戦後の疑惑、疑獄政治史


年表  

■闇物資払い下げ事件
■辻嘉六事件
■炭鉱国管疑獄
■昭電疑獄
■商工省繊維汚職
■東洋製粉汚職
■五井産業事件
■日発スキャンダル
二重煙突事件
■電通汚職
■砂糖汚職
■霊友会事件
■保全経済会事件
■日殖事件
■陸運疑獄
■日興連汚職
■造船疑獄
■東独カリ輸入問題
■電源開発疑惑
■売春汚職
■第1次FX選定事件
■虎ノ門国有地払い下げ疑惑
■吹原産業事件
■信濃川河川敷事件
■束京大証事件
■日通事件
■第2次FX選定疑惑
■総裁選7憶円疑惑
■田中金脈事件
■ロッキ‐ド疑惑
■ダグラス・グラマン事件
■ダグラス・グラマン事件
浜田幸一(自民党衆院)ラスベガスとばく発覚
■KDD事件
■撚糸工連事件
■平和相互銀行事件
■砂利船汚職事件
■リクルート事件
■東京佐川急便車件
■共和疑惑
埼玉土曜会(ゼネコン汚職)事件
■オレンジ共済組合事件
KSD汚職


1945(昭和20)年 東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣
■闇物資払い下げ事件
 
終戦の前日8.14日鈴木貫太郎内閣は、降伏決定の手続き終了後、戦後対策委員会を内閣に設置し、「軍需用保管物資の緊急処分」を指示した後、翌8.15日総辞職した。つまり、つかの間の敗戦処理内閣となった。この結果、軍需物資が民間に大量に出回り、政商が暗躍した。当時の価格で約1000億円相当の軍需品(米.麦.雑穀.缶詰.砂糖.ガソリン.綿布.ゴム.鉄.銅電線など)が放出された。この決定は、どうせ占領軍に接収されるなら民間に払い下げようとしたものであったが、実際にはブローカーが暗躍し、一種無秩序状態のまま軍需工場の倉庫から分散させていくことになった。この間陸軍一部将校らによる終戦阻止の反乱があったが鎮圧された。

1947(昭和22)年 片山内閣
■辻嘉六事件
 
政界の黒幕が旧軍の隠退蔵物資ヤミ処分金を自由党政治家に分配した容疑。
■炭鉱国管疑獄
 
炭鉱国家管理法案審議権をめぐる炭鉱業者の政治家買収容疑。田中角栄逮捕(→後無罪)。

1948(昭和23)年 芦田内閣
■昭電疑獄
 
政官界の昭電復金不正融資汚職。芦田内閣崩壊。福田越夫逮捕

1949(昭和24)年 吉田内閣
■商工省繊維汚職
 
繊維資本家と商工省・政界の贈収賄容疑、吉田首相の名も出る。
■東洋製粉汚職
 
東洋製粉会社への復金融資に関わる汚職。

1950(昭和25)年 吉田内閣
■五井産業事件
 
警視庁出入業者・五井産業と警視庁幹部、吉田内閣首脳の疑惑。
■日発スキャンダル
 
最大の独占企業日本発送電会社分割に関わる政財界の汚職容疑。
二重煙突事件
 
特別調達庁が占領軍用に発注の二重煙突につき法務総裁に疑惑

1952(昭和27)年 吉田内閣
■電通汚職
 
電通官僚の天下り立候補資金集めおよび横領容疑。

1953(昭和28)年 吉田内閣
■砂糖汚職――官僚グループ火曜会が介在した裏件。農林省課長自殺で迷宮入り。
■霊友会事件――新興宗教霊友会の脱税事件で法相モミ消し奔走の疑い。

1954(昭和29)年 吉田内閣
■保全経済会事件――「投資銀行法案」〃買収〃をねらった「保全経済会」の政治献金問題。
■日殖事件――保全経済会同様、倒産した庶民金融と顧問の保守党政治家の癒着関係。
■陸運疑獄――交通公社・弘済会・高速度営団と運輸関係議員をめぐる黒い霧。
■日興連汚職――全国映画館経営者団休(日興連)の入場料引き上げに反対陳情に関わる汚職。
■造船疑獄――見返り資金・開銀融資の計画造船と利子補給法〃買収〃をめぐる大疑獄。

1955(昭和30)年 鳩山内閣

■東独カリ輸入問題――束独カリ輸入をめぐる政界人の暗躍。

■電源開発疑惑――自民党が選挙資金捻出のため電源開発の工事費を水増しした容疑。

1957(昭和32)年 石橋・岸内閣
■売春汚職――「売春防止法案」反対にからむ汚職。

1958(昭和33)年 岸内閣
■第1次FX選定事件――自衛隊の次期主力戦闘機選定をめぐる自民党幹部による汚職。

1964(昭和39)年 池田内閣
■虎ノ門国有地払い下げ疑惑――国有地転売による土地転がし不正事件。田中角栄、小佐野賢治。

1965(昭和40)年 佐藤内閣
■吹原産業事件――吹原産業社長による30憶円詐欺事件の裏に、政治献金の疑惑。

1966(昭和41)年−佐藤内閣 佐藤内閣
■信濃川河川敷事件――田中角栄ファミリー企業による河川敷買い占め疑惑。
■束京大証事件――政界人を利用し、インチキ手形で三億円詐欺容疑。

1968(昭和43)年 佐藤内閣
■日通事件――政府の食糧輸送の利権をめぐる日本通運による政治献金疑惑。
■第2次FX選定疑惑――次期主力戦闘機の選定をめぐる疑惑。事件にならず。

1972(昭和47)年 田中内閣
■総裁選7憶円疑惑――田中角栄首相選出をめぐつて中曽根派が7億円で買収されたのではないかという疑惑。
■田中金脈事件――田中首相の資産形成の過程で政治資金の悪用、脱税等による疑惑。田中内閣総辞職の引き金になる。





1975(昭和50)年 三木内閣
■ロッキ‐ド疑惑――ロッキード社のトライスタ−(旅客機)、P3C(対潜哨戒機)の売り込み工作で、田中元首相、佐藤孝行、橋本富美三郎ら政府高官が贈収賄(受託収賄)容疑で逮捕。


