【全訳】さるぐつわをはめられた歴史(イズラエル・シャミール著)

 (最新見直し2007.4.25日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ヒトラーの「ユダヤ人論、その陰謀主義的政治生活論、ユダヤ王国論」について確認する。考えてみれば、ヒトラーは、「シオンの議定書」に典型的に開陳されているユダヤ王国再建世界支配陰謀計画運動に真っ向から立ち向かったその意味での「狂人」だったのかも知れない。その「狂人のほどぶり」をヒトラー自身の言説から確認してみたい。少なくとも世間で流布されているようなイメージではなかろう。

 2004.10.11日 れんだいこ拝



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【全訳】さるぐつわをはめられた歴史(イズラエル・シャミール著)
http://www.asyura2.com/07/holocaust4/msg/328.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2007 年 6 月 06 日 06:31:41: SO0fHq1bYvRzo

【全訳】さるぐつわをはめられた歴史(イズラエル・シャミール著)


ご存知、反ユダヤ(Jewry)ユダヤ人、イズラエル・シャミールの文章ですが、この原題は“Clio Gagged”です。Clio(クリオ)はギリシャ神話に登場する歴史の記述を担当している女神で、日本では普通「クレイオ」と呼ばれます。したがって本文の題名は「さるぐつわを噛まされたクレイオ」です。

これは今年4月にイタリアで行われた「ホロコーストと中東:口を封じられた歴史」会議でシャミールが行った講演の内容です。

原文のUrlは以下のとおり。

http://www.israelshamir.net/English/Eng16.htm

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親愛なる読者諸氏イタリアは今、1年で最も美しいときである。谷を覆って茂る緑の草、早生のイチジクがはじけ、桜の花はすでに春雨に洗い流されている。私はそこで「ホロコーストと中東:口を封じられた歴史」会議に出席した。この会議は偉大なクラウディオ・モッファ(Claudio Moffa)教授によって主催されたのだが、このポール・ニューマンばりの細く背が高く青い目で高貴な顔立ちのイタリア人は、一方通行の道路に向かって逆方向で突っ込んでいくことに長けているのだ。彼は禁止されることが大嫌いなのだがそれは交通信号にとどまらない。どこであろうが、ある種の歴史討論会であっても、「立ち入り禁止」の印があるだけで十分だ。この男は正面から突っ込んでいくだろう。彼はヨーロッパで最も過激で最もタブー視される議論を見つけ出してある会議を組織したが、そこにはシエナ大学、カラブリア大学、トリノ大学、ナポリ大学、ローマ大学、ウルビノ大学などから相当な数の歴史学教授が出席した。またイタリア中から作家やジャーナリストが出席したが、外国人は私だけだった。その会議はモッファのいるテラモの大学で開かれたのだが、そこは雪を頂いたグラン・サッソ峰の麓、アブルッジ山地の中にある魅力的で趣のある中世の街である。私は、多くの出席者と講演者の中で、私のサイトでもその作品を見ることができるマウロ・マンノ(Mauro Manno)教授、および雑誌Eurasiaの編集者であるティベリオ・グラジアーニ(Tiberio Graziani)博士の名を述べておきたい。またこの会議およびそこでの各講演内容については、モッファ教授のサイト(http://www.mastermatteimedioriente.it/)で見ることができよう。ここでは私の公演内容をお読みいただきたい。

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さるぐつわを噛まされたクレイオ

イズラエル・シャミール著

(これは2007年4月18日にイタリアのテラモ大学で開かれた「ホロコーストと中東:口を封じられた歴史」会議での公演内容である)


あの穏やかな歴史の女神クレイオがさるぐつわを噛まされているのを見て驚くべきではない。歴史は諸事実と文法・修辞・論理の三学が平和に集められたものではないのだ。歴史は止むことの無い激闘である。その書き直しが世界を変えるかも知れないからだ。古い諺どおり、誰も過去を変えることはできない。それは確かである。しかしもし我々が我々の現在に満足できない場合に、過去に対する我々の理解の仕方を変えるかもしれない。そしてそれが我々の未来を変えることになるだろう。これは遥かな昔から知られていることであり、そしてこの点が、時の権力構造とある種の継続性を確保するために、歴史が神官たちの手によって保護された理由なのである。過去を支配する者は誰であろうと未来を決定するのだ。この会議の主題は実にその話を取り扱うものである。我々は現在に満足していない。我々は過去に戻りそしてそれを再検討することによって未来に影響を与える予定である。もし歴史内容の一部が強力に防御されているのなら、あるいはあからさまに誤っているものなら、我々はより十分な理由を持ってそれを攻撃しなければならない。

強烈に防御される歴史の分野ではそれを突き崩そうをする者は深い水に沈められるのかもしれないが、決してホロコーストだけがそうであるわけではない。最近イタリアで再び登場した昔のユダヤ人による人身御供の件は、アリエル・トアフ(Ariel Toaff)教授の本『血の過ぎ越し』(参照:http://www.israelshamir.net/English/Eng11.htm)の出版によるものである。すでにご存知だと思うが、トアフ教授は、中世にキリスト教徒の子供を誘拐して殺したと告発された一部のユダヤ人がそのとおりの罪を犯していたことを証明した。彼らはその残虐な殺人の咎で処刑されたわけであり、決して、いわゆるキリスト教徒の偏見や根源的な反ユダヤ主義などの犠牲者ではなかった。それを祝福すべきことでではないか考える人もいるだろう。その犯罪者達は誹謗されたのではなく適切に罰せられたのだ。正義が実行されたのであり、現在のユダヤ人たちは中世の反ユダヤ主義が神話に過ぎないことを喜ぶべきである。それはちょうどユダヤ人を石鹸に変えたというドイツ人たちの神話と同類なのである。

 しかし諸ユダヤ組織は喜ぶどころではなかった。彼らはこのイスラエルの大学で中世ユダヤ史を研究するユダヤ人教授を襲撃した。彼らはトアフ教授に精神的な拷問を加えほとんど十字架に架けんばかりだった。彼らはその本を回収し破壊してしまった。(有り難いことに近年それは簡単ではなく次のアドレスhttp://www.vho.org/aaargh/fran/livres7/pasque.pdfでその内容を読むことができる:イタリア語)。彼らは教授が出版社から受け取っていた小額の金を巻き上げてADLのユダヤ異端審問所に送った。そして「悔い改め」新法が強要されたのである。(参照:http://haaretz.com/hasen/spages/830711.html

 イスラエル議会(クネセット)はトアフ博士を刑務所に放り込もうと企てている。(参照:http://www.haaretz.com/hasen/spages/831189.html)他の者たちはそれにふさわしく告訴しようとしている。また彼が極貧の放浪者として死ぬようにさせようとしている。ここイタリアではトアフ教授をガリレオと比較するのが自然であろう。この偉大なイタリアの学者はその科学的発見のために処罰され、厳しい死を避けて悔い改めを希望したのである。

 しかしトアフ教授による実際の研究成果は、彼の同僚であるユダヤ系イタリア人で「魔女のサバト(Witches' Sabbath)」の著者であるカルロ・ギンズブルク(Carlo Ginzburg)博士と最もよく対応する。ギンズブルクは、ベニス近郊にあるフリウリ(Friuli)の住民であるフリウリアン(the Friulians)たちが古代の豊穣の儀式から発達した黒魔術に手を染めていたことを証明した。トアフはユダヤ人について同様の結果を出したのである。つまり彼らが黒魔術に手を染めていたのだが、それは古代からの報復と血の購いというカルトから出てきたものだった。しかしフリウリアンたちが冷静を守った一方でユダヤ人たちは教授をリンチ同然に扱った。このようにして、フルウリアンが自分の先祖達の悪業に穏やかな好奇心をもって眺めることのできる心の開けた人々であることが証明されたのだが、その一方でユダヤ人たちは相も変わらず、自分達が特別な人種ではなく選ばれた民ではなく聖別された民族ではないということを受け入れることができないままなのだ。

