4419 日中共産党論争史
「共産党の理論・政策・歴史」討論欄
 この欄では、「現状分析と対抗戦略」欄や「組織論と運動論」欄にあてはまらない日本共産党の理論問題、諸政策、歴史についての投稿を掲載する欄です。
 
日中共産党の和解をめぐる二三のこと

2001/8/2 東 風子、50代、中国研究家

 7月4日の「しんぶん赤旗」によると不破議長は中国共産党創立八十周年にさいして光明日報の記者のインタビューにこたえて3年前の両党の和解についての感想を述べその時中国側の対応で「真剣な総括と是正」を表明したことにたいして「きわめて誠実なもの」であったとこのことをわざわざ強調している(光明日報のサイトで確認した範囲ではこの部分をはじめ赤旗での不破発言の多くが掲載されていない)。なにより両党の30年以上の断絶のあとの正常化とその後の交流の発展は両国の人びとにとっても好ましいことに違いはなくどういう立場であれ率直に評価できることである。だが不破氏の口から政治家らしからぬこうした意味内容が不明な情緒的な言葉が再三でてくることに首をかしげざるをえないのである。今日では両党の戦後の関係史はすでに現代史とはいえ過去の歴史となっており国際共産主義運動史研究のテーマとなっているにすぎないのであえて歴史の偽造くさいところについて二三の私見を述べさせてもらい参考に供したい。
 まず一番ひっかかることは合意文書のなかで中国側の「真剣な総括と是正」の具体的な内容が何も書かれておらず、もし不破氏が言うように本当に「きわめて誠実なもの」ならば誤解がないようにきちっと書かれてなくてはなるまい。実際にそれは真面目な共産党員なら一読して中国側の態度の不誠実さに腹が立つほどの内容ではないか。それほど両者の距離は離れているのだがただ交渉の全容が発表されていない今その過程で相手側はこんなことを言ったとかの一方的な説明があるだけで本当のことは外部者ではよくわからない。肝心のその合意文書であるが日本側は共同コミュニケのように一つの歴史的な文書の体裁をとって発表されているが中国側は公表された範囲では新華社の普通のニュース記事の体裁で発表されただけでいわゆる囲み記事ではなく一般にはそれほど目立つ扱いではない(人民日報1998年6月12日)。
 さて中国側の文書をみると日本側の発表とは微妙な翻訳で解釈に食い違いが生じる個所がある(ほかにも両国の文章を照らし合わせてみると意味もない省略などがあり外交的文書の翻訳としては不正確である)。それが肝心の中国側が「総括と是正」(原文は「総結」と「糾正」)したという個所なのである。日本文では「内部問題相互不干渉の原則」となっているが原語を使うと「内部事務」相互不干渉の原則となっている。これは誤訳というほどものではなくこうした文書では普通は「内部事務」を内部問題と訳されているので訳語としてはこれでよい。ここで中国語の「事務」というのは日本語の事務に近い意味で中国語の「内部問題」ほど重大視することではない事というニュアンスがあるようだ。「内部事務の相互不干渉」という言葉はこの文書を読めばわかるように完全に中国側の外交上の基本原則をあらわした一つの歴史的な概念をもったタームで80年代になって頻繁に使用されているものであってその中の干渉とかの語句だけを切り離して取り出しても意味をもたない。不破氏の言説では日本側が「干渉」とよんでいる事実に重ね合わせて同一の概念を読み取ろうとしているようだがここらへんから両者の食い違いが生まれているようだ。中国側が「真剣な総括と是正を」おこなったのはこの中国の言う「内部事務」の相互不干渉の原則に合わないやり方一般ににたいして述べたものなのである。日本共産党のいう「干渉」を指しているわけではないだろう。
 また一方で、言うまでもないがどんな場合でも組織と組織の間では内部問題の相互不干渉の原則を遵守しなくては発展的な関係をきずけないことは明白なことである。このことは国際間では特に強調する必要がないぐらいのことで交渉の場では一番気を使うところだろう。つまり何らかのつながりのある関係ではその関係を維持し発展させていこうとするならばお互いに内部問題の干渉にならないように配慮しまたこれを相手に求めるということでこれはごく一般的なことにすぎない。もし全く係わり合いや交際がない相手ではそもそも内部問題の干渉という言葉であらわされる事態が生じない。それは普通の意味の干渉という言葉を当てるのも不適切なわけで、関係が断絶してからは非難攻撃とかいうべきで干渉というのはあたらない。
 そうしてみると日中共産党の関係でいえば少なくとも完全に断絶した1967年7月以降の出来事では内部問題(事務)の干渉といえるものはなくただ喧嘩分かれした状態が続いていて具体的な問題で批判や非難攻撃をし合ったことでしかないのである。資料にあるかぎりでは中国側は応酬を最小限度しかおこなっていないが日本側は最大限おこなったようだ。文書に現れた非難攻撃の応酬の双方の分量だけを比べるならば中国共産党は日本共産党のそれの千分の一ぐらいで10年間の人民日報からそうした記事を探し出すのは容易ではないほどで日本共産党(日共宮本修正主義集団)に関する報道や記事はほとんどないかきわめて少ないという事実がわかる。