1979(昭和54)年 大平内閣
■ダグラス・グラマン事件――ダグラス・グラマン両社による航空機売り込み疑惑。松野頼三(自民党衆院)逮捕。
■税政連献全事件――税理士法一部改正案のため与野党議員に日税連が献金。
宇野亨衆議院議員が公選法違反で在宅起訴。


1980(昭和55)年 鈴木内閣
浜田幸一(自民党衆院)ラスベガスとばく発覚
■KDD事件――国際電信電話公社(KDD)の乱脈経理事件。


1986(昭和61)年 中曽根内閣
■撚糸工連事件――繊維業界の構造改善をめぐり、政界との癒着が間題化。横手文雄衆議院議員が受託収賄、稲村左近四郎衆議院議員が収賄で在宅起訴。有罪確定


1987(昭和62)年 中曽根内閣
■平和相互銀行事件――旧平和相銀の数千億円に及ぷといわれる乱脈経理と、住友銀行との合併をめぐる疑惑。金屏風で竹下登元首相の名前も。


1988(昭和63)年 竹下内閣
■砂利船汚職事件――関西空港の埋立て終了後、砂利船の営業船格上をめぐって業者から金銭を授受した疑惑(砂利船汚職)。公明党参議院議員・田代富士男が受託収賄で逮捕。有罪確定。
■リクルート事件――リクルート・コスモスの未公開株の譲渡をめぐっての疑惑。(上田卓三・衆社会、リクルート事件)


1989(昭和64)年
リクルート事件。池田克也 衆公明、藤波孝生衆議院議員が受託収賄で在宅起訴。 有罪確定。


1990(昭和65)年
国際航業事件、脱税事件。稲村利幸(自民)衆議院議員が所得税法違反(脱税)  で在宅起訴。有罪確定



1991(平成3)年 海部内閣
■東京佐川急便車件――数憶円の金が与野党100名以上の議員に不正献全された疑惑。
■共和疑惑――鉄骨メーカー「共和」のヤミ献金疑惑。
稲村利幸  衆自民  巨額脱税


1992(平成4)年
東京佐川急便事件―金丸信   衆自民  
共和汚職―阿部文男(自民)衆議院議員が受託収賄で逮捕。 有罪確定。


1993(平成5)年 宮沢内閣
■全丸脱税車件――数億円に上る資産隠し。所得税法違反(脱税)で在宅起訴。公判中に死去。
■学歴詐称―新間正次衆議院議員が公選法違反で在宅起訴。


1994(昭和6)年 細川内閣
■脱税事件―大谷忠雄衆議院議員が所得税法違反で在宅起訴。
埼玉土曜会(ゼネコン汚職)事件――中村喜四郎(自民)元建設相があっせん収賄で逮捕(中村被告有罪判決)。
■脱税事件―近藤豊衆議院議員が所得税法違反等で在宅起訴。


1995(昭和7)年
中西啓介  衆新進  長男の大麻事件     
近藤豊   衆日本新 税不正還付
大谷忠雄  衆新生  税不正還付
二信用組合事件―山口敏夫衆議院議員が背任等で逮捕。


1996(平成8)年 橋本内閣
■泉井献金疑惑――ベトナム油田開発権益獲得のため自民党山崎拓建設相(当時)にヤミ献金をした疑い。


1997(平成9)年 橋本内閣
■オレンジ共済組合事件――友部違夫参院議員が新進党の比例順位を金で買ったという疑惑、詐欺で逮捕。
菊池福治郎 衆自民  長男の公選法違反(買収)


1998(平成10)年
野田実   衆自民  事務所職員の公選法違反(買収)の拡大連座制で失職
■防衛庁汚職―中島洋次郎(自民)衆議院議員が受託収賄等で逮捕。上告中に自殺。   

安部譲二著『日本怪死人列伝』(2002年4月刊)、第2章「新井将敬」
http://www.asyura2.com/07/senkyo35/msg/625.html
投稿者 passenger 日時 2007 年 6 月 01 日 00:34:48: eZ/Nw96TErl1Y

安部譲二著『日本怪死人列伝』(2002年4月刊)、第2章「新井将敬」

〔引用するに当たって――これから紹介するのは、作家の安部譲二氏が2002年に発表した『日本怪死人列伝』(産経新聞ニュースサービス)の第2章「新井将敬」の全文である。
 安倍政権の現職大臣・松岡利勝氏が不審きわまる変死を遂げ、世間には「自殺」として喧伝されている今、九年前にやはり自民党政府の金融スキャンダルのさなかに変死を遂げ「自殺」扱いで処理されて終わった新井将敬代議士の死にざまに関して、ここで見直しを行なうことは大きな意味がある。新井将敬氏の変死について書いた、安部譲二氏のこのルポは、いまこそ是非とも読まれるべきであるし、このルポの社会的意義は公共財産とも言うべき価値を有している。それゆえ、あえてここに全文引用のかたちで紹介させていただく。
 『日本怪死人列伝』には、このほかにも下山事件や、昭和末期から平成初期の時代に不審な死に方、殺され方をした多くの人物についてのルポが載っている。必読の書であるから、是非とも各自で購入して読んでほしいと思う。ちなみにamazonでの購入先は次の通り――
http://www.amazon.co.jp/日本怪死人列伝-安部-譲二/dp/459403487X/ 〕


■■ここから引用開始■■
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第2章 新井将敬

 日興讃券に対する利益要求事件で、証券取引法違反(利益追加の要求)容疑
で衆院に逮捕許諾請求が出ていた自民党の新井将敬衆院議員(五〇)=東京4
区=が十九日、東京都港区高輪三ノ十三ノ三、ホテルパシフィックメリディア
ン東京二十三階の二三一二八号室で首をつり、自殺した。妻らにあてた少なくと
も二通の遺書が見つかったが、内容は明らかにされていない。逮捕許諾請求は
同日午後の衆院本会議で議決され、同夜、新井氏は逮捕される見通しだった。
総会屋への利益供与事件に端を発した一連の金融・証券事件の捜査に絡む自殺
者は、三人目となった。衆院の議院運営委員会は、同日夕に予定していた本会
議における逮捕許諾についての緊急上程をしないことを決めた。
                  (平成十年二月二十日産経新聞朝刊より)

