第43部 1981年当時の主なできごと、事件年表

 共産主義者同盟「赤赤旗」が旗上げされた。議長に生田あいが選出された。


 1.6日、政府は、閣議で2.7日を「北方領土の日」とすることを決定。2.7日にしたのは、1855年のこの日、日露通好条約(和親条約)が結ばれ、両国間の国境を択捉島とウルップ島の間に確定したことによった。


 1.12日、田中角栄、私邸で一時呼吸困難に陥り、救急車の出動を要請。


 1.20日、ロナルド.レーガン第40代大統領に就任。/イランの米人質444日ぶりに解放


 1.25日、中国で江青、張春橋に死刑判決。


 1月、自民党が5年ぶりに改憲方針採択。


 2月、新自由クラブ全国代議員大会で、田川誠一代表は、「自民党の中の軍事大国化の“うねり”に対しては、同じ保守勢力、同じ自由主義勢力である新自由クラブこそが“防波堤”となるべき使命を担わねばならない」と発言している。


 3.6日、荒畑寒村死去。「革命家として生きてきたが、ソ連や中国の現状を見ていると、失望するばかり。日本の革新政党もダメになり、何が何だか分からなくなった。一日も早く死にたい」(3.7日付け朝日新聞)と瀬戸内寂聴に語ったという記事が載っている。


 3.16日、臨時行政調査会(第2次臨調)初会合。経団連前会長の土光敏夫氏が会長に就任。土光氏は、会長を引き受ける条件として、4項目の申し入れをしていた。@・答申を必ず実行するという決意、A・増税無き財政再建、B・行政の合理化、簡素化、C・3K(国鉄、米、健保)の赤字解消、特殊法人の整理、民営化を極力はかり、民間の活力を最大限に生かす。

 3.18日、鈴木首相、行政改革に「政治生命をかける」と表明。


 3.23日、経済同友会、『日本型成熟社会の構築をめざして』を発表、脱社会人間こそ企業に活力を与えると提言。


 3.24日、最高裁、日産自動車の男女別定年制は無効と判決して日産の上告棄却。


 3.31日、レーガン米国大統領、狙撃されるが、奇跡的に助かり12日後に退院。後楽園球場で、ピンク・レディーの「さよならコンサート」(約3万人)。選挙運動規制強化した改正公職選挙法公布。


 3月、中国残留孤児の訪日調査始まる。


 4.12日、アメリカのスペースシャトルが大成功裡に地球に帰還。


 5月、日本海外経済協力基金北京駐在事務所開設。


 5.7日、鈴木首相が訪米し、レーガン大統領と日米首脳会談。共同声明で日米同盟関係を初めて明記。帰国後、日米共同声明に「両国間の同盟関係は、民主主義及び自由という両国が共有する価値の上に築かれている」とある内容を廻って、鈴木首相は記者会見で、概要「この同盟関係には、軍事的な意味は無い」と発言し、物議を醸していく事になる。伊東正義外相が本会議で、「日米安保条約が基調にある以上、軍事的な意味は当然ある」と答弁し、野党は「閣内不一致」と騒ぎ出すことになる。


 5月、鈴木内閣が、答弁書で、「集団的自衛権は有しているが、行使は違憲」との見解を打ち出す。


 5.10日、仏大統領にミッテラン当選。


 5.10日、ポーランドの自主管理労組「連帯」の委員長ワレサが総評の招きで来日。


 5.13日、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世狙撃事件発生。狙撃され重傷。


 5.26日、P二事件でイタリア、フォルラーニ政権瓦解。


 5.30日、バングラデシュでラーマン大統領暗殺。


 5月、共産党が「社会党抜きの統一戦線組織」として「全国革新懇」結成。平和.民主主義.革新統一を進める全国懇話会、地域「革新懇」241、参加人員415万人。松本清張、羽仁説子、真下信一、寺島アキ子、松浦総三などの文化人を代表世話人として表に立てて、世話人110名からなる組織。社共統一戦線の障害になるとの反対意見も根強かった。宮本議長の肝いり。秘書グループの推進。


 81年以降革労協.反帝学評が分裂。学生を主流とした武闘派の狭間派と労働者組織を重視する労対派(滝口系)に分裂。成田空港闘争では、狭間派は反対同盟・北原派を、労対派は反対同盟・熱田派を支援した。

 狭間派の機関紙は「解放」で、日本社会党が社民党、新社会党と分裂した現在でも「社会党・社青同解放派」と書いている。革命的労働者協会(革労協)は解放派の政治組織で、学生組織は全国反帝学生評議会連合(反帝学評)で、拠点校は明治大学。解放派といえば、現在では革労協狭間派のことを指す。


 5.16日、「日米共同声明」にうたわれた「同盟関係」に軍事的な意味合いは無いと発言した鈴木首相と伊藤外相の見解不一致から生じていた混乱の責任をとって伊藤外相が辞任した。後任に園田直厚相横滑り。


