新日和見事件の考察 第2部−2 その5 B「党の強権論理の根拠理論」について

 (最新見直し2007.2.7日)

 関連サイト「党内における「排除の論理」の瀰漫との闘争

 「歴史に学ぶ姿勢の無い者は『井の中の蛙(かわず)』になる」(星宮*生)。そういう意味で、日本左派運動の愁嘆場を前にして我々は反省すべきだろう。その最大の肝要事に組織論・運動論に対する省察があるだろう。この関心からと思われるが、「革命党の在り方は、実現すべき未来社会の在り方によって逆規定されるべし論=逆規定論」での立て直しが云われているようである。

 れんだいこは少し違う提言をしたい。「革命党の在り方は、まずもって自らの党派運動の中に可能な限り実現すべき未来社会のミニチュアモデルを形成すべし論=前倒し論」での建て直しを要求したい。この能力の獲得如何が全てのキーではなかろうか。つまり、れんだいこは、逆規定論的な演繹法によるのではなく、帰納法的に捉えていることになる。ここははっきりさせておきたいところである。

 次に、「民主集中制」理論についてもコメントしておきたい。この制度のどこがオカシイのか。誰にでも分かるように端的に述べれば、それが革命運動にとって何ら利益が無い理論且つ制度であるからである。実践的に認められるとすれば、非常時の特殊形態としての過渡的措置としてであろう。この場合は、非常時の規定を明確にすべき責務がある。その点だけ留意すれば、「民主集中制」は百害有っても一益も無い。

 そもそも「民主集中制」の「民主概念」規定、「集中概念」規定を為さぬままこれを用語としてのみ流布させ、実質的には党中央専制的にのみ機能せしめている実態を見れば、左派運動は逸早くこれを却下せねばならなかった筈である。しかし、そうはならなかった。むしろ王朝システムに道を開いてしまった。

 ましてや、いわゆる先進国革命論を弄んで実質的には左派運動の後退に次ぐ後退しか生み出さなかった西欧型コミュニズムを必要以上に持て囃しつつ、組織論的には牢として「民主集中制」に固執するのは犯罪的であろう。この点で、これを頑迷に維持する宮顕―不破系日共の特異体質を詮索せねばならない。彼らの「民主集中制」は良からぬ狙いで維持されているのではなかろうか。それは、日本左派運動の解体と右傾化指導にのみ寄与する変則制度としてのみ活用されているのではないのか。もっともそういう日共体質を批判しながら同様システムを取り入れている他の左派党派も同罪かも知れない。

 我々の左派運動はもっと感性豊かにいわばルネサンス風に展開されねばならない、のではなかろうか。右派系運動に流し込む為の「民主集中制」でもってあれをしてはいけない、これをしてはいけない規制を加えるなど噴飯ものとして却下せねばならないのではなかろうか。もっと瑞々しく幾世代に亘る連携事業として革命運動を構想せねばならない、のではなかろうか。

 たかが議会専一運動為すのに「民主集中制」が何の甲斐があろう。要するに、大衆の創意工夫性と喧喧諤諤による論理能力の鍛錬に水を差し、のっぺらぼうなピーマン型頭脳を作り出すためにしか役立っていない、のではなかろうか。

 結論として、左派運動組織論から「民主集中制」を廃棄すべきである。そして限定的に導入される場合の理論的考察をせねばならない。これに向かわず、パフォーマンスだけのアリバイ的活動で日々が暮れ忙しい忙しいを連発する手合いばかりである。かようなカメレオン左派人の接近に対しては、じゃかましいと一喝してやればよい。れんだいこはそう思う。

 2003.3.3日 れんだいこ拝


 党の民青同に対する引き回し指導ぶりは、後世において無茶苦茶であったと総括されると思われる。その理論的根拠の一つに「ベルト理論」がある。「ベル ト理論」とは、党の方針・決定が伝達される場合に、党中央→大衆団体内の党員フラクション→大衆団体決議→国民一般への働きかけという図式でなされ、この間民主集中制原則が貫徹されて上意下達式に極力一方通行化するのが望ましいとされる理論である。

