フリーメーソン米国史

 (最新見直し2006.3.15)

 「アメリカのユダヤ人

【アメリカ移民の始まり】
 1620.2.21日、メイフラワー号の巡礼父祖(ピルグリム・ファーザーズ)102名が上陸して、ピューリタンの信仰と自由と独立を求めた。これがアメリカの“建国神話”である。実際には、分離派教徒は35名、あとはヴァージニア植民地でひと旗揚げようとした国教会の信徒だった。

【アメリカに於けるフリーメーソン史その1、最初期】
 「阿修羅」のSP' 氏の1999.7.11日付投稿「アメリカ建国およびバチカンとの関係(赤間剛氏による)」を参照する。

 一八世紀にイギリスに誕生し、ヨーロッパ大陸に進出していったフリーメーソンリーの理想が、真の意味で現実化したのはアメリカにおいてであった。植民地アメリカにフリーメーソンリーが入っていったのは、一七二〇年代の後半である。

 近代化されたフリーメーソンの米国への伝播は1730年代に起きます。米国は、植民地時代、大英帝国の厳しい税制や法律にがんじがらめにされ、まともに海外交易をやっていては倒産するので、密輸が当たり前になっていました。フリーメーソンは世界各地にロッジを擁しているので、交易ルートにかかるロッジを通して密輸取り引きがおこなわれ、新大陸で富と権力を蓄えていきます。


 1731年、ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin、1706.1.17日〜)がメーソンとなる。稲妻と電気の関係を証明したことをはじめ、自然科学の分野で業績をあげている。彼は、イギリスのロイヤル・ソサエティと、フランスの科学アカデミーの会員にもなっている。

 1733年、ボストンに、「ファースト・ロッジ」が開かれ、ヘンリー・プライスがイギリス本国のグランド・ロッジの承認を得て、グランド・マスターになる。その後、またたく間にアメリカの13植民地にフリーメーソンリーのロッジが広がった。

 1752年、アメリカ建国の父、ジョージ・ワシントンがメーソンとなっている。彼の属するロッジは、ヴァージニアの上層階級のクラブであった。ワシントンのまわりには、独立戦争で有名なメーソンが集まった。独立戦争は、サラトガの戦いでアメリカ側が勝利を収めたのを機に、戦況はしだいにアメリカ側に有利になっていく。

 連戦連敗していたジョージ・ワシントンの大陸会議軍が勝利したのは、ベンジャミン・フランクリンがヨーロッパでフリーメーソンのコネを活用したからでした。パリの最も有力なメーソン組織「九人姉妹ロッジ」と親しかったフランクリンは、ヴォルテールやラ・ロシュフコーを通じてルイ16世を動かし、フランスを加勢させることに成功したのです。

 フリーメーソンには軍隊内にも会員を増やす戦略があり、これは「ミリタリーロッジ」と呼ばれています。この「ミリタリーロッジ」から英領北アメリカ総督となるジェフリー・アマーストやベネディクト・アーノルド、イーサン・アレンといった優秀なメースン指揮者が生まれ、独立戦争での活躍につながります。

 また、ボストンティーパーティー事件に関与したのが「スコティッシュ・ライト・ロッジ」からお墨付きをもらったボストンの「聖アンドリュー・ロッジ」であり、反英闘争の英雄ジョン・ハンコックも「聖アンドリュー・ロッジ」に所属するメースンでしたし、レキシントン・コンコードの戦い前夜、イギリス軍の襲来を独立軍に伝えたポール・リヴィアもメースンでした。

 1776.7.4日、アメリカ合衆国の「独立宣言」が採択される。起草の中心人物はトマス・ジェファーソンであり、ジョン・アダムスとフランクリンがそれに協力した。宣言は、人間は生まれながらにして「平等」であり、「生命」「自由」「幸福」追求の権利をもち、その権利を否定する政府・国家を否定する権利を有するとする。その主張は、ジョン・ロックの政治思想に源流を求めることができる。

 「いってみれば「独立宣言」は一八世紀のヨーロッパの一つの集結点であった。と同時に、それはまた正しい意味での近代の幕明けであったのである」(グルード「フリーメイソンの歴史」)。この独立宣言に署名した56人のうち、3名を除きそのすべてがメーソンだったという。

