志田派の抵抗考







(私論.私見)



志田一派の反党撹乱活動を粉砕するために

(『赤旗』1966年8月10日)

 


一、

「解放戦線」を名のる反党裏切り分子たちの実態

二、

反帝国際統一戦線に反対する分裂主義

三、

反党撹乱活動を合理化するための事大主義

 

一、「解放戦線」を名のる反党裏切り分子たちの実態

 

 5月11日付『赤旗』主張「

大会決定を全党的に学習し、アメリカ帝国主義に反対する国際統一戦線の強化と国際共産主義運動の真の団結のために奮闘しよう」が指摘しているように、近来、大阪など一部の地域で、10年もまえにわが党から放逐されたひとにぎりの腐敗分子――志田重男一派の残党たちが、「日本共産党(解放戦線)」などと名のって党撹乱活動を開始している。

 「日本共産党(解放戦線)」とか、その「全国指導部」あるいは「XX地方委員会」などと署名したビラやパンフットが、大阪を中心に、関西や四国、北海道などの一部の地域にまかれだしたのは、昨年の秋ごろからのことである。このビラやパンフレットは、どれも、外国の党の名を利用しながら、「下からの革命的武装闘争」の準備など極左冒険主義の方針を挑発的にふりまわし、わが党にたいして「もっとも悪質な現代修正主義者」とかフルシチョフの修正主義路線をそのままとりいれて「議会主義政党になりさがった」とか、荒唐無けいな非難をあびせかけている。そして、自分たち、つまり「日本共産党(解放戦線)」こそが「日本共産党40年の歴史と伝統をうけついだ……日本革命を指導する唯一の党」だなどと主張し、その旗のもとに結集することを「全国の革命的労働者諸君」、「日本共産党(代々木派)内の同志諸君」によびかけるなど、文字どおり挑発者、党撹乱者としての正体をむきだしにしたものである。

 また、これらとならんで「政治メモ」と題する無署名の反党文書も、やはり大阪を中心に、ほぼ毎月1回の割合で各所に送りつけられている。これもまた、外国の党の主張や見解をふりかざしつつ、わが党の政策、方針を攻撃し、反党活動をよびかけることを、主な内容にしたものである。たとえば、その5月15日付の号では「いわゆる『自主独立』という右翼日和見主義に断固反対する」として、わが党の国際路線に口ぎたない悪罵をなげつけている。これが、同じ挑発者たちによる撹乱活動の一部をなしていることは、疑いない。

 「解放戦線」と称するこの挑発者たちは、自分たちがいかにも一個の「大勢力」であるかのようにみせかけようとして、志賀一派の手口にならって、わが党の名を詐称し、その「綱領」と「規約」なるものを発表したり、全国各地における「着実な前進」を呼号したりしている。だが、その実態は、ほんのひとにぎりの反党腐敗分子によるみじめな小集団――もっと具体的にいえば、昨年来、反党活動によって大阪府党組織から除名された水野進、上田等らが、第7回党大会以前に党から除名された吉田四郎、御田秀一らとともに、志田重男一派の残党たちをかきあつめてつくりあげた挑発者集団にすぎない。

 いったい、志田重男一派とは、なんだろうか。それは、もう10年もまえ、党の指導部に属しながら革命家として許すことのできない腐敗、堕落行為をおかし、またみにくい個人的野心をみたすために反党分派活動をくわだてて党から放逐された志田重男を中心とする派閥的な徒党のことである。したがって、「解放戦線」一派の本当の正体を明らかにするには、当時の志田一派の実態を簡単にでもふりかえってみる必要がある。

 志田重男は、1950年から55年の党の事実上の分裂の時期に、党指導の一部の中心にいた幹部である。党の分裂と、そのもとでおかされた極左冒険主義などの誤りは、党と革命の事業に深刻な損害をあたえ、党全体に大きな犠牲と困難をもたらしたものだったが、志田は、これらの誤りにもっとも重大な責任をおっていた幹部のひとりであった。

 1955年7月にひらかれた第6回党全国協議会は、党の分裂状態に終止符をうち、極左賃険主義などの誤りを大胆にえぐりだし、党の統一と新しい発展の方向を示した。このとき志田は、ひきつづき党の指導部にえらばれた。ところが、6全協後しばらくして、志田が、6全協までの期間に、党の幹部として許すことのできない一連の堕落行為をおこなっていたことが明らかになってきた。それは、たとえば、当時、多くの党活動家や党員が、極左冒険主義の誤りをふくむ方針のもとでも、党の革命的伝統をまもって、あらゆる物質的、精神的苦痛にたえ、大きな犠牲をはらいながら活動をしていた時期に、かれがしばしば同志にかくれて遊興していたなどの事実である。そして、党中央が、この問題について、かれの説明を求めると、志田は、これに答えることなく、1956年1月、突然、中央委員、常任幹部会員、書記局員としての重要な任務を放棄して、失そうしてしまったのである。この志田の失そうにつづいて、志田と「親分子分」的な関係で深いつながりをもっていた吉田四郎、御田秀一なども、その属していた部署から逃亡した。

 しかも、志田は、逃亡後、恥知らずにも、その逃亡の理由を党指導部内での政治的な意見の相違によるものであるかのようによそおい、吉田、御田らとともに、一部の不平分子、腐敗分子をかきあつめて反党分派を組織し、党に打撃をあたえようとくわだてた。これにたいし、党は、1957年5月の中央委員会総会で全員一致で志田の除名を決議(第7回党大会で確認)するとともに、吉田、御田らもそれぞれ除名した。(志田一派は、逃亡と反党活動の理由が政治上の意見の相違にあるかのようにみせかけようとした志田のでたらめな言い分を、いまでもそのままくりかえし、その証拠として、「6全協直後の1956年」に、「指導的地位にあった同志A」が党指導部に提出した「意見書」なるものを、かれらの機関誌に麗々しく掲載したりしている。しかし、志田からにせよ、あるいはその他の反党分子からにせよ、このような「意見書」なるものが当時の党指導部に提出された事実は、まったくない。結局、この「意見書」なるものをもちだしたことは、かれらの意図とは逆に、志田らの自他をあざむくための卑劣な小細工を暴露する証拠の一つとなっているのである)

 反動勢力は、志田一派のこの策動を、党撹乱のために最大限に利用しようとし、商業新聞などに志田一派による「第2共産党結成」を大々的に書きたてさせたり、さらには、公安調査庁自身がその手先機関をつかって、反党分派組織の結集をよびかけた「志田派テーゼ」なるものを増刷し、各地の党議員の自宅に送りつけるということまであえてした。しかし、このように、反動勢力の道具の役割を果たすところまで転落した反党堕落分子のみにくい策動が成功するわけはない。志田一派の懸命の工作にもかかわらず、かれらは拠点とたのんでいた大阪や北海道でも分派組織の足がかりをほとんどつくりだすことができず、全党の断固たる態度のまえに徹底的に粉砕され、1957年の春ごろまでには、政治的にも組織的にも、まったくみじめに破産した存在となっていた。

 1958年の第7回党大会政治報告は、志田一派の反党分派活動についてつぎのようにのべている。

 「6全協後の党活動が、そのなかに部分的な停滞と混乱をともないつつも、大局的には前進的な方向に向かっていることを理解しない一部の傾向を利用して、分派活動の策動が、党から逃亡して除名された志田重男を中心としておこなわれた。これらの策動の全ぼうは徐々に明らかになりつつあり、またその中心分子である御田秀一、吉田四郎を、党は除名したが、かれらの策動は、党の上に派閥の利益をおく個人中心の利己主義の醜悪なあがきにもとづいていることは明白である」(「日本共産党第7回大会決定報告集」、『前衛』臨時増刊7ページ)

 これが、10年まえの志田一派の反党活動のみにくい実態である。この事実は、志田一派が、共産党の純潔性を傷つける腐敗、堕落の道を歩んで共産主義運動から放逐され、最後には、反動勢力の党撹乱活動の道具として利用されるところまで転落した裏切り者であり、政治的にも道徳的にも完全に破産した階級脱落分子のもっとも醜悪な徒党にすぎないことを、きわめて明白にかつ具体的に物語っている。しかも、かれらは、その後も、階級的な堕落の道をますます進み、志田一派の中心分子の1人であった吉田四郎などは、現在では、牧場や牛乳販売店を経営し、多数の労働者を使う資本家にすっかり転身している。また、その残党の一部は、吉田四郎、御田秀一などとの連携を維持しながら、面従腹背的な態度でわが党の組織にとどまり、反党活動再開の機をうかがっていた。

 こういう連中が、いま、ここ数年来の国際共産主義運動の複雑な事態――現代修正主義の潮流によって重大な不団結と対立がうみだされ、さらに最近一連の新しい諸事件によって対立が複雑化してきた事態を投機的に利用して、年来のみにくい党撹乱の野望をとげようとして、新たな策動を開始したのである。

 すなわち、かれらは、1964年ごろから、「マルクス・レーニン主義研究会」の名のもとに反党雑誌『レーニン主義』を発行し、大阪その他の党組織内にひそかに配布し、党綱領をはじめわが党の方針に正面からの攻撃をくわえるなど、各種の党破壊活動を再開してきた。そして、1965年はじめに、大阪の反党分子の中心となっていた上田等らが党から追放されると、以前からつながりのあった愛媛や北海道の除名された反党分子をもかきあつめ、昨年8月、「日本共産党(日本のこえ)」を名のって反党活動をおこなっている志賀一派の詐欺的な手口にならって「日本共産党(解放戦線)全国指導部」なるものをでっちあげた。そして『レーニン主義』を『平和と独立』と改題してその機関誌にし、日本共産党指導部に反対する闘争への「決起」を呼びかけるビラをまくなど、公然と党破壊の旗をかかげるにいたったのである。

 このとき、これらの反革命、反党分子たちは、みかけだけでも「革命政党」の体裁ととのえようとして、「日本共産党(解放戦線)」の「綱領」や「規約」などを発表したが、皮肉なことに、この「綱領」や「規約」そのものが、みずからそのみじめな実態をさらけだす結果になっている。たとえば、その「規約」は、「日本共産党(解放戦線)」の組織として、「細胞」と「大会」、「全国指導部」しか規定せず、ぞの他の機関については、ただ、「必要に応じて中間機関を設けることができる」としてあるだけである。つまり、かれらの組織の実情では、「細胞」の一級上は「全国指導部」であって、その間の「中間機関」について特別のとりきめをしておく必要は、なにもないのである。これはとりもなおさず、「解放戦線」一派なるものも、とるにたりない少数の腐敗分子からなりたつほんのひとにぎりの小集団にすぎないという実態を、自認したものである。かれらは、愛媛などでは、「四国地方委員会」などと署名したビラをしきりにまいているが、この「地方委員会」なるものも、わずか数名の反党分子からなる小グループにすぎないのである。

 また、かれらの政治方針を定式化したという「綱領」は、その大部分が、第7回党大会で廃棄されたいわゆる「51年綱領」を一面的にひきうつしにしただけのものである。いうまでもなく、「51年綱領」は、党が分裂状態にあった時期につくられたものである。そしてその内容においても、アメリカ帝国主義との闘争と独立の課題の重視などの点で一つの歴史的な積極面をもってはいたが、戦後の日本の情勢や支配勢力の分析、革命の性格や展望、革命を達成する手段の問題などでは、日本の現実に合致しない一連の誤りと欠陥をふくみ、極左冒険主義などの誤りの一つの基礎をなしたものであった。そのために、「51年綱領」は、わが党の前進の過程で廃棄されたのである。これを、十数年もたった今日、そのままもちだして、「革命的路線」なるものの指針にしようとすることが、どんなに時代錯誤の誤りであるかは、論じるまでもないところであろう。かれらの「規約」にしても、当面の革命の性格についてのべた部分などは、やはり党の分裂当時つくられ、のちに廃棄された5全協規約草案(1951年)の該当個所をまるうつしにしたものである。志田一派は、わが党に深刻な打撃をあたえ、かれら自身も重大な責任を負う極左冒険主義などの誤りについてまったく無責任なほおかむりをしたうえ、さらに、それをうみだした当時の誤った政治方針を現在の日本人民の闘争のなかにそのままもちこもうとしているのである。この事実をみるだけでも、志田一派の正体――かれらが、わが党と日本人民の闘争を撹乱すること以外になんの目的ももたない、反党、反革命の挑発分子であることは、まったく明らかであろう。

 だが、志田一派が、理論的にも混乱し、組織的にもひとにぎりのみじめな挑発者集団であるからといって、われわれは、かれらの党撹乱策動を軽視してはならない。というのは、かれらが、なによりもまず、外国の党の文献や主張を事大主義的にふりかざして、わが党への非難を根拠づけ、それによって、わが党と民主勢力にはたらきかけようとしているからである。

 たとえば、すでにのべたように、かれらは、これまで、わが国の情勢の科学的分析をまったく無視した極左冒険主義の方針をしきりにふりまわし、その立場から、わが党の綱領の路線を「修正主義」だ、「議会主義」だといって口をきわめて非難してきた。だが、わが党が、かつて党の分裂の時期にあらわれたような極左冒険主義の方針を今日ふたたび採用した場合、それをもっともよろこぶのは、アメリカ帝国主義と日本の反動勢力である。このことは、ほとんど論議するまでもないことである。この場合、かれらがこの挑発的な主張の最大の「理論的根拠」としたのは、暴力革命の問題についての外国の党の論文だった。

 また、かれらは、最近では、アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線の問題をはじめ、わが党の国際路線に攻撃を集中しているが、ここでもまた、かれらは、これらの問題についての特定の外国の党の見解や方針をほとんど唯一のよりどころにしている。

 さらに、かれらは、特定の外国の党の旗のもとに結集し、その党の方針を自分の方針とすることが、すべてのマルクス・レーニン主義者の義務だとまで主張し、わが党が自主独立の立場を堅持していることを非難している。

 このような志田一派の態度、外国の党の主張や見解を無条件に支持し礼賛するという事大主義、現代教条主義の態度は、いったい、なにを意味するだろうか。

 志田一派の最大のねらいは、こうして外国の党の名を利用することによって、自分たちの反党挑発活動を、日本共産党の「修正主義」に反対する「マルクス・レーニン主義者」の闘争であるかのようにみせかけ、反共主義の徒党としての恥すべき反革命的正体を粉飾することにある。とくに、志田一派が、わが党と民主勢力のあいだに、「善意からではあるが、外国の党の指導部を無条件に崇拝し、マルクス・レーニン主義の古典およびわが党の文献よりも、諸外国の兄弟党の文献を重視して、それを基準にしてわが国の問題を判断しようとする事大主義、教条主義の傾向」(5月11日付『赤旗』主張)が、ごく一部にではあるがなお残っていることにつけこみ、党撹乱の効果を最大限に発揮しようとしていることは、明らかである。

 したがって、われわれは、志田一派の党撹乱活動を軽視することなく、かれらが事大主義的な態度でふりまわしている教条主義、セクト主義、冒険主義の主張を徹底的に打ち破り、種々の党破壊のたくらみを徹底的に粉砕し、このひとにぎりの反党反革命の徒党を全面的に粉砕する断固とした闘争をおこなわなくてはならない。

 この点で、まず、志田一派が最近力を集中している、わが党の国際路線にたいする中傷、非難を粉砕しよう。この問題についてのかれらの主張をもっとも包括的な形でのべているのは、はじめに紹介した反党文書「政治メモ」5月11日号の論文「いわゆる『自主独立』という右翼日和見主義に断固反対する」(以下「政治メモ」と略称)である。以下、この論文を中心に、国際路線の問題についてのかれらの主張の内容とその本質を、明らかにしていくことにしよう。

 なお、国際路線の問題についての志田一派の主張の内容にはいるまえに、ひとことふれておく必要があるのは、かれらが、わが党の国際路線を「宮本路線」などとよんで、あたかも宮本書記長個人の主張や見解であるかのように描き出そうとしていることである。

 国内問題についての政策にしろ、国際路線の問題にせよ、わが党中央が主張し実行している路線が、党大会や中央委員会で決定された基本方針にもとづくものであることは、わが党の活動の実際にてらしてみさえすれば、だれの目にも明らかである。わが党では、第7回大会以後、大会、中央委員会は、すべて規約にもとづいて定期的に開催され、民主的に運営されているし、党の路線は、大会、中央委員会で決定され、中央委員会でえらばれた幹部会の集団指導によって具体化されている。実際、志田一派がいま問題にしている国際路線にしても、それは、第9回党大会で全員一致決定された党の公認の路線であり、そのことはかれらの反党文書自身も認めているところである。(そればかりかこの反党文書は、第9回党大会の決定に「教条主義」的に固執しているといって「宮本路線」なるものを非難しているほどである)

 では、志田一派が、この明白な事実に目をふさいで、しきりに「宮本路線」なるものをうんぬんするのはなぜだろうか。その意図は、まったくみえすいている。かれらは、これで、党大会の決定にもとづく党中央の活動を、なんらかの個人的な、あるいは「派閥」的な活動であるかのように中傷し、そこに自分たちの反党活動の一つの口実をみつけようともくろんでいるのである。かれらは、日本人民の唯一の前衛党である日本共産党に反対しているのではなく、ただ「宮本路線」や「宮本一派」に反対しているだけであるかのように、みせかけようとしているのである。こうした手口は、かれらだけではなく、志賀、神山、内藤、春日(庄)ら反党修正主義分子にも共通したものである。しかし、これらの反党分子が、いくらこんなみえすいた論法をもちだしてみても、かれらが、戦前戦後をつうじてマルクス・レーニン主義の旗を高くかかげてたたかいぬいてきた日本共産党に敵対し、日本の労働者階級と民主勢力に敵対する、反党、反人民の分子であることをかくすことはできない。しかもこの中傷は、少しでも事情を知っている人には、ただ物笑いの種になるだけであろう。なぜなら、当の志田一派こそ、かつてわが党に派閥的な個人中心指導をもちこんだ元凶であり、志賀、神山、内藤、春日(庄)らもまた、いずれも個人を組織のうえにおく小ブルジョア個人主義者であったこと、そして、かれらの不純分子を追放することにより、わが党が、いかなる派閥主義とも無縁な、民主集中制と集団指導の組織原則をいよいよ強化してきたことは、天下にかくれもない事実だからである。

  

二、反帝国際統一戦線に反対する分裂主義

 

 志田一派は、反党文書「政治メモ」のなかで、わが党の国際路線を攻撃するにあたり、まず、その非難の第一のほこ先を、アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線についてのわが党の方針にむけている。少し長いが、その主張の要点を、引用しておこう。

 「5月11日付論文は、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争の拡大は今こそ国際統一行動と統一戦線の強化と拡大を緊急の任務として全世界人民の前に提起している、とのべ、ベトナム戦争に勝つためにはソ連の修正主義とも統一行動をとるべきであるという立場を主張している。
 いったいこの論文の筆者たちはソ連共産党指導部を中心にした現代修正主義を本気でアメリカ帝国主義と闘争する勢力だと考えているのだろうか?……現代修正主義とは、マルクス・レーニン主義の陣営から敵陣営に寝返りした裏切り者だという認識は全々もちあわせていないのだろうか。
 この論文の筆者たちは、まだ正しい認識や自覚に到達していない社会民主主義政党やその支配下の大衆と、裏切り者とを同一視している。そしてまた、敵陣営内の対立にもとづく主敵以外の一部勢力との一時的にせよ統一行動をとることの必要牲というマルクス主義的戦術を、修正主義との闘争という、原則上の問題の領域にまでもちこんでいる。レーニン主義者を名のるこの論文の筆者たちは、レーニンが統一行動という戦術を行使する一方では、第2インターの裏切り者に対しては断じて妥協しなかった歴史上の教訓を完全に無視しているか忘れてしまった。なぜこれらの人たちはレーニンの原則からはずれたのか?
 宮本路線を歩く人たちは結局のところ戦争の恐怖心にとりつかれており、アメリカ帝国主義への恐怖心にとりつかれてしまったのだ。だからこそあわてふためき、何が何でも勝ちたい、このままでは危ない、そのためには敵・味方のけじめもつけず、ソ連修正主義者にも助けを求めよう、というのが真相である。
 ベトナム戦争とは、全世界の階級闘争、全世界の解放戦争の一部である。それはわれわれのたたかいである。そうだとするならば、国際的にみてもわれわれ自身の手によってこれをたたかいぬかねばならないのであって、けっして裏切り者や、敵と通じている連中と手をにぎってはならないのである。第一そのような助けをかりても勝利するものではないし、たとえ一時的に勝利したとしても、それは本当の勝利ではなく、一時的な勝利のなかから次の敗北への芽をはらんだニセの勝利にすぎないのである。……
 『宮本路線』それはプロレタリアートの戦闘力を信じきれず、敵の力と戦争のきびしさに恐怖心をいだく、徹底した小ブル的右翼日和見主義である」(「政治メモ」)

 この一文には、修正主義との闘争を理由として、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する国際統一行動と国際統一戦線の強化という切迫した任務を回避する教条主義、セクト主義の見地が、もっとも典型的な形であらわれている。

 わが党は、この種の議論の誤りについては、すでに一連の論文、とくに「

アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために」(1966年2月4日付『赤旗』)および「ふたたびアメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線の強化について」(1966年8月8日付『赤旗』)のなかでくわしく解明した。そのなかでわが党は、反帝国際統一行動と統一戦線の強化のための闘争こそが、今日、アメリカ帝国主義の侵略にたいするもっとも効果的な反撃であると同時に、現代修正主義をはじめとするいっさいの日和見主義を克服する闘争をもっとも正しく前進させる道でもあることを、理論的にも実際的にも明らかにしてきた。

 わが党のこの見地が、ソ連共産党指導部との統一行動を、無条件、無前提に主張しているものでないことはいうまでもない。わが党は、ベトナム人民の抗米救国の闘争の利益に合致し、国際的な反帝闘争の利益に合致する明確な共同の目漂と、一定の明確な前提条件のもとで、結集しうるすべての反帝勢力を結集して、国際統一行動、国際統一戦線を前進させることを、主張しているのである。そして、わが党は、志田一派がここで展開しているような主張、つまり、修正主義との闘争を理由として、ソ連共産党指導部などをベトナム問題での態度いかんにかかわらず国際統一戦線から機械的に排除しようとする主張が、結局は、国際共産主義運動および社会主義陣営を分裂させ、反帝民主勢力の国際的団結を妨害することであり、ベトナム人民をはじめ世界の人民の反帝闘争の利益にそむき、アメリカ帝国主義をよろこばせるだけの、分裂主義的見地におちこまざるをえないことを、明確に指摘してきた。

 「政治メモ」の一文は、わが党のこの主張の正しさを、かれら自身の言葉で、具体的に裏書きしたものである。

 志田一派は、ここで、反帝国際統一戦線の強化を主張するわが党の方針にたいして、「戦争をおそれ、アメリカ帝国主義をおそれている」などと叫びたてている。これは、その理論的無内容をデマと中傷でおおいかくそうとするもので、まさに、堕落した反党分子にふさわしい手口である。いったい、アメリカ帝国主義のベトナム侵略にたいして、全世界の反帝民主勢力の力を結集し、反帝国際統一戦線をもって反撃するよう主張することが、どうして「戦争をおそれ、帝国主義をおそれる」ことになるのか。志田一派の論法でゆけば、1935年、コミンテルン第7回大会で、反ファシズム統一戦線をもってファシズムの攻勢に反撃することを主張した世界の革命運動の指導者たちも、「戦争をおそれ、ファシズムをおそれた」日和見主義者だということになるだろう。とくに、日独伊のファシズム、軍国主義に対抗する反ファシズム連合戦線の一翼に英米帝国主義をくわえたスターリンは、さしずめ「戦争をおそれ、帝国主義をおそれる」日和見主義者の最大のものということになろう。さらにまた、第1次大戦後に、国際的な資本攻勢に対抗するために、第2インターの日和見主義的指導部をふくむ統一戦線を提唱したレーニンでさえも、「資本攻勢をおそれるあまり、敵味方のけじめをわすれた」右翼日和見主義者としての非難をまぬがれえないことになろう。これらの例をみるだけで、志田一派の論法のデマと中傷の本性は明白である。

 だいたい、わが党を「戦争と帝国主義をおそれる」などといって非難することほど、的はずれの中傷はない。党創立以来44年の歴史が事実をもって示しているように、わが党は、戦前、戦後をつうじて、内外の帝国主義者や反動勢力のいかなる弾圧、迫害をもおそれず、断固として、侵略戦争に反対し、あるいは帝国主義的抑圧に反対する、一貫した不屈の闘争をつづけてきた。これにたいして、志田一派とはなにものであろうか。この一派の中心となった志田重男は、過去において、わが党の革命的伝統にそむき、天皇制軍国主義の圧迫に屈した経験をもつ人物であり、この徒党全体は、6全協以後の党活動の困難な時期に党の戦列から脱走し、党と革命の事業を裏切って、反動勢力の党撹乱の道具となった裏切り者の徒党である。このような徒党が、恥知らずにもわが党にたいし、「戦争をおそれ敵をおそれる」といった式の悪罵をあびせかけているのである。これこそ、まさに、身のほど知らずの中傷といわなければならない。

 志田一派の主張の本当の政治的本質は、「帝国主義をおそれるな」、「戦争をおそれるな」、「プロレタリアートの戦闘力を信頼せよ」などの威勢のよい「革命的」なカラ文句のかげにかくれて、ベトナム人民の闘争の勝利のために、かれらが実際にどのような方針を提出しているかをみれば、たちまち暴露されてしまう。

 志田一派がここで言っていることは、結局、具体的には、ベトナム人民も世界の反帝勢力も、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する闘争で「ソ連修正主義者」の手をかりるべきではない、ベトナム人民は、ソ連をはじめ現代修正主義の影響下にみる国家や人民からの援助をいっさいうけないでたたかえ、ということにつきる。

 これは、「修正主義との闘争」という「革命的」な看板のもとにもちだされているが、実際には、まったく、フルシチョフ修正主義の日和見主義路線を裏がえしにしただけのものである。

 かつて、フルシチョフを先頭とするソ連共産党指導部は「一点の火花も世界大戦になる」という誤った恐怖心からアメリカ帝国主義のベトナム侵略にたいして断固反対することを避け、社会主義国家として当然の義務であるベトナム人民への国際的支援を極力回避するという裏切り的態度をとった。アメリカ帝国主義がソ連共産党指導部のこうした態度によって勇気づけられ、それを利用してついに社会主義陣営の一員であるベトナム民主共和国にたいする正面からの侵略行為にふみきり、侵略戦争をさらに拡大していったことは、周知のことである。

 その後、フルシチョフは失脚し、フルシチョフ失脚後のソ連共産党指導部は、その対米追従の日和見主義路線にたいするマルクス・レーニン主義的潮流のきびしい批判や、断固とした反帝闘争を要求する世界人民の圧力のもとで、またベトナム侵略のいっそう凶暴な拡大に直面して、フルシチョフ以来の対米追従路線に一定の手直しを余儀なくされるようになった。すなわち、アメリカ帝国主義のベトナム侵略を糾弾する態度をより明確にし、武器援助をふくむベトナム人民への支援を具体的に強化せざるをえなくなってきたのである。

 もちろん、わが党がくりかえし指摘してきたように、このことは、ソ連共産党指導部が従来の日和見主義、修正主義の路線を根本的に放棄したことを意味するものではない。事実、ベトナム人民への援助はソ連の国力や情勢の切迫した必要からみればまだ十分なものではないし、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対するその態度においても、なお種々の動揺性と不徹底さがふくまれている。さらに国際政治全般の分野では、たとえば「核拡散防止条約」をめぐる動向にも示されているように、従来どおりの対米追従路線を維持復活させようとする傾向も根づよく存在している。ソ連共産党指導部の反帝闘争の方向への「転換」を過大視して、これらの不徹底さや、日和見主義・修正主義路線の存続の危険を軽視することが誤りであることはもちろんである。

 しかし、こうした弱点や危険にもかかわらず、ソ連共産党指導部がベトナム問題でフルシチョフ時代の「不介入」政策をあらため、ベトナム人民の闘争への支援の方向に政策上の手直しをおこない、ベトナム民主共和国の4項目の主張と南ベトナム解放民族戦線の5項目の声明を支持しはじめたことが、ベトナム人民の闘争にとって、積極的意義をもつことは明白である。真にベトナム人民の勝利を願う反帝民主勢力にとっていま必要なことは、ソ連共産党指導部の二面的態度のなかにあるベトナム人民を支援するうえでの動揺や不徹底さをひきつづき批判し、国際共産主義運動とすべての社会主義国が、反帝民主勢力の先頭にたって、アメリカ帝国主義に反対する断固とした態度を一貫してとることを要求することであり、反帝国際統一戦線の結成と強化、ベトナム人民への国際的支援の強化のための闘争をいっそう強めることである。そして社会主義陣営からの援助が真に現在の力関係にふさわしい水準に高められ、1960年の声明の「社会主義陣営の団結した力は、個々の社会主義国を帝国主義反動の主権侵害から確実に守る保障である」という見地が具体化されるよう努力することである。ここに、ベトナム人民の闘争にたいする最大の政治的援助としての、国際統一行動、国際統一戦線のための闘争の一つの重要な意義がある。

 ところが、志田一派の教条主義者たちは、ソ連共産党指導部が、事態の発展と全世界人民の圧力のもとで、従来の「不介入」政策をつづけられなくなり、ある程度ベトナム人民の要請にこたえて具体的支援を強化した段階で、国際的支援のいっそうの強化を要求するのではなく、「そのような助けをかりても勝利するものではない」、そんなものはない方がよいなどと叫びだしたのである。志田一派のこの主張が、結局のところ、ソ連共産党指導部がフルシチョフ時代そのままの裏切り的政策をつづけて、ベトナム人民を支援しない状態を持続することの方をのぞみ、歓迎する立場にたつものであることは、明瞭であろう。志田一派の「革命的」方針とは、現実には、フルシチョフの日和見主義路線を裏がえしにしただけのものであり、ベトナム人民の闘争にたいする国際的支援の強化を求める、ベトナム人民と世界の反帝勢力の切実な要求に背をむけた立場にほかならないのである。

 さらに、志田一派のこの主張は、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する世界の反帝民主勢力の団結、世界各国人民の団結を妨害する点でも、フルシチョフらの修正主義路線とまったく同じ政治的役割を演じている。志田一派は、われわれは「裏切り者」であるソ連共産党指導都との統一行動に反対しているだけで、広範なソ連人民や、ソ連共産党員との統一戦線に反対しているのではない、世界の圧倒的多数の革命的人民を代表する「真の反米統一戦線」のためにたたかっているのだというかもしれない。だが、これは、一時のがれの逃げ口上にすぎない。ソ連共産党指導部が、今日におけるソ連共産党とソ連人民の公式の指導部である以上、これを、国際統一行動、統一戦線から機械的に排除するという方針をとるならば、ソ連共産党指導部が代表しているソ連共産党とソ連人民を反帝勢力の統一戦線にひきいれることができないのは、自明の理である。また、こうした方針が、同じ理由で、今日、現代修正主義の潮流の影響下におかれているすべての共産党・労働者党とすべての社会主義国家、その指導下のすべての平和、民主団体を国際統一行動、統一戦線から排除するという分裂主義的な立場にみちびかざるをえないことも明白である。

 しかも、ここでとくに重視しなければならないのは、志田一派のこうした主張が、世界人民の強い要求を背景に、フルシチョフ以来の分裂主義路線が、一定の後退を余儀なくされ、本年1月の3大陸人民連帯大会などをつうじて、ベトナム侵略に反対する国際統一行動と国際統一戦線が具体的に前進しはじめた段階で、いよいよ強くもちだされてきたことである。志田一派の立場は、反帝勢力の国際的団結を妨害したフルシチョフの分裂主義を裏がえしの形でひきついだものであり、結果的にもフルシチョフのそれと寸分ちがいのない役割を演ずるものである。

 このように、志田一派がベトナム問題で主張している「革命的」方針とは、二重の意味で、フルシチョフら現代修正主義の潮流の日和見主義、分裂主義の路線と事実上同じ結果におちいるものである。「帝国主義をおそれるな」「戦争をおそれるな」などというかれらの「革命的」スローガンは、アメリカ帝国主義のベトナム侵略が世界の反帝勢力のまえに提起している重大な課題 反帝民主勢力の団結した力による効果的な反撃、国際的支援の強化を回避する日和見主義、分裂主義を合理化するための革命的カラ文句にすぎない。

 そして、志田一派は、このような反人民的見地をおおっぴらに主張することによって、反修正主義闘争を口実にして事実上、反帝国際統一戦線に反対する議論が、結局、アメリカ帝国主義の侵略と戦争の政策をはげますだけの反人民的な分裂主義の立場に到達せざるをえないことを、実証してみせているのである。

 

 つぎに志田一派が、反帝国際統一戦線に反対し、ベトナム人民への国際的支援の強化に反対するその分裂主義を、なんとか理屈づけようとしてもちだしている、いくつかの論点を検討してみよう。つぎにみるように、これらはすべて、かれらの主張が、マルクス・レーニン主義にも、反帝闘争の実際の利益にも、まったく相反したものであることを、いっそう深く暴露している。

 

   1、レーニンの統一戦線政策の歪曲

 志田一派が、まず第一にもちだすのは、修正主義との闘争は「原則」問題であって、ここではいかなる妥協もありえず、修正主義との統一行動、統一戦線を主張することは、「レーニンの原則」をふみはずすものだという議論である。さきに引用した文章にも明らかなように、志田一派によれば、レーニンの統一戦線政策とは、社会民主主義政党および「敵陣営内」の「主敵以外の一部勢力」にたいしてだけ適用されるものであって、修正主義者にたいしては、適用することの許されないものであるらしい。しかしマルクス・レーニン主義の統一戦線戦術にたいする無知を、これほど露骨にさらけだした議論は、ちょっとみあたらないだろう。

 まず、レーニンが統一戦線の問題において、修正主義の潮流と社会民主主義政党のあいだに原則的区別をもうけていたなどという主張には、なんの根拠もない。この主張の誤りは、志田派が当時の修正主義の潮流の代表としてとりあつかい、レーニンが「断じて妥協しなかった」と強調している「第2インターの裏切り者」たちこそが、第1次世界大戦後の時期における社会民主主義の主勢力である(今日の社会民主主義政党はその後継者である)ことをみただけで、明白であろう。そして、レーニンは、コミンテルンの創設後も、情勢がこれを要求する場合にはコミンテルンがこの第2インターと統一行動、統一戦線の政策をとることを、けっして拒否しなかったのである。

 ところが、志田一派は、一方で、レーニンが社会民主主義政党にたいして「統一行動という戦術を行使」したことを認めながら、他方で、レーニンは第2インターの修正主義者とはいかなる行動の統一も拒否したなどと主張しているのである。かれらは、これによって、自分たちが、第2インターの修正主義者にたいするレーニンの闘争の実際の内容についてまったく無知なばかりか、第2インターが社会民主主義政党の国際組織であったという周知の事実さえもろくに知らないで、ただ自己の暴論を合理化するためにレーニンの第2インターとの闘争をうんぬんしているにすぎないことを、天下にさらけだしてしまったのである。

 いっそうこっけいなのは、志田一派が、修正主義的潮流との統一行動は、マルクス・レーニン主義の原則に反するものとして最大限の非難をあびせながら、「敵陣営内」の「主敵以外の一部勢力」、つまり主敵以外の敵と統一行動をとることを、正当な「マルクス主義的戦術」として支持していることである。

 もちろん、第2次世界大戦におけるソ連と米英帝国主義との一時的な連合や、その他の歴史的経験が具体的に示しているように、当面の主敵をたおすために、敵陣営内の矛盾や対立を利用することはマルクス・レーニン主義の統一戦線戦術の重要な要素の一つをなしている。しかし、このことを指摘することは、志田一派の反マルクス・レーニン主義的立場を合理化する根拠となるものではけっしてない。それは反対に、志田一派の議論の矛盾と破綻を、いっそう浮きぼりにしてみせるだけである。

 志田一派が主張しているように、主敵をたおすために、敵陣営内部の矛盾を利用することが、正しい「マルクス主義的戦術」だとしたら、同じ目的のために、帝国主義と修正主義的潮流の指導下の国家・党のあいだの矛盾を利用することが正しいマルクス主義的戦術であることは、なおのこと明白ではないだろうか。第2次大戦のさいに、世界人民の主敵であった日独伊の軍国主義とファシズムを打倒するために、米英帝国主義との一時的な同盟をもふくむ反ファシズム連合戦線の政策をとったことが正しかったとしたら、今日、世界人民の主敵であるアメリカ帝国主義のベトナム侵略をうちやぶるために、アメリカのベトナム侵略に反対しベトナム人民を支援する態度を表明しているすべての勢力を、国際統一戦線に結集する方針をとることが、マルクス・レーニン主義の統一戦線政策の正しい適用であることは、いっそう明らかではないか。

 それとも、志田一派は、ソ連共産党やその指導部は、アメリカ帝国主義とともに、反帝国際統一戦線の打撃を集中すべき世界人民の主敵だとでも主張するのだろうか。実際、そうでも主張しないかぎり、志田一派が、一方で敵陣営内部の矛盾の利用を「マルクス主義的戦術」として承認し、他方で、ソ連共産党指導部とのいかなる統一行動も「革命への裏切り」として非難するというその矛盾を、糊塗する道はないはずである。しかし、もし、そうだとしたら、それは、志田一派の立場を、いよいよばかげたものにするだけである。ソ連を単純に敵陣営に寝がえった裏切り者とみなす志田一派の議論については、あとでも検討するが、このように、社会主義陣営の一員であるソ連をアメリカ帝国主義と同列に世界人民の主敵としてとりあつかい、事実上反米反ソの国際統一戦線をとなえる「ソ連主敵論」にいたっては、その愚劣さは、くわしく検討するまでもなく明瞭だからである。

 このように、志田一派は、自分でもちだした「論拠」によって、その主張の足場を掘りくずすという、こっけいな立場に追いこまれてしまったのである。

 志田一派のこの議論のもっとも根本的な誤りは、修正主義者との統一行動を原則的に否定し、修正主義者にたいしてはつねに組織的に「一線を画す」ことが、「レーニンの原則」だという主張のうちにある。これは、レーニンの理論と活動について聞きかじりの知識しかもたないものだけが主張しうる、レーニン主義のでたらめきわまる歪曲である。

 わが党が『赤旗』

2月4日付および8月8日付の二つの論文で歴史的事実とレーニン自身の主張にもとづいてくわしく解明したように、レーニンは、内外の修正主義、日和見主義の潮流を克服する闘争の過程で、ある条件のもとでは、これらの潮流との統一行動、統一戦線の政策をとることを、けっしてこばまなかった。
 「レーニンは、一定の条件のもとでは、日和見主義、修正主義の潮流と組織上も一線を画することを主張した。だが、同時に、他の一定の条件のもとでは、とくに、日和見主義、修正主義の潮流の指導部がたとえ不徹底にもせよ、また欺まん的でさえあっても帝国主義や反動勢力との闘争を公然と主張して、まだその誤った路線の本質を明確に自覚していない広範な大衆に一定の影響力をもっており、労働者階級と人民の広範な部分が行動の統一をつよく求めている場合には、帝国主義や反動勢力との闘争において、日和見主義、修正主義の潮流をもふくむ行動の統一の必要を積極的に強調した。
 それはこうした統一行動、統一戦線の政策が、第一に、広範な労働者階級と人民を帝国主義と反動勢力にたいする闘争に結集することに役立ち、帝国主義と反動勢力に効果的な打撃を加えうるからである。第二に、日和見主義、修正主義の潮流の影響下にある労働者階級と人民が、自分自身の政治的経験を通じて帝国主義や反動勢力にたいしてだれが徹底してたたかい、だれが妥協するかを知り、日和見主義、修正主義の路線の誤りと害悪を理解して真に革命的な立場に移行するのを助けることに役立つからである。その際にも、レーニンが、思想上、政治上の批判と闘争をけっしてやめなかったことはいうまでもない」(「
ふたたびアメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線の強化について」、1966年8月8日付『赤旗』)

 さらに、レーニンは、この革命的二面政策が例外的な事態のもとでの特殊な戦術ではけっしてなく、むしろ革命の勝利を準備する「長期にわたる過程」で、日和見主義、修正主義の潮流を克服する闘争に広範に適用されるべき,マルクス・レーニン主義党の基本的な政策の一つであることを、明らかにした。そして、ただ日和見主義、修正主義の潮流の誤りや「裏切り」を暴露するだけで、それとのいかなる統一行動をも原則的に拒否しようとした「左翼」セクト主義者たちを、革命の事業をそこなうものとして、つよく批判した。

 「プロレタリアートの前衛としては、プロレタリアートの自覚した部分としては、すなわち共産党としては、迂回することが必要になり、プロレタリアのいろいろなグループ、労働者や小経営主のいろいろな党と協調し、妥協することが必要となり、それも無条件に必要となり、絶対に必要となるのである。すべての問題はプロレタリア的自覚、革命精神、闘争能力と勝利をかちとる能力の一般水準を引下げず、高めるために、この戦術を適用するすべを知ることである。……これは長期にわたる過程である。そして『どんな妥協もしない、どんな迂回政策もとらない』という性急な『決定』は、革命的プロレタリアートの影響を強め、彼らの勢力を増強する仕事に害をあたえるにすぎない」(レーニン「共産主義内の『左翼主義』小児病」、全集31巻、61〜62ページ)

 志田一派の反党教条主義者たちは、レーニンが批判した「左翼」セクト主義者たちの誤りをもっと極端な、裏切り的ともいうべき形でくりかえし、しかもそれを、恥知らずにも「レーニンの原則」という名のもとに主張しているのである。

 かれらは、そこで、「戦術」と「原則」の区別などをうんぬんしているが、これは、マルクス・レーニン主義の統一戦線「戦術」と反修正主義闘争の「原則」についてのかれらの一知半解ぶりを、もう一度暴露したものである。すでにくわしく明らかにしたように、統一戦線戦術におけるマルクス・レーニン主義の原則的見地とは、日和見主義、修正主義の潮流とのいっさいの統一行動をつねに拒否することにあるのではない。この原則的見地は、共産主義者が、必要な場合には、大衆の要求にこたえて、日和見主義、修正主義の潮流をふくむもっとも広範な統一行動、統一戦線のために努力すること、そしてこの努力を、日和見主義、修正主義に反対する思想上、政治上のたたかいと正しく結びつけることを要求しているのである。現代修正主義にたいする思想上、政治上の闘争を弱めることなく、同時に、人民の要求と期待にこたえて、反帝国際統一戦線の結成と強化のためにたたかっているわが党の方針は、「レーニンの原則」にもっとも合致した方針である。そして「修正主義者とはいかなる統一行動もありえない」などという命題を勝手につくりあげ、これをマルクス・レーニン主義の「原則」であるかのようにふりまわす志田一派の主張こそ、マルクス・レーニン主義の統一戦線戦術とまったく相反する原則的な誤りにほかならないのである。

 志田一派はまた、「修正主義者との統一行動はありえない」という主張の裏づけの一つとして、志賀一派の反党修正主義者の問題をもちだし、「日本における修正主義である志賀一派と、どうして公然と統一行動ができようか」(「政治メモ」)、それができないとすれば、ソ連の修正主義者と統一行動ができないのも当然ではないか、などといっている。しかし、反帝勢力の統一戦線をめざす闘争において、ソ連の人民と国家を公的に代表しているソ連共産党およびその指導部と、志賀一派のひとにぎりのわが党の裏切り者とを同列にあつかいえないことは、わが党がすでに

2月4日付の論文のなかで、疑問の余地なく明確に指摘したところである。それにもかかわらず、志田一派が、性こりもなく同じ議論をむしかえすのは、ただ、その理論的根拠のなさをおおいかくすために、手当り次第どんな口実でも利用しようとするかれらの卑劣なやり方を、示しているだけである。

 

   2、ソ連共産党指導部とアメリカ帝国主義の同一視

 志田一派が、修正主義者とのいっさいの統一行動を拒否するその反マルクス主義的主張をなんとか合理化しようとして、つぎにもちだすのは、ソ連共産党指導部は、「マルクス・レーニン主義の陣営から敵陣営に寝返りした裏切り者」であり、アメリカ帝国主義に対する闘争でこれと統一行動をとることは、「敵・味方のけじめを忘れることだ」という議論である。つまり、ソ連共産党指導部などは、基本的にアメリカ帝国主義の陣営に属し、世界人民の敵、反帝国際統一戦線の敵だというのである。

 これは、修正主義の思想的本質についてのマルクス主義的評価と、ひとつの政治的勢力としてのソ連共産党指導部の政治的役割の評価との区別と関連を正しく理解しえず、この両者を機械的に混同した議論で、反党教条主義者たちの理論的混乱を、もっとも端的に示したもののひとつである。

 統一行動とソ連共産党指導部の問題を、正しくマルクス・レーニン主義にもとづいて解決するためには、ソ連共産党指導部の実際の立場と行動、その内部の矛盾を、具体的な事実にもとづいて、具体的に分析することが必要なのである。ただ修正主義の思想的本質についての一般的な定義を抽象的にふりまわすだけで問題を解決しようとすることは、弁証法を形而上学におきかえることにほかならない。

 いうまでもなく、修正主義とは、「マルクス主義の内部にあってマルクス主義に敵対する潮流」(レーニン)である。フルシチョフ以来のソ連共産党指導部の修正主義、日和見主義、分裂主義の路線が、人民に敵対し、マルクス・レーニン主義に敵対し、客観的には帝国主義およびブルジョアジーとの「同盟」を表現するものであること、そして、これが、マルクス・レーニン主義者にとって、思想上、政治上の原則的な闘争によって徹底的に消滅させ、国際共産主義運動内から一掃すべき対象であることは、議論の余地がない。

 しかし、このように、現代修正主義が、闘争によって消滅させるべきマルクス・レーニン主義の敵対物であるということは、ソ連共産党やソ連共産党指導部そのものが、反帝国際統一戦線から無条件に排除されるべき世界人民の敵であるということを意味するものではない。わが党が

8月8日付論文でくわしく明らかにしたように、ソ連共産党指導部は、フルシチョフ以来、現代修正主義の国際的潮流の一つの中心をなしてきたが、それと同時に、ソ連共産党および社会主義陣営の一員であるソ連国家の公式の指導部である。したがって、その立場と行動は、日和見主義、修正主義の路線によって規定されると同時に、ソ連共産党およびソ連人民を代表するその客観的地位によっても規定される。すなわち事態の圧力のもとで、ソ連共産党指導部が、その修正主義路線と矛盾する反帝国主義的な立場や行動をとることも、おこりうるのであって、こうした可能性がまったくないと断定することは正しくない。実際、ソ連共産党指導部が、ベトナム人民と世界人民の闘争の圧力のもとで、帝国主義と反帝勢力との闘争の世界的な焦点であるベトナム問題において、アメリカ帝国主義に反対するベトナム人民の闘争を支持する態度をより明確にせざるをえなくなってきたという最近の事態は、こうした矛盾をきわめて明瞭にあらわしたものであった。

 この事実は今日の条件のもとでは、マルクス・レーニン主義を堅持する諸党が、人民大衆の要求と闘争に依拠し、正しい統一戦線政策をとって、ソ連など現代修正主義の潮流の指導下にある諸党や国家をもふくめて、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する国際統一行動を前進させ、アメリカ帝国主義に効果的な反撃をくわえる方針をとることが妥当であり、また可能であることをはっきり示している。

 この事実はまた、修正主義がマルクス主義の敵だということから、単純にソ連共産党指導部をアメリカ帝国主義の陣営に寝返りした裏切り者、世界人民の敵だと規定する志田一派の議論が、政治勢力としてのソ連共産党指導部についての具体的な分析をなんらおこなわず、とくにその内部の複雑な矛盾をみようとしない、形而上学的、反弁証法的議論であることを、具体的に実証したものである。

 ところが、志田一派は、ソ連共産党猪導部をアメリカ帝国主義と同列視する点で、もっとも極端なところまですすんでいる。すなわち「政治メモ」は、別の場所で、ソ連共産党指導部を、「完全にアメリカ帝国主義と連合」し、国内では資本主義を「大手をふるって復活」させ、核兵器を主要な武器として「米ソによる共同支配」を画策しているといって、非難している。つまり志田一派は、ソ連共産党指導部を、事実上アメリカ帝国主義と連合して全世界人民にたいする抑圧と支配をねらう侵略勢力として描き出しているのである。

 だが、わが党が一貫してこれまでおこなってきたように、ソ連共産党指導部の「米ソ協調」路線を、アメリカ帝国主義の侵略政策に降伏し、これを助長する日和見主義の路線として批判することと、志田一派がいまやっているように、これを「米ソ共同」による世界支配をねらうソ連自身の侵略的願望のあらわれとして非難することとは、けっして同じごとではない。このような非難は、つぎのような前提――ソ連が完全な変質をとげてすでに社会主義国ではなくなり、ソ連における修正主義の勢力がもはや社会主義国の内部の日和見主義の潮流から、世界支配、すなわち他民族の抑圧と支配を画策する一種の侵略勢力に変ぼうしてしまったという前提――を承認しないかぎり、到底なりたちえないものである。この議論は、結局のところ、その指導部が現代修正主義の勢力であるという理由で、社会主義と帝国主義を事実上同列視することに帰着するが、これは修正主義の階級的本質を労働運動内部の小ブルジョア的潮流とみなすマルクス・レーニン主義の理論にも、ソ連社会の客観的現実にも反するものである。

