日共選挙戦の自公体制裏支援別働隊対応を弾劾せよ

 (最新見直し2007.3.10日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 国政選挙のばあならまだしも、各地の首長選での日共式分立対応が政府与党の自公を喜ばせていることが明らかになっており、ますます顰蹙(ひんしゅく)をかっている。先ほどは愛知県知事選で露呈し、目下は都知事選が注目されている。しかしながら、日共党中央は頑(かたく)ななまでに唯我独善的戦略戦術を変えようとしない。それでいて、国会内ではいともたやすく野党共闘している。とはいえ民主・社民が審議ボイコットした際には、のこのこ出かけて採決に応じ、反対投票するものの結果的に法案の成立に手を貸している。これらは奈辺に理由があるのか、ここを問わねばならないのにさほど騒がれていない。オカシナことである。

 理論的な問題については、「
不破哲三論」の「日共不破の人民的議会主義論の犯罪的役割考」、「不破式人民的議会主義の末路考」に記した。ここでは、日共党中央の弁明と実践を俎上に乗せ、その変態性を検証することにする。

 2007.3.9日 れんだいこ拝

【野党分立の合理化論考】
 「阿修羅議論25」の秋吉悠加氏の2007.3.9日付投稿の「RE: 選挙戦での、現状の日本共産党の真実 (共からの返信)」は、秋吉氏が、概要「日共の目下の選挙戦術が実質的に自民-公明の与党立候補者を有利にしている」ことを指摘し、「日本共産党中央委員会メール室」に質問したところ、「日本共産党中央委員会  国民の声室メール係  info@jcp.or.jp」から次のような返答が為されたとして情報公開している。貴重と思われるのでこれを転載し、検証する。

 ご存知のこととは思いますが、日本共産党は、自民党政治の3つの異常な特質――過去の侵略戦争を正当化する異常、アメリカいいなり政治の異常、極端な大企業中心主義の異常――に根本からメスをいれ、それをただす改革をすすめることが、政治を変えること、日本を変えることであると考え、そのために活動しています。

 民主党は、この3つの異常のどの点を見ても、自民党と基本的に同じ方向で競い合っているというのが、残念な現実です。自民・公明の連立政権から、民主党中心の政権に変わっても、政治が「よりマシ」になるとも、国民の利益につながるとも、私たちは考えていません。実際、1993年の総選挙でそれまでの自民党内閣にかわって、小沢一郎氏などが主導する細川非自民連立内閣ができましたが、政治は少しもよくならず、自民党主導の内閣が復活しました。

 民主党は、自らの実際の政策や行動は隠して「野党ポーズ」をとりますし、マスメディアも自民と民主が「対立」しているかのように描きますから、民主党が国政、地方政治において果たしている役割については、事実そのものがあまり知られていません。民主党をどう見るかという問題は、第3回中央委員会総会で志位委員長がおこなった報告で、具体的に論じております。末尾にてご紹介しますので、ご一読いただけますと幸いです。

 自公の政治を何とか変えてほしいというお気持ちは、よくわかりますが、そのために必要なことは、目先の数合わせではありません。政治の中味そのものをかえることです。私たちは、憲法改悪反対、消費税増税反対と考える方に、改憲や消費税増税を掲げる民主党への投票をよびかけることなど論外であり、国政選挙でこういう自民・民主以外の選択肢を示してたたかう党があってこそ、選挙が真に意義をもつものとなり、大局的には政治を動かすことになると考えています。

 私たちはいっせい地方選と参院選を、自民党政治の平和と暮らしを破壊する暴走に正面から立ち向かう力をのばす選挙、「二大政党づくり」の動きを本格的に押し返す選挙と位置づけています。その真の争点は、与党の過半数割れかどうかではなくて、自民党政治を大本から変えるたしかな立場をもつ日本共産党がのびるかどうかにあります。このことを大いに訴え、全力をつくす所存です。 ご意見ありがとうございました。
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 ●「二大政党づくり」を本格的におしかえす――今日の民主党をどうみるか

