、「既成事実を積み重ねてなし崩しに原発建設しようとする中電側の真意を表したものである。従って中電の言い訳は信用できない」と非難する。

 12.10日、社会党の延原県議が、県議会において、11.19日の桜内発言は真実かと質問。加藤知事は、関西電力との輪番制を否定しなかった。
 1971(昭和46)年
 2月、運転中の敦賀原発付近の海で獲れた貝類が放射能に汚染されていることが判明した。日生町漁協は、のりの養殖、カキの養殖に力を入れており、海の汚染に対しては人一倍気を使っていた。この敦賀での放射能汚染を聞いて、「基本的に反対」から「絶対反対」に態度を硬化させることになった。

 3.2日、日生町原発反対町民会議が、頭島フィッシングセンターで、原発問題懇談会を開催。参加者は約50名。講師/全原連京大支部。3.3日、日生町東公民館、約50名。3.4日、岡山市労働会館、約20名。3.5日、備前町灘漁協、約40名。3.6日、原水禁国民会議が、日生町国民宿舎で、午後1時から5時まで中国四国原発問題討論会を開催、参加者約50名。講師は日本原子力研究所の熊沢、田村。原水禁国民会議と日生町原発反対町民会議が、日生漁業協同組合会館で、午後7時から10時まで原発問題懇談会。参加者約60名。

 3.7日、原水禁関係者が、鹿久居島現地視察。

 5.10日、日生町、頭島両漁協総会が、「陸上部門の第一次調査には、これまでの通り妨害はしないが、建設事態には絶対反対」とする中電の鹿久居島原発絶対反対を決議。

 5.29日、頭島漁協総会が中電の鹿久居島原発絶対反対を決議。

 5月、米国原子力委員会が「軽水炉冷却型発電用原子炉の緊急冷却装置に欠陥がある」と発言した。5.31日、中電の馬場原子力部次長が、米国原子力委員会発言に対して、「実際の軽水炉では実験されたものより何重にも安全装置があり安全上心配はない」と言明した。
 
 6.13日、社会党の永札議員が、岡山県議会で、「米国原子力委員会が緊急冷却装置に欠陥があると発表している時、岡山県は昨年秋、プロジェクトチームをつくり原発建設の適否などを調査しているが、県独自で安全性を確かめられたのか。不安なら建設を拒否すべきではないの」と質問する。知事は次のように答弁した。
 「プロジェクトチームでは原発部門の安全性を調査することはできない。米国原子力委員会の発表で原発に大きな不安が出てきた」。

 6.14日、日生、頭島両漁協が、県、県議会、日生町、中国電力を訪れ、「原発には絶対反対する」との意向を文書で伝え、建設反対を陳情した。

 6.16日、岡山県議会環境衛生委員会は、「鹿久居島原発は慎重に取り扱うべきである」と云う意見書を採択する。

 6.29日、自然公園審議会管理利用部会(厚相諮問機関)は、厚生大臣から第一次陸上部門の立ち入り調査に関して意見書の提出を求められていたが、「鹿久居島は国立公園であるが、発電所本体の建設は別としてボーリング調査だけならば国立公園の景観を特に破壊しない」と述べ、第一次調査了承の結論を出した。

 6.30日、日生、頭島両漁協は、厚生省、水産庁等に原発反対陳情団を送る。

 7.31日、日生町漁協前で、日生、頭島両漁協主催の鹿久居島原発絶対反対漁民総決起大会を開催。参加者は漁民など約400人。隣接各漁協、労働組合、大衆団体、共産党、社会党、元浜県議の挨拶。松下日生町原発町民会議議長が支援の決意表明をする。決議文を採択後、デモ行進。町長に決議文を渡す。

 8.14日、岡山県漁連が岡山県に建設絶対反対の陳情書を提出。

 8.17日、大石環境庁長官が次のように言明した。
 「ボーリング調査の許可は、原発による自然景観への影響と放射能公害がはっきりするまで、しないつもりである」。

 9.4日、岡山県議会商工警察委員会で、県政百年記念行事の会場で、中国電力が、原発の安全性をPRしていることが問題になり、一部を修正させる。

 9.20日、主催/原発反対町民会議が、赤穂市福浦で全原連京大支部より講師を招き、原発問題懇談会開催。出席者は農民、漁民、労働者、学生の約40名。

 9.21日、岡山県環境部は、自然公園審議会管理利用部会が、第一次調査認可条件として野生鹿の生態を事前に調査することになっていた件について、その調査を東京農工大農学部に依頼していたが、同学部は、「鹿の数が少ないので環境が変化すると絶滅する恐れがある」と報告書纏めて県に提出していた。県がそれを発表した。