 もちろん、ソ連は、10月革命後約50年たったとはいえ、大局的には今なお資本主義社会から共産主義社会への過渡期にある。そして今日のソ連で、特権的な高級官僚や高所得層の存在、農業などにおける小商品生産の存続、各種のブルジョア・イデオロギーの浸透など、社会生活の多くの分野にブルジョア的、小ブルジョア的諸要素が残存しており、それが現代修正主義の潮流の誤った政策のもとでその影響範囲を拡大し、またあらたに発生しつつあることは、否定することのできない明白な事実である。また、プロレタリア国際主義に反する大国主義の傾向がソ連共産党指導部の政策と行動に根ぶかくあり、それが共産党・労働者党間および社会主義諸国間の独立、平等の関係を侵害してきたことも、かくれもない事実である。したがって、今日のソ連の社会主義建設の複雑な事態をみず、すべてを共産主義への移行をめざす順調な発展として美化して、資本主義復活の危険やその傾向の現実化あるいは大国主義の有害な傾向を否定することは、大きな誤りである。だが、同時に、ソ連における資本主義復活の傾向を過大に評価して、ソ連社会ではすでに純然たる資本主義的諸関係が支配的になり、10月革命後、長期にわたる社会主義建設の過程をつうじて確立された工業、農業における社会主義的生産関係が、すでに基本的に国家資本主義の生産関係に変質してしまい、ソ連が基本的に社会主義国から独占資本主義国に変質してしまったと考えたり、あるいはソ連における大国主義を帝国主義の侵略性と同一視して、ソ連の支配勢力はアメリカ帝国主義と同じような侵略勢力に転化してしまったなどと主張したりすることも、事実に即さないものであり、他の極端な主観主義的な誤りをおかすものといわなければならない。

 反党教条主義者たちは、ソ連共産党指導部を反帝国際統一戦線の敵とするその理論を合理化するために、現代修正主義にたいする正当な非難を、「赤色帝国主義」についての反動勢力の反共宣伝や、「スターリン官僚主義国家」なるものについてのトロツキズムの言いふるされた主張と同じ水準のものにおきかえるところまで、つきすすんでしまったのである。

 かつてレーニンは「どんな真理もそれを『極端なもの』にし、それを誇張するならば、不条理に転化する」(「共産主義内の『左翼主義』小児病」)と語ったことがある。修正主義批判を名としてソ連共産党指導都をアメリカ帝国主義と同列視し、その内部の矛盾をみないで単純に世界人民の敵と規定する志田一派の議論は、もっとも典型的な実例である。すなわち、かれちは、現代修正主義にたいするマルクス・レーニン主義的批判を、極端な誇張によって反マルクス主義的不条理に転化させてしまったのである。

 

   3、ベトナム人民の闘争からの背反

 志田一派の最後の「論拠」は、「現代修正主義の助け」をかりてもベトナム人民の勝利にはなんら役だたない、つまり、ソ連など修正主義指導部のもとにある国や人民からの援助は、真の勝利を妨害するだけだという主張である。これもまた、ベトナムでの闘争の現実を無視した、まったく事実にも道理にも反する議論である。

 第一に、武器援助をふくむソ連からの援助が、その他の社会主義国からの援助とともに、ベトナム人民の抗米救国闘争の戦力の一部となり、アメリカ帝国主義の侵略とたたかううえで一定の有効な役割を果たしていることは、ベトナム人民自身がみとめている事実である。

 もちろん、この事実を指摘したからといって、われわれがソ連などの援助の現状に無条件に満足するものでないことは、いうまでもない。今日、ソ連をふくむ社会主義陣営は、政治的にアメリカ帝国主義にたいしてより断固たる措置をとり、ベトナム人民への支援を全面的に強化することによって、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に重大な反撃をくわえ、侵略の段階的な拡大を効果的に阻止するだけの政治的、軍事的な潜在勢力をもっている。だが、日和見主義、修正主義の路線の影響や社会主義陣営の不団結などのために、個々にはベトナム人民支援に全力をあげている社会主義国があるにもかかわらず、全体としては、その力がきわめて不十分にしか発揮されていない。このことこそ、これまでわが党が一貫して強調してきたことであり、ここにこそ今日のベトナムにおける事態のもっとも重要な問題点のひとつがある。

 こうした状況のもとで、ベトナム人民の勝利を保障するために、世界の反帝民主勢力にとって、なにが当面の緊急の任務となっているかは、明白である。それは、世界の反帝勢力のベトナム人民にたいする国際的支援の飛躍的な強化のために、また社会主義陣営の政治的、軍事的な潜勢力を現実に全面的に発揮させるために奮闘することであり、またそのためにも、反帝国際統一戦線の結成と強化、その中心部隊である国際共産主義運動と社会主義陣営の行動の統一の実現のために努力することである。

 もし、志田一派らの「主張」が本当にベトナム人民の勝利を願い、その見地からソ連などの援助の現状を、これではベトナム人民の勝利に役だたないものとして非難しているのだったら、当然、ベトナム人民にたいする援助を、より役だつものに拡大、強化することをこそ、要求すべきである。ところが、志田一派は、社会主義陣営がその潜勢力を発揮してアメリカ帝国主義に効果的な打撃をあたえる方向を追求するのでなく、逆に、ソ連などの援助はない方がよいとして、かえって国際的支援を事実上弱めることを主張するという立場をとっているのである。これが、ベトナム人民の「本当の勝利」を願う方針などではなく、ベトナム人民の抗米救国の闘争に水をかけ、その戦力を弱体化させる反人民的な方針であることは、すでに議論の余地はないであろう。

 第二に、志田一派の反党文書は、「修正主義者の助け」をかりて勝利したとしても、それは「次の敗北の芽」をはらんだ「一時的な」「ニセの勝利」にすぎないと主張しているが、この主張は、なにを意味するのだろうか。おそらく、かれらがここで言おうとしているのは、修正主義者と統一行動をくみ、その援助をうけいれれば結局、その対米追従路線にひきこまれ、アメリカ帝国主義によるベトナム人民の主権侵害(たとえば南ベトナム占領の継続など)を許すような、ニセの「平和解決」をおしつけられてしまう、ということであろう。

 この主張の根拠にあるのは、明らかに、現代修正主義者を統一行動にくわえたら、かならず主導権を修正主義者ににぎられ、その日和見主義路線をうけいれざるをえなくなると思いこんでいる敗北主義的見地――口先で「反修正主義闘争」をしきりに呼号するが、国際的な共同行動の舞台で、現代修正主義の潮流を思想的、政治的に打ち破り、孤立させていく自信をもてない敗北主義の見地である。

 しかし、こうした敗北主義的見地の誤りは、ここ数年来の国際的な経験にてらしてもすでに明らかである。すでに国際共産主義運動の内部での論争や国際民主運動の舞台での論争をつうじて、現代修正主義の潮流の日和見主義路線の誤りと破たんは明確になり、修正主義者たちは、多くの分野で主導権をとるどころか、しばしば、政治的、理論的な後退を余儀なくされている。たとえば、われわれは、国際民主運動の分野で、自覚的な民主勢力の奮闘によって、対米追随の日和見主義的路線をおしつけようとする右翼的潮流の抵抗や動揺を克服し、ベトナム人民の闘争を支持する決議をはじめ、反帝、民族解放、平和の事業に貢献しうる積極的な方針をかちとり、反帝民主勢力の国際統一行動を前進させた一連の経験をもっている(昨年7月のヘルシンキ平和大会、本年1月のハバナでの3大陸人民連帯大会など)。しかも今日、ベトナム問題をめぐる情勢の現実の展開は、現代修正主義の潮流の日和見主義路線、とくにその対米追随路線の理論的、政治的な破たんをますます明確にしている。そうした情勢のもとで、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対し、ベトナム人民の基本的要求――ベトナム民主共和国の4項目の主張と南ベトナム解放民族戦線の5項目の声明――を支持する明確な共同綱領のもとに、国際統一行動と国際統一戦線がさらに強化されるならば、それが、ベトナム人民に対米追従路線をおしつける現代修正主義者の道具などに簡単になりうるものでないことは明白である。反対に、それは、現代修正主義の潮流の影響下にある大衆をも反帝闘争にいっそう広範に動員し、参加させる手段となると同時に、ソ連共産党指導部などがアメリカ帝国主義者に反対しベトナム人民を支持する立場をより明確にとることを余儀なくさせる手段ともなることは明らかである。こうして、反帝国際統一行動と統一戦線の前進が、一貫して帝国主義との闘争の方針を堅持するマルクス・レーニン主義的潮流の立場を強め、対米追従路線の理論的、政治的な破綻をいっそう深める結果をもたらすことは疑いない。

 そしてもし、現代修正主義の潮流がこの統一戦線に対米追従路線や無原則的な「平和解決」論をおしつけようとした場合には、ベトナム人民も、統一戦線に参加している世界の自覚的な反帝勢力も、これを批判する当然の権利を断固として行使し、けっしてこのような策謀の成功を許さないようたたかうであろう。また、現代修正主義の潮流が、ベトナム人民の正義の闘争を裏切るような政策をあえて強行するならば、それはかならず、かれらが世界人民からいよいよ見はなされ、その孤立化と破綻を深める結果にみちびかれざるをえないであろう。志田一派のように、この統一行動、統一戦線がかならず、現代修正主義の潮流の道具となると主張することは、世界の反帝勢力、とくにベトナム人民を、一定の援助を代償としてベトナム人民の根本的利益を裏切るような「平和解決」でも甘んじてうけいれる受動的な勢力として描き出すことである。これは、アメリカ帝国主義と英雄的にたたかっているベトナム人民にたいする、このうえない不信と侮べつを表明したものにほかならない。

 以上、志田一派が、国際統一戦線に反対するためにもちだした主な議論をみてきた。結局、かれらの議論をつらぬいているのは、現代修正主義への反対を口実に、マルクス・レーニン主義の理論と実践に反してアメリカ帝国主義に反対する効果的な闘争を事実上放棄し、妨げるばかりか、国際共産主義運動と社会主義陣営、反帝民主勢力の分裂を合理化し、拡大しようとする危険な分裂主義の路線である。かれらが、どんなに「革命的」言辞をもてあそんでその立場を粉飾しようとしても、これが、反帝勢力の分裂を打算しつつ、その侵略政策をおしすすめているアメリカ帝国主義の策謀に対応したものでしかないことは、きわめて明白だといわなければならない。

  

三、反党撹乱活動を合理化するための事大主義

 

 反帝国際統一戦線についてのわが党の見解に、以上にみたように支離滅裂な「批判」をくわえたのち、この反党文書が、つづいてその「批判」のほこ先をむけるのは、わが党の自主独立の立場にたいしてである。

 志田一派は、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづくわが党の自主独立の立場を「それはプロレタリア国際主義を完全に忘れた正真正銘のプチブル的利己主義、改良主義そのものである」(「政治メモ」)などと口ぎたなく非難している。そして特定の外国の党への盲従を原則とし、その党の旗のもとへの結集を主張するという、まったく自主性を欠いたあからさまな事大主義、大国追従主義の立場を公然とおしだしている。たとえば、かれらは、もし修正主義に反対しているなら、外国の特定の党の「派」に属することを「宣言」すべきだとさえ主張している。

 「国際共産主義運動内における、マルクス・レーニン主義と修正主義との闘争、しかもモスクワが修正主義に支配され、北京がマルクス・レーニン主義の立場に立っているとき、そのいずれでもないなどという立場があるだろうか。そのいずれでもないなどというのはごまかしであって、そのごまかしこそ修正主義そのものか、あるいは日和見主義そのものである」(「政治メモ」)

 もちろん、マルクス・レーニン主義と現代修正主義とのあいだに、いかなる「中立」的立場もありえないことは、いうまでもない。しかし、どうして、この争う余地のない真理から、マルクス・レーニン主義の立場をつらぬくためには、外国の特定の党に追従し、その「派」であることを宣言しなければならないという結論がでてくるのだろうか。このような結論をひきだせるのは、明らかに、特定の外国の党を無条件にマルクス・レーニン主義の代表者として崇拝し、いつでもその党の路線を支持することだけがマルクス・レーニン主義の立場に立つことであると思いこんでいる救いがたい事大主義者、現代教条主義者だけである。

 マルクス・レーニン主義は、いかなる党の専有物でもありえない。各国の共産党が、自国の革命運動や国際共産主義運動の諸問題にたいする党の政策、方針、態度をマルクス・レーニン主義にもとづき、また共通の綱領的文書である宣言と声明の革命的原則にもとづいて自主的に決定するということは、宣言と声明にも明記されている今日の国際共産主義運動の当然の原則である。それは、志田一派が主張しているように、プロレタリア国際主義の原則と対置されるべきものでもなく、せまい民族的利益を代弁する「プチブル的利己主義」でもない。それは、プロレタリア国際主義にもとづく各国共産党の真の同志的団結を保障するための、欠くことのできない基本的な前提である。

 今日の国際共産主義運動の発展の条件、国際的団結の具体的な姿は、第2次世界大戦前のコミンテルンが存在していた時代とは、大きく異なっている。コミンテルンは、1943年に解散したが、それは、コミンテルンの24年間の歴史をつうじて、各国共産党が全体として、政治的にも組織的にも成長し、民主的な中央集権制にもとづく国際的指導部の存在が、革命運動の前進の必要と合致しなくなったためであった。そして、国際共産主義運動の新しい発展段階では、共産主義運動の国際的団結の形態も変化した。すなわち、以前のように、各国共産党が統一的な国際組織に結集するという形態をとるのではなく、各国の党がそれぞれの国の革命運動にたいして自主的な責任をおい、自国の革命運動の勝利のために奮闘することによって、世界の平和、民主主義、社会主義の事業にたいする国際的な責務をはたすこと、また、たがいに他党の独立、平等の権利を尊重しつつ、相互に支持しあい、国際共産主義運動の団結の強化と前進のために奮闘することが、新しい国際的団結の原則となった。1960年の声明の次の規定は、国際共産主義運動の今日の段階における国際的団結の諸問題について、明確な規定をあたえ、これを各国の共産党・労働者党がともに厳守すべき共通の原則として、定式化したものである。

 「帝国主義反動が勢力を結集して共産主義との闘争をおこなっている状況のもとでは、全力をつくして世界共産主義運動を団結させることがとくに必要である」
 「共産主義運動の利益は、兄弟諸党の会議で共同でつくりあげた反帝、平和、民主主義、社会主義のための闘争の共通の課題にかんする評価と結論を各国共産党が連帯して守ることを要求している」
 「すべてのマルクス・レーニン主義党は、独立した平等な党であり、各国の具体的情勢に応じ、マルクス・レーニン主義の諸原則にしたがってそれぞれの政策をたてており、しかもたがいに支持しあっている。それぞれの国の労働者階級の事業を成功させるためには、すべてのマルクス・レーニン主義党の国際的連帯が必要である。それぞれの党は自国の労働者階級と勤労者にたいして、国際的労働運動と共産主義運動全体にたいして責任をもっている。
 各国の共産党と労働者党は必要に応じて会議を開き、緊急な諸問題を討議し、経験を交換し、互いの見解と立場をのべあい、相談によって見解を統一し、共通の目的をめざすたたかいにおける共同行動を協定していく」

 声明のこれらの規定にも示されているように、国際共産主義運動の団結と各国共産党の独立、平等の党としての自主性とが統一されているところに、「今日のプロレタリア国際主義の新しい姿」(宮本顕治「わが党の革命的伝統と現在の進路」『現代の課題と日本共産党』上巻、27ページ)がある。

 マルクス・レーニン主義党が、この自主独立の態度を堅持するということは、現代修正主義などによるマルクス,・レーニン主義の歪曲にたいして中立的、傍観的な態度をとるとか、あるいは国際共産主義運動の団結と強化のための闘争を回避する受動的な態度におちいることを意味するものでないこともまた、明白である。それは、現代修正主義をはじめあらゆる日和見主義的逸脱や歪曲からマルクス・レーニン主義の純潔を守る闘争を、あれこれの外国の党に追従する立場からではなく、自国の革命運動と国際共産主義運動にたいする自主的な責任において、もっとも原則的におしすすめるということである。そして現代修正主義に反対し、教条主義、セクト主義に反対して一貫してたたかってきたわが党の闘争の実際が具体的に示しているように、この自主独立の立場を堅持することこそが、自国の労働者階級と勤労人民に全責任をおって自主的に自国の革命運動を推進する道であり、同時に、独立と平和の基礎のうえに、国際共産主義運動のマルクス・レーニン主義的強化とより高い政治的団結にもっとも正しく貢献する道なのである。

 わが党の自主独立の立場にたいする志田一派の口ぎたない非難は、かれらが、フルシチョフ修正主義に盲従した志賀ら反党修正主義者とまったく同様に、大国主義の裏がえしとしての事大主義――外国の党の主張や見解を絶対化し、その路線に無批判に盲従しようとする事大主義に骨の髄までおかされた典型的な現代教条主義者であり、さらには、こうして外国の党に忠誠をちかうことによって、国際的に、裏切りと変節の反革命的経歴にみちたかれらを売りこみ、そこに反党活動の前途を見いだそうとする恥すべき投機主義分子であることを、暴露したものにほかならない。

 

 志田一派の反党教条主義者たちは、この事大主義の路線をプロレタリア国際主義の路線にみせかけようとして、ここでもまたいろいろな「論拠」をもちだしている。

 1 志田一派が、「自主独立の立場」に反対する第一の論拠として主張するのは、「かつて日本共産党の創立者たちがデマや迫害にも屈せず、レーニンの祖国ソ連との団結を守ったように」今日でも、特定の社会主義国とその国の党を「マルクス・レーニン主義の旗」の守り手として擁護し、その主張、立場を支持することのうちにこそ、「プロレタリア国際主義の生きた実践」がある(「政治メモ」)という議論である。

 この議論の根底に、二つの異なる問題をすりかえた論理のごまかしがあることは、容易にみてとることができよう。

 帝国主義者や反動勢力の侵略から社会主義国家を擁護することが、プロレタリア国際主義にもとづく共産主義者の国際的責務の重要な一つをなすということは、争う余地のない真理である。日本共産党は、戦前、天皇制の残忍な迫害のもとでも断固として「ソビエト連邦および中国革命の擁護」(32年テーゼ)の立場を守り、日本帝国主義のロシア革命と中国革命への干渉戦争に反対してたたかいつづけたし、戦後も、社会主義陣営、とくにアジアの社会主義諸国にたいする帝国主義と反動派の侵略戦争およびその陰謀に反対して、たたかってきた。

 そしていま、わが党は、社会主義陣営の南前哨――ベトナム民主共和国にたいするアメリカ帝国主義の侵略戦争を、社会主義陣営への正面からの侵略、アジアと世界の平和にたいする凶暴な挑発として重視し、ベトナム侵略に反対する日本人民の闘争の発展のために全力をあげるとともに、国際統一行動と統一戦線の結成と強化のためにあらゆる努力をかたむけている。またアメリカ帝国主義のアジア侵略政策のなかで重要な役割をはたしている「中国封じこめ」政策に断固として反対し、米日反動勢力の中国敵視政策とたたかい、日中国交回復を要求してたたかっている。

 しかし、帝国主義侵略者の攻撃にたいして社会主義諸国を「擁護する」こと、あるいは、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづいて、社会主義国の党および人民と正しく団結することと、特定の社会主義国を今日のマルクス・レーニン主義の世界的な中心とみとめ、いかなる場合でもその国の党の主張やその指導者の思想を無条件に「擁護する」立場にたつこと、つまり、特定の社会主義国の党の主張に無条件に追従することと――この二つは、明らかにまったく別個のことがらである。前者は、すべての共産主義者の堅持すべき国際主義的立場をあらわしているが、後者はプロレタリア国際主義とはなんの共通点もない、卑屈な事大主義の立場である。志田一派は、論理のごまかしによって、国際主義を事大主義にすりかえようとしているのである。

 しかも、ここでとくに強調する必要があるのは、もし、わが党が、志田一派の主張するような事大主義的態度にすこしでもおちいるならば、社会主義国にたいする帝国主義者の侵略戦争やそのたくらみに反対するという国際的責務を正しくはたすことができないという点である。

 わが党がその国際的責務をはたすということは、なによりもまず、日本人民の独立、平和の闘争を正しく発展させ、強大な反帝、反独占の民族民主統一戦線をおしすすめ、米日反動勢力の侵略と戦争の陰謀にたいし、そのもっとも重要な拠点である日本で効果的な打撃をくわえることであり、さらには、当面の急務となっている反帝国際統一行動と統一戦線の強化のための努力をはじめ、国際的な反帝闘争の前進のために積極的に奮闘することである。そのときに、もしわが党が、自主独立の立場を見失い、外国の党に無批判的に追従する事大主義におちいって、日本の実情にあわない誤った方針をとったり、国際反帝統一戦線のための努力を弱めたりしたならば、それは日本人民の解放闘争に損害をあたえるだけでなく、国際的な闘争の前進に積極的に貢献する道をみずからとざす結果とならざるをえない。これはまさに、わが党がおっている国際的責務をみずから裏切る道にたつことにほかならないものである。

  志田一派が、その事大主義の論拠として第二にもちだすのは、国際共産主義運動には、いつの時代でも「国際的団結の中心部」がかならず存在する、という議論である。

 志田一派は、「共産主義者はいつの時代でも、形式や方式は違っても常に国際的に堅く団結してきたのではなかったのか。そして一国における革命運動の指導的中心が必要だったように、国際的にも常に団結の中心部が存在してきたのである。そしてこの国際的団結の中心部は、人為的につくられたのではなく、階級闘争の歴史的・客観的発展の帰結として形成されたのだった。それは1864年からはマルクスの指導した第1インタナショナルであったし、1919年からはレーニンの指導した第3インタナショナルであった。そして第2次世界戦争後は、スターリンの指導するソビエト連邦とコミンフォルムだった」と書いている。そして今日では、特定の社会主義国とその国の党を中心にしたマルクス・レーニン主義党の集団こそ、今日における「国際的団結の中心部」の役割をはたしている、だからこの党の旗のもとに結集することが、今日における「国際主義」の具体的なあり方なのだと主張している。

 「政治メモ」の筆者たちは、ここで、国際共産主義運動の100年の歴史を展開してみせ、それによってある特定の外国の党の旗のもとへの結集というかれらの「国際主義」の正しさを証明したつもりになっているらしい。だが、実際には、ここで証明されているのは、国際共産主義運動の歴史と現状にたいするかれらの無知、無理解だけである。

 志田一派のこの議論の第一の根本的な誤りは、かれらが、過去の時期における共産主義運動の国際組織の役割をひきあいにだすことによって、特定の一国の党を、国際的な「指導的中心」にまつりあげる事大主義の根拠にしようとしていることにある。これもまた、志田一派の得意の、論点のすりかえによる奇弁である。

 かれらは、国際共産主義運動には、いつの時代でも「国際的団結の中心部」が存在するとして、その証拠に、まず、第1インタナショナルと第3インタナショナル(コミンテルン)の二つの先例をあげているが、これらの組織は、どちらも、それぞれの時代における社会主義運動あるいは共産主義運動の統一的な国際組織である。そして、たとえば、コミンテルンの場合には、各国の党は支部としてこれに加盟し、国際共産主義運動全体が、民主集中制の原則にもとづき、いわば「単一の世界党」として組織されていた。このような統一的、中央集権的な国際組織が存在していたときに、これらの国際組織やその指導機関が、世界の革命運動の「指導的中心」となり「国際的団結の中心部」となっためは、当然である。

 しかし、このような歴史的事実をふりかえることは、現在、特定の外国の党の旗のもとへの結集という志田一派の事大主義的立場の合理化に役だつものではまったくなく、逆に、その誤りの証明に役だつだけである。なぜなら、第1インタナショナル以来の国際共産主義運動の歴史が教えているのは、まさに過去においても、「国際的団結の中心部」の役割をはたしえたのは統一的な国際組織とその指導機関であって、自国の革命運動においてどのように偉大な成果をおさめた党であろうと、特定の一国の党が「国際的団結の中心」となることはできないということだからである。

 もちろん、マルクスやレーニンもみとめていたように、世界の革命運動は国ごとにきわめて不均等に発展するものであり、それぞれの歴史的時期に、あれこれの国の革命運動が世界的規模からみて、階級闘争の最前線にたち、先進的な役割をはたすことは当然ありうることである。しかし、かりにあれこれの特定の党が国際革命運動のなかで先進的な役割をはたしている場合でも、そのことを認めることと、その党を「国際的団結の中心部」とみなし、その党の旗のもとへの結集を主張することは、まったく別個のことがらである。しかも、国際共産主義運動が大きな発展をとげ、真に世界的な勢力となっている今日、そのなかの特定の一つの党だけが、先進的な役割をはたしているとすることは、それ自体、なんの科学的根拠もない主張である。まして、特定の社会主義国やその国の党を、国際的な革命運動、共産主義運動が無条件に結集すべき「指導的中心」とみなしたりすることは、まったく弁護の余地のない事大主義的見地にほかならない。たとえば、ベトナム人民が、現在、アメリカ帝国主義に反対する国際的な闘争の最前線にたって、世界の反帝勢力のなかで先進的な役割をはたしていることは、だれも否定していない事実である。だが、いったいベトナムの党と人民が、そのことを理由にして自分を 「国際的団結の中心部」とみなすことを要求しているだろうか。そして世界の反帝勢力が、そういうことを主張しているだろうか。答えはもちろん否である。志田一派の見解の誤りを証明するには、このことを指摘するだけで十分であろう。

 志田一派は、ただその反党、反革命の徒党としての活動を合理化するために、このような事大主義の主張を投機的にふりまわしているのである。

 志田一派の議論の第二の根本的な誤りは、コミンテルン解散後、共産主義運動の国際的団結の形態が大きく変化したことをなにひとつ理解しえず、第1インタナショナルやコミンテルンの時代と、今日の時代とを単純に同一視しているところにある。

 すでにのべたように、1943年にコミンテルンが解散して以後、国際共産主義運動には、コミンテルンのような統一的、中央集権的な国際組織や国際的な指導機関は存在していない。このことは、共産主義運動には、もはや以前のような「国際的団結の中心部」が存在しなくなったことを意味している。今日では、共産主義運動の国際的団結は、統一的な国際組織への結集という形態においてではなく、「共通の目的をめざすたたかい」での「共同闘争」や「兄弟諸党の会議で共同でつくりあげた……評価と結論を各国共産党が連帯して守る」(声明)ことなど、各国共産党の独立、平等、自主を基礎にした新しい形態において実現されなければならない。ここに、ほかならぬ今日の国際共産主義運動のもっとも重要な特徴の一つがある。

 志田一派は、このことをみることができず、「国際的団結の中心部」なるものの存在が、コミンテルン解散後もかわらない国際共産主義運動の不変の「原則」であるかのようにみせかけようとして、第2次大戦後のコミンフォルム(ヨーロッパ諸国共産党・労働者党情報局)の活動をもちだしている。だが、これは誤りのうえに誤りをかさねただけである。なぜなら、コミンフォルムは、ヨーロッパの若干の国の党だけで構成された情報交換のための組織であって、コミンテルンのような、国際共産主義運動全体を包括し、これを指導する任務をもった統一的な国際組織ではなかったからである。また、その後、これに参加した諸党自身がこのように限定された構成と内容をもったものとしても、この種の国際組織の存在が今日の「新しい条件に適合しない」ものとなったことを確認して、その解散を決定した(1956年4月)ものだからである。そして、1957年の宣言と1960年の声明は、コミンフォルムの活動の経験もふくめて、第2次大戦後の国際共産主義運動の歴史的経験にもとづき、各国共産党の独立、平等、自主の原則を、今日の国際共産主義運動の団結を保障する前提的な原則として定式化したのである。志田一派のように自主独立の原則を否定して、「国際的団結の中心部」の「再建」を問題にすることは、各国共産党・労働者党が一致して確認した諸原則に挑戦し、歴史の前進を逆行させようとする、こっけいな時代錯誤にすぎない。

 今日、国際共産主義運動には、いかなる意味でも指導する党と指導される党との区別はなく、すべての党が「独立した平等な党」として自国の革命運動と国際共産主義運動全体に自主的に責任をおっているのであって、いかなる特権的地位をもった党も、「指導的中心」としての特別の国際的責務をおう党も、ありえない。このことは、わが党も、朝鮮労働党との共同声明やルーマニア共産党との共同コミュニケにおいて、一致して力づよく確認したところであり、国際的な共通の原則として確立された試練ずみの原則である。すでにフルシチョフ以来のソ連共産党指導部の大国主義の路線とその諸結果が疑問の余地なく示しているように、どのような党であろうと、この原則を無視して、自分を国際共産主義運動の「指導的中心」になぞらえたり、あるいは自分を国際共産主義運動のうえにおいて、他の兄弟党の独立、平等の権利を尊重しない態度をとるならば、それはかならず国際共産主義運動の正しい発展をそこない、世界の革命運動全体の利益に反する重大な誤りをおかすこととならざるをえないのである。

  最後に、志田一派が、その事大主義の決定的論拠として主張するのは、特定の外国の党の路線やその指導者の思想を、「現在におけるマルクス・レーニン主義の最高峰」として絶対化し、公然とその「赤旗をかかげる」かどうかこそが、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義に忠実であるかどうかの試金石であり革命的立場と日和見主義的立場をわかつ分水嶺であるという議論である。

 「特定の一国の党」を「国際的団結の中心部」にしろというさきの議論が、外国の党への組織的従属を要求する組織上の事大主義をあらわすものであったとしたら、他国の党の主張やその指導者の思想を絶対化してその旗を「高くかかげる」ことを主張するこの議論は、外国の党への思想的従属を要求する思想上の事大主義、現代教条主義をもっとも露骨な形であらわしたものである。

 各国共産党の独立、平等、自主は、たんに党と党のあいだの組織的関係だけを律する原則ではない。1960年の声明は、各国共産党は、マルクス・レーニン主義の諸原則を、各国の具体的な歴史的情勢に応じて適用し、その政策と戦術をたて、そのことによって、「マルクス・レーニン主義の偉大な学説の発展にそれぞれ貢献」する、また、必要な場合には独立、平等の基礎のうえにひらかれる各国共産党代表者会議などをつうじて、「意見と経験をたがいに交換し、集団の力でマルクス・レーニン主義の理論をいっそう豊かにし、共通の目的をめざすたたかいにおける統一された立場をつくりあげる」とのべている。これは、マルクス・レーニン主義を適用し、発展させる面においても、各国共産党が独立で平等だということを、あらわしたものである。どのような党であろうと、そのうちのある一国の党をとりだして、その党の見解や方針をもって現代のマルクス・レーニン主義を代表するものとみなしたり、世界革命の指導理論にまつりあげたりすること、あるいはそれを無条件に支持するかどうかをもって革命的立場と日和見主義的立場のわかれ道としたりすることは許されない。

 われわれは現在、マルクス・レーニン主義を「行動の指針」(党規約)とし、党の活動全体の理論的基礎、前提として擁護している。それは、マルクス・レーニン主義が、それまでの人類の先進的思想、とくに「哲学、経済学、社会主義のもっとも偉大な代表者たちの学説」(レーニン)を正しく継承してつくりあげられた、もっとも首尾一貫した、全一的で科学的な世界観であり、マルクス以来1世紀をこえる世界史の発展そのものによって、またレーニン以後半世紀をこえる全世界的な革命運動の鉄火の試練をつうじて、その普遍的意義を十分に証明された、試練ずみの革命的学説だからである。

 もちろん、マルクス・レーニン主義の学説は、レーニン以後も、国際革命運動の前進と発展の経験、一連の国ぐにでの社会主義革命の勝利の経験の総括にもとづき、また各国のマルクス・レーニン主義党の、独自のあるいは集団的な努力をつうじて、いっそう豊かにされ、新たな発展をかちとってきた。しかし、各国の党の理論や方針は、それがその国の革命運動の指導理論としてどんなに大きな成功をおさめたものであっても、それをマルクス、エンゲルス、レーニンの学説と同じような意味で、国際革命運動の経験全体を総括した世界革命の指導理論だとか、あらゆる国にあてはまる社会主義革命の普遍的真理だとかみなすわけにはゆかない。かつて、レーニンは、国際的な革命運動の経験を摂取することの重要な意義を力説しつつ、革命運動がどんなに偉大な成果をおさめた国でも一国の運動の経験にはかならずあれこれの一面性や弱点がふくまれていると指摘し、外国の経験や理論を無批判的にうけいれる事大主義におちいることを強くいましめた。これらのレーニンの指摘は、今日われわれが、外国の党の理論や経験を研究する場合、けっして忘れてはならない重要な教訓である。

 「プロレタリアートの国際的な革命運動は、さまざまな国ぐにで均等に、おなじ形をとって進むものではなく、また進むはずもない。あらゆる活動部面でのあらゆる可能性は、種々の国の労働者の階級闘争の総和としてしか、完全に、全面的に利用されるものではない。それぞれの国は、自己の貴重な独創的な特徴を共同の流れのなかにもちこむが、しかし個々の国では、運動はなんらかの一面性、個々の社会主義政党のなんらかの理論上または実践上の欠陥をもっている」(レーニン「世界政治における可燃材料」、全集15巻、172ページ)
 「社会民主主義運動(今日の共産主義運動にあたる――引用者)は、その本質そのものからして国際的である。これは、われわれが民族的排外主義とたたかわなければならないことを意味するだけではない。これは、若い国にいまはじまりつつある運動は他の国ぐにの経験を摂取してはじめて成功できるということを意味する。しかし、このように摂取するためには、たんにこの経験に通じていたり、たんに最近の諸決議を書きうつすだけでは、たりない。そのためには、この経験を批判的に取りあつかい、それを自主的に検討する能力が必要である」(レーニン「なにをなすべきか」、全集5巻、389ページ)

 もちろん、日本の革命運動の前進のために他国の革命運動の経験を研究し、そこから教訓を学びとることは、日本のマルクス・レーニン主義者に課せられたきわめて重要な理論的任務である。しかし、この任務を正しく果たすためには、マルクス・レーニン主義にもとづく自主独立の立場を堅持し、レーニンのいう「自主的」、「批判的」見地を堅持することが、なによりも重要なのである。もしわれわれが、志田一派のように、ある特定の外国の党やその指導者の見解を「現在におけるマルクス・レーニン主義の最高峰」として絶対化し、その国の革命運動の経験にもとづく路線や方針を、すべての国にあてはまる社会主義革命の基本法則として普遍化し、これを自国の革命運動の指針とするようなことをすれば、それは、かならず、マルクス・レーニン主義を、一面的なかたわなものにゆがめ、具体的情勢に応じて革命運動を指導する力も創造性ももちえない、硬化した教条の体系にかえ、革命運動に重大な損害をまねく結果に、みちびかざるをえないのである。

 志田一派が、以上のようなあらゆる奇弁をろうし、論拠にならない論拠をもちだして特定の外国の党への忠誠を誓い、外国の党の旗を「高くかかげ」てみせるのは、かれらが、外国の党の理論に従うことが、日本の革命運動に役だつと信じているからでは、けっしてない。それはただ、外国の党の名によってその反党活動、反革命的な挑発活動を合理化するためである。かれらは、それによって、自分たちを日本における「革命的左派」、「真のマルクス・レーニン主義者」として国際的にも国内的にも売りこみ、過去と現在における裏切りや罪悪を一挙に帳消しにしようともくろんでいるのである。だが、日本の党も、また自覚的な人民も、このような挑発者の欺まん的な策動を、けっして許すものではない。

 ソ連共産党指導部に盲従した志賀、神山らの反党修正主義者たちが、日本の党と人民の断固とした反撃のまえに、全面的な没落と破綻の道をたどらざるをえなかったように、志田一派の腐敗した反党教条主義者たちもまた、たとえ、外国の党の名を利用して自分たちの党破壊活動をどのように合理化しようとしても、いっそう急速な破滅の運命をまぬがれることはできないのである。

 志田一派の主張はいままで見てきたことからも明らかなように、すべて、聞きかじりのマルクス主義の知識にもとづくきわめて浅薄なものであり、しかも、それをただ党と人民の闘争の撹乱だけを目的にしてふりまわしているのであって、まじめな検討や批判に値するものではない。われわれが、それにあえて詳細な批判をくわえてきたのは、かれらのみにくい正体をまだ十分に知らない一部の人びとが、善意からではあれ、外国の党の名を利用したその教条主義、事大主義の主張にいくらかでも影響されることがないようにするためである。

 志田一派の党撹乱活動との闘争は、党内外における事大主義のあらわれを克服する闘争および国際共産主義連動のマルクス・レーニン主義的強化と真の団結をめざす闘争とも、密接に結びついている。

 わが党中央委員会幹部会の「アメリカ帝国主義者のハノイ、ハイフォン爆撃についての声明」(1966年6月29日)が強調しているように、ベトナムをめぐる緊迫した重大な事態に直面して、わが国内で、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する広範で強力な抗議闘争、全人民的な統一行動の強化のために全力をあげるとともに、ベトナム人民にたいする国際的支援闘争の強化のために奮闘することは、日本の労働者階級に課せられた緊急任務である。そして、アメリカ帝国主義のベトナム侵略とその拡大に反対する国際統一行動と国際統一戦線のための闘争を強化することは、いまや全世界の反帝民主勢力の共通の決定的任務となっている。とくにその中心部隊である国際共産主義運動の果たすべき責務は重大である。ベトナム人民を支援し、アメリカ帝国主義の侵略に反対する国際的な闘争の先頭にたち、反帝国際統一戦線の強化をめざすこの任務をはたすうえで、現代修正主義をはじめ、反帝勢力の団結を妨げるいっさいの日和見主義に反対する闘争、とくに、現代修正主義に反対するとともに教条主義、セクト主義に反対する「二つの戦線での闘争」を正しくおしすすめることが、ますます重要になってきている。

 こうした情勢のもとで、わが党は、志賀、内藤一派の反党・売党修正主義者をひきつづき粉砕するとともに、志田一派の反党教条主義者たちを粉砕し、その教条主義、セクト主義、冒険主義の主張を徹底的に打破し、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の原則、党綱領の路線にもとづく全党の理論的・思想的武装をさらに強化しなければならない。それは国際共産主義運動の真の団結と前進をめざすわが党のたたかいにとっても、重要な意義をもっているものである。

(『日本共産党重要論文集』第4巻より)



大会決定を全党的に学習し、アメリカ帝国主義に反対する国際統一戦線の強化と国際共産主義運動の真の団結のために奮闘しよう

(1966年5月11日『赤旗』主張)

 

 4月28日から2日間ひらかれた第4回中央委員会総会は、さる2月10日から約2ヵ月間にわたり、ベトナム民主共和国、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国を訪問した日本共産党代表団の活動についての幹部会の報告を宮本書記長からうけ、報告と結語を全員一致で承認しました。このことは、内外の反動勢力や反党修正主義者がおこなっているわが党代表団の3国訪問とわが党中央の活動についての見当はずれの憶測と中傷にたいする、断固とした事実にもとづく回答であると同時に、わが党が、マルクス・レーニン主義の原則とプロレタリア国際主義にもとづき、1957年の宣言と1960年の声明の革命的原則をまもって、一貫しておしすすめている正確な国際路線にもとづく全党の団結がさらに強化されたことを示したものです。

 宮本書記長を団長とする日本共産党代表団が、3国にたいする親善訪問でおこなった活動の基本的内容はベトナム労働党代表団との共同コミュニケ、朝鮮労働党代表団との共同声明、ベトナム、朝鮮、中国でひらかれた歓迎集会での宮本書記長の演説、帰国後の記者会見における宮本書記長の談話と発言などで、すでに明らかにされています。わが党代表団の活動は、アメリカ帝国主義に反対し、現代修正主義に反対する国際的闘争の前進のために積極的な努力をはらうとともに、プロレタリア国際主義とマルクス・レーニン主義の原則にもとづく自主独立の立場の堅持などにかんして、第9回党大会の決定が明らかにしているわが党の路線にそって、その任務を正しく、かつりっぱにはたしたものでした。

 全党は、この機会に、大衆闘争、統一戦線、党建設などの国内の諸活動にたいして示されたわが党の路線とともに、第9回党大会の決定に明らかにされている国際共産主義運動と国際民主運動などにたいするわが党の国際路線を、あらためてさらに深く学習し、アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化し、国際共産主義運動の真の団結とマルクス・レーニン主義の勝利をかち上るために、かたく団結して奮闘しなければなりません。

 

 国際共産主義運動の問題についての第9回党大会の決定は、わが党がおこなってきたこれまでの活動の総括と、現在の国際共産主義運動の複雑な情勢についての全面的な分析にもとづいて、国際共産主義運動のマルクス・レーニン主義的強化と正しい団結をかちとる道を全面的に明らかにしたものであり、わが党の国際的な活動の確固とした基準をあたえたものであるだけでなく、国際的にもきわめて重要な意義をもったものです。

 なかでも重要なことは、第9回党大会での中央委員会報告が、不団結がひきおこされた根本の原因が現代修正主義の国際的潮流の日和見主義、分裂主義、大国主義の路線と行動にあることを明確にしながら、「国際共産主義運動の真の統一と団結をかちとるために」堅持しなければならない態度として、つぎの三つの原則を定式化したことです。

 第一、兄弟諸党が一致して採択した宣言と声明の革命的原則および兄弟党間の関係についての基準を忠実に擁護し実践すること。

 第二、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづく自主独立の立場を堅持すること。

 第三、現代修正主義および教条主義、セクト主義に反対する二つの戦線での闘争を、徹底的におしすすめること。

 わが党は、第9回党次会の以前の時期においても、また大会後の活動のなかでも、一貫してこの三つの原則を堅持してきました。そして、この原則を堅持することの重要性は、党大会後の事態の発展全体によって、すでに明確に実証されています。

 さらに、中央委員会報告は、現代修正主義との闘争にあたっては、つぎの三つの分野の闘争を一貫して総合的におしすすめなければならないと指摘しています。それは、(1)思想・理論戦線の分野での原則的で非妥協的なイデオロギー闘争、(2)国際民主運動、大衆運動において、大衆の切実な利益を擁護する共同の闘争目標にもとづく、帝国主義と反動勢力にたいする効果的な共同闘争と国際統一戦線の強化のための闘争、(3)党建設の分野での、現代修正主義の国際的潮流の干渉とそれに盲従しているわが国の反党、売党修正主義の破壊活動との闘争の三つの任務です。

 中央委員会報告はまた、マルクス・レーニン主義にもとづく国際共産主義運動の真の団結が現代修正主義の終局的克服にもとづいてのみ達成されることを正確に強調するとともに、この真の団結をめざす途上においても、アメリカ帝国主義を先頭とする戦争と侵略の政策と行動に反対する緊急の共同目標で、名国共産党、労働者党の具休的な共同行動を実現するために努力する必要があること、国際共産主義運動の当面の行動の統一のためのこうした努力は、世界の反帝平和の戦線の前進に重要な貢献をするとともに、国際共産主義運動の団結の正しい前進にも有意義なものであることを、はっきりと指摘しました。第9回党大会の決定に示された国際共産主義運動のマルクス・レーニン主義的強化と正しい団結をかちとるためのわが党の路線を、全党が正しく身につけることは、いま、きわめて重要になっています。

 

 アメリカ帝国主義に反対する国際統一戦線の結成という緊急の任務について、第9回党大会の中央委員会報告は、つぎのようにのべています。

 「インドシナ、コンゴをはじめ世界各地でのアメリカ帝国主義の残虐で凶暴な侵略行動は、現代修正主義者や右翼社会民主主義者の帝国主義を美化しそれとの対決を回避するいっさいの日和見主義的主張の誤りをいっそう明白に暴露し、アメリカを先頭とする帝国主義勢力への世界各国人民の断固たる対決と統一行動をますます不可避的なものにしている。アメリカ帝国主義にに対する国際統一戦線は、とくにアジアでは重要かつ緊急なものとなっている」(『前衛』臨時増刊、16ページ)

 さらに中央委員会報告は、この見地から、国際共産主義運動において、原則上の論争問題を正しく解決するための努力をつづけながら、アメリカ帝国主義の戦争と侵略とたたかうための行動の統一をかちとる必要について、つぎのようにのべています。

 「わが党は当面する条件のもとでも、アメリカ帝国主義を先頭とする戦争と侵略の勢力にたいする闘争は、一刻もゆるがせにすべきではないという当然の見地から、モスクワ声明の『緊急な諸問題を討議し、経験を交換し、互いの見解と立場をのべあい、相談によって見解を統一し、共通の目的をめざすたたかいにおける共同行動を協定していく』という規定を重視している。
 現在論争されている原則上の問題を、この会議で全面的、根本的に解決することは困難であるだけでなく、現在そのような条件はまだ成熟していない。したがって、この会議はこういう不可能な議題をはじめからめざすのではなくて、真理を追究するための論争をつづけながらも、さしあたり、アメリカ帝国主義を先頭とする戦争と侵略の政策と行動に反対し、緊急に、諸国人民の切実な利益を守るために必要な具体的な共同行動についての協定をかちとる任務をはたすうえで可能な団結をかちとるためのものとしなければならない」(同臨時増刊、94ページ)

 その後のアメリカ帝国主義のベトナム侵略の凶暴化と拡大によって、この大会決定の正しさは、いっそう実践的にも立証され、ベトナム侵略に反対する国際統一行動と国際統一職線の強化は、ますます緊急の任務となっています。事態の発展に即応して、わが党は、たとえば論文「ソ連共産党指導部が3月1日からモスクワに招集した会議について」(1965年4月13日付『アカハタ』)では大会決定にもとづくいっそう具体的な提案をおこない、また論文「

アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために」(1966年2月4日付『赤旗』)ではこの問題のいっそう深い理論的解明をおこなってきました。

 ベトナム人民の英雄的闘争によって窮地におちいったアメリカ帝国主義が、一方では欺まん的な「和平」宣伝を強化しながら、実際には国際共産主義運動、社会主義陣営の不団結の現状につけこんで、ベトナム民主共和国にたいする不法な爆撃を、ハノイ、ハイフォン近郊におよぼしはじめただけでなく、さらにカンボジアにたいする砲爆撃まで公然と開始した事態は、アメリカ帝国主義のベトナム侵略とその拡大に反対する国際統一行動と統一戦線の強化の決定的な重要性と緊急性とを、全世界人民のまえにあらためてするどく提起しています。

 81ヵ国の共産党・労働者党が採択した1960年の声明は、「世界の舞台では、帝国主義にたいする社会主義勢力の優位、戦争勢力にたいする平和勢力の優位がますます明らかになっている」とのべ、「社会主義陣営の団結した力は、個々の社会主義国を帝国主義反動の主権侵害から確実に守る保障である」とのべています。このことにてらしても、ベトナム侵略戦争がインドシナ全域に拡大する危険の増大、社会主義陣営の一国にたいする爆繋の慢性化という事態にさいして、すべての社会主義国、すべてのマルクス・レーニン主義党、すべての反帝・民族解放、平和の勢力が、帝国主義との闘争を回避しようとする日和見主義と分裂主義にたいする闘争を強化すると同時に、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する国際統一行動と統一戦線を前進させ、国際的な反帝闘争の当面の焦点となっているベトナム人民の闘争の支援を共同して最大限に強化することは、真のプロレタリア国際主義にもとづく無条件の義務となっている。

 そして、重要なことは、この反帝統一戦線の強化のための闘争は、同時に、アメリカ帝国主義との闘争を回避する日和見主義と分裂主義を、実践のなかで具体的に暴露し、いまなお修正主義の影響下にある広範な大衆を自覚させて国際的な反帝勢力の団結をかちとるうえでも、もっとも効果的な闘争であるということです。

 アメリカ帝国主義に反対する国際統一戦線のための闘争と、日和見主義、分裂主義にたいする闘争とを正しく統一してたたかうこと(ここに今日のもっとも重要な問題の一つがあるといわなければなりません。

 

 このように反帝国際統一戦線の結成と強化のための闘争は、マルクス・レーニン主義の原則にもとづき、現代修正主義をはじめ、団結を妨げるいっさいの日和見主義にたいして正しく闘争をすすめることと、切り離すことができないように深く結びついています。そして、現在とくに重視する必要があるのは、この問題にかんして第9回党大会の決定が指示した「二つの戦線での闘争」です。

 第9回党大会で採択きれた中央委員会報告は、この点についてつぎのようにのべています。

 「モスクワ声明が国際共産主義運動の『依然として主要な危険』であるとしている現代修正主義との闘争、およびモスクワ声明が『個々の党のある発展段階ではやはり主要な危険になることがありうる』とした教条主義とセクト主義との闘争という、二つの戦線での闘争を、徹底的におしすすめることである。わが党は、……モスクコ声明に反して、チトー一派の党を兄弟党あつかいする誤った思想と行動、アメリカ帝国主義を美化し、それとの闘争を回避することをはじめとするいっさいの修正主義的理論と実践、わが国の右翼社会民主主義者や反党修正主義者と結びついた国際共産主義運動の一部の人びとの分裂主義的策動などを、現在の主要な危険としてこれらと非妥協的にたたかってきた。さらにわが党は、党内外の一部にあらわれた、主として他国の兄弟党の路線を盲信してそれを無批判的にとりいれようとする現代教条主義、および階級闘争の複雑な諸条件を一面的に単純化して主観主義的方針を機械的に大衆運動におしつけるセクト主義にたいしても機を失せずそれらを克服する闘争をすすめてきた」(同臨時増刊、89ページ)

 わが党は、この大会決定にもとづき、その後も「二つの戦線での闘争」を一貫しておしすすめてきました。

 ソ連共産党指導部を中心とする現代修正主義の国際的潮流が、フルシチョフ路線の理論的、実践的破産と世界人民の圧力によって二面的態度をとることを余儀なくされ、一方では反帝闘争の強調やベトナム人民への一定の支援をおこないながら、他方では佐藤内閣の外交政策の美化や、わが党とわが国の民主運動にたいする干渉、破壊活動にみられるような日和見主義、分裂主義、大国主義の策動をつづけてきたことにたいし、わが党はいくつかの論文で、きびしくこれを糾弾しました。同時にソ連共産党指導部の二面的態度に呼応しながら、反党分子を「結集」してわが党にたいする攻撃に狂奔しようとしている志賀、神山、内藤一派ら反党、売党修正主義者にたいしても、断固とした追及と粉砕の闘争をすすめてきました。

 他方で、わが党は、アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と国際統一戦線の強化という切迫した任務を過小評価し、現代修正主義の新たな策動にたいして理論的にも実践的にも受動的になる傾向を警戒してきました。また、近来、大阪など一部の地域では、わが党からかつて除名され、あるいは脱走した一部の反党教条主義分子が、「日本共産党(解放戦線)」と称する挑発集団をつくり、極左冒険主義的な主張を事大主義的な態度でふりまわしながら、わが党を中傷する挑発ビラをまきちらすなど、露骨な党撹乱活動を開始しました。この反党集団は、わが党を「修正主義」と悪罵し、インドネシアで反動勢力の凶暴な弾圧によってひきおこされた事態をも一つの口実としつつ、わが党の具体的情勢の科学的分析を無視した教条主義的、セクト主義的、冒険主義的主張をおこなって党と人民を挑発しています。わが党は、今後、志賀、神山ら反党修正主義分子とともに、これらの反党教条主義分子を断固として徹底的に粉砕しなければなりません。