 第二に、わが党は、二つの選挙をつうじて、自民・民主の双方から持ち込まれてくる「二大政党づくり」の動きを本格的に押し返し、自民党政治を大本から変える力をのばすことをめざしてたたかいます。

 ここで今日の民主党をどうみるかが重要であります。わが党は、二〇〇三年十月の総選挙のさいに、「日本の政治地図に大きな変化がおこった」と指摘しました。すなわち、民主党は、同年十月の自由党との合併を契機に、憲法改定、消費税増税、選挙制度改悪など、日本の進路にかかわる重大問題について、自民党政治と同じ流れに合流し、財界からもアメリカからも信頼されるもう一つの保守政党への変質をとげました。この変質は、財界主導で、財界のシナリオのもとに、財界の直接的な関与によってすすめられたものでした。

 その後の三年余りの動きは、わが党の批判を裏付けました。民主党を、自民党とともに、財界の直接支配のもとに組み込むシステムがつくられました。日本経団連は、毎年、「優先政策事項」なるものを発表します。つづいて日本経団連と自民党、民主党との「政策を語る会」が開かれ、そこに向けて両党は基本政策の「レポート」の提出が要求されます。そして両党への「通信簿」が五段階評価で決められ、企業献金があっせんされます。こうした財界による政党支配・政策買収のシステムがつくられ、民主党はそのもとにがっちりと組み込まれることになりました。

 二〇〇四年から〇六年にかけて、すでに四回にわたって「通信簿」がつけられていますが、それをみますと、民主党の「成績」は回を追うに従って上がっています。法人税率引き下げを検討する、消費税増税に必然的につながる消費税の福祉目的税化、社会保障費の抑制、混合診療解禁の容認や市場化テスト法案への賛成など規制緩和、教育基本法改定、憲法改定などの民主党の政策は、すべて日本経団連の要求にこたえ、その意向に沿う形でみずからの政策を変化させ、財界に誓約する形で打ち出されてきたものです。

 小沢代表のもとで民主党がいくら「対立軸」路線をかかげても、中身がしめせないのは、財界による支配システムに組み込まれ、めざしているゴールが自民党と同じだからであります。それは「マニフェスト」を「マグナカルタ」と言い換えたところで、変わることはありません。

 昨年の臨時国会でも、自衛隊を海外派兵隊に変質させた「防衛省」法、外資系企業の献金を解禁した政治資金規正法改悪に賛成したことは、悪政の共同執行者としての民主党の姿を浮き彫りにしました。教育基本法改悪問題では、わが党は、政府案に反対する一点での野党の連携につとめましたが、参院の最終盤では民主党は、それにも背をむける結果となりました。

 こうして三年余りの動きを検証してみても、三年前の民主党と自由党の合流が、それまでの民主党の性格を、いわばもう一つの自民党へと大きく変質させた、このことは明らかです。今日の民主党は、自民党政治の「三つの異常」を共有する政党であり、政治の基本でどちらかが「よりまし」とはいえないのであります。

 わが党は、国会内の対応で、与党の暴走を食い止めるうえでの野党間の連携は、条件があれば今後もすすめます。しかし、民主党がもう一つの保守党への変質を明瞭にしたもとでは、政権共闘はもとより、国政選挙での共闘も問題になりえません。自民・民主の合作としてすすめられている憲法改定のくわだてを打ち破るために、草の根から国民的多数派を結集し、改憲派を包囲・孤立させていく、このことが、今後数年を展望して国政の最重要の課題になっていることを強調したいと思うのであります。

(私論.私見) 日共の反民主党戦略戦術について

 日共党中央は、終始一貫して民主党に憎悪している現実があるが、それは何らかの理論的支えを持っているのだろうか。その癖、国会内では野党共闘しており、言うこととする事が整合していない。民主党を第二自民党と規定し批判を浴びせているが、この論法に拠れば、共産党が天下を取らない限り世の中が良くならないということになる。しかして、1960年代後半から強く押し出した民主連合政府構想が完璧に流産しており、これに責任取った訳でも代わる戦略を打ち出している訳でもない。そして十年一日の「我が党こそが真の野党」などという、あらかじめ政権奪取を放棄した無責任独善的盾王に勤しんでいる。その厚顔さにたまげるのはれんだいこだけだろうか。

