第56部  1994(平成6)年当時の動き、主なできごと.事件年表

 (最新見直し2006.2.12日)


 1.1日、細川首相、年頭会見で首相私案「21世紀ビジョン」を発表。


 1.1日、メキシコで先住民ゲリラが武装蜂起。


【丸山眞男批判】

 1.1日号赤旗新春インタビュー、1.16日号赤旗日曜版で、東大政治学教授丸山眞男批判論文が掲載され、「丸山理論」への本格的批判キャンペーンが始まった。丸山氏は政治学研究の第一人者として著名であるが、戦前日本共産党の党活動が封殺された負の側面も含め真摯に総括することの必要性をコメントしていた。

 赤旗はこれに噛み付いた。「丸山眞男氏の『戦争責任』論の論理とその陥穽」を発表し、 同氏の論調を次のように批判した。

 概要「丸山理論は日本共産党にも戦争責任があるという主張であり、要するに、日本共産党は侵略戦争をふせぐだけの大きな政治勢力にならなかったのだから負けたのだ、したがって、侵略戦争をふせげなかった責任がある、“負けた軍隊”がなにをいうか、情勢認識その他まちがっていたから負けたんだと、そういう立場なんです。たまたま日本共産党が『50年問題』で混乱している時期に世間を風靡(ふうび)した学説である」。

(私論.私見) 日共党中央の丸山批判について

 批判しやすいように歪曲した上でその主張を批判するという言論人としての資質が問われる批判に終始していることが判明する。

 続いて、「新しい理論的探究――丸山眞男の天皇制史観への反撃」で次のように総括した。

 「その一つが、丸山眞男の天皇制史観の問題です。この丸山眞男・元東大教授の天皇制史観はなかなかこったもので、それを近代政治学として裏づけているものであります。つまり、天皇制は無責任の体系である、責任がとれない体系であるというものです。それだけならともかく、その天皇制に正面から反対した日本共産党にも、実は天皇制の『無責任さ』が転移しているのだというのが、丸山の天皇制史観の特徴であります」。
 「何十年かたちまして、日本の現代論についてみると、党から脱落したりあるいは変節したような連中が、丸山眞男の天皇制論をもってきて、いまだに自分たちの合理化をやっているということがわかりました。革命運動のなかに天皇制的精神構造があるというようなことをいいまして、いろいろな攻撃をくわえてきたわけであります。丸山眞男の一番大きな誤りは、歴史を大局的に見ることができないということです」。

 これに対し、宮地氏の批判は次の通り。

 「宮本氏による歪曲のひどさ」として、「共産党戦犯」論と「政党の政治責任としての戦争責任」論とでは、その意味がまるで異なる。「 侵略国側の戦争責任といった場合、天皇、軍部、財閥等の戦争推進者の戦争責任は絶対的なものであり、それは戦争犯罪に相当するものとして、『戦犯』となります。それ以外の国民、各階層、各政党は、被害者であると同時に、直接間接の加害者となったのであり、侵略国側の国民としての加害責任が全てに問われます。ただしそれは政治責任、結果責任としての『戦争責任』であり、アジアの国々を侵略し、2000万人の死者を出したという加害の責任があるとしても、捕虜虐待等の事例を除いては、『戦犯』という性質のものではありません。 宮本氏は、丸山氏の『共産党の政治責任としての戦争責任』論を、丸山氏の『共産党戦犯』論とする、ひどい歪曲をしているのです」、「宮本氏は、コミンテルン日本支部にとって、1922年結成から1935年壊滅までの13年間、戦争に一貫して反対し、闘ったことが『絶対的免責事由』なのであり、政治責任、結果責任としての戦争責任を問われるいわれは一切ないという立場に立っています。それに対して、丸山氏は、果たしてそう言い切れるのか、天皇の戦争責任と共産党のそれを先験的に除外するという『大多数の国民的通念』は正しいのかという疑問を提起したのです。

