4489144 スカルアンドボーンズ考

 スカル・アンド・ボーンズ設立の経緯については諸説ある。一つは、17世紀末にオックスフォード大学のオール・ソウルズ・カレッジに設立されたフリーメーソン秘密結社に由来するものであるという説がある。二つ目は、スカル・アンド・ボーンズの起源を19世紀のドイツにあった秘密結社(=イルミナティ)に求める説がある。三つ目として、英独フリーメーソンの儀典方式に則ってはいるが組織自体としては100%アメリカのものであるとする説がある。スカル・アンド・ボーンズの内部では、第二説が主流となっている。

 話は、1701年のイェール大学創立まで遡る。この頃アメリカはまだ植民地であり、17世紀にアメリカに進出した清教徒たちの子孫であったニューイングランド地方にある20ないし30の家系が中心となって独立気運を醸成しつつあった。この独立愛国心を芯として秘密結社スカル・アンド・ボーンズを結成していくことになる。その中にはホイットニー、ロード、ヘルプス、ワッズワース、アレン、バンディ、アダムス、スチムソン、タフト、ジルマン、バーキンスなどというファミリーがある。スカル・アンド・ボーンズの初期の時代に、第二階級のメンバーとして参加した商業資本家ファミリーとしては、ハリマン、ロックフェラー、ペイン、デビソン、フィルスベリー、ウエーヤーハウザーなどがある。

 1832年、当時のラッセル家当主サミュエル・ラッセルの従兄弟、ウイリアム・ハンチングトン・ラッセルが、秘密組織スカル・アンド・ボーンズを創設した。ユダヤ系秘密結社とは又別の組織であり、否むしろ1820年代から30年代にはびこったフリーメーソン秘密結社に対抗する意図で結成された。このことはラッセル将軍以外にもアルホンソ・タフト卿などと共にスカル・アンド・ボーンズの共同設立者として名前を連ねた13名人の顔ぶれを見ればわかる。従って、結成当初に於いては、黒人、ユダヤ人などの少数民族の加入を許さなかった。申し訳程度の加入が許されるようになったのは、後のことである。結社入りは、アメリカン上流階級への仲間入りを意味した。

 1856年、にはスカル・アンド・ボーンズが「ラッセル基金」の名の下に正規の法人格を取得した。対中国阿片貿易の利益金がその活動資金に充てられた。当時の阿片貿易の元締めはベアリングズ兄弟商会と称する金融および貿易商で、その手先となったのが英国東インド会社であった。ところが、18世紀以来の阿片貿易に圧倒的な強さを誇ったベアリングズ兄弟商会は、19世紀初頭頃には衰退を見せ始めた。代わってロスチャイルドとその極東貿易網が台頭して阿片の権益を二分するに至る。その結果、ロスチャイルドとベアリングズ兄弟商会の双方が窓口となって、阿片の権益の一部をカボッツ、クーリッジ、フォーブス、ヒッギングソン、スタージス、ロッジ、ローウエル、パーキンス、ラッセルなど当時ニューイングランド州にあった商人の一族たちに供与することになった。

 阿片貿易を仲介として手を結んだこれらの金融・商業資本家たちが、その後ユナイテッド・フルーツ・カンパニー(のちのチキータ)やボストン銀行を設立することになる。たまたまその中にラッセル家、パーキンス家という二つのスカル・アンド・ボーンズメンバーがおり、これらのファミリーがスカル・アンド・ボーンズへの資金の窓口を務めることになる。

 ウイリアム・ハンチングトン・ラッセルというその当時のハンチングトン家の当主は、スカル・アンド・ボーンズの共同設立者のうちの一人である。彼はアメリカ南北戦争には北軍の将軍としてその名を轟かし、後にはコネチカット州のニューヘブンで登記したラッセル基金の中にスカル・アンド・ボーンズを巻き込む役割を果たす。

 ラッセル家もタフト家も、アメリカでは政治の名門であり、特にタフト家は現在もアメリカ政治の重鎮を成している。アルホンソ・タフト卿は、1876年に、時のグラント政権の戦争長官となり、これを背景としてスカル・アンド・ボーンズが大いにその実力の伸長を図った。現在の北大西洋条約楷構(NATO)駐在米国大使がスカル・アンド・ボーンズのメンバーであり、かつアルホンソの子孫でもあるロバート・タフトであるのもむべなるかなである。

 一方のラッセル卿は1833年にイェール大学を首席で卒業した秀才であり、資本家などは下賎の者として見下ろしていた。ラッセル脚のみならず、当時のイェール大学卒業生は17世紀にマサチューセッツ湾に上陸して開拓の第一歩を踏み出した清教徒の直系としての誇りと同族意識で結ばれており、したがってアメリカが英国の植民地から合衆国へと変貌しても、これを治めるのは自分たちをおいて他にはないと自負している。

