第49部 1987年当時の主なできごと.事件年表


 1月、住友不動産会長宅襲撃される。赤報隊が朝日新聞東京本社を銃撃。


 1.16日、社会・公明・民社・社民連四野党の売上税等粉砕闘争協議会発足


 1.16日、中国共産党政治局拡大会議が胡耀邦総書記の辞任を認め,趙紫陽を総書記代行に。


 1.19日、右四野党党首と労働五団体、売上税等税制改革案反対で一致


 1月、在日米軍労務費特別協定を閣議決定。


 1.26日、第108通常一国会で中曽根首相が施政方針演説(以降、売上税問題が焦点化。与野党を通じて導入反対運動が盛り上がる)。


 2.14日、土井社会党委員長が故江田三郎の霊前に焼香、墓参


 3.1日、売上税反対の国民集会(各地で二三万人参加)。


 3.20日、カネミ油症事件、十九年ぶりに決着(訴訟原告団のうち三名を除き和解)


 3月、米国、東芝機械にココム規制違反の疑いと発表。


 4.1日、JR六社発足。4.14日、国鉄民営化。JR7社(北海道、東日本、東海、西日本、四国、九州、貨物)が誕生。松田昌士はJR東日本、井出正敏はJR西日本、葛西敬之はJR東海の社長に就任。


 4月、一人あたり国民総生産(GNP)が米国を抜く。


 4.12日、第十一回統一地方選挙(北海道・福岡で革新系知事が圧勝。各地方選でも自民は軒並み激減、売上税問題の影響が出る)


 4.17日、米国、対日経済制裁措置に踏み切る(日米経済摩擦の表面化)。


 4月、不破委員長が「党改革意見書(到改革に関する基本構想についての若干の提言)」を宮本議長に提出、宮本議長は中身を読んで激怒、結局、不破委員長は6ヶ月間の機関活動停止処分を受ける身となった。村上弘副委員長が委員長代行に就任。


 4.23日、売上税関連法案、事実上の廃案


 5.3日、赤報隊が朝日新聞阪神支局を襲撃。


 5月、ケ小平が宇都宮徳馬参議院議員一行との会見で、光華寮問題の適切な解決を日本政府に要求。


【「新日和見主義事件関係者15年ぶりの集いの会」弾圧】
 「新日和見事件」 から15年後の1987年4月上旬、なつかしさのこみ上げてきた元民青同中央常任委員・小山晃は、同事件の被処分者にあて、「5.30日15年ぶりの会」と銘打って再会の呼びかけを発した。この動きは、手紙を受けた者の一人が「おおそれながら」と訴えでたことにより、党中央に知られるところとなった。党中央は直ちに全国的な調査を開始した。「とにかく党員は『会』に行くべ きでないというのが党の見解です」と言いながら、党中央は何とかして会を中止させようと介入した。この指図に現執行部不破が無関係ということは有りえない。説得と指導を受けた小山は、「誰かの指示かだと? どうしてあんたがたはそう言う風にしか人間を考えられないのか。自分の書いた手紙の通り、かっての友人達と15年ぶりの再開を果たしたいのだ、それ以上でも以下でもない」と言い切り、離党届で始末を付けることを決意させた。

 当日、党の妨害を乗り越えて「15年ぶりの会」が開催された。党中央は、この会を認めず、会終了後判明した参加者に対して、下部組織を使って「参加者の氏名や会の模様を文書で報告せよ、党事務所に出頭せよ」などと執拗に要求してきた。それは不参加者や元中央委員でない者にまで及んだ。追求はこの年いっぱい続いた。この指図を見ても不破らしい、無関係ということは有りえない。ここまで至ってさすがに嫌気の世界を誘発させたようである。新日和見主義者達は、これまで「党の内部問題は、党内で解決し、 党外に持ち出してはならない」という規約に従ってきた。被処分者の側から反論文書が公表されることもなく、「党員は出版などの方法で党と異なる見解を公表できない。もし、それを行えば規律違反で処分される」ことを恐れて「羊た ちの沈黙」を守ってきた。しかし、党中央は、処分した側に警察のスパイがいたという諸事実が判明したにも関わらず事件見直しに着手することも無かっ た。「新日和見主義者」達は、この間主体的に自ら等が手塩で育てきた民青同の瓦解的現象にも横目で見過ごすことしか出来なかった。

