第38部 1976年当時の主なできごと.事件年表

 (最新見直し2006.4.21日)


 元旦、目白の田中邸宅に700名の年賀客が訪れ、田中はこの時、「三月には資産を公開し、金脈問題について釈明する。そして全国を遊説する。幹はどうにでもなる。福田には絶対に政権を渡さない。大平はオレの後だ」と述べたと伝えられている。


 日教組委員長槙枝氏が総評議長に就任。


 1.8(1.14?)日、周恩来中国首相死去。


 1月、周恩来総理の逝去に三木首相が談話を発表し、中国大使館に赴き弔問。2月東京日比谷会堂で周恩来総理国民追悼集会が開催。日中友好諸団体・個人3000名が参列。


 1.12日、東京商工リサーチ、企業倒産戦後最高と発表。


【民社党による「宮本のスパイ査問事件」質問騒動】

 1.27日、春日一幸民社党委員長が、衆院本会議で「宮本のスパイ査問事件」を質問している。「共産党は、リンチによる死亡者の死因は特異体質によるショック死だとしているが、真実は断じて一つ」として、事件の究明と戦後の宮本の公民権回復に関しても疑義を表明。「裁判所の判決に示されたものが真実なら共産党の抗弁はウソであり、共産党の主張が真実なら、あの判決は宮本氏らに無実の罪を科したことになりましょう。すなわち、裁判所のあの判決は真実に即した正当なものであるのか、それとも日本共産党が主張するがごとき、それは当時の特高警察によってデッチ上げられ、かつ、その云うところの天皇制裁判によるデタラメな判決であったものか、このことは本件がいかに戦前の司法機関の責任に属するものとはいえ、問題の重要性に鑑み、その真相をこのまま曖昧にしておくことは、本件に対する国民の疑惑はますます大きくなるばかりであります」と述べ、「あのリンチ共産党事件なるものの事実関係を、あらためて国民の前に明らかにする必要があると思うが、政府の見解はいかがでありますか」と、政府の見解を迫っている。「共産党議員のヤジと怒号、一方では自民、民社党議員の拍手に包まれて春日一幸民社委員長がゲンコツでテーブルをたたきながら熱弁をふるった」(鈴木卓郎「共産党取材30年」)とある。

 1.30日、塚本民社党書記長がスパイ査問事件についての詳細な質疑を行い、果ては宮本の「復権問題」、刑の執行停止に伴う残余の期間にまで及ぶ質問(衆院予算委員会)が為された。稲葉法相は、質問に答え、「宮本、袴田らの手で行われた凄惨なリンチ殺人事件」の事実を認めている。

 不破書記局長が、衆院予算委員会での春日質問を非難、「国会を反共の党利党略に利用するもの。宮本委員長の復権は法的に決着済み。暗黒政治の正当化だ」と反論。但し、「判決に不服なら再審の請求という手段がある」という稲葉法相の指摘に対してはノーコメントで通している。

 1月末、自民党「共産党リンチ事件調査特別委員会」設置


 この件に関するマスコミの報道は次の通り。朝日新聞「歴史の重み、矮小化の恐れ、醜聞の立証に終始する政争次元の論議は疑問」という見出しで、「この事件を論ずるためには、小畑氏の死因の究明ではなく、こうした政治社会的な背景の分析に力点が置かれるべきであり、しかもそれが戦争から敗戦につながった歴史への反省を込めて行われるべきであろう」。毎日新聞「取り上げる意義どこに 資格回復の是非いまさらに論議しても---」。読売新聞コラム「共産党は好きでないが」と前置きして、「春日演説が暗黒政治と軍国主義の復活を推進することになりはしないか」と憂えた。

 1.30日、公明党・矢野書記長は衆院予算委員会で、概要「かっての治安維持法のもとで特定の思想が不当な弾圧を受けた、こういういきさつがある。民主主義を正しく育てていくために、こういった問題を今後教訓にしていかなくてはならない。従って、国会の責任というものは、なぜこういう事件が起ったのか、その政治、社会的な背景を分析する無歴史の教訓として、冷静に、公正に、且つ客観的な事態の解明が必要である」と述べた。