 ギンズブルク博士と同様に、トアフ博士はミルチャ・エリアーデ(Mircea Eliade)が著書「オカルティズム・魔術・文化流行」の中で十分に記述した中世を再検討するプロセスに完璧に従った。エリアーデは書いている。「80年ほど前に、優れた研究者ジョセフ・ハンセンとヘンリー・チャールズ・リーは黒魔術を魔法使いのではなく異端審問の創作であると認識した。彼らは、魔女のサバトや悪魔主義の儀式、秘密の祭や集団犯罪の話を、気まぐれな空想あるいは拷問が引き出した白状の結果であると見なした。しかし今や我々は知っている。黒魔術は異端審問による創作ではなかったことを」。そして我々は次のように付け加えてもよいだろう。ユダヤの人身御供は決して不当な猜疑心による作り話ではなかった、と。

 トアフはトレントのシモン(Simon of Trent)事件を取り扱った。シモンはユダヤの黒魔術の儀式で殺害された子供である。2、3のユダヤ人の罪状は当時の人々が利用できる最高の法廷で確定された。そして無実のユダヤ人たちが9・11事件後の米国で無実のイスラム教徒が被ったほどの苦痛は受けることはなかった。もう一つは1255年に儀式で殺された子供であるリンカーンのヒュー(Hugh of Lincoln)の件であった。この犯罪の後に逮捕された90名のユダヤ人のうち、無罪が確定された70名が何も害されること無く釈放され、一方で有罪となった者たちは絞首刑に処せられた。「暴徒の正義」などといったものではなかったのである。

 民族的な偏見の例として、ユダヤ人によって編集されるWikipediaは、リンカーンのヒューを「殺害されたと言われている」と記述する一方で、この証明された罪状を「血による中傷(blood libel)」と称している。「血による中傷」はこういった事件に対する標準的な定義であり、「常に無実のユダヤ人」が偏見を持ったキリスト教徒によって中傷されたという意味なのだ。しかし、もしこの昔の事件から道徳的な教訓を引き出すことができるとしたら、それは次のようなものである。正義と公正のヨーロッパ的なセンスが普遍的に行きわたっていたのだ。有罪のユダヤ人が罰せられる一方で無実のユダヤ人は生きた。そしてヨーロッパで唯一の非キリスト教徒集団として繁栄した。

 イスラム教の正義が決してより悪いというものではなかった。1840年のダマスカスでの裁判で、あるカトリックの僧侶が数名のユダヤ人に殺害され、彼らは罪を白状して刑罰に処せられた。しかしこのことが彼らの同胞の繁栄を妨げるものとはならなかったのである。アクレのユダヤ人であるファルクヒ(Farkhi)はこの事件のあった後でも同様にシリアで最も裕福な人物であると見なされた。この事件はダマスカスの英国領事で偉大な中東学者であるリチャード・バートン卿(Sir Richard Burton)によって調査された。彼は(「もし私が人種を選ぶことができたのならユダヤ人以上に所属したかったものはないだろう」と言って)親ユダヤ主義者であることを公言し始めたわけだが、この事件での有罪判決を正当と認め、そしてこの件の詳しい説明を書き著した。ロンドンのユダヤ人たちはこのバートンの原稿を大金をはたいて彼の子孫から買い取った(参照:http://www.fpp.co.uk/BoD/origins/BurtonMS2.html)。そしてそれは今日に至るまで出版されておらず、英国ユダヤ人代表者委員会の倉庫に保管されているのだ。英国のユダヤ人ジャーナリストであるアアロノヴィッチ(Aaronovitch)はあるシリアの閣僚がこの件について文章にしてしまったことでシリアを非難した(参照:http://www.israelshamir.net/English/blood.htm)。アアロノヴィッチはバートンの調査のことは一言も言わなかった。ただ「血による中傷」と叫んだだけである。あたかもそれがすべてを説明するかのように。

 実際、ホロコーストの前には「血による中傷」があったのだ。第2次世界大戦以前のユダヤ人やユダヤ愛好者による文章を見るならば、ユダヤ中心宇宙観の中で近年ホロコーストの教義に占領されている場所が空っぽではなかったことに、誰でも気付くだろう。その場所は、ロシアのポグロム、ドレフュス裁判、異端審問、スペインからの追放、神殿の破壊、というようにその多くの部分が「血による中傷」によって満たされていたのである。それらは同一のメッセージを運んだ。それらはキリスト教徒たちによる不条理な嫌悪による、永遠の、独特の、理由抜きの、そして根拠の無いユダヤ人の災厄を主張した。それらはある種のねたみや憎しみや不信を、哀れみに、あるいはむしろ最良のゴイムの間に引き起こされる罪の意識に押し縮めるものですらあった。

 トアフ博士の件は、ホロコーストの叙述に意識を集中しすぎる我々の友人達がその重要な点を見つける助けになるかもしれない。私は流れに逆らって進む反対派/否定派を尊敬するものではあるが、しかしその熱狂ぶりを分かち合うことはしない。そう。それらの不相応で無類な災厄の話は、事実による基盤に立って反論できるのかもしれない。これが、セルジ・ティオン(Serge Thion)博士がホロコーストに関して行ったことなのだ。ホロコーストの偉大な語り手であるエリー・ヴィーゼル(Elie Wiesel)がロシア人の解放者たちと一緒にいるよりもむしろナチの迫害者にすがりつくことを好んだといった話ではない。これが、トアフ博士やリチャード・バートン卿が「血の中傷」に関連して、当局者の判断が妥当であり正当であることを証明しながら、行ったことなのだ。

 ロシアの歴史家コズヒノフ(Kozhinov)はロシアのポグロムを研究して、それらの暴力的な衝突では非ユダヤ人の方がユダヤ人よりも多く殺害されたことを証明した。最大で最も血なまぐさいポグロムはキシネフで起こったものだが、これはユダヤ民族詩人であるビアリクによって街頭で血が流された最大の虐殺事件として描かれた。そして最近ハアレツの記事であるイスラエルのジャーナリストが「20世紀初頭のキシネフのキリスト教徒たちがユダヤ人の子供の目に釘を打ち込んだからといってロシア人の国が存在する権利を疑うというような者はいない」と書いた。ところが、ユダヤ人の黒魔術で拷問死させられたイタリアや英国の幼児の件とは逆に、「目に打ち込んだ釘云々」という風聞は即刻論駁できる程度の空想の産物であった。その一方でキシネフでの死者の総数は45名であり、これはデイル・ヤシンの4分の1、インティファーダの1ヶ月分に過ぎない。

 そこでこういった理由の無い苦難の話は脱構築させることができる。しかし、このような物語の製作者たちが伝えたいと願うことが、ただただ「ユダヤ人は独特で特別な民であり、他の誰よりも多くの苦しみを受けており、そのことはユダヤ人が好き勝手なことをする資格を与えられている理由であり、ユダヤ人は最良のものであって、逆にそれを疑う者は誰でも神話的な反ユダヤ主義に取り付かれているのだ」というものであるなら、もう悩む必要は無い。こういった物語は自分達が想定した迫害者に対するユダヤ人の激怒を喚起するようにもたらされる、ただそれだけなのだ。