 10.22日、原発反対町民会議の松下議長が公害反対赤穂市民会議(主催/公害から赤穂市民を守る会)に出席し、反対を訴える。

 10.30日、日生町議会原発特別委員会主催で、立教大学の服部学教授を呼んで、日生信用金庫で原発講演会を開催。出席者約100名。

 11.5日、日生町議会原発特別委員会主催で、東京大学の都甲泰正教授を呼んで、日生信用金庫で原発講演会を開催。出席者約80名。

 11.28日、社会党県議団が、鹿久居島原発の現地調査に乗り出し、日生漁協、鹿久居島、日生町役場を訪問する。

 12.9日、社会党の延原県議が、県議会で、中国電力から建設の正式申し入れもないのに調査費450万円も予算化したのは不当であると追求する。
 1972(昭和47)年
 1.29-31日、原水禁国民会議が、原発、再処理問題全国かつ同社会議を敦賀市国民宿舎で開催。約100名参加。日生町より1名参加。

 2.1日、兵庫県赤穂市の「公害をなくす赤穂市民の会」が岡山県と日生町に対し、中国電力が岡山県和気郡日生町の鹿久居島に計画している原子力発電所の建設に対して、「アメリカから輸入しようとしている大型軽水炉の安全性には多くの疑問がある」、「大規模な事故が起きた場合、影響の及ぶ範囲は広い」、「漁民から漁場を奪い、瀬戸内海を汚染する」等とする反対要望書を提出している。この頃、日生町の隣町の兵庫県赤穂市の新聞社が当時の社説で、「百害あって一利なしの鹿久居島原発」と書くなど兵庫県赤穂市の反対運動を支援している。

 2.3日、岡山県議会の厚生環境委員会が、日生町の鹿久居島に中電が建設を計画している原子力発電所問題を協議。金島部長は、「住民に被害の出る恐れのある場合は建設に賛成できない」と発言。「放射能排出などに関する安全性が確認できない現段階では建設は好ましくない」と超党派で決議し、この旨を知事に伝えることに決定。

 2.10日、大石環境庁長官が次のように言明した。
 「鹿久居島原発の第一次陸上部門の調査を、ボーリングには特に問題がないので認可したいと考えている」。

 2.11日、大石武一環境庁長官が、岡山県和気郡日生町の鹿久居島に中国電力が建設を計画している原子力発電所のボーリング調査について「地元住民が納得すれば許可してもよい」と語る。地元の日生町漁協などが反発する。

 2月、運転中の敦賀原発付近の海で獲れた貝類が放射能に汚染されていることが判明した。日生町漁協は、海苔(ノリ)、牡蠣(カキ)の養殖に力を入れており、敦賀での放射能汚染を聞いて態度を硬化させた。

 2.13日-14日、日生、頭島漁協が原発反対の署名活動を行い、日生町民7800人のうち5200名の反対署名を集めた。

 2.14日、中国電力の鹿久居島原子力発電所の建設計画に反対する岡山県和気郡日生町の日生町漁協と頭島漁協の代表が同県と県議会厚生環境、総務両委員会に「原発計画をやめるよう国などに働きかけてほしい」と陳情。

 2.16日、大石環境庁長官が、県選出社会党国会議員、日生、頭島漁協の陳情に対し、「瀬戸内海だけは原発の建設をやめようと思っている。鹿久居島原発は不許可にしたい」と表明する。ボーリング調査への前向き発言から一転、不許可を示唆した。

 2.25日、加藤知事が、記者会見で次のように述べた。
 「原発について大石環境庁長官に会い、反対の態度を表明した。理由は、岡山県は被爆した広島県の隣であり、瀬戸内海は潮の流れがゆるく、特に岡山県はその中央部にあり、湿排水が停滞しやすい。瀬戸内海の汚染も進んでおり、国立公園での立地は極めて難しい。又、地元の反対の動きも活発で県としても立地を見合わせるべきである」。