 かっての、細川政権時の「細川非自民連立内閣」に対しても、「政治は少しもよくならず、自民党主導の内閣が復活しました」と記している。この物言いも変だ。結果的にそうなったからといって、「細川非自民連立内閣」を責めることはできまい。むしろ、かの時、自民党と日共がいわば表から裏から「細川非自民連立内閣」潰しに連合したのではなかったか。

 日共党中央がここで論ずるべきは、1970年代に勢いを持っていた民主連合政府樹立運動との絡みであろう。あれは一体どうなったのだ。全面破産し、今や見る影も無い。人民大衆は、民主連合政府よりもかなり右ずれしているが、代替物として儚くも期待しているのではないのか。

 「自公の政治を何とか変えてほしいというお気持ちは、よくわかりますが、そのために必要なことは、目先の数合わせではありません。政治の中味そのものをかえることです」と云うが、「政治の中味そのものをかえる」為に「目先の数合わせ」しようとしているのであり、「目先の数合わせ」無しにどうやって「政治の中味そのものをかえる」というのか。日共が何か一つでも「政治の中味そのものをかえる」ことができたとでも云うのか。「目先の数合わせ」とは、いわば権力を盗ろうとする戦略戦術である。与党が自公で「目先の数合わせ」していることを思えば、当然の対応ではないのか。この時、「目先の数合わせ」しない日共は、自公連合に対する裏協力という役割を果たしていることになるのではないのか。

 日共は、「国政選挙でこういう自民・民主以外の選択肢を示してたたかう党があってこそ、選挙が真に意義をもつものとなり、大局的には政治を動かすことになると考えています」とは、あらかじめ権力奪取を放棄した物言いであり、日頃の「よりマシ」運動に似合わぬ教条的な物言いではないのか。日共はいつも詭弁を弄し、こういう風に逆に対応する。原理原則を尊ぶところで「よりマシ」を云い、「よりマシ」で良いところで原理原則を述べる。これは奈辺に理由があるのか。こういうのを詭弁、二枚舌と云うのではないのか。

 「「二大政党づくり」を本格的におしかえす――今日の民主党をどうみるか」も詭弁で貫かれている。「二大政党づくりの動きを本格的に押し返し、自民党政治を大本から変える力をのばすことをめざしてたたかいます」と述べているが、これも変調な物言いである。今すぐ「自民党政治を大本から変える」のではなく「のばす」などという。そのセクト的「のばす」戦略戦術によって、戦後から60有余年経って今なお政権が視野に入らず、むしろ後退に次ぐ後退を重ねているのではないのか。

 民主党を改憲派と規定しているが、護憲派と改憲派の混合政党と見るのが普通ではないのか。この言い回しは、批判し易いように前提を改竄する悪質話法であろう。第一、護憲派の社民党が民主党と提携していることが説明できなくなるではないか、社民党に対して失礼であろうが。

 「財界による政党支配・政策買収のシステムがつくられ、民主党はそのもとにがっちりと組み込まれることになりました」と批判しているが、政党はどこからであれ資金調達せねばならないのは当たり前であろう。要するに、ヒモ付き献金の内容精査で判断する以外に無い。清廉潔白を自称する日共の党財政も何やら胡散臭いものがあるがそれはさておき、日共専従党員の長期過酷な低賃金システムこそ振り返って反省すべきであろう。

 民主党に対して、「今日の民主党は、自民党政治の『三つの異常』を共有する政党であり、政治の基本でどちらかが『よりまし』とはいえないのであります」と規定しているが、「今日の民主党は」と云わなくても昔から終始一貫敵対し続けている史実のみが刻まれているのではないのか。