 エール大学の一角に棺の形をした建物に設けられ、卒業したあとも横のつながりを持ち続けている。イェール大学「閥」をつくり、陸軍省内でスカル・アンド・ボーンズを結成した。スチムソンに代表されるこのグループ第二次世界大戦前夜から戦後にかけての重要な戦略政策を事実上、練り上げた。アメリカの、政界、財界で多くの人材をこのスカル・アンド・ボーンズは排出している。

 このグループの主要メンバーとは、まず占領下ドイツの高等弁務官であり、陸軍副長官を務めたジョン・J・マックローが挙げられる。次にブラウン・プラザーズ・ハリマンの投資銀行を代表して軍需産業を組織化し、後には陸軍副長官も務めたロバート・A・ラペットがある。その他トルーマン政権の下で国務長官を務めたのはディーン・エイクソンであり、その当時の国防長官はラペット、そしてマーシャル・プランの立案者であるジョージ・マーシャル統合参謀本部議長もいる。

 このグループは「スチムソン・マーシャル・エイクソン」政策軍団と呼ばれた。その後、ロパート・ラペットの引きでマクジョージ・バンディ、ウイリアム・バンディおよびアベレル・ハリマンなどの新政策軍団も登場してきた。ブッシュ大統領の父、プレスコット・ブッシュ上院議員がこのグループアメリカ議会でのスポークスマンであったことも忘れてはならない。朝鮮戦争の末期にダグラス・マッカーサー国連軍最高司令長官の任を解いたのも、このグループの差し金である。この解任劇の陰の立役者は、当時の大統領特別補佐官のアベレル・ハリマンであった。

 最も注目すべきことはスカル・アンド・ボーンズのこうしたメンバーとスチムソンの一派が、プリンストン大出身の政府要人や軍高官らと手を結んで戦略事務局(OSS)を創設し、ついには1946年の中央情報局(CIA)設立にあたっての主役を務めたことである。初代CIA副長官がイェール大卒のキングマン・ダグラスであったのもむべなるかなである。

 法曹界、金融界、そしてCIAとのコネは、ウィンストン・ロード(1959年スカル・アンド・ボーンズに加入)の経緯と家系を見てもよくわかる。ロードはキッシンジャー国務長官の下で働いたことがあり、彼の祖先はコネチカット州やハートフォードの町を築いた元祖のファミリーの一つである。またウォール街で最も有力な法律事務所、ロード・デイ・アンド・ロードをつくったが、この法律事務所の主要クライアントにニューヨーク・タイムズがある。

 ウィストン・ロードの直系であるトマス・ロードはハートフォード市の生みの親である。スカル・アンド・ボーンズの最初のメンバーのジョージ・ディフォレスト・ロードは、1854年イェール大学卒業で、ラッセル財団設立の主役でもある。ロード家はまたスカル・アンド・ボーンズ内部での長老組織をつくる際の中心的な役割を演じた。この長老組織というのは、メンバーの長老政治家たちの集合体の意で、現にニューヨーク州の北部にあるディアー島に、その地名の通りディアー・アイランド・アソシエーションという名で正式に登記された法人である。

 国務省と国家安全保障会議で要職を務めた後、ウィンストン・ロードは1983年にCFR(外交問題評議会)の会長に就任した。その結果、アメリカの対アジア、なかんずく対中国政策は日本に絶大な影響力を持つようになった。ウィンストンは当時、実質上の中国大使であったジョージ・ブッシュの下でCIAの在中国支局長を務め、その特技を遺憾なく発揮することができた。チャイナ・カードの政策の立案に向けて、ブッシュ大統領とキッシンジャーが手を握る仲立ちをしたのもウィンストン・ロードである。現中国大使のジェイムズ・リリーは、当時CIA台湾支局長であったが、この男もまたスカル・アンド・ボーンズのメンバーである。

 EIR(Executive Intelligence Review)の調査によれば、ブッシュ大統領の唱える「世界新秩序」なる構想の立案者こそ、このスカル・アンド・ボーンズのメンバーであり、この構想の狙いはアメリカ帝国の再現にある。

 アメリカが世界の主導権を奪還するために必要な行動をスカル・アンド・ボーンズの視点からまとめたのがこの構想なのだ。そこに盛り込まれたビジョンは「アメリカの世紀」を21世紀にまで持ち込もうとする点で、第二次世界大戦アメリカが打ち出した一切の政策とは異質のものである。いわゆる「新しいアメリカの世紀」実現のためには、ソ連、日本、ドイツイギリス、さらにはイスラエルまでも叩かねばならぬ、という教義なのだ。