 私はこういった被害者根性の話が大嫌いなのだが、それはそれらが事実面で弱みを抱えているからというだけではない。被害者根性の話は災厄の結果ではなく災厄の原因なのだ。こういった理由の無い迫害の話が広められるときにはいつでも、疑いも無く、それを広める者たち自身が獣のような凶悪さを準備しているのである。ユダヤ人たちはホロコーストの話を振りかざして1948年に平和なパレスチナの住民をかき消してしまった。アルメニア人たちは自分達が被った独自の理由無き災厄を復唱して、1991-94年の戦争でカラバフ(Qarabağ,Karabakh)の無垢なアゼルバイジャン人市民を虐殺した。その戦争はバクーへの何十万人もの難民を作り出したのである。(参照:http://azer.com/aiweb/categories/karabakh/karabakh_refugees/karabakh_refugees_index.html)。第3帝国支配下での災厄の話に怒るポーランド人とチェコ人は何百万人ものドイツ系住民をその先祖伝来の土地から追い出した。一方でジェッツポスポリタ(Rzecz Pospolita:16-18世紀のポーランド)での災厄の話を語るウクライナ人たちはヴォリン(Volyn)のポーランド人数千人を虐殺した。

 オットー・ワイニンガー(Otto Weininger)によって概評されるとおり、国家の政治は男女間の政治とパラレルである。つまり、フェミニストたちは永遠の抑圧者たる男性の下で被る女性の災厄の話を推進させ、多くの家庭の崩壊、女性の貧困化、男性の無力化を作っていくのである。この種の物語は逆の物語によってバランスがとれるものなのかもしれない。男性が肉体的な暴力を振るうのは事実だが、女性は言葉による暴力においてはるかに優れているのである。マクベス夫人の激しい口調はマクベスの短剣より罪が軽いはずも無い。女性はどうすれば男性を挑発できるかを知っている。そして男性はそれに反応する。時にはキスで、時にはげんこつで、そして時には弾丸で。ホセは殺した。しかしカルメンは挑発した。映画バーブ・ワイヤー(Barb Wire)に登場するような筋骨隆々たる少女の神話が推奨されるのとは逆に、女性は肉体的な一撃においてはあまり成功しているとはいえない。そこで彼女らは肉体的な暴力を禁止しようとする。しかし言葉による暴力は許可し挑発行為という概念自体の意味を失わせるのだ。

 テーマを元に戻そう。もしトルコ人が殺したというのならアルメニア人は挑発したのである。そしてユダヤ人に敵対する行動が起こったときにはそれは必ずユダヤ人自身による行動によって引き起こされたのだ。実際に、徹底的な否定者である私は、反ユダヤ主義、つまり「ユダヤ人に対する理由無き嫌悪」そのものの存在を否定する。それは存在しないのだ。ユダヤ(Jewry)はあらゆる勢力によって反撃されたのである。ローマ・カトリック教会からスタンダード・オイル会社にいたるまでそうだった。ユダヤ人は子羊ではなく、思想的そして経済的な世界で実に活動的な要素なのだ。誰かが賛成するかもしれないし反対するかもしれない。しかし「嫌悪」とは? ありえない。非ユダヤ人たちは通常ユダヤ人に対して他の誰に対してよりも公正であり続けている。「血による中傷」でさえも中傷ではなく普通の犯罪裁判であったことが判明した。

 ヨーロッパで、そして中東で、反ユダヤ主義の行動があっただろうか? たしかにあった。しかしそれは「理由なき嫌悪」によって引き起こされたものだっただろうか? 自分自身を嫌悪するがよい! 1911年に、米国政府はあの強大なジョン・D.ロックフェラー帝国を破滅させた。ユダヤ人ではなかったので、ロックフェラーはそれを反ユダヤ主義のせいだと主張できなかった。彼はそれを、米国政府が彼の容貌や人種や育ちや態度を好まなかったせいだとか、あるいは彼の本質的罪に対する神聖なる刑罰である、などとは言わなかった。政府はスタンダード・オイルが余りに強力になりすぎたためにそれを解体したのである。そして全く同じ理由でロシア大統領ウラジミール・プーチンは彼の手に余る成金どもの石油会社を解体した。それは彼らがユダヤ人だったからとか、彼らが民主主義を支持したから、というような理由からではない。権力は逆の権力の必要性を生み出す。権力は反権力を呼び求める。そしてユダヤ人は昔も今も一つの権力である。

 ユダヤ(Jewry)はカトリック教会よりも強力である。それはトアフ教授と比較できるガリレオの運命から学ぶことができるとおりなのだ。昨日、中央広場を通り抜けた際に、私は科学の殉教者であるジョルダノ・ブルーノを記念する石板を見た。そこには「彼は科学の敵であるカトリック教会によって殺された」と書いてあった。何百冊もの本をめくりあらゆるインターネット・サイトを訪ねても、あなたは必ず教会がこの罪の責任を負うと書かれてあるのを見ることだろう。あなたはそれを自由に語ることができ、誰一人、あなたに向かって次のような叫び声をヒステリックにあげることはないだろう。「教会全部ってか? ブラジルからポーランドまでの10億人のカトリック信徒全員に罪があるってか? 恥を知れ! この反カトリック野郎めが!」と。実際に後の教皇が、当然だというように、それを謝罪すらしたのだ。

 しかしユダヤ人の哲学者・科学者であり懐疑主義者、“Miklal Yofi”の著者であるラビ・サムエル・イブン・サルサ(Samuel Ibn Zarza)を記念する記念の石板を探しても無駄なことだろう。彼は天地創造を疑いバレンシアで火あぶりにされたのだが、それはユダヤ人の注文によるものだった。いま、私は「全部のユダヤ人ってか?この反ユダヤ主義者め!」という叫び声を待っている。え?誰もそう言わない? すばらしい。先に進もう。私が翻訳の機会を得た15世紀のユダヤ人の本である“The Book of Lineage”の中で次のように書かれてある。「ラビたちが『天地創造以来何年何年』と読み上げたときに、このサルサという男は彼の髭に手を置き、髭の毛をつかむことによって世界がそれ以前に存在していたことを匂わせた。チーフ・ラビのイサアク・カンパントンは椅子から立ち上がってこう言った。『なぜ薮が焼かれないのか? その薮を焼いてしまおう!』(サルサはカスティーリャ語では薮に生えるいばらである;したがってこの駄洒落は出エジプト記3:3を示唆する)ラビたちは彼を法廷に引き出して、創世記以前の世界の存在を白状した罪で火あぶりの刑に処させたのである。」

 ここに二人の科学者がいる。どちらも焼き殺された。しかし一方は教会によって、もう一方はユダヤ人によって火刑台に送られた。詳細を検討するならば類似性がもっと発見できるだろう。サムエル・イブン・サルサはユダヤ人のそそのかしで裁判にかけられ処刑された。ジョルダノ・ブルーノが死刑に処せられた場面の背後にユダヤ人たちが活発に働きかけたことを示すヒントがある。彼が強硬な反ユダヤ主義者だったからだ。ジョルダノ・ブルーノはユダヤ人を「あんな疫病神でライ病のようで社会にとって危険な種族は根絶やしにしていっそ生まれる以前に殺してしまうがいいのだ」(Giordano Bruno, Spacio della Bestis Trionfante: 1584)と。このような意見が彼の処刑に影響したのである。当時でさえユダヤ人たちは権威者の耳に近寄ることができ、そして常に彼らの注文に従う官吏たちが十分にいたのである。しかしブルーノの件ではその明確な痕跡は残っていない。こうして彼の件は今まで知られているのである。しかしサムエル・イブン・サルサの件は忘れられ、あるいは否定されている。