 3.13日、岡山県議会総務委員会で、日生、頭島両漁協(組合長理事.坪本正一 外1名)及び家島町民、漁協から提出の「鹿久居島原発反対の陳情書」を満場一致で採択。陳情書 「原子力発電所建設反対について」(1972.3.13日、岡山県議会で採択。1971.6.14日提出)は次の通り。 
 昭和42年2月初旬、我々は中国電力株式会社より日生町鹿久居島に原子力発電所を建設したい旨の申し入れを受けた。以来、中電の説明会に次いで組合の自費による既設原子力発電所の視察調査、また日生町及び中国電力の発案になる日生町民の同上見学、岡山県当局の原発誘致可否決定の為の衛研、水試の放射能、海洋調査の発足、岡山県漁連の原発設置反対会議、原発を背景とする備前町合併問題と町長辞任等々1年にわたる原発問題はいよいよ紛糾し深刻化した。この間、賛成反対の啓蒙運動が各所において行われ、ある者は原発の必要性と海をも含めた安全性を強調すれば、又ある者は放射能の汚染が決定的であるとして日生町の危機を訴える中で、岡山県は地元日生町次第、日生町は漁業組合如何と、この渦中の主役として県町からその責任を転嫁された。我々は、第一次調査について、「基本的に反対であるが陸上部の調査は漁業に支障がない限り、我々の権益外としてこれを妨害しない」旨の文書を日生町に手交した。この組合の良識的態度を以って組し易しと見たか中国電力桜内社長は昭和45年11月19日、東京大手町の電気事業連合会で、関西電力の輪番制と出力75万キロワットの膨大な原発設置計画を発表、関係者の意向を無視した。この独善的思い上がりに我々は驚き且つ憤激した。ともあれ中国電力が計画の協力申し入れから1年有余、以来我々は右に偏せず左に組せず、ひたすら原発のもたらす漁業上の損失について、その実態の把握に努めた結果、次の結論に達した。我々日生町漁業協同組合並びに頭島漁業協同組合は、昭和46年5月10日及び昭和46年5月29日開催のそれぞれの総会において、原子力発電所問題特別協議会を開催し、原子力発電所建設絶対反対の態度を確認し決議した。
 (反対の理由)

 1、放射能汚染は温排水以前の問題である

 我々は当初、原子力の何物であるかを、また原子力発電所のもたらす功罪については全く白紙の状態のもとで、放射能汚染は当然、国、県、町が国民的課題としてその安全性を確保することを信頼するが故に、直接漁業被害の重点が温排水にあると判断したことは無理からぬことであった。しかし放射能が許容量の如何を問わず現実に放射され濃縮されて各所で問題化されていることを知るに及び、放射能汚染こそ温排水以前の問題として重視し反対されるべきであることを確認した。許容量と濃縮、原子力の設備と運転、燃料残滓の処理等すべ万全を期していると主張してもその完璧な保証はない。最悪な事態について窮極段階に至っては専門学者すら「予測できない」のが正直な現状ではないであろうか。また安否説の何れを信ずるかと云う結論については、その者の置かれた立場を基礎として予測される利害の大小がこれを決定する。このことについて中電の原子力部長は、危険性に関する質問に対して、「太陽が明日必ず東の空に上がるという保証はない。しかしこれを疑う者はない」と(述べた)。しかし太陽が上がらなくなる可能性の材料(コバルト60、マンガン45が魚介類を汚染。昭和46年2月、敦賀原発海域)が徐々に出始めたということを知った人類の驚きと憂慮は想像に余りあるものがある。今日の公害排水の中でもその最たる放射能被爆による被害が、単に日本人の核アレルギーの一言によって片付けることはできない。強いて言うならば、過剰核アレルギーの傾向があればあるほど、原発誘致により、今後日生町の漁業は恐るべき被漁業として消費者に敬遠され、やがて完全に没落するであろう。

 2、温排水は養殖漁業を壊滅する。

 我々の義業は行き詰まりつつあるとはいえ、自然の力は海の幸の再生産を忘れはしないし、その方法如何によっては水揚げののより上昇を勝ち取ることもできる。そして現在の組合に課せられた命題は、漁場価値と水揚げの配分を勘案した漁船漁業と養殖漁業のバランスと養殖自体の適正規模をどの程度に保つかである。この考察に基づいて、カキ、ノリとも本年度よりその規模を拡大したが、最近の漁場は公害に追い出されて沖へ沖へと逃避しており、その沖合いに外科視力発電所の放射能性温排水計画が待ち構えている。そしてまた今ではノリ、カキ共、技術的にも安定し、後は栄養塩と水温だけである。日生関係海域における生産は12月までが勝負のヤマである。この期間の生産コントロールが今ひとつ飛躍への手立てであり期待でもある。短期決戦の戦術と構えも人工河川によって押し流されるであろう。