 問題は、党内ならともかくも、大衆団体組織に対してまで、その自主性を尊ぶよりは、ベルト式自動調での下請け機関視されていることにある。党中央にとって非常に好ましい組織論・運動論の典型的理論であるということになるが、大衆団体組織を党中央に拝跪させるこうした理論の功罪は罪の方が大きい、というのが今日では自明であるように思われる。

 こうした「ベルト理論」は、スターリン時代に満展開された手法であるが、宮顕の思考スタイルにもぴったりのものであったようで、宮顕執行部確立以降においては、反対派生息の臭いがし始めるや否や、党内は云うに及ばず大衆団体諸組織に対してまでこの理論が堂々と押しつけられてきた。

 「宮地健一HP」は次のように述べている。

 「宮本氏は、その後、このスターリン『ベルト理論』型思考に基づいて、1983年に、『民主文学四月号問題』で、対民主主義文学同盟クーデターを発動しました。そこでは、文学運動とまるで関係のなかった、元宮本国会秘書・宇野三郎常任幹部会員を粛清担当につけました。1984年には、原水協と原水禁・総評との統一行動問題で、対平和委員会、対原水協クーデターを強行しました。この対民青クーデターをふくめて、宮本氏は、共産党系大衆団体への3大クーデター事件を成功させた、『ベルト理論』の偉大な実践者です」。

 ちなみに、「民青同は日本共産党のみちびきを受ける」ことを規約に明記した組織で、この「みちびき」を拡大解釈すれば容易に「ベルト理論」と接合することになる。

 もう一つ、党の強権支配を容認せしめる理論的根拠になっているものとして
「一国一前衛党理論」がある。「一国一前衛党理論」とは、一つの国には一つの前衛党しかあり得ないとする議論で、時の執行部を権威付けあらゆる分派活動を厳格に禁止する論拠となった。こうなると、前衛党の執行部を掌握した者ないしそのグループには正統のお墨付きが授与されることになり、この如意棒を振り回すことで絶大な権力が形成されることは自明であろう。わが国においては、「六全協」後宮顕グループが党内権力を確立し、以来反対派はその都度異端視され排除されつつ今日まで至っている。

 これに対し、70年代の後半からであったか、「査問」176Pは次のように記している。

 「当時中野徹三、藤井一行、田口富久治ら一部の党員政治学者たちがマルクスやレーニンの党組織論にさかのぼりながら、それまで共産主義運動の中では自明のこととされた『一国一前衛党』論に対する疑問の提起を始め、スターリン主義の批判的検討に向けて精力的な理論活動を始めていた」、「しかし、理論的に複数の前衛党がありうるとすれば、党内に発生 した分派は、もう一つの前衛党の萌芽かもしれない。少なくとも分派だからといって直ちに『反革命分子』と決めつけることは出来なくなる。学者達は、マルクスやレーニンも本当は『一国一前衛党』などとは言っていないはずであり、単純なドグマに仕立て上げたのはスターリンだったのだ、と議論を展開していた」 。

 こうした理論的貢献を認めるほど現党中央は度量が大きくはない。党中央は、このような理論的解明に向かおうとする学者達に対する締め付け指令を強権発動させた。不破は、こうした際には最も戦闘的イデオローグ として立ち現れ、口舌家として活躍することになる。

 もう一つ、党の強権支配を容認せしめる理論的根拠になっているものとして
「民主集中制組織理論」がある。これを簡略に纏めた一文を引用する。

 「これはコミンテルンの組織形態で、もともとは帝政ロシア時代の無政府主義者が生み出したものです。一言で言うなら『上意下達』システムで、一応形式的にはツリー型構造で下の意見を上に反映する道はあるものの、一度中央で決まった意見には無条件で従い、反対することは許されないという、一枚岩的な組織を形作るのに適した中央集権システムです」(「JCPウオッチ」横レス氏投稿文、2002.4.13日)。