 滑稽なのは、「わが党は、国会内の対応で、与党の暴走を食い止めるうえでの野党間の連携は、条件があれば今後もすすめます」としていることである。民主党がそれほど第二自民党なら共闘せねば良いではないのか。それでいて、肝心な選挙となると、「しかし、民主党がもう一つの保守党への変質を明瞭にしたもとでは、政権共闘はもとより、国政選挙での共闘も問題になりえません」と云う。オカシナ話ではある。

 最後に、「草の根から国民的多数派を結集し、改憲派を包囲・孤立させていく、このことが、今後数年を展望して国政の最重要の課題になっていることを強調したいと思うのであります」と述べているが、誰も指摘していないが、日共が真に護憲政党であるかどうか疑わしい。なぜなら、日共はつい最近、党内憲法である規約を全面改悪したばかりではないか。どういう経緯でこれを「民主的」にやったのか。それを思えば胡散臭い話である。


【日共の野党分立常態の合理化論考】
 2007.3.6日、宮城県知事の浅野史郎氏(59)が東京都庁内で記者会見し、都知事選へ正式に出馬表明した。これに対して、日共は早速に「“石原都政の基本継承”都知事選 浅野氏が出馬表明l」で次のように評している。これを転載しておく。(「“石原都政の基本継承”と共産党は言う」)

 2007年3月7日(水)「しんぶん赤旗」

 “石原都政の基本継承” 都知事選 浅野氏が出馬表明

 前宮城県知事の浅野史郎氏(59)が六日、東京都庁内で記者会見し、都知事選へ正式に出馬表明しました。

 浅野氏は「石原都政にストップをかける」などとした出馬の理由を読みあげました。しかし、記者団から、石原都政のどこを継承するのかと問われ、「基本的にはだいたい継承すべきだ」「ほとんどは続けていくべきもの」と、石原都政の継続を強調し、「がらっと変えたらけがしますから」とのべました。

 石原都政について「一期目はよかった。私も期待していた。石原という政治家の目標とリーダーシップとか。輝かしい業績をあげてきた」と評価したうえで、「もう四年やるというのはやめてください」と語りました。

 三期十二年務めた宮城県知事時代の県債残高が七千億円から一兆四千億円に倍増した問題について、浅野氏は「数字は事実だ」と認め、当時の国策の景気対策に協力して公共事業につぎ込んだのが要因だとし、「財政的な身の丈をこえた形でやった。私の失政なんでしょうか」と開き直りました。

 浅野氏は発表した緊急提言に盛り込んだオリンピック招致計画の見直しについて「白紙撤回なのか」と聞かれ、「いったん止まって考える。その結果、どっちの方向へいくのか、やっぱりこのままでいいということもあり得るし、やめようかなということもあり得る」とのべました。


 これが、日共の、何とかして石原都政を変えたいという思いのエールを受けて逡巡の末立候補した浅野氏に対する最初の挨拶である。その日共は、石原都政との是々非々路線を掲げていた経緯もある。その昔の1970年代、美濃部都政下で与党に位置していた面影は微塵も無く、ひたすら自公の別働隊となっているこの痴態を如何せんか。

 2007.3.10日 れんだいこ拝
 雑談日記(徒然なるままに、。)」の2007.3.15日付けブログ「浅野さんに対して、これはひどい、ひどすぎる。共産党って票のためなら誹謗・中傷、嘘もデタラメも平気なんですか?」を参照する。「以下、東本高志さんのメールです」として、次のように紹介している。(「暖かく細やかな政治めざして」が元のようである)

 共産党の「浅野批判」が選挙が迫るにつれ、一段と激しくなっています。しかし、その共産党の「浅野批判」は、統計指標を歪曲してつくりあげた、いわばでっちあげた「事実」に基づく批判というべきであって、それはもう「批判」という名にも値しないしろものといわなければなりません。きわめてアンフェアなものです。

 これまで共産党が「反共主義者」等々に対して批判してきた同じ手法を今度は共産党自身が用いているのです。共産党には真摯に反省していただきたい、と私は思います。共産党はその反省ができる「党」であるはずです。

 以下、例証を示します。

 (1)「しんぶん赤旗」、2007年3月2日記事。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-03-02/2007030202_03_0.html

