第55部 1993(平成5)年当時の動き、主なできごと.事件年表

 1.1日、欧州共同体(EC)の12カ国市場統合が発足。


 1.3日、米ロ大統領が両国の核弾頭を3分の1に削減するSTART2に調印。  


 1.3日、民間政治臨調「地方分権に関する緊急提言」「地方分権に関する緊急国会議員アンケート」公表。


 1.4日、社会党委員長選に山花氏が立候補表明。党内一本化の方向右派の「政権構想研究会」と「水曜会」、中間派の「社会民主主義フォーラム」の幹部から支持を取り付けたのを受け、立候補を正式表明した。1.6日、立候補受け付けで山花氏のほかに届け出はなく、山花貞夫氏が社会党委員長に無投票当選。1.19日、社会党第59回臨時大会で山花執行部正式発足。書記長は当選1回の赤松氏(右派系「政構研」)を抜擢した。

 1.6日、会党、新委員長に山花貞夫氏を無投票選出。


 1.22日、第126回国会(常会)召集。


 2.1日、民間政治臨調幹事会、政治改革の実現に向け山花社会党委員長と懇談。


 2.4日、民間政治臨調「政治改革・九州フォーラム」開催。


 2.9日、民間政治臨調幹事会、石田公明党委員長と懇談。


 2.17日、竹下元首相を佐川急便事件で証人喚問。


 2.18日、比較政治制度研究会(CP研)「新政治システムへの提言」公表。


 2月、 中国銀行が日本の東京、三菱、住友など38銀行から3億ドルの借款を調達。


 3.2日、民間政治臨調幹事会、大内民社党委員長と懇談。


 3月、北朝鮮、NPT脱退を国連安保理に通告。


 3.6日、東京地検特捜部、金丸前自民党副総裁と元秘書の生原を所得税法違反で逮捕


 3.9日、民間政治臨調「政治改革・中国フォーラム」開催。


 3.17日、民間政治臨調幹事会、自民党政治改革本部と懇談(塩川正十郎、小渕恵三、石井一、津島雄二、西岡武夫、武村正義他)。
 3.17日、衆議院政治改革に関する調査特別委員会、亀井正夫民間政治臨調会長他を中央公聴会の参考人として招致し、本格審議入り。


 3.20日、東京地検特捜部、鹿島、清水建設、大成建設など大手ゼネコンを含む約20社の建設会社を家宅捜査。金丸へのヤミ献金を担当した各社首脳らの聴取を開始(〜23日)。


 3.26日、民間政治臨調幹事会、社会党政治改革チームと懇談(佐藤観樹、小澤克介、左近正男、堀込征雄他)。


 3.27日、中国国家主席に江沢民共産党総書記を選出。


 4.2日、自民党が、衆院への単純小選挙区制導入を柱とする政治改革法案を国会に提出。


 4.5日、椎野悦朗死亡(82歳)。死の直前まで「戦後の総括をしているんだ」とつぶやき続け、周囲の人たちはその誠実さに胸を打たれたと伝えられている。


 4.6日、社会党・公明党、併用制を柱とする政治改革関連6法案を国会に提出(小選挙区200・比例代表300・2票制)。


 4.8日、社会・公明両党が,衆院への小選挙区比例代表併用制導入などを内容とする政治改革法案を共同提出。


 4.16日、民間政治臨調、民社党連合組織内議員連絡会(C&C)と懇談(伊藤英成、川端達夫、木義明、直島正行他)。


 4月、ユーゴスラビアに暗躍する死の商人。


 4.17日、民間政治臨調「政治改革に関し第126回国会において実現すべき事項に関する提言」公表(小選挙区比例代表連用制、政治浄化特別措置法、政党交付金制 度制導入を提唱)。


 4.19日、ブランチ・デビディアンにFBI強行突破、教団は集団自殺。


 4.20日、民間政治臨調、自民党若手議員有志の「政治改革を実現する若手議員の会」と懇談(石破茂他約20名出席)。


 4.21日、民間政治臨調、民社党政治改革委員会・選挙制度委員会合同会議と懇談(米沢書記長他約20名出席)。


 4.22日、民間政治臨調、社会党と懇談(佐藤観樹他約30名出席)。公明党と懇談(石田委員長他全議員出席)。4.26日、民間政治臨調、社会党有志による「改革議員連合」と懇談(田邊誠前委員長他約20名出席)。4.27日、民間政治臨調、自民党政治改革推進本部と懇談(塩川正十郎本部長代理他約14名出席)。民間政治臨調、社会党有志議員による「社会党ニューウェーブの会」「AND」「リーダーシップ21」と合同懇談会(約30名出席)。4.28日、民間政治臨調、シリウスと懇談。


