444−24 | 「平成三日天下人士・鈴木宗男騒動」考 |
2002.3月の政界に漫才になりそうな出来事が起こった。主人公は自民党の次期実力者として注目株の鈴木宗男代議士(以下、宗男と云う)である。宗男は、小泉内閣樹立に最大の功の有った田中真紀子(以下、真紀子と云う)が外相に任命されて以降、ことごとく真紀子に楯突いて名を馳せた人士である。真紀子は、小泉首相が掲げた社会全域への構造改革推進すべし論を信じ、他のどの閣僚よりも早く担当省の内部改革に着手した。ところが、官僚の抵抗が強く、就任当初よりゴタゴタ続きで暗礁に乗り上げた。この背後勢力に官僚と結託した官邸官房長官福田、及びこれに同調する小泉首相自身の「スカート踏みつけ」があったことは後日判明する。 問題は、この間の宗男の働きである。官僚−官邸連合の意を受け、最も果敢に対真紀子批判を展開し、東京で開催されたアフガン復興会議でのNGO参加問題での遣り取りで、遂に真紀子を辞任に追い込んだ。その当夜、宗男と外務官僚が祝杯を挙げたことが判明している。さて、これからが漫才である。以降「三日間」ほどというもの、宗男は真紀子の首を取った実力者としてその名を欲しいままに轟かせた。ところがだ、「平成三日天下」直後、今度は自身に超ど級の引き摺り下ろし策動がお見舞いされ、その直下型脳震盪威力は今なお余震を続かせている。 お笑いなのは、真紀子放逐後は宗男も邪魔だとばかりに外務官僚と官邸が策動し始め、宗男は自身何が起こり始めたのか本人が分からないままに国会に喚問され、与野党から砲撃されたことである。決定打として過去の行状を暴いた外務省情報がリークされ続け、これを元にして共産党、民主党が追い詰めていった。遂に宗男は離党を余儀なくされた。宗男にとって離党は、ほぼ再選の道が閉ざされた死の宣告に等しい。だがしかし、徹底解明を求める官邸-与野党連合の追撃は厳しく目下、議員辞職騒動の渦中にある。 この一連の経過は真面目に追跡するのがアホらしい漫才の格好教材である。しかしてそれは、我が政界の今日的水準でもあり、そういう意味で本章をここに設け考証してみることにする。 |
鈴木宗男衆院議員(自民党を離党)の議員辞職問題をめぐり、鈴木氏が所属していた自民党橋本派の野中広務元幹事長ら幹部が7日に鈴木氏と会談し、対応を協議していたことが8日明らかになった。鈴木氏は「辞職する理由はない。身の潔白を晴らしたい」との強い意思を表明した模様だ。国会で議員辞職勧告決議案が可決されても、辞職しない意向とみられる。
会談内容は党執行部にも伝えられた。複数の与党幹部は8日、毎日新聞の取材に対し「決議案が可決されても辞めないだろう」との見方を示した。与党は、辞職を拒否されると分かっていても決議案採決に踏み切るかどうか判断を迫られる。
複数の与党関係者によると、野中氏らは鈴木氏の辞職問題が長引けば、国会審議に影響を与えかねないことを憂慮し、鈴木氏の意向を確認する形で、事態収拾に向けた説得を試みたという。
これに対し、鈴木氏は「自分も、逮捕された公設秘書の宮野明容疑者も違法行為はない」と強調した模様だ。野中氏らは「議員が他の議員に辞職を勧めることはすべきではない」との立場を取っており、鈴木氏の意思が確認できた以上、それを尊重するしかないとの結論に達したようだ。
野中氏は8日、記者団に「(鈴木氏の進退について)私たちは言う立場にはない」と述べ、努力は尽くしたとの考えを示した。また、別の同派有力幹部は同日、記者団に「鈴木氏の進退問題は、一番近い(からといって)野中氏がやることじゃない。党執行部がやるべきだ」と指摘。「週内に決着がつくかつかないかだ」と語った。
[毎日新聞5月9日] ( 2002-05-09-03:01 )
鈴木宗男議員事件
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