 ユダヤ人が編集するWikipediaを見てみるならば次のように書かれてあることに気付くだろう。「サムエル・シャロム(Samuel Shalom:16世紀のユダヤの賢人)が、サルサは、彼が創世記を否定したというラビ・イサアク・カンパントンの告発を受けたバレンシアの法廷によって火刑に処せられたと述べているのだが、歴史家達はそれが単なる伝説に過ぎないことを証明している」。このようにして、ユダヤ人の歴史製作と「真理省」の審査は、何が起こって何が「単なる伝説に過ぎない」のかを決定して支配することができるのである。カトリック教会はそんな権力など夢見ることすらできない。

 ユダヤの力がどれくらいのものか量ることができるだろうか? 数ヶ月前に英国の月刊誌エコノミストは見慣れない世界地図を発表した。各国の領域がそのGNPの大きさに比例して描かれているのである。これは実に暴露的な地図だ。インドはオランダよりも小さく、ラテンアメリカ全体はイタリアほどの大きさである。イスラエルは近隣のアラブ諸国の合計よりも大きい。この地図は正確に権力を表現した地図ではなかった。世界の本当の地図を描くためには同様に他のパラメータを考慮する必要がある。それは銃器類、核兵器と通常兵器の能力、映画や本や新聞の発表と結び付いた様々な影響力、大学での研究レベル、国際的な地位などである。このような権力地図でなら、ユダヤ(Jewry)は十分に強烈に見えることだろう。ユダヤ人は我々の住む世界で重要な権力である。それは第一級の権力であり、カトリック教会より強力であり、イタリアや他のいかなるヨーロッパの一国よりも間違いなく両力である。シェルや(イタリアの石油資本である)Agipやその他のいかなる国際企業よりも強力である。

 宇宙の研究でブラックホールと呼ばれる現象があるのだが、それは極めて密度が高く重い星が周辺の空間の形を変えてしまうものである。そしてそれが作る光がその重力のワナから逃れることができないのだ。そのようなブラックホールは極めて強力であるがゆえに見ることができない。それと同様に、ユダヤ(Jewry)はブラックホールである。それはあまりにもパワフルであるがゆえにそれを見ることができないのだ。誰もそれを見ることが許されない。これは我々の時代における最強のタブーである。米国でのユダヤ・ロビーに関して有名な「しっぽが犬を振り回す」という議論があるが、それはそのタブーの周辺を実際にそれを壊すこと無しにうろつきまわる試みなのだ。確かに、イスラエルと呼ばれる中東の小さな国が「米国という犬を振り回す」ことは多分できないだろう。AIPACなどなどのイスラエル・ロビーは、その努力にも関わらずそれほど大きな影響力を発揮することはできない。しかしイスラエル・ロビーとイスラエル国家はあるものの表出として認識することができる。それはブラックホール、語るべからざる巨大な存在、つまりユダヤ(Jewry)の表出である。

 ジェイムズ・ペトラスとノーマン・フィンケルシュタインの間で行われた最近の論争で(参照:http://groups.yahoo.com/group/shamireaders/message/932)、ペトラス博士は親イスラエル・ロビーを次のように表現することで真相に極めて近く迫っている。「アメリカン・エンタープライズ研究所を始めとする親シオニストのシンクタンク群のあらゆるつながり・・・権力構造の全て、それはAIPACを含むばかりではなく米国主要ユダヤ組織連合の総裁をも含む。それらの組織は52にものぼる・・・政府の重要な地位を占領する人物達(エリオット・エイブラムズやポール・ウォルフォヴィッツ、ダグラス・ファイスやその他の者達)・・・主要な新聞と結び付いたエッセイ作家達の軍団・・・超大金持ちの民主党への献金者たちとメディアの大立て者たちの議会と政府に対する影響力」と。これはロビーではない。これはユダヤ(Jewry)なのだ。

 どうして今日ユダヤ(Jewry)がこれほどにパワフルなのだろうか。拙著“Pardes”で私は一つの説明を書いている。歴史的にいえば一つの教会の代替物として、ユダヤ(Jewry)は伝統的に使徒の教会の敵だった。ローマ・カトリック教会の束縛が崩れたときに、その代替物が力を噴出させた、と。しかし、もしこの説明があまりにも複雑ならば、あるいは厳格な唯物論者にとって受け入れがたければ、それをドルとポンドというように翻訳しても良いだろう。

 最近、ユダヤの賢者であるゼヴ・チャフェッツ(Zev Chafets)は、ユダヤ人が強力でありずる賢いと言ったために出場停止になった米国のスポーツマン、リチャードソンの弁護を買って出た(参照:http://jewishworldreview.com/0407/chafets041107.php3)彼はこのように言ったのだ。「ユダヤ人は世界一の安全保障システムを持っているよ。テルアビブ空港に行ったことがあるかい? 彼らは実にずる賢い。いいかい。彼らは世界中で嫌われている。そこで彼らはずる賢くなってしまったのだ。彼らはこの世界で物凄い力を手に入れた。俺の言うことが解るかい? 俺の思っていることは大変なことなんだ。何の間違いもないと思うよ。もしあんたが最もプロフェッショナルなスポーツマンを調べてみるなら、そいつらがユダヤ人に動かされていることが解るさ。もしあんたが一番成功している会社とそのスタッフを調べてみたら、そいつらがユダヤ人に動かされていると知るだろう。別に非難してるわけじゃないけど、あいつらはずる賢い連中だ。」

 チャフェッツは次のように報告した。「申し訳ないが、リチャードソンは何一つ攻撃的なことは言わなかった。実際にユダヤ人という民族は、私の経験から言っても、利口である。そして彼らはそのことを誇っている(特に黙っている人ほど)。リチャードソンが一体ほかにどのような有害なことを言ったというのだろうか? イスラエルが世界一治安の良い空港を持っていることか? これも真実でありイスラエル自身が自慢するようなことなのだ。ユダヤ人が嫌われていて自己防衛をする必要があるということか? これは反名誉毀損同盟(ADL)自体の設立の根拠である。私が言える限りのことでは、(人口の約1%である)ユダヤ人がNBAにあるチームのおよそ半分を(そして野球やアメリカン・フットボールでも相当な部分を)所有している。それでどうだと言うのだ? ユダヤ人が数多くの優良な企業を経営しているという観察に至っては、何の冗談も無い。ユダヤ人は米国で最高の経済的に成功している民族集団といってほとんど間違いは無い。それに何か問題があるのだろうか?」

 この質問(「それに何か問題があるのだろうか?」)に対しては、ニューヨーク・タイムズのデイヴィッド・C.ジョンストン(David C. Johnston)が次のように回答した(参照:http://www.truthout.org/issues_06/040207LA.shtml)。彼は書いた。「(米国における)収入の不均等は2005年になって顕著に広がった。米国人の上の1%が-彼らの年間収入は34万8千ドルを超えている-1923年以来最高の国内収入の分け前を受け取っている。これは最近公表された納税データの分析が示している。この新しいデータはまた、トップ30万人の米国人が最下層のほとんど1億5千万人分にあたる収入を集中的に手に入れていることを示している。一人当たりで言えば、トップ・グループは、下半分の平均的な人々が稼ぐ440倍にのぼる収入を手にしており、1980年から格差が2倍に広がっている。」

 ジョンストンが答えていない(仮定すらしていない)質問は次のものである。「最下層のほとんど1億5千万人分にあたる収入を集中的に手に入れている」「トップ30万人の米国人」の中で一体どれくらいが「米国で最高の経済的に成功している民族集団」に属しているのか? 国家宗教やその他の非経済活動的な防止装置が無い場合には、米国の政治に対する影響が彼らの総合的な収入におおよそ比例すると予想できるのではないのか?