 その根拠として、次の二点を挙げています。第一は、戦前の日本共産党が、戦争推進か阻止かという点で、体制か反体制かという点で、天皇制の対極にいた政党であり、『最も能動的な政治的敵手』であったことです。 第二は、前衛政党、即ち前衛党の看板を掲げた政党だったことです。前衛党とは、科学的真理の、世界と日本における唯一の認識者、体現者であり、政治的実践における無謬者であると自己規定してきた政党です。そういう『前衛党』の看板を掲げる以上、戦争突入という結果になったことに対する責任をのがれることはできない。そこから独自の立場での戦争責任を認めるべきではないかという疑問を提起しているのです。天皇の戦争責任が徹底的に追及されず、同時に国民全体、各階層、各政党の戦争責任問題の位置づけを確定するのが弱いことが、日本の政治状況にとって重要な問題となっている。天皇制の対極にいて、かつ上記の規定の前衛党を名乗る日本共産党が『日本共産党だけは一切戦争責任がない』としているのは、それらを追及し、確定していく上での重大な障害の一つになっているという状況認識が、丸山氏の見解の根底にあります。この点については、水田洋名古屋大学名誉教授は、『象、22号』で、『日本共産党は、最近、丸山眞男が四十年近くも前に書いた共産党戦争責任論に、むきになって反論しているが、「敗軍の将」にも、戦争犯罪の主犯たちとはちがった意味で責任があるのは当たり前だし……』と批判しています」。

 更に、「宮本氏の歪曲的規定の根拠となる丸山氏の文献は存在するのか」として、次のように反論している。

 「丸山氏の『共産党戦犯』論」(新春インタビュー)という宮本氏の断定的規定はどの文献を根拠としているのでしょうか。私の調査、検索では、丸山氏によるその用語使用、それを類推させるような言い回し使用は一切ありません。 もしそれが丸山氏のどこかの文献に存在するのであれば、(注)で述べた私の意見は撤回します。その存在をご存知の方は、メールで教えていただけないでしょうか。もしそれがないのであれば、宮本氏および共産党は、『学問の世界での日本共産党の働き』などと『学問』を語る資格はありません。

 1月、羽田孜副総理兼外相が訪中。


 1.5日、参議院政治改革特別委員会で審議再開。


 1.17日、米ロサンゼルスを中心にM6.6の大地震,死者は51人。


 1.19日、与野党若手議員30名が超党派の勉強会「NEW−WIC議員フォーラム」(代表者・北川正恭)を結成。


 1.20日、参議院政治改革特別委員会、政治改革関連4法案修正政府案を可決。1.21日、参議院本会議において、政治改革関連4法案修正政府案を否決(修正政府案を衆議院側に返付)


 1.21日、民間政治臨調、細川首相他、与野党国会議員180名、1800名の一般参加者とともに「日本変革を決意する国民集会」開催(九段会館)。国民集会アピール「変革への決意」ダウンロード


 1.21日、参議院否決を受け連立与党側、憲法59条第3項規定に基づき両院協議会の設置を要請。


 1.26日、両院協議会設置(26、27日と2回開催も合意に至らず)。


 1.27日、民間政治臨調、与野党国会議員170名とともに「政治改革の実現を誓い合う集い」開催。出席した細川首相は「政治改革の実現なしにはこれ以上の景気対策も行政・財政改革も不可能」とし、「政治改革が実現できなければ首相の地位にいささかもこだわるものではない」と発言、河野自民党総裁にトップ会談による決着を要請(ホテル・ニューオータニ)。


 1.28日、土井たか子衆議院議長の斡旋で、細川首相、自民党・河野洋平総裁が会談。政治改革関連法案の修正について合意書を取 り交わし、深夜未明に合意成立に関する両者共同の記者会見。(細川首相、河野自民党総裁合意書 ダウンロード


 1.29日、3回両院協議会開催され、両院協議会成案成立。施行期日削除の上、衆参両院の本会議会において政治改革関連4法案の修正政府案(両院協議会成案)成立させる。


 1.31日、第129回 国会(常会)召集。


 2.3日、細川首相、未明の会見で国民福祉税構想。


 2.10日、大谷忠雄衆議院議員(新生党離党)を所得税法違反と政治資金規正法違反で在宅起訴。


 2月、日米首脳、包括協議で個別分野の交渉決裂。


 2.12日、第17回冬季五輪大会がノルウェーのリレハンメルで開幕。


 2月、鎔基副総理が訪日。日本に対中協力を拡大する「中国ブーム」が出現。


 2.24日、連立与党と自民党の政治改革関連法修正協議で全検討項目合意。


 2月、富士フィルム専務が総会屋対策にからんで刺殺される。


 3.1日、衆議院政治改革に関する調査特別委員会、政治改革関連4法案の一部改正案を委員会提出法律案として提出し衆議院本会議で可決。3.4日、参議院本会議で政治改革関連法の修正法(小選挙区300・比例代表200・並立制・2票制・比例11ブロック制)が成立。