 2.2日、社会党・成田委員長は遊説先の佐賀市で記者会見し、「今国会は政策対決を通じて解散を勝ち取る場であるにも関わらず、戦前の治安維持法体制下でおきた問題を持ち出したのは遺憾だ。この問題を歴史的背景と切り離して取り上げることは正しくない。全野党共闘を実現するために共民両党の節度ある態度をのぞみたい」と述べた。


【不破の「宮本のスパイ査問事件」関連質問】
 1.30日、不破が、衆院予算委員会で、戦前の治安維持法関連の質問をした。次のような遣り取りをしている。
不破  「特高警察が日本共産党や民主的な団体を弾圧するために、スパイを広範に用いていたということは明白な事実です」。
稲葉法相  「治安維持法、治安維持法と云いますけれど、当時の日共というものは暴力で革命をやり、政府を転覆しようとしておった事実がある訳です。それに対して、政府が防衛手段を講ずることは当然じゃないですか」。

【「ロッキード事件」勃発】

 2.4日、アメリカ上院外交委員会多国籍企業小委員会の公聴会で、ロッキード社の贈収賄工作が証言された。「ピーナッツ100個(暗号領収書、ピーナッツ1個は100万円で、100個は1億円)」などロッキード社不法献金の証拠資料が公表された。日本の場合、小玉、丸紅、全日空、小佐野賢治らを通じて、約36億円の工作資金が流れたといわれた。こうして「ロッキード事件」が勃発した。

 三木首相は、「日本の政治の名誉にかけて真相を明らかにする必要がある」とぶちあげた。三木を推挙した椎名は、「一点の惻隠の情さえ見られない」と苦りきった。以降自民党内は大混乱へひた走っていくことになり、反三木派は「三木降し」へと向かうことになる。

 鈴木卓郎の「共産党取材30年」には、「助かったのは『スパイ査問事件』を追及されていた共産党である。『査問事件』のナゾは解かれたわけではないが、要するに話題はロッキード献金の方へ移ってしまい、話題としては急速にしぼんだ。宮本を獄中から釈放したのはマッカーサーであった。今度はロッキードが宮本を世論の総攻撃から救った。これで宮本は二度『アメノか帝国主義』に助けられたことになる。なんとも運の強い皮肉な共産党委員長といわざるを得ない」とある。


 2.8日、西沢富夫常任幹部会委員・団長、ユーゴ、ルーマニアの党訪問のため出発。


 2.10日、「文芸春秋」3月号発売。


 2.16日、衆議院予算委員会、ロッキード事件で国際興業社主小佐野賢治(田中の刎頸(ふんけい)の友)、全日空社長若狭得治・副社長渡辺尚次を証人喚問。


【共産党の全国活動者会議】
 2.24日、共産党の全国活動者会議が開かれ、党本部から宮本委員長以下全党幹部が出席し、党機関幹部1172名が参加し、秘密会議の様相で種々意思統一が為されている。

 この時党は会議運営委員会(防衛隊員216名による)の厳しい監視下の秘密会議としている。「これが共産党」(水島毅・全貌社)によると、参加者には通し番号付きで「必ず返却」と記入された「注意事項」が手渡された。その内容は次の通り。1、入場したら許可無く外出は許されない。2、外部への電話は許さない。3、外から電話があっても取り次がない。4、単独行動は許さない。5、廊下や控え室でのヒソヒソ話は許さない。6、記念撮影などは許さない。7、テープ録音は許さない。8、宿舎では外部への連絡は許さない。9、発言は文書によって予め提出する。10、全ての文書の処理は袋に入れ係員に渡す。11、怪しい奴を見つけたら、すぐ係員に連絡せよ。

 3月、中国総領事館が大阪で開設。


 3.7日、社会党第39回大会、「米ソ両超大国の覇権主義反対」を承認。


 3.23日、東京都議会警務消防委員会での質疑について、鈴木卓郎著「共産党取材30年」は次の遣り取りを明らかにしている。概要「公明党議員が、『宮本委員長だけでなく、野坂議長や袴田副委員長も銃砲を持っていると聞いたが』と質問したのに対し、警視庁の三松正男防犯部長が『袴田委員長は1966.2.8日にライフル銃の所持許可を得ている』と答えたことがある」。宮顕の所持は有名なところであるが、野坂・袴田も同様であることが明らかにされている。共産党現中央特有の性癖であるが、何のために彼らはそのような趣味というか防衛配慮の必要があるのだろうか、訝しいところである。


