ソ連、中共からの秘密資金考

[JCP−Watch!]掲示板【終戦直後の共産党について(たっちゃん(】より抜粋

【時事通信社が発行している「Jiji Top Confidential」誌の2002年1月22日号からの転載】
名越健郎の20世紀アーカイブス(24)秘密資金援助中国が日本共産党に2200万(アレンジ-れんだいこ)

○、米中央情報局(CIA)の野坂取り込みの様子

 一九五○年代に東京に駐在した米中央情報局(CIA)の要員、故ジョー・キヨナガ氏の夫人、バイナ・キヨナガさんの著書『マイ・スパイ』の中に、CIAが日本共産党の台頭を警戒し、共産党への大掛かりなスパイ工作を行うくだりがある。工作は「サムライ作戦」と呼ばれ、キヨナガ氏のチームが担当した。

「ジョーは日本共産党の幹部二人に的を絞った。彼らは特別な人物だった。中国北部の延安で毛沢東の下で訓練を受け、戦後日本に帰還した。一人は共産党の全国指導者となり、もう一人はその側近だった。ジョーは彼らをCIAのセーフハウス(隠れ家)に招いて秘密の接触や会談を行った。そこでは食事や酒も出され、ジョーは日本語で話した。通訳なしで話すことが相手の信用を得る上で重要になる。何度も秘密接触を重ねたあと、ジョーは二人に、協力してくれますかと尋ねた。すると、一人がもう一人に、「こんなはずではなかった」とつぷやき、それを聞いたジョーは悔しがった」

 この本は、キヨナガ氏の病床での告白を夫人が二十年後にまとめたもので、細部が不明確な部分もあるが、「延安から戻った共産党の全国指導音」こそ、故野坂参三元共産党名誉議長にほかならない。野坂氏には大戦を挟んで、ソ違、中国、米国の三重スパイだった疑惑があるのだ。

 『マイ・スパイ』では、共産党幹部のリクルート作戦は不調に終わったとされているが、米国立公文書館には、「対米協力」を誓う野坂氏の英文書簡や連合国軍総司令部(GHQ)ヘの情報提供、尋問記録が残されている。米側は戦後、野坂氏を監視する一方で、米国のスパイに仕立てようと画策したもようだ。

 国立公文書館のGHQコーナーで驚かされるのは、日本共産党に関する膨大な文書だ。党機関紙・赤旗の英文翻訳から全国の党組織図や党員リスト、共産党の内部情報に至るまで、大量の監視記録が数百の箱に収められている。東西冷戦が進行する中、米国が日本の「赤化」を恐れ、共産党を徹底的にマークしたことが分かる。

○、野坂と宮顕の同盟関係

 監視作戦の中心となったのは、GHQ参謀第二部(G2)に所属する第四四一防ちょう部隊(CIC〉だった。CICは多数の日本人スパイを共産党に送り込み、動向を探った。監視は五一年の講和条約で日本が独立を回復した後も続いた。例えば、CICが五七年十一月に作成した内部文書「エージェント・リポート」は、「SC4」という内部通報者からの次のような情報を伝えている。

 「五七年十一月一日、野坂参三第一書記は宮本顕治中央委員とプライベートな会談を行い、党議長と党書記局長の選出問題を話し合った。両者は、新しい中央委員会に選出をゆだねるのは予測不可能であり、危険だという認識で一致。中央委の開催前に事前に議長と書記局長の人選を済ませることで合意した。宮本は野坂が議長になるべきだと勧め、野坂は宮本が議長ポストを占めるよう提案した。しかし、両者は互いに儀礼的な行動を取るのは実践的でないとし、志賀義雄中央委員がソ連訪問から戻った後、中央委幹部会を開いて候補を決めることで一致した。

 野坂は席上、もし自分が議長になるなら、宮本の承認を得た上で、西沢隆二か春日正一を書記局長に起用したいとの希望を述べた。宮本は、自分が議長になるなら、野坂が反対しないとの条件で、書記局長には紺野与次郎か袴田里見を起用したいと表明した。両者はソ連のジューコフ元帥の粛清についても話し合った……」

 日本共産党は翌五八年七月の第七回党大会で、「野坂議長、宮本書記長」という人事を決定、この野坂・宮本体制は野坂が名誉議長に退く八二年までほぼ四半世紀続いた。それに先立ち、両者の間でこのような会話が行われていたことは興味深い。それにしても、両幹部のこのような微妙な会話の細部を米側が掌握していたとは驚きである。CICは共産党内部に相当の大物スパイを送り込んでいたとみられる。