 昭和45年6月、赤穂市が関西電力の火力発電所建設希望により行った阪大による企業進出学術委員会の調査発表にも見られるように「大気汚染を始めとして一般公害は企業自体の対策如何により除去される可能性を持つが、温排水の漁場に対する影響はそれを絶対に防止する有効な手段が未開発であるため、漁場による程度の差こそあれ回避し難い事象として予測される」とある。なお上文中一般公害とあるが、この場合火力発電所であるので放射能汚染については考慮外であり、同文中二項の温排水の影響と同様、回避し難い事象であろう。魚介類については、未だその影響について確定的な資料はないが、漁業が原始産業である以上、自然の条件が歪められ破壊されることは、弊害こそあれ利益に連がるはずはない。また温水利用による魚類エビ類の養殖などは、その失われた他の利益に比べれば微々たるもので、その代償として考慮する余地はない。

 3.16日、岡山県議会本会議で、岡山県議会議長・同前才治名で「瀬戸内海の原発は特別の配慮を払われたい」とする意見書を採択、政府の関係大臣に提出した。文面は次の通り。
 瀬戸内海水域における原子力発電所の立地は、特に水域全体の環境保全の見地から特段の権利を払われたい

 (理由)

 瀬戸内海一帯は、近年、産業開発による工業化、都市化の進展に伴い、急激な汚染の進行が見られ、今や放置できない実情にある。内海の汚染の問題は、その根本に、この水域の環境周期が半世紀余に及ぶと云う特性から、汚染の蓄積が進みやすく、その自浄、拡散力も外界と同等に比較し難いところにある。かかる事情からみて、湾排水はもとより新たな放射能汚染の懸念もまつわる原子力発電所の内海水域への立地については、この水域全般の環境保全の立場から特段の考慮を望するものである。

 3.18日、日生町定例議会が、「原子力発電所建設に関する決議案」を採択。特別委員会を解散し、調査研究は中止することになった。
 決議 昭和45年1月、中国電力株式会社より原子力発電設置について一石を投じられ、議会に調査特別委員会を設け、日生町の地域開発、産業構造基盤の拡大に思いを致し、鋭意調査研究を進めて来た。国の行政機構の改革もあり、中国電力に於いても作業の格段の進展を見ずして今日に至った。近時経済のの超高度発展に伴い、人間環境保全の声、国民世論が澎湃として惹起したのも宣なしとしないところである。原子力発電の人間環境、自然環境に及ぼす影響については、専門学者間に於いても種々論議するところであり、未解明も多々あり、早急に結論を下すことは、慌て者の謗りを免れ得まい。日生住民の世論も二つに分かれるところであり、このまま推移せんか、町住民感情に於いても混乱を招来することが明白であり、ひいては**への影響も憂慮されるところである。かかる情勢の渦中にあってなお調査研究を続行することは好個の策にあらずとの結論に達した。しかしながら我々は、近代科学の限りない全身を信じつつ、このたびの五千余の原発反対意見を十分尊重し、未解明分野の氷解、住民感情の融解を期待し特別委員会を解散し、調査研究は中止する。右、決議する。

 2016.01.15日 れんだいこ拝
 福島かつ美(社会党県議)

【浄土真宗西念寺(さいねんじ)住職/青木敬介さんの反原発魂】
 「2カ所の原発建設計画を阻止」参照。
 「播磨灘を守る会」の代表を務めている青木敬介さんは浄土真宗西念寺(さいねんじ)の前住職である。半世紀以上におよぶ環境保護運動や思いなどについて話を聞いた。 