 この組織原則の実際の運用のされ方の問題性は、 「民主」を成り立たしめる手続き的要件の解明に向かうことなく、専ら「集中」の作法に則っての恭順を党内に催促することとなり、これに誰も異論を唱えられないという不思議さを生じさせることにある。こうなると、「民主集中制」とは名ばかりであり、実際には権力掌握者一般が常用してきた権力理論そのものでしかない。 しかしながら、これが好評で、国際共産主義運動に広く採用された「不変の原則」的組織論となって今日まで通用している。

 これを説明すると紙数を増すばかりとなるので、分かりやすい定型句で説明する。

党中央絶対主義  「共産党の原則からすると、党中央の方針は絶対のものである」。
党中央盲従主義  「共産党には、党員は党中央委員会に従わねばならないという原則がある」。
党中央服従主義  「党には、党の決定は無条件に実行しなければならない。『個人は組織に、少数は多数に、下級は上級に、全国の党組織は、党大会と中央委員会に従わなくてはならない』という党規約がある」
党員統制論  「忠実な党員ほどこの原則は絶対的なものであり、こうした党員が党を支えている」
異論排除主義  「次には疑うこと自体が問題だという思考方法に発展する。こうなると、中央幹部のいうこと以外目に入らなくなる」。

 つまり、絵に描いた様な洗脳型権力理論であることになるが、「絶対権力は絶対腐敗する」という罠から免れる工夫を持っているのだろうか、そこが問題だろう。

 どうやら、こうした組織論の前提として、「党は組織全体が一つの体のような ものであり、その頭脳は中央委員会であり、個々の党員はその細胞のようなものであり、細胞の情報の一切が頭脳に集中されてこそ」云々(「査問」23P) という「頭脳=党中央、内臓機能=党官僚組織、その他下世話機能=一般党員」式
「アナログ唯物論」が背景にあるように思われる。

 とするならば、 最新の大脳生理学とかDNA理論を大胆に取り入れ、身体機能の相互関連の仕方を学び直す作業が急がれており、このことには大いに意味があるということになる。ちなみに、民青同は「日本共産党のみちびきを受ける」手足のような青年組織機関で、「党にとって重要なプール組織である」とも認識されている。

 もう一つ、党の強権支配を容認せしめる理論的根拠になっているものとして、
「党規約第2条8項違反」というものがある。「第2条8項」とは、「党の内部問題は党内で解決し、党外にもちだしてはならない」という内容である。この文言だけなら有り得る党規律のようにも見えるが、ここでも問題は基準づくりである。「党内」・「党外」の範囲に対して驚くべき拡大解釈がなされていくことにより、容易に規律違反がでっち上げられ統制処分の対象となる。「党の内部問題」には、専従の就任から解任、会議の内容という事実的事象に留まらず、党の理論問題・党幹部の発言までが含まれ、これらに対する批判的見解、異論の一切が「党の内部問題の漏洩」に結びつけられることになる。

 不思議なことは、「党外にもちだす」とは、日本共産党の外部というだけではないらしい。民主集中制の垂直制組織原理の下では、共産党内の他支部所属の党員にその批判、異論を話すことも含まれるということのようである。日本共産党の「垂直制組織原理に基づく組織の縦割り的仕組み」からすれば、横どうしの横断的交流は規律違反で、上下関係しか認められていない。日本共産党の一つの支部、あるいは一人の党員にとって、他の支部は「(準)党外にあたる」ということになるようである。

 従って、「同じ党員仲間の誼」という観点からの、党内での水平的組織交流を通じての批判・異論の開陳は、すべてこの党規約「第2条8項違反容疑」の規律違反として処罰の対象になる、ということのようである。

 加えて、「党規約第2条8項違反」容疑で党内を監視する機関が徘徊し始めれば、これはまがうことなく戦前型の治安維持法体制と云えよう。恐ろしいことにいつのまにか日共は、宮顕―不破系指導により左翼運動にはもっとも似つかわしくない戦前の特高型警察組織へと変態転化させられている。れんだいこ的には、このことは実は不思議でも何でもない。宮顕―不破系党中央は、手前たちの出自通りの組織を作っているに過ぎない。