 この日「赤旗」は、「政治の中身は自民党より自民党型」と浅野前県政をきびしく批判する志位委員長の見解を発表しました。この日は、浅野史郎氏が東京都知事選に事実上の出馬表明をした日でもあります。

上記で志位氏は、浅野前県政は、「福祉切り捨てではそれまで以上に冷酷さが際立った」と糾弾し、その「冷酷さ」の例として、「前県政では国保証取り上げがゼロだったが、〇五年には二千三百三十世帯になった」と述べました。そして、「こうした政治は、石原都知事が革新都政時代につくられた福祉の施策を根こそぎ切り捨て、巨大開発に湯水のようにお金を注ぎ込んできたものと同じ中身だ」と浅野前県政を再び糾弾します。

 (2)「しんぶん赤旗」東北版、2003年3月8日付記事。
http://www.shii.gr.jp/pol/2003/2003_02/2003_0223_01.html

 志位氏は上記でも同じようなことを述べています。すなわち、「それから国保証の取り上げも、ずいぶん冷たいやり方をやっています。(略)短期保険証が七千五百八世帯、資格証明書が九百四十七世帯。この一年間で資格証明書は二十六倍です」と。

 事実はどうか?

上記の記事(志位氏の記者会見と演説)の根拠となったと思われる数字が以下にあります。全国保険医団体連合会(略称、保団連)が厚生労働省調査をもとに作成した「被保険者資格証明書交付世帯数(市町村国保)」。

 【被保険者資格証明書交付世帯数(市町村国保)】
http://hodanren.doc-net.or.jp/news/iryounews/070223kokuho2.pdf

2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年
青森 0 0 1,981(1981倍) 2,938 3,491 3,787 4,316
岩手 3 29 714(24.6倍) 2,058 1,624 1,377 1,288
宮城 0 36 942(26倍) 1,205 1,879 2,330 2,932
秋田 40 22 887(40倍) 1,480 1,766 1,757 1,785
山形 19 113 589(5倍) 863 900 1,011 1,071
福島 424 443 2,046(4.6倍) 3,435 4,339 5,283 6,070

※カッコ部分は便宜のため筆者が挿入しました。

 まず(1)について。志位氏の言う「国保証取り上げ」とは上記資料の「被保険者資格証明書交付世帯数」のことを指しているでしょう。同資料の宮城県の05年「資格証明書交付世帯数」2330件と志位氏のいう「〇五年には二千三百三十世帯」は一致します。そうであれば、次のことがいえます。

 宮城県の2000年度「資格証明書交付世帯数」0件は浅野県政の時代のものであり、「前県政」のものではありません。浅野県政は1993年の初当選から3期目任期満了で退任した2005年11月20日まで続いているのですから。2000年度0件の当時は浅野県政2期目のことになります。「前県政では国保証取り上げがゼロだった」という志位氏の発言は明らかに誤りであり、その誤った前提でもって「福祉切り捨てではそれまで以上に冷酷さが際立った」とまで断罪する。あまりのことだといわなければなりません。

 次に(2)について。志位氏は「この一年間で資格証明書(注:国保証の取り上げ)は二十六倍」。「ずいぶん冷たいやり方」です、とここでも浅野前県政を断罪します。しかし、東北6県のうち同じ時点で秋田県は40倍、岩手県は24.6倍、青森県にいたっては1981倍。表を見れば、2002年度には、東北6県のすべてで「資格証明書交付世帯数」が前年度より急激に膨張していることがわかります。

 また、前年度の実績との比較で膨張率も異なることがわかります。なぜ、ことさら浅野前県政のみが非難されなければならないのでしょう? 共産党の為に(下心があって)する「浅野県政」批判といわなければならないでしょう。

 (3)「しんぶん赤旗」東北版、2003年3月8日付記事。
http://www.shii.gr.jp/pol/2003/2003_02/2003_0223_01.html

 「総務省が出している『統計でみる県のすがた』という行政水準の比較があります。私は、東北六県の比較をしてみました。そうしますと、宮城県は一人当たりの住民税は、六県中一位です。みなさんは一番税金を払っていらっしゃる。これは、ぜひ覚えておきたいことです」(志位委員長)

 ここにもまたまやかしがあります。志位氏は、「宮城県は一人当たりの住民税は、六県中一位です。みなさんは一番税金を払っていらっしゃる」と言います。ほんとうにそうか?