 それはともかくこれでいくと文書で読む限り中国側が「是正」したという「内部事務」への干渉というのは日本共産党の訪問団が中国から帰国した1966年4月以後から翌年7月の完全な断絶にいたる前のことでなくてはならないわけである。その間は日中の交流事業の具体的なことをめぐって両党はトラブルつづきでギクシャクとした関係に徐々になっていった時期であるという。1967年7月までの間は日本の党の代表が北京に駐在していたことからもわかるようにまだ形式上は友党としての延長上にあったわけで内部問題への干渉があったとしてもそれは不破氏の著述にあるような(『日本共産党と中国共産党の新しい関係』p.79)直接に日本共産党の指導部を打倒しようとするような言動ではなかったのではないかとおもわれる。もしそうならば即時両党の関係は断絶されるべきものであったはずでこうしたことは誰でも疑問をいだくことではあるまいか。ただ当時の訪中者にたいしての中国側の談話のなかで修正主義への批判というものがあったようだ。ここらへんのことは今後の歴史資料の発掘と研究に待たれよう。
 日本共産党の自身が発表した文献から察するに交渉の過程で日本側が最初から固執していた中国側の非を認めさせて謝罪をもとめるという原則的な立場をも放棄せざるをえずやむをえなく「一致した認識」だけに最後の一線をトーンダウンしたようだ。だが実際のところはそれもかなわず曖昧で意味不明な文書でお茶を濁ごさざるをえなくなったのが本当のところのようだ。こうした政治上の失態を糊塗するために相手側のあれこれの発言を引き合いに出してその必要もないのに中国側の「誠実」をしきりに褒め称えているだけのようにしか見えない。あるいは内心では不誠実に憤っているので期待して表向きの外交上のコトバとしてこうした表現をとっているのかもしれない。いずれにしても政治の世界では心情的なことや認識にかかわる事よりも現実的なことを重視すべきだということはいえまいか。
 こうした一連の事実の結果から見るならば日本共産党は最初からこだわるべきでないことに固執しすぎたという結論に到達してもよいのではなかろうか。それにしてもいかなる理由があるにせよ相手が悪いというだけで何十年もの間不正常で無意味な対立のまま放置してきたことの国民への責任が感じとれないのだがやむをえない事だったのかどうか。もし今後、日本共産党の指導者が日中友好を口にするのなら北京に行った時にぜひ中華人民共和国の建国の父である毛沢東の紀念堂を訪ね献花をして見せるぐらいのパホーマンスを演じてほしいものだ。中国のある指導者は政治家にとって過去のことなど一夜寝れば忘れることができると言ったそうだがあんまり期待できそうもないがそうした「大人の風格」も時には必要ではなかろうか。
 中国共産党の対外関係史をみるとこと外国との関係においては過去の党間や外交上の誤りなどを明言したことはかつてなかったしまたそのような認識のシステムを初めからもちあわせていないことがわかる。その事は他の国たとえば中国とベトナムとの党関係などをみればもっと明らかになるはずのことである。日本だけには特別な関係の原理を認めるとするならばそれこそ二枚舌の不誠実なあかしにしかなるまい。外国との間には国境と容易に越えられない深い溝があるという現実を思い知らされる。
 この際ついでに67年7月のいわゆる北京空港事件についてひょとすると誤解されている部分があるのではないかとおもわれることがあるので触れておきたい。両党の関係修復の交渉のなかで中国側にこの事件にたいして謝罪を求めたという記述がどっかにあったが中国の国内で起きた事件だということに関しては中国側はその責任は認めたようでこれは当然なことである。この事件は当時紅衛兵による日本共産党の代表に対する殴るけるの蛮行として赤旗などでさかんに喧伝され共産党の反中国宣伝にずいぶん利用されたが、紅衛兵といえば若い学生達による中国人のグループということになってしまう。しかしながら推測の域を出ないが暴力事件に直接に関与したのは日本人でそれは後にいわゆる「盲従分子」と呼ばれた人達とその子弟で組織した紅衛兵ではなかったかということである。わたしは70年代に北京で会ったある日本人の青年から自分達がやったということを聞いた。彼は北京の著名な大学の卒業生でその事を本人に直接に確かめたわけではないがこのことで中心的な役割をはたしたようであった。その青年の父親は当時は中国の対日宣伝機関に日本人専門家として勤めておりその時期の状況からいって日本共産党員(脱党、除名者)であったとおもわれる。別の文献で「中国に在住する日本人の子弟も紅衛兵を組織して反修正主義闘争に立ち上がった」という記述を目にしたことがありそれらの事実を合わせるとこの事件は当然に起こるべくして起きた北京の日本共産党員とその子弟による内ゲバ事件だということになる。現場に居合わせたわけではないので暴力行為のすべてがこれらの日本人によるもので中国人は関与していないとまでは断定するわけにいかないがもしそうならば外部にたいしてはその責任は日本共産党自身にもあるわけで中国側にすべての責任と謝罪を求めるのは当を得ていないのではないかとおもわれる。いずれにせよこうした事には隠された部分があまりにも多く対立する両面から史料を分析してみなくてはならず一方の発表を鵜呑みにすることは到底できないことがわかる。
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東風子さんへ