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 当選四回、五十歳だった新井将敬代議士の死体が発見されたのは、平成十(一九九八)年二月十九日の午後一時から一時半頃までのことで、場所は品川のホテルの一室だった。
 発見したのは夫人だったが、あまりのことに動顛していたので、時間については、ほぼこの頃というだけで確認されてはいない。
 新井将敬の経歴と当時の置かれていた状態を、読者に改めてお知らせしておく。
 新井将敬は、東大を卒業すると僅かな問、新日鉄に勤めていたが、昭和四十八年に大蔵省に移った。
 そして昭和五十一年に自民党の大物議員だった故渡辺美智雄と知り合って、昭和五十七年に政務秘書官に就任すると、五十八年の衆院選に当時の東京2区から立候補したのだが、ポスターに「在日韓国人である」という妨害シールを、対立候補の陣営に貼られて次点に泣く。
 昭和六十一年に衆院初当選して、故渡辺美智雄の側近になったのだが、八年後の平成六年に自民党を離党し、以後、自由党・新進党・21世紀の会と転々として、平成九年七月には、再び自民党に戻った。
 恩人である故渡辺美智雄の葬儀を欠席し、幹部の怒りを買っていた新井将敬は、その時、旧渡辺派には戻れずにいたところを、亀井静香に救われて三塚派に入れてもらう。
 この頃、大蔵省では、金融機関から「金だ。女だ。ノーパンしゃぶしゃぶだ」と、いろいろ甘い汁を浅ましく吸った現役やOBが、次々と収賄容疑で逮捕されて、あたかも大蔵大不祥事の様相を呈していた。
 普段は何が起こっても、自分がどんなに怠慢で国に損害を与え、国民を苦しめてもどこ吹く風か……と、無責任の権化を決め込んでいた宮沢喜一も大蔵省出身だから、この時ばかりは、「今度は何がばれるのか……。自分に火の粉が飛んで来はしないか……」と連日、生きた心地もなかったのに違いない。
 平成九年十二月二十二日、読売新聞の朝刊一面トップに「日興證券 新井議員に利益供与」と、大きな見出しが出る。
 続けて二十三日の朝刊でも「"利益"新井議員が要求」、「強引に"儲けさせて"」と、追い撃ちを掛けたので、その途端に新井将敬は渦中の人になる。
 平成十年二月十六日、新井将敬の第一秘書と第二秘書が、東京地検で事情聴取。
 続いて二月十七日、本人事情聴取。
 二月十八日、マスコミが逮捕間近……と伝える中、事務所等に東京地検の家宅捜索が入る。
 新井将敬は議院運営委員会で弁明した後、夕方六時から、日興證券幹部との会話を録音したテープを記者団に聞かせて、身の潔白を証明しようとした。
 東京地検は内閣に新井将敬の逮捕許諾請求を行い、内閣から衆院議長、そして議院運営委員会と案件は流れて、議院運営委員会は即日、逮捕を許諾する。
 二月十九日の大新聞の朝刊は、各紙共、大見出しで「新井議員、本日逮捕」、「利益供与で新井議員、本日中に逮捕」と書き立てる中、新井将敬は午後一時から一時半の問に、品川のホテルで死亡していた。
 遺体を発見したのは夫人で、その日の夕方、検死した高輪署では、死因は縊死で死亡推定時刻は午後一時頃と発表。
 第ー発見者だった夫人の言から、新井将敬の死は、ホテルの空調吹き出し孔に浴衣の紐を掛けての、首吊り自殺……ということで処理された。

 新井将敬と私は、知らない仲ではない。
 と、書いたのはかなり控えめで、歳はひと回り私が上だが、とても気の合う呑み仲間だった。
 最初に会ったのはたしか昭和六十二年の真冬で、神奈川県三崎の鮪料理が専門の天咲だ。
 昭和六十一年に、私は単行本が初めて出版され、新井将敬は衆議院議員に当選したばかりという、お互に初々しい頃だったのが懐かしい。
 天咲は僅か九坪の小さい店なので、予約は一切取らず、地元の貸元でも満員の時は行列に並んで順番を待つのだ。
 寒い晩だったが、その日も天咲はよく繁盛していて、長い行列の中ほどに、新米国会議員の新井将敬が並んでいたのを見付けた私は、
「おッ、天咲の行列に並ぶ自民党の代議士は、いいもんだぜ」
 面識もないのに叫んだら、照れてはにかんでとてもいい顔をしたのを覚えている。
 昭和五十八年に、断然たる本命の石原慎太郎がいて、残りの議席を他の立候補者が奪い合うという、変形の激戦地、東京2区から立候補して善戦した新人、新井将敬を、選挙が好きな私は密かに注目していた。
 酔えば冗談にからかうだけで、私にはもとから差別意識なんかない。
 暗黒街に長く住んだ前科者の私には、そんなものは薬にしたくてもないのだ。
 私がホストをしていた週刊誌の対談に、新井将敬を招いたこともある。
 赤坂で酔っ払って、私が着ていたフィッシャーマンのスェーターを、脱いで新井将敬にあげてしまった時は、外に出てから寒くて参ったものだ。
 ホノルルで家の女房か、金もハスボートも、それに帰りの航空券もひったくりに盗られて、参り果てたことがあった。
 領事館ではパスポートの再交付に、四日掛かるというのだが、それでは東京の仕事にはとても間に合わない。
 困り果てて新井将敬に電話したら、
「何とかする。安心しろ」
 と、心強い声で言ってくれて、何と翌々日、領事館に行ったら、私と女房のパスポートがちゃんと出来ていたのだ。
 持ち回りで、超特急でやってくれた……と、後で聞いた私は、衆議院議員の力を改めて思い知った。
 御礼は私のことだから、パイナップルを六個あげただけだったが、勿論、新井将敬も秘書たちも嫌な顔ひとつ見せない。
 新井将敬は意欲に溢れた気の強い、颯爽とした若手の保守政治家だった。
「出自のハンディはあっても、この男は、かなりのところまで出世する、大蔵大臣にはなるに違いない」
 と、その頃、私は睨んだものだ。
 平成十年の二月十九日は、私は仕事でアメリカのミシガン州に行っていて、日本からの電話で事件を知って暗澹とする。
「ホテルの部屋で首吊り自殺をした……」
 知らせた電話の声に、当時の事情をよく承知していて、心配していた私は、
「このくらいのことで、あの気の強いタフな男が、死んだりなんかするものか」
 と、反射的に思ったのだ。
 日本に帰っていろいろな媒体で事件報道を確認した私には、いくつかの謎や納得のいかない点が湧き上って来た。
 検察の逮捕許諾請求を、議院運営委員会は「待ってました」とばかりに、ろくに新井将敬の弁明も審査せず、証拠のテープも受取りを拒否して許諾したのは、なぜか。
 それ以前に、逃げも隠れも出来ない衆議院議員で、東京地検の事情聴取にも素直に応じていた新井将敬を、起訴するのにしても在宅ではなく、逮捕すると決めたのはなぜなのだろう。