 「民主主義」は各人が一票の権利を持ちそしてそのすべての票が平等である所でなら理想的だろう。この理想は経済的な不平等が無い場所ですら実現が極めて難しい。各人の能力差によって影響力の大小が現れるからである。ジョンストンによって描かれているような状況の中で、エリート階級の1メンバーが平均的な500人分の収入を得ている場合、民主主義は激しく破壊されることになる。しかしこの理想は、もしこれらのエリート階級の者たちが自分のマス・メディアを持ち他人の世界観を形作る能力を持っているのなら、完璧に欺かれてしまう。もしそれらのメディアの大物達がその資材を米国での至福として共同で出し合うのなら、民主主義は意味を失ってしまう。私はメルケル女史が言った「自由な報道は我々の社会の土台でありあらゆる自由の基盤である」という言葉に前面的に賛成するものである(参照:http://www.haaretz.com/hasen/spages/852026.html)。だがしかし、新聞がアルフレッド・ネヴェン・デゥモント(Alfred Neven DuMont)やイタリアのベルルスコーニのようなユダヤ人やユダヤ愛好者であるメディアの大物達に所有されている場合に、どうして彼女がその報道を自由であると見なすのか、私には想像すらつかない。デゥモントはドイツで最も歴史のある出版社の一つを所有し、同時にイスラエルの新聞ハアレツの共同所有者でもあるのだ。(メルケルは彼の誕生日に上のように語ったのだ。)どうしてこの新聞社がプーチンのロシアのような国家統制の新聞より自由だと言えるのか? どうであれ国家はその全国民を代表すると主張するのだ。

 私はなぜ「ユダヤ人とユダヤ愛好者であるメディアの大物」を強調するのか? きっとこの「メディアの大物」だけで十分ではないのだろうか? いや、実際に十分ではない。デゥモントの所有するハアレツは「反ドイツ人種主義者の告白」といった記事を掲載することもあるだろうが(参照:http://www.haaretz.com/hasen/spages/851722.html)、デゥモント所有のドイツの新聞は決してユダヤ人嫌いの人物による記事を載せることはない。ユダヤ愛好はメディアの大物とその所有の手段をある全体主義的な機構に集約してしまう。ちょうど共産主義思想があらゆるソヴィエトのメディアを一つの全体主義的な(そして退屈な)装置に集約したようにである。この比較は広げることができるだろう。米国と西側世界一般で、ユダヤ(Jewry)は、かつてソ連で共産党によって維持されていたのと同様、社会の頂点の支配権を独占している。憲法では実際には述べられておらず、公式には国家機関の一部ではないが、この半透明な実体はあらゆるプロセスを統制し、そして外部の勢力による統制を受けない。ジョー・パブリック(Joe PublicあるいはJohn. Q. Public:米国社会のこと)は米国主要ユダヤ組織代表会議評議会の中で意識されるようなものではない。ちょうどソ連の政治局でイヴァン・プブリコフ(Ivan Publicoff:ソ連邦社会)が問題とされなかったようにである。

 かつてこの位置を教会が占領していた。19世紀の後半と20世紀初期に多くの人々のエネルギーと思考が反教会の戦いに費やされた。その主要な不満は、教会が社会を統制しているのに社会によって制御されていない、というものだった。ロシアでの共産党は(あるいはイタリアのファシストといった様々な認識と思想は)同様の不満に直面した。現代はその最新の権利強奪者を指定するべきときだ。なぜなら、大多数の者たちがその思考プロセスを導き統制するものとしてユダヤ(Jewry)を指名しなかったからである。ユダヤ(Jewry)の過剰な影響力は民主主義の欠如を示すインディケーターなのだ。真に民主主義的な国ならユダヤ(Jewry)はその人数に比例した影響力を持つはずである。しかし歴史が終わったわけではない。そしてユダヤ(Jewry)を教会や共産党が歩いた道に、つまり我々のダイナミックな社会の適当な住み分けの領域に、送り込むことによって自由を導き出すことができる。

 ホロコースト・リヴィジョニストたちは、もしホロコーストの話が覆るならユダヤの力は崩壊すると信じている。彼らは「ユダヤの権力は嘘のうえに作られている」と信じている。私はこれには同意できない。ユダヤ(Jewry)の権力は極めて現実的である。それは貨幣、イデオロギー、そして権力の基盤となることができるあらゆるものに基礎を置いている。この現実の権力は取り除くことができるだろうしそうしなければならない。そしてその後に、ホロコーストの話はごく仲間内を除くすべての人にとって関心を引くものではなくなるだろう。

 自由への愛と同感に導かれるならば、この解決は個々のユダヤ人にとって良いものとなるだろう。個々のユダヤ人vsユダヤ(Jewry)の位置付けはどのようなものか? それは個々の共産党員vs共産党の関係と同様である。ソヴィエト連邦の最後の日々に、1千6百万人の党員がいた。党員であることに利益があったのだ。しかし党員証がその価値を失ったときに、党員数は数十万人にまで縮まった。それを悲劇として見てはならない。昨日までの共産主義者は自由を回復したのだ。(エリツィンのような)一部の者たちは反共主義者となり、他は政治から身を引きそして宗教や貿易や事業に向かった。共産党に残った者たちが崩壊を嘆くこともなかった。彼らは偽善者どもと別れたのだ。何百万人もの小ブルジョアジーを喜ばそうとする必要はない。彼らは自分の本当の信念を主張できる。

 同様に、ユダヤ(Jewry)の影響力がその人数に比例するまで崩れるならば、大量の思想的脱出者が生み出されることだろう。1千6百万人のユダヤ人の中から、おそらく数十万人の信奉者が、モーゼの律法とタルムードやカバラ研究に忠実なものとして残るだろう(神よ、彼らを祝福したまえ!)。一方で残りは他の利益や忠誠の対象を見出すだろう(神よ、彼らをも祝福したまえ!)。彼ら全員が、反ユダヤ主義の神話を崩してユダヤ人が自由を回復するのを助けたトアフ教授のような反体制派に感謝することだろう。

 このユダヤ(Jewry)の枠内では、彼らは自由ではないのだろうか? 1970年代から80年代にかけて、共産党の内部での自由と多元主義に関して同様の議論が進められた。必然的にだが、そんなものはひねり出せなかった。ユダヤ(Jewry)は共産党よりもさらに一枚岩である。それはある程度の意見の散らばりを容認するが、それはあまり広がってはならないのだ。最右翼に非ユダヤ人からイスラエルの市民権を剥ぎ取ってしまおうとするジラッド・シャロンがいて(参照:http://www.haaretz.com/hasen/spages/851868.html)、最左翼にはウリ・アヴネリがいるのだが、彼も実質的には同様の主張をする(参照:http://zope.gush-shalom.org/home/en/channels/avnery/1177227796/)。我々はユダヤ人が自由を回復させるのを手助けするだろうし、またそうすべきである。ちょうど共産党員がそうだったように、またその以前に教会の出席者がそうだったように。彼らは自分の選択の自由を回復させるのを手伝ってもらったのだ。