2001/8/5 KM生、40代、公務員

 8月2日付の貴方の投稿を読んで、眼が醒まされる思いがしました。赤旗の不破一派の宣伝だけ読んでいると、如何にも「日本戦後政党史上初めて中国のような大国に非を認めさせた、大国に迎合するしか能のない自民党や旧社会党など他党が決してなしえなかった画期的出来事」と思っていたのですが、どうやらそんな単純なものではないようですね。
 ものごとには必ず表と裏があるのですから、「中国側が日中両国共産党和解をどう発表しているか相手側自身がどう評価しているか」もきちんと見ておかねばその真価は判断できないと、改めて実感します。案外中国側にとっては、日中両党和解は文革時代以来の周辺諸国政府や共産党との革命外交の負の遺産の関係修復の一環に過ぎなかったのかも知れませんね。実態は、日共側がいうほどの画期的出来事ではなかったのかも知れませんね。無論和解自体は結構なことですが、過大評価は禁物です。
 それにしても、日共側の「中国指導部は天安門事件のときと入替わった(江沢民指導部はその強権的本質においては{ケ小平に勝るとも劣らないのは明らかなのに)」だのやたらと言訳がましい理解不能な前置が多かったのには不自然なものを感じていました。しかし貴方の投稿を拝見して、「それが何故か」理解できました。要するに実体の乏しいものをさも立派な物のように見せかけようとするから、やたらと前置を付けざるを得なかったのでしょう。
 何れにせよ「日中両共産党和解」によって両党間の全ての問題が解決した訳では決してなく、白鳥事件の関係者が未だに帰国できずに中国にいることなど、(そういえば故伊藤律氏が規約に反して多年に渡って中国に幽閉されていたことに対しても党としては総括していませんが)まだまだ日中両党間には未解決の50年問題の暗部があるといわざるをえません。