 青木敬介氏の履歴は次の通り。

 1932年、兵庫県御津町(現在のたつの市御津町)に生まれる。龍谷大学文学部卒業。1958年、浄土真宗本願寺派西念寺の住職に就任(1988年に退任)。1960年頃から自然環境をよくする運動や非戦・平和・脱原発の運動を始める。1971年、漁師や労働者らと「播磨灘を守る会」を結成し、代表に就任。1985年、中曽根首相(当時)の靖国神社公式参拝に対し違憲訴訟を起こす。2000年、全国自然保護連合の理事長に就任。2002年、同連合の代表に就任(2008年退任)。現在は、播磨灘を守る会の代表、環瀬戸内海会議の副代表、日本宗教者平和協議会(宗平協)の理事などを務める。著書:『仏教とエコロジー~播磨灘の環境破壊から~』(同朋舎出版)、『穢土(えど)とこころ~環境破壊の地獄から浄土へ~』(藤原書店)、『寒僧記』(探究社)、『「縁起」と地球環境』(自照社出版)など多数。

 青木さんが父親の跡を継いで住職になったのは1958年である。その後まもなく、自然環境をよくする運動や非戦・平和・脱原発の運動を始めた。
日本には原発建設計画を中止させたところが34カ所ある。そのうちの2カ所は、青木さんが住む兵庫県御津(みつ)町(現在のたつの市)と岡山県日生(ひなせ)町(現在の備前市)である。青木さんはこの2カ所の原発建設阻止にかかわった。

 1958年頃、瀬戸内海に面する御津町室津(むろつ)に原発を建設するという話が持ち上がった。青木さんはこう話す。「私は周辺の漁協をまわり、原発建設に反対するよう説得した。当時は、“300万円くらいのはした金よりも漁が大事”と言う漁師が多かった。漁協が反対したため、1962年、町長も反対を表明した。室津原発計画は中止になった」。「1967年には、中国電力が岡山県の日生町(現在の備前市)に原発建設の計画を発表した。瀬戸内海に面する日生町は、瀬戸内海屈指の漁業町である。このときも、私は周辺漁協をまわって原発に反対するよう説得した。中国電力は町長や漁師を抱き込もうとしたが、漁師たちは原発建設反対を表明した。そのため、ここでも原発建設計画は頓挫した」。「当時の漁師は“カネよりも海のほうが大事”ということを知っていた。ところが、いまは様変わりだ。カネでほっぺたをひっぱたかれると弱い。“きれいな海を残すほうがいい”と言う漁師はわずかになってしまった」。原発についてはこう言う。「本当に原発が必要なら皇居の前につくれ、というのが私の持論だ」。

 1971年、青木さんは漁師や労働者たちと「播磨灘を守る会」を結成し、同会の代表に就いた。結成のいきさつはこうだ。青木さんは1957年、京都の龍谷大学文学部を卒業した。学生生活を終えて帰郷したさい、村の前の海の色の変わり方にびっくりしたという。5年前までは海水が澄みきっていて、深いところまで見透せた。それが黒ずんでしまっていた。浅場の底も見えなくなっていた。原因は埋め立てによる工業開発である。「1950年代に入ってから、瀬戸内海は埋め立てとコンビナートの建設が相次いだ。その結果、油汚染や赤潮が続いた。油汚染で多くの貝類とムラサキウニたちが滅ぼされた。赤潮では、定置網に入った磯の小魚たちが犠牲になった。1973年には鐘淵化学工業(現在のカネカ)と三菱製紙のPCB垂れ流しが表面化し、播磨灘の漁業はパニック状況になった。いずれも過大な浅海埋め立て(3万8000ha)が元凶である」、「ちょうどその頃、星野芳郎氏(技術評論家)を中心に、関西の各大学の若手研究者と学生が加わった瀬戸内海汚染総合調査団が1カ月かけて海上と陸上の両コースに分かれて瀬戸内海の全域を巡回した。この調査に協力した漁民・住民の間で“なんとかせにゃあかん”という思いが募り、『播磨灘を守る会』ができた」。以来、「守る会」は、播磨灘の海面埋め立てを阻止することに力をつくした。一時は埋め立て計画をはね返したこともあった。しかし、「大企業と行政の前に巻き返された」という。埋め立てたのに、使われないで遊休地となっている場所もある。そこを渚に戻せという「磯浜復元」運動が漁師の会員から提起された。だが、「磯浜復元」の請願は、兵庫県議会で審議されながら継続審議(お蔵入り)になった。