 下記は、『統計でみる県のすがた』に見る東北6県の住民税の1990年度から2000年度までの5年単位の推移です。上記の志位氏の発言は2003年3月のものですから、志位氏が参考にしたのは下記のうち2000年度の住民税の数字でしょう。

 【人口1人当たり住民税(単位:千円)】
http://www.pref.akita.jp/tokei/xls/001404508200210000004.xls

                
1990 1995 2000
青森 55.4 61.0 61.3
岩手 59.4 65.9 65.4
宮城 86.1 88.0 81.8
秋田 56.9 63.8 61.2
山形 64.0 68.9 67.3
福島 70.6 72.5 69.6

 上記の表を見れば、確かに宮城県の住民税がダントツに高い。東北6県のうち宮城県の住民が「一番税金を払って」いるということはいえます。しかし、ご承知のとおり、住民税は均等割と所得割とからなっており、そのうち均等割の税率は全国一律です。宮城県が特別高いというものではありません。また、所得割の標準税率も全国一律であり、これも宮城県が特別高いということはできません。

 ではどうして宮城県の住民税がダントツに高いのか? いうまでもなく、東北6県の中で宮城県の個人所得水準が一番高いからです。所得割の税率が全国一律であるならば、個人所得水準の高い県の住民税が高くなるのは道理です。それを志位氏は、「みなさんは一番税金を払っていらっしゃる」と、あたかも宮城県の税率が他の東北6県に比して一番高いかのように言う。これも為にする「浅野県政」批判というべきです。

 (4)同上
http://www.shii.gr.jp/pol/2003/2003_02/2003_0223_01.html

 また、上記の演説で志位氏は、宮城県の「一人当たりの民生費、つまり福祉費は六位、最下位です」とも言います。これも事実とは異なります。事実は下記の表のとおり、宮城県は2000年度で民生費割合2位の位置をキープしています。

 【民生費割合(単位:%)】
(民生費=社会福祉費+老人福祉費+児童福祉費+生活保護費)
http://www.pref.akita.jp/tokei/xls/001404508200210000004.xls

                     
1990 1995 2000
青森 6.50 6.32 7.46(1位)
岩手 6.00 5.44 6.17(5位)
宮城 5.11 5.19 7.13(2位)
秋田 6.42 6.30 6.74(3位)
山形 4.50 4.82 5.65(6位)
福島 4.40 5.72 6.70(4位)

※カッコ部分は便宜のため筆者が挿入しました。

 (5)同上

http://www.shii.gr.jp/pol/2003/2003_02/2003_0223_01.html

 さらに、上記の演説で志位氏は、宮城県の「教育費も六位」と浅野県政を批判します。しかし、これも違います。宮城県は、教育費については「六位」どころか、1位です。

 【教育費割合(単位:%)】
http://www.pref.akita.jp/tokei/xls/001404508200210000004.xls

                     
1990 1995 2000
青森 25.31 23.50 19.47(5位)
岩手 24.92 22.41 19.98(4位)
宮城 25.43 25.11 26.37(1位)
秋田 21.08 19.09 18.04(6位)
山形 22.24 19.32 20.34(3位)
福島 25.60 25.19 24.66(2位)

(6)同上
http://www.shii.gr.jp/pol/2003/2003_02/2003_0223_01.html

 衛生費についてはどうか? これも事実とは異なります。「六位」ではなく、5位です。

④「衛生費も六位」のまやかし

 【衛生費割合(単位:%)】
http://www.pref.akita.jp/tokei/xls/001404508200210000004.xls

                     
1990 1995 2000
青森 3.10 3.05 2.92(4位)
岩手 4.37 5.17 4.52(1位)
宮城 2.73 2.54 2.27(5位)
秋田 1.90 4.37 2.15(6位)
山形 3.45 4.19 3.97(2位)
福島 2.61 3.13 3.21(3位)

 以上、上記「赤旗」記事中、福祉費に絞って事実関係を見てみました。上記に見たとおり、事実に基づかない共産党の「浅野批判」は目を覆うばかりのものです。共産党とは、正確な事実関係に立脚して理論を構築する政党ではなかったのか? 私たちは、共産党への支持、不支持に関わらず、そうした信頼感だけは共産党に対して抱いていました。それがどうしたことか?