 第9回党大会以後のすべての実践的経験は、全党が「二つの戦線での闘争」という方針をますます一貫して堅持し、右と左の日和見主義にたいする闘争を正しく強化することの重要性を示しています。現代修正主義の本質は、これまでのいっさいの修正主義と同じく、マルクス主義の内部でマルクス主義に敵対する小ブルジョア的潮流である点にありますが、国際共産主義運動にとって主要な危険となっているこの現代修正主義を克服するためには、アメリカ帝国主義との効果的な闘争という課題を、事実上、反修正主義闘争の一面的な強調に解消して、反帝勢力の国際的団結を過小評価する教条主義、セクト主義とも正しく闘争することが必要なのです。

 

 「二つの戦線での闘争」を正確にすすめるための基礎は、全党員が、真のマルクス・レーニン主義にもとづく理論的武装を強化するとともに、わが党の自主独立の立場を深く身につけることにあります。なぜなら、反党修正主義者と反党教条主義者は、あらわれ方こそ、右と左のちがいはありますが、マルクス・レーニン主義の歪曲という点でも、外国の党の立場や見解に盲従して、それを機械的にわが国にもちこんでくる点でも、まったく共通したものをもっているからです。

 この点についても、第9回党大会で採択きれた中央委員会の報告は、つぎのように指摘しています。

 「マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづく自主独立の立場を堅持することである。今日では、プロレタリア国際主義と愛国主義とを正しく統一し、国際的団結と各兄弟党の自主性とを正しく統一することが、なによりもまして重要である」。
 「わが党は、今回の論争にたいして自主独立の立場をつらぬき、いかなる党にも無批判的に追随せず、いかなる党をも追随させようとせず、いかなる場合にも、原則的かつ自主的な態度をとるよう努力してきた。だが、自主独立の立場とはけっして真理にたいし中立的、調停主義的あるいは傍観的、受動的な立場を意味するものではない。あくまでも真理を追究し、正しいことは正しいとし、誤っていることは誤りとすることは共産主義者として当然の態度である。わが党は今後も論争問題を目主的にいっそう深く、いっそう全面的に究明し、国際共産主義運動のより高い政治的理論的団結に貢献するための努力を強めなければならない」(同臨時増刊、89ページ)

 わが党は、いわゆる「50年問題」による党の分裂およびその時期にあらわれた極左冒険主義が、わが党と人民にあたえた大きな打撃から痛切な教訓を学び、自主独立の方針を堅持して前進してきました。わが党は、第7回党大会では、これらの不幸な経験を文字どおり自主的に総括しましたし、自分自身の力で新しい綱領草案をつくり、第8回党大会ではこの綱領を全員一致で採択しました。こうした自主独立の立場の強化こそ、日本革命の前進を保障するものであると同時にプロレタリア国際主義にもとづく国際共産主義運動の団結にも貢献するものです。そのことは、わが党が綱領討議の過程で独自におこなった反党修正主義者らとのはげしい理論闘争が、国際的規模でのマルクス・レーニン主義の現代修正主義にたいする闘争で重要な意義をもっていたこと、その成果を基礎にして、わが党が1960年の共産党・労働者党代表者会議をはじめ、その後の現代修正主義の国際的潮流との闘争でも、確固とした原則的立場を堅持し、国際共産主義運動の理論的、政治的な前進のために重要な貢献をおこなうことができたことにも示されています。

 今日の国際共産主義運動の複雑な情勢のなかで、プロレタリア国際主義と愛国主義とを統一し、自主独立の立場を堅持することは、ますます重要性をくわえています。外国の構造改革論に無批判的に追従した春日庄次郎、佐藤昇ら、フルシチョフに盲従した志賀義雄らの実例は、わが党の自主独立の立場を裏切った盲従主義者、事大主義者の不可避的な転落の姿を示しています。

 しかし、かれら反党、売党修正主義者を党から追放し、わが党の統一と団結を強化したことは、外国の党の経験や立場、方針に盲従する事大主義にたいする闘争がすでに不必要になったことを意味していません。古来外国文化の大きな影響をうけ、とくに明治以来、半封建的諸関係の根ぶかい残存のうえに、外国の思想、文化、技術の輸入によって急速な資本主義的発達をなしとげてきた近代日本の歴史は、日本の労働者階級にも一定の影響をもたらしており、わが党内の一部にも、さまざまなかたちで、外国崇拝や事大主義を残存させています。今日なお、善意からではあるが、外国の党の指導部を無条件に崇拝し、マルクス・レーニン主義の古典およびわが党の文献よりも、諸外国の兄弟党の文献を重視して、それを基準にしてわが国の問題を判断しようとする事大主義、教条主義の傾向も一部にのこっています。

 「二つの戦線での闘争」は、こうしたいっさいの事大主義と闘争し、プロレタリア国際主義にもとづく自主独立の立場を、全党員が真に自分のものとすることによってはじめて、効果的に前進するのです。

 そして、マルクス・レーニン主義の原則にもとづく自主独立の立場を堅持することこそ、自国の革命運動、自国人民の闘争に責任をおう愛国主義と、国際共産主義運動ならびに世界人民の闘争の前進に貢献するプロレタリア国際主義とを、真に正しく統一するものなのです。

 

 今回の日本共産党代表団の活動と、それにたいする4中総の承認は、以上にのべたような第9回党大会が決定したわが党の国際路線にたいする全党の確信を、いっそうゆるぎないものとしました。

 第9回党大会で採択された中央委員会報告は、わが党の四つの旗の一つ、国際統一戦線の旗について、つぎのようにのべています。

 「われわれは、『アメリカを先頭とする帝国主義に反対する民族解放と平和の国際統一戦線の旗』を高くかかげ、日本人民にアジアと世界の平和にたいする責務を自覚させ、国際的連帯をいっそう発展させて、いっさいの反帝国主義勢力の国際的団結と国際共産主義運動の真の団結をかちとらなければならない」(同臨時増刊、38ページ)

 このように国際統一戦線の問題、国際共産主義運動の団結の問題は、綱領にもとづくわが党の党活動のもっとも重要な側面の一つをかたちづくるものです。全党は、この問題にかんするわが党の立場をいっそう全面的につかみ、アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線の強化と、国際共産主義運動の真の団結のために努力しなければなりません。

 そのためには、全党員が、第9回党大会で採択された中央委員会報告の第3章「国際共産主義運動とわが党の任務」を中心にし、論文「

アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために」、今回の日本共産党代表団のベトナム労働党代表団との共同コミュニケ、朝鮮労働党代表団との共同声明、3国における宮本書記長の演説、帰国後の記者会見における談話と発言などを、あらためて全面的に学習する必要があります。それは今秋に予定きれている第10回党大会の準備のためにも重要な意義をもっています。

 第9回党大会以後、わが党は、大会決定にみちびかれて、大会決定が指摘した思想・理論戦線と大衆闘争、党建設の三つの分野の闘争で重要な成果をあげてきました。現代修正主義と教条主義にたいするわが党の理論・思想闘争は、今日の諸問題のマルクス・レーニン主義的解明にたいして、すでにいくつかの積極的貢献をおこなっています。本年1月ハバナでひらかれた3大陸人民連帯大会などの成果が示しているように、わが党の党員をふくむ日本代表の活動は、国際民主運動が正しい路線をすすみ、団結を強化するうえで、重要な積極的な役割をはたしました。そして、昨年の参議院選挙、都議会選挙の勝利をはじめ、反党、売党修正主義集団にたいする全党の闘争は、かれらをまったくの孤立と破産に追いやり、党建設の分野でもわが党は画期的な前進をとげつつあります。

 われわれは、以上にあげたわが党の文献の全党的な学習運動を、この三つの分野におけるこれまでの闘争の具体的な総括と結びつけてとりくみ、思想・理論闘争、国際民主運動と大衆運動、党建設において、全党の活動をより高い水準にひきあげ、さらにかがやかしい成果と新しい前進をかちとらなければなりません。

 その全党的前進こそ、今日の日本共産党代表団の3国訪問の成果を、真に生かす道であり、国際統一戦線を強化し、現代修正主義および、教条主義、セクト主義を克服し、国際共産主義運動の真の団結と、マルクス・レーニン主義の勝利をかちとる土台です。

(『日本共産党重要論文集』第4巻より)

 



アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と

統一戦線を強化するために

(『赤旗』1966年2月4日)


一、

アメリカ帝国主義に反対する国際統一戦線

二、

反帝・民族解放・平和の国際的団結を弱め、破壊してきた現代修正主義

三、

国際統一戦線の強化と国際共産主義運動の団結

 今日、すべての民族解放と平和、民主勢力にとって、もっとも差し迫った課題は、アメリカ帝国主義の戦争と侵略に反対する国際統一行動と統一戦線の強化である。

 いま、国際情勢の最大の焦点となっているアメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争は、全世界の人民の抗議と反対をふみにじって、いっそう大規模な侵略戦争への拡大の道を、一歩一歩すすんでいる。ジョンソン政府は、昨年末から「北爆」の一時的停止や14項目の「和平提案」など「平和解決」の欺まん的策謀をひときわ強めたのちに、1月31日ベトナム民主共和国にたいする不当、不法な爆撃を再開した。アメリカ帝国主義は、ベトナム民主共和国の中心部や中国との国境地帯にたいする爆撃、南ベトナム人民にたいする無差別な大量殺りく、すでに陸海空あわせて27万をこえている米軍の新たな増派、ラオス、カンボジアへの侵略拡大など、危険な侵略計画をますます凶暴におしすすめ、戦火をインドシナ全域から、さらに中国にまでおしひろげようとしている。かれらは、社会主義中国があたかも「もっとも危険な侵略者」であるかのような逆宣伝を全世界にふりまきながら、とくに極東における核戦略態勢を強化しつつある。ジョンソンの予算教書によれば、1967会計年度のアメリカの公然たる軍事予算は、ベトナム侵略戦費の2倍以上の増加を中心に600億ドルが計上されている。これは朝鮮戦争時最高の軍事予算(1953年500億ドル)を100億ドル以上こえ、第2次大戦後最高のものである。第2次世界大戦が終わって20年、朝鮮戦争、スエズ戦争、コンゴ侵略、キューバ侵略、ドミニカ侵略など、帝国主義の戦争と侵略によってひきつづきおびやかされてきた世界の平和と諸民族の独立は、いままたアメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争によって、きわめて重大な侵害をうけている。

 このような緊迫した事態は、アメリカ帝国主義を先頭とする戦争と侵略の諸勢力に反対し、ベトナム侵略戦争に反対する全世界のすべての勢力の国際的な行動の統一、国際的な統一戦線の強化を、もっとも重要な任務としている。とくに、すでにつかい古された「和平提案」などを鳴りものいりでさわぎ立てたジョンソン政府のねらいが、その侵略戦争にたいする各国人民の抗議、怒り、不安をそらして、かれらの新たな侵略拡大の口実をつくるとともに、国際的な反帝、民主勢力の対立や分裂をひきおこし、それにつけこむことに置かれていることは明らかであり、アメリカ帝国主義の戦争と侵略に反対する国際的な行動の統一の強化は、いっそう緊急性をくわえている。

 英雄的なベトナム人民の闘争は、これまでアメリカ帝国主義の不正不義の侵略戦争に大きな打撃をあたえてきた。南ベトナム解放民族戦線は、昨年も、アメリカのあいつぐ兵力投入、「韓」国、ニュージーランドなどの派兵にたいして侵略軍とかいらい軍に強力な反撃をくわえ、南ベトナムの領土の5分の4を解放し、1000万にのぼる人民を解放してたたかっている。ベトナム民主共和国も、不法な「北爆」からベトナム北部を防衛し、南部を解放し、ベトナムの自主的、民主的再統一を実現するためにたたかっている。社会主義諸国のベトナム民主共和国にたいする各種の援助をはじめとする、全世界の反帝民主勢力のベトナム人民にたいする精神的、物質的支援も強化されている。アメリヵ国内での反戦運動の前進だけでなく、諸国人民の怒りと抗議のたかまりを背景として、アメリカ帝国主義の残忍なベトナム侵略戦争にたいする国際的な闘争は、ますます発展しつっある。さる1月3日からキューバの首都ハバナでひらかれた第1回アジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連帯大会は、3大陸人民の意思を結集して「ベトナムにかんする決議」を満場一致採択し、アメリカ帝国主義のベトナム侵略をきびしく糾弾し、ベトナム人民の正義の闘争を全面的に支持し、あくまでベトナム人民の側にたってたたかうことを宣言し、ジョンソンの「和平提案」の欺まんを暴露して、その侵略と断固としてたたかう方向を確立した。

 アメリカ帝国主義が、どんな策謀をもてあそび、どんなに凶暴にその侵略をつづけようとも、最後の勝利がベトナム人民の側にあり、最後に敗北するものがアメリカ帝国主義であることはうたがいない。そして、アメリカ帝国主義の侵略をうちやぶって、ベトナム民主共和国がジュネーブ協定にもとづいてかかげている四つの項目、南べトナム解放民族戦線がかかげている五つの項目の実現を1日も早くかちとり、ベトナム問題を真に解決する事業の達成が、主としてベトナム人民の闘争の発展にかかっていることは明らかであるが、同時に、それを支援する全世界の反帝平和勢力の行動の統一の強化にもかかっていることも明白である。

 しかし、残念なことには、今日の国際的な統一行動と統一戦線の現状は、国際民主運動において昨年以後に一定の前進方向がみられるとはいえ、全体としてみるならば、情勢が要求する任務からみてまだ大きく立ちおくれている。すべての反帝平和勢力、すべての民主勢力の行動の統一、統一戦線の強化を妨げるさまざまな障害と困難が、なお存在しているためである。この問題について、全世界の共産主義者が、あらためて直視しなければならないことは、統一戦線のなかで先進的役割をはたす責務をになっている共産主義運動の内部に生まれた現代修正主義の潮流が、新しい状況に応じた二面的態度をとりながら、依然として国際共産主義運動の団結に有害な表裏ある行動をとっていることである。すなわち現代修正主義者も、アメリカ帝国主義のベトナム侵略の凶暴化によってその無原則的な対米追従政策の破産があまりにも明白となった今日、わが党をふくむマルクス・レーニン主義諸党が、かれらの一貫した反帝闘争の回避や露骨な分裂主義、大国主義を糾弾してアメリカ帝国主義に反対する行動の統一や統一戦線の重要性を強調してきたのにたいして、これをほおかむりで黙殺することはあらゆる意味で困難になってきた。その結果、一方では「反帝国主義」の立場とベトナム侵略に反対する「共同闘争」の必要を強調しはじめ、実際にベトナム人民を援助する一定の行動をもとらざるをえなくなっている。同時に他方では、依然としてフルシチョフ以来の日和見主義、分裂主義の路線な根本的に清算せず、またその大国主義的支配のたくらみと手口を清算せず、国際民主運動、国際共産主義運動にたいするさまざまな分裂策動をも継続し、反帝平和勢力の国際的統一を阻害している。このことは、アメリカ帝国主義とその目したの同盟者、日本独占資本にたいして勇敢にたたかっているわが党とわが国の平和運動、民主運動にたいするソ連共産党指導部とその指導下の団体からの一貫した分裂策動、干渉の事実でも明白に実証される。

 かれらは、日本共産党の裏切者として党から正式に除名された志貿、神山一派(日本のこえ)の反党修正主義者と野合してかれらをそそのかし、まず日本共産党にたいする破壊工作に狂奔してきた。そしてさらに、日本においてアメリカ帝国主義と日本独占資本に反対する闘争を一貫して妨害している右翼社会民主主義者のさまざまな要素と野合して、原水禁運動の分裂や国際親善運動の分裂を積極的に工作してきた。ソ連を訪問した反党修正主義者や右翼社会民主主義者につねにはたらきかけてきただけでなく、日本を訪問するソ連共産党員やソ連政府関係者もそのような工作を一貫しておこなってきた。日本にあるソ連政府の名称を冠した出先機関も日本におけるこうした分裂干渉工作の策源地の一つとなっている。

 このような状況のなかで、現代修正主義者の表裏のある二面的態度にたいして正確な態度をとり、両翼の受動性――右翼的な追随と左翼的なセクト主義――のいずれにもおちいることなく、主要な危険である現代修正主義の国際的潮流の日和見主義と分裂主義の路線を正しく克服して、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する国際民主運動、国際共産主義運動の団結をかちとるために奮闘し、アメリカ帝国主義に反対する反帝・民族解放・平和の国際統一戦線の強化と発展に貢献することは、すべての共産主義者にとって、今日もっとも重要な責務となっている。

 この責務をはたすうえで必要なことの一つとして、現代修正主義者による統一行動、統一戦線の歪曲や破壊とたたかいながら、マルクス・レーニン主義の原則にもとづいて、今日の国際統一行動と統一戦線をめぐる政治的、理論的諸問題をあらためて明確にすることがある。

 とくに昨年は、歴史的な反ファシズム統一戦線戦術を決定した共産主義インタナショナル(コミンテルン)の第7回大会の30周年を迎えた記念すべき年であった。第2次世界大戦がぼっ発する4年前、1935年7月にモスクワでひらかれたこの大会が、労働者階級の統一戦線にかんするレーニンの理論と実践に学んで、当時コミンテルン内部にあったさまざまな日和見主義、セクト主義とたたかい、当時の情勢のもとで、基本的に正確な統一戦線戦術をねりあげた画期的な大会であったことは、あらためて指摘するまでもない。

 レーニンが創設したコミンテルンの最終回大会となったこの大会は、よく知られているように、国際共産主義運動の歴史のなかでも、とくに重要な位置をしめた大会の一つであった。大会でおこなわれた三つの主報告――ウィルヘルム・ピークによる「コミンテルン執行委員会の活動報告」、ゲオルギー・ディミトロフによる「ファシズムの攻勢およびファシズムに反対する労働者階級の統一のための闘争における共産主義インタナショナルの任務」、エルコリ(パルミーロ・トリアッチ)による「帝国主義戦争の準備と共産主義インタナショナルの任務」――とそれらにもとづく諸決議は、ドイツにおけるファシズムの勝利という重大な出来事からきびしい歴史的教訓をひきだし、国際共産主義運動にたいして、ファシズムと帝国主義戦争に反対するための、労働者階級の統一戦線、それを基礎とする人民戦線、植民地・従属諸国における反帝国主義的民族統一戦線、これらの諸勢力を結集した平和擁護のための国際的統一戦線の結成という新しい諸任務を提起した。なかでもファシズムに反対する一国的および国際的規模でのプロレタリアートの行動の統一――これこそ、この大会をつらぬく最大の主題であり、共産主義インタナショナルと第2および第2半インタナショナルとの行動の統一と労働者階級の統一戦線にかんするレーニンの思想を正しくうけつぎ、新しい情勢のもとで創造的に発展させたものであった。すでに国際共産主義運動の共有の財産となっているこれらの歴史的経験を正しくふりかえることは、今日における正しい統一戦線戦術を明らかにするうえでも、重要な前提となっていると言わなければならない。

 ところが現代修正主義者は、このコミンテルン第7回大会の30周年記念をも、今日における国際統一戦線の真の内容と方向をゆがめ、かれらの日和見主義と分裂主義の路線を弁護する新しい機会として利用した。かれらが発表した一連の論文は、コミンテルン第7回大会がつくりあげた統一戦線戦術の「歴史的教訓」に名をかりて、帝国主義との闘争を回避しようとするかれらの日和見主義路線に新たな理論的紛飾をあたえ、マルクス・レーニン主義を堅持する兄弟党にたいする攻撃をおこなおうとしたものであり、昨年3月1日にモスクワでひらかれた分裂主義的会議のコミュニケと、それにもとづくソ連共産党指導部の最近の言動、とくにその「共同行動」の言説にたいする、無条件の礼賛にささげられたものであった。

 だが今日、必要なことは、フルシチョフら現代修正主義の国際的潮流が、この数年来おこなってきた日和見主義路線がはたした役割を厳密に追及し、真のマルクス・レーニン主義にもとづき、今日の複雑な情勢における国際的な反帝統一戦線の諸問題を創造的に明らかにすることである。そしてこのことこそコミンテルン第7回大会をももっとも実践的に記念することなのである。

  

一、アメリカ帝国主義に反対する国際統一戦線

 

 今日の国際的な反帝統一戦線の第一の特質は、その主要な敵がアメリカ帝国主義である点にあり、第二の特質は、アメリカを先頭とする帝国主義勢力の戦争と侵略、民族抑圧の政策とたたかって、世界平和の擁護と諸民族の独立・解放という二つの反帝国主義的、民主主義的課題をかちとることを、その共同の中心任務としているという点にある。

 若干の現代修正主義者が、コミンテルン第7回大会30周年を記念して発表した一連の論文は、今日の国際統一戦線のこの二つの特質をいずれもあいまいにし、アメリカ帝国主義の役割や民族解放の任務について一応はふれてみせながらも、実際にはほとんど一致して、アメリカ帝国主義が今日の国際統一戦線の主要な敵であることを不明確にしたうえ、民族解放の課題をおもに新興独立諸国における反帝戦線の任務とみなして世界の反帝民主勢力の共同の主要な任務とせず、新しい世界戦争の脅威とたたかうという口実で国際統一戦線の中心任務をかれらのいう日和見主義的な「平和共存」を擁護する統一戦線にわい小化し、けっきょくは、平和擁護の任務にも貢献できないものにねじまげてしまっている。

 だが、世界戦争の脅威と真に効果的にたたかうためにも、戦争と侵略、民族抑圧の政策をおしすすめている元凶としてのアメリカ帝国主義を明確に主要な敵とし、平和擁護とともに民族解放を明確に共同の中心任務とした、国際的な反帝統一戦線の強化こそが必要なのである。

 

   1、主要な敵はアメリカ帝国主義である

 今日の国際的な反帝統一戦線の第一の特質、すなわち、その主要な敵がアメリカ帝国主義であるという点については、よく知られているように、81ヵ国の兄弟党が一致して採択した1960年の声明は、アメリカ帝国主義が「現代帝国主義の経済的・金融的・軍事的主力」であり、「最大の国際的搾取者」であり、「侵略と戦争り主勢力」であり、「今日の植民地主義の主柱」にほかならないことを確認して、つぎのようにのべていた。

 「最近数年間め国際的諸事件の経過は、アメリカ帝国主義が、世界反動の主柱であり、国際的憲兵であり、全世界の人民の敵であることを示す多くの新しい証拠を提供している」

 その後の5年間の国際的諸事件の経過も、1960年の声明のこれらの規定の正しさを、いっそう明確に立証するものであった。

 第一に、アメリカ帝国主義が、「侵略と戦争の主勢力」であり、その戦争と侵略の政策こそ、世界の平和と諸国民の安全にたいする最大の脅威にほかならないこと、これとたたかうことなしに、世界と諸国民の平和を守ることができないことは、ベトナム侵略戦争の現実によってますます明瞭になっている。

 1954年のジュネーブ協定の厳守こそ「ベトナム問題解決の基礎であり、それをふみにじったアメリカの侵略行為の停止と米軍の撤退だけが、ベトナム人民に独立と平和、民族的統一をもたらすことのできる前提であることは、だれの目にも明白となっている。それにもかかわらず、アメリカ帝国主義は、南ベトナムの占領という侵略目的を捨てず、逆にその目的をつらぬくためにあらゆる手段をとると脅迫し、力による既成事実を、ベトナム人民と世界の人民にあくまでもおしつけようとしている。ここにあるものは、ただ帝国主義のむきだしの“力の立場”であり、より大規模な侵略戦争と直結する侵略者の論理である。

 かつて日本帝国主義は、朝鮮の植民地支配を拠点として、中国の東北地方(「満州」)を侵略し、その既成事実を中国人民と世界の人民におしつけるために、より大規模な中国侵略戦争にのりだし、ついにアジアにおける勢力圏再分割のための太平洋戦争に突入した。ドイツ・ファシズムも、一歩一歩侵略を拡大して、ついには世界再分割をめざす第2次世界大戦を放火した。アメリカ帝国主義のベトナム侵略が、かつての日本軍国主義者や、ドイツ・ファシストの道をたどろうとするものであり、アジア支配をめざすより大規模な戦争の危険を増大させつつあることは明白である。

 アメリカ帝国主義がまさにその道をたどりつつあることは、かれらが、世界支配をめざす侵略戦争の策源地として、第2次世界大戦の主な戦争犯罪人であった日本と西ドィツの軍国主義の公然たる復活に熱中してきたことにも、はっきりと示されている。復活しつつある日本軍国主義は、いまやアメリカ帝国主義のアジア侵略政策の主要な同盟者となっている。NATOの核戦略問題で、アメリカ帝国主義がその指揮のもとでの西ドイツ核武装計画にしつように固執している事実が示すように、復活した西ドイツ軍国主義も、アメリカのヨーロッパにおける戦争準備で、主要な役割を割りあてられている。

 アメリカ帝国主義はまたこの5年間にいっそう大量の核兵器と、ミサイルを生産し、貯蔵し、NATO、GENTO、SEATO、ANZUSをはじめ、全世界にはりめぐらしている反共軍事同盟下の国ぐにに配備し、通常軍備もかつてないほど増強した。かれらは、独立、平和、民主主義、社会主義の勢力の前進と、資本主義世界におけるアメリカの地位の相対的低下から生まれているその世界支配計画の動揺を、軍事力の増強と侵略戦争の継続と拡大の脅かつによってのりきろうとしている。

 アメリカ帝国主義が世界平和のもっとも主要な敵であり、侵略戦争の主要な推進者、新しい世界戦争の主要な挑発者であることは、明白である。今日における国際統一戦線の主要な任務の一つが、このアメリカを主力とする帝国主義の戦争と侵略の政策とたたかって世界の平和を守ることにあることもまた明白である。

 第二に、アメリカ帝国主義は、「今日の植民地主義の主柱」として諸国民を支配し、諸民族の主権をじゅうりんする最大の民族抑圧者であり、民族解放運動弾圧の元凶であること、これとたたかうことなしに諸民族の独立をかちとることができないことも、無数の事実によってかさねて実証された。

 アメリカ帝国主義者は南ベトナムを新しい型の植民地と軍事基地にかえるために、ジュネーブ協定を乱暴にふみにじり、南ベトナム人民のいっさいの民族的権利を破壊して、無残な殺りくを開始し、植民地戦争を強行してきた。ラオス、カンボジアでも、インドネシアでも、南朝鮮や台湾でも、コンゴでも、さらにドミニカでも、アメリカ帝国主義は、諸民族の主権、独立と自由、平和、民主主義にたいする、もっとも凶暴な抑圧者、もっとも卑劣な干渉者として行動した。かれらの血まみれの犯行がおしすすめられたのは、これらの諸国だけではない。アメリカ帝国主義は、「進歩のための同盟」「後進国援助」「地域開発計画」「共産主義の侵略にたいする防衛」などの名目で、各種の「軍事援助」「経済援莇」「文化交流」などを新興諸国に提供し、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国の反動勢力のうしろ立てとなり、さまざまな形態の新植民地主義的政策を追求している。

 発達した資本主義諸国にたいするアメリカ帝国主義の支配や、主権侵害もひきつづきおこなわれている。サンフランシスコ条約、日米安保条約によって、わが国を事実上の従属国としているアメリカ帝国主義は、原子力潜水艦の「寄港」を強要し、沖縄をはじめとする日本の軍事基地をベトナム侵略戦争の直接の攻撃基地として利用し、「日韓条約」をおしつけ、わが国の独立と安全を、ますます乱暴にふみにじっている。その他の諸国にたいしてもベトナム侵略戦争への加担の強要、軍事同盟網の強化や、「核拡散防止」を口実にしたアメリカの核戦略機構への組みこみがすすめられ、西ヨーロッパ諸国にたいするアメリカ独占資本の進出も、いっそう増大した。

 アメリカ帝国主義が、諸民族の独立をうばい、あるいは主権を侵害しているもっとも凶暴な独立の敵であることは、うたがいない。今日における国際統一戦線にとってもう一つの共同の主要な任務が、アメリカを先頭とする帝国主義の民族抑圧政策とたたかって諸民族の独立と解放をかちとることにあることは明らかである。

 第三に、アメリカ帝国主義が、「国際的憲兵」、「世界反動の主柱」として、社会主義陣営、各国人民の民主運動、革命運動にたいする国際的反動と反革命の張本人であることも、ベトナム侵略戦争その他の国際的諸事件の経過によづて、いっそうむきだしに暴露された。

 ベトナム侵略戦争は、平和にたいする脅威、民族解放運動の圧殺であるだけでなく、同時にべトナム民主共和国にたいする攻撃であり、社会主義陣営にたいする公然たる侵略戦争である。アメリカ帝国主義は、アジア、アフリカ、ラテンアメリカにおける民族解放運動の発展、新興独立諸国家の反帝国主義、反植民地主義の諸政策と社会主義への共感が、中国、朝鮮、ベトナム、キューバなど、戦後この地域に生まれた社会主義国家の偉大な影響力にもとづくものとみて、当面これら四つの社会主義国家の弱化、転覆のために最大の努力をかたむけている。朝鮮戦争、キューバ侵攻、ベトナム侵略戦争は、すべてそのためのくわだてであった。そしていま、ベトナム侵略戦争拡大のねらいは、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国にも向けられている。かれらのアジアと世界の侵略政策の中心には、アジアにおける最大の社会主義国にたいする「封じこめ」政策が置かれている。

 アメリカ帝国主義の反革命のほこ先は、社会主義陣営にだけ向けられているのではない。アメリカ帝国主義は、現代帝国主義の主力として、各国の民主運動、革命運動にたいする「国際的憲兵」としてふるまっている。アメリカ帝国主義は、いわゆる「自由諸国」の反動派の後見人となっているだけでなく、そのスパイと陰謀の組織CIAの謀略・諜報網を、世界各国の主要都市にはりめぐらし、あらゆる反革命運動の中心となり、世界各国の反動勢力や分裂主義者を激励して共産党の弾圧、労働者階級と人民の革命的、民主主義的運動にたいする干渉と挑発の先頭に立っている。かれらの指導する国際自由労連は、世界各国の労働運動の分裂策動の張本人となっている。

 とくにアジアでは、アメリカの反革命政策が強化されている。9月30日事件を契機にして激化したインドネシア共産党への弾圧を、もっとも歓迎し、これに力を貸す努力をおこなっているのはアメリカ帝国主義である。それがインドネシア革命の前進をくいとめるためのものであることはいうまでもない。

 アメリカ帝国主義は、国際労働者階級と全世界の人民がたたかっている民主主義と社会主義の事業にたいする最大の弾圧者である。したがって世界各国の民主運動、革命運動は、それぞれの国の反動勢力に反対する闘争とともに、アメリカ帝国主義と対決し、その反民主主義と反革命の政策とたたかわざるをえない。

 アメリカ帝国主義の以上のような役割こそ、アメリカ帝国主義を、今日の国際統一戦線の主要な敵、国際民主運動、国際共産主義運動の最大の敵とするものである。われわれは、ここに今日の国際的な反帝統一戦線の第一の特質があることを、明確にとらえなければならない。

 そして、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争が、世界の平和と諸民族の独立にたいする最大の脅威となった現在の時点では、今日の国際的な反帝統一戦線は、なによりもまず、結集できるいっさいの勢力を結集してアメリカ帝国主義に反対する国際統一戦線でなければならない。

 このことを不明確にしたまま、たんに抽象的に新世界戦争の脅威とたたかうことだけを強調することによっては、けっして今日の反帝統一戦線が当面している任務を正しく明らかにすることはできないし、真に世界平和を擁護する事業に貢献することもできない。

 わが党は、1960年の声明が明確に定式化した基本的見地を正しく守り、党綱領を具体化する「四つの旗」の一つとして、「アメリカを先頭とする帝国主義に反対する民族解放と平和の国際統一戦線の旗」を高くかかげてたたかってきた。そしてアメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争の凶暴化とともに、わが党は、国際民主運動、国際共産主義運動のなかで、国際統一戦線の主要な砲火をいっそう明確にアメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策に集中することを主張してたたかってきた。帝国主義時代における国際統一戦線が、「地上人口の圧倒的多数の植民地的抑圧と金融的絞殺」(レーニン「帝国主義論」、全集22巻、219ページ)をおしすすめている世界帝国主義全体と対決するものであることは明白であるが、世界帝国主義全体を弱めるためにも、すべての民族解放、平和、民主勢力の力を結集して、国際的には主要な砲火を、まず、帝国主義の世界体系のなかでもっとも凶悪な帝国主義――アメリカ帝国主義に向けなければならないのである。

 帝国主義の戦争と侵略、民族抑圧と反動の政策の主柱となっているもっとも凶悪な帝国主義を主敵とし、これに国際統一戦線の主要な砲火をむけなければならないというこの戦術は、コミンテルン第7回大会の反ファシズム国際統一戦線の経験があたえた歴史的教訓でもあった。

 日本帝国主義の中国侵略、イタリア・ファシズムのエチオピア侵略、ドイツ・ファシズムによるヨーロッパ侵略の危険の切迫――このような情勢のなかで、1935年にひらかれたコミンテルン第7回大会が、国際的な反帝統一戦線の分野にもたらした創造的貢献は、なによりもまず諸国民の闘争の主要な砲火を、労働者階級と全勤労人民、被抑圧民族の「もっとも凶悪た敵」である、ドイツ・ファシズムとそれを中心とする侵略ブロックに向けたことであった。

 「ドイツ・ファシズムは、新帝国主義戦争の主要な扇動者であり、国際的反革命の突繋隊としてたちあらわれている」(「同志ディミトロフの報告にかんする決議」)

 今日、コミンテルン第7回大会の決議が「新帝国主義戦争の主要な扇動者」、「国際的反革命の突撃隊」とよんだかつてのドイツ・ファシズムの地位に、アメリカ帝国主義がすわっており、民族解放と平和をめざす国際的な反帝勢力の主要な敵がアメリカ帝国主義となっていることを、口先だけでなく、正しく全面的に認識して、アメリカ帝国主義に反対する闘争を国際的反帝闘争のもっとも中心的な課題として位置づけるかどうか、そして実際にその闘争を一貫して遂行するかどうか、ここに、今日の国際餉な反帝統一戦線の決定的問題がある。

 

   2、共同の中心任務は民族解放と平和擁護である

 今日の国際的な反帝統一戦線の第二の特質は、その共同の中心任務が諸民族の独立・解放と世界平和の擁護という二つの反帝国主義的、民主主義的任務にあり、しかもそれらがふかく結びついているところにある。

 今日では、アメリカを先頭とする帝国主義の新旧植民地主義、民族抑圧政策とたたかって、民族の独立・解放を達成することは、全世界の反帝民主勢力の共同の任務の一つとなっている。

 レーニンは、第1次世界大戦中、東洋の被抑圧民族が、最後的に国際的な解放運動のなかにひきいれられたことをくりかえし指摘し、植民地・従属国の民族解放運動が、将来偉大な歴史的役割を演ずることを予言していた。コミンテルンが、レーニンの指導のもとに、植民地・従属国の民族解放運動に大きな注意を払い、コミンテルン第7回大会が、これら諸国における反帝国主義的民族統一戦線を提起し、とくに中国共産党の指導する抗日統一戦線の運動を重視したことは、よく知られている。

 だが、長いあいだ抑圧されていたアジア、アフリカ、ラテンアメリカの諸民族、地域の全人口の3分の2、20億をしめるこれらの諸民族の民族解放の巨大なエネルギーが、せきを切ったようにときはなたれたのは、第2次世界大戦後のことであった。これらの地域の民族解放運動は、社会主義世界体制、資本主義諸国の労働者階級を中心とする革命運動とならんで、現代における三つの革命勢力の一つとなり、もっとも戦闘的な反帝闘争の旗手として、同時に国際的な反帝統一戦線の主要な勢力の一つともなっている。

 これらアジア、アフリカ、ラテンアメリカの民族解放運動の歴史的前進と、さまざまな形態をとった現代帝国主義によるこれらの諸民族にたいする民族抑圧政策の強化、それに発達した資本主義諸国に共通してみられるアメリカ帝国主義にたいする新しい従属の事態をくわえるならば、民族の独立・解放という反帝国主義的民主主義的任務の達成が今日の反帝平和勢力全体の共同の事業となり、今日の国際統一戦線のもっとも主要な任務の一つとなるのは、当然のことである。

 キューバ、アルジェリア、コンゴ、ベトナムその他の事態が明白にしているように、帝国主義者の無慈悲きわまる抑庄と搾取、侵略と殺りくから民族な解放するために、諸民族が立ちあがり、必要な場合に武器をとって戦うことは、まったく正当なことである。全世界の反帝民主勢力は、こうした正義の戦争、民族解放戦争をふくむいっさいの民族解放闘争を団結して支持し、それにたいする帝国主義者の弾圧、干渉、侵略に団結して反対しなければならない。

 今日の国際統一戦線は同時に、アメリカを先頭とする帝国主義勢力の戦争と侵略の政策とたたかって世界の平和を擁護することを、もう一つの主要な任務としている。

 この平和擁護のための国際的な反帝統一戦線のなかにも、コミンテルン第7回大会が定式化した、平和擁護・帝国主義戦争反対の国際統一戦線の歴史的教訓が、現代の諸条件のもとで、いっそう発展したかたちで正しくひきつがれている。

 コミンテルン第7回大会は、ドイツ・イタリアのファシズムと日本軍国主義による新戦争放火の危険に直面して、戦争のぼっ発をひきのばし、さらには戦争を阻止するために、共産党、社会民主主義政党、労働組合、平和主義的組織をはじめ、もっとも広範な新勢力を結集した平和擁護・帝国主義戦争反対の国際統一戦線の結成をよびかけた。

 だが、当時の帝国主義戦争防止の事業の成否は、ドイツ、イタリア、日本において、ファシズムと軍国主義の体制に致命的打撃が加えられるかどうかに、大きくかかっていた。だからこそ、コミンテルン第7回大会は、帝国主義戦争防止に全力をつくしながら、平和擁護闘争を反ファシズム闘争に結びつけることをとくに強調し、同時になお広範な大衆をとらえている平和主義的幻想とたたかい、新しい帝国主義戦争がぼっ発した場合には、この帝国主義戦争を内乱に転化するための闘争を準備することにも大きな注意をはらったのである。

 第2次世界大戦後の国際情勢の大きな変化、世界帝国主義と、社会主義、民主主義、民族解放をめざしてたたかう諸勢力との力関係の大きな変化は、諸国民の平和擁護闘争に、新しい任務とともに新しい可能性をひらいた。一方では、資本主義の全般的危機の深化のもとで、アメリカ帝国主義を中心とする戦争と侵略の勢力がいっそう凶暴化し、核ミサイルの出現による戦争の破壊力の未曽有の増大とともに、世界戦争を防止する任務がいっそう切実な、差し迫った任務として登場してきた。他方では、戦争勢力にたいする反帝平和勢力の優位という新しい力関係のもとで、すべての反帝平和勢力が団結してたたかい、帝国主義の戦争と侵略の政策に反対する闘争を全力をあげて強化するならば、民族解放闘争にたいする帝国主義的武力干渉への効果的な反撃を組織するとともに、帝国主義の新戦争放火の手をおさえつけ、世界戦争をふせぐことができる可能性がうまれたのである。この新しい可能性こそ、いっそう多くの人びとに勇気と確信をあたえ、もっとも広範な諸勢力を平和を擁護するという民主主義的任務のまわりに結集させる一つの土台となり、今日の平和擁護闘争を、反帝国主義的民主主義的な性格をもつ巨大な統一行動としていっそう発展させる新しい条件をあたえたものである。

 こうして今日の国際的な平和擁護闘争は、民族解放の闘争とかたく手をたずさえ、核戦争反対、核兵器禁止、全般的軍縮、外国軍事基地撤去と外国軍隊の撒退、侵略的軍事同盟反対、帝国主義のいっさいの侵略と民族抑圧反対、社会体制の異なる諸国家の平和共存などなどの、反帝国主義的、民主主義的課題をかかげてたたかっている。

 そして今日とくに重要なことは、戦後のすべての現実と実践の経験が教えているように、民族解放と平和擁護という、相互に支持しあうこの二つの反帝国主義的、民主主義的任務を、かならずかたく結びつけてたたかわなければならないことである。

 レーニンがくりかえし強調したように、帝国主義の対外政策の特質は、他民族の抑圧と戦争と侵略であり、現代帝国主義の民族抑圧政策も、その戦争政策と表裏一体となっている。アルジェリア戦争、コンゴ戦争などの植民地戦争はもちろん、世界の平和に重大な関係をもった朝鮮戦争、ベトナム侵略戦争も、民族解放、民族統一の闘争にたいする植民地的抑圧のくわだてと一体となっている。キューバ侵略は、ラテンアメリカにおける民族抑圧体制の維持と不可分のものであった。そして、アメリカ帝国主義が米中戦争を挑発しながら現在その対外政策の焦点にすえている「中国封じ込め」政策は、実際には社会主義陣営にたいする攻撃とともに、アジアにおける植民地体制の強化と拡大を目的としたものである。さらに、アメリカ帝国主義が全世界にはりめぐらしている軍事基地と軍事同盟は、戦争と侵略のための基地であり軍事同盟であると同時に、他民族の抑圧のための基地であり、軍事同盟である。現実にアメリカ帝国主義の侵略をうけ、その支配のもとで苦しめられているすべての民族にとっては、民族の解放なしに真の平和はありえない。

 したがって、平和擁護闘争と民族解放闘争は、同じ帝国主義の戦争と侵略の政策と民族抑圧政策に反対する闘争として、敵を同じくし、相互に支持しあい、かたく結びつく関係にある。平和擁護闘争の前進は、帝魯主義の戦争と侵略の手をしばりつけるものとして民族解放闘争の発展と成功に有利な条件をあたえ、逆に民族解放闘争の勝利は、帝国主義の世界支配体制に大きな打撃をあたえ、その侵略と戦争の体制を弱化することによって世界の平和を強化する条件をもたらす。世界の平和を守る闘争にとっても、民族解放闘争を支持することは、平和擁護の課題のきわめて重要な部分をなしている。

 現代修正主義者が、そのコミンテルン第7回大会30周年に際して発表した論文でも、今日の国際統一戦線の重要な特質として明確にすることを回避した、この平和のための闘争と民族解放のための闘争とのかたい結びつきは、第2次世界大戦中の諸国民の闘争があたえた貴重な教訓であった。ドィツ・ファシズムに占領されたヨーロッパ諸国の人民や、日本帝国主義に占領された中国その他の人民にとっては、武装闘争をもふくめたあらゆる手段によって侵略者をうち破って民族の解放をかちとることが、もっとも積極的に平和をたたかいとる手段だったのである。

 そして、この帝国主義に反対して平和を守り民族解放をかちとるという民主主義的課題を、今日の国際統一戦線の中心任務として正しく位置づけるかどうか、そして実際に二つの任務をかたく結びつけた闘争を一貫して遂行するかどうか、ここにも今日の国際的な反帝統一戦線の決定的問題の一つがある。

 

   3、国際的な反帝統一戦線と各国人民の革命闘争

 「アメリカを先頭とする帝国主義に反対する民族解放と平和のための国際統一戦線」としての今日の国際的な反帝統一戦線の以上のような特質を明確にしてはじめて、われわれは国際的な統一戦線の諸課題と各国の国内における労働者階級を中心とする人民の革命闘争との正しい関連をも明らかにすることができる。

 反帝・民族解放・平和の勢力の国際統一戦線は、アメリカを先頭とする戦争と侵略の政策、民族抑圧の政策とたたかって、平和と民族解放をかちとることを共同の課題としているが、それはアメリカ帝国主義をはじめとする世界帝国主義を地球上から一掃するという世界革命の課題を直接の任務としたものではない。もし後者の任務を今日の国際統一戦線の任務とするならば、それは先進的な革命勢力の統一戦線とはなっても、もっとも広範な平和、民主勢力を結集した国際統一戦線ではなくなるであろう。今日の国際統一戦線の強化のためにも、その根本性格にかかわるこの一般民主主義的性格は、けっして忘れてはならない重要な基本問題の一つである。

 しかし同時に、世界帝国主義を打倒するための国際共産主義運動を中心とする革命的戦線と、今日の反帝・民族解放・平和の勢力の国際統一戦線とのこの区別の必要は、現代修正主義者がつねにおこなっているように、この二つの戦線をまったく無関係に切り離したり、「平和共存」を口実にして他国の反動的支配層に無原則に追随したり、それを美化したり、さらに諸国民の革命闘争の発展を抑制したりすることを許すものではない。なぜなら、労働者階級を中心とする人民の革命闘争は、今日の国際的な反帝民主勢力のもっとも重要な主力をなしているからである。

 各国における帝国主義と反動勢力の支配に反対する革命闘争は、各国の労働者階級と人民のそれぞれの事業である。だが同時にその闘争は、プロレタリア国際主義にもとづいて国際的に連帯したものであり、またアメリカ帝国主義を中心とする世界の帝国主義と反動の陣営の、それぞれの構成部分にたいして打撃をあたえ、それを打倒し、その世界支配を掘りくずす闘争として、民族解放と平和のための国際的な反帝統一戦線の前進にとっても重要な意義をもつ。各国の労働者階級と人民は、それぞれ自国の革命闘争をおしすすめ、同時に、各国人民の共同の国際的任務としての、アメリカを先頭とする帝国主義に反対して民族解放と平和をかちとるたたかいを連帯しておしすすめることによって、帝国主義の世界体制を追いつめる国際的共同闘争を前進、発展させているのである。1960年の81ヵ国共産党・労働者党代表者会議の声明はつぎのようにのべている。

 「帝国主義的な抑圧と搾取に対抗して、すべての革命勢力が統一されつつある。社会主義と共産主義を建設している諸国民、資本主義諸国における労働者階級の革命運動、被圧迫諸国民の民族解放闘争、一般民主主義運動など――現代のこれらすべての偉大な諸勢力は一つの流れに合流して、帝国主義世界体制を侵食し、これを破壊しつつある」

 この意味では、現代における三つの基本的な革命勢力としての、社会主義体制、資本主義諸国の革命闘争、被圧迫諸国の民族解放闘争も、また現代におけるもっとも広範な国際統一戦線としての、帝国主義の戦争と侵略、民族抑圧に反対するすべての反帝民主勢力の共同闘争も、それぞれが現代における巨大な世界的な反帝闘争の重要な構成部分をなしている。もしも、この関係を単純化して、社会主義体制だけを現代における反帝闘争の主力とみなすならば、あるいはアジア、アフリカ、ラテンアメリカ地域の民族解放闘争だけを反帝闘争の主力とするならば、それは、どちらにせよ、その主力とされたもの以外の諸国人民の闘争を、第二義的なもの、受動的なものとして位置づけることにならざるをえない。われわれは、今日、アジア・アフリカ・ラテンアメリカの地域が、世界の諸矛盾が結びつきもっともするどい危機をつくりだしている、帝国主義のもっとも弱い環となっていること、それゆえアメリカ帝国主義がこの地域にその侵略のほこ先を集中し、この地域が帝国主義と反帝・民族解放・平和の勢力との対決の主戦場となっていることを重視するものであるが、民族解放闘争だけを帝国主義に反対する勢力の主力であるとするものではない。現代における反帝闘争の主力は、社会主義体制、資本主義諸国の労働者階級の革命運動、被圧迫諸国の民族解放闘争という、三つの基本的な革命勢力全体にほかならない。そしてこの革命勢力を中心に、もっとも広範な反帝平和の民主勢力を結集したものが同時に今日の民族解放と平和のための国際統一戦線をかたちづくる勢力なのである。

 現在、日本は、アメリカ帝国主義とそれに従属的に同盟する日本独占資本に支配されており、日米安保条約のもとで、アメリカ帝国主義のアジア侵略政策のもっとも重要な拠点となっている。わが党はこの日本で、アメリカ帝国主義と日本独占資本の支配に反対する反帝反独占の民主主義革命と民族民主統一戦線の路線をかかげてたたかっているが、アメリカ帝国主義と日本独占資本の戦争と侵略の政策、日本の軍国主義、帝国主義復活政策に反対する日本人民の闘争の前進は、アメリカ帝国主義に反対する民族解放と平和のための国際統一戦線の強化にたいする、積極的な貢献となるものであり、日本人民がみずから責任をもたなければならない部署である。そして、アメリカ帝国主義と佐藤内閣が、日本をベトナム侵略戦争の直接の攻撃基地、補給基地にし、ベトナム侵略戦争の拡大をささえる土台の一つとして米日「韓」軍事同盟をめざす「日韓条約」を締結するにいたった今日の事態は、日本人民の闘争の国際的責任をいっそう大きいものとしている。われわれは、ベトナム人民をはじめ、アジアと世界の人民とかたく連帯して、アメリカ帝国主義の戦争と侵略、民族抑圧の政策に反対する国際的共同闘争をたたかいぬくとともに、日本の全民主勢力を結集して、日本における米日反動勢力の政策に反対するもっとも広範な行動の統一、統一戦線を組織し、発展させるためにたたかわなければならない。

  

二、反帝・民族解放・平和の国際的団結を弱め、破壊してきた現代修正主義

 

 わが党がすでにくりかえし明らかにしてきたように、最近数年来、国際共産主義運動の内部では、アメリカ帝国主義との闘争を中心的課題として位置づけず、その闘争を一貫して遂行するどころかアメリカ帝国主義に追従して、それとの闘争を回避しようとするもっとも有害な日和見主義があらわれ、帝国主義とたたかう国際的団結を弱め、破壊する役割をはたしてきた。今日の国際統一戦線が、なによりもまずアメリカ帝国主義との闘争を中心的課題としている以上、国際的な反帝統一戦線の強化と発展が、この決定的問題にかんする日和見主義の徹底的な克服と重大な関係があることは明らかである。

 