 在日韓国人だった新井将敬は、十六歳で日本に帰化すると、慶応大学の医学部に合格しながら一浪して、翌年、東京大学の理1に入り直し、入学後、更に経済学部に転部している。
 就職も最初は新日鉄に入社して、その後大蔵省から故渡辺美智雄の秘書、そして政冶家を志すと激戦区の東京2区から立候補して落選、次の選挙で初当選と、紆余曲折、試行錯誤の限りと言っていいほどの経歴だ。
 初当選以来ずっと自民党にいたわけではない。
 人生の修羅場、土壇場を、自分の腕と判断だけで、新井将敬は何度も凌ぎ切って、議員バッジを胸につけていた。
 日興證券に足を引っ張られて、金融疑獄のスケープゴート、トカゲの尻尾切りにされたこの事件も、たとえ有罪でも判決にはほぼ必ず執行猶予がつく。
 もしつかなくても求刑は懲役二年以内で、判決は実刑一年だったら高過ぎるくらいだ。
 暗黒街では量刑の多少を「重い・軽い」と言わずに「高い・安い」という。
 私は普通の言葉だとそんなことはないのだが、こんなことに限ってつい昔の特殊な言葉や印象を遣ってしまうのだ。
 このくらいのことで閉口垂(へこた)れる新井将敬なら、政治家になんか成らずに、今頃は慶応病院の医師になっている。
 精神的に異常なタフで、心臓と顔に厚い苔の生えているハッキリ言って恥知らずでなければ、日本の国会議員は四期なんかとても務まりはしない。
 それに新井将敬には、他の野卑な国会議員にはない強烈なダンディズムが、深く潜在していたのを、呑み仲間の私は知っている。
 百歩譲って死ぬにしても、ホテルの部屋で、自分が失禁した汚物を垂れ流して不様に縊(くび)れ死ぬなんて、そんな手段を新井将敬が採るわけがない。
 新井将敬は、肉のしっかりついた体格のいい男だ。
 首を吊って死のうと思った時に、ホテルの浴衣の紐を、空調機の吹き出し孔の羽根にかけたりなんかするものか。
 昔から首吊り自殺をしようとする者は、自分の体重を確実に支える枝振りのいい松を選ぶと決っている。
 椅子かベッドの上に立って、誰があんな浴衣の紐と、吹き出し孔の羽根が、八十キロほどの体重が一瞬、グンッとかかる衝撃に耐えるなんて、思うものか。
 私は昭和三十一年に目黒区のお寺の植込みの中で、松の枝から吊り下っていた男を、救けようとしたことがある。
 直径が十ミリほどの細いロープだったが、晴れた月夜の晩なのに水で湿らせてあった。
 私は汚物でグズグズになっていた首吊りの下半身を、下から抱えあげて、せめて張ったロープをゆるめて首を楽にしようとしたのだが、そうしたのが精一杯で、一緒に散歩していた女も、ロープの結び目には手がか届かなかったし解けない。
 仕方がないので、懐に入れていた匕口(あいくち)を女に取らせると、見つけて来させたリンゴ箱
の上に登らせて、それで私が懸命に支えていた首吊りのロープを、スパッと……ではなくゴシゴシ切ってもらったのだ。
 首吊りをしたロープは、体重が掛かって固く締まるから、指が届いてもまず解けるものではないと、私はこの時の経験で知っている。
 私はこの原稿を書く前に、お願いして真理子夫人と当時の秘書だった大山義満氏に会って、話をうかがったのだ。
 夫人はホテルの部屋に入って、吊り下っていた新井将敬に仰天するとホテルの中にいた運転手を呼んだのだという。
 もし空調機の吹き出し孔の羽根に、浴衣の紐を通して首を吊っていたのなら、どうして夫人と運転手はふたりきりで、遺体が降ろせてベッドの上に安置できたのか。
 午後三時頃、ホテルに駆けつけた亀井静香・平沼赴夫両代議士の言では、新井将敬の遺体はベッドの上に安置されていて、とても安らかな顔だったと、これは真理子夫人と大山秘書も同じことを語っている。
 そもそも私は、最初に部屋に入った夫人と、それに運転手に話を訊きたかったのだ。
 夫人にお目に掛かる前に、その希望は伝えてあったから、私は大山秘書を運転手だとばかり思っていて、途中で違うことを知って鼻白む。
 なぜ夫人は私が望んだ運転手を連れて来なかったのだろう。
 首吊り自殺は糞尿を垂れ流すので、密閉されたホテルの部屋でやったら耐えられない臭いの筈なのに、この事に関しては、不思議なことに誰も何も語ってはいない。
 夫人と運転手は発見してから、代議士ふたりが飛んで来る迄の約二時間に、事務所にいた秘書たちやホテルの者も呼ばずに、ふたりだけで遺体を降ろして拭き清めたというのは、何故か。
 夫人が動顛していたのは当り前で、その時の記憶が定かではないのも、私は責めたり
はしない。
 この状態で死亡した遺体を、洗い清める……、少なくとも、他人が見られるようにするのには、かなりの量のタオルがいる。
 とてもホテルの部屋にあったタオルやティッシュペーパーぐらいでは、どうにもならない。
 平沼代議士や夫人、それに秘書の話では、吹き出し孔からは浴衣の紐が、ダラリと下ったままだったという。
 もし新井将敬がそんな状態で総死ー風いたのだとしたら、浴衣の紐をどうやって解いたのだろう。
 こんな肝心なことを、夫人に訊きそびれた私は馬鹿たれで、新聞記者だったらクビになっていたかもしれない。
 狂言ではなく本当に自殺しようと思った者の心理状態と、新井将敬の状態が違うことに私は気がつく。
 本当に死のうと決めた者は、やり損う、仕損じることを恐れるのだ。