 3.24日、江田社会党副委員長らが社公民の有志と学者で「新しい日本を考える会」結成。


 3.26日宮本委員長、江田・矢野・佐々木らの「新しい日本を考える会」を「保革連合」と批判。社共中軸の革新統一戦線を呼びかける。


 3.27日、スペイン共産党のカリリョ書記長来日。3.31日共同声明発表。


 3.30日、三木首相のロッキード究明の姿勢に、三木政権生みの親である椎名自民党副総裁、「はしゃぎすぎ」と批判。


 4.2日、田中角栄、田中派総会で「私の所感」を発表し疑惑を否定。


 4.4日、フランス共産党のマルシェ書記長来日。4.8、9日、レセプション。この時、宮顕は、「これまでのようにマルクス、エンゲルス、レーニンの一言一句を金科玉条にしない」、「マルクス・レーニン主義と言えば、ロシア型社会主義と誤解される。これからは科学的社会主義と呼びたい」、「既にプロレタリア独裁を執権に変えたが、さらに次の党大会ではこの項を削除したい」、「マルクスの言う暴力(ゲバルト)とは、日本語の強力(フォース)と訳すのが適切だ」等々述べた(鈴木卓郎「共産党取材30年」)。

 4.10日、共同声明発表。そこには、「日本共産党とフランス共産党は、民主主義的変革の段階でも、社会主義の段階でも、自由と人権の拡大、普通選挙の結果の尊重、複数政党制の尊重、民主主義の持続的発展を保障する意思を重ねて確認する。両党は、国家によってどのような思想をも押し付けたり、またいかなる思想や信仰を禁止したりすることを認めない。思想には思想をもって対応し、広範な国民の支持をえるものである」と声明されていた。


 鈴木卓郎氏の「共産党取材30年」に、1976年4月末現在の共産党フロント組織として次のように記されている。

 概要「民青同約20万人、代々木系全学連約52万人、新婦人約16万人、民商連約33万人、民医連約24万人、全生連約6万世帯、日本科学者会議約1万人、日本平和委員会約1万4千人、これらが代々木の別働隊となって広い情報ネット・ワークを形成している」。


 4.5日、中国天安門事件発生。


 4.7日華国鋒,中国首相に,トウ小平の職権はく奪。


 5.3日、三木内閣、24年ぶりに憲法記念日式典を憲政記念会館公式行事として開催。


 5.11−12日、共産党の「第8中総」が開かれ、宮本委員長が臨時党大会を提起。「全国民の耳目がロッキード捜査の進展に集中している」時の異例の党大会提起であり、「政治は一寸先は分からん」という中での大激動に対するタイムリーな予測がピタリと当たることになった。

 5.13日、党本部発表によると、党員37万人以上、機関紙読者本紙65万部、日曜版240万部の合計305万部で、第12回党大会で掲げられた目標「40万党員と400万人以上の機関紙読者を目指す党建設3ヵ年計画」を大きく下回っていた。


 5.14日、ロッキード問題調査特別委員会発足。


 6.8日、平野謙氏が「リンチ共産党事件の思い出」を出版。袴田里見の訊問・公判調書全文が発表された。


 6.11日付け赤旗に、袴田里見の「スパイ挑発との闘争と私の態度」が発表された。


 6.19日、社会主義協会が「三月会」推進などを決定。


 6.25日、河野洋平、山口敏夫ら6議員が自民党を離脱し新自由クラブ結党。


 6.27日、第二回目の主要先進国首脳会議がプエルトルコで開かれた。三木首相はこれに出席した後アメリカに向かった。


 6.30日、ワシントンで三木.フォード会談。三木首相の主な目的は、「ロッキード事件の追及に関し、アメリカ側からより多くの協力を得る」ことだった。1997年に公開されたキッシンジャー・レポートは、この時三木首相が、キッシンジャーともフォード大統領とも「ロッキード事件についての全般的な意見交換」をしたことを伝えている。興味深いことは、田中首相に対する絶賛且つ警戒的レポートとは対照的に、「彼の政策はしばしば詳細に欠け、実質的な内容より広報宣伝的要因から生まれる場合が多い。三木が成功した分野は数少ない」と軽視酷評されている。