 3月、細川護煕首相訪中、中日環境保護協定に調印。


 3.11日、中村喜四郎前建設相(自民党離党)、ゼネコン汚職事件をめぐる斡旋収賄容疑で逮捕。3.15日、ゼネコン汚職事件(金丸脱税事件を契機に発覚した大手ゼネコンによる政界や地方自治体首長への公共事業を巡る収賄工作)で公正取引委員会に対し談合事件の刑事告発見送りを働きかけた中村喜四郎・前建設相(自民党を離党)をあっせん収賄容疑で起訴(懲役1年6月)。


 3.18日、衆議院予算委員会、細川首相の1億円借り入れ問題で紛糾して審議入り遅れる。


 3月、初の日米安全保障協議委員会(2プラス2)。


 3.29日、小選挙区を主体とした新選挙制度で行われたイタリア総選挙は右派連合が大勝、フォルツァ・イタリアのベルルスコーニ党首が組閣へ。


 4.4日、輸入血液製剤でエイズに感染した血友病患者ら、血友病専門医を告訴する。


 4.5日、細川首相、会食で「もう疲れたから辞めたい」と辞意もらす。


 4.6日、最高裁、箕面忠魂碑訴訟関係の司法修習生1人を7年ぶりに任官拒否する。


 4.8日、細川首相が「法に触れる疑いのある資産運用があった」として突如辞任表明した。


 4.9日、TC総会(日米欧三極委員会総会)が、東京虎ノ門のホテル・オークラで開催された。ディビッド・ロックフェラー、ピーター・ピーターンらTC首脳総勢230名が参加した。その動向をマスコミは報道しなかった。


 4.18日、自民党離党の鹿野道彦らが「新党みらい」を結成。


 4.20日、自民党離党の柿澤弘治らが「自由党」を結成。


 4.25日、細川内閣 総辞職(在任日数は93年8月9日以来260日、戦後6番目の短命となった。本会議の首班指名選挙で羽田孜新生党党首が当選。


 4.25日、新生・日本新・民社・自由・改革の会が会派「改新」を結成。4.26日、社会党が「改新」結成に反発し連立離脱。


 4.26日、南アフリカで初の全人種参加の選挙,アフリカ民族会議のマンデラ議長が,南ア初の黒人大統領に(5.11)。


【羽田孜内閣成立】
 4.28日、羽田孜内閣が成立(「改革と協調」)。細川首相の突然の辞意表明による混迷は、羽田政権誕生によりひとまず収拾した。
 官房長官・熊谷弘。

 5.4日、永野茂門法相が、南京大虐殺は「でっち上げ」と発言して辞任する。


 5月、日米包括協議の客観基準で歩み寄り、再開へ。


 5.6日、英仏海峡トンネル開通式典。


 5.22日、社民連が解散し日本新党に合流。


 5.26日、民間政治臨調「現下の政治情勢に関する緊急提言」。「現下の政治情勢に関する緊急提言」ダウンロード


 6.3日、土井衆院議長、鯨岡副議長諮問の「国会改革に関する私的研究会」が「国会改革への一つの提言」を公表し、議院運営委員会に検討要請「国会改革への一つの提言」ダウンロード


 6.14日、超党派議員有志(自民・社会・新生・公明・日本新・さきがけ・民社・自由・新党みらい)「政治改革推進宣言」署名運動・記者会見・世話人会


 6.16日、超党派議員有志「政治改革推進宣言」発起人総会・署名結果申し入れ。6.21日、超党派議員有志「改革連合」発足総会開催(全日空ホテル)。6.23日、民間政治臨調「政治改革推進・決起集会」(東京プリンスホテル)「政治改革推進・決起集会」アピール ダウンロード