 だから首を吊ろうと決めた者は、まず、細くても丈夫な紐を選んで、周到な者は水で湿すと、次には枝振りのいい松か、頑丈な梁を探すと決っている。
 そうしなければ、自分の体重で紐が切れたりほどけたり、枝が折れて失敗するからだ。
 誰が丈夫とは見えない浴衣の紐を、頼りない空調の吹き出し孔の羽根に通して、首を吊ったりするものか。
 縊死する男の心理を無視している。
 ホテルの中でも、確実に、しかも苦しまずに死ねる手段は他にいくらでもあるし、新井将敬は衝動的に何でもやってしまうような、そんな女子大生のような男ではない。
 ホテルの部屋の中には、クシャッと潰したビールの缶と、それにウイスキーのミニチュアボトルが、十本ほど空になって床に散らばっていた。
 このミニチュアボトルに関して、夫人は全く違うことを警察とマスコミに語っている。
 直後の高輪署では、「新井はビールは呑んでいたが、ミニチュアボトルは呑まなかった」と、言っているのだが、後に週刊誌のインタビューで、
「ビールを呑んでから、ストレートでグイグイ、ミニチュアボトルを呑んだので……」
 心配だったと、新井将敬の失意の故の自殺を、補強するようなことを語っているのが、私には腑に落ちない。
 それになぜ、変死に間違いはないのに、司法解剖が行われなかったのだろう。
 マスコミは、夫人の強い要望に応えて、亀井静香代議士が、高輪署に申し人れたからだと、揃って報じている。
 この原稿の取材でインタビューに応じてくれた元秘書の大山義満氏は、
「あの時、解剖をしないでくれと、警察に申し出たのは自分です」
 夫人でもなければ、亀井静香代議士でもない……と、言い放ったのだ。
 驚いて、「なぜ……」と眩いた私に、大山氏は、一刻も早く新井将敬を自宅に帰してやりたかった……と言ったのだが、この話は分かったようで分からない。
 あの金融疑獄の最中に、突然、逮捕された総会屋からみの書類の中から、利益供与の証拠が出たとして、日興證券の社長や役員に裏切られた挙げ句、逮捕寸前にまで追い込まれた新井将敬は、誰が見てもトカゲの尻尾切りに選ばれた無残なスケープゴートだ。
 変死したのを司法解剖しておかなければ、必ず後日、いろいろな憶測が囁かれることになるのだから、秘書たる者はたとえ夫人が強く要望しようとも、ここは敢えて筋を通すべきだと、私は思う。
 こんな場面で、一刻も早く家に……と、センチメンタルなことを言っても、私には頷き兼ねる。
 たとえば……の話だが、ここで変死の時に通常行う司法解剖をしておけば、私もここで採りあげなかったかもしれない。
 動顛した夫人は、ホテルの部屋で変わり果てた夫を発見すると、警察にもホテルのマネジャーにも、秘書たちにさえ連絡せずに、亀井静香代議士に電話をした。
 高輪署はマスコミに、死亡推定時刻は午後一時頃……と、言っているのだから、夫人が発見した時は、生々しい言葉を敢えて使うが、まだ生温かかった筈だ。
 紐を外してベッドに横たえてから、電話するのは、一一九番か、そうでもなければ一一〇番の筈で、出戻りの新井将敬を自民党に迎え入れてくれた代議士ではないと、私は思う。
 死亡してからいくらも経っていなかったのに、夫人や運転手は、なぜ専門家に頼んで蘇生を試みようと思わなかったのか。
 中尾栄一代議士の事務所に居て、夫人からの電話を受けた亀井静香代議士は、居合わせた同じ三塚派の平沼赴夫代議士と共に、ホテルに急行する。
 着いたのは三時頃だったが、この時の状況を亀井静香氏は、マスコミに、
「俺たちは高輪署の署長と一緒に、ホテルの部屋に入った」
 と、最初に語って新聞記者に追及されると、
「署長と言ったのは勘違いで、高輪署の保安課長だった。いずれにしても『空白の二時間』などと、いい加減なことを言ってもらいたくない」
 なんて言ったのが、事件の裏にある黒い事情を、国民に推測させ嗅がせてしまったのだ。
 高輪署はマスコミの取材に困惑して、
「高輪署には、保安課長という役職はない」
 と、答えている。
 ここまで私は、新井将敬の経歴と性格、それに官界と政界を揺さ振り慌てさせた金融疑獄と大藏不祥事、トカゲの尻尾切りのスケープゴートにされて、逮捕寸前だった事情を書いた。
 利権を漁って汚い金を懐に人れ、更に利益供与で票と金を得るのは、自民党の御家芸だということは日本国民が、共通して認識していることだ。
 しかし、資料の当時の新聞を読んだ私は、肝心なことが書かれていないことを知って溜息をつく。これなら夫人に、浴衣の紐をどうやって解いたか聞き漏らしたドジな私でも、クビになんかなるものか。
 調べて書かずに、警察や政府・自民党の垂れ流すことを書く大新聞は、マスコミという名に値しない。
 なぜ新井将敬が、スケープゴートに撰ばれてしまったのか。
 一応は三塚派に属していたと言っても、新井将敬は渡辺派からも嫌われていた「出戻り」だ。
 それに大蔵省出身のはぐれ者は、自民党では珍しいので、大蔵大不祥事を終息させるためのトカゲの尻尾には一番いい。
 親分の三塚とは縁も薄いし、それに亀井静香氏には、後でどうにでも話がつくと、犠牲者に新井将敬を撰んだ者は思った。
 この男は、いわゆるエリートだったので、厳しい出自からのし上って来た新井将敬の性根というか、ド根性を計り間違えて、安易に撰んでしまったのだと私は思っている。