 そもそも党組織論における「垂直制組織原理に基づく組織の縦割り的仕組み」の由来は「レーニンとボルシェビキ時代」に遡るようであるが、現在の日本共産党の「人民的議会主義路線」時代には不釣り合いな規定のように思われる。現党中央は、一方で議会を通じての平和革命の可能性の現実性を頻りに説きながら、他方でこうした前近代的とも言える組織論を見直し、新しい時代の可能性と現実性に基づいた組織論についてなぜ考究しようとしないのだろう。これを整合的に説明して貰いたい。今やポルトガル共産党と、日本共産党の二党だけに残る組織原理ということのようであるがオカシクはないのか。

 このことに関して宮地氏は、「共産党問題、社会主義問題を考える」において次のように解説している。

 「合法政党になったのにもかかわらず、それを放棄しない理由として考えられるのは、一つです。横断的、水平的交流を厳禁し続ける方が、党内管理、党中央批判抑圧の面で最適だからです。この組織原則を堅持する以上、党中央批判が集団的になることは絶対ありえません。なぜなら、一人の意見は、上級機関に対して“垂直”にしか提出できず、それを握りつぶすことも、その批判者に規約外の“陰湿な報復”をすることも、常任幹部会の恣意的な裁量にまかされるからです。

 それだけでなく、 集団で批判を話し合ったり、あるいは提出する動きがあれば、『分派活動容疑』.『規約第二条八項違反容疑』で査問し、党内排除・党外排除の粛清をただちに遂行できるからです。常任幹部会の地位安泰にとって、これほどありがたい組織原則はありません」。
 「専従、党議員、機関役員の党中央批判意見書の提出行為も、ストレートには査問の対象になりません。しかしその提出者に対して、専従の場合は即時解任、党議員、機関役員の場合は次期非推薦という党中央常任幹部会の陰湿な報復をうけます。これは、規約に基づかない報復処分ですので、党内でのそれとの闘争手段はまるでありません。どれだけ多くの党員が、この不条理な粛清に“泣き寝入り”してきたことでしょうか」。

 これに付記すれば、「党員の横断的交流禁止規定」は、「党内管理、党中央批判抑圧の面」に加えてどうやらスパイ潜入の温床になっているように思われる。この観点は、宮顕一派の胡散臭さを認めるれんだいこならでは見えてくるようである。数々の党員から、「党組織大会への代議員選出に際し、支部に所属しない見知らぬ党員推薦を依頼され、『ここで代議員に選んでくれ。他で代議員になれないから』と言われ、選出したことがある」と、インターネット上で告白されつつある。

 このような規約違反によって選出された代議員の全てがスパイであるかどうかまでは判明しないが、スパイ潜入の典型的手口として理解することが出来るように思われる。日頃、「党員の横断的交流」が為されていれば、ある程度防げることのように思われる。原点に戻って、闘う者同志の横の連絡は必須肝要なことであり、それを禁止するという宮顕式組織論そのものが胡散臭い。


 もう一つ、党の強権支配を容認せしめる理論的根拠になっているものとし て、
「スパイ容疑理論」がある。スパイは、戦前は特高とつながっていたが戦後は公安調査庁との関係となる。公安調査庁は様々な巧妙な手口でスパイ工作を仕掛けるが、スパイはもっともスパイらしくない顔をして働くという単純なことが忘れられやすい。スパイは最も熱心にスパイ摘発を行なう側で画策する傾向があり、言葉尻だけでは判明しないということを付言しておく。

 宮顕ほど党史上政敵に対するスパイ容疑で査問した人士はいないが、この御仁こそ胡散臭いということは十分ありうる話ではあるが、そういう認識には至らない。公然とそう主張するのは目下れんだいこぐらいであるが、いつの日かその化けの皮が剥がれる日もくるものと確信している。