 さらに、1776年7月4日、独立宣言に署名した60名のうち41名がフリーメーソンであったと言われています。



 アメリカ憲法修正第一条は、国家宗教の樹立を禁止している。建国の父祖たちは理性の時代に生きていた。1796年、ワシントン大統領はトリポリ条約で、「いかなる意味においても、アメリカ合衆国はキリスト教国家ではない」と宣言している。アメリカ合衆国が「キリスト教国家」になるのは、20世紀に入ってからなのである。

 独立戦争が始まると、軍隊では盛んに「軍事ロッジ」が創設される。ワシントンは、この移動する軍事ロッジの先頭に立ち、メーソンの正装をし、行進した。

 1778年、独立戦争においてフランスをアメリカと同盟(一七七八年)、参戦させた。ランクリンは功労者である。フランクリンの活躍によってフランスが参戦すると、イギリスの劣勢が明らかになり、1781年に戦争は事実上の終結をみた。

 1787年、アメリカ合衆国憲法が制定される。

 1789年、ワシントンが初代大統領に就任する。このときワシントンは、ニューヨーク・グランド・ロッジのグランド・マスターであった。ワシントンは、大統領になるやいなや、連邦議会の行政機関として、国務、財務、陸軍、司法の四省を設け、最初の米国政府の重要機構を確立したが、国務長官・トーマス・ジェファーソン、財務長官・アレクサンダー・ハミルトン、陸軍長官・ヘンリー・ノックス、司法長官・エドモンド・ランドル、副大統領・ジョン・アダムスが任命されたが、その全員がフリーメーソンだった。

 1792年、メーソン設計による「ホワイト・ハウス」が着工された。1793年、アメリカ政治の象徴となる議事堂の礎石を置く儀式が行なわれる。その儀式はフリーメーソンリーのロッジと提携して行なわれ、ワシントンは、メーソンの儀礼用礼服を着用してエプロンと記章をつけて儀式に臨んでいる。

 アメリカ建国がフリーメーソンの精神であることは、アメリカ合衆国の国璽にもその象徴が表われていることからも明らかだ。とくにはっきり表れているのは裏側であり、未完成のピラミッドが描かれ、冠石の位置に「万物を見る眼」(フリーメーソンの象徴)が描かれている。この絵は一ドル紙幣の裏側にも描かれている。

 有名なワシントン記念塔も、メーソンの力で生まれたものだ。このオベリスクは一本石からは造られておらず、多くの石を組み合わせてできており、アメリカ合衆国の標語「多から一」を象徴的に示す建築物である。

 1886年、フランス政府はアメリカ独立百周年を記念して「自由の女神」像を贈るが、その制作者フレデリック・バルトルディもメーソンである。


 。

 18世紀初頭、アメリカに於けるフリーメーソン史が始まる。古代派、近代派、スコットランド派、アイルランド派が入り乱れていた。1734年、28歳のベンジャミン・フランクリンがペンシルバニア州のグランド・ロッジのマスターに推挙された。当時、メーン州からジャージー州に至る植民地全体に約6千名のメーソンが居たと見られている。

 独立革命に於けるフリーメーソンの働きは有名である。初代大統領となったジョージ・ワシントンは、26歳の時、ペンシルバニア州のグランド・ロッジのマスターに推挙された。独立戦争が開始されると、ほとんど全部のメーソンを参集させ、戦場ロッジの儀式を行いながら戦った。ベンジャミン・フランクリンは、フランスメーソンのコネクションを利用し、フランスから独立革命軍に財政的・経済的援助を取り付けた。トーマス・ジェファーソンは、憲法起草をフリーメーソンの精神を持って作成したと云われている。独立軍将官、独立宣言起草者、署名者にはメーソンがズラリ並んでいる。

 米国の歴代大統領のうち、ジョージ・ワシントン、ジェームズ・マディスン、ジェームズ・モンローと、建国期の大統領の半分がメースンでしたし、現代に入っても、セオドア・ルーズベルト、フランクリン・D・ルーズベルト、ハリー・S・トルーマン、リンドン・ジョンソン、ジェラルド・R・フォード、ロナルド・W・レーガン、ジョージ・H・W・ブッシュ、ビル・クリントン、ジョージ・W・ブッシュに至るまで総勢25名、つまり米国大統領の約六割がフリーメーソンから出ているのです。