   1、現代修正主義のアメリカ帝国主義美化論

 この日和見主義の路線を合理化する主要な柱となってきたのは、けっきょくのところアメリカ帝国主義の「平和政策」への礼賛に帰着する各種のアメリカ帝国主義美化論である。

 よく知られているように、この数年来、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンらのアメリカ政府によって、いわゆる「二面政策」がきわだって強化されるとともに、フルシチョフを先頭とするソ連共産党指導部その他、国際共産主義運動内部の現代修正主義者は、わが党が「アメリカ帝国主義の両翼分化論」と「独・仏帝国主義主要打撃論」(1964年3月10日付『アカハタ』、評論員論文「ケネディとアメリカ帝国主義」)と名づけた議論を主張し、とくに部分核停条約についてあやまった評価をおしつけ、国際共産主義運動、国際民主運動に重大な否定的影響をおよぼした。すなわち、アメリカ帝国主義はゴールドウォーターのような冒険主義的好戦的な翼と、ケネディやジョンソンのような平和共存をのぞむ理性的な翼とに分化しつつあり、かれらのあいだの矛盾と対立を利用し、ケネディら「理性派」とも連合して、最悪の好戦的帝国主義者――ゴールドウォーターら「極右派」、報復主義的な西ドイツ帝国主義と反動的なフランス帝国主義などを孤立させることこそ、世界平和のための闘争の当面の基本方針であり、それは、かつてアメリカやイギリス帝国主義とも連合して最悪の帝国主義国――日・独・伊の軍国主義、ファシズムに砲火を集中した、マルクス・レーニン主義の反ファシズム統一戦線戦術のもっとも正しい継承と発展にほかならないというのである。

 だがこの議論は、わが党など真のマルクス・レーニン主義党が、すでに完全に批判しつくしたように、アメリカ帝国主義との断固とした闘争を回避しようとする日和見主義を「正当化」するために、第2次世界大戦当時における国際統一戦線を機械的、教条的にひきあいにだしただけの、反マルクス・レーニン主義的なアメリカ帝国主義弁護論のむしかえしにほかならない。

 第一に、今日ではすでに証明の必要もなくなっているが、ケネディ政府やジョンソン政府のいわゆる「平和」政策や「対ソ融和」政策は、真の平和共存政策とは一かけらの共通点ももたない「二面政策」にすぎず、戦争と侵略の政策をおおいかくし、国際共産主義運動と国際民主運動の不団結につけこんで「中国封じこめ」政策とアジア侵略政策をおしすすめる欺まんの道具であった。そしてその「米ソ協調」も、正しい平和共存政策を日和見主義的に一面化したソ連共産党指導部の対米追随政策につけこんで、ソ連社会主義体制の「自由化」とプロレタリア独裁の変質を策し、ソ連の内部的解体をもねらう策謀であって、それ自体、ユーゴスラビアにたいする「協調」政策と同じく、社会主義体制にたいする破壊工作の一つの形態にほかならない。

 第二に、ゴールドウォーターの路線とケネディ、ジョンソンらの路線との対立が、戦争と平和、あるいはファシズムと反ファッショ民主主義の対立を表現したものであるというのは、今日ではもうだれも耳をかすものもないおとぎ話となった。重要なことは、諸国民にとっての問題は、アメリヵ国内の政治的潮流のなかでの最右翼がどれかということではなく、なによりもまずアメリカ帝国主義が――アメリカ独占体とその国家、政府、軍隊が実際になにをやっているかということである。ファシズムが国際的な反帝統一戦線の主要な敵となったのは、たとえば、たんにドイツにファシズムという政治的潮流があらわれたからだけではなく、まさにファシズムがドイツで国家権力をにぎり、実際に侵略戦争を開始したからであった。ゴールドウォーターの方がよりファッショ的だということで、ケネディやジョンソンの政府を基本的に弁護することは、けっきょくアメリカ帝国主義が現におこなっているあらゆる暴行を弁護することにしかならない。

 第三に、報復主義的な西ドイツ帝国主義の復活がまさにアメリカ帝国主義の支持と激励によっておしすすめられていることも、事実の経過がいっそう明白にしたところであった。アメリカ帝国主義の軍隊は戦後20年をへた今日、依然として西ドイツに駐とんしている。しかもそれは、完全核装備の米第7軍5個師団を基幹とする、27万5千人以上の大兵力である。そして約40の西ドイツ軍の大部分は、アメリカの指揮のもとに侵略的軍事同盟NATO軍に編入されている。西ドイツの軍国主義者がいだいている独自の侵略計画との闘争は、なによりもまずそれを援助しているアメリカ帝国主義にたいする闘争と結びつけ、それとの関係で正しく位置づけられなければならない。

 第四に、もっとも重要なことは、ソ連とともに、ファシスト侵略ブロックとたたかったルーズベルト時代のアメリカ帝国主義の国際的地位と、ドイツ・ファシズムにかわって各国人民の国際的共同闘争の主敵そのものとなっている今日のアメリカ帝国主義がはたしている国際的役割とには、根本的な相違があることである。1954年と1962年の二つのジュネーブ協定などが示すように、帝国主義の戦争と侵略の政策に反対する国際的な闘争の過程で、社会主義国が、世界人民の闘争の圧力に依拠して帝国主義とのあいだに一定の協定その他をかちとり、これを平和と民族解放のために利用する場合があることはいうまでもないが、必要な妥協という口実で世界人民の主敵であるアメリカ帝国主義の政治的指導者との無原則的連合やこれへの追従政策を合理化することは、マルクス・レーニン主義および平和と民族解放の国際統一戦線の事業にたいするもっとも重大な裏切り以外のなにものでもない。

 このような議論とそれにもとづく路線は、ディミトロフが、「われわれの陣営内には、ファシズムの危険にたいする許すことのできない過小評価があった」とのべたのと同様、アメリカ帝国主義のはたしている実際の役割、実生活が示しているそのもっとも危険な侵略牲と反動性にたいする、許すことのできない過小評価にもとづくものである。無原則的な対米追従は、国際労働者階級と全世界の人民がアメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策とまっこうから力をつくしてたたかわないでも、その政策に反対する反帝国際統一戦線をますます強化拡大するために努力しないでも、ケネディ政府やジョソソン政府の「平和」政策にたよれば、平和を守ることができるという降伏主義的幻想からみちびきだされたものである。こうした評価や幻想が、逆に世界の平和と諸民族の独立をあやうくし、社会主義国にたいする新たな攻撃をもひきおこすものであったことは、ベトナム侵略戦争を中心とするその後のすべての事態が立証したところである。

 現代修正主義者たちは、アメリカ帝国主義と連合しこれに追従するという、すでにまったく破産したその日和見主義政策を合理化する論拠の一つとして、帝国主義諸国間の矛盾の利用についてのレーニンの命題やコミンテルン第7回大会の教訓をもちだしているが、これほど乱暴な歪曲はない。たしかに今日西ヨーロッパ諸国と日本の独占資本主義が急速に復活強化するにつれて、帝国主義陣営内の矛盾と対立は新たな激化を示し、するどい裂け目が各所に拡大しつつある。EEC(ヨーロッパ共同市場)をめぐるアメリカ、イギリス、フランス、西ドイツの対立、NATO、ベトナム問題、対中国政策、核政策、資本主義世界の貿易や国際通貨の問題その他をめぐるアメリカとフランスの対立、西ドイツ核武装をめぐるアメリカ・西ドイツとフランスの対立、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの勢力圏の再分割をめぐるアメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ、日本その他の対立などは、社会主義体制と帝国主義体制との対立や、世界帝国主義と国際労働者階級および民族解放運動との対立とからみあいながら、ますます先鋭化しつつある。しかし、これらの矛盾と対立の利用は、アメリカ帝国主義に反対する国際反帝統一戦線のたたかいを土台としておこなわなければならず、また、まさにコミンテルン第7回大会が正しく適用してみせたように、主要な戦争放火者をいっそう明確にしてそれを孤立させ砲火を集中するために、すなわちアメリカ帝国主義を孤立させ、これに砲火を集中し、そのことによって世界帝国主義全体を弱め、反帝勢力を強化するためにこそおこなわれなければならないのである。

 コミンテルン第7回大会は、帝国主義国家間の敵対関係が、反ソ戦争のためのすべての帝国主義国の同盟をつくりだすのを、一定の期間、一定の条件のもとで、ある程度妨げうるように進展しつつあることに注目して、帝国主義諸国間にあるすべての矛盾と対立をたくみに利用しつつ、主要な戦争扇動者であり反ソ戦争の先兵であるドイツ・ファシズムと日本軍国主義に砲火を集中する方針をつくりあげた。この方針は、その後のドイツ・イタリアのファシズムと日本軍国主義のますます露骨な侵略行動と、それによってますます激化した帝国主義諸国間の死闘のなかで、その正しさをいっそう明確にしていった。ミュンヘン会談、独ソ不可侵条約など幾多の屈折をへて、ドイツ・ファシズムがソ連におそいかかったとき、ついに独・伊・日帝国主義打倒のための、ソ連、アメリカ、イギリス、フランス、中国などの連合をふくむ国際的共同戦線が結成された。第2次世界大戦におけるこの国際的共同戦線の勝利は、独・伊・日帝国主義を打倒しただけでなく、世界帝国主義全体に大きな打撃をあたえ、全世界の反帝勢力を大きく強化した。戦後の東ヨーロッパとアジアにおける一連の民主主義革命および社会主義革命の勝利による社会主義世界体制の成立、資本主義諸国における労働運動と革命運動の成長、アジア、アフリカ、ラテンアメリカにお吐る民族解放運動の巨大な前進と植民地体制の崩壊の進行などは、ファシズムにたいする世界の民主勢力のこの歴史的勝利の土台のうえになしとげられたものであった。そしてこの一連の勝利こそ、1960年の81ヵ国共産党・労働者党代表者会議の声明が、「あい対立する二つの社会体制の闘争の時代、社会主義革命および民族解放革命の時代、帝国主義の崩壊、植民地体制一掃の時代、各国人民がつぎつぎと社会主義への道にふみだし、社会主義と共産主義が世界的な規模で勝利する時代」として特徴づけた「われわれの時代」を、明確なすがたをとって前進させたものであった。

 中国共産党が、抗日戦争の時期に、日本帝国主義とそれに結びついた一部の反動派、投降派に反対してかちとった「国共合作」と抗日民族統一戦線の成功も、主要な敵にたいして砲火を集中するこのような戦術のもっとかがやかしい典型の一つであった。中国共産党は、日本帝国主義と国民党との矛盾、日本帝国主義とアメリカ・イギリス帝国主義との矛盾の激化を、主要な敵、日本帝国主義打倒のために利用した。そしてその勝利は、アジアにおける帝国主義の植民地体制全体に、重大な打撃をあたえたのである。

 これらの経験に正しく学ぶならば、さきにのべたような最近の帝国主義陣営内の矛盾と対立の先鋭化を、現代帝国主義の主力であるアメリカ帝国主義に反対する国際的闘争をいっそう有利に前進させ、世界帝国主義全体を弱め、反帝勢力を強化する新しい条件をあたえているものとして利用することこそが、重要なのである。ところが、まさにそのときに、現代修正主義の国際的潮流は、そのアメリカ帝国主義に接近し、妥協し、追従し、連合する道を選んだ。中国、ベトナム、朝鮮、キューバなど社会主義国にたいする公然たる侵略政策を現に強行している最悪の敵と無原則的に妥協し、しかもその妥協を国際民主運動と国際共産主義運動におしつけ、アメリカ帝国主義に反対する国際的統一闘争を分裂させ破壊する道をまっしぐらにつきすすんだ。それは、コミンテルン第7回大会の統一戦線戦術の歴史的教訓をまっこうから裏切ったものであるだけでなく、国際共産主義運動を世界帝国主義に追従させようとした、きわめて重大な裏切り行為であったといわなければならない。

 

   2、民族解放と平和擁護の任務の日和見主義的歪曲

 さらに、現代修正主義者は、アメリカ帝国主義との闘争を回避する日和見主義の当然の結果として、今日における国際統一戦線の中心任務である民族解放と平和擁護の任務をも、日和見主義的に歪曲し、反帝民主勢力の国際的団結を弱化させ破壊するさまざまな策謀を追求してきた。

 第一に、現代修正主義の国際的潮流は、反帝国主義的、民主主義的性格をもつ平和擁護闘争を、反帝国主義的性格をぬきさり日和見主義的に一面化した「平和共存」をめざす闘争にかえ、国際民主運動、国際共産主義運動に対米追従政策をおしつけ、アメリカ帝国主義が戦争と侵略の政策をおしすすめるのを容易にしてきた。

 フルシチョフらは、各国人民が帝国主義の戦争政策にたいする断固たる闘争を不断におしすすめ、その侵略の手をおさえつけることによってはじめて帝国主義におしつけることのできる、社会体制の異なる諸国家間の平和共存を、「米ソ2大国による平和」、すなわち、アメリカ帝国主義の核脅迫に屈服した「米ソ協調」にすりかえてしまった。かれらのいう「平和共存」なるものの実態がどんなものであったかを、もっともあざやかに示したものは、フルシチョフを中心とするソ連共産党指導部が、わが党中央委員会に送って一方的に公表した、1964年4月18日付書簡にあるつぎのような主張である。

 「ソビエト国民の並々ならぬ努力によって、世界で最大の威力をもつ核兵器がつくられました。帝国主義者は、“力の立場”にたつ政策を実施する物質的地盤を失ってしまいました
 「われわれの階級敵の陣営内では、もし帝国主義の狂人どもが世界戦争をはじめるならば、資本主義は一掃され、葬り去られるという真理を、ますますはっきりと理解するようになっています。まさに、このために帝国主義者は余儀なく、諸国家間の平和共存を受けいれているわけです」

 もし、ソ連共産党指導部が描き出してみせたように、「力の政策」の物質的地盤がすでに失われ、アメリカ帝国主義がすでに平和共存をうけいれているのなら、当然ここからは、世界平和を守るために、アメリカ帝国主義と闘争することもアメリカ帝国主義に反対する国際統一戦線を強化することも必要でなくなり、ただアメリカ帝国主義と「協調」してすでに実現されている「平和共存」の維持に努めさえすればよい、という結論が出てこざるをえない。だが、アメリカ帝国主義が平和共存をうけいれているなどというソ連共産党指導部のこうした評価が、ただかれらのアメリカ帝国主義にたいする降伏政策を合理化するための、でまかせの言葉にすぎなかったことは、いまでは論議の余地もないほど明白である。

 1960年の声明後の5年間、たしかにアメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策には、軍事的力関係をもふくめた世界的な力関係の変化におうじて一定の変化がおこったが、それは、どんな意味ででも、アメリカ帝国主義が 「平和共存を受けいれ」たことを示すものではなかった。それはすでにのべたように、「二面政策」の強化という変化にすぎない。すなわち、アメリカ帝国主義は、フルシチョフら現代修正主義者の日和見主義的対米追従政策につけこみ、ソ連とのあいだに一定のやわらぎをつくり出しながら、その内部的解体をねらい、同時に「中国封じ込め」政策を中心にして、各個撃破的にアジア、アフリカ、ラテンアメリカなどの民族解放運動の圧殺や、中国、朝鮮、ベトナム、キューバなどの社会主義国にたいする侵略戦争の陰謀をおしすすめる「二面政策」を強化してきたのである。そしてフルシチョフらの対米追従政策と、アメリカ帝国主義の「二面政策」は、相互に呼応しあって、ベトナム侵略戦争の凶暴化と拡大が反論の余地なく示しているように、アジアにおけるいっそう大規模な戦争の危険を急速に増大させつつある。

 1960年の声明は、つぎのようにのべていた。

 「この時期における主な結論は、社会主義世界体制の力量と国際的影響力の急激な成長、民族解放運動の打撃による植民地体制のいちじるしい崩壊の過程、資本主義世界における階級闘争の激化、資本主義世界体制のいっそうの衰退と腐朽である。世界の舞台では、帝国主義にたいする社会主義勢力の優位、戦争勢力にたいする平和勢力の優位がますます明らかになっている」。

 この優位こそ、同じ声明が「世界戦争をはじめようとする帝国主義的侵略者のたくらみを阻止できるときがきた」と宣言したもっとも深い根拠であったが、今日、アメリカ帝国主義が、傍若無人にベトナム侵略戦争を拡大し、いっそう大規模な戦争をひきおこそうとしている重大な事態は、この「戦争勢力にたいする平和勢力の優位」にふさわしいものでないことは明らかである。さらにまたアメリカ侵略者が、南ベトナムへの侵略の公然とした拡大だけでなく、世界社会主義体制のアジアの前哨である社会主義国の領土に、毎日毎日暴虐な爆撃をくりかえしているという重大な事態が、この「帝国主義にたいする社会主義勢力の優位」にまったくふさわしいものでないことも明らかである。

 このことは、「帝国主義にたいする社会主義勢力の優位」、「戦争勢力にたいする平和勢力の優位」も、けっしてたたかわずに発揮できるものではないこと、社会主義陣営、国際共産主義運動の団結をかため、全世界の反帝勢力を国際統一戦線に結集して帝国主義の戦争と侵略の政策にたいする、不断の闘争を前進させることによってのみ、この本来の優位を発揮し、強化しうるものであることを示している。もしも誤って、フルシチョフのように、現在の国際情勢をすでに平和共存が実現している状態であるかのようにみなして、アメリカ帝国主義との闘争を回避する日和見主義路線を反帝・民族解放・平和の勢力におしつけ、社会主義陣営、国際共産主義運動、国際民主運動の団結を破壊する政策をおしすすめるならば、たとえ大局的には社会主義と平和勢力が優位をたもっていたとしても、帝国主義は社会主義諸国にたいしてさえ局地的に戦争と侵略の政策を強行する有利な機会をみつけることができる。もしも誤って、フルシチョフのように、世界戦争を避けることのできる可能性をたたかわずに実現できるものとみなしてアメリカ帝国主義にたいする無原則的追随政策をとり、反帝・民族解放・平和勢力の、アメリカを先頭とする帝国主義に反対する国際的団結を弱め、破壊するならば、帝国主義が放火する局地戦争がより大規模な戦争に拡大し、新しい世界戦争に発展する可能性さえ増大することとなる。われわれが現在直視しなければならないことは、今日の情勢が、新しい世界戦争は避ける可能性があるということを理由にして、安住していられる事態ではけっしてないということである。アメリカの政府、軍部内部に、「米・中戦争」論――すなわち中国が強力な核ミサイル兵器を完成する以前に、中国に「予防戦争」をしかけ、中国を粉砕することが必要だという主張がますます公然とのべられるようになっている事実は、アジアにおける大規模な戦争――そしてそれが世界戦争に拡大しないという保障はない――の脅威が、実際に増大していることを示している。

 フルシチョフらは、ただ米・ソ間に一定のやわらぎ――それも本質においては欺まん的なものにすぎない――が生まれたことだけを理由にして、すでに「帝国主義者は、“力の立場”にたつ政策を実施する物質的地盤を失い」、「余儀なく平和共存を受けいれている」と言いはなち、アメリカ帝国主義に無上の賛辞をささげてこれとの闘争を回避し、全世界の人民の前から現実の戦争と侵略の危険をおおいかくし、事実上、平和擁護闘争を武装解除させ、さらに分裂政策を強行しようとしたのである。

 第二に、現代修正主義の国際的潮流は、反帝平和の課題を世界戦争防止の課題だけに解消し、さらにそれを保障するものとしてかれらの日和見主義的「平和共存」を最高の地位にまつりあげ、この「平和共存」をあやうくするという口実で民族解放闘争や各国人民の革命運動をおさえつける行動をとってきた。

 たとえばフルシチョフは、1962年の「キューバ危機」の際に、熱核戦争の危機を防ぐためと称して、キューバ政府と事前に相談することなく、キューバの国際査察をケネディに約束した。かれは、「米ソ共存」のためには、他の社会主義国家の民族的主権さえ取引きの道具として恥じなかったのである。またフルシチョフは、1964年夏、アメリカ帝国主義がベトナム民主共和国を爆撃した「トンキン湾」事件に際して、アメリカがこの問題を国連にもちこむことに賛成した。かれは、ベトナム民族にくわえられているアメリカ帝国主義の侵略の問題をも「米ソ協調」に従属させ、そのわくのなかで解決しようとこころみたのである。現在でもまだ、一部の現代修正主義者は、ベトナムを中心に生まれている核戦争の危機を口実にしてジョンソンとつうじあう「無条件停戦」や無原則的な「政治的解決」をとなえ、ベトナム人民の民族的要求を犠牲にして、ベトナム問題を「米ソ協調」の路線にのせようとする、さまざまな策謀をやめていない。

 このほか、現代修正主義者が「平和共存」を口実にして、各国人民の革命運動や民族解放運動の前進を抑制しようとした例は、数えきれないほどである。わが国の反党修正主義者も、「平和共存」が進展すればアメリカ帝国主義の日本にたいする支配もなしくずしに後退せざるをえないと主張して、アメリカ帝国主義にたいする日本人民の民族独立闘争をおさえつけ、日本革命の課題から民族独立をはずそうとした。

 現代修正主義者が口先では平和と独立の課題の結びつきをみとめ、帝国主義の支配に根本的な打撃をあたえる資本主義国や植民地、従属国での革命運動、独立運動の重要性をとなえながら、実際にはかれらのいう日和見主義的「平和共存」を最高の地位にまつりあげている理由は、万一熱核戦争がおきれば、階級も民族もなく、ほとんど全人類が全滅してしまうからということである。たとえば、1963年7月14日の「ソ連の全党組織と全共産党員にあてたソ連共産党中央委員会の公開状」は、原子爆弾は階級的原則にしたがわないとしてつぎのようにのべていた。

 「原子爆弾は、階級的原則におかまいなく、その破壊作用のおよぶ範囲にいる人びとを全滅させてしまう」
 「原子爆弾は、帝国主義者のいるところも勤労者のいるところも区別せず、広い地域にわたって爆発する」

 たしかに、原子爆弾の核反応過程そのものは、社会科学の法則にしたがわずに物理学の法則にしたがい、もし爆発すれば物理的には、帝国主義者も労働者も区別せずに、巨大な破壊力をおよぼす。だがそのことを理由に、原子爆弾の生産と使用および廃棄が、まさに社会科学の法則にしたがい、階級闘争の原則にしたがっておこなわれること、すなわち帝国主義者がその戦争と侵略の政策と世界支配計画のために核兵器を生産し、実験し、配備し、使用すること、社会主義国の核兵器の開発と保有が、帝国主義者の核脅迫に反対し、これを抑止し世界戦争の危険をふせぐために必要となること、一切の核兵器の廃棄は、帝国主義にたいする反帝平和の勢力の闘争によってのみかちとられるものであることを否定することほど、こっけいなことはない。この点にかんしては、破壊力の大小にもかかわらず、水爆も小銃もなんの変わりもない。核兵器をただその破壊力のゆえに、階級闘争の原則からはずそうとする、マルクス・レーニン主義理論のこの露骨な修正のこころみは、ただ、アメリカ帝国主義の核脅迫におびえて、自己の闘争放棄を合理化し、世界の人民に断固たる反帝独立の闘争や革命闘争を抑制するよう説教しようとするものにほかならない。そして、フルシチョフらのアメリカ帝国主義にたいする無原則的追従の底によこたわっていたものは、たとえ反帝・民族解放・平和の国際統一戦線が弱化し、国際共産主義運動が分裂しても、米・ソ間の熱核戦争さえ回避できれば、こうしてえられた「平和」の期間に、「平和」的経済競争でソ連の生産力がアメリカの生産力を追いこすことができ、その「実例」の力にもとづく社会主義の世界的勝利が期待でき、諸民族の完全な解放の日もまたやってくるだろうという無責任な幻想であった。だが、これは、まったく本末をさかさまにした幻想にすぎない。平和と民族解放をめざす諸国民の反帝闘争や革命闘争を犠牲にして、社会主義建設だけが平和のうちに躍進することはありえない。それは帝国主義の侵略と戦争の政策をいっそう助長し、けっきょく、熱核戦争の危険そのものをも増大させることになる。民族解放と平和のための諸国民の闘争、各国人民の革命戦争を、社会主義陣営がプロレタリア国際主義にもとづいて支持し、帝国主義の闘争と侵略、民族抑圧と反勧の政策をおさえつけてこそ、はじめて平和を維持・強化することができ、平和な社会主義建設の躍進もありうるのである。また、このような闘争をつうじてこそ、社会主義の優越した「実例」の力を、世界の人民は真にみてとることができるのである。フルシチョフの日和見主義路線は、帝国主義の圧力に屈して、「米ソ間の緊張緩和」という目前の、しかも、幻想的な利益のために、国際労働者階級とその所産である社会主義体制の根本的利益を見失い、犠牲にしようとするものであった。レーニンが喝破しているように、これこそ修正主義の政策の根本的な特徴なのである。

 「そのばあいばあいで自分の行動を決定し、日々の諸事件に、些細な政治の風向きに順応し、プロレタリアートの根本的利益と、全資本主義体制、全資本主義的進化の基本的特徴とをわすれ、目前の現実の利益または仮想された利益のためにこの根本的利益を犠牲にすること、――これが修正主義の政策である」(「マルクス主義と修正主義」、邦訳レーニン全集15巻、20ページ)

 以前には、レーニンとスターリンの指導したソ連共産党とソビエト社会主義国家は、各国人民の独立、平和、民主主義のための闘争、労働者階級の革命的闘争に惜しみない援助をあたえ、また各国の労働者階級と先進的な人民は、解放のとりでとしてのソビエト連邦を擁護するために、犠牲的献身とめざましい戦闘性を発揮してたたかった。コミンテルン第7回大会の方針は、諸国人民を守る平和擁護、帝国主義戦争反対と同時に、世界ではじめての社会主義国家ソ連を守りぬくためのものでもあった。真のプロレタリア国際主義にもとづく、各国の共産主義者と労働者階級、勤労人民の、ソ連にたいする熱烈な支持にこたえて、ソ連共産党とソ連人民は、ドイツ・ファシズムの凶暴な侵略とまっこうからたたかいぬいて大祖国戦争の勝利をかちとり、同時に各国人民の解放闘争にたいする偉大な歴史的貢献をなしとげたのである。フルシチョフとその追随者たちが、ソ連一国だけの幻想的利益に目をうばわれて、アメリカ帝国主義と無原則的妥協をおこない、平和、独立、民主主義、社会主義のためにたたかう諸国人民の団結を犠牲にし、さらに積極的に今日の国際的な反帝統一闘争と統一戦線を分裂させ、弱化させてきたことは、ソ連共産党の革命的伝統とプロレタリア国際主義をはずかしめるものであるといわなければならない。

 わが党だけでなく、マルクス・レーニン主義を堅持する兄弟党が、断固として批判し、たたかってきた、現代修正主義者のこのような主張と路線は、わが党が論文「

現代修正主義者の戦争と平和の理論と、これにたいする歴史の審判」(1965年8月14日付『アカハタ』)のなかでくわしくあとづけたように、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争と、それに反対する各国人民の共同闘争をはじめ、国際情勢と世界人民の闘争の現実によって、すでに完全に破産した。一方、その破産と対照的に、1960年の声明が明確にし、われわれが堅持してきたアメリカ帝国主義にたいする評価と、アメリカを先頭とする帝国主義勢力と対決し闘争するいっさいの反帝勢力の統一と団結という路線の正しさは、諸事件の経過そのものによって力づよく立証された。

 コミンテルン第7回大会30周年に際して現代修正主義者によって発表された論文は、共通して平和擁護闘争におけるセクト主義と教条主義にたいする闘争の重要性をしきりに強調しているが、今日までの国際統一戦線にとっての主要な危険は、以上にみたように現代修正主義の国際的潮流の、反帝闘争を回避しようとする日和見主義路線とこれをおしつける分裂主義、大国主義路線にあったことは明らかである。

 今日の国際統一戦線にかんする現代修正主義者の日和見主義的誤りの本質は、すでにのべたように、第一に主要な敵としてのアメリカ帝国主義を美化して、それとの闘争を回避すること、第二にそのことと結びついて、平和擁護と民族解放を切り離して反帝闘争を弱めるだけでなく、それらの課題から反帝的性質をうばいとり、抽象的な「平和」をかかげてアメリカ帝国主義との闘争を回避する無原則的な日和見主義的統一戦線を追求して、反帝民主勢力の真の国際統一戦線を分裂させ裏切ろうとしたことにあった。

 いま重要なことは、アメリカ帝国主義に反対する反帝・民族解放・平和の国際統一戦線にとって主要な危険となっている、こうした現代修皿主義者の日和見主義と分裂主義の路線との闘争を、反帝民主勢力の国際的団結を強化する闘争と正しく結びつけることである。このことによってわれわれは、現代修正主義にたいする闘争をもいっそう有効にすすめることができる。だが、もしもわれわれが、この二つの闘争を正しく統一することができず、正しく結びつけてたたかわないならば、それはけっきょく、現代修正主義の策動にたいして理論的にも実践的にも受動的になる結果を生み、アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線の強化という切迫した任務を過小評価する傾向におちいることとなるであろう。現代修正主義の日和見主義と分裂主義の策動にたいする最大の実践的回答は、理論的にこれとたたかうだけでなく、今日情勢が切実に要求している国際的な統一行動と統一戦線を達成する課題を重視し、その強化のためにもっとも積極的にたたかうことである。

 マルクス・レーニン主義者は、マルクス・レーニン主義的路線をゆがめようとするいっさいの修正主義とたたかい、また、教条主義とセクト主義を正しく警戒しつつ、かつて、共産主義インタナショナルの指導のもとに国際的な反ファシズム統一戦線によって、主要な敵ファシズムを打倒したように、帝国主義の主力であるアメリカ帝国主義に主要な砲火を集中し、民族解放と平和という共同の課題をめざす国際的な反帝統一戦線の巨大な前進によって、世界帝国主義の戦争と侵略、民族抑圧にたいする歴史的勝利をかちとらなければならない。

  

三、国際統一戦線の強化と国際共産主義運動の団結

 

 アメリカ帝国主義に反対する国際統一戦線を強化するために、国際民主運動や各国人民の統一行動をすすめてゆく際、特別に重要な問題は、その中核となるべき国際共産主義運動の団結とその路線の正しさである。

 81ヵ国共産党・労働者党代表者会議の声明は、この問題につき、つぎのようにのべている。

 「会議参加者は、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづく各国共産党のいっそうの団結こそ、労働者階級の全勢力、民主主義と進歩の全勢力を結集するもっとも重要な条件であり、全人類のかがやかしい未来をかちとり、平和と社会主義の事業の勝利をかちとる大闘争で世界の共産主義運動と労働運動が新たな勝利をおさめるための保障だと考えている」

 コミンテルン第7回大会の時代には、国際共産主義運動の路線の正しさはもちろん、その隊列の団結も強固なものがあった。マルクス・レーニン主義の原則にもとづく強固なこの団結こそ、たとえば、独ソ不可侵条約という複雑な情勢のなかでも各国共産党が毅然としてその基本的立場を堅持して活動しつづけ、第2次世界大戦のなかで、国際共産主義運動の威信と影響力を飛躍的に高めることができた基礎であった。1943年のコミンテルン解散後も、この団結はゆるがなかった。そしてアメリカ帝国主義との反ファシズム連合のなかで、ルーズベルト政策にたいする反階級的幻想と無原則的追従におちいり、アメリカ共産党を解散させたブラウダーの修正主義が発生したときに、国際共産主義運動が全体として適切にそれとたたかい、アメリカ共産党の急速な再建がかちとられたのも、国際共産主義運動の統一と団結が維持されていたことが背後の力となっていた。

 ところが今日では、アメリカを先頭とする戦争と反動の勢力にたいする国際的統一闘争と統一戦線のいっそうの強化がつよく要請され、その発展の保障として、国際共産主義運動の正しい路線と強固な団結がもっともつよく要請されているときに、フルシチョフを中心とする現代修正主義の反帝闘争回避の日和見主義路線が成長し、それを前提とした分裂主義と大国主義が強まって、国際共産主義運動の不団結が重大化してきたのである。この日和見主義、分裂主義、大国主義の路線をどのように克服し、国際共産主義運動の真の団結を回復し、強化するか、ここに今日、すべての共産主義者が全力をあげてとりくまなければならない重要な課題がある。

 

   1、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する効果的な共同行動の重要性

 国際共産主義運動の不団結問題の真の全面的解決が、1957年の宣言と1960年の声明が「主要な危険」であると規定した現代修正主義の完全な克服によってのみ、かちとられるものであることは明白である。だが現代修正主義を完全に克服する闘争は、長期にわたる闘争となることはさけられない。

 しかし、ベトナム侵略戦争の現状が示すように、アメリカ帝国主義が、国際共産主義運動の不団結につけこんで、その侵略行為を凶暴におしすすめている現在、玩代修正主義の完全な克服を連成するまで、アメリカ帝国主義の侵略に反対する闘争での国際的共同行動をひきのばし、反帝・民族解放・平和の国際統一戦線を強める努力を怠ることはできない。なぜなら、「世界の舞台では、帝国主義にたいする社会主義勢力の優位、戦争勢力にたいする平和勢力の優位がますます明らかになっている」と1960年の声明がのべた今日の本来の力関係のもとでは、もしも国際共産主義運動がかたく団結し、全社会主義陣営が団結してベトナム人民の闘争を支援しアメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策とまっこうからたたかうならば、そもそもアメリカ帝国主義がなにはばかることなく南ベトナムを侵略しベトナム民主共和国に無法な一方的爆撃をおこない、それを拡大するような事態を防止することもできただろうし、今日でもその侵略政策をかならずうちやぶることができるからである。

 アメリカのベトナム侵略は、アメリカ帝国主義の侵略的本性にもとづくものであるが、かれらの犯罪的行為は、かれらなりの打算にもとづいている。それはなによりもまず、ケネディの部分核停条約以来の二面政策とそれにたいするフルシチョフらの美化によって、アメリカ帝国主義の戦争と侵略、民族抑圧の政策に反対する反帝民主勢力の国際的団結が弱められているという打算にもとづいている。南ベトナムの米軍事顧問団を、数百人から1万5千人にまで増員し、「ステーリー・テーラー計画」をつくって公然たる植民地戦争を開始したのはケネディであったが、フルシチョフは一度も真剣にそれを糾弾せず、それどころか、ケネディを理性的な平和の政治家としてほめたたえた。それが、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対し、ベトナム人民の正義の闘争を支援する、諸国人民の効果的な闘争体制をつくりあげることに、重大な否定的影響をおよぼしたことは明らかである。

 とくにアメリカ帝国主義は、フルシチョフ以来の現代修正主義の国際的潮流のアメリカ帝国主義にたいする追随路線の結果、社会主義陣営をみくびり、その一定部分の日和見主義的変質を期待し、社会主義陣営の不団結につけこんで社会主義諸国を各個撃破できるという打算をかためてきた。このことは、ベトナム侵略戦争の拡大の、これまでの経過からみて、明白である。とくにアメリカ帝国主義がベトナム民主共和国にたいする侵略計画を公然ととなえはじめたのは63年の部分核停条約以後のことであり、アメリカ帝国主義は、それをソ連共産党指導部の部分核停条約支持のおしつけをふくむ日和見主義および分裂主義の路線の強化と、それにもとづく社会主義陣営の不団結の拡大を計算にいれて、一歩一歩実行してきたのである。

 1964年はじめ、ロストウ米国務省政策企画委員長は、ベトナム民主共和国への魚雷艇攻撃、戦略爆撃などを段階的に発展させる「第6ロストウ計画」を提案したが、ニューズ・ウイーク誌3月2日号はこれについて、つぎのように報じていた。

 「ロストウ氏とその支持者は、北ベトナムの情勢はきわめて不安定であり、また中ソの対立は深刻だから共産圏から大規模な報復を受ける危険はほとんどないと信じている」

 同年6月1日、米首脳はホノルル会議を開き、ベトナム民主共和国にたいする12段階にわたる攻撃計画、いわゆる「エスカレーション計画」を決定した。そしてジョンソン政府が6月19日、「米国は東南アジアで中共との全面戦争も辞さない」という好戦的態度を表明し、関係各国に通告したと報道された日から2日後の21日、ソ連共産党機関紙プラウダは、ユーリ・ジューコフの「万里の長城」という論評を掲載した。そこにはこう書かれてあった。

 「北京の指導者たちは、中国人民のなかにソ連にたいする真の友情がふかく根づいたことを知っており、『きびしい試練のときには』中国とソ連はつねに行動をともにするだろうなどという大げさな偽善的な文句を、いまもなお時どき口にしている。だが、分別あるものならだれでも、かれらにこういうだろう。中国でみにくい反ソ・カンパニアがくりひろげられており、朝から晩までソ連にたいするとほうもない非難がまきおこされているような条件のなかで、あなたがたはそのことをどう保証するつもりなのか。ソ中友好の土台そのものを破壊するような、こういう危険な政治的遊戯は冒険のしすぎではないだろうか」。

 この論評が事実上アメリカ帝国主義の侵略政策をはげますものと、広くうけとられたのは当然である。

 そして、アメリカ帝国主義が、ホノルル会議の計画にしたがって、8月2日第1次「トンキン湾」事件をひきおこしたとき、翌3日にフルシチョフは、部分核停条約1周年を記念レて、平然と米・ソの「相互信頼」をほめたたえた。この「信頼」に安心して、ジョンソン政府は8月5日、ベトナム民主共和国に最初の大規模な空爆をおこなった。ベトナム民主共和国、中国、キューバなどがただちにアメリカを断固として非難しつよく抗議する声明を出したこのとき、おどろくべきことにソ連政府は、アメリカと共同歩調をとって、問題を国連安保理事会にもちこみ、ベトナム民主共和国政府代表の安保理事会出席を提案し、ベトナム問題をアメリカの道具となっている国連のわくのなかで「解決」することに手助けしようとしたのである。社会主義陣営の一国にたいする、長く準備された計画にもとづくこの一方的攻撃にたいし、ソ連政府がとった態度は、ロストウが予測したとおり、信じがたいほどあいまいな弱腰のものであった。

 そして、いっそう許しがたいことは、10月15日にフルシチョフを解任したソ連共産党の新指導部が、11月のアメリカ大統領選挙に際して、社会主義陣営にたいする公然たる侵略戦争の火ぶたを切ったジョンソンを、ゴールドウォーターをうちまかすためと称して、公然と支持したことである。11月4日、ソ連政府機関紙イズベスチャは、ジョンソンの当選に際して、「アメリカが世界政治情勢改善、他国との正常で互恵の関係の発展、未解決の国際問題解決へ具体的に前進するだろうと期待する理由がある」「アメリカの政策は、世界平和強化のため協力する用意のあるソ連の立場とはっきり合致するだろう」と書き、依然としてアメリカ帝国主義の美化と、露骨な対米追随政策を変えるつもりがないことを表明した。

 このようなソ連共産党指導部の態度は、ますますジョンソン政府をつけあがらせ、いっそう凶暴な侵略政策にのり出させた。かれらは、こともあろうにコスイギン首相がベトナム民主共和国を訪問している最中をえらび、プレイク基地にたいする人民軍の攻撃への「報復措置」と称して、1965年2月7日から凶暴な「北爆」を開始した。ところが、社会主義陣営と国際共産主義運動の団結が、いっそう切迫したものとして要求されたこのとき、ソ連共産党指導部は、3月1日にフルシチョフの計画をひきついだ分裂主義的会議を一方的に招集して、国際共産主義運動の不団結を拡大しアメリカ侵略者の各個撃破の野望を強めさせた。この会議のひらかれた翌日の3月2日に、アメリカ帝国主義は、20日ぶりにベトナム民主共和国にたいする爆撃を大規模に再開し「報復措置」から爆撃の恒常化に移行させた。分裂を公然化する3月1日の「相談会」をひらいたこと自体が、かさねてアメリカ帝国主義を鼓舞する結果となったことは明白である。

 フルシチョフ以来の現代修正主義者の策謀がひきおこした国際共産主義運動の不団結こそ、アメカ侵略者のベトナム侵略戦争の凶暴な拡大にふみきらせた重要な条件の一つとなったことは疑問の余地がない。だとすれば、現代修正主義者の日和見主義、分裂主義の策謀とたたかって、アメリカ帝国主義の侵略とたたかう効果的な共闘態勢を強化することは、マルクス・レーニン主義を堅持するすべての党の双肩に課せられたもっともきびしい責任であるといわなければならない。

 わが党は、これまで一貫して「アメリカを先頭とする帝国主義に反対する民族解放と平和の国際統一戦線」の強化と発展を保障する重要な条件としての国際共産主義運動の統一と団結の達成を重視してきた。そして、フルシチョフを先頭としたソ連共産党指導部のわが党にたいする公然とした攻撃に直面しつつ、国際共産主義運動の重大化した不団結の根源である現代修正主義の国際的潮流の日和見主義と分裂主義の路線にたいする原則的闘争を国際的義務として積極的に遂行しながら、同時に、アメリカをかしらとする帝国主義勢力とたたかうために、国際民主運動の行動の統一とともに、国際共産主義運動の共同行動を実現することをつよく提唱しつづけてぎた。

 「われわれは論争によって真理を追求しながらも、帝国主義による社会主義陣営にたいする離間策や国際共産主義運動にたいする策謀をゆるさないように、各国人民の共同の敵とたたかうための行動の統一をかちとる努力をすべきだと考える。これこそ、マルクス・レーニン主義の原則とプロレタリア国際主義にもとづく真の団結に向かって前進する現実的な道である。
 国際共産主義運動を決定的な分裂へとみちびくような『国際会議』は、まだひらかれていないのだから、いまからでもおそくはない。われわれは、一方的で根拠のない提案と方法にもとづく『国際会議』――事実上、必然的に団結に有害な――国際会議の招集を中止させること、そして、1957年の宣言と1960年の声明に明確に規定されている各国人民の共同の敵がおこなっている侵略と一致してたたかう具体的な共同行動について協議する国際会議を準備することを、広く各兄弟党に提案する」。(1964年10月5日付『アカハタ』主張「各国共産党・労働者党の国際会議は、分裂のためでなく、団結に役だつようにおこなわれるべきである――日本共産党の提案」)

 さらにわが党は、1965年2月のベトナム民主共和国にたいする爆撃以来、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争がつくりだしたきわめて重大な事態にたいし、緊急に必要な「諸国人民の切実な利益を守るために必要な各国共産党の行動の統一」の課題として、「各国の共産党・労働者党が、ベトナム人民の正義の闘争を支持、アメリカ帝国主義の侵略戦争反対、米軍の即時撤退のためにただちに一致して闘争にたちあがること」「国際民主運動のなかでもアメリカ帝国主義の侵略戦争に反対する方向で共同行動を発展させるよう、ともに努力すること」(1965年4月13日付『アカハタ』「ソ連共産党指導部が3月1日からモスクワに招集した会議について」)をよびかけた。

 アメリカ帝国主義がベトナム侵暗戦争への大量の米軍投入、ラオス、カンボジア、中国への戦争拡大など、その戦争と侵略の政策をますます凶暴におしすすめている現在の事態のなかでは、わが党が一貫して提案してきたように、原則上の問題についての必要適切な論争によって真理を追求しながらも、アメリカ帝国主義の侵略とたたかう効果的な共同行動をいっそう強めることがきわめて重要であり、一刻の猶予も許されないことはますます明らかとなっている。そのために真剣に努力することなしに、国際共産主義運動に課せられたきびしい責任をはたすことはできず、民族解放と平和のための反帝国際統一戦線を強化することはできない。

 

   2、ソ連共産党指導部の最近の態度

 ところが、現在とくに注目しなければならないことは、フルシチョフを解任したソ連共産党指導部らと、現代修正主義の国際的潮流も、いまアメリカ帝国主義のベトナム侵略の激化に当面して国際共産主義運動の「共同行動」を口にしないわけにはゆかなくなっていることである。

 すなわちソ連共産党指導部は、昨年の3月1日に一方的に招集された分派主義的会議のコミュニケなるものを、1957年の宣言と1960年の声明に肩をならべる重要文書であるかのようにもちあげながら、「いまの時点で各国共産党を分裂させているものよりも、各国共産党を団結させているものの方がはるかに強い」ことを強調しはじめた。そして、かれらが発表したコミンテルン第7回大会を記念する諸論文でも、この3月1日のコミュニケを、コミンテルン第7回大会の歴史的教訓を現代に生かしたものであるかのようにほめたたえている。

 ソ連共産党指導部が「共同行動」をうんぬんせざるをえなくなっていることは、なによりもまず、フルシチョフ以来の公然たる日和見主義と分裂主義にたいするきびしい歴史の審判の前で、またアメリカ帝国主義を糾弾し、ベトナム人民の闘争にたいする精神的、物質的支援の強化を要求する世界人民の圧力によって、かれらが、アメリカ帝国主義の侵略戦争に反対する共同行動という、わが党がこれまで一貫しておこなってきた提唱と同じようなことをいわざるをえなくなり、一定の反米的な言説とベトナム人民支援の一定の行動をもおこなわざるをえなくなった新しい事態を示している。

 それは、現代修正主義の路線の理論的破産の一定の反映でもある。フルシチョフ以来の現代修正主義の国際的潮流の、日和見主義と分裂主義の路線の理論的破産は、マルクス・レーニン主義にもとづく原則的で系統的な批判と、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争を中心とする事態の発展そのものによって完全に証明された。かつてフルシチョフは、アメリカ帝国主義の指導きケネディやジョンソンを公然と礼賛したが、今日の事態のなかで、その後継者たちのだれが、その言葉をそのままくりかえせるだろうか。また、国際共産主義運動にかんしても、分裂のための国際会議をひらいて「集団的措置をとる」というフルシチョフの広言を、今日では、だれもそのままのかたちでかかげることはできなくなっている。

 またそれは、現代修正主義の路線の政治的、実践的破たんの一定の反映でもある。フルシチョフが「平和共存」の実例として鳴りもの入りで騒ぎ立てた「キューバ危機」の「解決」なるものも、部分核停条約の締結も、ただアメリカ帝国主義の「二面政策」、その戦争と侵略の政策をいっそう鼓舞しただけだった。ベトナム問題の国連へのもちこみをはじめとする、アメリカとの無原則的妥協による「平和解決」の策謀も、ただ現代修正主義の政策のみじめな破たんを、全世界の人民の前にますます明らかにしただけだった。こうした政治的破たんのなかで、社会主義陣営にたいする公然たる侵略戦争にまで拡大したアメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争の凶暴化の現実に直面したソ連共産党指導部は、いま、アメリカ帝国主義にたいする反対を、なんらかのかたちで政策と行動でも実際にしめさざるをえなくなっている。

 以上のように、ソ連共産党指導部を中心とする現代修正主義の国際的潮流の最近の「共同行動」の言説と、ベトナム人民への武器援助の強化などをはじめとする一定の反帝国主義的行動は、一面ではフルシチョフ以来の路線と政策の明白な破たんの結果であり、マルクス・レーニン主義を堅持する諸党の批判、全世界人民の圧力の結果にほかならない。

 だがそのことは、けっして、かれらがフルシチョフが先頭にたっていた当時からの誤った修正主義路線を根本的に放棄して、アメリカ帝国主義にたいする全面的闘争と国際共産主義運動の団結のために真剣に一貫して努力しはじめたことを、ただちに意味するものではない。それどころか、ソ連共産党指導部の路線と行動には、かれらの「反帝国主義」の立場と「共同行動」の言説にまっこうから矛盾する日和見主義と分裂主義の路線と行動がひきつづき数多く存在しており、ある場合には強化されてきている。

 第一に、たとえばソ連共産党指導部は、現在必要な「共同行動」のまさに核心的問題であるアメリカ帝国主義の評価とそれとの闘争にかんして、依然としてフルシチョフ以来の「アメリカ帝国主義の両翼分化論」とこれにもとづく日和見主義的「米ソ協調路線」の根本的誤りをみとめていない。これらのきわめて明白な根本的誤りについて一言も自己批判することなしに、社会主義国としての当然の義務であり、われわれもまた、それがもっと多くなることを希望している。ベトナム人民にたいする援助その他を証拠として、自分たちは以前から一貫してアメリカ帝国主義に反対する立場を堅持し日和見主義と非妥協的にたたかってきたなどと強調しても、だれをそのまま信用させることができるだろうか。最近アメリカ帝国主義と対決するかのようなことを一面では強調しているソ連共産党指導部が、まだフルシチョフ以来の対米追従路線の根本的誤りをなんら真剣に自己批判しているものではないことは、アメリカ帝国主義に従属的に同盟して、ベトナム侵略戦争に積極的に協力しているわが国の佐藤内閣にたいする最近の態度一つをみても明らかである。佐藤内閣は、アメリカ帝国主義の許可と支持のもとに、最近、「米・ソ友好」に追随した欺まん的な「日ソ友好」政策をとりはじめているが、わが党の論文「モスクワ放送の佐藤内閣美化論を批判する」(1966年2月1日『赤旗』)が批判したように、最近のモスクワ放送は、この佐藤内閣の対外政策を公然と礼賛している。

 たとえば昨年の8月31日のモスクワ放送は、「20年をへて」と題し、「この数年間アジア諸国における信頼と威信をとりもどそうとして日本が系統的に進めている大きな仕事には賛同を示さないではいられない」「日本にたいする信頼は次第に回復されつつある。これは国際生活での喜ばしい現象である」とのべた。また9月7日のモスクワ放送は、「アメリカがベトナム戦争で日本に割り当てている役割について」と題し、「日米安全保障協議委会議で日本側は割り合いに現実感覚のある態度をとった」「日本側はアメリカ側の見解にたいしてベトナム戦争に反対し、ベトナム危機の平和調整を望んでいる日本国民の見解を主張しようとした」とのべた。さらに昨年の12月12日のモスクワ放送は、「日本の国連加盟9周年に寄せて」と題し、中川新駐ソ大使が、「核兵器拡散防止と内政干渉禁止についてソ連が国連に出した提案が日本で歓迎された」と語ったことなどを引用しながら、「日本も重要な国際問題についてのソ連の政策にますます理解ある態度をとっている」「軍縮をおしすすめる行動やそのほか一連の重要問題で共同行動をとるという日本とソ連の協力のより高い形態を得るための現実的な士台がある」などと評価した。またことしの1月13日のモスクワ放送は、同じように全面完全軍縮を望んでいる日本とソ連とが共同行動をおこなうことを提唱した。