【翻訳、終り】

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Israel Shamir

http://www.israelshamir.net/English/Eng16.htm

Dear Reader,

Italy is glorious this time of year, with lush green grass covering valleys, with first figs breaking out, and cherry blossoms already being blown away by spring rains. I was there at a conference on Holocaust and the Middle East: the Gagged History, organised by the great Professor Claudio Moffa, a Paul Newman look-alike; a tall, lanky, noble-looking and blue-eyed Italian who excels in charging into one-way lanes the wrong way. His dislike for prohibitions is not limited to traffic signs: it seems it is enough to put a No Entry sign anywhere, even in some historical discussion, and the man will charge head on. He found the hottest and most tabooed part of European discourse and organised a conference, well attended by history professors, - from the Universities of Siena and Calabria, Torino and Napoli, Rome and Urbino, by writers and journalists from all over Italy, me being the only foreigner. The conference took place in Moffa’s university of Teramo, a charming, quaint medieval town in the Abruzzi Mountains, in the shade of Gran Sasso's snow peaks. Among many attendees and speakers I’d mention Prof Mauro Manno, whose articles you can find on my site, and Dr Tiberio Graziani, the editor of Eurasia Magazine. You can read about the conference, and the talks given there on Prof Moffa’s site http://www.mastermatteimedioriente.it/ , while here I offer you my talk:   

 

Clio Gagged

 

By Israel Shamir

(A Talk given in Teramo University, Italy, at the Conference on Holocaust and the Middle East: the Gagged History, on April 18, 2007)

 

One should not be amazed that the gentle muse of history, Clio, finds herself gagged. History is not a peaceful collection of facts and trivia. History is a perpetual tug-of-war, for its re-writing may change the world. One can’t change the past, so goes the old adage, and it is true. But if we are dissatisfied with our present, we may change our understanding of past, and this will change our future. This has been known since time immemorial, and this is why history was given into custody of sacred keepers, to ensure the power structure and some continuity. Whoever controls the past determines the future. The subject of this conference deals exactly with this topic: we are dissatisfied with present, we turn to the past, and by re-assessing it we plan to influence future. If some parts of the historical narrative are strongly defended, or perverted outright, the more reason we have to attack it.

By no means is the Holocaust the only vigorously defended domain of history, where an offender may find himself in deep water. The old case of Jewish human sacrifices re-emerged recently in Italy, with the publication of Professor Ariel Toaff’s book, Passovers of Blood. As you may already know, Prof Toaff proved that some Jews accused of kidnapping and killing Christian children in the Middle Ages were actually guilty as charged. They were executed for brutal murder, and they weren’t victims of alleged Christian prejudice or primordial antisemitism. One may think it would be a reason for celebration: the criminals were not libelled but properly punished; justice was carried out, and modern Jews should be happy that the medieval anti-Jewish prejudice is but a myth, akin to the myth of Germans turning Jews into soap.

But the Jewish organisations were not happy at all. They attacked the Jewish Professor of Medieval Jewish studies in an Israeli University; the mentally tortured, almost crucified professor Toaff withdrew and destroyed the book (mercifully in our days it is not that easy, and the book can be read on the web on http://www.vho.org/aaargh/fran/livres7/pasque.pdf ), surrendered the small amount of money he got from the publisher to the Jewish inquisition of ADL, and was forced to a new act of repentance.

The Israeli parliament (Knesset) plans to send Dr Toaff to jail, others intend to sue him for all it is worth, and see that he dies a pauper and an outcast. Here in Italy, it is natural to compare Dr Toaff with Galileo, this great Italian scholar, who was persecuted for his scientific discovery, and preferred repentance to a fiery death.

But the actual achievement of Dr Toaff is best compared to that of his Italian Jewish colleague, Dr Carlo Ginzburg, the author of The Witches’ Sabbath. Ginzburg proved that the Friulians, that is people of Friuli, neighbours of Venice, were dabbling in Black Magic, growing out of its ancient fertility ritual. Toaff achieved a similar result for the Jews, that they were dabbling in Black Magic and that it grew out of their ancient cult of vengeance and salvation-through-blood. But the Friulians remained calm, while the Jews almost lynched the Professor, thus proving that the Friulians are open-minded folk that can look with mild curiosity at the misdeeds of their ancestors, while the Jews still cannot come to terms with their non-exclusivity, their non-Chosenness, and their non-sacrality.

Together with Dr Ginzburg, Dr Toaff had completed the process of reassessment of the Middle Ages which was well described by Mircea Eliade in his Occultism, Witchcraft, and Cultural Fashions. Eliade wrote: “Some 80 years ago, prominent scholars Joseph Hansen and Henry Charles Lee considered the black magic an invention of inquisition, not of the sorcerers. They considered the stories of witches’ Sabbath, of Satanist rites, orgies and crimes to be a whim of imagination or a result of torture-induced confessions.  Now we know, - writes Eliade, - that black magic was not invented by inquisition”. Nor, we may add, the Jewish human sacrifices that were proven beyond reasonable doubt.

Toaff dealt with the case of Simon of Trent, a child ritually murdered by the Jewish black magicians. The guilt of a few Jews was established by the best court of law anybody could have those days, and the innocent Jews did not suffer more than innocent Muslims have suffered in the US after 9/11. Another case was that of Hugh of Lincoln, a child ritually murdered in 1255: out of 90 Jews detained in the aftermath of the crime, over 70 were released unharmed as their innocence was established, while those found guilty were hanged: hardly a case of “mob justice”!

In a blatant case of ethnic bias, the Jewish-edited Wikipedia described Hugh of Lincoln as “allegedly murdered”, while the proven accusation is termed “blood libel”. “Blood libel” is a standard definition of these cases, implying that always-innocent Jews were libelled by prejudiced Christians. But, if a moral lesson can be extracted from these old criminal cases, then it is that the European sense of justice and fairness invariably prevailed; while guilty Jews were punished, innocent Jews lived and prospered as the only non-Christian community in Europe.

Muslim justice was not worse, either: in an 1840  Damascus case, a Catholic friar was murdered by a few Jews who confessed to the crime and were punished. But this did not interfere with prosperity of their brethren, and Farkhi, a Jew of Acre, was considered the richest man in Syria after the affair as well. This case was investigated by the great Orientalist, Sir Richard Burton, the British consul in Damascus, who began as an avowed philosemite (“'Had I choice of race there is none to which I would more willingly have belonged than the Jewish”) but accepted the guilty verdict in this case, and wrote a full exposition of the affair. The London Jews paid good money to buy the Burton manuscript from his heirs, and it has never been published to this very day, being kept in the cellars of the Board of Deputies of British Jews. A British Jewish journalist Aaronovitch chided Syria for a Syrian minister daring to write about it; Aaronovitch never mentioned the Burton investigation, just exclaimed “blood libel” as if this explains everything.

Indeed, before there was the Holocaust, there was blood libel. When one reads Jewish and Judeophile pre-WWII texts, one notices that the place currently occupied by the Holocaust dogma in the Judeocentric universe was not vacant; it was taken by pogroms in Russia, by the Dreyfus trial, by the Inquisition, by the expulsion from Spain, by the destruction of the Temple and to a great extent by the “blood libel”. They carried the same message: they proclaimed eternal, unique, reasonless and baseless suffering of Jews caused by the irrational hate of Gentiles; they united and mobilized Jews against the Gentiles; they deflated some envy, hostility and distrust into pity, even engendering guilt feelings among the best of goyim.

The case of Dr Toaff may help our friends who are over-involved with the Holocaust narrative to see the point. I respect the dissidents/deniers for their going against the stream, but I do not share their enthusiasm. Yes, these tales of undeserved and unique suffering could be argued against on the factual grounds. This is what Dr Serge Thion did in connection to the Holocaust, noting that Elie Wiesel, the great narrator of Holocaust, preferred to stick to his Nazi persecutors rather than stay with his Russian liberators. This  is what Dr Toaff and Sir Richard Burton did with respect to blood sacrifices, proving that the authorities’ response was measured and legitimate.