 5.5日、国会法が改正され、政策秘書制度が創設。


 5.11日、民間政治臨調、民主改革連合と懇談(星川代表他)。


 5.11日、衆議院政治改革に関する調査特別委員会、中央公聴会に民間政治臨調の亀井正夫会長、内田健三会長代理、堀江湛第2委員長を招致し、民間政治臨調提案について質疑。


 5.17日、民間政治臨調「新しい政党のあり方に関する提言」公表。


 5.23―28日、カンボジア総選挙投票,6.1,ラナリット派の民族統一戦線が第1党に。


 5.28日、衆院政治改革特委理事会で、@関連法の今国会一括成立、A中選挙区制にかわる新たな選挙制度の導入、B新選挙制度は自民党案、社公案の特徴をいかす等を申し合わせ。


 5.28日、社会・公明・民社・社民連・民主改革連合・日本新党の6党・会派が党首会談で民間政治臨調提案の連用制を軸に妥協案を作成することで合意。


 5.31日、宮澤首相、テレビ番組で政治改革関連法案について「どうしてもこの国会でやるんです」と発言。


 5.31日、民間政治臨調の亀井正夫会長、記者会見を行い、与野党の合意案作成は国会の場でオープンに行われること、自民党は党内調整を急ぐことを要請。


 6.2日、社会・公明・民社3党、連用制を骨格とする法案修正に乗り出し、田邊国男衆議院政治改革に関する調査特別委員長に申し入れ。

 6.4日、民間政治臨調著「日本変革のビジョン」発刊(講談社)。


 6.4日、民間政治臨調の亀井正夫会長、記者会見をおこない、「与野党の合意形成にむ けて自民党内の調整に宮澤首相の指導力を期待する」と発言。


 6.8日、社会・公明両党、連用制修正案を正式に党議決定し、法制化を衆議院法制局に 要請。


 6.14日、民間政治臨調「民間政治改革大綱」公表。

 6.14日、民間政治臨調「現下の国会審議に関する緊急アピール」公表。政治改革関連法案の継続審議は事実上の廃案であると指摘、宮澤首相をはじめ各党党首に対し、指導力を発揮し改革の内容と手順について与野党合意を成立させること、会期延長を決断することを求める


 6.15日、自民党政治改革推進本部幹部、政治改革を実現する若手議員の会、各派の連絡協議会有志が「政治改革議員連盟」を設立し、今国会の会期延長を求める決議 を採択。


 6.15日、自民党臨時総務会を開催、混乱の末、与野党合意に向けた調整作業を打ち切り、会期延長を行わず、与野党原案を規定方針通り採決することを党議決定。


 6.16日、宮澤首相、自民党総務会決定を了承し、今国会での法案成立を断念。


 6.17日、社会、公明、民社の3党が宮澤内閣不信任案を提出。


 6月、衆院選挙前、自民党竹下派から羽田.小沢派の43名が離脱、新生党を結成。宮沢喜一内閣不信任可決で衆議院解散。竹村正義・鳩山由紀夫ら10名も自民党を離党して新党さきがけを旗揚げ。自民党は分裂選挙で過半数割れし、非自民連立の細川政権誕生劇を生む。


 6.18日、宮沢首相が、内閣不信任案可決を受けて(自民党羽田派34名、他派閥議員5名が賛成、病欠を除く16名が採決に欠席)、大平内閣以来13年ぶりとなる衆院解散。「政治改革解散」と云われる。自民党宮澤総裁退陣=自民党第15代総裁で崩壊=徳川政権と類似。
 改革国会=「実らぬ論議80間」→国会予算'93 年度977億円(1日=2億6千万円×83日=200億円の「無駄遣い」)。

 6.18日、武村正義自民党政治改革本部事務局長ほか10名が自民党を離党。6.21日、自民党離党の武村正義らが「新党さきがけ」を結成。


 6.23日、羽田派44名が自民党を離党し「新生党」を結成。


 6.27日、東京都議会選挙で日本新党が躍進。


 6.29日、東京地検特捜部、仙台市長石井亨をハザマ、清水建設、西松建設、三井建設の4社から1億円を収賄した容疑で逮捕。


 7.2日、民間政治臨調「総選挙に向けての緊急アピール」公表。


 7.7日、第19回先進国首脳会議が東京で開幕。


 7.12日、ソマリア虐殺事件。


【第40回衆議院議員総選挙】

 7.18日、第40回衆議院議員総選挙→自民党過半数割れ、社会党惨敗(社会党選挙戦で小選挙区比例代表制を含めて小選挙区制に反対のスローガンを有権者に訴えた。この選挙で小選挙区比例代表並立制を選挙公約に掲げた政党は皆無。(自民233、社会70、新生55、公明51、日本新35、共産15、民社15、さきがけ13、社民連4、無所属30)。