 モスクワ放送が「賛同」を示した、この数年間日本政府がアジアで系統的に進めている仕事とは、「日中貿易前むき」などの欺まんのもとですすめられた中国敵視政策の強化と「台湾」の蒋政権との結合の強化、安保条約にもとづく日米軍事同盟の強化、ベトナム侵略戦争への積極的加担、「日韓条約」による米・日・「韓」軍事同盟への前進、東南アジア諸国にたいする経済侵略などなど、まさにアメリカ帝国主義のアジア侵略政策と「中国封じ込め」政策への追随と、そのもとでの日本独占資本の帝国主義的進出以外のなにものでもない。また、モスクワ放送が、軍縮その他の問題で「共同行動」をおこなおうとしている日本政府が、軍縮を望んでいるどころか、アメリカ帝国主義の要請に応じて、自衛隊の拡張と核武装、憲法改悪をはじめとする軍国主義、帝国主義復活政策をおしすすめている侵略と反動の政府であることは、天下周知の事実である。

 わが党は、日ソ両国民の友好を重視し、正しい基礎のもとに日ソ平和条約を締結するためにたたかってきたし・今後もたたかうものであるが、ソ連共産党指導部の指導下にあるモスクワ放送が、日本の全民主勢力が対米従属、戦争と反動の政府とみなしてその打倒のためにたたかっている佐藤内閣を、このように、あたかも平和と友好の政策をとっている政府であるかのようにほめたたえていることを、絶対にみのがすことはできない。第20回国連総会で、一連のアジア・アフリカ諸国の代表は、日本政府がローデシアにたいする経済制裁に参加しないことをもって、痛烈に日本政府を非難した。ところが社会主義国であるソ連政府は、アメリカ帝国主義に従属した日本政府の戦争と侵略の外交政策をときどきは批判したとしても、最近では、その一機関であるモスクワ放送をつうじて、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に直接の攻撃基地を提供し、軍需品を供給し、米原子力潜水艦の恒常的「寄港」につづいて、原子力空母の「寄港」をも承認した日本の佐藤内閣を、国際政治路線で共同の行動をとることのできる政府であるとし、全体として支持、礼賛させているのである。これは、たんなる外交辞令ではけっしてない。佐藤内閣の対米追随と、軍国主義、帝国主義復活の基本路線にたいするこのような無原則的な追随と美化が、アメリカ帝国主義美化論の一変種であることはきわめて明らかである。それば、日本の支配層を思いあがらせるだけでなく、日本人民に誤まった見地をまきちらし、日本人民の闘争に水をかけるものである。

 第二に、ソ連共産党指導部は、わが党中央機関紙の論文「ソ連共産党指導部とその指導下にある機関や団体の、わが国の民主運動およびわが党にたいする干渉と破壊活動について」(1965年6月22日付『アカハタ』)がくわしく指摘したような、わが国の民主運動およびわが党にたいする不当な干渉と分裂主義的破壊活動をひきつづきおこなっている。かれらは依然として、志賀・神山ら一握りの反党集団にたいする支持と援助をつづけている。いったいソ連共産党指導部は、アメリカ帝国主義のベトナム侵略職争の拠点である日本で、アメリカ帝国主義に反対するわが党および人民の闘争を妨害して、アメリカ帝国主義とそれに追随する日本の反動勢力をよろこばすことと、アメリカ帝国主義に反対するすべての国の共産党・労働者党の団結を強調することとを、両立できるものと考えているのだろうか。一方で、兄弟党にたいする破壊活動をおこない、他方で「共同行動」を強調することは、その言説から、真剣な行動の統一の主張としての意義をうばいさるものである。

 以上の事実は、現代修正主義者のいう「反帝国主義闘争」の立場や、「共同行動」の言説が、全面的なものでもなく、一貫したマルクス・レーニン主義的実践の裏づけをもっていないことを示している。それらはむしろ、ソ連共産党指導部など現代修正主義の国際的潮流が、フルシチョフ以来の路線の破たんをとりつくろうために、新しい二面的態度をとりはじめたことを示している。

 

   3、国際民主運動、国際共産主義運動の団結と現代修正主義に反対する闘争

 このような、新しい複雑な事態のなかで、われわれにとってとくに必要となっていることは、現代修正主義にたいする原則的な理論的、政治的闘争と、アメリカ侵略者に反対する国際統一戦線の強化を中心として国際民主運動と国際共産主義運動の効果的な共同行動をおしすすめる努力を正しく結びつけることである。

 第一にわれわれは、ベトナム侵略戦争に反対する国際民主運動、国際共産主義運動の効果的な共同闘争を飛躍的に強化するためにあらゆる努力をかたむけなければなグりない。ぞの際ソ連共産党指導部にたいしても、かれらが国際共産主義運動の一員たろうとするかぎり、実際に一貫した反帝闘争の立場をとり、より強力により効果的にベトナム人民にたいする援助をおこない、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争に反対する国際的な反帝統一行動と統一戦線の強化を妨げるいっさいの行動や他党にたいする干渉・破壊活動をただちにやめるよう要求しなければならない。

 第二に、このような国際民主運動、国際共産主義運動の共同行動をかちとるために、それを妨害する日和見主義、分裂主義、大国主義の路線とそのいっさいのあらわれにたいしては必要な国際的な闘争と批判をおこなうことはさけがたい任務である。今日、アメリカ帝国主義に反対する国際統一戦線の団結を強めるためには、団結を妨げている障害を明らかにすることが必要である。わが党とわが国の民主運動にたいする破壊、干渉にその一つの典型を示しているような、ソ連共産党指導部が国際民主運動、国際共産主義運動のなかでおこなっている分裂策動と、その日和見主義へ分裂主義、大国主義の路線を放置するならば、それは民族解放・平和の反帝統一戦線を弱めることとなるであろう。

 われわれは、現代修正主義の国際的潮流の新しい二面的態度にたいし、かれらの日和見主義と分裂主義の策動とはきびしくたたかいながら、同時にアメリカ帝国主義に反対する国際的な統一行動と統一戦線を強化するために率先して積極的に奮闘し、当面の世界人民の切実な要望である団結の旗をたかく、明確にかかげつづけなければならない。それは、これまでくりかえし強調してきたように、ベトナム人民の正義の闘争支援、アメリカ帝国主義の侵略戦争反対、米軍の即時撒退のための国際民主運動、国際共産主義運動の共同闘争が、一刻の猶予もゆるさないからである。そのために今日もっとも必要なことは、わが党が昨年4月に論文「ソ連共産党指導部が3月1日からモスクワに招集した会議について」のなかで提唱したように、なによりもまずアメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争に反対する闘争を一致して強化すること、国際民主運動のなかでアメリカ侵略者に反対する方向で共同行動を発展させるようともに努力することである。ベトナム人民の不屈の英雄的闘争を前提にして、この共同闘争がいっそう強力にいっそう効果的におこなわれるならば、アメリカ帝国主義が、なんらの報復の脅威も感ずることなく、グアム島の基地や第7艦隊の航空母艦から、南北ベトナムにたいして一方的な大爆撃を継続し、南ベトナムにたいして一方的に米軍と「同盟国」の軍隊を大量に送りこんでベトナム人民を殺りくし、アジアにおける大規模な戦争の危険を増大させるという今日の事態を根本的に変える方向に、大きく前進することができることは確実である。

 アメリカを先頭とする帝国主義勢力に反対する国際統一戦線の重要な一翼をになう国際民主運動の各分野で、その統一と団結を確保するために、この2、3年来とくに必要だったことは、主要な危険―――部分核停条約の支持とか、ケネディ黙とうのおしつけとか、軍備全廃のスローガンのあやまった強調とか、ベトナム侵略戦争の「無条件停戦」とか、あやまった対米追従の路線をおしつけ、それをうけいれないものを排除しようとする日和見主義、分裂主義とたたかうことであった。同時に、国際的な統一行動と統一戦線の過小評価におちいることを警戒しながら、アメリカ帝国主義の侵略と戦争の政策、民族抑圧の政策とたたかうための統一と団結という原則的態度を守りぬくことであった。

 国際民主遣動の団結を守るこれらの活動と、民族解放と平和のための国際的な闘争の前進によって、国際民主運動内部の日和見主義、分裂主義の路線は後退し、統一と団結の路線は前進して、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争に反対する国際的な統一行動と統一戦線は強化されつつある。たとえば、昨年の5月に、ガーナのウィネバでひらかれた「第4回アジア・アフリカ人民連帯会議」、6月にハノイでひらかれた「アメリカ帝国主義反対・ベトナム労働者人民支援国際労働組合委員会第2回会議」、7月にヘルシンキでひらかれた「平和と民族独立と全般的軍縮のための世界大会」、8月に東京でひらかれた第11回原水爆禁止世界大会、10月にジャカルタでひらかれた外国軍事基地撒去のための国際会議など、一連の重要な国際会議では、一部の代表による反帝闘争回避の路線と分裂主義的策謀を克服して、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争にたいする反対をはじめ、帝国主義の戦争と侵略、新旧植民地主義の政策に反対し、平和と民族独立をかちとる具体的課題を明示した決議が、満場一致あるいは圧倒的多数で採択され、国際民主運動の団結を前進させた。とくに、3大陸の82ヵ国、512人の代表を中心にして、ことしの1月、キューバの首都ハバナでひらかれた第1回アジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連帯大会は、帝国主義、新旧植民地主義に反対する3大陸人民の団結、ひいては全世界の反帝・民族解放・平和の国際統一戦線を強化するうえで、全体として、画期的なかがやかしい成果をおさめた。すなわち大会は、一部代表の「核拡散防止」や無原則的な対米追従路線、国連美化、現在のアジア、アフリカ人民連帯機構解体などの日和見主義と分裂主義の策謀を封殺して、アメリカ帝国主義を戦争と侵略と搾取の元凶と規定し、民族解放闘争と平和擁護闘争の正しい結びつきを明らかにし、ベトナム人民の正義の闘争支持をはじめとする共同の闘争での全世界の民族解放・平和勢力の連帯の方向を明示した一連の決議を、満場一致で採択した。さらに大会は、臨時にアジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連帯機構の執行書記局を選出し、キューバ、日本、中国、ソ連などをふくむ12ヵ国で構成する「民族解放運動ならびに新植民地主義反対闘争支援委員会」を設置した。

 これらの経過を、たとえば部分核停条約礼賛のおしつけと、アメリカ帝国主義の首領ケネディにたいする黙とうの強要がおこなわれた2年前の世界平和評議会ワルシャワ総会と比べてみただけで、この期間における現代修正主義の日和見主義、分裂主義路線の後退と、アメリカ帝国主義に反対し民族解放と平和をめざす統一と団結の路線の基本的前進は明らかであろう。

 ソ連共産党指導部が、わが党とわが国の民主運動にたいする干渉・破壊活動にみられるように、依然として兄弟党間の団結を妨げつづけている現状のもとでは、こうした国際民主運動における共同闘争の一定の前進が、自動的に国際共産主義運動の団結の回復をも保障してくれるものではない。

 けれども同時に重要なことは、この共同行動が、アメリカ帝国主義の侵略と戦争への打撃を促進することになるとともに、国際共産主義運動の団結をかちとるために必要なマルクス・レーニン主義の現代修正主義にたいする闘争をも前進させるものとなることである。われわれの現代修正主義にたいする闘争の唯一の目的は、マルクス・レーニン主義の原則とプロレタリア国際主義を守り、1957年の宣言と1960年の声明の革命的原則にもとづく国際共産主義運動の戦闘的行動と真の団結をかちとり、全世界の5千万人にちかい共産主義者を結集して、平和、独立、民主主義、社会主義の事業を勝利させることにある。そして現代修正主義者の指導部の影響下にある多数の共産主義者と勤労人民が現代修正主義の有害な裏切りの本質を正しく自覚していない現状のもとでは、国際民主運動、国際共産主義運動の団結の旗を守り、団結して敵に当たる闘争のなかでこそ、現代修正主義の有害な影響からそれらの人びとをその実際的な政治的経験をつうじて正しくめざめさせ、こうして現代修正主義を理論的にも実践的にも真に克服して、国際共産主義運動の真の団結をかちとる道をさらに早めることができるのである。アメリカ帝国主義が二面政策をおしすすめ、現代修正主義者が二面的態度をとらざるをえなくなっている今日の複雑な情勢のなかでは、マルクス・レーニン主義者が現代修正主義にたいする理論的、政治的闘争と、アメリカ帝国主義に反対する共同闘争の前進の努力とを正しく結びつけ、ともに強化することこそ、当面する局面を正しく打開し、国際共産主義運動と世界人民の共同の事業をもっとも正しく、もっとも効果的に遂行するただ一つの道である。

 この問題にかんして、今日、日和見主義、修正主義との闘争についてのレーニンの教訓をあらためて全面的に摂取することも必要である。いま、われわれが学ばなければならない一つの問題は、日和見主義的指導部をもつ党派との統一行動の問題にかんしてあたえたレーニンの教訓である。

 レーニンは、メンシェビキやカウツキー派(カウツキー主義が修正主義であることはいうまでもないが、メンシェビズムもまたレーニンによれば「日和見主義、修正主義のロシア的形態」である)をふくむ内外の日和見主義、修正主義の潮流を克服する闘争において、一定の条件のもとでは、とくに、修正主義的指導部がたとえ不徹底にもせよ帝国主義や反動勢力との闘争を主張して、まだ日和見主義、修正主義路線の本質を明確に自覚していない大衆に一定の影響力をもっており、労働者階級と人民の広範な部分が行動の統一をつよく求めている場合には、この願望にこたえて、帝国主義や反動勢力との闘争において日和見主義的、修正主義的潮流をもふくむ行動の統一とそのための努力をおこなうことを、けっして拒否しなかった。それは、こうした行動の統一とその努力がマルクス・レーニン主義の路線の正しさと日和見主義、修正主義の路線の誤りを、労働者階級と人民が自分自身の政治的経験をつうじて理解するのを助け、日和見主義、修正主義の害悪とその克服の必要を自覚させ、その影響を大衆的に克服するのに役だつからである。そのさい、レーニンが、日和見主義、修正主義にたいする政治的、思想的な闘争を一貫しておこないつづけたことは、いうまでもない。たとえば、第1次世界大戦中、ボリシェビキ党が、「カウツキー派」やメンシェビキ左派などの修正主義的潮流とともにツィンメルワルド会議(1915年)やキンタール会議(1916年)に参加し、「共同宣言」の不徹底さと臆病という欠陥について、公然と異議をのべ、自己の見解、スローガン、戦術を公然とのべたうえでそれに署名したのは、その一例である。レーニンは「共産主義の“左翼主義”小児病」のなかで、このことについてこう書いている。

 「戦時には、われわれは『カウツキー派』、メンシェビキ左派(マルトフ)、部分的には『社会革命党』(チェルノフ、ナタンソン)とある種の妥協をし、ツィンメルワルドとキンタールでは彼らと同席し、共同宣言をだしたが、しかし、『カウツキー派』、マルトフ、チェルノフと思想的および政治的にたたかうことをけっしてやめなかったし、またよわめもしなかった。」(レーニン全集31巻、59ページ)

 また、レーニンは、第1次世界大戦後、共産主義インタナショナルが設立された後の時期においても、修正主義、日和見主義の潮流が主導的な役割を演じている第2および第2半インタナショナルとのあいだで、国際資本とたたかうための統一行動、統一戦線を結ぶことを主張した。そして1921年12月18日のコミンテルン執行委員会の統一戦線戦術についての指針――「労働者の統一戦線と第2、第2半およびアムステルダムの各インタナショナルに所属する労働者ならびにアナルコ・サンジカリスト組織を支持する労働者にたいする態度とにかんする指針」――の作成を指導し、1922年に、三つのインタナショナルのあいだでベルリン会議がひらかれ、行動の統一についての初歩的な協定が結ばれたとき、「プロレタリアートの大衆」が「資本とたたかうのを援助するために、彼らが国際経済全体と国際政治全体における二つの戦線の『巧妙なしくみ』を理解することを助けるために、われわれは統一戦線の戦術を採用したのであり、またそれを最後まで遂行するであろう」(「われわれは払いすぎた」、全集33巻、344〜5ページ)と書いた。レーニンは、階級敵とたたかい、日和見主義、修正主義と思想的、政治的にたたかってそれを大衆的に克服するために、必要な場合には大衆に一定の影響力を保持していた日和見主義者や修正主義者の潮流と国際的な行動の統一をおこなうことをもけっしてためらわなかったのである。

 コミンテルン第7回大会の社会民主党と共産党との行動の統一を重要な内容とした統一戦線戦術は、ドイツ・ファシズムの勝利という新しい情勢のもとで、労働者階級と人民の利益に真に奉仕するためにレーニンのこの思想と戦術を創造的に発展させたものであった。コミンテルン第7回大会は、真剣に、共産主義インタナショナルと第2インタナショナル、共産党と社会民主党、およびその影響下にある労働者の、戦争とファシズム、資本の攻勢に反対する無条件の共同行動を全世界の労働者階級によびかけた。社会民主党と社会民主党系労働組合にたいする行動の統一のこの真剣な国際的よびかけこそ、当時もっとも大きな感動と影響をもたらし、コミンテルン第7回大会を不朽のものとした歴史的理由の一つであった。

 国際共産主義運動の内部に、現代修正主義の国際的潮流が成長し、重大な不団結を生み出している今日でも、このレーニンの教訓は重要な意義をもっている。われわれは、現代修正主義にたいする適切な思想的、理論的なたたかいをおこなうとともに1957年と1960年の共産党・労働者党会議の宣言と声明にある革命的原則にもとづき、マルクス・レーニン主義の原則にたつ革命的路線を擁護しながら、アメリカ帝国主義の戦争と侵略とたたかうためのすべての反帝・民族解放・平和勢力の国際的な行動の統一と統一戦線を強化し、そのための努力と闘争をおこなう必要がある。そしてこれこそ、今日の具体的な条件のもとで、レーニンの教えをもっとも正しく生かし、アメリカ帝国主義とたたかう国際統一戦線の強化を求めている世界の人民の期待にもっとも忠実にこたえるとともに、マルクス・レーニン主義の隊列のなかから現代修正主義の路線の影響を一掃し、国際共産主義運動の革命的路線と戦闘的団結を真に効果的に確立する道なのである。

 だが、このことはけっして、わが党がその党破壊活動のゆえに除名した春日庄次郎、内藤、志賀、神山らわが国の反党修正主義者の集団にたいしても、なんらかの意味で行動の統一が必要であることを意味するものではもちろんない。なぜならかれらとの闘争は、国際共産主義運動の団結の前提としての一国の党の団結と革命的規律にかんする問題であり、これらの反党集団は、これまでのすべての事態が明らかにしているように、わが党にたいする破壊活動のみをこととするにいたった一握りの裏切り者、堕落分子の集団にすぎないからである。

 第一にかれらは、たんに党内に生まれた日和見主義的潮流ではなく、共産党の党規律の重大な違反をおかし、党大会で全員一致で除名された売党的破壊分子の集団である。かれらとわが党とのあいだには、いかなる「統一」や「共同行動」もありえない。労働者階級の前衛党は共産党ただ一つであり、日本における前衛党はわが日本共産党ただ一つである。その隊列の統一は、いっさいの党破壊分子を仮借なく粉砕することによってのみ打ちかためられるものである。

 第二に、かれらは、民主的大衆運動における統一行動に参加する資格をもった民主勢力の一部でもない。かれらの存在は、指導部内に日和見主義者、修正主義者をもってはいるが、反動勢力とたたかうことを綱領・目的の中心にかかげ、一定の大衆を組織し、人民のあいだに一定の大衆的基盤をもった政党や、大衆団体とはことなり、マルクス・レーニン主義の裏切者と分裂主義者だけをかきあつめた集団である。しかもかれらは日本人民のあいだには客観的な存在理由をもたず、ソ連共産党指導部の支持と激励を、最大の支柱とした反党集団である。

 この意味でそれは、今日の一般民主団体や労働組合とは、まったく別個の性質をもつものである。一部の人びとは、かれらを、わが党と綱領上、理論上の意見の相違をもっている共産主義者であると誤認しているが、かれらはけっして共産主義者でも民主主義者でもない。そして日本共産党に反対し、その綱領と規律を破壊する反共集団としての本質は、民主勢力の団結を破壊する分裂集団としての性格と不可分に結びついている。そのことは、かれらがわが国の原水禁運動、平和運動においても、「日韓条約」反対の統一行動においても、つねにもっとも積極的な分裂策動の推進者であったことが端的に証明している。かれらはいま、口先では、「統一と団結」を叫びながら、実際にはいっさいの反党分子の結集をはかり、また反共右翼社会民主主義者といっそう緊密に結合して、民主勢力の分裂のために狂奔している。かれらの影響力を一掃し、かれらを完全にうちやぶることは、たんにわが党の統一と団結の強化のためばかりでなく、わが国の民主勢力の行動の統一をかちとり、統一戦線を結成してゆくためにも必要なことである。

 わが党が一貫して提唱してきたアメリカ帝国主義の戦争と侵略、民族抑圧とたたかうための、国際共産主義運動の効果的な共同行動をかちとるためにも、これらわが国の反党集団を粉砕することが必要である。志賀、神山らは、わが党が国際共産主義運動め共同行動、行動の統一を提唱した際、これは国際共産主義運動の団結の問題を、国際民主運動における行動の統一の問題と混同したものとして嘲笑し、反対した。かれらは,はっきりと「世界惰勢の分析、評価など、国際共産主義運動の原則的な諸問題について根本的に討議し、一定の程度でも見解の統一をかちとることなしには緊急の諸問題についての行動の統一は実現不可能である」(1960年11月18日「日本のこえ」)と書いた。志賀、神山らは今日、ソ連共産党指導部が「共同行動」を強調しはじめたため、あわててそれに追随し、かつての言葉を180度転換させて「国際共産主義運動の共同行動」を口まねしているが、骨の髄からの分裂主義者であるかれらの本質をかくすことはできない。志賀、神山らのいう「国際共産主義運動の統一」とは、第一に「ソ連共産党を中心とする」ものであり、第二に「国内においては直ちにわれわれを含むすべての共産主義勢力の行動の統一をおしすすめる」ことを前提にするものである(1965年12月21日「日本のこえ」)。今日の国際共産主義運動の団結は、すべての兄弟党の独立と平等を基礎としており、「中心」の地位に立つどんな党もない。こうした独立・平等という兄弟党間の関係の基準を破って、特別にソ連共産党指導部に「中心」の地位をあたえ、国内で日本共産党にたいして志賀ら党破壊集団との「行動の統一」を要求することは、今日必要とされている国際共産主義運動の団結や共同行動とはまったくことなり、まっこうからこれを破壊するものでしかない。われわれが目標とする国際的な共同行動は、共同行動にたいするもっともセクト的な敵対者であるこのような党破壊集団の策動を粉砕することによって強化されるものである。現代修正主義は、修正主義、教条主義、分裂主義が醜悪に結合したものであり、日和見主義であると同時に、もっとも極端な教条主義でありセクト主義なのである。

 われわれは主要な危険としての現代修正主義とたたかい、教条主義とセクト主義におちいることをも正しく警戒しながら、いま緊急に必要とされている国際民主運動、国際共産主義運動の共同行動を実現するために、いっそうねばりづよい努力をはらわなければならない。

 わが党の第9回党大会の決定は、国際共産主義運動の真の統一と団結をかちとるためには、@兄弟諸党が一致して採択した宣言と声明の革命的原則および兄弟党間の関係についての基準を忠実に守り実践すること、Aマルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづく自主独立の立場を堅持すること、B声明が「主要な危険」とした現代修正主義との闘争、および教条主義とセクト主義との闘争という、二つの戦線での闘争を徹底的におしすすめることが必要であることを明らかにしている。さらに大会決定は、この現代修正主義との闘争においては、@思想・理論戦線の分野での原則的で非妥協的な思想・理論闘争、A国際民主運動、大衆運動における、帝国主義と反動勢力にたいする共同闘争のなかでの、現代修正主義の日和見主義、分裂主義路線の具体的暴露と国際統一戦線の強化、B党建設の分野での、現代修正主義の国際的潮流とそれに盲従しているわが国の反党修正主義者の干渉・破壊活動との闘争の三つを総合的におしすすめなければならないことを明らかにしている。

 わが党のこれらの方針の正しさは、この数年間の国際民主運動、国際共産主義運動の実践のなかで、全面的に実証された。

 とくにアメリカを先頭とする帝国主義勢力に反対し、民族解放と平和をかちとるために、すべての反帝民主勢力が当面一致できる具体的課題で団結し、行動を統一すること、そして、そのためにも、この行動の統一を妨害する大国主義へ分裂主義の路線の具体的なもちこみを許さないことが、今日の条件のもとで、国際統一戦線の強化と発展をもたらしうるものであることは、実践によって証明されつつある。そして、このような態度こそ、反戦・反ファシズムのための広範な勢力の行動の統一をよびかけたコミンテルン第7回大会の歴史的教訓を、現代に正しくうけつぎ、発展させたものである。

 ドイツ・ファシズムを先頭とする独・伊・日侵略ブロックにたいする世界の民主勢力の英雄的な闘争と、その歴史的な勝利は、世界史のうえに新しい時代をきりひらいた。だがアメリカ帝国主義は、第2次大戦中、ソ連と連合してファシズム侵略ブロックとたたかいながらも、自己の帝国主義的野望のためにその勝利を利用し、第2次大戦後は、その強大化した軍事力と経済力に依拠して世界帝国主義の主力となり、資本主義の全般的危機のいっそうの深化のもとで、ドイツ・ファシズムにかわって、もっとも凶暴な戦争と侵略、他民族抑圧の推進者となった。今日、このアメリカ帝国主義を先頭とする戦争と侵略、民族抑圧の勢力にたいする全世界の反帝・民族解放・平和の勢力の闘争と歴史的勝利が、歴史の歯車をさらにつぎの段階におしすすめる世界史的闘争となるものであることは明白である。そして、この世界史的闘争の主体としての、社会主義体制、資本主義諸国の労働者階級、植民地・従属国の民族解放勢力という現代における三つの革命的勢力をはじめ、いっさいの反帝民主勢力の強化が、国際共産主義運動内部の現代修正主義を克服して国際共産主義運動の前進と団結をかちとるためのマルクス・レーニン主義党の奮闘によって、保障されるものであることも明白である。「われわれの時代のもっとも影響力の強い政治的勢力」「社会進歩のもっとも大切な要因」(1960年の声明)としでの国際共産主義運動の団結の強化、マルクス・レーニン主義の原則とプロレタリア国際主義を堅持した、その革命的路線の強化こそ、帝国主義とたたかう国際統一戦線の力づよい前進を保障するものである。その課題のためにたたかうことによってはじめて、われわれは、レーニンとレーニンが創設した共産主義インタナショナルの革命的伝統を、今日の時代に真に生かすことができるのである。

(『日本共産党重要論文集』第3巻より)

 



ふたたびアメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線の強化について

(『赤旗』1966年8月8日)


一、

ハノイ、ハイフォン爆撃とベトナム侵略戦争の段階的拡大

二、

アメリカ帝国主義に反対する闘争とベトナム人民にたいする国際的支授の決定的強化について

三、

ソ連共産党指導部の評価と統一行動の問題

四、

反帝闘争と反修正主義闘争との関係の問題

五、

二つの戦線での闘争とマルクス・レーニン主義の堅持

 

 アメリカ帝国主義の凶暴なベトナム侵略戦争に反対する全世界の人民、反帝民主勢力の闘争は、うたがいもなく、戦後最大の国際的闘争の一つとなっている。

 ベトナム人民の正義の闘争は、あらゆる国で、思想・信条の別をこえて、もっとも広範な人びとから支持をうけている。国際民主運動の一連の会議では、ベトナム問題がもっとも重要な議題の一つにとりあげられ、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対し、ベトナム民主共和国政府の4項目の主張、南ベトナム解放民族戦線の5項目の声明を支持し、ベトナム人民にたいする精神的、物質的支援を強化する決議が採択されている。これらの決議にもとづき、また今年の1月、ハバナで第1回大会をひらいたアジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連帯機構のよびかけにこたえて、世界のすべての大陸で、アメリカ帝国主義のベトナム侵略とその拡大を糾弾し、アメリカ軍隊がベトナムから撤退してベトナム問題をベドナム人民の手にまかせることを要求する大衆集会、大衆的デモンストレーションがおこなわれている。英雄的にたたかっているベトナム人民にたいするさまざまの支援も全体として強化されつつある。各国人民はみずからの解放闘争と、世界人民の共通の敵であるアメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する共同の闘争との深い関連を自覚し、国際反帝統一行動の強化をいっそうつよく要求している。

 日本人民もまた、ベトナム侵略反対闘争を、日本人民が当面している第一の国際的課題としてたたかっている。とくにアメリカ帝国主義が日本をベトナム侵略戦争の重要な拠点とし、佐藤内閣がそれに積極的に協力して、軍国主義復活政策をおしすすめている情勢のもとで、ベトナム侵略反対闘争と日本の核基地化反対、安保条約破棄、沖縄・小笠原の返還、小選挙区制反対、憲法改悪阻止、生活と権利の擁護などの日本人民自身の闘争課題との結びつきはいっそう緊密なものとなっている。

 わが党は、日本人民の解放をめざす見地からも、国際的反帝闘争をさらに強化する見地からも、ベトナム侵略、反対闘争のもつ意義をとくに重視し、わが党の綱領の見地を具体化した四つの旗の一つ、「アメリカを先頭とする帝国主義に反対する民族解放と平和の国際統一戦線の旗」を高くかかげ、日本の民主勢力の先頭に立ってたたかってきた。

 同時にわが党は、反帝民主勢力、とくにその中心部隊となるべき国際共産主義運動内部の誤った路線とそれにもとづく不団結が、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争とその拡大に利用されてきた事態を重視し、すべての反帝民主勢力の国際統一行動と統一戦線の強化を、一貫して訴えつづけてきた。

 たとえばわが党は、本年(1966)2月4日付の『赤旗』に、論文「

アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために」を発表した。これは、昨年30周年を迎えた共産主義インタナショナル(コミンテルン)第7回大会の反ファシズム統一戦線戦術の歴史的教訓を想起しながら、いま国際情勢の最大の焦点となっているアメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する、全世界のすべての反帝民主勢力の国際的な行動の統一、国際的な統一戦線の強化がもっとも重要な任務となっていることを主張し、この国際統一行動と統一戦線に関連する理論的、実践的諸問題を解明したものである。その後の情勢、とくにアメリカ帝国主義のハノイ、ハイフォン爆撃の強行によって、アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動の強化はますます焦眉の課題となった。だが同時に、この数年来の国際共産主義運動の原則上の意見の相違と関連して、国際統一行動の問題をめぐって、さまざまな見解が提起されている。わが国でも、ソ連共産党指導部に盲従してきた志賀一派の反党修正主義者だけでなく、腐敗した反党分子である志田重男一派その他の一握りの反党教条主義者にちも、わが党の路線にたいして、さまざまな悪罵と中傷を投げつけている。今日の重大な情勢がますますつよく要求している反帝統一戦線強化の任務にこたえるためには、かれらの見解の誤りを徹底的に暴露し、国際統一行動をめぐる理論的、実践的諸問題をいっそう深く解明する必要がある。

  

一、ハノイ、ハイフォン爆撃とベトナム侵略戦争の段階的拡大

 

 昨年(1965)2月のベトナム民主共和国にたいする連続約な「北爆」開始以来約1年半たった今日、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争は、さらにいっそう重大な段階にはいりつつある。

 さる6月29日、アメリカ帝国主義がベトナム民主共和国の首都ハノイおよびこの国の重要な工業都市、港湾都市であるハイフォンにたいする爆撃を公然と開始して以来、ハノイ、ハイフォンにたいする連日の爆撃が強行されている。

 アメリカ帝国主義のハノイ、ハイフォン爆撃という重大事態を迎えて発表された、わが党中央委員会幹部会の6月29日付声明はつぎのようにのべている。

 「アメリカ帝国主義は、大増強した米軍による乾期作戦の失敗、占領地域における反米闘争の発展などで窮地におちいりながら、あくまで帝国主義侵略者としての野望をとげようとし、侵略戦争の新しい拡大にふみきった。ハノイ、ハイフォン爆撃は、ベトナム人民にたいする侵略行為のさらに暴虐な拡大であるだけでなく、社会主義陣営全体にたいする許すことのできない正面からの攻撃であり、アジアと世界の平和にたいするもっとも重大な挑戦である」
 「アメリカ帝国主義のハノイ、ハイフォン爆撃という事態のもとで、ベトナム侵略とその拡大に反対する国際統一行動と統一戦線の強化は、全世界の反帝民主勢力のもっとも緊急な任務になった。全世界の反帝勢力の団結した力をもって、アメリカ帝国主義の侵略の恥しらずな拡大に効果的な反撃を加え、この野望を徹底的に粉砕しなければならない。そのために、国際共産主義運動、社会主義陣営は、反帝闘争の先頭にたって行動を統一し、反帝国際統一戦線の中心部隊とならなければならない。
 そのことは、アメリカ帝国主義のベトナム人民とベトナム民主共和国にたいする侵略拡大と、アジアの平和、社会主義陣営への新しい挑戦にたいするもっとも効果的な回答である。
 それはまた、アメリカ帝国主義によるアジアの他の社会主義国への侵略,第3次世界大戦への放火を阻止する、先制的、効果的な反撃である」

 とくに「北爆」開始以来、アメリカ帝国主義の凶暴なベトナム侵略戦争にたいして全世界人民の抗議がたかまり、ベトナム人民の正義の闘争にたいする国際的支援がひろがって、帝国主義陣営内部の矛盾などいろいろな困難が拡大し、アメリカ帝国主義の国際的孤立はさらに進行している。ジョンソン政府の今回の暴挙は、こうしてそのベトナム侵略戦争がますます窮地に追いつめられた結果、おこなわれたものである。ジョンソン政府は、南べトナムを新しい植民地と軍事基地に変え、それによって、東南アジアにおける民族解放闘争を抑圧し東南アジア全体をアメリカ帝国主義の支配下におくというその戦争目的を達成するために、ベトナム侵略戦争のさらに新しい大規模な拡大にふみきった。

 ジョンソン政府がおしすすめているベトナム侵略政策のいちじるしい特徴は、欺まん的な「和平提案」を利用しながらその侵略を一歩一歩、拡大していくという「段階的拡大」(エスカレーション)の戦術をとっていることにある。たとえば1964年6月、ジョンソン政府は、ラスク、マクナマラ、テーラー、ロッジなど40数名の政府、軍首脳をあつめた第1回ホノルル会議でベトナム侵略戦争拡大の基本計画をねりあげ、北ベトナム沖合への米空母の出動を第一段階とし17度線の侵犯から北ベトナムの工業施設の爆撃にいたる12段階の「段階戦略」を決定した。この計画にしたがって、同年8月の「トンキン湾」事件と最初の北爆、翌1965年2月からの連続的北爆の開始が順を追って実行されていった。それでも目的をとげることができないと、かれらはさらに南ベトナムへの米軍の大量増強、北爆の強化、ラオス、カンボジアへの段階的な侵略拡大、中国領空への侵犯などにすすんでいった。そして今日、アメリカ帝国主義がこれまで「聖域」などと称して、一応留保する態度をみせてきたハノイ、ハイフォンの爆撃に公然とふみきったことは、かれらがベトナム侵略戦争をさらに大規模に拡大することをねらって、いっそう危険な内容をもった「段階的拡大」を開始したことを意味している。

 ジョンソン政府がこのような段階的拡大の戦術を採用している主要なねらいはつぎの3点にある。

 第一のねらいは、それによって世界人民を欺まんし、ジュネーブ協定をふみにじりいっさいの国際法を無視した凶悪なベトナム侵略戦争とその拡大に反対する全世界的な闘争のもりあがりをおさえることである。帝国主義勢力と反帝・民族解放・平和の勢力との今日の力関係のもとで、かれらは、各国人民の反対闘争を手におえないほど大きくするおそれのある侵略戦争の急激な拡大のかわりに、しだいに侵路を拡大してゆく戦術をとっている。そして、そのあいだに欺まん的な「和平提案」をくりかえし、アメリカの「平和的意図」と「限定された戦争目的」なるものを宣伝し、やむをえない措置であるかのようにみせかけながらつぎの拡大にすすんでいく方法をとっている。反対闘争を肩すかしし、分散させ、同時に広範な人民に、ベトナム侵略戦争という「きたない戦争」にしだいになれさせ、これを慢性化した既成事実としてうけいれさせようというのである。

 第二のねらいは、この数年来、国際共産主義運動、社会主義陣営内部に生まれた反帝闘争を回避する日和見主義路線とそれにもとづく不団結につけこみながら、国際共産主義運動、社会主義陣営の反応を打算し、団結した決定的反撃をうけるおそれが少ないことをたしかめつつ、一歩一歩侵略を拡大してゆくことである。

 社会主義陣営にたいする公然たる侵略を意味する1964年8月の「トンキン湾」事件と最初の北爆に際して当時のソ連首相でありソ連共産党第一書記であったフルシチョフは、この問題を、国連安保理事会にもちこむことに賛成して事実上見のがす態度をとった。ジョンソン政府はこのことをみとどけたのち、昨年(1965)2月、コスイギン首相がハノイ訪問中であるにもかかわらず大規模な北爆を開始した。そしてコスイギン首相が帰途北京を訪問しても、社会主義陣営の団結した反撃が実現するどころか、3月1日にはモスクワで国際共産主義運動の不団結を表面化した会議がひらかれるのをみて、その翌日、一時休止していた北爆を大規模に再開した。アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争が、その侵略的本質にもとづくものであることはいうまでもない。だが同時に、その拡大の実行、とくに社会主義陣営の南の前哨であるベトナム民主共和国にたいする侵略の強化は、このように、国際共産主義運動および社会主義陣営の不団結につけこみ、そのベトナム人民にたいする国際的支援の規模と程度を計算にいれつつ、おこなわれてきたのである。このことはわが党がこれまでくりかえし強調してきたところである。

 第三のねらいは、ベトナム侵略戦争をめぐる帝国主義陣営の内部対立をおさえ、全帝国主義陣営をできるだけ結集して、ベトナム侵略戦争を遂行することである。よく知られているように、ベトナム侵略戦争にたいしては、帝国主義陣営内部でも米、仏の矛盾の激化を反映してフランスのドゴールその他からの批判があり、アメリカの議会のなかにも、ベトナム侵略戦争に反対するアメリカ人民の闘争の圧力をも受けたフルブライト上院外交委員長、マンスフィールド上院民主党院内総務をはじめとする批判意見もある。これはアメリカ帝国主義が国連軍の名のもとに帝国主義陣営をほぼ動員することができた朝鮮戦争当時とは、ある程度ことなった困難な条件をジョンソン政府に課している。これらの内部対立が激化する危険、ジョンソン政府が決定的に孤立する危険をさけながらベトナム侵略戦争を拡大するためには、一方ではアメリカがうけいれることのできる「和平」の条件とその「用意」を多少とも具体的に示してみせながら、他方では、このような「和平」を実現させるために必要な最小限の措置という口実のもとに、一歩ずつ侵略の拡大をおこなうことが必要なのである。

 そして重要なことは、このような段階的拡大のねらいのなかに、今日における侵略と戦争の主勢力としてのアメリカ帝国主義の、凶暴な侵略者の本質が一貫してつらぬかれていることであり、段階的拡大の一段一段の失敗ごとに侵略の強化と拡大の欲求がますます強まっていることである。

 かれらの論理はきわめて単純である。すなわち、「失敗は力がたりなかったためであり、力さえつよければ勝利する」というものであり、「北ベトナムの侵略から南ベトナムを守るためには、アメリカにできることならなんでもやる」というものである。当面南ベトナムの確保を至上命令としているアメリカ帝国主義者は、政治的、軍事的に窮地におちいればおちいるほど、新しい困難にとりまかれればとりまかれるほど、力の培強による事態の打開とそのあとにくるはずの「勝利」を、ますます必死になって追求せざるをえない。

 ジョンソンはこの論理を、ことしの年頭教書では、つぎのようなケネディばりの美辞麓句で語ってみせた。

 「われわれは紛争を限定するよう努めるであろう。われわれは破壊の増大も欲しないし、危険の増大も招きたくないからである。しかし、われわれはアメリカ将兵にかれらが必要とするすべてを与えるつもりである――必要なすべての銃を、すべてのカネを、すべての決定を――犠牲がいかに大きかろうと、課題がいかにきびしかろうと」
 「十分明白にしておきたい。それは『幾日』が『幾ヵ月』になるか『幾ヵ月』が『幾年』にもなるかもしれないが、侵略がわれわれに戦いを命ずるかぎり、われわれはとどまるつもりであるということである」

 アメリカ軍部の代弁者の1人である「ニューヨーク・タイムス」のハンソン・ボールドウインは同じ内容をよりむきだしにのべている。

 「勝つためにはエスカレートしなければならない。しかしエスカレーションだけが勝利を保証するものではない。時間の要素が何よりも重要である。敵から先手を奪うためには、ベトナムでの軍事力増強は速やかにやらねばならぬ」(「ベトナム戦争論」、『朝日新聞』1966年3月15日)

 「勝つためにはエスカレートしなければならない」――ボールドウインが公然とのべたこの言葉こそ、かつて中国の東北地方にたいする侵略を中国全土からアジア全域におしひろげた日本帝国主義者、オーストリア、チェコスロパキアにたいする侵略を全ヨーロッパから対ソ侵略にまでおしひろげたドイツ・ファシズムが信じこんだ侵略の教理にほかならない。それ以後世界史が全体として巨大な前進をとげ、資本主義の全般的危機がいっそう深化した今日の情勢のもとで、アメリカ帝国主義は東南アジアで、「共産主義の脅威」をふりかざして、旧日本軍国主義とドイツ・ファシズムがたどった侵略の道を一足、一足すすみつつある。

 「勝つため」にこれまで追求されてきた侵略の段階的拡大の一歩一歩は、アメリカ帝国主義の国際的孤立の進行と結びついているだけでなく、つねに、南ベトナムにおけるアメリカ帝国主義の地位が、そのままでは「負ける」ほかはないほどに悪化してきた一歩一歩と結びついていた。たとえば、南ベトナムを平定しようという「ステーリー・テーラー計画」、「ジョンソン・マクナワラ計画」が南ベトナム人民の英雄的闘争によって完全に失敗し、南ベトナムがいらい政権の危機が深まったとき、1964年8月からの北爆が開始された。かいらい軍を前面にたてた「特殊戦争」戦略が完全に挫折し、かいらい軍の崩壊が急速に進行したとき、1965年7月の南ベトナムにたいする米軍の大増強が決定された。そして今回のハノイ、ハイフォン爆撃は、米軍の大量投入にもかかわらず、南ベトナム情勢がさらにいっそう劇的なまでに悪化したことと結びついていた。

 このような南ベトナム情勢の悪化の第一は政治的破綻の進行である。南ベトナムの占領地域では、ダナン、ユエ、サイゴンを中心に、仏教徒、知識人、学生、一般市民による大規模な反米、反政府の大衆闘争が発展した。米軍の圧力、グエン・カオ・キ政権の軍隊による弾圧と懐柔工作による事態収拾も、ほんの一時的なものとしかなりえないであろう。なぜなら、事態の根源は、米軍の大量投入と「殺しつくし、焼きつくし、破壊しつくす」政策そのものが、アメリカ帝国主義と南ベトナム人民とのあいだの根本的矛盾と南ベトナム占領地域での政治的、経済的危機を激化させ、かいらい政権の反民族的本質をさらに暴露し、その内部分化を促進したことにあるからである。

 第二は軍事的破綻である。もっとも機動化された最精鋭の第1空輸師団と第101空てい旅団を全面的に投入しておこなった「乾期攻勢」も、南ベトナム軍民の巧妙な戦術と確信にみちた英雄的な闘争によって失敗に帰した。この戦闘で南ベトナム解放軍は、「11年間のたたかいにおける第3回目の重要な勝利」と評価されているほどの大きな成果をかちとった。30万近くに増強された米軍は、ようやく海岸線に点在するダナン、チュライなどの軍事拠点を占拠することはできたけれども、解放武装勢力を消滅することも、かいらい軍の崩壊の進行をくいとめることもできず、逆に手痛い打撃をこうむった。

 米軍の大増強後の南ベトナム情勢のこのような重大化に加えて、アメリカ国内におけるベトナム侵略反対闘争の拡大、ジョンソン支持率の低下にあらわれた一般国民の焦燥感と早急な解決の要求、支配層内部でのジョンソン批判の高まり、今秋にひかえた中間選挙対策などなどもまた、ジョンソン政府をしてさらに思いきったエスカレーションに突入させる圧力としてはたらいた。ベトナム侵略政策のいっさいが崩壊する脅威からのがれようとして、アメリカ帝国主義は、従来の水準をさらに上まわる侵略の強化と拡大に突進し、その結果、その崩壊の規模をさらに大きくする危険を蓄積しつつある。

 このようにしておこなわれたハノイ、ハイフォンの爆撃は、アメリカ帝国主義にとって、現在の南ベトナム情勢の悪化が重大であればあるほど、その程度に対応した大規模な新しい段階的拡大の序曲となる危険がある。したがってこれは、一時的な試みではけっしてない。もしも、この爆撃にたいする世界人民の抗議、とくに国際共産主義運動、社会主義陣営の断固とした反撃がおこなわれなければ、ジョンソン政府は、さらにハノイ、ハイフォンの工業施設、港湾施設爆撃、港湾封鎖、全面的な水利施設・ダム爆撃などなどの強圧手段をつぎつぎに採用してゆくであろう。現地の米軍やグエン・カオ・キは、ベトナム民主共和国にたいする地上軍の進攻さえ公然と要求し、すでに17度線南の非武装地帯への侵入がはじまっている。

 そして、これらいっさいが、年末までに40万、来年度は60万以上に達するものと予定されている南ベトナムでの米軍増強、「韓」国軍その他の従属国軍隊の増強、ラオス、カンボジアにたいする爆撃の拡大、タイの軍事力増強などと関連して、ベトナム侵略戦争が決定的に、ラオス、カンボジアなどをふくむインドシナ全域における戦争に拡大し、さらには他の社会主義国にたいする侵略戦争に拡大していく危険をますます強めていることは明らかである。

 ジョンソン政府は、凶暴なベトナム侵略戦争にたいする全世界人民の憤激のたかまりに直面しながらも、ベトナム人民に打撃をあたえることに役立つと思われる、侵略戦争拡大のありとあらゆる手段にうったえることによって、南ベトナムのかいらい政権の立て直しと占領地域の拡大、経済再建と治安維持に必要な時をかせごうとしている。だが、南ベトナムの占領地域の情勢がもっともするどく示しているように、このような政治的制圧は、軍事的制圧以上に不可能なことである。そうであるとすれば、ハノイ、ハイフォン爆撃によって幕をあけられた新しい段階は、いままでのすべての段階的拡大と同じようになんらかの効果おさめることができず、かれらはさらに新たな、さらに凶暴な段階的拡大にのりだすことをねらうであろう。

 アメリカ帝国主義者は、明らかに、ベトナム民主共和国にたいする侵略のいっそう重大な拡大に向かって突進しつつある。

 ジョンソン政府は、このような侵略拡大の道をすすみながら、同時に、ある期間をおいで、新しい「和平提案」をふくめた欺まん的な外交的策動をも、さらに大規模に併用しようとするだろう。だが、「ジュネーブ協定は、東南アジアの平和のために十分な基礎を提供するであろう」(1965年12月27日に発表された「14項目の提案」)というような、アメリカ帝国主義にとってのジュネーブ協定の尊重とは、実際には、ジュネーブ協定の各項目の忠実な厳守を意味するものではけっしてない。それは、南北ベトナムの分割と、アメリカ帝国主義による南ベトナム占領という、ジュネーブ協定後のゴ・ジン・ジエム時代の状態への復帰をめざすものでしかない。そのことは、アメリカ帝国主義が宣伝するあらゆる欺まん的な「和平提案」をみても、それらがベトナムからの米軍の即時撤退、南ベトナム解放民族戦線を南ベトナムの唯一の代表としてみとめること、南北ベトナムの統一をはじめとするベトナム民主共和国政府の4項目の主張、南ベトナム解放民族戦線の5項目の声明を基本的に拒否していることによっても明白である。

 ジョンソン政府は、抜け出ることの困難な窮地におちいりながら、南ベトナムにおける侵略戦争においても、ベトナム民主共和国への攻撃においても、より重大な軍事的敗北やより決定的な政治的孤立におちいらないかぎり、南ベトナム支配の目的を捨てず、そのための侵略戦争拡大の方針をかえようとはしていない。ジョンソンは、ハノイ、ハイフォン爆撃後の6月30日、「北ベトナムの軍事施設にたいする爆撃は、他国の自由に挑戦するものにたいし、重い負担と高い代償を課したが、今後もこれを課し続ける」とのべ、さらに7月12日には、「アジアにおける自由と安全保障の義務」をはたすために、「ハノイが平和解決に応じるか、戦闘の停止に応じるまで戦い続ける」と演説し、アジア支配の強化をめざして、大規模な北爆と、凶暴な侵略戦争を継続する意図をかさねて公然と明らかにした。

 ベトナムの情勢は、全世界の反帝民主勢力のまえに、あらためて重大な任務を提起している。

  

二、アメリカ帝国主義に反対する闘争とベトナム人民にたいする

国際的支授の決定的強化について

 

 6月29日付のわが党中央委員会幹部会声明が指摘しているように、アメリカ帝国主義のハノイ、ハイフォン爆撃というこの重大な事態のもとで、ベトナム侵略とその拡大に反対する国際統一行動と統一戦線を飛躍的に強化することは、全世界の反帝民主勢力のもっとも緊急な任務となった。アメリカ帝国主義のベトナム侵略とその段階的拡大をはばみ、ベトナム問題を正しく解決する決定的な力は、ただ、ベトナム人民の英雄的闘争と、それを断固として支持する反帝民主勢力の効果的な国際的支援の強化と統一行動の積極化にしかない。

 

   1、反帝民主勢力の国際統一行動の緊急性

 広く知られているように、わが党はこれまで、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争とその拡大を重視し、ベトナム侵略戦争反対を、日本人民が当面しているもっとも重要な闘争課題の一つとしてその先頭に立ってたたかってきた。それと同時に、ベトナム侵略戦争に反対しベトナム人民の正義の闘争を支持するすべての反帝民主勢力、国際民主運動、国際共産主義運動の反帝闘争の強化と国際統一行動の強化を一貫して訴えつづけてきた。すでに指摘したように、反帝民主勢力、とくに国際共産主義運動と社会主義陣営内部の日和見主義路線とそれにもとづく不団結こそ、アメリカ帝国主義がベトナム侵略戦争を拡大するにあたって利用しつづけてきたものであるからである。