 これからが私の推論になる。
 私の知っている新井将敬は、頭がよくて渋太(しぶと)い政治家だ。
 逮捕されて法廷に引き擦り出されても、他のヤワな二世代議士や役人あがりのように、落ち込んだりもしなければ、政治生命を喪うなんて発想もない。
 発想と理念が、新井将敬は他のぼんくら共とは、全く違っていたことを私は知っている。
 それに新井将敬の持っていた美学やモダニズムと、それに見栄や気取りは、たとえ自殺するとしても、あの無残な首吊りは決して撰ばない。
 大望を抱いていた五十歳の政治家は、殺されたのだ。
 実行犯は、三人でも可能だが私は四人だったと思っている。
 そのホテルが新井将敬の常宿だと知っていて、何日か前から実行犯はツインルームを二部屋、取っていたのに違いない。
 その部屋で実行犯たちは、浴衣の紐と、それに空調の吹き出し孔の羽根が、八十キロ以上の重量に耐えるかどうかを、事前にテストした筈だ。
 四入の実行犯は、白人や黒人、それにひと目で外国人だと分かる男たちではなくて、ほぼ日本人だったと私は思う。
 外国人であれば、部屋に押し入って新井将敬を制圧したら、次にすることは両手と両足を、肌を傷つけない細く切ったタオルか、あるいはメリヤス編みの包帯で縛って、鼻を摘んで口を開かせる。
 こうすると、された男は苦しいから嫌でも口を開く。
 そこにミニチュアボトルのウイスキーを、喉の奥に注ぎ込むのだ。
 むせても、どうせ殺してしまうのだから構わない。
 殺し屋は非情でなければ仕事にならない。
 ウイスキーと一緒に、強力な睡眠薬も呑ませる。
 そして正体がなくなった新井将敬を、バスルームまで運んで、水を張ったバスタブの中に三分間、頭を押さえつければ仕事は終りだ。
 睡ろうとして泥酔した逮捕直前の新井将敬は、誤って着衣のまま浴槽に倒れ込み、溺死した……、ということになる。
 しかし実行犯が日本人だと、自殺イコール首吊り、という固定観念が潜在しているので、もっとずっと手の込んだことをするのだ。
 自殺しようとした者がベッドに置いた不安定な椅子の上で、あの空調の吹き出し孔の羽根に、浴衣の紐を通すのだって、嫌になるほど根気の要る作業だということが、試してみれば誰にでも分る。
 ホテルの部屋に押し入るのは、そんなに面倒なことではない。
 四人の実行犯のうちひとりが女であれば、用心深い新井将敬でもチェーンを外して、ドアを開けるだろう。
 特にその女が新井将敬のよく知っている人なら、チェーンを外す可能性は高くなる。
 ホテルの部屋やマンションに押し入る時は、チェーンを中にいた奴に外させるのが勝負だ。
 チェーンを掛ける習慣が新井将敬になければ、メイドの持っているマスターキーの、複製を作ればいいし、他にいくらでも部屋に押し入る手はあるのだ。
 乱入した四人の実行犯は、新井将敬を難なく制圧して、締め殺すまでに、ウイスキーを注ぎ込む時間まで入れても、十五分は掛からなかったのに違いない。
 遺体を実行犯が、本当に吹き出し孔に浴衣の紐で吊るしたかどうか、私は今でもこの原稿を書きながら、首を捻っている。
 吊していたら、部屋の中は大変な臭いになっていた筈だが、誰もそんなことは証言していない。
 その時、亀井静香代議士と共に、現場のホテルの部屋に飛んで行った、平沼赳夫代議士は、私の中学の後輩だ.
 麻布中学出身の政治家を応援する「麻立会(まりゅうかい)」という会がある。
 会員のひとりで中学の頃、タッチフットボール部だった川崎電気の村上勇二君が、平沼代議士と親しいので、私は電話取材の口利きをお願いした。
 当時、通産大臣の要職にあった平沼代議士が嫌な声ひとつ出さずに電話に出てくれたのが、私は嬉しい。
 平沼代議士と亀井代議士が行くまでは、真理子夫人の言う限りにおいては誰も、ホテルの部屋には入っていない。
 夫人と運転手と、それに新井将敬の遺体だけだ。
 僕は電話に出た通産大臣に、他のことはほとんど訊かずに、
「入ったホテルの部屋は、かなりな臭いだったでしょう……」
 と、一番知りたかったことを訊いた。
「いいえ、そんな臭いはしなかったですよ。僕と亀井さんがホテルの部屋に入って行った時には、新井さんの遺体はベッドの上で、シーツが首までかけられていました」
 通産大臣はそう答えてくれたので、お礼を言って私は電話を切った。
 僅か二時間足らずの間に、夫人と運転手は吹き出し孔からぶら下っていた新井将敬を、浴衣の紐を解くか切断せずに下に降ろして、更に垂れ流していた汚物を拭き、凄かったのに違いない臭いも、なんとかしたというのか。
 誰が実行犯に、命令したのか……。
 一番疑われたのは亀井静香氏だが、それは最初に本当ではないことを言ってしまったからで、私は、ただ驚いて飛んで行っただけだと思う。
 亀井静香氏は警察官僚のエリート出身だ。
 調べることに慣れている人物は、逆に追及される立場になると、頭に浮んだことを考えずに、そのまま口にしてしまうことがよくある。
 警察官は本来、捕えて白状させる人で、追及される人ではない。
 何か隠さなければならないことがある時は、追及されたり痛い所を突かれると慌ててしまうのだ。
 夫人から電話を受けた亀井静香氏が、取るものも取り敢えずホテルの部屋に急行したのは、新井将敬が何か他人の目に触れてはまずいものを、残していなかったか……と、心配したからに違いないと私は思っている。
 何しろ大蔵大不祥事の真っ只中で、死んだ新井将敬はスケープゴートにされて、恨みを残していたのだから、どんな証拠や書き置きが残されていても不思議はない。
 亀井静香氏の心配していたものが、あったかどうか、警察やマスコミに知られる以前に処理されたのかは、今となっては私に知る手段はない。
 実行犯に命令したのは、亀井静香氏とその周辺の人物ではなく、別のルートだと私は推測する。
 亀井静香氏だったら、発見した夫人が電話をして来た時に、中尾栄一代議士の事務所に同じ派の平沼赳夫代議士と、一緒になんかいたわけがない。
 急行したということは、思いがけない事態で、不安だったからだ。
 命令した者であれば、意外でもないし、不安だったことは既に処理されている筈だから、慌てて飛んで行く必要は何もない。
 その人物がスケープゴートに安易に選んだ新井将敬は、思ってもいなかったほど、渋太く強気で、議院運営委員会でも日興證券幹部との録音テープを証拠に、堂々と無実を唱えたから、法廷でこれをやられたら大変なことになると、震えたのだ。
 起訴されて有罪判決を喰らえば、政治生命を断たれて黙って消えて行くような男ではないと知って、震えたその男は、とんでもない相手を、スケープゴートに選んでしまったと判断の甘さを悔んだ筈だ。
 現代の日本の政治の中枢にある者は、背広を着てネクタイを締めた鬼だ。日本の、長い歴史を溯っても、これほど非情に人の命を奪った権力者はいない。
 現代の日本には、無残に殺された者の恨みが満ち満ちている。
 私は納得しかねる怪死事件を調べ直して、自分の推論を求める原稿を書いているが、こんな推論なんかしなくてもいい日本にしたいと、大きな溜息をついた。