 6月、北朝鮮、国際原子力機関(IAEA)脱退表明。


 6.21日、1ドル100円突破。為替レート設定以来初。


 6.23日、改正公職選挙法成立(参院選挙区改選数を4増4減)。


 6.23日、羽田内閣不信任決議案(自民)提出。6.25日、羽田孜内閣総辞職。在任64日は戦後2番目の短命。


 6.26日、改革連合「声明文」


 6.27日、松本サリン事件。


【村山内閣成立】

 6.29日、衆院本会議で首班指名選挙、決戦投票で村山富市(社会党)氏選出。村山が国会指名により、第81代 内閣総理大臣となる。

 6.30日、村山富市内閣成立(「人にやさしい政治」)内閣成立。在任期間:1994年6月30日〜1995年8月8日。自民・社会・さきがけ三党連立政権。官房長官・五十嵐広三、河野洋平は外相、副総理。

 
第1次 閣僚補任 閣僚補任 (職名) 閣僚補任
閣僚に変更のあった日付
94年06月30日 94年08月14日 95年01月20日 95年02月24日
内閣総理大臣
村山富市 村山富市 村山富市 総理 村山富市
副総理
河野洋平 河野洋平 河野洋平 副総理 河野洋平
法務大臣
前田勲男 前田勲男 前田勲男 法務 前田勲男
外務大臣
(副総理) (副総理) (副総理) 外務 (副総理)
大蔵大臣
武村正義 武村正義 武村正義 大蔵 武村正義
文部大臣
与謝野馨 与謝野馨 与謝野馨 文部 与謝野馨
厚生大臣
井出正一 井出正一 井出正一 厚生 井出正一
農林水産大臣
大河原太一郎 大河原太一郎 大河原太一郎 農林水産 大河原太一郎
通商産業大臣
橋本龍太郎 橋本龍太郎 橋本龍太郎 通商産業 橋本龍太郎
運輸大臣
亀井静香 亀井静香 亀井静香 運輸 亀井静香
郵政大臣
大出俊 大出俊 大出俊 郵政 大出俊
労働大臣
浜本万三 浜本万三 浜本万三 労働 浜本万三
建設大臣
野坂浩賢 野坂浩賢 野坂浩賢 建設 野坂浩賢
自治大臣
野中広務 野中広務 野中広務 自治 野中広務
内閣官房長官
五十嵐広三 五十嵐広三 五十嵐広三 官房長官 五十嵐広三
国家公安委員会委員長
(自治相兼任) (自治相兼任) (自治相兼任) 国家公安 (自治相兼任)
総務庁長官
山口鶴男 山口鶴男 山口鶴男 総務 山口鶴男
北海道開発庁長官
小里貞利 小里貞利 (国土庁長官兼任) 北海道 (国土庁長官兼任)
防衛庁長官
玉沢徳一郎 玉沢徳一郎 玉沢徳一郎 防衛 玉沢徳一郎
経済企画庁長官
高村正彦 高村正彦 高村正彦 経済企画 高村正彦
科学技術庁長官
田中真紀子 田中真紀子 田中真紀子 科学技術 田中真紀子
環境庁長官
桜井新 宮下創平 宮下創平 環境 宮下創平
沖縄開発庁長官
(北開庁長官兼任) (北開庁長官兼任) (国土庁長官兼任) 沖縄 (国土庁長官兼任)
国土庁長官
小澤潔 小澤潔 小澤潔 国土 小澤潔
国務大臣
−−−− −−−− 小里貞利 国務 小里貞利
内閣法制局長官
大出峻郎 大出峻郎 大出峻郎 法制局 大出峻郎
内閣官房副長官(政務)
園田博之 園田博之 園田博之 官房政務 園田博之
内閣官房副長官(事務)
石原信雄 石原信雄 石原信雄 官房事務 古川貞二郎
備考欄
自民・社会・さきがけが社会党委員長・村山富市を統一首班候補として擁立。自社さ連立政権発足。副総理に河野自民党総裁、蔵相に武村さきがけ代表。
『侵略戦争』を否定する発言をした桜井環境庁長官が辞任。環境庁長官に宮下創平を補任。
小里北開庁長官が震災対策担当の無任所国務相に異動。小里国務相が担当していた北開庁長官・沖開庁長官を小澤国土庁長官が兼任。
備考欄
石原官房副長官の後任に古川貞二郎を補任。