 5月、東芝機械の共産圏輸出1年間禁止処分。


 5.17日、ペルシャ湾で米艦スタークがイラク機の攻撃を受け炎上,37人死亡


 5.18日、春日民社党常任顧問と田辺社会党前書記長が会談、社・民両党の和解模索始まる


 5.20日、土井社会・矢野公明両委員長が両党政権協議を再開することで合意。


 5.14日、二階堂が、中曽根後継総裁選出馬を表明。


 5.24日、故江田三郎の没後十年をしのぶ集い(社公民連合を掲げた江田路線を再評価する声が相次ぐ)


 6月、韓国民主化運動


 6.8日、イタリアのベネチアで第13回先進国首脳会議


 6月、日中両国、外交部と駐中国日本大使館の間で5年間に中国の青年500人を日本に招待することについての覚書を北京で交換。


 6.29日、江田五月社民連代表が7月9日までソ連・ハンガリーを訪問。


【田中派から竹下派経世会が結成される】
 7.4日、竹下登自民党幹事長が、田中派140人中、大部分の113名を引き連れて、自民党最大派閥「経世会」を旗揚げする。「経世会」は、古代中国の思想家、荘子の「経世済民」という言葉に由来する。その背景には、創政会の旗揚げ、解散、二階堂グループによる中曽根後継総裁選出馬の動きがあった。田中派内の二階堂と竹下の両グループの対立に対し、これと闘うという反二階堂つまり反田中運動的面があった。

 「経世会」は、ポスト中曽根後の政界主流となり、竹下、宇野、海部、宮沢の各政権誕生の原動力となる。意向で誕生させていった。その特徴は、自民党最大派閥として政局に大きな影響を与えつつ中曽根、旧福田系タカ派との協調政治を目指していったことにある。代表は、竹下登→小渕恵三→橋本龍太郎に受け継がれていくことになるが、この途中、小沢一郎、羽田孜、鳩山由紀夫らが分派しており、こちらも政局に大きな影響を与えていくことになる。

 7月、両国政府、東京で第2次円借款協定に調印。


 7.20日、国連安保理がイラン・イラク戦争即時停戦決議。


 7.29日、ロッキード事件丸紅ルート控訴審判決で田中元首相側の控訴棄却→田中ら4被告上告


 7.31日、サウジアラビアのメッカでイラン巡礼団が反米デモ、402人死亡


 8月、国際緊急援助隊法成立。


 8月、臨教審が最終答申で、大学の秋季入学制や文部省の機構改革を提言する。


 9.19日、所得税法等改正(マル優廃止)


  9.20日、社民連全国研修会。江田社民連代表、全国研修会で新党結成を呼びかける


 9.24日、赤報隊が朝日新聞名古屋本社社員寮銃撃。


 9.24日、矢野公明党委員長、国会の首班指名における野党統一候補擁立を提唱


 9.30日、国土庁、基準地価公表→地価高騰→『金満ニッポン』。


 9月、趙紫陽総理、中曾根康弘首相、国交正常化15周年で祝電を交換。


 10.8日、二階堂氏が、総裁選告示前日に出馬を辞退する。


 10月、FSXを日米共同開発とすることで合意。


 10.19日、世界各国で株価が大暴落「ブラックマンデー」。以降、円高・ドル安等、その余波は世界市場に及ぶ。


 中曽根康弘総裁の任期満了に伴う後継総裁選び。有力候補はニューリーダーと呼ばれた竹下登(田中派→竹下派)・安倍晋太郎・宮澤喜一(鈴木派→宮澤派)。「ニューリーダー」たちは、歴代の総裁選びとは違って、明確なポリシーを掲げて争う者は誰もいなかった。10.19日夜、中曽根首相が竹下を後継に指名した。