 7.2日、社会党中執委、社公民選挙協力を了承。


 7.10日、新しい日本を考える会設立(江田社会党副委員長は会の顧問に就任)。


 7.15日、日本共産党創立56周年を記念する全党集会の席上、大武礼一郎議長は『日本革命の戦略問題』について講演した。この偉大な文献は革命的前衛党再建のための政治上の武器となった、とある。それより以前の1974.5.2日大武議長による『思想方法論』が完成、発表さる。これは党再建のための理論上の武器となった、とある。


【ロッキード事件で田中前首相逮捕】
 7.27日早朝、田中が外国為替法違反、受託収賄罪容疑で東京地検特捜部に逮捕された。法相稲葉修。(前首相逮捕は、昭電疑獄の前首相芦田均についで、日本憲政史上2人目)

 第13回党大会を目前にして、党内に「党報」を配り、共産党第13回臨時党大会で決議予定の三議案について討議に付した。プロレタリアート独裁とマルクス・レーニン主義規定の放棄の是非を廻って党内論議が諮られた。140通を越す意見書が出され、この中から51通が選ばれて4.14日付けの党特別号bPが発表された。続いて、7.19日に意見書40通掲載の党特別号bQ、7.25日に意見書55通掲載の党特別号bRが発表された。しかし、この経過は、bPに掲載された反対意見をbQとbRで袋叩きにする猿芝居じみたものでしかなかった。



【共産党第13回臨時党大会開催される】

 7.28日、第13回臨時党大会開催される。昭和51年秋に予定していた定期党大会を翌52年に延期することとし、第13回臨時党大会を開いた。50余年の党史で初めての臨時党大会となり、ロッキード事件摘発最中に行われたことを考えると、対田中角栄闘争に異例の並々ならぬ意思統一をしたものと思われる。

○期日.会場.代議員数について

 7.28から三日間、第13回党大会を開く。立川市民会館。全国から1116名の代議員(うち病欠1名)、評議員1名、中央委員会顧問7名の計1123名が参加した。この時党幹部会副委員長・岡正芳が出席していない。

 この時の大会は公開され、「開かれた共産党」のイメージが演出された。但し、代議員は党中央指定の都内数箇所に泊められ、大会場へはバスで送迎され身辺も厳重に監視されていた。

○大会の眼目

 宮顕・幹部会委員長が、大会の冒頭の挨拶と基調報告をした。「救国と革新の国民的合意」、「国民的合意促進の運動」について強調した。その眼目は、大会冒頭で前日の田中前首相の逮捕を誇らしげに伝えていることからも分かるように、対田中闘争の徹底推進にあった。宮顕は、「三木内閣の手で事件の徹底的究明をさせる。捜査途中での三木降ろしに反対する。これは自民党内の政権たらい回しを許し、即時国会解散を要求することとなり国民の希望に反する」と「三木支援」の演説をぶった。奇妙なMMホット・ラインがここに刻印されている。

○採択決議について

 大会は野坂議長の開会宣言、宮顕委員長の1時間余に及ぶ「挨拶」で始まり、金子満広が「第13回臨時党大会決議案」を、不破書記局長が「綱領・規約改正案」を提案、榊利夫理論政策委員長が「自由と民主主義宣言」について報告、討論に移り採択。これより5ヶ月前にフランス共産党が「自由と民主主義憲章」を打ち出していた。これとほぼ同じ内容。

 この時 「用語革命」が前回大会に引き続き為された。綱領から先の大会で、プロレタリア独裁が執権に統一され、「ソ連を先頭とする社会主義陣営、全世界の共産主義者、全ての人民大衆が、人類の進歩のために行っている闘争をあくまで支持する」の「ソ連を先頭とする」が削除され、「国会を反動支配の道具から人民に奉仕する道具に変え」の「道具」を「機関」に改められたが、このたび「マルクス・レーニン主義」が削除され「科学的社会主義」との表記に改変された。前大会で「プロレタリアート執権」と変更された「執権」が削除され「労働者階級の権力」に書き改められている。 