 ブッシュ大統領を旗頭とするこれら、「世界新株序の戦士」たちは、アメリカの公的な政治機構や外交問題評議会(CFR)のような非公式機関を駆使して、アメリカ同盟友好国の内部にいわゆる「建設的な混乱状態」を作り出し、必要に応じて破壊することも辞さない構えである。しからば、「世界新秩序の戦士」たちが、彼らの目的達成のために選んだ方策とは一体どのようなものなのだろうか。




 エール大学の一角に棺の形をした建物はすべて石造り、窓が一つもない。その中に棺があり、棺の中には、頭蓋骨と骨が祀られている。毎年、15名のメンバーが選ばれ、その棺の周りに集まって、神ではなく悪魔を礼拝する。読まれるのは、聖書ではなく、ユダヤの神秘主義を説いた「カバラ」である。


 日本人が知らない 恐るべき真実。スカル・アンド・ボーンズへの入会の儀式は、タッピング(発掘)とも呼ばれ、これはイェール大学の4年生15人が選んだ15人の3年生に対して挙行される。1940年度版の規則によれば、その式次第は次の通りである。

 まず入会予定者は棺桶に入れられ、結社のメンバーとしての再生を祝う祝い歌の中をホールの中央へと運び込まれる。そこで、棺の中から出てきた新入会者には、シンボルマークの付いたガウンがかけられる。またこの式典に先立って、入会者の名前を書き込んだ骨が、ホールに安置された礪牌の中に投げ込まれる。やがて入会者は全裸となって泥沼に飛び込む。

 この入会式への呼び出しにあたっては、スカル・アンド・ボーンズ以外の秘密結社の代表をも含む15人の4年生が、入会候補者の寮を訪れ、ドンドンとドアをノックする。それに応じて入会候補者がドアを開けると、代表が「君は『スカル・アンド・ボーンズ』を受け入れるか」と声高に叫ぶ。入会候補者がイエスと答えると、その場で黒のリボンに黒い髑髏十字マークの封印の付いたメッセージに、秘密の第322号骨を添えて手渡される。そのメッセージには、いわゆる「入会の夜の儀式」の日時と場所が記されてある。また儀式に際して、金属類は一切身に付けてはならない旨の記載もある。

 本部の納骨登の中に322号室という名の聖なる部屋があり、その納骨室の上部のアーチ型の壁面には、ドイツ語で「乞食と王、果していずれが賢者か、いずれが愚者か」との彫り込みがある。こういうところからスカル・アンド・ボーンズの起源をドイツ系のフリーメーソン組織に求める議論が持ち上がるわけだが、現在ではこの議論に決着をつけるよりも、逆にこのミステリーを世界政略展開の武器として利用している節がうかがえる。現今の世界における政治戦略や情報活動がミステリーじみているだけにうなずける。

 ミステリーじみた曖昧さは、事の正邪を問わず、真の意図を包む隠れ蓑となる。それと表裏一体を成すのが秘密主義であり、この二つをベースにして陰謀が成立する。入会の秘儀によって組織の一体感が高められる。外部に対する秘密主義の反面、メンバーの間では私生活に至るまで一切の秘密を禁止するという一体感である。

 仲間同士の結び付きが強ければ強いほど、秘密主義にならざるを得ない。曖昧さと秘密主義に加えて、スカル・アンド・ボーンズの第三の柱を成すものとして、「成年式」の理念がある。大方の スカル・アンド・ボーンズ入会予定者は、まず「プレップ・スクール」に入る。スカル・アンド・ボーンズを大学とすれば、その予備校にあたる制度である。ただしその入会資格は、アメリカの中でも由緒正しい名門の子弟にのみ与えられる。




 一ドル札の裏を見ると、ちょうど真ん中には「我々は神を信頼する」と書かれており、その左には13階段のピラミッドが描かれ、その上の部分だけが離れていて、大きな目が描かれている。ある秘密組織のシンボルマークで、全世界を見つめる目、全世界を支配しようとしている目ともいわれる。

 左側には、鷲、その上に13個の星、鷲の右足には13枚の葉を持つオリーブの枝、左足には13本の矢が握られているという。13は秘密組織の13位階をあらわす数字である。一ドル札の裏には、神を崇める言葉の他に、悪魔を礼拝する秘密組織の象徴が描かれている。
ダビデの星…一ドル札はアメリカのダビデ王が造らせたのかな。
http://www.eonet.ne.jp/~maxim/contents/column/column_AC026.html

 







(私論.私見)