 5.17日、ライシャワー元駐日米大使、「米の核積載艦の日本寄港は既定の事実」と発言。


 6.5日、核積載疑惑の米国空母ミッドウェー、神奈川・横須賀基地に帰港。


 6.29日、中共第11期6中総会,主席に胡耀邦総書記。


 7.3日、エイズの発見。


 7.13日、東京地裁、米軍横田基地の夜間飛行差止訴訟で法律判断はできないと却下。


 7.15日、大武礼一郎議長の提起による革命英雄記念碑が東京高尾に完成、第1回革命英雄記念祭挙行さる。徳田球一、渡辺政之輔、市川正一の三賢人が最初に祭られた。


 7月、中国外交部は日本の沖縄県が釣魚島で漁業資源調査を行ったことについて日本大使館に抗議。


 7.20日、オタワで第7回先進国首脳会議。


 7.31日、阪急電鉄、大阪・梅田駅に身障者用エレベータを設置。


【院内統一会派結成の動き】

 1981年の夏から秋の臨時国会に向けて、民社党提案による「公明・民社・新自ク・社民連による院内統一会派結成」の動きが活発になった。ところが、当の民社党の中で、春日常任顧問は、最終的には「中道四党で新党結成」、その前段階としての「四党統一会派」構想であり、佐々木委員長も同じ。一方、塚本書記長・大内政審会長は、「民社の支援組織・同盟と公明の支援組織・創価学会とは肌合いが違いすぎる」と慎重で反対。党ぐるみの動きにはならなかった。

 新自クの山口敏夫幹事長は、「公明党後回しの三党統一会派論」を提唱した。これに公明党が反発、民社党は動くに動けず、結局、新自由クラブと社民連の二党だけで統一会派へ向けて動き出すことになる。新自由クラブとの統一会派へ向けての話合いは、九月に入って本格化した。両党の政策等の調整は、新自ク側は山口幹事長・柿沢弘治政策委員長・田島衛国対委員長、社民連側は楢崎書記長・江田副代表・阿部選対委員長が窓口となった。

 社民連は、政治勢力結集の最低要件として、理念―平和と自由と民主主義(自治、分権、公開、参加、公正)、政策基盤―護憲、国際的軍縮を最低綱領として、各党独自政策の許容限度を一致させるため、一致点を拡大させ、相違点は相互理解の下に克服へ努力する。軍縮・平和運動の展開―軍拡や急激な右傾化に対抗しうる幅広い勢力の結集をめざす。その場合、軍拡路線と急激な右傾化に対し、不安を感じている無党派市民層と連携できる運動を重視する、とした。


 9.10日、鈴木首相、自衛隊のヘリコプターで現職の首相としては初めて北方領土を空から視察。


 9.18日、仏国民議会、死刑廃止法案を可決し、1792年以来のギロチン刑廃止。


 9.21日、アメリカ最高裁で、初の女性判事誕生で「女性運動の偉大な勝利」に。


 9.21日、新自ク(田川誠一代表)と社民連(田英夫代表)の二党による「新自由クラブ・民主連合」結成。新会派の役員は、代表・山口新自ク幹事長、国対委員長・田島新自ク国対委員長、国対副委員長・甘利新自ク総務委員長および阿部社民連組織委員長。新自ク11名、社民連3名、計14名による衆院内統一会派が誕生した。数時間後、柿沢政策委員長が離党し13名となる。

 9.24日、社民連と新自由クラブとの院内統一会派結成を受けて、国会内で公明、民社、新自ク、社民連の中道四党首会談が開かれる。中道勢力結集問題について協議が為され、田川、田、竹入公明党、佐々木民社党両委員長による「今後努力を重ねることで意見が一致」し、具体的には四党(三会派)の書記長・幹事長レベルで緊密な連絡を取り合うことを申し合わせた。


 10月、趙紫陽総理と鈴木善幸首相、メキシコのカンクンで会見。


 10.6日、サダト・エジプト大統領暗殺される。


 10.22日、メキシコ・カンクンで初の南北サミット。


 11.5日、東京地裁、嘱託証言など検察側の主張を全面的に認めてロッキード事件の小佐野賢治の国会証言を偽証と懲役1年の判決(小佐野控訴)。


 11.18日、ロス疑惑(三浦)事件起きる。社会党、初の委員長公選を公示。


 11.25日、にせ電話事件の鬼頭史朗元判事補有罪が確定(最高裁上告棄却)。


 11.27日、鈴木首相、参議院行財政改革特別委員会で「1987年までの防衛費はGNP1%以内」との政府方針を表明。


 11.30日、日鈴木改造内閣成立(〜'82.11.26総辞職)。“灰色高官”と囁かれていた二階堂進氏が幹事長に就任。

 政治倫理にきびしい田川誠一代表らは、「田中復権の足場固めだ」と批判した。ところが田島国対委員長は、「政治倫理を強調するのはいいが、田中個人について批判すべきでない」と発言。NHKの国会討論会でも角栄援護の態度をとった。田川代表と田島氏の見解不一致は埋まらなかった。


 12.16日、最高裁、大阪空港公害訴訟で夜間飛行差止請求を棄却。


 12.21日、第96回 国会(常会)開会―'82.08.21まで、会期は244日間


 12.22日、社会党委員長公選、飛鳥田一雄が三選を果たす(党内対立は激化)。


 12月、公明党大会。自衛隊の事実上合憲と日米安保条約の存続是認へ路線転換。保守.中道政権のチャンスに対応できる体制とした。





(私論.私見)