 私は、改めて共産党に反省を促したいと思います。もう一度繰り返します。共産党はそうした反省ができる「党」のはずです。その上で、共産党はいま、「石原3選阻止」のために何をなすべきなのか。そのことを真剣に問い直していただきたいと切に思います。まだ遅くありません。まだ時間があります。いま、「石原3選阻止」のために何をなすべきなのか、を再度検討していただきたい。是非。

(私論.私見)

 これは、宮顕-不破-志位系日共党中央犯罪の新たな告発である。東本高志氏の機敏な実証が無ければ、またしても騙されるところであった。それにしても、日共は、事情を知らない者を詭弁論法でどうにでも誑かす見本を又もや追加したことになる。我々がこういう党中央を放逐せねば、今後何度もデマゴギーを聞かされるハメになるだろう。

 れんだいこに云わせれば、こたびの宮顕-不破-志位系日共党中央の新たな犯罪は、偶然の間違い批判である訳がない。れんだいこは既に7年も前から、党中央の変態性を告発している。こたびの「浅野県政に対する捏造批判」の変態性は、このれんだいこ史観を取り入れれば容易に理解できるのであるが、れんだいこ史観を経由しない者はどのように判断するのであろうか。

 東本高志氏は次のように諭している。

 「共産党とは、正確な事実関係に立脚して理論を構築する政党ではなかったのか? 私たちは、共産党への支持、不支持に関わらず、そうした信頼感だけは共産党に対して抱いていました。それがどうしたことか? 私は、改めて共産党に反省を促したいと思います。もう一度繰り返します。共産党はそうした反省ができる『党』のはずです」。

 東本氏よ、あなたの云おうとしていることは充分分かる。しかし、このような善意忠言は、意図的故意に悪事を行う者には通じないだろう。むしろ、日共党中央のこの所業はどこから生み出されているのか、これを考えねばならないのではなかろうか。疑問なら、れんだいこサイトの関連箇所を渉猟してくれんことを願う。

 2007..3.15日 れんだいこ拝


Re:れんだいこのカンテラ時評281 れんだいこ 2007/04/11
 【れんだいこの都知事選総括】

 2007.4.8日の一斉地方選前半戦のハイライトであった都知事選の総括をしておく。やはりこれをしない訳にはいかない。役に立ちそうなコメントを心がけることにする。

 現職石原に元宮城県知事の浅野が立ち向かい、日共系の吉田が足を引っ張るという構図で始まったが、結果は、石原が281.1万票(得票率51.1%)、浅野が169.3万票(得票率30.8%)、吉田が62.9万票(得票率11.4%)という結果になった。その他は略す。れんだいこの予見は外れ、石原が前回に続いてほぼ300万票圏の得票能力を実証した。

 この結果に対し、日共は、例によって破廉恥なというべきか木で鼻をくくっているというべきか、4.10日付け赤旗教訓を生かし、後半戦での前進のために力をつくそう」で次のような見解を披瀝している。

 「当選には及ばなかったものの、東京都知事選をはじめ、多くの選挙で前回票を大幅に伸ばし、善戦・健闘しました」。
 「地方政治の政党対決の構図が、自民、公明、民主など「オール与党」と日本共産党との対決にあることを鮮明にしてたたかったことも、住民の利益をまもる唯一の野党としての日本共産党の値打ちを浮き彫りにするものでした」。
 「わが党が展開した論戦は、東京都知事選などに象徴されるように、当選した石原候補も反省や福祉を口にせざるをえなくなるなど、選挙戦の全体をリードする大きな力を発揮しました」。