 10.20日、自民党総裁3候補(竹下、宮沢、安倍)は中曾根に調整を白紙委任で一任→中曾根総裁は後任総裁指名権を得て竹下を指名。

 中曽根が竹下を総裁に指名した理由は次の通り。「最も大きな理由は消費税の導入です。私はそれをやり損なった。これは残念でならない。政治的にもダメージを受けた訳で、何としてもこれを実現してくれる人物、これが第一条件。となると税制に詳しく、野党、特に公明、民社ともうまくやれる人物ということになった。宮沢、安倍君より竹下君の方がうまいだろうと。実績もあるしね」、「私の目は間違っていなかった」(「諸君」2002.6月号、田原総一朗「田中支配の終焉」)。

 10.31日、竹下登、中曽根康弘首相から後継総裁指名を受ける。自民党臨時大会で第12代総裁に竹下登を選出。前総裁指名、安倍幹事長、宮澤副総理に迎え、強力な挙党一致内閣が成立。


 11.6日、竹下登内閣成立。首班指名で野党は社会・公明・社民連が土井社会党委員長に投票。強力な挙党一致内閣が成立。官房長官・小渕恵三、幹事長・安倍晋太郎(安倍派)、総務会長・伊藤正義、政務調査会長・渡辺美智雄(中曽根派)、宮澤副総理の布陣。(党内融和を重視した派閥均衡内閣−−解散権行使せず)。官房副長官小沢一郎、幹事長代理橋本龍太郎、国対委員長渡部恒三、国家公安委員長・梶山静六。竹下派7奉行、小渕恵三・橋本龍太郎・小沢一郎・羽田孜・渡部恒三・奥田敬和・梶山静六。税制調査会長・山中貞則。金丸は竹下派会長。

 竹下は、中曽根の指名により首相になる。党内の派閥のうち、二階堂グループを除く、全ての派閥の支持を得て、竹下内閣は発足する。幹事長に安倍、副総理、蔵相に宮沢を起用し、ニューリーダーの結束を優先させて、磐石の政権基盤を築く。自民党はここから、「経世会支配」による、総主流派体制が始まっていくことになる。
金丸信氏が竹下派の会長に就任。


 11.20日、地価高騰対策として社会・公明・民社・社民連の四野党共同提言


 11.20日、全日本民間労働組合連合会発足(日本最大の労働ナショナルセンターの誕生)。


 11.21日、日本赤軍、丸岡修逮捕。


 11.25日、共産党第18回大会(宮本議長・不破副議長・村上弘委員長・金子満広書記局長。


 11.27日、竹下首相初の所信表明演説。「重要なことは、開かれた議論を通じ、税制改革についての国民的合意を形成していくこと」と述べ、中曽根内閣で廃案になった新型間接税の導入を再検討することを表明した。


 11.28日、大韓航空機ミャンマー(旧ビルマ)沖で爆破。


 11.29日、金賢姫ら大韓航空機爆破事件。


 12.6日、韓国大統領直接選挙で盧泰愚が当選。


 12.8日、ワシントンで米ソ首脳会談,中・短距離核全廃条約に調印。レーガン米大統領とゴルバチョフソ連書記長が中距離核ミサイル(INF)全廃条約に調印


 12.16日、韓国大統領選,盧泰愚が当選。


 1987年現在、新左翼は、5流27、8派。その活動家総数は約14400名、動員総数約19900名、シンパ層を含めた総勢約35000名と公安当局調査。各党派の系譜と勢力は次の通り。

革共同系 中核派 3420名
革マル派 1930名
第四インター 1010名
ブント.共産同系 1640名
戦旗.共産同
共産同戦旗派
蜂起派
社会主義労働者党
赤軍派
革労協系 1100名
解放.狭間派
同労対派
その他 5330名
構造改革派系 プロ青同
フロント
日本の声
日共左派系 日本労働党
日本共産党行動派




(私論.私見)