 
代わって登場した土井委員長の下での89年の総選挙では消費税への反対票を吸収して139議席のかりそめの勝利を勝ち取ったものの、連合の結成とそれに伴う山岸らダラ幹どもの「政権を担いうる現実政党への脱皮」を迫る揺さぶり攻撃に屈してますます右傾化を深め、この結果、労働者からますます見限られるはめになり93年7月の総選挙では再び77議席へと半減してしまった。(社労党「日本社会主義運動史」)


 7.19日、東京地検特捜部、茨城県三和町の町長大山真弘を、ハザマからの1,400万円受諾収賄容疑で逮捕。


 7.22日、金丸脱税事件初公判(東京地裁)。


 7.22日、宮澤首相退陣表明。

 7.23日、日本新党・新党さきがけ両党が小選挙・比例代表各250 議席の並立制を基本とする政治改革案を提案。

 7.23日、東京地検特捜部、茨城県知事竹内藤男をハザマからの1,000万円収賄容疑で逮捕。

 7.27日、自民党「政治改革に関するわが党の基本姿勢」党議決定。


 7.29日、非自民7党1会派の8党会派の代表者が並立制の年内成立を盛り込んだ連立政権発足への政策合意に調印。連立政権樹立し、細川護煕日本新党代表を首相候補 とすることで合意。


 7.30日、自民党、両院議員総会の総裁選挙で河野洋平氏を第16代自民党総裁に選出。河野208、渡辺美智雄159.。


 8.2日、橋本龍太郎が党政調会長に就任。


 8.5日、第127回国会(特別会)召集。8.6日、衆参両院の首班指名選挙で細川護煕日本新党代表を選出。


【細川連立政権成立】
 1993.8.9日、第79代内閣として細川護煕内閣が組閣された(「細川連立政権成立」)。内閣のキャッチフレーズを「責任ある変革」とし、自らの政権の性格を「政治改革政権」と規定。1993(平成5).8.9日−1994(平成6).4.25日までの約8ヶ月間の短命内閣となる。日本新党、日本社会党、新生党、公明党、民社党、さきがけ、社民連の「7党1会派の連立政権」で、日本新党の党首を首班、社会党を与党第一党とする非自民6党の連立内閣となった。

 この内閣の成立で、38年間続いた自民党一党支配体制が切断され、55年体制が崩壊した。新しい時代の幕開けを感じさせる画期的な役割を果たした。

 内閣総理大臣・細川護煕、官房長官・武村正義。法務大臣・三ヶ月章、外務大臣・羽田孜、大蔵大臣・藤井裕久、文部大臣・赤松良子、厚生大臣・大内啓伍、農林水産大臣・畑英次郎、通商産業大臣・熊谷弘、運輸大臣・伊藤茂、郵政大臣・神崎武法、労働大臣・坂口力、建設大臣・五十嵐広三、自治大臣・佐藤観樹(兼任) 、内閣官房長官・武村正義、国家公安委員会委員長・佐藤観樹(兼任)、総務庁長官・石田幸四郎、北海道開発庁長官・上原康助(兼任)、防衛庁長官・中西啓介、愛知和男(平5.12.2−)、経済企画庁長官・久保田真苗、科学技術庁長官・江田五月、環境庁長官・広中和歌子、沖縄開発庁長官・上原康助(兼任)、国土庁長官・上原康助(兼任)、国務大臣・羽田孜(兼任・副総理) 、国務大臣・山花貞夫、内閣法制局長官・大出峻郎。内閣官房副長官・鳩山由紀夫、内閣官房副長官・石原信雄。社会党の土井党首が憲政史上初の女性としての衆院議長に就任。

【細川首相声明】
 8.10日、細川首相が初閣議後の記者会見で、年内に政治改革が不成立なら政治責任を取ると言明→細川内閣の支持率、各社の調査で軒並み70%を越え、田中内閣を上回り戦後最高を記録。