 1964年10月、すなわち「トンキン湾」事件とアメリカ帝国主義の最初の北爆がおこなわれて2ヵ月後、そして、フルシチョフを中心とするソ連共産党指導部が、国際共産主義運動の決定的分裂をめざす「国際会議」開催の策謀をすすめていた時期に、わが党は、「もし、アメリカ帝国主義をはじめとする侵略と戦争の国際勢力と断固としてたたかうという方向で、国際共産主義運動と社会主義陣営が団結して共同のたたかいをすすめてきていたならば、インドシナ半島をめぐる国際情勢は、疑いもなく、現状よりわれわれの側にはるかに有利なものとなっていただろう」と指摘した。そして「1957年の宣言と1960年の声明に明確に規定されている各国人民の共同の敵が現におこなっている侵略と一致してたたかう具体的な共同行動について脇議する国際会議を準備すること」を各兄弟党に提案した(1964年10月5日『アカハタ』主張「各国共産党・労働者党の国際会議は、分裂のためでなく、団結に役立つようにおこなわれるべきである――日本共産党の提案」)。

 また1965年4月、すなわちアメリカ帝国主義の大規模な北爆開始から2ヵ月後、そしてソ連共産党指導部が一方的に3月1日の分裂主義的国際会議をひらいてから1ヵ月後に、わが党はアメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争の野蛮な拡大という重大な情勢が「国際労働者階級と全世界の平和、民主勢力にたいして、アメリカ帝国主義を先頭とする帝国主義の戦争と侵略に反対する国際的な統一行動をつよく要請し、なかんずく国際共産主義運動の団結した闘争の強化を、もっとも緊急の任務としている」ことを強調し、3月1日の分裂主義的な会議をひらいたこと自体が「アメリカ帝国主義を鼓舞する結果になったこと」を糾弾した。そして団結のための国際会議がひらかれるか、ひらかれないかにかかわらず、各国共産党・労働者党が「ベトナム人民の正義の闘争の支持、アメリカ帝国主義の侵略戦争反対、米軍の即時撤退のためにただちに一致して闘争にたちあがること、国際民主運動のなかでもアメリカ帝国主義の侵略戦争に反対する方向で共同行動を発展させるよう、ともに努力すること」をよびかけた(1965年4月13日付『アカハタ』「ソ連共産党指導部が3月1日からモスクワに招集した会議について」)。

 さらに、米軍の南ベトナムへの大量投入、北爆の強化、ラオス、カンボジア、中国領空への侵略拡大などによって、ベトナム侵略戦争拡大の危険がますます強まっているにもかかわらず、国際共産主義運動と社会主義陣営の状況がさらに複雑なものとなりつつある情勢のもとで、わが党は、1966年2月に論文「

アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために」を発表するとともに、2月から4月にかけて宮本書記長を団長とする日本共産党代表団によるベトナム民主共和国、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国の3国訪問をおこない、ベトナム労働党、中国共産党、朝鮮労働党とそれぞれ会談をおこなった。これらの努力の主な目的は、すでに公表された共同コミュニケ、共同声明、3国における宮本書記長の演説などで明らかにされている。すなわちそれは、当面する情勢のもとで、それぞれの国の党および人民との友好関係の強化とともに、国際民主運動と国際共産主義運動のより効果的な支援と共同の問題をふくめて、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する国際的闘争を強化することをめざしたものであった。アメリカ帝国主義は、侵略者としての本質にもとづき、国際共産主義運動と社会主義陣営の不団結にさらにつけこんで、ハノイ、ハイフォン爆撃をはじめとする新たな侵略の拡大にのり出すことが必至とみられる情勢にあったからである。

 アメリカ帝国主義がハノイ、ハイフォン爆撃にふみきったことは、わが党をふくめた真のマルクス・レーニン主義的潮流、自覚的な反帝民主勢力の国際統一行動強化のための努力をむなしくしたものではない。この事態はただ、英雄的なベトナム人民の闘争を支援する国際的闘争強化の努力をいっそう緊急で切実なものとし、1日の猶予も許さないその緊急性をますます広範な共産主義者と反帝民主勢力につよく自覚させるものとなっただけである。

 ナパーム弾からB52の集中爆撃、毒ガスから化学薬品まで、核兵器以外のすべての近代兵器を動員した、残忍きわまるアメリカ帝国主義の侵略にたいして、ベトナム人民はすこしもひるまず、史上まれにみるような不屈の英雄的闘争を敢行している。闘争形態のうえでも、南ベトナム人民は、10年以上におよぶ闘争の経験のなかから政治闘争と武装闘争の結合、都市、農村、山村での闘争の結合など、きわめて効果的な独自の闘争形態を創造しつぎつぎと偉大な勝利を獲得している。南ベトナム人民は、南ベトナム解放民族戦線の指導のもとで、すでに領土の5分の4を解放し、1400万の人ロのうち1000万の人民を解放し、200万ヘクタールの土地を農民に分配した。米軍の大量投入後、昨年11月からのいわゆる「乾期攻勢」にたいしても大きな打撃をあたえ、南ベトナム・解放軍は、ことしのはじめから6月までの集計だけで約4万7000人の米軍をふくむ16万2000人をせん滅、飛行機1400機以上を撃墜破し、7千の各種の火砲を捕獲するという戦果をあげている。

 北ベトナム人民も、連日のアメリカ帝国主義の空襲にたいして、軍民一致した地上砲火による交戦のなかで、幾多の新しい闘争形態を創造し、北爆以来すでに1200機以上の飛行機を撃墜した。北ベトナム人民は、ベトナム労働党の指導のもとで、連日の空襲という困難な状況に耐えぬいて、北部の社会主義を防衛し、意気たかく社会主義建設を前進させつづけている。ベトナム人民のこのような英雄的な闘争と、ベトナム労働党および南ベトナム解放民族戦線の正しい指導とは、ベトナム人民の解放闘争の歴史的勝利を力づよく約束するもっとも重要な条件である。

 しかし、これらのことは、世界の反帝民主勢力が、ベトナム侵略反対闘争を、ベトナム人民の自力でのたたかいにゆだねておいてよいということをけっして意味しない。各国の解放運動の主休はその国の人民であり、アメリカ帝国主義のベトナム侵略をうちやぶり、ベトナム人民の主権、独立、統一をかちとる抗米救国の事業の主体がベトナム人民であることはいうまでもない。ベトナム人民はそのことをはっきり自覚し、もっとも大きな帝国主義国家であるアメリカ帝国主義の侵略と一歩もひかずに対決し、全力をあげてたたかっている。しかし、一般に各国の解放運動にとって、プロレタリア国際主義にもとづく国際的援助が重要な意義をもち、その勝利は国際、国内の力がかたく結合することによって確実に保障されるものである。わけてもベトナム人民の解放闘争の勝利にとっては、全世界の反帝民主勢力、とくに国際共産主義運動と社会主義陣営の国際的援助と共同闘争が重要な役割をもっている。

 第一に、ベトナム侵略戦争の急速な国際化とともに、ベトナム問題は、ベトナム人民の民族的運命を決する問題であると同時に、帝国主義陣営と反帝民主勢力の国際的闘争の、当面もっとも重要な対決点としての性格をますます強めてきた。アメリカ帝国主義は、ベトナム侵略戦争の成功が、かれらの世界支配計画の進行のなかでもつ特別な意味を重視し、ベトナム侵略戦争の国際化をめざして、国際帝国主義陣営、国際反革命勢力をこの侵略にひきいれている。かれらは「韓国」、フイリピン、ニュージーランド、オーストラリア、タイなどに軍隊を派兵させ、日本を補給基地、修理基地、攻撃基地として協力させ、SEATO、東南アジア閣僚会議などをつうじて、アジア反共同盟の結成をはかり、イギリスその他の帝国主義国の政治的支援を利用している。すべての事態は、ベトナムが、帝国主義と社会主義の矛盾、帝国主義と民族解放運動の矛盾、帝国主義諸国間の矛盾、戦争と平和の矛盾などの世界の諸矛盾の集中点となっており、帝国主義勢力と反帝・民族解放・平和の勢力との国際的対決の焦点となっている事実をますます明白にしている。この闘争の帰趨が、ベトナム人民の将来だけでなく、世界の全局に影響する歴史的なものとなることは、論議の余地がない。

 第二に、ベトナム侵略戦争は野蛮な植民地戦争であるだけでなく、現実にアメリカ帝国主義の社会主義陣営にたいする公然たる侵略戦争となっている。ベトナム侵略戦争は、アメリカ帝国主義、将来17度線を越えて地上軍を北上させるとき、はじめて社会主義陣営にたいする侵略戦争になるのではない。一昨年(1964)8月以来おこなわれているベトナム民主共和国にたいする爆撃こそ、社会主義陣営の各個撃破をねらったその一国にたいする攻撃であり、したがってまた社会主義陣営全体にたいする許すことのできない公然とした侵略なのである。

 第三に、人口約3000万人のベトナム人民が相手にしている敵は、今日における戦争と侵略の主勢力、世界反動の主柱であり、世界人民の共適の敵であるアメリカ帝国主義である。アメリカ帝国主義はいま、ベトナム侵略をその世界政策の最重点におき、その国家的「威信」をかけて、ドルと兵器と軍隊をつぎこんでいる。国民所得(名目)を比べてみただけでも、アメリカの年間約5000億ドルにたいし、ベトナム民主共和国は約20億ドルでアメリカの250分の1にすぎない。工業力、技術水準にも格段の開きがあることはいうまでもない。戦争の決定的要素は人間であるが、戦争である以上、武器の優劣は重要な要素の一つである。とくにかいらい軍を前面に立てた戦争が、米軍が直接戦闘にのり出す戦争にしだいに転化し、北爆が強化されている条件のもとでは、近代兵器の役割もまたますます大きくなっている。しかも、ベトナム民主共和国の現状では、航空機、高射砲、ミサイルをはじめとする近代兵器の供給は、主として社会主義国の援助にたよるほかはない。全世界人民の政治的、精神的、物質的支援の一部として、ベトナム人民が必要とするだけの各種兵器が、より効果的に、より速くベトナムに送られるほど、ベトナム人民の犠牲はより少なくてすみ、アメリカ帝国主義がうける打撃がより大きくなり、その困難がさらに大きくなることは明白である。

 このような情勢のもとで、世界人民の共同の敵、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対し、精神的、物質的にベトナム人民を支援するたたかいは、今日すべての反帝民主勢力にとって、文字どおり第一義的な共同の国際的任務となっている。そして現在、この国際的支援が、ベトナム人民が1日も早く最後の勝利をかちとるうえで、きわめて重要な要素の一つとなっていることもまた明白である。各国人民のベトナム侵略反対闘争と、ベトナム人民ににいする国際的支援が積極的であり効果的であればあるほど、ベトナム人民の英雄的闘争の勝利の日はそれだけ早められることになる。いまこそ全世界の人民、反帝民主勢力、国際共産主義運動、社会主義陣営は、共同して、全力をつくし、ベトナム人民を最大限に援助することによって、アメリカ帝国主義の侵略をうち破り、ベトナム人民の英雄的闘争をかがやかしい歴史的勝利のうちに終わらせなくてはならない。万一、われわれが、ベトナム人民の自主的な英雄的闘争を評価し称賛するだけにとどまり、国際的な統一行動と統一戦線を強化してベトナム人民を支援するみずからの任務をすこしでもかろんずるならば、それは実際には、ベトナム人民の革命的闘争力への信頼を理由としてわれわれ自身の国際的責務を回避するという、無責任な立場におちいることとなるであろう。

 

   2、国際共産主義運動の共同の責務

 いまわれわれが、あらためて真剣にきびしい検討をくわえなければならないのは、アメリカ帝国主義のベトナム侵略が激化して以来、国際的な反帝統一戦線の中心部隊となるべき国際共産主義運動、社会主義陣営内部の不団結が、ベトナム人民支援闘争をより効果的なものとするうえでの障害ともなってきたという冷厳な客観的事実である。

 その最大の原因がフルシチョフ時代のソ連共産党指導部の日和見主義・分裂主義の路線にあったことは、指摘するまでもない。すなわち、フルシチョフらは、無原則的な対米追随路線を国際共産主義運動、国際民主運動におしつけ、不団結を激化させただけでなく、「一点の火花も世界大戦になる危険がある」という降伏主義的口実をもちだして、ベトナム人民の闘争にたいする支援をおこなわずアメリカ帝国主義との闘争を極力回避しようとしたのである。もしもあの当時、国際共産主義運動の団結が維持されており、フルシチョフらを中心とするソ連共産党指導部がベトナム人民にたいする断固たる支援の態度、アメリカ帝国主義にたいする断固たる糾弾と反撃の態度をとっていたならば、事態は大きく変わっていたにちがいない。

 フルシチョフが解任されて以後、ソ連共産党指導部の態度は、フルシチョフ時代と比べて一定の変化が生まれたとはいえ、次節でのべるように二面的なものであって、情勢が要求するものに十分ふさわしいものではなかった。同時に、ベトナム人民支援の国際統一行動の重要性を事実上過小評価する別の傾向も生まれてきた。もちろん、これまで、少なからぬ国の党がベトナム人民を支援する闘争の先頭に立って奮闘し、個々の社会主義国のなかにも、全力をあげて大きく貴重な支援をおこない、犠牲を惜しまない努力をはらっている国がある。それにもかかわらず、全体としての国際共産主義運動、社会主義陣営のベトナム人民にたいする支援は十分強力なものということはけっしてできない。

 とくにわれわれが重視するのは、南ベトナムにたいするアメリカ帝国主義の凶暴な侵略の問題とともにベトナム民主共和国にたいする北爆の問題である。

 すでにくりかえし強調したように、北爆は、決定的な主戦場としての南ベトナムにたいする米軍の大量投入とともに、アメリカ帝国主義によるベトナム侵略戦争の凶暴な段階的拡大の主要な手段となっているだけでなく、社会主義陣営にたいする公然たる侵略である。

 6年前、1960年の81ヵ国共産党・労働者党代表者会議の声明は、今日における帝国主義の戦争政策との闘争について、つぎのようにのべていた。

 「この時期における主な結論は、社会主義世界体制の力量と国際的影響力の急激な成長、民族解放運動の打撃による植民地体制のいちじるしい崩壊の過程、資本主義世界における階級闘争の激化、資本主義世界体制のいっそうの衰退と腐朽である。世界の舞台では、帝国主義にたいする社会主義勢力の優位、戦争勢力にたいする平和勢力の優位がますます明らかになっている。
 しかし、帝国主義は自分の陣地を保持しようとして軍縮をさぼり、冷戦をひきのばして、あらゆる方法でそれを激化させようとつとめ、新しい世界大戦を執ように準備している。したがって、実生活は、社会主義諸国、国際労働者階級、反帝国主義民族運動、あらゆる平和愛好諸国、およびすべての平和の戦士にたいして戦争を防ぎ、平和な生活を保障するために力をますます堅く結集し、断固たる行動をとるよう強く要求している。実生活は、帝国主義に反対し、民族独立、社会主義をめざしてたたかうためにすべての革命勢力がいっそう団結するよう強く要求している」

 さらに声明は社会主義陣営の統一と団結についてつぎのようにのべていた。

 「社会主義陣営の団結した力は、個々の社会主義国を帝国主義反動の主権侵害から確実に守る保障である」
「社会主義諸国の発展の経験がかさねて示しているように、これらの国が実績と成果をあげるうえでもっとも主要な国際的条件は、たがいに援助しあい、支持しあうことであり、社会主義陣営の統一と団結から生まれるすべての優越性を利用することである。社会主義陣営は分裂するかもしれないという帝国主義者、変節者、修正主義者どもの期待は砂上の楼閣であって、結局裏切られる運命にある。すべての社会主義国は、社会主義陣営の統一をひとみのように大切にまもっている」

 すべての共産党・労働者党が一致してくだしたこれらの評価と決意にもかかわらず、世界の舞台での帝国主義にたいする社会主義勢力の優位、戦争勢力にたいする平和勢力の優位が強調されてから数年たたないうちに、現実には社会主義国にたいする連日の空襲という事態が慢性化し、さらに激化させられているのである。

 アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争が、アメリカ帝国主義の侵略的本質から生まれているものであることは、もちろんである。しかし、ベトナム侵略戦争の拡大、北爆の慢性化とその激化もまた、アメリカ帝国主義の侵略的本質からいって不可避的なものであるということはできない。むしろ重大なことは、国際共産主義運動と社会主義陣営がその内部にある誤った路線とそれにもとづく不団結によって、団結した効果的な闘争を強力に組織することができないでいる現状につけこんで、アメリカ帝国主義が、北爆を慢性化させ、拡大しているということである。ベトナム民主共和国にたいする爆撃の慢性化と拡大という事態は、事態の本質においては、ソ連や中国にたいするアメリカ帝国主義の連日にわたる空襲という事態となんの変わりもない。これにたいして、個々の党、個々の社会主義国の努力と闘争にもかかわらず、国際共産主義運動と社会主義陣営がこれまでおこなってきた全体としての抗議と反撃の弱さ、とくに共同した支援の欠如は、残念なことにだれもがみとめないわけにはいかないものである。

 もちろん、帝国主義の戦争と侵略があるかぎり、世界の舞台での力関係や、社会主義陣営の団結だけで、自動的にすべての社会主義国の主権が完全無欠にまもられるなどということは正しくない。戦後の朝鮮戦争の例が示すように、国際共産主義運動と社会主義陣営が団結していた時期にも、アメリカ帝国主義の朝鮮民主主義人民共和国にたいする公然たる侵略戦争がおこなわれた。だが、団結していても帝国主義の社会主義陣営にたいする侵略がおこなわれたことがあるということは、けっして現在の事態をそのままにしておいてよいということではない。同じく朝鮮戦争で、朝鮮人民の英雄的闘争とそれを支援する国際共産主義運動および社会主義陣営の団結した闘争によって、朝鮮民主主義人民共和国の主権が守りぬかれた経験が示すように、団結して帝国主義の主権侵害とたたかう決意と実行のなかにこそ、究極的にすべての社会主義国の主権を守りぬく保障が存在している。そして、国際共産主義運動内部に原則上の意見の相違がある条件のもとでも、もしも、国際共産主義運動とすべての社会主義国が、アメリカ帝国主義の南ベトナム侵略と北爆にたいして、断固として行動を統一し、強力な糾弾と対決をおこなっていたならば、アメリカ帝国主義が今日のような北爆の慢性化と激化というような凶暴な行動に出ることができたかどうかはきわめてうたがわしい。

 現在でも、許すことのできない連日の爆撃からベトナム民主共和国を防衛するために必要な手段を、社会主義陣営がもっていないわけではない。

 アメリカ帝国主義のベトナム民主共和国にたいする侵略は、政治的には、国際共産主義運動と社会主義陣営の不団結を利用しながら、また、軍事的には、小銃、高射砲、ミサイルなどによる集中的な対空砲火によって大きな損害をうけながらも、B52、各種ジェット機など大量の空軍力をそそぎこむという状況のもとでおこなわれている。ここに、社会主義国家にたいするほとんど一方的な空襲が継続され、一方的に強化・拡大されていくという、考えられないような事態が現実のものとなっている理由がある。

 しかし、実際には、アメリカ帝国主義と社会主義陣営の本来の力関係は、このような侵略を容易に許すほどのものではけっしてないし、また軍事的にも、社会主義陣営全体の力は、アメリカと比べてけっして劣るものではない。社会主義陣営が、団結した援助の強化によって、アメリカ帝国主義が大量の空軍力を利用している現状をうちやぶり、不法、不当な北爆からベトナム民主共和国を防衛することは、実際に可能である。社会主義陣営が、今日の事態の重要性とそれが要求している任務を正しく認識し、団結を妨げている右と「左」の日和見主義を正しく克服して、1960年の声明で誓いあったように、「社会主義陣営の統一と団結から生まれるすべての優越性を利用」し、アメリカ帝国主義の侵略にたいする断固たる対決をおこない、ベトナム人民にたいするもっとも強力な共同の支援を実現するならば、ベトナム民主共和国がアメリカ帝国主義の北爆にたいし、世界人民の支持をうけつつ、より強力なより決定的な防衛措置をとることは十分に可能である。そして、老若男女をとわず生死をかけてたたかっているベトナム人民が心から求めているものも、アメリカ帝国主義を国際的に孤立させる全世界的な政治闘争の発展と強力な国際的援助であり、アメリカ帝国主義のベトナム侵略にもっとも効果的な打撃を加えうるような、全世界の反帝民主勢力、およびその先頭に立つべき国際共産主義運動の真剣な反帝闘争と統一行動の発展と強化なのである。

 どんなに原則上の問題をめぐる意見の相違がはげしくとも、論争を通じて真理を追求しながら、なおかつ世界の反帝闘争の焦点となっているベトナム人民の闘争のより早い、より輝かしい勝利をかちとるために、反帝民主勢力の先頭に立ち、強力な国際統一行動をただちに組織することは、全国際共産主義運動、全社会主義陣営にとって共同の貴務である。

 そのためには第一に、国際共産主義運動と社会主義陣営は、フルシチョフのような「平和共存」を口実にしてアメリカ帝国主義に追随し、その戦争と侵略の政策にたいする闘争を回避する日和見主義路線の影響を克服し、断固として、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する世界各国人民の闘争の先頭に立つ任務をもっている。

 ハノイ、ハイフォン爆撃に際して、少なからぬ共産党・労働者党、社会主義諸国は、それぞれアメリカ帝国主義の凶暴な侵略行為をつよく糾弾し、ベトナム人艮の閤争を支援するためあらゆる手段をとる決意を表明した。

 国際共産主義運動と社会主義陣営は、ベトナム人民にたいする暴虐な侵略、社会主義陣営にたいする公然たる攻撃、アジアと世界の平和にたいする重大な挑戦をおこなっているアメリカ帝国主義にたいするこのような政治的糾弾をさらに強化し、全線にわたって毅然として対決する態度をとり、その戦争と侵略の政策を徹底的にうちやぶる必要がある。

 第二に、国際共産主義運動は、国際民主運動の各分野で、さまざまな形で現に発展しつつあるベトナム侵略反対、ベトナム人民支援の国際統一行動を、いっそう前進させ、拡大するために共同して奮闘する任務をもっている。わが党の2月4日付『赤旗』の論文が指摘したように、ベトナム侵略反対のために共同してたたかおうという全世界人民の一致した決意を反映して、この1、2年来、一連の重要な国際会議では、国際民主運動の団結は基本的に前進をかちとってきた。とくに今年の1月にひらかれた第1回アジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連帯大会は、ベトナム人民の正義の闘争支援をはじめとする一連の決議を満場一致で採択し、全世界の反帝・民族解放・平和勢力の連帯の政治的、組織的方向を明らかにした。そしてこの連帯機構は、7月13日、執行書記局とベトナム支援委員会との合同会議をひらき、ハノイ、ハイフォン爆撃に抗議する週間を設定し、3大陸の各国人民にたいしてベトナム人民支援闘争をいっそう強化することをよびかけた。あらゆる形の日和見主義、分裂主義とたたかって、これら反帝民主勢力の国際統一行動と統一戦線をいっそう前進させ拡大するために共同の努力を強めることは、国際共産主義運動のきわめて重要な任務である。

 第三に、国際共産主義運動と社会主義陣営は、ベトナム人民支援のためのその国際統一行動を効果的に強化することをめざして、それ自身の努力を払う必要がある。

 これらの責務は、これまでの国際共産主義運動、社会主義陣営内部の誤った路線とそれにもとづく不団結が、アメリカ帝国主義が侵略を拡大してゆくうえで利用してきた一つの要素となってきただけに、いよいよ重くいよいよ厳粛なものとなっているといわなければならない。

 

   3、侵略戦争拡大に対処する誤った態度

 こうして現在の情勢は、全国際共産主義運動、全社会主義陣営が、反帝民主勢力のベトナム侵略反対闘争の先頭に立ち、社会主義諸国がアメリカ政府にたいして外交的にもより断固とした描置をとることを要求している。ソ連や中国が不法侵入してくるU2機を撃ち落としたように、ベトナム民主共和国に侵入してくるアメリカの飛行機を、いわば水ぎわで撃ち落とし撃退できるような状態をつくりだすための共同の支援をおこなう必要も生み出されている。

 だが、社会主義国家の主権を防衛するために必要な、このような最低限の手段をとることでさえも、ベトナム侵略戦争のいっそうの拡大を生みだし、ついには中国、朝鮮などアジアの他の社会主義国にたいする侵略戦争や第3次世界大戦の危険をはらむ冒険主義的行動となるのではないかという反論があるかもしれない。

 しかし、このような意見は、「一点の火花も世界大戦になる危険がある」という口実で侵略にたいする正当な、かつ必要な反撃を回避したフルシチョフらと同じ日和見主義の主張である。これは実際には、第2次世界大戦直前ヒトラーの侵略を容認した英、仏の「ミュンヘン政策」や、アメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策に無原則的に妥協したフルシチョフの日和見主義と同じく、アメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策に屈服し、社会主義国家にたいする凶暴な侵略を事実上黙視することになる。これは逆にかれらをつけあがらせ、戦争の拡大を阻止することに役立つどころか、逆にベトナム侵略戦争のいっそうの拡大を許し、結局は戦争の大規模化の危険を強める役割をはたすものである。

 強力な反撃をさしひかえることによっては、侵略の拡大をを防ぐことができないことは、すでにこのベトナム侵略戦争の事実そのものが証明している。「トンキン湾」事件からハノイ、ハイフォン爆撃までの現実の経過が明白に示したように、北爆にたいする断固たる国際的反撃が実行されないならば、アメリカ帝国主義は、そのことに安心して、ますます図にのって北爆を強化、拡大してくるだけである。今回のハノイ、ハイフォン爆撃にさいしても、かれらがそれを強行した理由の一つに、ハノイ、ハィフォン爆撃にふみきっても、社会主義陣営からの強力な反撃はないという予測があったことは、広く報道されているとおりである。

 不法な侵略は断じて許さないという決意を現在行動で示すことだけが、アメリカ帝国主義のこのような打算を粉砕してベトナム侵略戦争の拡大を阻止し、アジアの他の社会主義国への侵略戦争や、さらには世界戦争の勃発をも防止する道である。なぜなら、これらの危険もまた、ベトナム侵略戦争の拡大と無関係にあるものではなく、まさに、現在進行しているアメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争の無制限な段階的拡大のなかにこそはらまれつつあるものだからである。たとえば、アメリカ帝国主義がいまぶつかっている困難がさらに大きくなり、かれらがおちいっている窮地がさらに救いがたいものとなるとき、アメリカ帝国主義が、背後からの武器輸送路を断ち切るということを口実にして、北爆をさらに中国・ベトナム国境地帯から中国領内へ拡大する可能性も現実に存在している。

 しかも、アメリカ帝国主義のアジア侵略政策の青写真のなかには、「中国封じ込め政策」の極点として中国にたいする侵略戦争の準備がふくまれていることは、かくれもない事実である。そして現在でも、中国がより強力な核兵器やミサイルを完成する以前に「予防戦争」をおこなうべきだと主張し、ベトナム侵略戦争をただちに中国侵略戦争へ拡大することを要求する有力な極右的好戦派が、アメリカ帝国主義者の内部に存在している。すべての反帝民主勢力は、アメリカ帝国主義の「中国封じ込め政策」に反対し、中国侵入をたくらむ政策に反対して、たたかわなければならない。しかし、これらのことは、そのままわれわれが、ベトナム侵略戦争が、中国にたいする侵略戦争のたんなる予備段階であるとか、いまやベトナム侵略戦争よりもアメリカ帝国主義の中国侵略戦争の危険こそ最大の問題となったとか、中国侵略戦争は文字どおり不可避になったとかという態度をとってよいことを意味するものではない。

 戦争と侵略は、帝国主義の本質にもとづくものであるが、この侵略にあたって、帝国主義者が、かれらなりの「知恵」をはたらかして侵略実行にもっとも適した条件をえらび、状況をねらうことも帝国主義の常とう手段である。

 アメリカ帝国主義は現在、「中国封じ込め政策」をいっそう強化するためにも、一方ではインドネシアの右翼化という事態を歓呼して迎えながら、同時に東南アジアの支配を強化しようとし、そのために必要で不可欠な拠点として南ベトナムを確保しぬくことに主要な力を集中している。その際かれらは、強力な核兵器とミサイルをもっているソ連と正面から対決することを余儀なくされるような事態はできるだけさけ、さらにソ連と中国が対立をつづけている状態を最大限に利用しながら、ベトナム侵略戦争を勝利に終わらせることをねらっている。もしも、複雑な事情によって、ベトナム人民の英雄的奮闘にもかかわらず、ベトナム人民にたいする国際的支援が全体として十分に強化されず、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争の拡大を阻止することができず、逆にかれらの勝利を許して、南ベトナムの永久的な軍事基地化と東南アジアの支配の強化が実現し、帝国主義と反帝勢力の力関係がアメリカ帝国主義に有利な方向に変化するようなことになれば、それはアメリカ帝国主義のアジア侵略政策と「中国封じ込め政策」、社会主義諸国と民族解放運動にたいする各個撃破政策をさらに鼓舞することとなる。そのときはアメリカ帝国主義の中国侵略戦争の危険もまたそれだけいっそう強まるであろう。この意味では、まさにベトナム侵略戦争の経過と結果こそ、アメリカ帝国主義をアジアから追い出す方向に前進するか、それともアジアの他の社会主義国への侵略戦争やひいては世界大戦の危険を強めるかの歴史的分岐点の一つとなるものである。だからこそベトナム問題は、今日の戦争と平和の問題の最大の焦点であり、帝国主義陣営と反帝勢力との国際的対決の集中点となっているのである。

 こうした情勢のもとでは、すべての反帝民主勢力に必要なことは、戦争が大きく拡大するだろうとして「戦争を恐れ」て強力な抗議と対決を回避することではない。あるいは反対に、戦争の大規模な拡大、他の社会主義国への侵略の拡大は不可避だ、――「戦争を恐れるな」などといいながら、アメリカ帝国主義のベトナム侵略反対という焦眉の課題を事実上過小評価し、アジアの他の社会主義国へ侵略戦争が拡大された場合の対策にだけ力を集中したりすることでもない。

 もちろん、われわれは、帝国主義の戦争脅迫を恐れるものでもないし、帝国主義の侵略を打破するための正義の戦争をたたかいぬくことをも恐れるものではない。国際共産主義運動の歴史は、あの二つの世界大戦の歴史的経過でも証明されているように、マルクス・レーニン主義者こそ、帝国主義戦争を内乱に転化するたたかいにおいても、民族を解放し、社会主義を防衛するたたかいにおいても、あるいはまた凶暴な反動的独裁を打倒する人民の武装闘争においても、もっとも戦闘的な戦士であることを実証してきた。だが、同時に、マルクス・レーニン主義者は、帝国主義の侵略戦争を積極的に阻止し、世界大戦を防止し、世界平和を擁護するたたかいにおいても、もっとも戦闘的な戦士である。諸民族の独立と人民の解放をめざし、不正義の戦争に反対して平和の確保のためにもっとも勇敢にたたかうものであってはじめて、同じ人民の政治の延長として、正義の戦争をももっとも勇敢にたたかうことができるのである。

 われわれがベトナム侵略戦争とその拡大に反対する闘争を重視するのは、アメリカ帝国主義者の第3次世界大戦脅迫を恐れ戦争を恐れているからではけっしてない。すでにのべたように、アジアの他の社会主義国への侵略戦争や第3次世界大戦を阻止するためにも、現在、ベトナム侵略戦争とその拡大に反対する闘争に、全世界の人民を結集してたたかわなければならないのである。そして全世界の反帝民主勢力がこの闘争を全力をつくしてたたかってこそ、万一、アメリカ帝国主義者がさらに大規模な戦争放火を強行した場合にも、世界の人民を結集してその戦争と侵略にたいしてもっとも効果的に、もっとも強力にたたかうことができる。「第3次大戦に備えよ」、「戦争を恐れるな」といって当面のベトナム侵略戦争とその拡大に反対する闘争にたいして受動的、消極的になることは、結局は、戦争拡大に正しくそなえることもできないこととなるのである。

 もちろん、帝国主義者の侵略政策の対象となっている国が、最悪の場合にそなえて準備することは当然のことである。その準備が万全であってはじめて、帝国主義の戦争脅迫に屈せずに断固としてかれらの戦争と侵略の政策にたいしてたたかうことができるし、そうした準備そのものが、侵略を阻止するうえで重要な役割をはたすからである。しかしそのことは、侵略戦争阻止の任務を侵略戦争が起きた場合にたたかう準備だけに解消することを許すものでもないし、現在の時点で、侵略戦争を阻止するための闘争を過小評価し受動的、消極的になってよいことを意味するものでもない。

 アメリカ帝国主義が侵略戦争の段階的拡大を一歩一歩狡猾におしすすめている際に、反帝民主勢力にもっとも必要なことは、一方では侵略戦争拡大のおどしを恐れず、ベトナム侵略戦争がさらに大規模に拡大され他の社会主義国にたいする侵略戦争にまで発展した場合にはもちろん断固としてたたかう準備をすすめるとともに、他方では、そのような最悪の事態を積極的に防止するために、現在の時点で、ベトナム侵略とその拡大を断じて許さず、その侵略を失敗させるために、いっさいの努力を集中することである。これこそ今日のアメリカ帝国主義の複雑な二面的手口による戦争拡大にたいする反帝民主勢力の正しい適切な対応である。

 したがって、今日もっとも重要なことは、アメリカ帝国主義のベトナム侵路そのものをうちやぶることである。まさに、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争に反対し、北を守り南を解放し、南北統一を実現するというベトナム人民の正義の要求を支持するということが、全世界の民主勢力の共同の目標とならなければならない。そのために、すでにのべたように、ハノイ、ハイフォン爆撃という事態にあたって、すべての反帝勢力、とくに国際民主運動と国際共産主義運動は、各国人民のベトナム侵略反対の広範な政治闘争を前進させ、あらゆる形態、あらゆる分野で国際統一行助を強化することが必要である。このような全世界人民の闘争と結びついて、すべての社会主義国家は、ジョンソン政府にたいし、外交的にもさらに決然たる態度と抗議の措置をとり、社会主義国の主権と自衛のための強力な効果的反撃を組織することが必要である。

 これらいっさいのことは、冒険主義的方法にうったえることをすこしも意味しない。それは、ベトナム侵略戦争の凶暴な拡大が世界の反帝勢力をあげての反撃を覚悟しなければならないということをアメリカ侵略者に事実でつきつけることであり、べトナム侵略戦争の拡大を防止しつつ、北を守り南を解放する事業にもっとも積極的に寄与することにほかならない。6月29日付のわが党中央委員会幹部会の声明がのべたように、このような団結した闘争と効果的な反撃こそ、アメリカ帝国主義のベトナム人民とべトナム民主共和国にたいする侵略拡大と、アジアの平和、社会主義陣営への新しい挑戦にたいするもっとも効果的な回答であり、アメリカ帝国主義によるアジアの他の社会主義国への侵略、第3次世界大戦への放火を阻止する、先制的、効果的な反撃なのである。

  

三、ソ連共産党指導部の評価と統一行動の問題

 

 アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争とその拡大に反対し、ベトナム人民を支援する国際統一行動と国際統一戦練を飛躍的に強化するという緊急課題にとって、現在きわめて重要な問題となっているのは、この国際統一戦線の中心部隊となるべき国際共産主義運動の統一行動をめぐる問題である。そして、これに関連して、これまで現代修正主義の国際的潮流の中心の一つとなってきたソ連共産党指導部の最近の路線と行動をどうみるか、先にのべたようにわが党が一貫して提唱してきたベトナム侵略に反対する国際統一行動と、ソ連共産党指導部が昨年来強調しはじめた「共同行動」との関係はどうかなどなどの問題についていろいろな見解が提起されている。わが国でも、ソ連共産党指導部に追従する志賀義雄らの反党修正主義者は、国際民主運動とことなって国際共産主義運動には行動の統一などはありえないといっていた以前の主張をたちまちたな上げして、今度は一転してソ連共産党指導部のいう「共同行動」に無条件に参加せよと叫び立てて、わが党の国際路線に攻撃を加えている。他方、腐敗と分派活動によって10年前に除名された志田重男一派の残党を中心とするひとにぎりの反党分子は、外国の党の主張を事大主義的、教条主義的におうむ返ししながら、ソ連共産党指導部の評価や「修正主義者とはいかなる共同行動もありえない」という主張を理由にして、反帝国際統一行動、統一戦線を提唱しているわが党の方針に、口ぎたない罵倒をあびせかけている。そして、志田一派のデマゴギーの本質を見やぶることのできない、善意ではあるが動揺的な人びともある。したがって、わが党の撹乱をめざして狂奔しているこれら反党分子の「主張」の誤りを全面的に暴露し、徹底的に粉砕することは、革命党としてのわが党の重要な任務である。

 志田一派の「主張」の根本的な特徴は、かれらが外国の党の主張に盲従するだけでなく、具体的な現実を分析することなしに抽象的な一つの公式から機械的に結論をひきだすという、二重の教条主義におちいっていることである。すなわち志田一派は、当面の統一行動、統一戦線を問題にする際に、具体的情勢を具体的に分析するかわりに、ただ「修正主義はマルクス・レーニン主義に敵対する潮流である」という定義だけをふりまわし、そこからすべての結論をひきだしている。これは、マルクス主義の弁証法的見地を形而上学的な見地におきかえることであり、こうしたやり方が、マルクス・レーニン主義にも事実にも反し、当面の情勢が要求する任務にも反した、極端な主観主義的結論に導くのは、きわめて当然である。

 

   1、修正主義者と統一行動の問題

 志田一派の議論の、このような二重の教条主義を、もっとも端的に示しているのは、かれらが事大主義的な態度でふりまわしている「修正主着者とはいかなる共同行動もありえない」というテーゼである。

 もちろん修正主義は「マルクス主義の内部にあってマルクス主義に敵対する潮流」であり、修正主義の政策は「プロレタリアートの根本的利益を犠牲にする」ものであり(レーニン「マルクス主義と修正主義」、全集15巻、15ページ、20ページ)、あらゆる日和見主義と同じように、「プロレタリアートの大衆を敵として一部の労働者とブルジョアジーが同盟すること」(レーニン「第2インタナショナルの崩壊」、全集21巻、242ページ)である。フルシチョフらの現代修正主義もまた、思想的、理論的には、マルクス・レーニン主義と国際労働者階級への敵対と帝国主義ブルジョアジ一との同盟とを表現する右翼日和見主義である。

 しかし、このことは、修正主義の思想、理論をもつ、あるいはその影響下にあるいっさいの政治的潮流、いっさいの政治組織とは、どんな場合にも共同行動を拒否することこそマルクス・レーニン主義の原則であるなどということをけっして意味しない。そのような断定こそ、まさに行動の指針としてのマルクス・レーニン主義を死んだ教条におきかえるものである。反対に具体的な情勢と大衆の要求にもとづいて、日和見主義者、修正主義者、あるいは日和見主義、修正主義の潮流との共同行動、統一行動の問題に正しく対処し、それを革命的マルクス主義の勝利のために正しく利用することこそが、国際共産主義運動の実践の試練のなかでためされたマルクス・レーニン主義者の原則的態度なのである。

 レーニンが日和見主義、修正主義との潮流にたいしておこなった闘争の経験については、次節でくわしくのべるが、アメリカ帝国主義との「同盟者」「共犯者」であるという理由で、いっさいの修正主義者との共同闘争を拒否する志田一派の主張のこっけいな誤りを粉砕するためには、レーニンが指導した、第3インタナショナルと第2インタナショナルなどとの統一戦線戦術の実例をひくだけで十分であろう。なぜなら、この第2インタナショナルに結集した社会民主主義諸党こそ、体系化した日和見主義、修正主義の国際的潮流にほかならないからである。レーニンは、第2インターと第2半インターがまさに「世界の反革命的ブルジョアジーと不安定で動揺的な同盟」を結び、事実上「資本主義の主要な支柱」としての役割をはたしていることをはっきりと指摘しながら、大衆の要求に応じ、かつ労働者大衆をマルクス・レーニン主義の側に獲得するために、第3インタナショナルが、国際資本にたいする闘争において、第2および第2半インタナショナルとのあいだに統一行動、統一戦線を結ぶことを主張したのである。

 レーニンが指導した1921年12月のコミンテルン執行委員会のテーゼ「労働者の統一戦線と第2、第2半およびアムステルダム・インタナショナルに所属する労働者ならびにアナルコ・サンジカリスト的組織を支持する労働者にたいする関係についてのテーゼ」は、統一にたいする労働者の要求にこたえることこそが、労働者階級をマルクス・レーニン主義の側に獲得する道であることについて、つぎのようにのべている。

 「労働者大衆は、労働者階級の非妥協的で戦闘的な分子、すなわち共産主義者にたいしてその信頼をますます増大させつつも、全体としては統一にたいするかつてない希求によって動かされている」。「しかし同時に、かれらはまだ改良主義者にたいする信頼を失っておらず、かなりの大衆が依然として第2インタナショナルの諸党およびアムステルダム・インタナショナルを支持している。これらの労働者大衆は自分の計画や願望を十分明確に定式化していないが、新しい気分は、だいたいにおいて、統一戦線を確立し、資本の攻勢に反対する第2およびアムステルダム・インタナショナルの諸党や組合と共産主義者のあいだの共同行動を実現しようとする願望に帰着させることができる。そのかぎりにおいて、この気分は進歩的である。改良主義にたいする信頼は本質的には掘りくずされている。今日、労働運動がおかれている一般情勢のもとでは、いかなる真剣な大衆行動も、たとえそれがたんに部分的要求から出発したものであっても、不可避的に、革命のより一般的で根本的な問題を前面におしださずにはおかない。共産主義的前衛は、労働者の新たな部分が、改良主義や妥協の幻想的な性格をかれら自身の経験をつうじて確信したときにのみ、勝利をうることができる」

 レーニンは、翌1922年春、このテ―ゼにしたがって、第3インタナショナルと、第2および第2半インタナショナルとの統一戦線戦術を実行する際、「統一戦線戦術の目的と意味は、第2インターや第2半インターの指導者にさえ資本に反対するたたかいを共同でおこなうようくりかえし提案するにとどまらず、ますます広範な労働者大衆をこのたたかいにひきいれていくことにある」(レーニン「コミンテルンにおけるロシア共産党(ボ)代表団の報告にもとづく決議草案への提案」、全集42巻)ことを明らかにしつつ、国際的統一行動の実現のためにねばりづよい努力をはらった。レーニンは、このとき、統一戦線が第2インターの修正主義者を美化し、その立場を強めることになるなどといってこれに反対した「左翼」セクト主義者たちをつよく批判した。レーニンは、統一戦線戦術が、第2インターの日和見主義、修正主義の潮流の美化を前提にしたものであるどころか、「大衆が資本とたたかうのを援助する」と同時に、改良主義的戦術と革命的戦術とのどちらが正しいかを労働者に納得させる闘争の場をつくるものであることを、くりかえし強調した。

 「われわれは、第2インターと第2半インターが反革命的な世界ブルジョアジーと一貫性のない動揺的な同盟を結んでいるもの以外のものではないとみなしている。われわれは、大衆の直接行動の可能な実践的な統一を達成するために、第2インターと第2半インターのすべての立場の政治的な誤りを暴露するために統一戦線について話しあうのであり、まったく同様に、第2インターと第2半インターとは、大衆の直接行動の実際の統一のために、われわれの立場の誤りを政治的に暴露するために、われわれと話しあうのである」(1922年2月1日、ブハーリンとジノビエフへの手紙、全集42巻)
 「かれらは、入場料をなにも払わずに、われわれ共産主義者の会場にはいりこみたがっており、統一戦線戦術によって、改良主義的戦術が正しく革命的戦術が誤っていることを労働者に納得させたがっているからである。われわれに統一戦線が必要なのは、われわれがその反対のことを労働者に納得させたがっているからである」。
 「これらの大衆が資本とたたかうのを援助するために、かれらが国際経済全体と国際政治全体における二つの戦線の『巧妙なしくみ』を理解するのをたすけるために、われわれは統一戦線の戦術を採用したのであり、またそれを最後まで遂行するであろう」(レーニン「われわれは払いすぎた」、全集33巻、344−345ページ)

 志田一派ら反党分子の主張が、まさにレーニンに敵対したものであることは、きわめて明白である。そして、かれらのこのような反マルクス・レーニン主義の立場が、レーニンの教訓を発展させたコミンテルン第7回大会の反ファシズム統一戦線戦術、すなわち第2インタナショナルの社会民主主義諸党、およびその影響下にある労働者とのファシズムと帝国主義戦争に反対する共同行動にかんする国際共産主義運動の重要な経験にもまっこうから敵対するものであることも指摘するまでもない。日和見主義者や修正主義者とのいっさいの共同行動の拒否という志田一派の立場は、実際には、これらの経験を正しく発展させた今日における統一戦線戦術そのものを否定し、いっさいの社会民主主義勢力との統一行動をも拒否して、そのかわりに「どんな妥協もしない」左翼セクト主義者だけを結集しようとするもっとも極端な左翼小児病的セクト主義にほかならない。

 

   2、ソ連共産党指導部の二面的態度

 さらに、ソ連共産党指導部の最近の路線と行動にたいする志田一派の評価には、具体的分析ぬきに、抽象的公式からすべての結論をひきだすかれらの議論の反弁証法的、観念論的、形而上学的性格が、如実にあらわれている。すなわちかれらは、修正主義は敵である、ソ連共産党指導部は修正主義である、したがってソ連共産党指導部は敵であるという、もっとも単純かつ教条主義的な三段論法をもって、かれらの反米、反ソの統一戦線論なるものをつくりあげ、わが党の国際路線をアメリカ帝国主義の共犯者と共同するものとして攻撃している。だが、これはただ、かれらが、今日の情勢とソ連共産党の最近の路線と行動を科学的に分析する能力がなく、今日における統一戦線の問題を具体的に分析する能力がまったくないことを暴露しているにすぎない。

 フルシチョフを中心としたソ連共産党指導部が、現代修正主義の国際的潮流の指導的役割をはたし、その日和見主義、分裂主義の路線が、国際共産主義運動、国際民主運動の不団結を拡大した主要な責任を負うものであることについては、まったく議論の余地がない。そしてわが党が事実にもとづいて指摘してきたように、フルシチョフを解任して以後のソ連共産党指導部の路線と行動のなかにもその従来の路線が根づよく存在している。わが党はこれまで、一貫して修正主義の国際的潮流の日和見主義、分裂主義、大国主義の路線に反対し、マルクス・レーニン主義の原則とプロレタリア国際主義を守り、1957年の宣言と1960年の声明の革命的原則を擁護して、国際共産主義運動のマルクス・レーニン主義的強化と真の団結のために奮闘してきた。とくにフルシチョフを中心としたソ連共産党指導部が兄弟党間の関係についての基準をふみにじって公然とわが党の路線に全面的攻撃を加え、志賀義雄ら党破壊分子と連絡してかれらを公然と支持激励するという卑劣な行動をおこなって以来、わが党は、日本革命と国際共産主義運動にたいするわが党の厳粛な責任をはたすために、ソ連共産党指導部のわが党とわが国の民主運動にたいする干渉・破壊活動と、それを基礎づける誤った理論と政策にたいして、公然と断固たる批判を加え、理論的解明をおこなってきた。フルシチョフによるケネディの美化、部分核停条約締結その他のアメリカ帝国主義にたいする無原則的屈従、核戦争による人類絶滅をさけるためと称するアメリカ帝国主義との闘争の回避、これらいっさいの誤った路線を国際共産主義運動、国際民主運動におしつけるための常軌を逸した分裂策動、他の兄弟党にたいする一方的な公開の攻撃・中傷と、国際共産主義運動を決定的分裂にみちびくための分裂主義的国際会議の一方的開催の策謀、原水禁運動、日ソ親善運動その他のわが国の民主運動にたいする分裂活動と内部干渉、一握りの反党集団「日本のこえ」一派にたいする公然たる支持とわが日本共産党にたいする干渉・破壊活動、佐藤内閣の美化など、これらはフルシチョフ以来のソ連共産党指導部の誤った路線と行動が、国際共産主義運動、国際民主運動の路線をゆがめ、団結を破壊してきた、消すことのできない重大な罪状である。フルシチョフ以来のソ連共産党指導部の路線と行動にあらわれている現代修正主義の日和見主義、分裂主義、大国主義の誤りと非妥協的にたたかい、これを完全に克服することなしに、国際共産主義運動のマルクス・レーニン主義的強化と真の団結がありえないことは明白である。

 しかし同時に注目しなければならないことは、最近のソ連共産党指導部の路線と行動に、一定の変化があらわれていることである。この問題については、すでにわが党は論文「

アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために」その他、さまざまな機会に分析を加えてきた。すなわち、現在のソ連共産党指導部一は、一面では、フルシチョフ以来の公然たる日和見主義と分裂主義にたいするきびしい歴史の審判と世界人民の圧力によって、一定の反米的言説とベトナム人民支援の一定の行動をおこなうことを余儀なくされながら、他面では、佐藤内閣の対外政策の公然たる礼賛やわが国の民主運動およびわが党にたいする不当な干渉や破壊活動が示しているように、フルシチョフ以来の誤った従来の路線を根本的には転換していない。わが党はこれらの事実を指摘し、ソ連共産党指導部の路線と行動の現在の特徴を新しい二面的態度と評価したのである。

 その後の事態は、わが党のこの評価の基本的な正しさをさらに明確にした。たとえば、さる3月29日から10日間ひらかれたソ連共産党第23回大会にたいする同党中央委員会の活動報告は、この二面的態度を重要な特徴とするものであった。すなわちこの報告は、国際共産主義運動におけるフルシチョフ時代の重要な諸問題にふれることを極力さけながら、一面では、たとえば無原則的な対米追従路線やベトナム侵略にたいする態度をはじめ、あまりにも誤りが歴然となったいくつかの問題については、自己批判ぬきの手直しをおこなっている。同時にこの報告は、他面では、たとえば「核拡散防止条約」締結の主張や復活しつつある日本軍国主義との闘争を回避していることなどが示すように、従来の路線の根本的転換をも回避しているのである。