The Russian historian Kozhinov dealt with the Russian pogroms proving that more non-Jews than Jews were killed in these violent encounters. The greatest and the bloodiest pogrom, that of Kishinev, was described by Bialik, the national Jewish poet, as the greatest of massacres with blood flooding the streets, and in recent issue of Haaretz, an Israeli journalist wrote that “no one doubts the Russian nation's right to exist because Christians in Kishinev at the beginning of the 20th century stuck nails into the eyes of Jewish children.” However, as opposed to the cases of the Italian and English babies tortured to death by Jewish black magicians, the allegations of “nails into the eyes etc” were a flight of fantasy disproved almost instantly, while the total loss of life in Kishinev amounted to 45, a quarter of Deir Yassin, a month's harvest of the Intifada.

So all these stories of unprovoked suffering can be deconstructed, but why bother, if the only thing the producers of the narratives wish to convey is that Jews are unique and special, have suffered more than anybody else and that is why they are entitled to have their way, are the best there is, while whoever doubts it is obsessed by mystic antisemitism. These narratives are brought forth to wake Jewish fury against their alleged persecutors, c’est tout.

I take great dislike to these victimhood stories, and not only because they are factually weak. The victimhood stories are not the result, but a cause of suffering. Whenever these stories of unprovoked persecution are being delivered, have no doubt: their promoters are preparing a beastly atrocity of their own. Jews brandished the story of the holocaust and erased the peaceful Palestinian population in 1948. Armenians recited the story of their unique unprovoked suffering, and massacred innocent Azeri civilians in Qarabağ in 1991-94 war, sending hundreds thousands of refugees to Baku. Poles and Czechs inflamed by stories of their suffering under the Reich expelled millions of ethnic Germans from their ancestral lands, while Ukrainians who told the stories of their suffering in Rzecz Pospolita slaughtered the Poles of Volyn by the thousands.

National politics parallel gender politics, as it was outlined by Otto Weininger: thus, the feminists promoted a narrative of women’s suffering under their eternal male oppressor, and caused the  breakdown of many families, the impoverishment of women and the emasculation of men. A narrative of this kind may be balanced by a counter-narrative. While it is true that men lead in physical violence, women are much more efficient in verbal aggression. The lashing tongue of Lady Macbeth was no less guilty than Macbeth’s piercing knife. Women do know how to provoke a man; and men respond – sometimes with a kiss, sometimes with a blow, sometimes with a bullet. Jose killed, but Carmen provoked. Despite the much promoted myth of the muscular Barb Wire type of  girl, women are less successful when it comes to physical blows, so they tend to forbid physical violence but allow the verbal one and outlaw the very concept of provocation.

Coming back to the subject, if Turks killed, the Armenians provoked; and whenever there were actions against Jews they were caused by actions of Jews. Indeed, a through-and-through denier, I deny the very existence of antisemitism, the “irrational hate towards Jews”. It does not exist. Jewry was fought against, as every power, from Roman Catholic Church to Standard Oil Co was. Jews are not lambs, but quite an active factor of ideological and economic life. One may be for or against them. But “hate”? Surely not. Non-Jews have usually been fairer to Jews than the other way around. Even the “blood libel” turned out to be not a libel but a regular criminal case.

Were there anti-Jewish actions, in Europe and in the Middle East? Surely they were. But were they caused by “irrational hate”? Hate my foot!  In 1911, the US government undid the mighty empire of John D. Rockefeller. Not being a Jew, Rockefeller could not claim it was due to antisemitism. He did not say that it was because they did not like his looks, race, breed, manners, or that’s divine punishment for his sins. They broke up the Standard Oil Company because it became too powerful. For the same good reason,  Russian President Vladimir Putin broke up the oil company of his unruly oligarchs. Not because they were Jews, or because they supported democracy. Power creates the demand for a countering power, force calls for counterforce, and Jews were and are a power.

Jewry is stronger than the Catholic Church, as we learn from the fate of an Italian scientist we can compare Dr Toaff with. Yesterday, just off the main square, I saw a plaque commemorating Giordano Bruno, the martyr of science. It said: “He was killed by the Catholic Church, the enemy of science.” Go over hundreds of books, crawl all over Internet, you will read that the Church is guilty of this crime. You can say it freely, and nobody will scream at you hysterically: “ALL the Church? All billion of Catholics from Brazil to Poland are guilty? Shame on you! You are anti-Catholic!” Actually, the late Pope even apologised for it, as was his wont.

In vain you’ll look for a plaque commemorating a Jewish philosopher, scientist and sceptic Rabbi Samuel Ibn Zarza, the author of Miklal Yofi, who expressed his doubt about Creation, and was burned at the stake in Valencia – by order of the Jews. Now, I wait to hear the shout “All the Jews? Antisemite!” What, nobody says it? Good, we may proceed. In the Book of Lineage, a 15th century Jewish book I had pleasure of translating (into English), there is a gloss saying “When the Rabbis read ‘The year such and such since creation of the world’ this Zarza fellow placed his hand on his beard and alluded to the world’s pre-existence by holding the hairs of his beard. The Chief Rabbi Isaac Campanton stood up in his place and said, ‘Why is the bush not being burnt? Let the bush burn!’ (Zarza is a sort of bush in the Castilian; so this pun alludes to Exodus 3:3)  The Rabbis led him to the tribunal and had him sentenced to death by burning for confessing pre-existence of the world.”

So there are two scientists, both burned, but one was sent to the stake by the Church, while another one by the Jews. If you go into the details, you can find even more similarities. Samuel Ibn Zarza was executed by the tribunal at the instigation of the Jews. There are some hints that the Jews were active behind the scenes in sending Giordano Bruno to his death as well, for he was strongly anti-Jewish. Giordano Bruno called the Jews 'such a pestilential, leprous, and publicly dangerous race that they deserved to be rooted out and destroyed even before their birth.' (Giordano Bruno, Spacio della Bestis Trionfante (1584). This opinion contributed to his execution, for even then, the Jews could access the authorities’ ears, and there were always enough officials ready to follow their orders. But in the case of Bruno, there are no visible traces, thus his case remains known, while the case of Samuel Ibn Zarza is forgotten or denied.

If you open the Jewish-edited Wikipedia, you’ll read: “though Samuel Shalom (a 16th century Jewish sage) states that Zarza was burned at the stake by the tribunal of Valencia on the denunciation of Rabbi Isaac Campanton, who accused him of denying the creation of the world, historians have proved this assertion a mere legend.” Thus, the Jewish history-making and vetting Ministry of Truth still can decide and rule what happened and what was and remains a “mere legend”. The Catholic Church can’t even dream of such  power.

Can one quantify Jewish power? Some months ago, the British weekly Economist published an unusual map of the world: a country’s territory was represented in proportion to its GNP. This is a revealing map: India was smaller than Holland, all of Latin America was only as big as Italy; Israel was bigger than all its Arab neighbours. This map was not exactly the map of power: in order to draw the true map of the world one should consider other parameters as well: gun power, nuclear and conventional capability, discursive influence connected with output of films, books, newspapers, university cathedras, international positions. On such a power map, Jewry would look impressive enough. The Jews are an important power in the world we live in. It is a first-rate power, stronger than the Catholic Church, surely stronger than Italy or any single European state, stronger than Shell and Agip or any trans-national corporation.

In space studies, there is a phenomenon called the black hole: a very dense and heavy star changes the geometry of surrounding space, and  rays of light can’t escape the gravitation trap it creates. Such a black hole star is invisible because it is very powerful. Likewise, Jewry is a black hole. It is so powerful that it is not seen. One is not allowed to see it. This is the strongest taboo of our day. The famous “tail wags the dog” discussion about the Jewish Lobby in the US, is an attempt to go around the taboo without actually breaking it. For sure, a small Middle Eastern country called Israel can’t possibly “wag the US dog”. The Israel Lobby of AIPAC and sundry can’t influence much, despite its efforts. But the Israel Lobby and the state of Israel are perceived as manifestations of the Black hole, of the great unmentionable: of Jewry.