(れんだいこの私論.私見)細川連立政権考

 細川政権の誕生の史的意義は、「自社の対立と協調による両建て支配による55年体制」を崩壊せしめたことにあった。「政・財・官癒着的既成政治、政治腐敗、金権政治の打破」を目指して一連の政治改革に向かう。これが細川政権の内治政策の筆頭課題となった。外治政策として「コメ問題の現実的処理」、国際的貢献における軍事貢献が問われていくことになった。

 しかし、連立与党内は与党第一党・社会党の与党的政治能力の欠如もあって、「船頭多くして、船、丘に上る」式の亀裂が付きまとった。これに、新生党(代表幹事・小沢一郎)の「国際的軍事貢献を含む普通の国」路線、新党さきがけ(党首・竹村正義)の「憲法尊重、反大国主義」路線が衝突し政権の舵取りが混迷を深めていった。


 8.23日、細川首相、所信表明演説で、政治改革の遅れが政治不信と政治の空白を招き、日本の進路に重大な影響を及ぼしているとして、「政治改革を断行する」ことを「内閣の最初の、そして最優先の課題」と位置づけると発言。


 8.26日、民間政治臨調幹事会、自民党政治改革推進議員連盟幹部と懇談(西岡武夫、野田毅、北川正恭、河村建夫他)。


 8.27日、民間政治臨調幹事会、社会党幹部と懇談(山花貞夫、久保亘、佐藤観樹、左近正男、堀込征雄他)。


 9.6日、民間政治臨調幹事会、新党さきがけと懇談(武村正義、鳩山由紀夫、園田博之、井出正一、渡海紀三郎、三原朝彦、佐藤謙一郎、簗瀬進)。

 9.13日、イスラエルとPLOがパレスチナ暫定自治宣言に調印。


 9.17日、河野陽平氏が自民党総裁に無投票当選。


 9.17日、第128 臨時国会招集。細川内閣、政治改革関連4法案を閣議決定し国会に提出(小選挙区250・比例代表250の並立制・2票制・比例全国単位)。


 9.20日、東京地検特捜部、清水建設会長吉野照蔵を茨城県知事竹内への1,000万円贈賄容疑で逮捕。


 9.20日、社会党、委員長選挙で村山富市氏を選出


 9月、戦域ミサイル防衛(TMD)日米協力検討開始。

 9.27日、東京地検特捜部、宮城県知事本間俊太郎を大成建設からの2,000万円収賄容疑で逮捕。

【細川連立政権に対する敵対】


 10月、新右翼野村秋介氏が朝日新聞東京本社でピストル自殺。


 10月、『偉大な10月闘争』が展開される。われわれを襲ったあの経済上の激震に耐えぬき、闘い抜き、全党が新たな転換と飛躍、再出発を闘い取った偉大な月間であった。森久書記長の名による『全党へのアピール』は次のような言葉で結ばれていた。「党は存在する。党は不滅である。党は生き続ける! プロレタリアはこの革命によって鉄鎖のほかに失うものは何もない。彼らの得るものは全世界である。戦いかしからずんば死、血なまぐさき闘争かしからずんば無。このように、問題は厳として提起されている。わが党、わが党員、わが同志、すべての協力者、人民戦線に敬礼する!」と。まさに10月闘争はすべてを点検し、すべてを再編成した。

 このような歴史が、このような偉大な十月闘争という存在が、その意識的表現としてのわが行動派党をつくりあげ、そしてまたわれわれの十月闘争が大武議長による五つの思想文献を生み出した。故にわが党、日本共産党(行動派)とは、一般的(国際的)には正統マルクス主義の党であり、特殊的には(日本においては)十月革命精神と十月革命英雄主義が生み出した「三信一守」の党であり、これが大武思想を核心とする行動派党である。そしてわれわれの十月記念集会はこのことをはっきりと確認し、歴史に思いをよせ、歴史をたたえ、歴史に忠誠を誓う合図とするためのものである。偉大な十月を生み出した日本革命と日本共産党の革命的伝統万歳!


 10.3日、ロシア共和国議会襲撃事件が発生。ハズブラート達を中心とする民族派が議会棟に立てこもった。

 10.4日、モスクワで正規軍が反エリツィン派が立てこもる最高会議ビルを砲撃、制圧した。


 10.5日、自民党、政治改革関連5法案を国会に提出(小選挙区300・比例代表171・並立制・1票制・都道府県単位)。


 10.13日、政治改革関連法案、衆議院本会議における政府案と自民党案の趣旨説明とこれに対する各党質疑が行われ、審議入り。


 10.21日、東京地検特捜部、前仙台市長石井への1000万円贈賄容疑で鹿島東北支店幹部ら2人を逮捕。10.28日、前仙台市長石井の収賄事件初公判。

 10.26日、東京地検特捜部、鹿島副社長清山信二を前茨城県知事竹内への2,000万円贈賄容疑で逮捕。


 10.27日、臨時行政改革推進審議会(第3次行革審)、最終答申。


 10月、エリツィン.ロシア大統領が来日。細川首相と東京宣言を発表。


 11.1日、民間政治臨調、与野党国会議員75名とともに「超党派議員との緊急合同集会」開催し、政治改革関連法案の成立に超党派で取り組むことを決議(ホテル・ニューオータニ)。