 志田一派その他の反党教条主義者は、この二面的態度を、単純にフルシチョフの日和見主義、分裂主義、大国主義の路線を、いっそう欺まん的にし、いっそう悪質な方向へおしすすめたものであるとし、ベトナム侵略反対の強調やベトナム人民への援助をも、修正主義路線とアメリカ帝国主義の共犯者としてのその本質をおおいかくすためのまったくの欺まんにすぎないものとみている。しかしこれは、けっして正確なものではない。

 このような見方は、フルシチョフの徹頭徹尾修正主義的な路線から、現在の二面的態度へ、ソ連共産党指導部の路線と行動が変化してきた基礎を見あやまっており、その当然の結果として変化の性質と方向をも誤ってつかんだものである。

 ソ連共産党指導部の二面的態度への変化を生み出したもっとも奥深い基礎は、この期間におけるアメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策の凶暴化とこれに反対する全世界の反帝民主勢力の闘争の激化であった。

 わが党の論文「

現代修正主義者の戦争と平和の理論と、これにたいする歴史の審判」(1965年8月14日付『アカハタ』)が詳細に示したように、ベトナム侵略戦争の凶暴化を中心にした国際情勢の経過そのものが、フルシチョフのケネディ美化や無原則的な対米追従路線の決定的誤りと、それにたいするマルクス・レーニン主義的潮流の批判の正しさとを、白日のもとに照らしだした。そして、ベトナム侵略戦争をはじめとするアメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策の凶暴化に直面した世界の人民は、ソ連の人民をもふくめて、ベトナム人民の闘争を支持し、アメリカ帝国主義に反対する闘争にたち上がり、つぎつぎと闘争をおしすすめてきた。ベトナム侵略が世界の人民にあたえた衝撃の大きさは、いまやアメリカ国内でも、ベトナム侵略反対をかかげた大衆闘争が公然と発展しているという画期的な事実一つをみても明らかである。フルシチョフの無原則的な「平和共存」路線に幻想を抱いた少なからぬ人びとも、みずからの政治的経験をつうじてその幻想から脱却しはじめ、アメリカ帝国主義との闘争なしには、社会制度の異なる諸国家間の平和共存をも真にかちとることができないことを理解しはじめた。全世界の共産党・労働者党だけでなく、あらゆる民主的団体、進歩的人士が、今日ではアメリカ帝国主義の侵略行為を一致して非難せざるをえなくなっている。

 このような状況のなかでは、つまりアメリカの民主党のモース上院議員までもが、「世界平和にたいする最大の脅威は米国だということになる」と叫ばざるをえないような状況のなかでは、ソ連共産党指導部が、従来の修正主義路線を根づよく存在させたままでも、フルシチョフと同じように、アメリカ帝国主義との闘争を回避しつづけることが困難となったことは、明白である。もしもソ連共産党指導部が、アメリカ帝国主義に反対しベトナム人民を支援する態度をとらなければ、世界の人民からもソ連の人民からも見はなされることとなるであろう。

 このことこそ、ソ連共産党指導部が、根本的にはまだ日和見主義、修正主義を脱しておらず、一面では妥協的政策をさまざまな形でつづけながらも、他面では反帝闘争を言葉で強調しはじめただけでなく、一定の範囲で行動においても示さざるをえなくなった真の理由である。

 われわれが正しく見る必要のあることは、ソ連共産党指導部全体、ましてソ連共産党全体は、修正主義に矛盾するなんらの要素をももたないというような存在ではないことである。ソ連共産党指導部は、現実には、現代修正主義の国際的潮流のなかで中心の一つとなってきた存在であると同時に、今日の国際共産主義運動を構成する公認の一部隊としてのソ連共産党および社会主義陣営の一員であるソ連人民の公式の指導部でもある。したがって、その二重の役割から生まれるさまざまな矛盾と複雑な要素をそのなかにもっている。

 たとえば、第一に、ソ連共産党指導部は、現在のところでは、一方で国際共産主義運動と世界人民の利益に反する現代修正主義の路線を実行する場合でも、国際共産主義運動のなかで一定の影響をおよぼそうとするためには、他方で、当面各国共産党・労働者党が一致して採択した1960年の声明の基本路線を公然と、全面的には放棄することが困難であるという矛盾をもっている。もしもソ連共産党指導部が、声明によって、「世界反動の主柱」「全世界人艮の敵」と規定されたアメリカ帝国主義の凶暴なベトナム侵略を容認しつづけ、ベトナム人民と世界人民の利益をまっこうから完全に裏切るならば、それは国際共産主義運動と世界人民のなかでソ連共産党指導部がもっている一定の影響力をも失わせ、みずからの足もとを掘りくずす結果とならざるをえない。

 第二に、ソ連共産党指導部は、一方でソ連の共産主義者とソ連人民の真の利益をうらぎる路線と行動をおしすすめる場合でも、他方でレーニンとスターリンの指導のもとに社会主義建設と大祖国戦争の勝利をたたかいぬき、現在も共産主義への移行をめざして奮闘しようとしているソ連の共産主義者とソ連人民の支持を確保するように考慮せざるをえないという矛盾をもっている。ソ連社会主義のなかには、フルシチョフ以来の日和見主義的指導のために、資本主義復活の傾向が生まれており、ソ連国民の一部、とくに高級官僚、高所得層を中心に自由主義的、個人主義的傾向が強まっていることは事実である。だが、依然としてソ連は現在社会主義国家であり、ソ連人民の多数を構成している労働者と農民のすくなからぬ部分は、社会主義陣営、国際共産主義運動と団結し、世界の人民と連帯して帝国主義とたたかい、社会主義建設のために努力するという志向をもちつづけている。現代修正主義が、ソ連社会主義とソ連人民を完全に変質させてしまわないかぎり、――このような変質を許すかどうかは、最終的には、ソ連人民と世界の共産主義運動のなかのマルクス・レーニン主義的潮流の力量にかかっている――ソ連共産党指導部は、アメリカ帝国主義のベトナム侵略を事実上支持するというような、どんな欺まんによってもソ連人民の目からかくすことのできない、あまりにも明白で、あまりにも公然たる裏切りに突進することは困難である。

 第三に、ソ連共産党指導部は、フルシチョフによるアメリカ帝国主義にたいする無原則的な追従政策にもかかわらず、ソ連共産党とソ連人民の指導者としては、現在のところ、ソ連の社会主義とアメリカ帝国主義との基本的な敵対関係、社会主義陣営と帝国主義陣営との客観的な対立関係によっても、その行動を制約されざるをえないという矛盾をもっている。このことはソ連共産党指導部の対米追従の限界もまた、アメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策の進行によってもある程度条件づけられざるをえないことを意味している。アメリカ帝国主義は、フルシチョフ以来のソ連共産党指導部の日和見主義的政策につけこみ、当面「米ソ協調」政策をとっているが、かれらの基本路線は依然として反社会主義であり、したがってまた本質的には反ソである。アメリカ帝国主義のたくらむ「米ソ協調」も、米ソによる共同の世界支配などを究極的にめざしているものではなく、社会主義陣営と国際共産主義運動の分裂、個々の社会主義諸国と民族解放運動の各個撃破、ソ連社会主義の変質と破壊に利用できるかぎりで採用されるにすぎない。ケネディとフルシチョフがつくりだした「米ソ協調」政策は、重大な影響をもたらしたが、しかもなおそれだけによっては、アメリカ帝国主義とソ連社会主義とのあいだになお存在している根本的対立関係、それが生みだすさまざまの矛盾を消滅させることは不可能である。現にアメリカ帝国主義は、フルシチョフの期待を裏切って、社会主義陣営の破壊、民族解放闘争の圧殺をめざし侵略と戦争の政策を凶暴におしすすめてきたし、今後もおしすすめつづけるだろう。したがって、いわゆる「米ソ協調」政策にしても、もしそれがアメリカ帝国主義の世界支配計画の障害となる場合にはあるいは停滞し、さらには捨て去られることもありうるし、ある場合には、ソ連にたいする公然たる敵視政策もまた復活することとなるであろう。そうした場合、ソ連共産党指導部は、ソ連人民と国際共産主義運動のなかでの自己の影響力を保持するためにも、さらには自分自身を守り、ソ連国家とソ連人民を守るためにも、アメリカ帝国主義の侵略政策、反ソ政策に反対する一定の行動をもとることを余儀なくされる。

 このように今日現存している客観的な諸矛盾は、アメリカ帝国主義のベトナム侵略政策の凶暴化と、それに反対する世界の人民の闘争の高揚という新しい圧力のもとでさらに激化せざるをえなかった。そのことがソ連共産党指導部の路線と行動に一定の変化が生まれ、矛盾した二つの態度、すなわち一定の分野では従来の路線を踏襲しながら、同時にベトナム問題などでその修正主義路線と矛盾する一定の反帝政策と反帝行動を実際にとるという二面的態度がとられはじめた根拠である。

 ソ連共産党指導部が現にとっている一定の反帝政策と反帝行動を、一貫した全面的なものであると単純に信じこむことも、それをいっさい無内容の欺まん的な偽りであるとして全面的に否定することも、ともに複雑な現実を単純な図式にはめこむ非弁証法的な形而上学的な誤った見方である。この二面的態度が意味しているものは、現代修正主義のたんなる欺まんにすぎないものではなく、現代修正主義とマルクス・レーニン主義との国際的闘争のソ連共産党指導部内への屈折した反映である。それは、現代修正主義の国際的潮流の中心の一つであると同時に、ソ連共産党とソ連人民の公式の指導部であるというソ連共産党指導部の二重の役割が生み出した矛盾であり、その路線と行動のなかで、フルシチョフ修正主義をひきついだ諸要素と世界とソ連の人民の要求を反映した事実上の反修正主義的諸要素とが、対立し、からみあい闘争している形態にほかならない。

 

   3、革命的二面政策の必要

 以上のような最近のソ連共産党指導部の路線と行動にあらわれている二面的態度にたいして、マルクス・レーニン主義者はどのような態度をとるべきだろうか。

 ソ連共産党の路線が現在の指導部のままで正しく変わることができるかどうかは別として、ソ連共産党がどのように変わることが、国際共産主義運動と社会主義陣営、世界人民の利益になるかという実践的立場に立つならば、真のプロレタリア国際主義にもとづいてマルクス・レーニン主義者がとるべき態度は、ただ一つ、革命的二面政策があるだけである。すなわち、マルクス・レーニン主義者は国際共産主義運動と世界人民の利益のために、一方では、ソ連共産党の路線と行動のなかにあらわれている、従来の路線をひきついだ修正主義的、分裂主義的要素にたいしては、依然として非妥協的に闘争し、それを克服するためにたたかわなければならない。同時に、他方では、マルクス・レーニン主義者は、ソ連共産党指導部の意図のいかんにかかわらず、ソ連共産党の路線と行動のなかに、マルクス・レーニン主義の国際的潮流の圧力と、世界とソ連の人民の要求の反映としてあらわれている事実上の反修正主義的要素がさらに発展することを、プロレタリア国際主義の立場から正しく促進するという態度をとらなければならない。

 この革命的二面政策の実践的正しさを、もっとも具体的に示すものは、ベトナム侵略に反対する国際統一行動の問題である。

 ソ連共産党指導部のベトナム政策のなかには、ソ連がこの戦争に決定的にまきこまれることをできるだけ回避しアメリカ帝国主義と正面から対決せざるをえなくなることを恐れる、フルシチョフ以来の日和見主義的態度が根づよく流れている。だが同時に、すでに指摘したように、フルシチョフのベトナム政策の完全な破綻と、マルクス・レーニン主義的潮流の批判、さらにベトナム侵略反対を要求するベトナム人民と世界の人民、ソ連の人民の圧力におされて、アメリカ帝国主義に反対する闘争の強調とともに、ベトナム人民にたいする一定の援助もおこなわれている。

 社会主義国としては、きわめて当然なこの援助は、ソ連の国力にふさわしいものでもなければ、すでにのべたような現在の重大な事態が要求するものに十分こたえうるものでもない。だが、事実が示すところによれば、ソ連の援助は、最近しだいに増やされている。1965年のコスイギン首相のハノイ訪問後、ソ連は、ベトナム民主共和国にたいする援助を増大させた。1966年のシェレーピン幹部会員のハノイ訪問後は南ベトナム解放民族戦線にたいしても援助がおこなわれはじめた。ソ連共産党第23回大会に出席したベトナム労働党のレ・ジュアン第一書記、南ベトナム解放民族戦線のグエン・テイ・ビン中央委員は、ソ連共産党、ソ連人民の精神的、物質的支持にたいして、ともに感謝を表明している。

 ソ連共産党のベトナム問題にたいする公式の態度にもまた、一定の変化があらわれている。たとえば昨年5月、ソ連最高会議は、ベトナム民主共和国政府の4項目の主張の支持を表明した。ソ連共産党大会が採択した「ベトナムにかんする声明」もまた、「アメリカのベトナム侵略の停止、同国からの全干渉軍の撤退」を要求し、「ベトナム民主共和国政府と南ベトナム解放民族戦線の正当な諸要求を認めることを基礎としてはじめて、ベトナム問題は解決することができる」とのべて、ベトナム民主共和国政府の4項目の主張、南ベトナム解放民族戦線の5項目の声明を支持する態度を表明している。

 ベトナム民主共和国政府の4項目の主張とは、1965年4月の国会決議にのべられているものである。決議は、(1)ベトナム人民の独立、主権、統一、領土保全という基本的な民族的権利の承認、南ベトナムからの米軍の撤退と米軍事基地の撤去、ベトナム民主共和国にたいする侵略の停止、(2)平和的統一の実現までのあいだ、南・北ともに外国と軍事同盟を結んだり、軍事基地をおくことを禁じたジュネーブ協定の各軍事条項の完全尊重、(3)南ベトナム解放民族戦線の綱領にもとづく、南ベトナム問題の南ベトナム人民自身による解決、(4)ベトナム人民自身によるベトナムの平和的統一の実現を骨子とする4項目を、ベトナム問題の正しい政治的解決の基礎、平和的解決へすすむ条件として明示した。

 南ベトナム解放民族戦線の5項目の声明とは、南ベトナム解放民族戦線中央委員会が、南ベトナム人民の唯一の真の代表として1965年3月22日に発表した声明である。「ベトナムにおけるアメリカ帝国主義の侵略戦争の激化と拡大について」と題する5項目からなるこの声明は、南ベトナムを解放し、独立、民主、平和、中立の南ベトナムを実現し、民族再統一をかちとるために、10年、20年、あるいはもっと長いたたかいをしなければならぬとしても、アメリカ侵略者を南ベトナムから駆逐する決意を断固として表明している。

 このベトナム民主共和国政府の4項目の主張と、南ベトナム解放民族戦線の5項目の声明こそ、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対しベトナム人民を支援する反帝民主勢力の国際統一行動、統一戦線の中心的な共同綱領ともなるべきものである。ベトナム人民支援のための国際反帝統一戦線が、当然、ベトナム人民のこの要求を支持している、また支持できるいっさいの勢力を、もっとも広範に結集しなければならないものである以上、ソ連共産党が、大会でこの4項目、5項目を支持している事実は、志田一派のように、頭から無視してよいものではない。

 この点にかんしては、同じように現代修正主義の国際的潮流に属しながらも、ベトナム侵略戦争にたいするソ連共産党指導部の態度と、ユーゴスラビア共産主義者同盟のチトー一派の態度とはことなっている。チトー一派は、ベトナム民主共和国の4項目の主張および南ベトナム解放民族戦線の5項目の声明を支持する態度を一度も表明したことはなく、かえって反対に、ジョンソンの「無条件停戦」論に呼応して、ベトナム問題の無原則的な「平和解決」を提唱し、おおっぴらにベトナム侵略に反対する国際統一行動を撹乱、破壊しようとする策謀をおこなってきた。われわれは、社会主義国がユーゴスラビアとの国家関係をもつことに反対するものではないが、「ユーゴスラビア修正主義者の指導者を今後とも暴露し、共産主義運動と労働運動をユーゴスラビア修正主義者の反レーニン主義的思想から守るために積極的にたたかうことは、依然としてマルクス・レーニン主義党の欠くことのできない課題である」とのべた1960年の声明をふみにじって、ユーゴスラビア共産主義者同盟を国際共産主義運動にひきいれようとしているソ連共産党指導部の誤った態度を重視するものである。しかしだからといって、ベトナム侵略戦争にたいするソ連共産党指導部の態度とチトー一派の態度との、このような相違を無視することは正しくない。

 ソ連共産党指導部のベトナム問題にたいするこのような態度は、明らかに二面的なものではあるが、ソ連のベトナム人民の闘争にたいする支持と援助全体を徹頭徹尾いつわりであり、もっぱらベトナム人民をアメリカ帝国主義に売りわたすものだとする志田一派など反党教条主義者の解釈は、けっして正しいものではない。

 第一に、このような解釈は、ソ連の援助をまったく否定的なものとみなし、実践的にはソ連にたいしては、ベトナム人民への援助をやめることを要求することにならざるをえない。

 このような主張が、ベトナム人民の利益にそむき、したがってまた反帝民主勢力の全体の利益にそむくものであることは、ほとんど検討の必要がない。現にベトナムでは、他の社会主義国の援助による武器とともに、ソ連の援助による武器を手にして、ベトナム人民はたたかっている。その援助の意図のいかんにかかわらず、ソ連がベトナムに送っている高射砲やミサイルは、アメリカ帝国主義の飛行機を射ち落とし、ベトナム民主共和国の防衛に役立っている。すべての反帝民主勢力がソ連共産党指導部に要求すべきことは、政治的、精神的援助の強化とともに、この武器援助をさらに増大せよ、もっと性能の高い近代兵器をもっと多く、もっと速く送れということであって、けっしてソ連の援助をいっさいうちきれということではない。

 第二に、このような解釈は、実際には、ベトナム人民にたいしては、ソ連の援助を拒否してたたかえとすすめることと同じことである。

 しかもこのような主張は、結果的には、ベトナム人民を、自分をアメリカ帝国主義に売りわたすような援助にたいしてさえ感謝し、しかもソ連共産党指導部の口先一つでアメリカ帝国主義に売りわたされてしまう人民であるかのようにあつかうごとにもなる。これはベトナム人民の態度を誤って描き出すだけでなく、ベトナム人民を侮じょくするものである。ベトナム人民は、フランス帝国主義、日本帝国主義にたいする英雄的闘争を自主的におこなってこれを追い払い、その後凶悪なアメリカ帝国主義の侵略にたいする闘争を、自主的に、立派にたたかいつづけている偉大な人民である。南ベトナム解放民族戦線の闘争の発展も南ベトナム人民が主としてみずからの責任で自主的に解放の道をきりひらいてきた結果、かちとられたものである。このような自主独立の態度を一貫してつらぬきかつ苦難の闘争をおしすすめたことによって、ベトナム人民は、だれもがその闘争の輝かしい成果と国際的意義を認めざるをえないような状態をつくりあげたのである。万一、現代修正主義の国際的潮流が、どのような策略をめぐらそうと、アメリカ帝国主義に反対する断固たる闘争の方針を堅持しているベトナム人民とその前衛部隊はけっしてみずからの運命をアメリカ帝国主義にひきわたすことはないであろう。

 ソ連共産党指導部のベトナム問題にたいする二面的態度にたいして、マルクス・レーニン主義者がとらなければならない実践的態度も、革命的二面政策ただ一つしかない。すなわち、一方では、ソ連共産党指導部の態度のなかにある、また将来もあらわれうるいっさいの日和見主義的、分裂主義的路線と行動にたいして、批判を加え、それと闘争することである。すなわち、アメリカ帝国主義に迎合し、追従し、取引きすることをいっさいやめよ、アメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策にたいして、政治的、外交的にもっと決然たる態度をとれ、反帝闘争を阻害する行動、たとえば佐藤内閣の公然たる美化や、日本の民主運動にたいする干渉のような誤った行動をいっさいただちにやめよと批判することである。同時に、他方ではベトナム人民支援のために、ベトナム人民の4項目、5項目の要求を公式に支持しているソ連共産党とソ連人民をふくむいっさいの反帝民主勢力の国際統一行動を強化し、ソ連共産党指導部にたいして、もっと真剣にアメリカ帝国主義のベトナム侵略とたたかえ、かれらに効果的な反撃をおこなうために、その援助をさらに強化せよと要求することである。

 志田一派などのように、ソ連共産党指導部は「ベトナム人民を売りわたすアメリカ帝国主義の共犯者になりさがっている」と主張し、「アメリカ帝国主義の共犯者を統一行動にひきいれることは、アメリカ帝国主義をひきいれることになる」などと主張して、ベトナム侵略反対の国際統一行動と統一戦線からソ連共産党指導部を原則的に排除しようとすることは、実際には、アメリカ帝国主義に反対するこの国際統一行動を弱める分裂主義である。ソ連共産党が、ベトナム人民の4項目、5項目の要求を支持し、ベトナム人民を支援する方針を大会決定においても決めているにもかかわらず、これを「アメリカ帝国主義の共犯者」と決めつけて、ソ連共産党指導部を原則的に排除する方針をとることは、結局、ソ連共産党指導部が代表しているソ連共産党とソ連人民の全体を反帝勢力の団結から排除することにならざるをえない。そしてまた、こうした方針は、同じ理由で、今日、現代修正主義の潮流の影響下におかれているすべての共産党・労働者党とすべての社会主義国家、その指導下のすべての平和、民主団体を、それらがベトナム人民の闘争を公式に支持しているにもかかわらず国際統一行動、統一戦線から排除するという分裂主義的な立場にみちびかれざるをえない。だとすれば、このような方針をもっとも喜ぶものは、実際にはアメリカ帝国主義者である。なぜなら、ベトナム侵略戦争反対の闘争で、反帝民主勢力が分裂し、国際共産主義運動と社会主義陣営が分裂し、国際統一戦線がせまく小さなものになることを、もっとも歓迎し、期待しているのは、アメリカ帝国主義だからである。

 志田一派ら反党分子は、この分裂主義的主張を正当化しようとして、わが党の国際統一行動の提唱は、ソ連共産党指導部の「共同行動」論に追随したものであり、わが党の現代修正主義の潮流への思想的な降伏のあらわれだなどといって非難している。だが、わが党の国際統一行動の提唱が、ソ連共産党指導部の「共同行動」論と本質的な点でことなったものであることは、だれの目にも明白なことである。

 第一に、わが党の国際統一行動の提唱は、すでにのべたように、1964年以来、自主的な立場から、一貫しておこなわれてきたものである。ところがソ連共産党指導部の「共同行動」論は、昨年3月1日の分裂主義的国際会議以来、はじめて強調されはじめたものである。

 わが党が態度を変えてソ連共産党指導部に追随したのではなく、逆にソ連共産党指導部が、フルシチョフ以来の分裂主義路線の破たんの結果、自己批判ぬきで態度を変えて、わが党などの主張に似たものをとりいれることを余儀なくされたものであることは明らかである。これは、現代修正主義の国際的潮流の、従来の大国主義、分裂主義、セクト主義の一つの大きな実践的な破綻のあらわれである。

 第二に、わが党の提唱する国際統一行動は、くりかえしのべたように現代修正主義の日和見主義、分裂主義の路線とベトナム侵略反対闘争におけるそのあらわれにたいする、原則的な批判を堅持することと堅く結びついたものである。ところが、ソ連共産党指導部の「共同行動」論は、『プラウダ』その他でこれまで主張されているように、国際共産主義運動内部の「公開論争の停止」の主張と結びついている。しかし、真に統一行動を強化するためには、統一行動を妨げ、弱めるいっさいの日和見主義、分裂主義にたいする批判と闘争が必要であることは、いうまでもない。

 第三に、わが党は国際共産主義運動の行動の統一を実現するために、1960年の声明が規定した兄弟党間の関係についての基準を守ることが必要であることを一貫して主張している。ところがソ連共産党指導部は、「共同行動」を強調しながら、わが党やわが国の民主運動にたいする分裂行動を依然としてやめていない。本年1月の第1回アジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連帯大会は満場一致で本年の第12回原水禁世界大会の支持を決議した。ところが、ソ連共産党指導部の指導下にあるソ連平和委員会は、ソ連代表も参加したこの決議をふみにじり、日本原水協が提示した条件を無視して、右翼社会民主主義者と反党修正主義者が中心になった分裂組織の大会にその代表を送っている。このような分裂行動をそのままにし、兄弟党間の関係の基準をやぶって志賀一派の反党集団を公然と支持激励してきたソ連共産党指導部の干渉、破壊活動などをそのままにして、すべての共産党・労働者党の行動の統一を真に強化することはできない。そしてわが党とソ連共産党が、直接の共同闘争をおこなう条件としては、一致できる政治的目標の明確な確認にとどまらず、ソ連共産党指導部がわが党とわが国の民主運動にたいする干渉・破壊活動をいっさい中止することなどが必要なのである。

 わが党が提唱しているベトナム侵略反対の国際統一行動は、わが党とソ連共産党指導部との共同闘争の問題だけを追求したものでもなければ、また、フルシチョフを中心とするソ連共産党指導部の不当な攻撃・干渉によってひきおこされた事態を放置したまま、ソ連共産党とわが党とが無条件で共同闘争をおこなうことを欲していることでもない。また、ソ連共産党と外国の特定の党との共同闘争が無条件的におこなわれるべきだということを提案しているものでもない。

 アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動、国際統一戦線の強化というわが党の提唱を目して、現代修正主義の潮流の反帝闘争回避の路線への無原則的追随だなどと攻撃するものたちは、まったく非科学的な中傷にふけっているにすぎない。わが党の路線は逆に、このような日和見主義、分裂主義の路線と断固としてたたかいながら、いっさいの反帝民主勢力の力を最大限に結集して、アメリカ帝国主義のベトナム侵略をうちやぶることをめざしたもっとも首尾一貫した、もっとも原則的な路線に立つものである。

  

四、反帝闘争と反修正主義闘争との関係の問題

 

 われわれがいま、とくに正しく理解する必要のあることは、このような国際民主運動、国際共産主義運動における行動の統一が、たんにアメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争とその拡大に反対する闘争を効果的に前進させるものであるだけでなく、同時に現代修正主義をはじめとするいっさいの日和見主義を克服して国際共産主義運動の真の団結をかちとる闘争をも効果的に前進させるものであるということである。なぜなら、このもっとも緊急で重要な国際的闘争は、だれが真の反帝勢力であるか、だれが真のマルクス・レーニン主義者であり、だれが裏切り者であるか、だれが国際共産主義運動の団結の真の守り手であり、だれが分裂主義者であるかを、すべての共産主義者と各国人民のまえに、実践の試練のなかで、容赦なく徹底的に明らかにするからである。したがってわれわれは、ベトナム侵略反対の国際統一行動を強化し発展させる闘争のなかで、アメリカ帝国主義にたいする闘争といっさいの日和見主義、分裂主義を克服する闘争を二つながら勝利させるためにも、反帝闘争と反修正主義闘争などを正しく結合し、適切に統一するしかたを知らなければならない。

 ベトナム侵略反対の国際統一行動のなかで、たとえば反帝闘争と反修正主義闘争とを正しく結合するためには、やはり一面闘争、一面団結という革命的二面政策こそが必要である。すなわち、現代修正主義と思想上、政治上はきびしく一線を画して、その日和見主義的妥協政策や不徹底さを批判しながら、同時に組織的には団結の旗を明確にかかげつづけて、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する国際民主運動、国際共産主義運動の共同行動を強化するために積極的に奮闘することである。

 この革命的二面政策について、わが党の論文「

アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために」は、つぎのようにのべている。
 「重要なことは、この共同行動が、アメリカ帝国主義の侵略と戦争への打撃を促進することとなるとともに、国際共産主義運動の団結をかちとるために必要なマルクス・レーニン主義の現代修正主義にたいする闘争をも前進させるものとなることである。われわれの現代修正主義にたいする闘争の唯一の目的は、マルクス・レーニン主義の原則とプロレタリア国際主義を守り、1957年の宣言と1960年の声明の革命的原則にもとづく国際共産主義運動の戦闘的行動と真の団結をかちとり、全世界の5000万人に近い共産主義者を結集して、平和、独立、民主主義、社会主義の事業を勝利させることにある。そして現代修正主義者の指導部の影響下にある多数の共産主義者と勤労人民が現代修正主義の有害な裏切りの本質を正しく自覚していない現状のもとでは、国際民主運動、国際共産主義運動の団結の旗を守り、団結して敵にあたる闘争のなかでこそ、現代修正主義の有害な影響からそれらの人びとをその実際的な政治的経験をつうじて正しくめざめさせ、こうして現代修正主義を理論的にも実践的にも真に克服して、国際共産主義運動の真の団結をかちとる道をさらに早めることができるのである。アメリカ帝国主義が二面政策をおしすすめ、現代修正主義者が二面政策をとらざるをえなくなっている今日の複雑な情勢のなかでは、マルクス・レーニン主義者が現代修正主義にたいする理論的、政治的闘争と、アメリカ帝国主義に反対する共同闘争の前進の努力とを正しく結びつけ、ともに強化することこそ、当面する局面を正しく打開し、国際共産主義運動と世界人民の共同の事業をもっとも正しく、もっとも効果的に遂行するただ一つの道である」

 

   1、日和見主義、修正主義にたいする原則的な思想・理論闘争の強化

 マルクス・レーニン主義者はベトナム侵略戦争に反対する国際民主運動、国際共産主義運動の統一行動の強化のためにたたかいながら、あくまで現代修正主義をはじめとするいっさいの日和見主義と明確に思想上、政治上の一線を画し、日和見主義、分裂主義、大国主義の誤りにたいする原則的な思想・理論闘争をおこないつづけなければならない。

 もしもわれわれが、この重大な事態のなかでは国際共産主義運動の無条件の団結が必要になったとして、反帝闘争のなかに反修正主義闘争を解消させてしまい、現代修正主義にたいするいっさいの思想・理論闘争を停止し、無条件の共同行動だけを要求するならば、それは実際には、反帝闘争をも、反修正主義闘争をも、ともに失敗させることとならざるをえない。

 第一に、反帝闘争の前進を妨げる日和見主義、分裂主義とたたかうことなしに、反帝闘争を真に強化することはできない。現代修正主義の国際的潮流は、たとえば世界平和評議会のジュネーブ総会その他、最近の一連の国際民主運動の会議でみられるように、一方ではベトナム侵略戦争に反対し、ベトナム人民を支持する態度をとりながら、他方では、核拡散防止条約の締結をめぐる問題や国連とその諸機関にたいする態度など、いくつかの問題でアメリカ帝国主義との闘争を回避する日和見主義的態度を公然と強めはじめている。ソ連共産党指導部の国際路線も、すでにのべたように二面的なものである。たとえば、ソ連のグロムイコ外相は7月末に日本を訪問して佐藤首相、椎名外相らと会談したが、7月30日に発表された「日ソ共同コミュニケ」にはつぎのような驚くべき個所がある。

 「双方は国際情勢が全体としては、人類の破滅をもたらす核戦争を起こしてはならないとのすべての民族の確信を基礎として、社会制度を異にする諸国が平和裏に共存するという方向に進んでいることに満足の意を表明した」

 これは、ソ連共産党指導部が、ベトナム侵略戦争、とくに社会主義陣営の一国であるベトナム民主共和国の首都が連日爆撃されているという事態を局地的例外として軽視し、世界情勢全体を平和共存の発展として美化するフルシチョフ以来の誤った見地を依然として捨てていないことを、事実によって証明したものである。

 こうした情勢のもとでは、今後もベトナム情勢が重大化するたびごとに、大量殺りくを即時停止させるためとか、核戦争の危険を防ぎ「平和共存」を守るためとかを口実にして、「無条件停戦」その他のさまざまな妥協的態度がかならずあらわれるであろう。これにたいする批判と闘争なしに、ベトナム人民の真の独立と民族的統一、真の平和をかちとることもできず、国際民主運動、国際共産主義運動の反帝闘争を強化することはできない。

 第二に、マルクス・レーニン主義者が日和見主義と分裂主義の路線を批判することをやめることは、現代修正主義をはじめとするいっさいの日和見主義の潮流とマルクス・レーニン主義の潮流との思想的、政治的区別をあいまいにし、結局は国際共産主義運動のマルクス・レーニン主義的強化と真の団結の事業をあやうくする結果をもたらすだろう。

 レーニンは、いっさいの日和見主義、修正主義との闘争のなかで、革命的マルクス主義者が、つねに、ブルジョア思想の影響のどんな小さなあらわれとも非妥協的にたたかい、思想上、政治上では日和見主義、修正主義と明確に一線を画することを要求しつづけた。

 レーニンは、ロシアのマルクス主義者が、どんな場合にも「ブルジョア自由主義派にたいし、また労農運動内部のブルジョア自由主義派の影響のどんな小さなあらわれにたいしても、まったく仮借することのない思想上および政治上のたたかいをおこなうことができ、それをやめなかった」(レーニン「共産主義内の『左翼主義』小児病」、全集31巻、59ページ)と書いている。

 われわれは、レーニンのこのような原則的態度に学んで、わが国の革命運動に挑戦する現代修正主義をはじめとするいっさいの日和見主義、分裂主義にたいし、もっとも明確に思想上、政治上の一線を画し、その原則的誤りについて必要な批判をおこない、マルクス・レーニン主義の原則を擁護するために確固とした思想的理論的見地をつらぬかなければならない。このマルクス・レーニン主義擁護の闘争は、条件と必要に応じてさまざまな形態をとるとしても、このような闘争なしには、マルクス・レーニン主義にもとづいて是非を明らかにすることはできず、いっさいの日和見主義を克服して、わが国の革命運動を発展させ、国際共産主義運動の真の団結のために貢献することはできない。

 日和見主義、修正主義を克服して、わが国の革命運動のマルクス・レーニン主義的隊列を強化し、国際共産主義運動の真の団結に貢献するこの事業は、なによりもまず、思想的、政治的事業である。われわれは、現代修正主義をはじめとするいっさいの日和見主義の思想、理論、路線、政策を、マルクス・レーニン主義の科学と事実にもとづき、わが党の綱領にもとづいて完全に粉砕し、強大な日本共産党をつくりあげるための党の思想的、政治的建設をおしすすめなければならない。それは、すべての共産党・労働者党、全世界で活動している約5000万の共産主義者の圧倒的多数が、マルクス・レーニン主義の革命的学説のまわりにゆるぎなく結集し、国際共産主義運動のいっそう力づよい革命的前進をかちとる共同の思想的、政治的事業の重要な一環となるものである。

 この歴史的事業の勝利を保障する力は、第一に、マルクス・レーニン主義の科学的学説の思想的、理論的力であり、第二に、国際共産主義運動に結集している共産主義者、全世界の反帝勢力と各国人民の闘争の実践である。われわれは、マルクス・レーニン主義を堅持し、人民大衆の闘争に依拠して日和見主義、修正主義にたいして科学的説得力のある原則的批判をすすめ、いまなお日和見主義、修正主義の政治的影響のもとにある少なくない共産主義者が、首尾一貫したマルクス・レーニン主義者となり、国際共産主義運動のより高い水準の団結がかちとられる日が1日も早くくることをめざして、奮闘しなければならない。

 

   2、組織上一線を画することについてのレーニンの教訓

 しかし、ベトナム侵略戦争反対の統一行動のなかで、現代修正主義にたいして、あくまで思想上、政治上の一線を画し、思想・理論闘争を強化しなければならないということは、志田一派ら反党教条主義者が主張するように、ただちにすべての日和見主義者、修正主義者と組織的に決裂し、ソ連共産党指導部などをこの統一行動から一律に排除することを意味しない。

 修正主義と思想上、政治上一線を画する必要を、ただちに組織上一線を画することと直結させ、「修正主義者とはいかなる共同行動もありえない」として、いまただちにソ連共産党指導部、ひいては事実上ソ連共産党とソ連の政府、人民などを反帝国際統一,行動や統一戦線から原期的に排除することはどのような意味をもつだろうか。それは、事実上国際共産主義運動の分裂を決定的なものとして、今日における修正主義の克服の事業をかえって困難にする教条主義、セクト主義であり、他の極端の日和見主義、分裂主義におちいることを意味する。

 すでにのべたように、レーニンは、内外の日和見主義、修正主義の潮流にたいする闘争のなかで、革命的マルクス主義者が、つねに、ごれらの潮流と思想上、政治上「一線を画する」ことを要求しつづけた。だが、レーニンは、思想上、政治上「一線を画する」ことと、組織上「一線を画する」こととを厳密に区別し、日和見主義、修正主義の潮流と組織上「一線を画する」ことを不変の原則にまつりあげたり、これとの統一行動をどんな場合でも無条件に拒否するような態度はけっしてとらなかった。わが党の論文「

アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために」でものべたように、レーニンは、一定の条件のもとでは、日和見主義、修正主義の潮流と組織上も一線を画することを主張した。だが、同時に、他の一定の条件のもとでは、とくに、日和見主義、修正主義の潮流の指導部がたとえ不徹底にもせよ、また欺まん的でさえあっても、帝国主義や反動勢力との闘争を公然と主張して、その誤った路線の本質をまだ明確に自覚していない広範な大衆に一定の影響力をもっており、労働者階級と人民の広範な部分が行動の統一をつよく求めている場合には、帝国主義や反動勢力との闘争において、日和見主義、修正主義の潮流をもふくむ行動の統一の必要を積極的に強調した。

 それはこうした統一行動、統一戦線の政策が、第一に、広範な労働者階級と人民を帝国主義と反動勢力にたいする闘争に結集することに役立ち、帝国主義と反動勢力に効果的打撃を加えうるからである。第二に、日和見主義、修正主義の潮流の影響下にある労働者階級と人民が、自分自身の政治的経験をつうじて帝国主義や反動勢力にたいしてだれが徹底してたたかい、妥協するかを知り、日和見主義、修正主義の路線の誤りと害悪を理解して真に革命的な立場に移行するものを助けることに役立つからである。その際にも、レーニンが思想上、政治上の批判と闘争をけっしてやめなかったことはいうまでもない。レーニンは「共産主義内の『左翼主義』小児病」のなかで、日和見主義、修正主義の潮流を克服する闘争における統一戦線戦術の重要性を強調して、つぎのように教えている。

 「すべての問題はプロレタリア的自覚、革命精神、闘争能力と勝利をかちとる能力の一般水準を引下げず、高めるために、この戦術を適用するすべを知ることである。……『どんな妥協もしない、どんな迂回政策もとらない』という性急な『決定』は、革命的プロレタリアートの影響を強め、彼らの勢力を増強する仕事に害をあたえるにすぎない」(全集31巻、62ページ)

 すなわち、マルクス・レーニン主義党にとって必要なことは、右翼追随主義にも「左翼」セクト主義にもおちいらずに統一戦線の政策を正しく遂行することであって、あらゆる場合に、日和見主義、修正主義の潮流をふくむ統一戦線を、原則的に拒否することではない。それぞれの歴史的時期にかかれたレーニンの論文をその時期の具体的情勢から切り離して、そのなかから、たとえば、解党主義者、社会排外主義者との統一はありえないことを主張した部分などを引用して、日和見主義者とのいかなる行動の統一もありえないことを論証しようとすることは、マルクス・レーニン主義を行動の指針でなく、文字どおり教条にかえることにほかならない。

 (1)実際、レーニンは、ロシア国内では、革命的マルクス・レーニン主義党―ボリシェビキ党の建設をめざして不屈の闘争をおこないながら、ロシアの広範な革命的労働者を本当に党と革命の事業に結集するためにも、ロシアにおける修正主義の代表的潮流であるメンシェビキとの統一行動をなんどもおこなった。とくに1903−5年、1906−12年には、思想的、政治的にはその日和見主義路線と断固としてたたかいながら、組織的には「単一の社会民主党」という形でツァーリズムに反対する闘争における統一行動の政策を実行した。これは、レーニンもいっているように、当時における統一戦線の一形態であった。

 「1903−1912年にはわれわれはメンシェビキと数年間、単一の社会民主党に正式にはいっていたが、プロレタリアートにたいするブルジョア的影響の伝達者であり、日和見主義者であるかれらと、思想的および政治的にたたかうことをけっしてやめなかった」(レーニン、同前59ページ)。

 レーニンとボリシェビキ党が、修正主義の潮流と組織的にも「一線を画し」、組織的に決裂する方針をとったのは、ロシア国内では、メンシェビキが党の破壊を公然と主張する解党主義に転落した時期においてであった。

 (2)レーニンは国際的にも、一定の条件のもとでは、日和見主義、修正主義の潮流との国際的統一戦線の政策をとることをけっしてためらわなかった。すなわち、レーニンはベルシシュタイン、カウツキーなどに代表される日和見主義、修正主義の潮流にたいする政治的、思想的な闘争をはげしくおこないながらも、第1次世界大戦が勃発するまでは、第2インタナショナル内部で国際的共同行動と一定の団結を維持する態度をとりつづけた。レーニンが、第2インタナショナルの日和見主義、修正主義の潮流との決裂を、断固として主張し実行したのは、第1次世界大戦の勃発とともに、第2インタナショナル内の日和見主義的潮流が、従来の国際的決議を公然とふみにじって、帝国主義戦争を公然と支持し、社会排外主義への転落を明らかにした時期であった。

 「社会排外主義とは、ブルジョア的はれものである日和見主義が、社会主義諸党の内部でいままでどおりの存在をつづけられなくなったほどに成熟したものである」(レーニン「第2インタナショナルの崩壊」、全集21巻、244ページ)

 このような成熟した日和見主義によって、このように決定的な裏切りがおこなわれ、それが世界人民の眼の前で白日のもとにさらけだされた状況のもとでは、帝国主義戦争を内乱に転化させる革命的闘争を組織し発展させるためにも、社会排外主義の潮流と組繊的に絶縁する必要があり、その新しい旗のもとに広範なマルクス主義者と広範な大衆を急速に結集していく現実的条件も生まれていた。こうしてレーニンは、崩壊した第2インタナシショナルと組織的に決裂して第3インタナショナルを結成したのである。

 ここで注目する必要があるのは、レーニンが第2インタナショナルの崩壊を宣言し、新しい革命的インタナショナル――第3インタナショナルの創設のための闘争をただちに開始しながら、その過程を促進するためにも、ツィンメルワルド会議(1915年)やキンタール会議(1916年)において不徹底ではあるが帝国主義に反対していた一部の修正主義的潮流とも、一時的な共同行動をおこなったことである。

 「戦時には、われわれは『カウツキー派』、メンシェビキ左派(マルトフ)、部分的には『社会革命党』(チェルノフ、ナタンソン)とある種の妥協をし、ツィンメルワルドとキンタールでは彼らと同席し、共同宣言をだしたが、しかし、『カウツキー派』、マルトフ、チェルノフと思想的および政治的にたたかうことをけっしてやめなかったし、またよわめもしなかった」(レーニン「共産主義内の『左翼主義』小児病」、全集31巻、59ページ)

 レーニンが、これらの修正主義的潮流と組織上も一線を画することを主張したのは、キンタール会議ののち、これら「ツィンメルワルド右派」が社会排外主義との闘争の方向へではなく、「社会排外主義と合流する方向へすっかり転換してしまった」(レーニン「国際社会主義委員会およびすべての社会主義政党にたいする呼びかけのテーゼ原案」、全集23巻、236ページ)ことが決定的に明らかになってからであった。

 さらに重要なことは、前節でものべたように、第1次大戦後、一方で第3インタナショナルがその日和見主義、修正主義にたいする公然たる闘争の展開によって国際労働者階級のなかで確固とした地歩を確立し、他方、第2インタナショナルが日和見主義、修正主義の諸党の国際組織として「再建」された時期にも、レーニンが、国際資本にたいする闘争において、第3インタナショナルと、第2および第2半インタナショナルとのあいだに統一行動、統一戦線を結ぶことを主張しかつ実行したことである。

 レーニンの指導したこの統一戦線戦術が、その後第3インタナショナルの第7回世界大会の反ファシズム統一戦線戦術に発展させられたことは、前掲論文「

アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために」が指摘したとおりである。

 日和見主義、修正主義の潮流にたいする一貫した政治的、思想的な闘争を、国際的、国内的統一行動、統一戦線のための努力と正しく結びつけたレーニンのこうした活動をふりかえるならば、修正主義のどんな潮流とも、いついかなる場合でも、組織的に「一線を画さ」なければならないと主張して、それぞれの時期における修正主義的潮流あるいはあれこれの部分の態度を具体的に評価することなしに、修正主義的潮流をふくむ国際的な統一行動を原則的に拒否することが、レーニン主義といかに無縁の見地であるかは、きわめて明瞭であろう。

 

   3、第2インター時代との歴史的相違と教条主義、セクト主義の誤り

 われわれが、論文「

アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために」で強調したように、日和見主義、修正主義の潮流との闘争についてのレーニンのこれらの教訓を正しく学びとることは、今日反帝国際統一戦線の結成と強化、国際共産主義運動のマルクス・レーニン主義的強化と真の団結をめざすわれわれの闘争にとって、きわめて重要な意義をもっていた

 今日の国際情勢を、ただ修正主義の国際的潮流の強化ということで、第2インタナショナルの崩壊の時期、すなわちレーニンが第3インタナショナルの結成に踏み切った時期と同じだとみるのは、今日の情勢の全体を科学的に正確にとらえる能力を欠いて、レーニンの教訓から一知半解の一面的結論をひきだすことであり、誤った機械的、教条主義的類推におちいることである。

 レーニンの教訓にてらしながら、今日における国際統一行動の問題に対処するにあたって、われわれが重視する必要があるのは、今日の情勢のつぎのような特徴である。

 第一に、現在は、レーニンの時代と比べて、国際共産主義運動ははるかに大きく成長し、13の社会主義国家からなる社会主義の世界体制が成立し、世界人民の反帝、民族解放、平和の闘争に巨大な歴史的前進をとげている。そしてアメリカ帝国主義のベトナム侵略にたいして、これらすべての反帝民主勢力は、一致してそれを非難し、反帝民主勢力、国際共産主義運動、社会主義陣営の団結した力で効果的な反撃をくわえることをつよく要求しており、国際統一行動と国際統一戦線の強化を切実に求めている。

 第二に、こうした情勢はすでにのべたように、修正主義の潮流にも、主に修正主義者の指導する党の態度にも反映している。第2インタナショナルの指導者たちは、第1次帝国主義戦争の勃発に際して「祖国擁護」の名のもとに帝国主義戦争を公然と支持した。しかし、ユーゴスラビアのチトー一派をのぞいて、修正主義的指導部をもつ諸党は、フルシチョフ時代にはさまざまな問題で公然とアメリカ帝国主義の政策に追随したとはいえ、ベトナム侵略戦争の凶暴化に直面した今日では、アメリカ帝国主義に反対することを、公然と表明することをよぎなくされている。

 第三に現代修正主義の潮流が、その指導と影響のもとにおいているのは、社会民主主義政党やその影響下の大衆ではなく、国際共産主義運勧、社会主義陣営、国際民主運動のすくなからぬ部分である。

 もしも今日、第2インタナショナルの諸党が帝国主義戦争を支持したように、修正主義的指導部をもつ諸党がアメリカ帝国主義のベトナム侵略を公然と支持する態度を一貫してとるまでに転落するなら、マルクス・レーニン主義者は、ベトナム侵略反対の国際統一行動にこれらの諸党を加えることはできず、レーニンが第2インタナショナルの崩壊を宣言したときと同じように、組織的にも断固としてかれらと絶縁しなければならない。この場合の組織的決裂は、ベトナム侵略戦争反対の闘争を勝利させるためにどうしても必要であり、世界の人民の支持をうけ、現代修正主義の国際的潮流の影響下にある人びとをふくめて圧倒的多数の共産主義者を結集することができ、正しい立場にたった党はいっそう権威を高めるであろう。

 しかし今日、ソ連共産党指導部その他も、フルシチョフ以来の従来の路線を根本的に清算することを回避しながらも、自己批判ぬきでなしくずしに手直しして、英雄的にたたかっているベトナム人民をはじめとする世界の人民の圧力のもとに、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対し、ベトナム人民の要求を支持し、ベトナム人民にたいする一定の具体的援助をおこなっている。

 こうした情勢のもとでは、今日の時期を、第2インタナショナルの崩壊の時期、第3インタナショナル結成の時期と教条主義的に同一視し、修正主義的傾向の指導部をもった党の組織的分裂を促進することは許されない。

 志田一派ら反党分子、反党教条主義者は、今日の情勢のこのような特徴を具体的に分析せず、さらにまた複雑な分化とさまざまな矛盾を深めている修正主義的傾向の指導部をもつ諸党の現状を科学的に分析せず、世界の人民の切実な要求を無視して、単純な歴史的類推にたよって性急にソ連共産党などとの組織的決裂をとなえ、これらの諸党をベトナム侵略反対の国際統一行動から除外することを主張している。しかしこれは、日和見主義者、修正主義者との闘争にかんするレーニンの教訓をきわめて一面化し、悲劇的なほど教条主義的、セクト主義的に適用する誤りにおちいることになる。そのような立場は、けっきょくのところ、国際共産主義運動の団結がもっともつよく求められているときに、事実上、国際共産主義運動の決定的分裂をめざす分裂主義の立場に立つことを意味している。それは、あらわれかたに右と「左」のちがいはあっても、本質的には、右からの分裂主義と同じ分裂主義である。このことは、教条主義、セクト主義によっては現代修正主義の日和見主義、分裂主義を効果的に克服できないこと、それどころか、それはただ裏返しの日和見主義、分裂主義にみちびくだけであることを、はっきりと示している。

 ソ連共産虎指導部との組織的決裂をとなえて、反米、反ソの国際統一戦線を主張する教条主義的、セクト主義的戦術は、すでにのべたように、反帝民主勢力の国際統一行動を本質的に否定することによって反帝闘争を弱めるだけでなく、反篠正主義闘争をも弱める二重の日和見主義である。