 「科学的社会主義」との表記替えについて、不破は後に、「マルクスやレーニンの言っていることを絶対化しない、金科玉条にしないという私たちの立場を表すには、この理論を個人の名前と結びつけた『マルクス・レーニン主義』という呼び名は適切ではない、と考えたから」(「科学的社会主義を学ぶ」、新日本出版社、20頁)と説明している。

○新執行部について    

 7.31日、第11回中総で、中央委員は、前回の**名から122名、同候補は**名から53名、中央統制監査委員は*名から*名を選出した。

 新しい中央委員会は、議長に野坂.委員長に宮本(68歳).幹部会委員長代理(候補)に不破(45歳)、不破は書記局長兼務で党内bQに昇格。上田・西沢・村上が副委員長に昇格し、副委員長に袴田(72歳)、岡(62歳)、瀬長(68歳)、西沢富夫(63歳)、村上(54歳)、上田(49歳)となった。

 書記局次長に市川正一、金子満広、常任幹部会委員は上記委員の他岩林虎之助、戎谷春松(統制委員会責任者)、岡本博之、蔵原、諏訪茂、高原晋一、松島治重らの面々が登用されている。

 前の第12回党大会で選出された中央委員のうち竹内七郎、遠藤陽之助、谷口善太郎、准中央委員のうち増田貫一、名誉中央委員の江口かんの5氏が死亡、藤原隆三幹部会委員は解任。

 副委員長の岡正芳が病気という理由付けで代議員に選ばれず、失脚したことが明らかとなった。綱領改訂問題で宮顕委員長と対立した側の旗頭であったことが原因であったと考えられる。


【「自由と民主主義の宣言」について】

 この時の大会で、「自由と民主主義の宣言」が為された。宣言は、4章(1・進行する自由と民主主義の危機、2・日本の民主主義の過去と現在、3・科学的社会主義と自由の問題、4・自由と民主主義の確立と発展・開花をめざして)構成。委員長・宮顕は、提案理由を次のように述べている。

 概要「これらの議案を我が党中央が提出した最大の動機は、我が党の理念に対する彼らの中傷、誹謗に対して受動的に対処するのではなく、我が党こそ歴史的にも理論的にも、まさに自由と民主主義の確固とした戦士であることを明確にすることであります」。

 同宣言は、共産党が次の点で従来の見解を改めた。1、私有財産の保障として「独立・民主日本はもちろん、社会主義日本に移行した段階でも、勤労者の私有財産は保障される」。2、議会制民主主義を守るとして「国民主権の立場から、独立・民主日本でも、社会主義日本でも普通選挙権にもとづく国会を名実ともに最高機関とする民主主義国家体制が確立、堅持される」。3、複数政党制と連合政権を志向するとして「反対党をふくむ複数政党制をとり、すべての政党に活動の自由を保障し、選挙で国民多数の支持をえた政党または政党連合で政権を担当する」。4、政権交代制を保障するとして「この議院内閣制(議会多数派で組織)によって、政権交代制は当然維持される」。5、宗教や言論の自由の保障するして「言論、出版その他表現の自由を、用紙や印刷手段の自由な利用の保障などを含め、擁護する」、「表現手段などに恵まれない人々に対しても、自己の思想や主張などを発表し得るように物質的な保障を確立する」、「この物質的な保障は、あくまで表現の自由の不可侵を前提としたものであり、それを検閲や統制の手段とすることは許されない」。

(私論.私見)「自由と民主主義宣言」と綱領路線について

 
この宣言の歴史的意味は認められようが、ならば「61年綱領」に残滓的に見られる「『敵の出方論』に立った暴力革命の方針に基づいて我が国の革命を遂行するという綱領の基本路線や革命勢力としての基本的性格を明示した党規約」との整合性が危ぶまれることになる。この問題をどのように処理していくのかが見所となる。


【76年当時の党の方針の特質と要点】

○〈本党大会までの執行部評価〉について

@〈世界情勢に対する認識〉について

 従来の綱領にあった「ソ連を先頭とする社会主義陣営、全世界の共産主義者、全ての人民大衆が人類の進歩のため行っている闘争をあくまで支持する」の「ソ連を先頭とする」を削除した。