 青木さんは、「守る会」の運動をこうふりかえる。「長い年月の間に、運動にかかわってくれた人は数多い。純粋に環境破壊を防ごうとした人。政・官・財・学が結びついて利権をむさぼる姿に怒る人。私とのつきあいでかかわった人。いろいろだったが、運動にかかわり、地球環境の大切さや、それを壊してしまうと取り返しのつかないことをわかってくれた人が多い」。

 青木さんは、環境保護や非戦・平和・脱原発の運動を献身的に進めてきた。その理念は、龍樹(りゅうじゅ=2世紀に生まれたインド仏教の僧)が説いた「縁起(えんぎ)論」だ。つまり、あらゆるものが生かしあい、支えあっている、という思想である。あらゆる生物が、それぞれに関連しあって生きていける環境が大切、ということである。青木さんは、今年2月に出版した自著『「縁起」と地球環境』(自照社出版)でこう記している。
 《巷間(こうかん)にいう「原子力ムラ」を構成してきたメンバーである財・官・政・偽(にせ)学者とマスメディア、それに加えて全国の原発反対の住民の訴えを斥(しりぞ)け続けた司法の腐敗が、うち揃(そろ)ってもたらしたのが、昨年(2011年─引用者注)の大災害だった。前章でも述べたが、私はこれを「金(カネ)の六角形(ヘクサゴン)」と呼んでいる(拙著『穢土(えど)とこころ』藤原書店刊)。(略)「金の六角形」が押し推(すす)めてきた日本の国土破壊、生命破壊は、原発だけではない。渚、干潟の埋め立て、無用の巨大ダム、不必要な高速自動車道、極めつけは、リニアモーターカー計画と、使ってはならない戦闘機や軍艦に及ぶ。(略)これらのすべてが、深刻な環境破壊と戦争の上になりたっているといってよい。40年余り、環境と平和の問題に取りくんできた私は、このような「いのち」の真像(しんぞう)・尊厳を無視したやり方が、どれほど取り返しのつかない個々の災厄を、多くの生命にもたらせたかを、しかと見てきた。それは、「万物の霊長」などと思い上がった人間が、わずかな知識と技術を、戦争と金もうけのために悪用してきた歴史だった。(略)あらゆるものが生かしあい、支えあっているという龍樹菩薩の言葉を、私どもはもう一度じっくりと噛みしめるべきであろう。この龍樹の縁起の説に学びながらなが年、自然環境の問題に関わっていると、多様ないのちといのちのつながりあいが、働きあいが明確に見えてくる。》

 「寺の坊さんがなぜ、環境保護や平和、民主主義などの運動をしているのですか」の問いに、青木さんはこう答えた。「お釈迦様がご存命だったら、“命、海、山よりもカネが大事”といういまの日本の状況をどう言われるか。親鸞聖人だったらどうされるか。私はそれをいつも考えさせられてきた。龍樹が大成した縁起論を学んだはずの僧侶なら、環境や不戦・平和の問題にとりくむのが当然だろう。江戸幕藩体制による宗教統制以来、日本の仏教教団は骨抜きにされた。多くの僧侶は貴族化し、庶民の困窮から眼をそらすようになった。本来の仏教の役割や信心を放棄してしまった。それで、私のようなものが奇異に見えるのだろう」。青木さんはその言葉どおりに、平和や環境、原発などの問題に旺盛にとりくんでいる。数少ない“行動する思想家”のひとりである。

 最後に、青木さんが掲げる課題についてこう語ってくれた。「私にとっての最大の課題は、ひとつは瀬戸内法(瀬戸内海環境保全特別措置法)の改正だ。10万署名をそえた瀬戸内法改正の請願を今国会中に提出し、法制化をめざしたい。もうひとつは、新舞子干潟をラムサール条約に登録することだ。この二つが実現すればいつ死んでもいいと思っている」。(聞き手・中山敏則、2014年2月)


 1974年6月3日、電源開発促進税法、周辺地域整備法など「電源三法」が成立。これにより状況が一変した。これ以前は原発が立地されると固定資産税が増えることが目玉だったが、この法律に基づき、立地自治体や周辺自治体に多額の交付金が支給されることになった。各自治体に交付された金額はこの間、数十億円から島根県松江市では300億円を越え市町村財政へ大きな貢献となった。更に地元の要望にこたえた大型施設が建設されるようになった。いわば大胆な飴政策による買収活動が加速した。





(私論.私見)