 ソ連邦等革命政権を樹立した国家においては、更に
「国家反逆罪容疑、西側のスパイ容疑、トロツキスト断罪、党破壊工作者、反革命罪」などが加わる。史上、スパイ容疑者に対する拷問、スパイ自白への巧妙な誘導、スパイを自白した者に対してなされた処分としてのその場での銃殺・強制収容所送り・強制重労働・懐柔の例は枚挙に暇がない。

 こうした様々な党の強権支配を容認せしめる理論が結節したものとして
「分派禁止理論」があるように思われる。次のように説明されている。

 概要「ここでいう分派とは、日本共産党の内部で、党の方針に反対したり、自分たちの方針や考えを党に押しつけるなどのためにつくられる派閥的グループのことであり、日本共産党は、党の規約でこういう派閥活動、分派活動を禁止し、党員は『全力をあげて党の統一をまもり、党の団結をかためる。党に敵対する行為や、派閥をつくり、分派活動をおこなうなどの党を破壊する行為はしてはならない』(第二条)とさだめており、これは、1950年に当時の徳田書記長らの分派活動によって党中央委員会が解体され、全党が分裂と混乱に投げこまれた『50年問題』という党自身の痛切な体験を教訓にして確立されたもので、統一と団結を保障する日本共産党の大事な組織原則の一つであり、国民に真に責任を負おうとする近代政党なら当然の原則です」。

 「徳田書記長らの分派活動」云々と史実とあべこべのことを平然と言い放つ感性は共有しがたいが、とりあえず論旨として聞いておくことにする。これに対する宮地氏の次のような指摘を紹介しておく。

 概要「分派活動には反党中央的分派だけでは無く、分派には3形態がある。通常言われる分派とは、『政党の内部で、その綱領や方針と規約に反対してつくられる派閥的グループ』のことであり、反中央分派として立ち現れることになる。これが第一の基準である。これに対して、党中央派の前衛党最高指導者グループによる私的分派もある。これもれっきとした分派の一つではないか。

 それはそうだろう、秘書軍団も含めた宮顕グループはれっきとした宮顕分派であると私も思う。これが第二の基準である。

 概要「もう一つ、 このたびの新日和見事件で鋳造されたような『2人分派、3人分派と云われる偽造分派』もある。偽造分派とは、偽札や偽造コインのようなもので、本来の分派要件を満たしていないが、党中央派により無理矢理でっち上げられる分派のことを言う。新日和見事件の場合、“分派のふたば”を嗅ぎ取れる程度のものでしかなかったが、個人宅、喫茶店、居酒屋などで一回でも党中央批判した者に対して『「2人分派』を認定していくことになったのがその好例である。

 「2人分派理論」は恐ろしい。二人でコソコソないしボソボソと話をしただけでも分派容疑になり、これでは党員同志の本音話しは出来っこない。これに密告奨励が加わると立派な治安維持法下の体制ではないのか、と思えたりする。史上の「袴田の分派活動」規定も、宮顕式規律違反デッチ上げによる宮顕鋳造 “偽造分派”ではないかと言う。つまり、こうした新基準で分派認定すれば際限がないことになり、党中央派に対するイエスマン以外は危ないということに なる。ただし、さすがにこれほど極限化された分派認定は宮顕体制下の日本共産党特有の理論のようである。

 興味深いことは、日共式分派禁止論の対極として、その昔に中国共産党内に育まれていた「求同立異論」の作風であろう。「求同立異論」とは、1945.6月の中国共産党第7回大会における政治局員・劉少奇の党規約改正についての報告全文中の「同を求むるには、まず異を立てよ」というものであるが、中国共産党のその後の党勢はこれあればこそのものであったであろう。

 してみれば、中国共産党が如何にしてこれを獲得し、その後放棄するようになったのか、これを検証してみるのも意義がありそうである。

 2004.12.22日、2006.8.26日再編集 れんだいこ拝




(私論.私見)