A〈国内情勢に対する認識〉について  
B〈党の革命戦略〉について
C〈党の革命戦術〉について
D〈党の具体的な運動方向〉について  
E〈党の大衆闘争指導理論〉について  
F〈党の機関運営〉について  
G〈左翼陣営内における本流意識〉について  
H〈この時期の青年戦線.学生運動〉について


 8.2日、田中前首相の私設秘書笠原政則氏、埼玉県の山中で自殺体で発見。


 8.16日、田中角栄、受諾収賄罪と外為法違反容疑で起訴される。


 8.19日、福田・大平・田中・椎名・船田・永田6派、挙党体制確立協議会を結成し、三木退陣を要求=『三木おろし』→三木内閣孤立。


 8.20日、東京地検特捜部、自民党衆議院議員佐藤孝行を受託収賄容疑で逮捕。


 8.22日、江田社会党副委員長、革新研全国活動家会議で「革新政権への決意」と題して講演(社公先行、協会は党革新のガン、開かれた党づくりなどの基調を確認)。


 9.9日、毛沢東中国共産党主席死去。


 9月、毛沢東主席の逝去に三木首相が談話を発表し、中国大使館に赴き弔問。10月東京で毛沢東主席国民追悼集会が開催。三木首相のほか各界人士3000名が参列。喬冠華外交部長と小坂外相がニューヨークで会談。中日平和友好条約の早期締結に合意。


 中日海底ケーブル開通(上海=熊本県苓北町 約850`) 。


 9.15日、三木改造内閣発足。

 9.20日、スウェーデン社民党下野。


 9.28日、矢野公明党書記長、春日民社党委員長が、衆院本会議で、スパイ査問事件を再度追及。


 10.1日、不破書記局長の秘書が深酒して自転車を盗み逮捕される。


 10.5日、自民党の「共産党リンチ事件調査特別委員会」が、@・事件は捜査当局によるデッチアあげでなく、緻密に計画された犯行である。A・小畑達夫の死因は外傷性ショック死である、との報告を発表。

 10.7日、稲葉法相が、「人のものは俺のもの、俺のものは俺のものという態度で言論の自由とか、三つの自由とか国民に訴えても国民は信用しない」との発言が朝日新聞に報ぜられている。


 10.12日、江青ら4人組逮捕,華首相が主席就任。


 10.21日、例年最大の柱となっている「10.21闘争」は、全国で約21万4,000人(50年約21万5,000人)にとどまった。が、「天皇在位50年記念式典粉砕闘争」を間近に控えて取り組まれた中央では、前年をやや上回る約2万8,000人の動員となった。


 10.22日、中国、四人組の陰謀摘発と華国鋒主席の就任発表。


 11.1日、法務省、衆参両院ロッキード特別委員会に「灰色高官」18人の肩書提出。


 11.2日、カーター米大統領が当選。


 「天皇在位50年記念式典粉砕闘争」

 「天皇在位50年記念式典粉砕」が闘争課題となり、式典当日の11月10日には、全国73箇所に約1万1,900人(うち、新左翼系42箇所、約6600人)を動員して、集会、デモ等の式典粉砕闘争が行われた。11月2日からの前段闘争でも、全国58箇所に約6,300人(うち、新左翼系33箇所、約1,800人)を動員して、集会、デモ等に取り組んだ。また、この闘争を通じて、日本武道館その他に対し火炎びんが投てきされるなど10件の「ゲリラ」事件が敢行された。この式典粉砕闘争をめぐって、公務執行妨害等で極左暴力集団等58人が検挙された。


 11.15日、第34回衆議院議員総選挙公示(戦後初の「任期満了」による総選挙)


 11月末、福田.大平.鈴木.園田直に立会人保利の5者会談。次期総理を福田にすることを内定。この時2年後の大平禅譲密約も為されたが、口答ですますことになり、後日問題化する。