1)閣僚が複数の役職兼任する場合などは主に本務とされる役職に閣僚氏名を表記し、
  兼任している役職については(○○大臣兼任)などと記載する。
2)閣僚氏名の赤字は新しく就任した大臣、再任の場合も空白期間がある場合は赤字で表記。
  役職名の赤字は各内閣の期間内に設置された役職名。
3)閣僚氏名の緑字は閣内異動、通常色は留任。
  各内閣一列目の緑字は前内閣から閣内異動、通常色は前内閣からの同役職での留任を表す。
4)役職名・閣僚氏名の薄紫字は国務大臣を必要としない役職。
  ただし、国務大臣が兼任している場合、閣僚氏名は通常色で表記。
5)閣僚氏名の欄に表記されている「×」は役職の設置前または廃止後。
  「−−−−」は欠員をあらわす。


 7.8日、日本人初の女性宇宙飛行士として向井千秋さんがスペース・シャトルに搭乗して宇宙に出発。


 7.8日、北朝鮮、金日成主席(82歳)が心筋こうそくで急死。


 7.18日、第130回 国会(臨時会)―7月22日まで、会期は5日間。

7月18日 第130回国会(臨時会)召集

 7月、国連ルワンダ支援団の緊急増派を要請。


 7.17日、木星への接近を続けていたシューメーカー・レビー第9すい星の破片が次々に衝突。


【「村山首相が社会党政策の大転換発言」】
 7.20日、村山首相、衆院本会議で代表質問に答弁する中で、自衛隊と憲法の関係について、「専守防衛に徹し、自衛の為の最小必要限度の実力組織である自衛隊は憲法の求めるものであると認識する」と述べた。こうして自衛隊合憲を打ち出した。と日米安保体制についても「不可欠」と答弁し、日米安全保障体制を堅持する方針を改めて確認した。日の丸、君が代についても、「国旗、国歌であるとの認識は国民に定着しており、私も尊重したい」とも表明した。

 7.28日、全日空、1995年度からアルバイトのスチュワーデスを導入すると発表。


 7.30日、先の総選挙で過半数割れし野に下った自民党の新総裁選挙が行われ、河野洋平氏が総裁となった。自民党の国会議員と都道府県代表による無記名投票の結果、河野氏が208票、渡辺美智雄氏が159票。自民党史上、初めて総理でない総裁の誕生となった。


 8月、防衛問題懇談会報告書が「多角的安全保障」を提言。


8月11日 衆議院議員選挙区画定審議会、衆議院議員の選挙区画定案を村山首相に勧告

 8.30日、PKO自衛隊第一陣出発。


 8.31日、アイルランド共和軍が英国に無条件,無期限の停戦を宣言。


 旧社会党は結党以来、「自衛隊違憲」論を展開してきたが、94年6月、自民、社会、さきがけ3党の連立政権で村山富市委員長(当時)が首相に就任したことを契機に、同年9月の党大会で「自衛隊は憲法の枠内。日米安保条約は堅持する」と政策を転換。これが現在の党の基本方針になっている。


 9.2日、関西国際空港開港。


 9.14日、住友銀行名古屋支店長が自宅前で射殺。


 9.30日、第131回 国会(臨時会)―12月9日まで、会期は71日間。


 9月、リクルート事件藤波被告に無罪判決、検察側が控訴。


 9月、台湾の除立徳行政院副院長が広島アジア大会出席のため訪日、中国が抗議。

9月30日 第131回国会(臨時会)召集

【下里赤旗記者査問、除名と作家森村誠一氏の日本共産党との絶縁事件】

 党内反宮本派清掃第19弾。1994年10月、「日本の暗黒」赤旗連載の突然中止をめぐって下里赤旗記者他2名の査問、除名と作家森村誠一氏の日本共産党との絶縁が発生した。この時、担当常幹、赤旗編集局長と激論した結果が査問と統制処分であったと云う。下里氏は赤旗記者を解雇され。この経過を公表し除名処分になった。