○、送金めぐる生々しいやりとりも

 同じ五七年二月五日、「IV602」という情報員がこんな内部情報をCICに伝えた(左上は資料コピー…省略)。
「日本共産党の野坂参三第一書記と春日正一統制委員会委員長の会話を耳にした。内容の中心部分は次の通り。
 野坂 中国共産党から日本円で二千二百万円を二月十七日付で香港の繊維会社の名義に送金する手はずが整ったとの通知を受けた。日本共産党大会の開催経費に使用するのが目的だ。中国側は受領のため、だれかを派遣するよう求めている。この資金は党財務部を通さないようにしたい。
 書日 銀行からオータニを派遺できる。そうすれば、だれにも知られなくて済む」

 この報告は、日系二世とみられるベン・スエチカCIC特別スタッフが作成した。伝聞に基づく間接情報ながら、中国から日本共産党に資金援助が行われていた疑惑がこのような形で公表されたのは初めてだろう。資金援助が実際に実行されたのかなどは明らかでない。

 この文書に出てくる中国共産党からの援助とは恐らく、コミンフォルム(共産党・労働者党情報局)を通じた資金提供とみられる。第三インターナショナルと呼ばれたコミンテルン(国際共産党)が四三年に解散した後、ソ連のスターリン首相は戦後の四七年、その後継機関としてコミンフォルムを設立。冷戦が激化する中、ソ連を盟主とする国際共産主義運動が再編された。その際、各国の共産主義運動を支援する名目で、「ルーマニア労組評議会付属左翼労働組織支緩国際労組基金」と称する秘密機関がブカレストを本部に五○年に創設された。

 この基金の実体は、ソ連公文書によって明らかになっている。それによれば、基金は「海外の左翼政党、労組、大衆組織に資金援助を与える」のが目的で、共産党が政権を握ったソ連、中国、東欧諸国が拠出、西欧やアジア、アフリカなどの共産党や左翼政党に提供された。五○年の基金の規模は二百万ドルで、ソ連が50%、中国が10%、東独、ポーランドなど東欧五力国がそれぞれ8%を負担した。

○、ソ連から25万ドルと記述

 筆者がモスクワで入手した基金のリストによれば、五一年の緩助総額は三百二十三万ドルで、受け入れ先はフランス共産党が百二十万ドルでトップ。日本共産党も基金から十万ドルを受けた。五五年には総額が六百二十四万ドルに増え、受け入れのトップはイタリア共産党。日本共産党も二十五万ドルで六位にランクされている。六三年の援助総額は千五百三十万ドルで、日本共産党の受領額は十五万ドルとなっている。

 この共産圏の秘密基金は、ソ連解体前年の九○年まで維持され、四十年間で五億ドル以上が世界の左翼政党に支払われた。ただし、中国共産党は中ソ対立激化の中で、六○年ごろ秘密基金から脱退。自主独立路線を強めた日本共産党も六三年を最後に受け取っていない。

 しかし、CIC文書に示された五七年当時はまだ中ソ蜜月(みつげつ)時代で、東側陣営は表向き、一枚岩の団結を誇示していた。野坂氏に通報された中国共産党からの送金とは、中国がルーマニアにあった秘密資金本部からの指示に沿って、日本共産党に資金援助を通告した可能性が強い。

 共産党はこの文書に対し、「内容は見ていないが、わが党は外国からどのような形であれ、資金援助を受けたことは一切ない」と強調した。ソ連を通じた秘密資金問題では、日本共産党も独自調査を行い、九三年に志位和夫書記局長名の次のような談話を発表した。「党としてソ連共産党に資金を要請したことはないし、党財政に資金が流入した事実はない。ソ連公文書によれぱ、五五年に二十五万ドルが日本共産党に拠出されたことになっているが、仮にそうした資金の流れがあったとしても、党として要請したり、受け取ったりしたものではない。受け取りの対象となったのは、党に隠れてソ連と内通した野坂参三や袴田里見らであり、それはわが党への干渉、破壊の意図と結ぴ付いている」

 しかし、この談話には具体的な証拠は示されていない。党の最高指導者で、清貧な生活を送っていた野坂氏が、巨額の資金を独り占めしたと考えるのは無理があるといえよう。

○、米ソ冷戦構造を反映

 もっとも、文書によれば、野坂氏は春日氏に対し、「この資金は党財務部を通さないようにしたい」と不審な発言をしている。野坂氏は戦前のコミンテルン活動家時代、同志の山本懸蔵を日本官憲のスパイの疑いがあるとして密告したり、ソ連のスパイに情報提供したりしていたなぞの人物。文書の信ぴょう性と合わせ、真偽不明の部分もある。

 確実に言えることは、米側が五○年代に東側諸国による日本共産党への資金援助を察知し、共産党の勢力拡大と日本の社会主義化を強く憂慮したことだ。CIAはこれに対抗し、自民党への資金提供を含む保守陣営のてこ入れを強化した。東西冷戦が進行する中、日本の左右両政党は、「外国からの政治献金受け入れ禁止」を規定した政治資金規正法に自ら違反していった可能性が強いのである。(了)







(私論.私見)