戦後革命の敗北考

 戦後革命史の流れを質的に見ると次のように識別することが出来る。政治史上の政変で追う事も出来るが、日本左派運動の芯で在り続けた日本共産党の執行部とその方針の動きで追って見る方が正確かと思われ、この観点より総括することにする。この観点は目下れんだいこの独眼流であり、どなたかこれを評価されんことを願う。

 第一期は、「日本帝国主義の敗北(45.8)から1950年初頭のコミンフォルム論評が出されるまで」の「戦後革命の疾風怒濤とその敗北まで」の期間となる。この識別については論者の見解は概ね一致する。問題は、この第一期を更に仔細に見てどう識別するかである。れんだいこは、次のように整理したい。

第@期 【徳球−志賀執行部】
(二頭体制)
日本帝国主義の敗北(45.8)から共産党員の釈放(45.10)時の「獄中声明」を経て、45年末の第4回党大会での【徳球−志賀執行部】を経て第5回党大会まで。
第A期 【徳球―野坂―志賀執行部】
(トロイカ体制)
46.2月野坂が帰国し、野坂の右派系政治理論が党に影響を及ぼし始める。党は、【ミニ第@期】の【徳球−志賀執行部】体制から【徳球―野坂―志賀のトロイカ体制】に転じ、「2.1ゼネスト」へ向かう。この期間を、戦後党史【ミニ第A期】とみなすことができる。その出発点は「第五回党大会」(2.25日〜)となる。
第B期 【徳球−野坂−伊藤律執行部】
(トロイカ体制)
2.1ゼネストの敗北から第6回党大会で【ミニ第A期】の【徳球―野坂―志賀のトロイカ体制】から【徳球−野坂−伊藤律執行部】に転じ、これを始発として片山―芦田内閣時の地域人民闘争を満展開する時期を経て第3回総選挙での躍進までを戦後党史【ミニ第B期】とみなすことができる。
第C期 徳球−伊藤律―野坂執行部】
(徳球家父長体制)
吉田内閣の再登場により支配階級は反動攻勢を強め始める。執行部は【ミニ第B期】の【徳球−野坂−伊藤律執行部】から【徳球家父長体制】に転じ、「9月革命」を呼号する。党は、地域人民闘争を更に社共合同運動へと高め、戦後革命の階級決戦に向かう。この期間を戦後党史【ミニ第C期】とみなすことができる。


 田川和夫氏は以下のように識別している。

第一期 日本帝国主義の敗北(45.8)から共産党員の釈放(45.10)まで
第二期 共産党の再建から第一次吉田内閣の成立(46.4)
第三期 吉田内閣成立に伴う憲法制定議会
第四期 9月闘争から2.1ゼネストの挫折
第五期 中道内閣の登場からその崩壊
第六期 第二次吉田内閣の成立から49年の大敗北





(私論.私見)