 「日本の暗黒」赤旗連載の企画は、もともと国会での浜田幸一議員の「小畑査問死事件」に対する質問をテレビで見た作家・森村誠一氏が、「この問題を徹底的に明らかにしたらどうか」と赤旗編集局に進言し、それがきっかけで連載企画が進行したものであった。党の内部で集団的に長時間をかけて検討し、何度もの会議と決済文書を積み重ね、「日本の暗黒」の第一の柱として「スパイ査問事件」を取り上げることが決まり、これを元に、党外作家と赤旗編集局長の合意が成立し、1989年に連載が始まった。

 上級の集団的チェックを受けた原稿によって、多くの読者を獲得して進んでいたものが、いよいよ同事件に筆が進みそうになった直前の1991年6月の時点で、突然中断となった。何の問題もなく、万事順調に進んでいた連載が、なぜ突然中断になったのか。この背後には、宮顕のこの事件に対する徹底した隠蔽体質があるとしか考えられない。


 10.13日、大江健三郎がノーベル賞受賞。


 10月、米・朝が核開発疑惑解消を目指し、枠組み合意。


 11.3日、読売新聞が憲法改正試案発表。


 11月、栄毅仁国家副主席が訪日。


 11.30日、東京高裁、非嫡出子の相続格差規定を再び違憲として平等相続を命ずる

11月  2日 衆議院本会議、区割り法案、連座制強化のための公職選挙法の一部改正案、政党法人格付与法案を可決
11月  5日 公明党、党大会で分党方針決定
11月21日 参議院本会議、上記3法案可決、成立(11月25日公布)

【第20回党大会】

 1994年の第20回大会は、宮顕時代の見解の特に不都合と思える箇所を変更した。主要な改定箇所は次の通りである。綱領面で、61年綱領の従属国規定「わが国は、高度に発達した資本主義国でありながら、アメリカ帝国主義に半ば占領された事実上の従属国である」なる文言を削除し、「国土や軍事などの重要な部分をアメリカ帝国主義ににぎられた事実上の従属国である」と改定した。

 同じく、従来の社会主義国規定「(1)・社会主義をめざす国ぐに、(2)・社会主義をめざす道にふみだした国ぐになる識別」を無意味として削除した。「社会主義国とは、抽象的な概念ではなく、14の“現存した(する)社会主義国”を指し示す歴史的現実的用語である」として単に確認するだけに訂正した更に、「冷戦は崩壊していないキャンペーン」を却下し、概要「冷戦も、抽象的な用語ではなく、第二次大戦末・終了後以来の『米ソ冷戦』という歴史的具体的概念であり、冷戦構造の一方のソ連が崩壊した以上、米ソ冷戦も消滅した」と訂正した。

 更に、丸山真男批判大キャンペーンを抑制する立場へ転換した。これまで党中央は、丸山氏の内在的批判論に対して、「前衛」、「赤旗」、「党大会決定」、「改定綱領」、「日本共産党の七十年」等で13回も丸山批判を行い、過剰なまでの拒絶反応を示したが認識訂正した。

 以上の改訂はともかくも、規約面で除名、除籍問題について改悪した。概要「第十二条、党の綱領あるいは規約を否定するにいたって第一条に定める党員の資格を明白に喪失したと党組織が認めた党員は除籍することができる。特殊な事情のもとでは、地区以上の指導機関は、党員の除籍を決定することができる」と新たな文言を挿入し、党中央、または、党機関が勝手に判定した党員を、所属支部の審議にかけなくとも、党中央規律委員会や中間機関が、フリーハンドで党外排除できるという重大な条項を付け加えた。

 除籍とは、(1)・長期未結集党員で再結集の見込みがなくなった党員や、(2)・行方不明党員の党籍をいつまでも残しておくわけにもいかないので、党員としての籍を除く措置だった。ところが、このたびの改訂で、除名に次ぐ異論党員の党外排除措置として除籍制度を活用できるようにした。