In a recent debate between James Petras and Norman Finkelstein, Dr Petras comes very close to real thing as he describes the pro-Israel lobby as “a whole string of pro-Zionist think tanks from the American Enterprise Institute on down, and … a whole power configuration, which not only involves AIPAC, but also the Presidents of the Major American Jewish Organizations, which number 52… and individuals occupying crucial positions in the government (Elliott Abrams and Paul Wolfowitz, Douglas Feith and others), … the army of op-ed writers who have access to the major newspapers…  the super-rich contributors to the Democratic Party, Media moguls with the leverage in Congress and in the Executive”. It is not a lobby, it is Jewry.

Why is Jewry so powerful now? In my book, Pardes, I give an explanation: historically an alternative church, Jewry had a traditional enemy in the Apostolic church. When the Roman Catholic church’s hold was broken, the alternative one spurted forth. But if this explanation is too complicated, or unacceptable to strict materialists, one can translate it into dollars and pounds.

Recently, Jewish pundit Zev Chafets rose in defence of American sportsman Richardson who was suspended for saying that the Jews are powerful and crafty. He said: “The Jews have got the best security system in the world. Have you ever been to an airport in Tel Aviv? They're real crafty. Listen, they are hated all over the world, so they've got to be crafty. They got a lot of power in this world, you know what I mean? Which I think is great. I don't think there's nothing wrong with it. If you look in most professional sports, they're run by Jewish people. If you look at a lot of most successful corporations and stuff, more businesses, they're run by Jewish [sic]. It's not a knock, but they are some crafty people."

Chafets retorted: “Excuse me, but Richardson didn't say anything offensive. In fact, Jews, as a people, are smart, in my experience. And they're proud of it (especially the dumb ones). What other hurtful things did Richardson supposedly say? That Israel has the best airport security in the world? This is both true and something Israel itself brags about. That Jews are hated and need to protect themselves? That's the founding premise of the Anti-Defamation League itself. Sure, Richardson exaggerates when he says that Jews own most sports teams. As far as I can tell, Jews (about 1% of the population) only own about half the teams in the NBA (and a pretty fair proportion in baseball and football too). So what? As to the observation that Jews run a lot of successful businesses, no kidding. Jews are very likely the most economically successful ethnic group in the U.S. What's the matter with that?”

This question (“What's the matter with that?”) was answered by David C. Johnston in the New York Times. He wrote: “Income inequality [in the US] grew significantly in 2005, with the top 1 percent of Americans - those with incomes that year of more than $348,000 - receiving their largest share of national income since 1928, analysis of newly released tax data shows. The new data also shows that the top 300,000 Americans collectively enjoyed almost as much income as the bottom 150 million Americans. Per person, the top group received 440 times as much as the average person in the bottom half earned, nearly doubling the gap from 1980.” 

A question Johnston does not answer (nor even posits) is: out of “the top 300,000 Americans who collectively enjoyed almost as much income as the bottom 150 million Americans” how many belong to “the most economically successful ethnic group in the U.S”? Isn’t it to be expected that – in absence of a national church or other non-economical limiters - their influence on the US politics would be roughly proportional to their joint income?

“Democracy” is an ideal political system where each person has one vote and all votes are equal. This ideal can hardly be realised even in the absence of economic inequality, for there are more and less influential people by their very abilities. In the conditions described by Johnston, when one member of elite has the income of 500 ordinary people, democracy is severely undermined. But this ideal is betrayed outright if these elite people own mass media and thus have an ability to shape the world view of others. If these media lords pool their resources as happens in the US, democracy loses its meaning. I agree wholeheartedly with Frau Merkel who said: “A free press is the cornerstone of our society and the basis for all freedoms." But I can’t even guess why she considers the press as being free if it is owned by Jewish and Judeophile media lords, like Alfred Neven DuMont, owner of one of Germany's oldest publishing houses and  part-owner of the Israeli newspaper Haaretz, (she spoke at his birthday party) or your own Berlusconi? Why is this press freer than a state-controlled press, as in Putin’s Russia? A State can anyway claim to represent all its citizens.

Why do I stress “Jewish and Judeophile media lords”? Surely “media lords” would suffice? Not really. A DuMont-owned Haaretz may run a piece called Confessions of an anti-German racist, but a DuMont-owned German newspaper would never run a piece by a man who dislikes Jews. Judeophilia integrates the media lords and their holdings into one totalitarian machine, like Communist ideology integrated all Soviet media into one totalitarian (and boring) device. This comparison may be developed: in the US and in the West in general, Jewry occupies the controlling heights once kept by the Communist Party in the USSR: practically unmentioned in the Constitution, formally not a part of state apparatus, this opaque body controls all processes and is not controlled by external forces. Joe Public is not represented at the board of Presidents of the Major American Jewish Organizations, just as Ivan Publicoff was not represented in the Politburo.

Once, this position was occupied by the Church. Anticlerical campaigns consumed much of people’s energy and thought in the end of 19th and beginning of 20th century. The major complaint was that the church controlled society, but was not controlled by society. The Communist party in Russia (or the fascist one in your country, with all the difference recognized and acknowledged) faced the same complaint. Now is the time to address the latest usurper, for the majority did not appoint Jewry to guide and control its thinking process. The excessive influence of Jewry is an indicator of lack of democracy: in a truly democratic country, Jewry would have an influence proportional to its numbers. But history is not over yet, and freedom can be ushered in by sending Jewry the way the Church and the Party went, i.e. into a modest niche of our dynamic society.

Holocaust revisionists believe that the Jewish power will collapse if the Holocaust narrative is undermined. They believe that “Jewish power is founded upon the lie”. I disagree. The power of Jewry is quite real, it is based on money, ideology and everything a power could be established upon. This real power could and should be undone, and then the Holocaust narrative will be of no interest to anyone but  the next-of-kin.

Led by love of freedom and by compassion, this solution will be good for individual Jews. What is the position of an individual Jew versus Jewry? It is the same as of an individual Party member versus the Party. In the last days of the Soviet Union, there were 16 million Party members; it was profitable to be a member; but when the Party membership ceased to bring benefits, the membership shrunk down to a few hundred thousand. See it not as a tragedy: yesterday’s Communists regained freedom. Some of them (like Yeltsin) became anticommunists, others dropped politics and went into faith, or trade, or business. Those that remained Communists do not regret the collapse either: they parted with hypocrites and do not have to try and please millions of petit bourgeois; they may proclaim their true belief.

Likewise, undoing of Jewry by bringing its influence into proportion to its numbers will cause mass ideological exodus. Out of 16 million Jews, probably a few hundred thousand believers will remain faithful to the Mosaic Law and to Talmud and Cabbala study (God bless them!), while the rest will find other interests and allegiances (God bless them, too). All of them will be grateful to dissidents like Dr Toaff who buried the myth of antisemitism and helped them to regain freedom.

Can’t they be free within this framework of Jewry? In the 1970s-80s, a similar discussion went on regarding freedom and pluralism within the Communist Party. Eventually, it did not work out. Jewry is not less monolithic than the Party, it also allows for some spread of opinions, but the spread is not wide enough. On the right end, there is Gilad Sharon, who wants to strip non-Jews of their Israeli citizenship, on the left end, there is Uri Avnery, who actually proposes the same. We may and should help Jews to regain freedom, like the Party members, and before them,  Church attendees, were helped to recover their freedom of choice.

 











(私論.私見)