 このような教条主義、セクト主義的戦術は、マルクス・レーニン主義と現代修正主義とのするどい闘争のなかで、現代修正主義の国際的潮流に「団結」の旗を利用させ、しかも修正主義的指導部をもつ諸党の二面的態度を合理化してやる役割をも果たすことになる。そうした傾向をもった指導部は、ベトナム人民支援のための各国共産党・労働者党の「共同行動」をおおいに強調しながら、その共同行動が組織されない責任を、ソ連などをふくむ国際統一行動を拒否する側に一方的に転嫁しようとするだろう。さらにまた、それを口実として、ベトナム人民にたいする援助の強化をおこたり、アメリカ帝国主義の凶暴な段階的拡大にたいする効果的な反撃をおこなうことに消極的態度をとることができるようになるだろう。

 しかもそうした際に、この教条主義、セクト主義の立場は、ソ連その他を排除してたたかうというだけで、ソ連共産党をもふくめた全反帝民主勢力の統一行動にかわるにたるだけの、積極的な闘争の指針を提示することができない。反修正主義、反ソ連共産党を事実上第一義化し、ベトナム人民を売りわたすとか現代修正主義を美化するとかいう理由で統一行動に反対するこの立場は、先に指摘したベトナム侵略戦争拡大を不可避とみて、その対策だけに力を集中する立場と同様、実際には、消極的、受動的なものである。すなわちこの立場は、一見戦闘的にみえはするが、結局は、ベトナム侵略反対の国際的課題にたいしても、現代修正主義の克服という課題にたいしても、積極的にここたえる内容をもたない受動的な立場にすぎないのである。

 志田一派のように、ソ連共産党指導部はベトナム人民をアメリカ帝国主義に売りわたすことをねらっているという理由で、ベトナム侵略反対の国際統一行動からソ連共産党指導部を原則的に排除しようとすることは、実際には修正主義との闘争における敗北主義である。それは、すでに指摘したようにベトナム人民の力を信ぜず、またベトナム人民の英雄的闘争を支持してたたかっている反帝民主勢力の力を信ぜず、ベトナム侵略反対の統一行動を無条件の共同行動であるかのようにゆがめたうえで、世界史をうごかす真の原動力である反帝民主勢力が、ソ連共産党指導部をふくむ統一行動をおこなったとたんに、その日和見主義的欺まんにだまされることは必至であるという立場に立つことを意味する。それはまた、追いつめられた現代修正主義の国際的潮流が、ベトナム侵略反対の国際統一行動をつうじて、ベトナム人民とこの国際統一行動全体を、アメリカ帝国主義にひきわたすほどの力をもっていると決めこむことを意味する。これが敗北主義以外のなにものでもないことは明らかであう。

 だが実際には、わが党が提唱しているベトナム侵略反対の国際統一行動は、だれによるものにせよ、裏切り行為を許す無条件の共同行動ではけっしてない。それが、ソ連共産党指導部もまた主張せざるをえなくなっているベトナム民主共和国の4項目の主張と南ベトナム解放民族戦線の5項目の声明の支持を確認し、アメリカ帝国主義のベトナム侵略政策との無原則的な妥協を拒否して、ベトナム人民の最後の勝利の日までたたかいぬくことを確認しあうなど、統一行動の目標と条件を明白にした統一行動でなければならないことは、いうまでもないことである。マルクス・レーニン主義者は、ベトナム侵略反対の国際統一行動を、このようなものとするためにたたかわなければならないし、それをかちとる条件は現実に存在している。

 また現在、二面的態度をとっているソ連共産党指導部にたいして、現代修正主義にたいする思想・理論闘争と、アメリカ帝国主義に反対する共同闘争の前進のための努力とを正しく結びつける革命的二面政策をとることは、けっして、志田一派がいうように、ソ連共産党指導部を飾り立ててやり、かれらを美化することではない。反対にそれは、現代修正主義者をさらに追いつめ、裏切った場合には、もっとも公明正大に、もっとも実践的にその裏切りを暴露することである。すなわち必要な国際統一行動を強化するにあたっては、マルクス・レーニン主義者は、すでにのべたように、この統一行動の目的を確認するとともに、そのすべての参加者にたいして、アメリカ帝国主義にたいして、国際関係の全般にわたって毅然とした態度をとれ、ベトナム人民への武器援助を最大限に増大せよ、最後までベトナム人民を裏切らず積極的に支援せよ、アメリカと個別的な秘密取引きをいっさいおこなうな、などなどの当然の条件を要求することができる。もしもソ連共産党指導部が言を左右にしてこの当然の条件に応ぜず、あるいはこの条件に応じておきながらそれを裏切るならば、それこそそれまでソ連共産党指導部に幻想をもっていた人びとにたいしても、かれらがなんの信義もない日和見主義者であるごとを、事実と大衆の切実な政治的体験にもとづいて暴露できる。

 しかし、もちろんわれわれが望んでいるのは、ソ連共産党指導部がますます裏切りの道をすすむことでも、またその裏切りによってかれらがいつまでも暴露の対象になりつづけていればよいということでもない。世界人民の利益と、国際共産主義運動の利益のために、われわれが望んでいるのは、ソ連共産党が、統一行動におけるこれらの条件を守り、さらに真剣に反帝闘争をおしすすめざるをえないようになり、アメリカ帝国主義との妥協政策がさらに弱くなり、ソ連共産党が真に革命的な路線に立つ日が早くくることである。

 世界の人民と国際共産主義運動にとって、かつてレーニンの指導のもとに偉大な歴史的役割をはたし、今後も重大な使命をもつソ連共産党、2億の人民を指導して世界の革命運動、民族解放運動、平和運動に大きな影響力をもつソ連共産党が、転落の道をすすむか、それともアメリカ帝国主義とたたかうことをつうじて、マルクス・レーニン主義の大道にたちもどる党となるかは、けっしてどうでもよい問題ではない。どちらが世界の人民と国際共産主義運動の利益になるかは、きわめて明白である。

 ソ連共産党指導部の公然たる攻撃と干渉・破壊活動をうけたわが党が、これまでソ連共産党指導部と公然たる論争をおこない、その路線と行動にあらわれた日和見主義、分裂主義、大国主義の誤りをいまもなお批判しつづけているのも、わが国の革命運動を守る緊急の任務にもとづくものである。同時にそれは、ソ連共産党の転落をおしすすめるためではなく、その批判によって、いまなお現代修正主義の害悪を自覚していない多くの共産主義者が正しく目ざめることに貢献し、ソ連共産党自身が現代修正主義を克服して、マルクス・レーニン主義の道に立ちもどることを心から希望しているからである。

 

   4、ソ連共産党指導部と志賀一派の問題

 志田一派らの反党分子は、志賀一派の問題までもちだし、国内で志賀一派との統一行動を拒否するのが正しいとすれば、それと同じように、国際的にも、ソ連共産党指導部などとの統一行動を拒否するのが当然ではないか、として、わが党の国際統一行動の主張を非難攻撃している。

 たしかにわが党は、一貫して、国際共産主義運動の一員であるソ連共産党指導部にたいして、思想的、政治的には同じ現代修正主義の国際的潮流の一部を形づくっている志賀一派らの反党集団と、組織的には区別した態度をとってきた。だが、わが党のこうした態度を攻撃する反党教条主義者の議論は、かれらが、今日における国際統一行動、統一戦線のための闘争の意義をまったく理解できないことをかさねて示しているだけである。なぜなら、われわれがソ連共産党指導部などをふくめてアメリカ帝国主義のベトナム侵略反対の態度をとっているすべての共産党・労働者党、すべての反帝民主勢力の国際統一行動と統一戦線を主張しているのは、なによりもまず、反帝闘争における国際共産主義運動の行動の統一を実現し、全世界の反帝民主勢力の団結を前進させるためである。ところが、志賀一派は、国際共産主義運動の団結の見地からも、日本と世界の民主勢力の団結の見地からも、いかなる意味でも統一行動の対象となりうるものではないからである。

 フルシチョフ以来のソ連共産党指導部と、志賀一派の反党修正主義者の集団とは、思想的、政治的には現代修正主義の同じ潮流に属するものであり、その日和見主義、修正主義、分裂主義の路線は、ともにマルクス・レーニン主義者の徹底した闘争によって打破し、消滅させ、共産主義運動から一掃しなければならないものである。しかし、これにたいする実践的な態度、つまり、どうしてその修正主義を克服し、消滅させるかを問題にする場合、また反帝民主勢力の統一戦線や国際共産主義運動の団結を問題にする場合には、ソ連共産党指導部と志賀一派とのあいだには、けっして同列に論じることのできないちがいがある。

 第一に、ソ連共産党指導部は、フルシチョフ以来、現代修正主義の国際的潮流の中心の一つをなしてきたとはいえ、それは明らかに、国際共産主義運動の公認の一部隊として、1960年の共産党・労働者党代表者会議にも参加したソ連共産党の指導部であり、ソ連政府をつうじて2億のソ連人民に具体的な影響をもっている党の指導部である。

 ところが、志賀、神山、内藤、春日庄次郎一派の反党修正主義者の集団は、いかなる意味でも、共産主義運動を構成する勢力ではない。かれらは、恥知らずにも日本の「共産主義運動の統一」などのスローガンをかかげ、しきりに自分たちを共産主義運動内部の一勢力にみせかけようとつとめているが、その欺まんの本質は、かれらの発生と今日までの活動の実態をみれば、ただちに明らかになる。この集団を構成しているのは、第8回党大会の前夜に党綱領に反対して党から脱走して除名された内藤、春日(庄)一派と、一昨年、フルシチョフら現代修正主義の国際的潮流に盲従して党破壊活動を開始し、第9回党大会で全員一致除名された志賀、神山一派とである。離合集散をくりかえしてきたかれらは、いま、さらに新しい再分裂を生み出しながらも、日本共産党への反対と、現代修正主義の国際的潮流への盲従を第一の旗印にして、みにくい野合をくわだてている。このように、かれらは、たんに共産党内部に存在している日和見主義的分子や傾向ではなく、党規律の重大な違反をおかして、わが日本共産党の大会で全員一致除名され、除名後も党の隊列の撹乱と破壊を最大の目的として活動している党破壊分子の集団――一国におけるマルクス・レーニン主義党の存立そのものに挑戦し敵対している反党集団なのである。マルクス・レーニン主義党にとっては、反党修正主義者の集団であれ、あるいは志田一派の反党教条主義者の集団であれ、こうした反党集団とのいかなる「共同行動」も問題となりえないことは、明白である。これらの党破壊分子にたいしては、これを仮借なく粉砕するための断固とした闘争があるだけである。

 「国際共産主義運動の経験全体がおしえているように、社会主義革命、社会主義建設と共産主義建設という任務を首尾よく解決するのに欠くことのできない保障は、共産党・労働者党が自分の隊列のマルクス・レーニン主義的統一を守り、この統一を破壊する分派やグループをゆるさないことである」(1957年の宣言)

 そして、宣言と声明が明確に規定しているように、こうして、いっさいの党破壊分子とこれを支持する国外からのあらゆる干渉・撹乱活動と粉砕し、マルクス・レーニン主義にもとづく2国の党の団結、その隊列の戦闘的統一をうちかためることは、その国の労働者階級のただ一つの前衛党として、自国の革命運動にたいする責任をはたす道であると同時に、国際共産主義運動の団結にとって欠くことのできない前提をなすものなのである。

 国際共産主義運動の団結にとって、欠くことのできない前提となっているという点では同じく現代修正主義の国際的潮流を形づくっているチトー一派との闘争もまた、志賀一派にたいする闘争と同じ性質をもつ課題である。

 ユーゴスラビアのチトー一派は、ソ連共産党指導部とはことなり、1960年の声明に明らかなように、国際共産主義運動から組織的に排除されなければならない存在である。チトー一派は、マルクス・レーニン主義を公然と裏切り、宣言と声明の革命的原則に正面から反対し、国際共産主義運動と社会主義陣営から脱落して破壊工作をおこなっている集団であり、世界の共産党・労働者党が一致して、これとたたかうことが「マルクス・レーニン主義党の欠くことのできない課題」(声明)であることを確認した集団である。国際共産主義運動の統一と団結は、チトー一派と組織上も明確に一線を画し、そのあらゆる策動と非妥協的にたたかうことによって強化される。

 第二に、すでに指摘したように、ソ連共産党指導部は、その修正主義、日和見主義の誤った路線にもかかわらず、ソ連共産党とソ連の国家を指導し、ソ連人民を代表している勢力であり、ソ連共産党指導部とのなんらかの統一行動をぬきにして、ソ連人民を反帝勢力の共同闘争にひきいれることはできない。

 ところが、この点でも志賀・内藤一派の反党修正主義者の集団は、日本人民のあれこれの部分をも代表する政治勢力ではまったくない。かれらは、フルシチョフに盲従して党を裏切り、党破壊の分派活動によって党から除名され、あるいば脱走した裏切り者や腐敗分子だけをかきあつめたほんのひとにぎりの事大主義的反共集団にすぎず、わが党の第9回大会決定が明らかにしているように「日本人民のなかになんの基礎ももたない寄生的な徒党であり、内外の分裂主義の道具にすぎない」。この点では、志賀・内藤らの反党集団は、社会民主主義政党や労働組合その他の大衆団体とも、性格をことにしている。社会民主主義政党や労働組合などは、たとえその組織が日和見主義、修正主義の路線をとり、また指導部内に右翼的分裂的勢力がいたとしても、現在、たんなる修正主義者や反共分裂主義者だけの集団ではなく、一定の大衆を組織し、人民のあいだに一定の大衆的基礎をもっているのである。

 しかも、これまでのかれらの主張と行動がはっきりと示しているように、この反党集団が日本人民の闘争のなかで一貫してはたしてきた政治的役割は、社会党や労働組合内部のもっとも右翼的、反共的な部分と結びついて、大衆のあいだに反共主義をもちこみ、統一戦線の前進を妨害し、運動の分裂、撹乱をはかること、すなわち、民主勢力の団結を破壊する最悪の分裂集団としての役割である。このような、党破壊分子、分裂主義者だけをかきあつめた反共分裂集団との「統一行動」は、日本人民と民主勢力の統一の前進にとってなんら役だつものではなく、逆に、反共主義、分裂主義を助長して民主勢力の団結をそこなうだけのことでしかない。

 このことは、アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動の重要な一翼をになう、わが国の民主勢力の統一行動、統一戦線の前進をかちとるためにも、反党集団を民主勢力の統一行動に加えることを拒否するだけでなく、かれらを粉砕し、その策動を徹底的にうちやぶらなければならないということを、はっきりと示しているのである。

 志賀一派の問題をもちだして、国際統一戦線に反対する論拠にしようとした志田一派の議論が、共産主義運動および民主運動における、ソ連共産党指導部などと党破壊集団の実際の地位と役割の相違をまったく無視して、善意の人びとをまどわそうとする議論であることは、すでに明らかであろう。志賀一派はもちろん、志田一派やトロツキスト挑発集団など、いっさいの反党集団と非妥協的にたたかい、これを完全に粉砕することは、日本共産党の団結をかため、日本の民主勢力の統一行動の前進をかちとるための欠くことのできない課題である。同時に、この闘争を徹底的におしすすめてこそ、われわれは、国際共産主義運動の団結と世界の反帝民主勢力の共同闘争の前進に積極的に貢献することができるのである。

 ベトナム侵略反対の国際統一行動からソ連共産党を原則的に排除し、アメリカ帝国主義の側におしやることが、現代修正主義を効果的に克服するためにも、世界人民と国際共産主義運動の利益になる方向にソ連共産党が前進するためにも役立つ道でもないことは、きわめて明白である。ベトナム侵略反対の国際統一行動の強化と現代修正主義にたいする思想上、政治上の闘争の強化とを正しく結びつけ、その実際の政治的体験をつうじて全世界の労働者階級と勤労人民をマルクス・レーニン主義の側に獲得することこそ、真に現代修正主義の日和見主義、分裂主義に打撃をあたえ、ソ連共産党がレーニンのつくった党にふさわしい党に立ちもどる国際的条件をつくることに貢献する道である。

 この意味では、わが党が一貫して提唱してきた反帝闘争における統一行動は、けっして現代修正主義との無原則的共同を意味するものではない。それは、マルクス・レーニン主義と現代修正主義とのきびしい闘争の一形態であり、広範な大衆の要求にこたえた統一行動のなかでどちらが大衆を決定的に獲得するかという、もっとも重要な思想的、政治的闘争の場をつくることでもある。それは、現代修正主義を効果的に克服するための、もっとも積極的な、もっとも原則的な闘争方針なのである。

 このような革命的二面政策と統一戦線戦術こそ、ベトナム侵略戦争反対の国際的闘争を勝利させる重要な道であると同時に、現代修正主義を効果的に克服して、国際共産主義運動の真の団結とマルクス・レーニン主義的強化を達成する重要な道なのである。

  

五、二つの戦線での闘争とマルクス・レーニン主義の堅持

 

 わが党の2月4日付『赤旗』の論文でも指摘したように、ベトナム侵略に反対する国際統一行動、国際統一戦線は、さまざまな障害や抵抗に直面しながらも、昨年来、一連の重要な前進をかちとってきた。昨年の第4回アジア・アフリカ人民連帯会議、ベトナム労働者人民支援国際労働組合委員会第2回会議、ヘルシンキの平和と民族解放と全般的軍縮のための世界大会、第11回原水爆禁止世界大会などは、一部の代表による反帝闘争回避の路線を克服して、ベトナム侵略戦争反対をはじめとする具体的課題で国際的団結を前進させたものであった。とくに、本年(1966年)1月ハバナでひらかれた第1回アジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連帯大会の成果は、ソ連、中国をはじめ一連の社会主義国をふくむ3大陸人民の反帝統一戦線の形成として重要な意義をもつものであった。

 また、すでにのべたように、各国人民のベトナム侵略反対闘争も、ますます前進している。かつてない英雄主義を発揮し、最後の勝利の確信をますますかためながら全力をつくしてたたかっているベトナム人民にたいして、少なくない国の反帝民主勢力が、けだかいプロレタリア国際主義にもとづく強力な支援闘争をおこなっており、個々の社会主義国のなかにも、一貫して全力をあげて支援をおこなっている国がある。

 しかし、アメリカ帝国主義が帝国主義と反動勢力を結集しておこなっている不当、不法な侵略行為にたいして、国際共産主義運動、社会主義陣営は、団結していた場合発揮できるすべての潜勢力を動員することができず、反帝勢力全体としてのよりいっそう強力な反撃を組織する努力はまだ不十分である。

 戦後の国際情勢は、これまでにも、アメリカを先頭とする帝国主義勢力の戦争と侵略の政策によって、いくたびか重大な局面を迎えてきた。だが、「ベルリン危機」、朝鮮戦争、インドシナ戦争、スエズ動乱と、そのたびごとに反帝民主勢力は、帝国主義のひきおこす戦争と侵略にたいして、断固たる反撃を加え、諸民族の独立と世界平和を擁護しぬいてきた。その闘争の先頭には、団結した国際共産主義運動が立っていた。

 「帝国主義反動が勢力を結集して共産主義との闘争をおこなっている状況のもとでは、全力をつくして世界共産主義運動を団結させることがとくに必要である。統一と団結は、われわれの運動の力を何倍にもし、共産主義の大業を破竹の勢いで前進させ、敵のあらゆる攻撃を成功裏に撃退するための頼もしい保証をつくりだす」(1960年の声明)

 ところが今日、アメリカ帝国主義は、南ベトナムで抜け出ることのできない窮地におちいりながらも、なおかつ国際共産主義運動の不団結につけこみ、状況をみながらベトナム侵略戦争を拡大し、ベトナム人民を殺りくしている。さらに、社会主義陣営の一国であるベトナム民主共和国にたいする爆撃をおこない、この「宣戦布告なき戦争」を首都ハノイにたいする爆撃にまで拡大している。

 ベトナム人民がなにものをも恐れずに不とう不屈の闘争をおしすすめている現在、もしも国際共産主義運動と社会主義陣営が、10年前の朝鮮戦争のときに示したように、一致してベトナム侵略反対闘争の先頭にたち、一致してアメリカ帝国主義にたいするもっともきびしい抗議と糾弾をおこない、一致してベトナム人民に最大限の援助をおこない、ベトナム人民の主権、独立、平和、統一のための闘争をあらゆる手段をもちいて支持し、アジアと世界の平和を断固として守りぬく決意と行動を団結レて示すならば、そして、国際共産主義運動と社会主義陣営の行動の統一を軸にして、全世界の反帝民主勢力の統一行動、統一戦線をさらに大きく前進させるならば、アメリカ帝国主義のベトナム侵略がかならずより早く失敗し、ベトナム人民がかならず輝かしい歴史的勝利をかちとることは確実である。

 このような行動をとることのできない理由は、どこにも存在しない。このような統一行動を拒否する理由を、マルクス・レーニン主義の原則上の意見の相違に求めることはできない。原則上の論争自体が、なによりもまず、国際共産主義運動の革命的路線の堅持と団結の強化のために、帝国主義に反対する闘争の強化のためにおこなわれているものだからである。

 マルクス・レーニン主義者の原則上の論争は、反帝闘争の前進を妨げるものとなってはならないはずである。マルクス・レーニン主義者は、原則上の論争によって真理を迫求するうえで非妥協的であると同時に、アメリカ帝国主義の侵略と戦争にたいする闘争では、意見の相違する人びととも肩をならべてたたかうという勇気と展望をもった戦士でなければならない。

 ベトナム人民もまた、切実に、国際共産主義運動のすべての部隊がこのような反帝統一行動を強化し、反帝国際統一戦線の中心部隊となることを強く切望している。

 しかし国際共産主義運動の複雑な情勢のために、この国際統一行動と国際統一戦線をさらに強化し、発展させるという、ベトナム人民をはじめ、すべての人民が熱望している当然の課題の実現は、今日一定の困難にぶつかっている。この困難を突破するためには、各国の党がプロレタリア国際主義と正しく結びつけた自主・独立の立場を断固として堅持するとともに、以上に検討してきたような「左」右の二つの日和見主義と分裂主義、すなわち現代修正主義と、教条主義、セクト主義にたいする「二つの戦線」での闘争を強化することが、どうしても必要となってきている。ベトナム人民の勝利を保障する反帝民主勢力の国際統一行動の強化という事業の成否を決定するものの一つは、全世界のマルクス・レーニン主義者が、この「二つの戦線」での闘争を成功的になしとげるかどうかということである。

 1960年の声明は、この「二つの戦線」での闘争について、つぎのようにのべていた。

 「共産主義運動・労働運動をさらに発展させるためには、1957年のモスクワ宣言に指摘されているように、二つの戦線で、すなわち依然として主要な危険である修正主義にたいして、また教条主義とセクト主義にたいして、徹底的なたたかいをつづけなければならない。
 修正主義すなわち右翼日和見主義は理論面でも実践面でもブルジョア・イデオロギーを反映するものであり、マルクス・レーニン主義をゆがめ、マルクス・レーニン主義の革命的内容を骨抜きにするとともに、労働者階級の革命的決意をまひさせ、帝国主義者と搾取者の抑圧に反対して平和、民主主義、民族解放および社会主義の勝利のためにたたかっている労働者、勤労大衆を武装解除し、動員解除してしまうものである。
 教条主義とセクト主義は理論面でも実践面でも、もしそれと徹底的にたたかわなければ、個々の党のある発展段階ではやはり主要な危険となることがありうる。教条主義とセクト主義は、科学的分析にもとづいてマルクス・レーニン主義を発展させ、それを具体的条件に応じて創造的に適用する力を革命的諸党から奪い、共産主義者を広範な勤労者層から孤立させ、かれらを革命闘争で、静観主義か、極左的・冒険的行為に走らせ、情勢の変化と新しい経験を適時に正しく評価することを妨げ、帝国主義、反動勢力、戦争の危険とたたかう労働者階級および全民主勢力の勝利のためにいっさいの可能性を利用することを妨げ、それによって、各国人民がおこなっている正義のたたかいで勝利をおさめるのを妨げる」

 ベトナム侵略戦争に反対する国際統一行動の強化のために、マルクス・レーニン主義者が「修正主義すなわち右翼日和見主義」のあらゆるあらわれに反対し、これを克服するためにたたかわなければならないことは、いうまでもない。たしかにフルシチョフ当時のような公然たるアメリカ帝国主義美化論や、ベトナム侵略を放任するあからさまな妥協政策を主張することは、現代修正主義の国際的潮流にとっても困難になっている。とはいえ、すでに指摘したようにベトナム侵略戦争の段階的拡大ではらみつつある第3次世界戦争の危険や核戦争の危険などを口実にして、無条件でベトナムに「平和」を回復することを主張し、実際にはジョンソンの「無条件停戦」論に屈服する傾向や、社会主義陣営と国際共産主義運動の不団結をさらに公然たる分裂にみちびこうとする傾向などは、いまなお根づよく存在している。

 他方、ベトナム侵略戦争に反対する国際統一行動の強化にとって、「教条主義とセクト主義」との闘争を正しくすすめることも、いまきわめて重大な課題になっている。そのもっとも具体的なあらわれは、すでにぐわしく分析したように、アメリカ帝国主義とたたかうためにはそれと連合する修正主義者に反対しなければならないということを理由にして、すべての反帝民主勢力を結集した国際統一行動を否定し、それにかわるものとして反米・反ソの統一戦線を主張し、わが党の路線を中傷攻撃する志田一派の反党分子らの立場である。

 この立場は実際には、現代修正主義との闘争だけを、事実上すべての課題に優先する第一義的任務にまつりあげ、アメリカ帝国主義との闘争という課題を軽視するものである。

 この立場はまた、ソ連共産党指導部を事実上アメリカ帝国主義と同一視して、これとの組織的決裂を主張する「左」からの分裂主義とも結びついている。この「左」からの分裂主義も、現代修正主義者の右からの分裂主義と同じように、国際民主運動の不団結を強め、1957年の宣言と1960年の声明にそむいて、国際共産主義運動の公然たる分裂をもたらすものにほかならない。

 レーニンはかつて、日和見主義と小ブルジョア的革命性との「二つの戦線」での闘争についてのべた際に、「無政府主義は、しばしば労働運動の日和見主義的な過誤にたいする一種の罰であった。この二つのかたわものは、おたがいに補いあってきた」(レーニン「共産主義の『左翼主義』小児病」、全集31巻、17ページ)と書いたことがある。それと同じように、敦条主義とセクト主義は、フルシチョフを中心とした現代修正主義の「過誤にたいする一種の罰」である。わが国の志資一派と志田一派が、事突上相呼応してわが党への恥知らずな誹謗、中傷のカンパニアをおこなっていることにも明らかなように、現代修正主義と、教条主義、セクト主義は、「二つのかたわもの」として「おたがいに補いあい」強めあって、ともに国際共産主義運動、国際民主運動のアメリカ帝国主義に反対する闘争を弱め、その分裂を促進しようとしているのである。

 すなわち、教条主義、セクト主義の路線は、同時に現代修正主義に反対する闘争をも弱め、客観的には現代修正主義の国際的潮流を助ける路線にほかならない。レーニンは、「左」右の日和見主義との闘争のなかで、「左翼」日和見主義が、右翼日和見主義をたすけ、その「もっとも信頼すべき補助者」の役割をはたすことを、くりかえし指摘した。たとえば、レーニンは、ロシアの第一革命後の反動期に、ボリシェビキ内部にあらわれた「左翼」セクト主義者・召還主義者たちを批判してつぎのようにのべた。

 「諸君は、日和見主義との闘争を空文句にかえ、そうすることによって日和見主義者を助けただけである」(「ボリシェビズムの戯画」、全集15巻、378ページ)

 また、レーニンは、コミンテルンの初期にも「中央主義」つまりカウツキー一派の修正主義的潮流との闘争の重要性を正しく強調しながら、この闘争を「誇張」する「左翼」的誤りにおちいることをきびしくいましめてつぎのように書いた。

 「中央主義との闘争を誇張することは中央主義をすくい、その地位をかため、労働者にたいするその影響力を強めることを意味する」(レーニン「ドイツ共産主義者への手紙」、全集32巻、561ページ)

 レーニンのこの警告は、今日の現代修正主義との闘争にも、きわめて教訓的である。もし、われわれが、現代修正主義の潮流の日和見主義、分裂主義の路線との闘争において少しでも「誤った誇張」におちいり、ソ連共産党指導部やその指導下の大衆組織をふくむいっさいの統一行動を原則的に拒否したり、アメリカ帝国主義に反対する闘争を反修正主義闘争に従属させたりするような教条主義、セクト主義の誤りをおかすならば、それはかならず、国際共産主義運動の統一と団結の旗、世界の反帝民主勢力の統一と団結の旗をかえって現代修正主義の潮流ににぎらせる結果となる。それは現代修正主義の潮流を破たんから「すくい」、かれらが二面的態度によって国際共産主義運動、国際民主運動のなかでの「その地位をかため」、世界の労働者と人民のあいだでの「その影響力を強める」のに役だつだけである。

 われわれが、反帝民主勢力の国際統一行動を強化し、国際共産主義運動のマルクス・レーニン主義的強化と真の団結をかちとるために、一方では現代修正主義の誤りと断固としてたたかい、同時に他方では、教条主義、セクト主義の誤りと断固としてたたかうことは、一部の中傷者がいうように、現代修正主義との闘争で原則を捨てて動揺し、中間的な折衷主義的な立場をとることでは断じてない。

 レーニンがくりかえして強調したように、どのような真理も、一歩でも誇張すれば誤りに転化する。日和見主義、修正主義との非妥協的な闘争というマルクス・レーニン主義の原則も、あらゆる日和見主義者、修正主義者との即時の組織的決裂という「原則」に誇張されれば、たちまち重大な誤りに転化する。たとえばマルクス・レーニン主義党の内部には、その党が大衆と結びついていればいるだけ、小ブルジョアジーとともにあらゆる日和見主義思想が流れこんでくることは避けられない。党はこれらの思想にたいし、そのどんな小さなあらわれにたいしても、非妥協的に闘争しなければならないが、党員が日和見主義思想にかたむいたからという理由だけでは、けっして組織的に排除してはならないことは自明のことである。その党員が、党の組織原則である民主集中制を無視し、党の規律をおかして、重大な反党行為をおこなったときは厳重な組織処分をおこなうが、そうした反党活動をおこなわないかぎり、実践と結合した党内のマルクス・レーニン主義的思想闘争、教育活動によって真にプロレタリア的なマルクス・レーニン主義者に成長させることが、党内の日和見主義にたいする闘争におけるもっとも原則的な態度なのである。もしも、日和見主義、修正主義的偏向をおかしたすべての人びとの党内からの組織的一掃を、誤って原則にまでまつりあげるならば、党は広範な勤労大衆を獲得し、きたえてゆく事業に背をむけた、セクト的集団となるほかはないであろう。

 1960年の81ヵ国共産党・労働者党代衷者会議の声明で一致して確認されているように、今日の国際共産主義運動の場合には、団結の基準として、一国のマルクス・レーニン主義党と同じ民主集中制の組織原則を適用することはできない。今日の国際共産主義運動の歴史的発展段階は、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづき、各国の党の独立・平等・相互の内部不干渉を前提にして、協議によって見解の統一と共同の行動の協定をかちとるという基礎のうえに、国際共産主義運動の隊列のマルクス・レーニン主義的強化と結集をはかるべき段階なのである。

 現在、国際共産主義運動の内部には、6年前の81ヵ国共産党・労働者党代表者会議のときからみれば、いっそう複雑な事情が発生している。しかし、そうだからといって、新しい共産主義インタナショナルの再建を要求したり、あるいは特定の党の指導的地位を要求したりすることは、国際共産主義運動の歴史的発展を逆行させようとするものである。

 国際共産主義運動の今日の段階において、その内部に各種の日和見主義、分裂主義の傾向が発生した場合、それらにたいする必要な思想的、政治的闘争を決定的な組織的措置――組織的排除などに結びつけることは、軽率に扱われてはならない重要な問題である。

 もしわれわれが、現代修正主義の国際的潮流にたいする闘争を、誤って誇張して、事実上すべての課題に優先する第一義的なものとみなし、修正主義的傾向のある指導部をもった党とは、ただ決裂あるのみでいかなる行動の統一もおこなうべきでないという「原則」をふりまわすならば、すでにのべたように国際共産主義運動の事実上の分裂をめざす立場におちいることとなるであろう。そしてその立場は、それだけでなく、結局はいっさいの国際民主運動、反帝民主勢力の国際的統一行動においても、意見の一致しない点は保留し、一致できる切実な共同の課題で団結するという原則を無視し、すべての共同行動を拒否するという有害なセクト主義的立場におちいるほかはない。このような教条主義的、セクト主義的「原則」なるものが、帝国主義と修正主義を利する結果をもたらすものでしかないことは、理論的にも、実践的にも、すでに明白となっている。一貫してわが党が主張しているように、またこの論文でくりかえし強調してきたように、今日の具体的な情勢のもとでは、現代修正主義をはじめとするいっさいの日和見主義、分裂主義と、思想上、政治上明確な一線を画しながら、すべての反帝民主勢力のアメリカ帝国主義に反対する国際統一行動、統一戦線を強化するために奮闘することこそ、マルクス・レーニン主義党が今日堅持すべき、もっとも原則的な態度なのである。

 志田一派その他の教条主義者は、わが党のこの原則的態度を、孤立を恐れて中間的、折衷主義的立場、あるいは右翼日和見主義におちこんだものなどといって非難している。しかし、これは第一に、かれら自身が教条主義、セクト主義という極左の立場に立っているからこそ、正しいマルクス・レーニン主義の立場が「中間的、折衷主義的立場」や「右翼日和見主義」にみえるにすぎない。

 これらの反党教条主義者たちが、みずからの立場を「孤立を恐れないもの」であるかのように特徴づけようとしていることは、実際にはかれら自身、その立場が、孤立せざるをえないセクト的立場であることを自認していることを示すものである。そして、かれら自身の教条主義、セクト主義の立場をおおいかくすためにもち出されたこの非難は、けっきょくのところ、「二つの戦線」での闘争というマルクス・レーニン主義の重要な原則の一つを修正して、それを事実上、右翼日和見主義、現代修正主義だけにたいする「一つの戦線での闘争」に帰着させようにするものである。

 志田一派その他の教条主義者が、わが党の「二つの戦線での闘争」という原則的立場を、中間的、折衷主義的立場として非難するのは、第二に、かれらが、国際共産主義運動の原則上の論争を、事実上「中・ソ論争」に帰着させているからである。原則上の国際的論争をたんに中国共産党とソ連共産党との論争だと考えている以上、このどちらの党の立場にも追随しない立場が、中間的、折衷主義的に見えてくるのは当然である。各国の党はすべて独立・平等であり、どんな党も他の兄弟党に自己の見解をおしつけず、また他の兄弟党に盲従してはならず、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづいた自主独立の立場を堅持しなければならない。一国の党の国際路線の正しさを評価する基準は、特定の党の路線からの距離であってはならず、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の原則を今日の具体的情勢に正しく適用しているかどうかということでなければならない。志田一派その他が、わが党の国際路線に加えている非難こそ、実は、かれらが、特定の外国の党の立場を基準としてものをみる事大主義、国際盲従主義に深くおちいっていること、かれらが救いがたいほどマルクス・レーニン主義からそむき去っていることを自己暴露したものにすぎない。

 そして、志田一派その他の教条主義者たちが、「二つの戦線」での闘争にかんするわが党の国際路線を非難すればするほど、それは、真のマルクス・レーニン主義者が、現代修正主義にたいしてだけでなく、これらの教条主義、セクト主義にたいしても明確に思想上、政治上一線を画しつつ、これらの右と「左」の日和見主義にたいする「二つの戦線での闘争」を原則的におしすすめるという重大な任務に直面じていることをますます明らかにするものである。そして、この立場こそが、中間主義、折衷主義であるどころか、マルクス・レーニン主義と人民解放の事業にもっとも忠実なただ一つの革命的立場、カッコつきでなく、正しい意味での真の左翼の立場なのである。

 国際労働者階級の運動内部の同じ小ブルジョア的潮流の二つのあらわれとしての、この右と「左」の日和見主義が、今日の重大な情勢のもとではたしている、最大の否定的役割は、たとえ主観的にはどんなに善意からそれが主張されていたとしても、客観的には、帝国主義と反帝民主勢力の国際的対決のもっともするどい焦点となっている歴史的なベトナム侵略反対闘争において、現実に可能なベトナム人民の偉大な勝利、反帝民主勢力のいわば世界史的な勝利への前進をはばむ障害物の一つとなっていることにある。

 しかし、なにものも、歴史の法則と人民の闘争の前進をはばむことはできない。ベトナム侵略に反対し、ベトナム人民を支援する国際統一行動の前進に困難をもたらし、その障害となるいっさいのものは、人民の闘争の前進そのものによって、歴史的審判をうけ、とりのぞかれることとなるであろう。現代修正主義、および教条主義、セクト主義という、マルクス・レーニン主義の革命的路線から逸脱した「左」右の日和見主義の誤りもまた、ベトナム侵略反対の国際統一行動を強化するための人民の闘争そのものによって、容赦なく批判され、かならず克服され一掃されるであろう。

 レーニンはかつて、メンシェビキの日和見主義路線との闘争にさいして、政治生活の発展そのものによる審判の意義をつぎのように強調したことがある。

 「政党の内部の意見の相違や政党間の意見の相違は、原則上の論戦によって解決されるだけでなく、政治生活そのものの発展によっても解決されるのが普通である」(レーニン「革命はおしえる」、全集9巻、143ページ)
 「現代のような革命的時期には、党のあらゆる理論的誤謬と戦術的逸脱は、かつてない速さで労働者階級を啓蒙し教育しつつある生活そのものによって、もっとも容赦なく批判される」(レーニン「旧『ボリシェビキ』分派に属していた統一大会代議員の、党へのアピール」、全集10巻、296ページ)

 この意味では、現代修正主義、および教条主義、セクト主義の理論的誤謬と戦術的逸脱は、マルクス・レーニン主義者による原則上の批判によってだけではなく、全世界の人民を「啓蒙し教育しつつある」アメリカ帝国主義のベトナム侵略とその拡大の現実、それに反対する各国人民の闘争の発展と各国人民の切実な要求にもとづく国際統一行動の前進という生活そのものによって、容赦なく批判され、真のマルクス・レーニン主義の路線の正しさが、広範な共産主義者と人民によって理解され、ベトナム侵略に反対する国際的闘争は、かならず勝利するであろう。われわれは、それをかたく確信している。

 しかしその確信は、反帝民主勢力が人民の闘争の前進だけに期待して手をこまねいていてよいことをけっして意味しない。アメリカ帝国主義のハノイ、ハイフォン爆撃の強行は、敵もまた時間の要素を重視していることを示している。すべての反帝民主勢力もまた、困難な条件のもとでたたかっているベトナム人民の闘争を援助するために、できるだけ急速に各国人民の闘争を全力をつくして前進させるとともに、ベトナム人民支援のための国際統一行動をあらゆる形態、あらゆる分野で強化しなければならない。

 ハノイ、ハイフォン爆撃の重大事態を迎えて、いくつかの社会主義国の人民は、大規模な抗議集会をおこない、政府も義勇軍派遣をふくむあらゆる形態の支援を表明している。7月4日から3日間、ルーマニアでひらかれたワルシャワ条約機構政治諮問委員会会議も、声明を発表して「ベトナム民主共和国政府が要望するなら、アメリカ侵略者とたたかうベトナム人民の闘争を支援するために義勇軍がベトナムヘおもむくことを許す用意があること」を宣言した。

 アメリカ帝国主義のベトナム侵略の重要な兵員補給基地、修理基地、攻撃基地となり、佐藤内閣がますますジョンソン政府の侵略政策に積極的協力をおこなっているわが国における、日本の民主勢力の責務もまた重大なものがある。日本独占資本と佐藤内閣は、これまで、基地と輸送要員の提供、軍需物資の調達、兵器資材の中継と修理、兵員の休養、医療団派遣など、ベトナム侵略のための直接協力だけでなく、日韓条約の強行締結、東南アジア経済開発閣僚会議開催、ソウルでひらかれたアジア・太平洋地域閣僚会議への参加と、アメリカ帝国主義のベトナム侵略を補強するアジアの反共軍事同盟を結成強化するうえでも、きわめて積極的な役割をはたしてきた。ハノイ、ハイフォン爆撃がひきつづきおこなわれているとき、7月5日から7日までひらかれた第5回日米貿易経済合同委員会と佐藤・ラスク会談は、アメリカ帝国主義のベトナム侵略とアジア侵略政策にたいする日本反動勢力の協力をさらに全面的なものとすることを確認した。ベトナム侵略戦争の拡大と長期化によって、日本の役割がますます大きなものとなってゆくことは確実である。こうした情勢のもとで、小選挙区制粉砕その他の国内の諸闘争と結合して、ベトナム侵略反対闘争を急速に強化することは、日本人民の第一の国際的任務として、ますます重要性を加えている。

 1966年6月29日のわが党中央委員会幹部会声明は、ベトナム侵略とその拡大に反対する国際統一行動と統一戦線の強化という任務の緊急性を強調するとともに、日本人民と全民主勢力にたいして、つぎのように呼びかけた。

 「日本共産党は、この重大事態にさいして、アメリカ帝国主義を断固として糾弾するとともに、日本の人民、全民主勢力にただちにアメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する一大統一行動に決起することをよびかける。とくにわが国の労働者階級は、総評をはじめ多くの労働組合の決議にみるように、アメリカ帝国主義のハノイ爆撃にたいしては、とくにストライキをもっていっせいに抗議するという決意を表明してきた。いまこそ、これらのゼネストをふくむあらゆる大衆行動をもって、アメリカ帝国主義への抗議とベトナム人民への連帯を示し、人民の先頭にたってたたかうことは、日本の労働者階級に課せられた重大な責務である」

 7月20日、日本では、わが日本共産党などの参加している安保破棄・諸要求貫徹中央実行委員会と、社会党、総評などの参加している日韓条約粉砕・原潜阻止全国実行委員会の共催による、アメリカのベトナム侵略反対、ハノイ、ハイフォン爆撃抗議全国統一行動がくりひろげられた。労働組合は、全国いっせいに抗議集会、ストライキをもって抗議し、統一行動に参加した。両実行委員会が共同で開き、3万2千名以上が参加した首都の集会で採択された「大会宣言」には、つぎのような決意がのべられていた。

 「われわれは、アメリカのベトナム侵略に反対し、これをやめさせるための、国際連帯行動を飛躍的に強化し、社会主義国、民族解放闘争をたたかう諸国民、および資本主義国の進歩的勢力の団結のもとにベトナム人民にたいする支援と援助を強化し、アメリカの侵略者に断固反対する国際的統一の行動を前進させる。
 アメリカのベトナム侵略反対のたたかいは、安保条約破棄、憲法改悪阻止、小選挙区制粉砕のたたかいと一体のものであり、戦争協力の佐藤内閣と対決して、われわれは、労働者の実力行使をも含めて、すべての民主勢力と広範な国民を結集して、より強力に闘争を展開する」

 日本人民は、ジョンソン政府と佐藤内閣にたいするゼネスト、デモンストレーション、大衆集会による抗議、無難丸の船員の闘争に学んだベトナム侵略用の軍需物資の生産、輸送などの拒否、広範な署名運動、ベトナム人民支援のための資金、物資の募集など、あらゆる形態の多面的な闘争を全力をつくして組織しなければならない。こうした闘争を、その他の諸闘争と結合させて、いまもっとも真剣に組織し、日本におけるベトナム侵略反対闘争を大きく前進させ、アメリカ帝国主義と日本独占資本という日本人民の二つの敵に反対する全民主勢力の統一行動、統一戦線を強化、発展させることこそが、ベトナム侵略に反対する国際統一行動、統一戦線の強化をもいっそう促進することになるのである。

 われわれは、反帝民主勢力の国際統一行動、統一戦線の強化を促進するために、その中心部隊となるべき国際共産主義運動の当面の団結をかちとることをとくに重視しているが、このことはすべての問題を国際共産主義運動の当面の団結をかちとることに解消することを意味するものではない。われわれは、複雑な事態のもとで、国際共産主義運動が当面の団結を十分に強化できない場合でも、ベトナム侵略に反対する日本人民の闘争を強化し、また国際民主運動を中心とした分野で現に存在レているベトナム侵略反対の国際統一行動、統一戦線をさらに強化することに全力をあげる必要がある。国際共産主義運動内部の原則上の諸問題をめぐって重要な意見の相違があったとしても、民主運動の分野での団結の原則を守り、各国の人民の要求にもとづき、ベトナム侵略に反対する闘争をはじめとして一致できる緊急の諸課題で行動を統一してきたことは、最近の国際民主運動がかちとってきた主要な成果であった。団結を妨げる「左」右の日和見主義、分裂主義を克服してこの成果を守り、さらに発展させることは、各国の反帝民主勢力にとって共同の重要な任務である。

 ベトナム人民支援のための各国人民の闘争のいっそうの強化、国際統一行動と統一戦線のいっそうの強化は、文字どおり一刻の猶予も許されないものとなっている。

 いうまでもないことであるが、ベトナム人民の闘争は、輝かしい多くの成果とともに、多くの犠牲と困難をともなったたたかいである。

 アメリカ帝国主義は、ことし1年間に、第2次大戦中太平洋戦争で投下した総爆弾量58万4000トンに匹敵する。60万トンの爆弾を、あのせまいベトナムに集中投下する計画である。南ベトナムへの米軍の大量投入と、ハノイ、ハイフォンへの爆撃の拡大は、ベトナム人民の闘争の決意をますます固めるものとなっているし、アメリカ帝国主義がいっそう大きな致命的打撃をうける条件をみずからつくりだしたことでもあるが、それだけにまた犠牲も大きくなり、闘争はますます激しさを加えている。

 ベトナム人民軍総司令官ボー・グエン・ザップ将軍は、米軍の大量投入という新しい情勢を分析したその論文のなかでつぎのようにのべた。

 「われわれは、わが民族の戦いが多くの苦難にみち、多くの犠牲を必要とするが、輝かしい勝利にあふれていることをよく知っている。これは、わが人民の革命闘争と歴史におけるばかりでなく、わが民族の侵略者反対の数千年の歴史上偉大な事業である。その正義の事業は、わが民族のもっとも神聖な願望にこたえていると同時に、世界の革命的人民の願望にこたえている」(「挙国一心となって、偉大な愛国戦争を力強くおしすすめ、アメリカ侵略者にだんこ打ち勝とう」、『ホック・タップ』1966年1号、『世界政治資料』235号訳載)

 7月17日、ベトナム民主共和国のホー・チミン主席は、ジョンソンとその一派が、ベトナム侵略戦争を拡大するために、50万、100万、それ以上の軍隊を投入し、何千という飛行機を使っても「英雄的なベトナム人民の反米救国の鉄のような意思と決意を絶対にゆるがすことはできない」「わが人民と全軍隊は……一致団結し、困難と犠牲を恐れず、完全な勝利まで徹底的にたたかいぬくであろう」と堅い決意を表明し、つぎのようにのべている。

 「われわれは正義であり、北から南にいたる全国人民の団結した力と不屈のたたかいの伝統をもっており、また、社会主義兄弟国と全世界の進歩的な人民の大きな、幅広い同情と支持を得ている。われわれはかならず勝利する」
 「この機会に、私はベトナム人民を代表して社会主義各国人民と、アメリカ人民をふくむ全世界の進歩的な人民があたえてくれた心からの支持と援助にたいし、つつしんで熱烈な感謝の意を表明する。現在、アメリカ帝国主義の新たな犯罪的な陰謀に直面して、私は社会主義兄弟国および平和と正義を愛する世界各国家の人民と政府がベトナム人民の反米救国闘争の完全な勝利の日までいっそう強力な支持と援助をあたえてくれるものと確信している」

 ベトナム人民のこのような決意と確信にこたえて、マルクス・レーニン主義の原則とプロレタリア国際主義の原則を堅持し、1957年の宣言と1960年の声明の革命的原則を守り、それらの原則からの「左」右へのあらゆる逸脱とたたかいながら、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する国際的団結をかためるために奮闘することは、全世界のマルクス・レーニン主義者の緊急の任務である。

 そのために国際共産主義運動と社会主義陣営は、アメリカをふくむ資本主義国との「平和共存」政策をその国際路線の中心にまつりあげるようなフルシチョフの日和見主義路線の残りかすを一掃し、民族解放運動にたいする重大な犯罪であり、社会主義陣営にたいする許すことのできない攻撃であり、アジアと世界の平和にたいするもっとも重大な挑戦であるアメリカ帝国主義の暴虐なベトナム侵略戦争とその拡大にたいしてもっとも断固とした政治的、外交的態度をとり、各国人民のベトナム侵略反対闘争の先頭に立つ必要がある。同時に、アメリカ帝国主義の侵略戦争反対、米軍をはじめとする全侵略軍の全ベトナムからの撤退、ベトナム民主共和国政府の4項目の主張と南ベトナム解放民族戦線の5項目の声明支持、ベトナム人民の闘争にたいするあらゆる支援の強化のために、ただちに一致してたちあがり、共同の闘争を組織する必要がある。

 国際民主運動のなかでも、アメリカ帝国主義のベトナム侵略とその拡大に反対する共同行動を発展させるために、国際共産主義運動と社会主義陣営は全力をあげて努力する必要がある。とくに、第1回アジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連帯大会の決議にもとづき、すでに活動を開始している臨時執行書記局をはじめその他の機関の組織と活動を強化し、3大陸人民のベトナム人民にたいする共同の支援活動を急速に促進することが重要である。

 ベトナム人民は、困難を突破し、不屈の英雄的な闘争を堅持して、全世界の人民をはげましている。このベトナム人民の力を主体として、国際反帝勢力の効果的な支援と共同の力が、あらゆる障害を克服して今後全面的に発揮されるならば、ベトナム人民の勝利の日はそれだけ早く訪れるであろう。ベトナム人民の正義の闘争はかならず勝利する。全世界人民の反帝闘争は、かならず大きく発展し、アメリカ帝国主義の侵略をうちやぶるであろう。

 わが党は、今後とも、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の旗をいっそう高くかかげ、1957年の宣言と1960年の声明の革命的原則を守り、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する国際統一行動と統一戦線の強化と国際共産主義運動の真の団結をかちとるために、全党をあげてねばりづよく努力するものである。

(『日本共産党重要問題論文集』第4巻より)