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■■ここで引用おわり■■


1999(平成11)年
中島洋次郎 衆自民  飛行艇汚職、公選法違反事件。

【証券取引法違反事件・1999年】 新井将敬(自民) 証券取引法違反 逮捕直前に自殺

2000(平成12)年
建設汚職―中尾英一衆自民  受託収賄で議員辞職。
秘書給与詐取事件―山本譲司衆が詐欺等で逮捕。

【公職選挙法違反事件・2000年】 小野寺五典(自民) 公職選挙法違反(寄付行為の禁止) 有罪確定

【公職選挙法違反事件・2000年】 飯島忠義(自民) 公職選挙法違反(事後買収) 有罪確定


2001(平成13)年
KSD汚職―小山孝雄(自民) 参議院が受託収賄で逮捕、村上正邦参議院が受託収賄で議員辞職。

【やまりん事件&島田建設事件・2002年】
鈴木宗男(自民) あっせん収賄、受託収賄 1審中

【政治資金規正法違反事件&詐欺事件・2003年】
坂井隆憲(自民) 政治資金規正法違反、詐欺 1審中

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リクルート事件の概要

リクルート事件とは、

1988年(昭和63)6月の『朝日新聞』横浜支局のスクープ記事から発覚した戦後最大級の構造汚職疑惑で、問題の多い日本の株式市場のゆがみを利用して政・財・官界など特権階級の人々の金儲け主義(錬金術)が白日の下にさらされた。

事件の発端は、川崎市テクノピア地区へのリクルート社進出にからみ、同市助役へのリクルート社の子会社であるファーストファイナンス社の未公開株融資付き売買疑惑であったが、まもなく、リクルート・コスモス株の疑惑譲渡先として元閣僚を含む76人が発覚、さらには、コスモス社の松原社長室長から、この事件追及をすすめていた社会党(当時)楢崎弥之助議員に500万円の贈賄工作があったとの代議士自らの告発という事態に発展。この模様はテレビで放映され、世論は沸騰した。

88(昭和63)年10月東京地検特捜部は、リクルート社などを強制捜査、松原室長を贈賄容疑で逮捕。翌89(平成元)年2月にはリクルート社江副浩正前会長ら2名を贈賄容疑で、日本最大の企業NTT式場、長谷川の両元取締役を収賄容疑でそれぞれ逮捕、3月にはNTT会長真藤恒(ひさし)、元労働次官加藤孝、元労働省課長鹿野、前文部次官高石邦男らを各収賄容疑で逮捕、5月には第2次中曽根内閣の官房長宮であった藤波孝生(たかお)代議士と池田克也公明党代議士らを受託取賄容疑で在宅のまま取り調ベを行った。

疑惑が持たれた高級官僚や閣僚たちは、「妻が株をもらった。私は知らない。」とか「家族がもらった、秘書がもらった。」と釈明、当時「妻が、妻が…。秘書が、秘書が…」という言葉が小学生の間にまで流行した。

こうして事件は元閣僚、元代議士、事務次官2名、NTT元会長らをリクルートコスモス社未公開株収受による収賄容疑で起訴及び宮沢大蔵大臣辞任、竹下内閣崩壊というスケールに拡大。

特に、疑惑のコスモス株を秘書または家族名義を含めて9人の閣僚級政治家が密室の財テク的収受をしていた政府自民党幹部、中でも中曾根前内閣中枢に強い疑惑が集中した。当然、国会の証人喚問などでも追及されたが、多くの「灰色高官」たちの立件は行われないまま、事件は幕引きとなり、結局、戦後の他の大疑獄同様、核心の解明なしで終結、国民の間には、「政治不信」だけが残こることとなった。

 

リクルート事件経過表(肩書は当時)

83・12

藤波孝生被告が第2次中曽根内閣の官房長官に就任

84・ 1

日経連専務理事(当時)が就職協定無用論を打ち出す

    3

各省庁の人事担当者会議で就職協定順守を申し合わせ

86・ 9

リクルート側が藤波被告にリクルートコスモス株を譲渡

   10

コスモス株店頭公開

88・ 6

小松秀煕・川崎市助役への株譲渡が発覚

中曽根康弘前首相、竹下登首相、宮沢喜一蔵相ら側に株が譲渡されていたことが発覚

社会党楢崎弥之助代議士が、松原弘・リクルートコスモス社長室長からの贈賄申し込みを公表

   10

藤波被告へのコスモス株譲渡が発覚

   10

真藤恒・NTT会長、高石邦男・前文部事務次官ら側への 株譲渡が発覚

   12

宮沢蔵相が辞任

89・ 2

東京地検特捜部、リ社前会長江副浩正被告をNTT法違反(贈賄)容疑で逮捕

    2

鹿野茂・元労働省課長を逮捕

    3

真藤前会長逮捕

    3

加藤元次官、辰已雅朗・リクルート元社長室長を逮捕

    3

高石前次官逮捕

    4

竹下登氏が首相退陣表明

    4

竹下首相の元秘書、青木伊平氏が自殺

    5

特捜部、藤波被告と池田克也元衆院議員を受託収賄罪で在宅起訴

    5

東京地検、宮沢前蔵相の秘書ら4人を政治資金規正法違反で略式起訴

   12

東京地裁で政界ルート初公判。藤波、江副両被告が無罪を主張

94・ 9

藤波被告に無罪判決、検察側が控訴

   12

東京地裁で池田元議員に有罪判決⇒確定

96・ 6

東京高裁で藤波被告の控訴審初公判

97・ 3

藤波被告の控訴審で逆転有罪判決、被告側上告

99・10

最高裁が藤波被告側の上告を棄却⇒有罪確定

02・ 3

東京地裁での公判で、検察側は、「企業利益追求のため、わいろ提供を通して国政や公共的事業を私物化しようとし、国民の信頼を著しく失墜させた」と指摘し、「被告は贈賄の首謀者で事件の元凶。刑事責任は極めて重い」として元リ社会長江副浩正被告(65)に懲役4年を求刑した(3月29日