 11月、三木内閣が、防衛費GNP1%枠を閣議決定する。


 12.1日、宮本委員長が、「暫定政権の政策目標に安保廃棄は加えない」と発言。


【第34回衆議院議員選挙】
 12.5日、第34回衆議院議員選挙(三木首相、中曽根幹事長)。自民党は総選挙敗北。自民党249(前回比―22)、社会党123(前回比+5)、公明党55(前回比+26)、共産党17(前回比―21)、民社党29(前回比+10)、新自由クラブ17(前回比+12)、無所属21(前回比+7)。江田社会党副委員長落選。

 保釈中の田中前首相、新潟3区で16万8522票を獲得(トップ当選、前回より2万4千票ほど減)。ロッキード事件関係者は、佐藤孝行氏(北海道3区)が落選しただけで、他は全員当選した。橋本登美三郎(茨城1区)は7万3034票で3位当選。加藤睦月(岡山2区)は8万590票でトップ当選。二階堂進(鹿児島三区)は5万9444票でトップ当選。福永一臣(熊本2区)は最下位ながら当選。後藤田正晴氏が二度目の挑戦で三木に次いで当選。

 
共産党は19(←39)議席に激減。公明55、民社29に続く野党第4党に転落。得票数は前回総選挙を約33万票上回る約603万票であったが、得票率は10.6%と前回を0.32%下回った。


 自民党の派閥を見ると、各派閥とも大幅に議席を失ったが、特に総・幹事長派閥の三木、中曽根派が激減した。

 12.17日、三木が辞任表明。遮二無二「三木降し」に抵抗してきた三木内閣も命運尽き総辞職させられている。


 12.23日、自民党衆参両院協議会、第8代自民党総裁に福田赳夫(71歳)を話し合い選出した。


 12.24日、国会で選出され、福田内閣発足。衆院での首相指名選挙では、過半数ギリギリの256票しか獲得していない。福田内閣発足。この時福田71歳。幹事長大平。「さぁ、働こう内閣」。官房長官・園田直、幹事長・大平の布陣。外務大臣鳩山威一郎、文部大臣海部俊樹、厚生大臣渡辺美智雄、環境庁長官石原慎太郎。 (経済の福田→不況の克服=解散権行使せず)

 官房長官に抜擢された園田直は、もともとは河野一郎派に属し、河野の死後は派を引き継いだ中曽根と袂を分かつて園田派を率いていた。その後福田派に合流するという福田派内からみていわば「外様」であった。

 「三木おろし」の経緯からして、福田政権の主流派は「挙党協」を構成していた福田・大平・田中派となった。三木・中曽根派は反主流に追いやられた。

 福田は、国債発行を極めて積極化させていった。田中内閣のときの73年度末の国債発行額は1億7622万円、国債依存度12%であったのに対し、77年度になると国債発行額9兆5612億円、国債依存度32.9%に跳ね上がっていくことになる。しかも、田中内閣時代には赤字国債はゼロであったが、福田は4兆5333億円発行している。78年度には、国債発行額10兆6740億円、79年度13兆4720億円と急増化している。

 太田龍・氏の「ユダヤ世界帝国の日本侵攻戦略」は次のように述べている。
 「福田内閣に於いて、ユダヤは日本を日米欧三極委員会(TC)体制に、決定的に組み込むに至った。これは直ちに、日本の内政に重大な影響を与えている。それは、ユダヤ地下世界政府の決定に基づき、福田内閣が大蔵官僚の強い反対を押し切って、赤字国債路線を踏襲したことである。元大蔵官僚主計局長の福田が、こんなことをやらされるのは逆説的だ」。

 12.28日、共産党13中総が開かれ、宮本委員長の参院選全国区出馬が発表される。宮本委員長の選挙区割りは東京都全体となった。百万票以上、10位以内の当選が目指された。高原晋一常任幹部会委員が、財政経営委員会責任者、財政部長兼任のまま、選挙対策局長に任命された。子飼いの懐刀高原の裁量のままに湯水の如く選挙費用が使われていくことになった。三種類の宣伝文書(一冊平均百円としても1億5千万円)、「必勝袋」(一冊平均百円としても3億円)と称する全国用宣伝文書(候補の紹介、党の政策、赤旗号外、各種ビラ)。これまで金権選挙に負けたと批判しながら、当の本人の出馬ともなるとそれを上回ることをして恥じない。





(私論.私見)