 2000年の第22回大会において、不破・志位・市田らは規約の全面改訂を行い、除名、除籍問題について次のように確定させた。「第四条、党の綱領と規約を認める人は党員となることができる」、概要「第十一条、党組織は、第四条に定める党員の資格を明白に失った党員は、慎重に調査、審査のうえ、除籍することができる。除籍にあたっては、本人と協議する。党組織の努力にもかかわらず協議が不可能な場合は、おこなわなくてもよい。除籍は、一級上の指導機関の承認をうける」とした。

 ところが、除籍措置は規約上の処分でないので、所属支部の審議は要らない。不破・志位・市田らが、党中央批判・異論党員や専従を党外排除したくなれば、党中央規律委員会に命令する。党中央の下部・任命機関である規律委員会は、支部・中間機関を飛び越えて、全党のどこに所属している党員でも直接に、即座に除籍できる。支部へは、除籍の事後連絡ですむ。不破らにとって、これほど手が掛からない簡便で、実質的な除名システムはない。面倒な手続を必要とし、かつ、強烈な反発を引き起こす除名処分をできるだけ減らし、簡易除名=除籍措置を活用・流行させた功労者は、やはり宮本顕治と不破哲三であろう。

 1994年以降、恣意的な除籍決定と通告という第2除名システム=簡易除名が、批判・異論党員を党外排除するための主な手法となった。

 宮地氏の「除籍への萩原抗議文と批判メールへの党回答文宮地氏の「不破哲三の宮本顕治批判」参照

 筆坂秀世著「日本共産党」は、1994年の第20回大会での中央役員選出基準に於ける浜野忠夫常任幹部会委員(現副委員長)の次の発言を証言している。
 概要「中央委員会の推薦名簿の作成にあたっては……知恵と経験に富んだ試練ずみの幹部と有能・誠実な新しい幹部の適切な結合をはかるという、従来から一貫した党の幹部政策の基本を今回もなによりも重視しました」、「その立場から余人をもって代えがたい同志は別として、六十五歳以上の同志は原則として勇退することを確認し、若い将来性のある幹部を大胆にばってき・登用することとしました」。

(私論.私見)

 つまり、「余人をもって代えがたい同志」=宮顕を例外として、65歳定年制を提案したことになる。日共に於ける宮顕の地位を「余人をもって代えがたい同志」と規定したのも興味深いところである。


 12.5日、公明党第34回大会、30年間の歴史に終止符を打ち正式に解党する。


 12.10日、新進党結党。(新生・公明・日本新等 党首 海部俊樹 衆院178名 参院36名)。


 (時期不明) 

 村山首相東南アジア四カ国歴訪。この時マレーシアのマハティール首相は、「日本が50年前の戦争について誤り続けるのは理解できない。将来に目を向け、もっとアジアの平和と安定に寄与すべきだ。日本の国連安保常任理事国入りを支持する」と外交メッセージしている。


 12.12日、チェチェン共和国の首都グロズヌイにロシア軍が進攻。


 12月、新生党、新党さきがけなどが新進党結成。


 12月、日本政府は中国に対して40件のプロジェクトに使用する5800億円の円借款を1996〜98年度の3年間に供与することを決定。


 12月、リクルート事件東京地裁で池田元議員に有罪判決⇒確定。


 12.20日、日本テレビで安達裕実宛郵便物爆発。


 12.28日、『三陸はるか沖地震』が北海道から北陸にかけて襲う(M 7.5)。

12月  5日 公明党が新進党参加の「公明新党」と残留の「公明」に分党
12月  8日 結成大会に向けた新進党党首選挙で海部俊樹氏を選出
12月  9日 日本新党解党
12月  9日 民社党解党
12月10日 「新進党」結成大会(新生、日本新、公明新、民主、自由、新党みらい、自民党離党者が合流)
12月19日 近藤豊衆議院議員(日本新党離党)を所得税法違反と政治資金規正法違反で在宅起訴
12月21日 新進党参加を見送った柿澤弘治、大内啓吾らが「自由連合」を結成
12月25日 改正公職選挙法改正法施行(区割り法)
12月25日 地方分権大綱閣議決定 
12月27日 新進党、政権準備委員会「明日の内閣」発足




(私論.私見)