 

リクルート関係の裁判状況

▼政界ルート

藤波孝生・元官房長官;1審・無罪⇒2審・懲役3年、執行猶予4年=上告棄却・有罪確定

池田克哉・元衆院議員;1審・懲役3年、執行猶予4年=確定

▼文部省ルート

高石邦男・元文部事務次官;1審・懲役2年、執行猶予3年⇒2審・懲役2年6月、執行猶予4年=上告中

▼労働省ルート

加藤孝・元労働事務次官;1審・懲役2年、執行猶予3年=確定

鹿野茂・元労働省課長 ;1審・懲役1年、執行猶予3年=確定

▼NTTルート

真藤恒・元NTT会長;1審・懲役2年、執行猶予3年=確定

長谷川寿彦・元取締役;1審・懲役2年、執行猶予3年=確定

式場英・元取締役(故人);1審・懲役1年6月、執行猶予3年=確定

小林宏・元ファーストファイナンス社長;1審・懲役1年、執行猶予2年(贈賄)=確定

▼リクルート社

江副浩正・元リクルート社会長⇒1審公判中(懲役4年を求刑−02年3月29日)

辰巳雅朗・元社長室長;1審・無罪⇒2審・懲役1年、執行猶予3年=上告中

小野敏広・元秘書室長; 1審・懲役2年、執行猶予3年=確定

      「リクルート事件にかかわる検察捜査の総費用は合計1億5000万円(人件費を除く)」(法務省根来刑事局長の参院法務委員会での発言)

      なお、リクルート事件と規模や内容面でしばしば比較される1976(昭和51)年に発覚したロッキード事件の場合は1億7000万円。

      費用面では、リクルート事件の方がロッキード事件を下回ったが、両事件発覚時の物価水準を考慮すると、2000万円の差は逆転し、さらに開くことになる。

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リクルート事件最終報告

藤波被告控訴審判決要旨

企業・団体献金

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目次

法学―目次

時事問題のページ

3月05日 2:37

リクルート裁判:
事件から14年 政界の金権体質変わらず


 江副浩正被告に4日有罪判決が出たリクルート事件は、政財界にまたがる構造的な金権体質をあぶり出し、当時の竹下登政権を退陣に追い込むなど、その後の政治改革論議のきっかけになった。しかし、その後も東京佐川急便事件、ゼネコン汚職、KSD事件など「政治とカネ」の問題は絶え間なく続き、江副被告一審判決と同じ4日には自民党の坂井隆憲衆院議員の政策秘書が政治献金を不正処理していた疑いで逮捕された。リクルート事件から14年。政界の自浄能力の欠如は、今なお変わっていない。

 「リクルート事件から今日までいろんなカネにまつわる問題が続いている。しっかりそのことを受け止め、反省しながらやっていきたい」

 自民党の青木幹雄参院幹事長は4日の記者会見で、江副被告有罪判決の感想を語った。青木氏が秘書を務めた故竹下元首相は、故青木伊平元秘書らがリ社の未公開株(1万2千株)を受け取っていたことが引き金となって89年4月に退陣表明に追い込まれた。自民党は同年7月参院選で大敗。さらに92年に発覚した東京佐川急便事件をきっかけに竹下派(当時)が分裂し、93年には一時野党へと転落した。リ事件によって政界再編、連立政治の幕は開いた。

 94年には衆院の小選挙区制が導入され、95年1月から政党助成金制度がスタート。99年12月の政治資金法改正では、政治家個人への企業・団体献金が廃止された。

 しかし、カネのかからない政治の実現にはほど遠かった。中村喜四郎元建設相(94年・ゼネコン汚職事件)、中尾栄一元建設相(00年・旧建設省発注工事事件)、村上正邦元労相(01年・KSD事件)、鈴木宗男元官房副長官(02年・北方四島支援事業事件)と、自民党の実力議員が次々と逮捕された。今年も大島理森農相元秘書の口利き疑惑や、自民党長崎県連の違法献金事件が政権党を揺さぶっている。

 坂井議員の秘書逮捕が江副被告判決と重なったのは象徴的だ。未公開株を媒介にした「濡れ手で粟」に代わって、カネ作りの方法もさまざまになり、構造的体質にはほとんど変化がない。福田康夫官房長官は4日の記者会見で、坂井議員の秘書の事件について「また秘書にまつわることで、極めて遺憾に思う。政治全体の中でどうすべきかを考えていかなければならない」と語った。

 小泉純一郎首相は昨年来、公共事業受注企業からの献金制限を訴えているが、与党側は「企業献金は悪ではない」と及び腰だ。リクルート事件の風化とともに、金権体質を改善しようという意欲も失われている。

   【小林雄志】

[毎日新聞3月5日] ( 2003-03-05-02:35 )


政治資金規正法違反容疑で坂井衆院議員を逮捕 東京地検

 資金管理団体の不正経理事件で、東京地検特捜部は7日午後、衆院議員の坂井隆憲容疑者(55)=佐賀1区=を政治資金規正法違反(虚偽記入)容疑で逮捕した。同日午後1時からの衆院本会議で逮捕許諾が全会一致で議決されたことを受け、東京地裁が逮捕状を発付した。政策秘書らの逮捕で始まった事件は、そのわずか3日後に議員本人が逮捕されるスピード捜査となった。

 国会議員の逮捕は、02年6月にあっせん収賄容疑での衆院の逮捕許諾を受けた鈴木宗男・衆院議員(55)以来。調べによると、坂井議員は、資金管理団体「隆盛会」の事実上の会計責任者だった塩野谷晶(あき)(38)と元公設第2秘書の中山求(51)の両容疑者に指示し、01年までの5年間に、人材派遣会社「日本マンパワー」などから受けた約1億2000万円の献金を政治資金収支報告書に記載しなかった疑い。

 このほかにも裏献金があり、総額は2億円近くになる見通し。00年以降の献金については、資金管理団体が禁止されている企業・団体献金を受けた点も、同法違反の容疑が持たれている。



















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