 ちなみに、英国のウィンストン・チャーチル首相もメースンでしたし、連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーも熱心なメースンでした。また、総司令部参謀第二部(情報部門)のチャールズ・ウィロビー少将や外交局長ウィリアム・シーボルトなど占領軍の要人たちもメースンでした。さらに戦後初の首相・東久邇稔彦とその次の首相・幣原喜重郎、そして鳩山一朗、衆議院議長・星島二郎、参議院議長・松平恒雄(宮内大臣でもあった)らもメースンでした。

 このように、フリーメーソンは米国に建国以前から影響力を持ち、日本にも強く影響を与えてきました。その証拠としてあげられるのが、アメリカの国璽や通貨にフリーメーソンの象徴である図柄が使われていることです。

 禿鷲は「死と再生」の象徴という点で、「生と死」および「善と悪」の双方にまたがることをリーダーシップの基本とみなしたフリーメーソンの一大テーゼをあらわしています。

 鷲のくちばしのリボンにはラテン語で"E Pluribus Unum "(多数からできた一つ)と書かれ、これは13の植民地の合衆国への合体を指すと同時に「多数の神を統べる唯一神」というメースンの教義でもあるそうです。

 頭頂部を切り取ったピラミッドは、中世の教会支配によって智慧を切り取られた人類の不幸を表すとされます。

 切り取られた頭頂部の位置には、「すべてを見通す目」が描かれ、これは古代エジプトの神秘の女神イシスの目で、頭頂部を切り取られたピラミッドを補完する頭脳としての意味があり、それこそがメーソンの目的であるとされています。

 また、ピラミッドの頂点には、ラテン語で"Annuit Coeptis"と書かれていますが、これは「神はわれわれの約束に恵みを与える」と言う意味であり、ピラミッドの底部には"Novus Ordo Seclorum"つまり「新世界秩序」と書かれています。

 ちなみに、有名な“自由の女神”は、米国独立百周年を記念してフランスがアメリカに贈ったものですが、そこに掲げてある銘板にはフリーメーソンのマークと共に「フランスのフリーメーソンが、アメリカのフリーメーソンに送った」と記載されています。


【アメリカに於けるフリーメーソン史その2、その後】
 4、その後のアメリカに於けるフリーメーソンの活躍ぶり
 歴代の合衆国大統領は、若干の例外を除いてほぼ全員フリーメーソンであるとのことで、そのくらいフリーメーソンはアメリカ(社会)と密接に結びついているともいえる。

 フリーメイソンの会員(フリーメイソンリー)に知事や判事、大企業家、学者など政治的・社会的・経済的影響力の大きい人物が多々いる。アメリカ政財界の奥深くにまで影響を及ぼしている。

 1940年代の調査によると、アメリカ48州の州知事のうち34人、96人の上院議委員のうち55人がフリーメイソンであった。州議会においてもフリーメイソン議員の数は圧倒的であり、中西部のある州など、議員の70パーセントほどがフリーメーソンだったという。そもそもアメリカ合衆国の初代大統領ジョージ・ワシントンや建国の父ベンジャミン・フランクリンなどもフリーメーソンだった。ベンジャミン・フランクリンなどは1734年、ウォーター・ストリートのタン・タヴァンで開かれたフリーメイソンのロッジにおいて、メイソンの頭領グランド・マスターに選出されている。アメリカという国家の独立、建国そして発展の歴史の背後には常にフリーメイソンが存在した。
3、現在の組織状況

 1965年、バージニア州アレキサンドリアに「ジョージ・ワシントン・メソニック・ナショナル・メモリアル」が建堂された。メーソンの殿堂には、初代ワシントンから始まる歴代の大統領36名が金のメダルで陳列されており、半数以上の22名がメーソンメンバー。設

【アメリカに於けるフリーメーソン史その3、現在】

 会員数は全世界で600万人を超えるといわれ、その集会所である『ロッジ』はアメリカだけで1万5770。





(私論.私見)