 11.8日、民間政治臨調、与野党国会議員150名とともに、2500名の参加者を集めて「政治改革の実現を求める緊急国民集会」を開催。国民集会の席上、亀井正夫会長は出席した細川首相、河野自民党総裁を前に両者のトップ会談で政治改革法案に決着をつけることを提案。また、両者トップ会談による事態打開を国民集会緊急アピールとして決議(ホテル・ニューオータニ)。


 11.11日、東京地検特捜部、大昭和製紙名誉会長斉藤了英を前宮城県知事本間への1億円の贈賄容疑で逮捕。
 12.14日、米の自由化。

 11.15日、細川首相、河野自民党総裁とのトップ会談で小選挙区274 議席、比例代表226 議席などの譲歩案を提示→河野自民党総裁が拒否→会談決裂。11.15日、深夜未明に細川首相、河野自民党総裁のトップ会談(会談は不調に終わる)

 11.16日、(与野党の一部委員を差し替えた)衆院政治改革調査特別委員会が一部修正した政治改革法案を1票差で可決。

 11.17日、米下院が北米自由貿易協定(NAFTA)実施法案を可決。

 11.18日、衆院本会議で法案可決(自民13人,社会5人造反)。11.18日、衆議院本会議に、連立与党側が細川・河野会談で示した譲歩案(正確には細川首相が会談で提示した事項および特別委員会理事による協議において合意された事項)に沿った修正政府案が提出され、可決(小選挙区274・比例代表 226・並立制・2票制・比例全国単位)。

 11.20日、APEC非公式首脳会議(米シアトル)がアジア太平洋地域の緩やかな共同体を目指す経済展望声明を採択。

 11.26日、参議院本会議で政治改革関連4法案修正政府案趣旨説明、参議院審議入り。


 12.1日、衆議院で第2次補正予算案の審議始まる→連立政権・与党,政治改革4法案の年内成立を断念。細川首相、政治責任に言及ぜず。


 12.2日、衆議院予算委員会, 中西防衛庁長官の改憲発言で審議ストップ→中西辞任。


 12.6日、東京地検特捜部、前飛島建設相談役植良祐政ら2人を前知事竹内への1,000万円贈賄罪で在宅起訴。


 12.9日、参議院政治改革特別委員会、政治改革関連法案趣旨説明。


 12.13日、民間政治臨調「政治改革関連法案審議に関する緊急提言」公表。今国会の大幅な会期延長を求めるとともに、政治改革関連法案に関する参議院における審議のあり方を批判。


 12.14日、細川首相午前3時45分に記者会見、米部分開放を決定。12.14日、政府、ウルグアイ・ラウンド(コメ部分開放)受け入れを決定国会、会期を45日間('94 年1月29日まで)延長。12.14日、民間政治臨調、与野党国会議員109名とともに「第2回・超党派議員との緊急合同集会」を開催。臨時国会を会期延長し今国会中に法案を成立させることを超党派議員の総意として決議(東京全日空ホテル)


 12.15日、日本世論調査会、細川内閣の支持率62%と発表→10月の調査より12.2ポイント低下=各社の調査も同様。

 12.15日、衆議院本会議において1月29日まで45日間の会期延長を可決


 12.16日、田中角栄元首相死去。枕もとに座ることができた政治家は、当時の細川首相、河野洋平自民党総裁、河野が同伴した土井たか子衆議院議長、鯨岡兵輔同副議長の4名だけだった。旧田中派の有力メンバーは誰一人座ることが許されなかった。この異常な情景こそが田中の置かれていた立場の複雑さ、寂しさを象徴している。


 12.17日、政府、越年予算編成を発表。


 政府税調(会長・加藤寛)が、「高齢化社会の到来に備えて、所得・住民税の減免と、消費税率の引き上げを一体的に実施するよう」求める答申を提出した。


 12月、政府、コメ市場の部分開放受け入れを決定。


 12.24日、細川首相、記者会見を行い、政治改革関連法案の年内不成立を国民に謝罪





(私論.私見)