 驚くことに都知事選についての言及はこれだけである。科学的分析と云うものはこういうものらしい。誰が見ても聞いても、石原を大差で勝利させたことに対する歴史的責任を党として微塵も引き受けようとしていないことが判明する。こうなると、戦前の共産党の政治責任論に言及した政治学者・丸山真男の歴史責任論に対し、宮顕-不破党中央が罵詈雑言した史実と重ねあわさない訳には行かない。もはや、どちらが真っ当な論であるかは明らかであろう。こたびの、「共産党の推す吉田候補は大幅に得票を伸ばした」なる得手勝手な総括がどうして許されようか。しかし、この「確かな野党論」なる珍論詭弁が通用しているのだからお手上げだ。

 れんだいこが若かりし頃、たまたまというべきか東京都政は、社共擁立によるいわゆる革新系の美濃部知事であった。美濃部都政の評価は話の筋がぶれるので触れないとして、ここで想起すべきは、かってひとたびは京都、大坂、東京と革新系知事が誕生していたということである。それも社共共闘と云うれっきとした連立であった。それが崩壊した要因も話がぶれるので述べないが、あの頃は連立が許されて、今は「確かな野党」で行く正義は奈辺にありや。誰か陳述してみよ。ついでに、民主連合政府構想はどうなったのか、聞かせてくれ。政治責任云うのなら、5000円の水パック云々責めまわるよりこっちの方がよほど本当の政治責任ではないのか。

 これを偶然とみなすのは大方の評であるが、れんだいこは現下党中央の仮面左派性より生じていると見立てている。ここが皆の識見と違うところである。連中は、平素はそれなりのことを述べることもままあるが、いざ肝心な時にはなりふり構わず正体を表わす。こう見立てないと政治現象が解けない。彼らの政治闘争を通史で見れば、戦後保守の二大抗争軸であるタカ派糸とハト派系の抗争に対し、一貫してタカ派糸の裏支援につながるハト派叩きに狂奔している様が見えてくる。歴代の政治家糾弾史を検証すれば、そういうことが透けて見えてくる。誰も問題にしていないが解せないことである。こたびは、中曽根-石原-小泉と云うネオ・シオニズム配下の御三家の一人の石原の苦境であったから露骨に助っ人役を演じたということになる。

 事実、日共は、石原都政に対して、なんでも反対はダメで過去のやり方と云う論法で是々非々路線を説いていたことがある。ハト派に対しては金輪際無いのに、よりによって軍事パラノイアにして政治の私物化意に介せずのチャンピオン石原に対してである。これは偶然なのだろうか。多くの者はそう読むだろうが、れんだいこは、現下党中央の異邦人的変態性のしからしめる必然と読む。とんでも党中央だという共認をしたい。

 その石原は、新宿歌舞伎町を引き合いに出して中国マフィアに言及することが多いが、六本木のユダヤマフィアに対してはダンマリだからお笑いである。ノーと云える日本とは云うが、現代世界を牛耳る国際金融資本に対してノーと云える日本とは云わないからお笑いである。

 ところで、思い返せば、こたびの都知事選に於いて、日共は、あからさまに浅野叩きを引き受けた。浅野は当初、メディアの注目を上手くひきつけながら出馬声明に漕ぎ着けた。この上げ潮に水を差したのが、日共の浅野批判であった。2007.3.6日、浅野が東京都庁内で都知事選へ正式に出馬表明するや否や、日共は早速に「“石原都政の基本継承”都知事選 浅野氏が出馬表明」を発表し、以下続々延々と浅野批判を開始した。

 この対抗馬浅野叩きが本命石原を浮上させる作用をもたらし、石原圧勝の構図を引き寄せたのではなかろうか。もとより、それに乗ぜられたまま有効に反撃できなかった浅野陣営にも責任があろう。立会演説会のやり取りでもパッとしなかったことでも裏付けられる。しかし、誰が見ても聞いても、ろくすっぽ都庁に出てこないネオ・シオニストご用達貴族にして軍事パラノイアの石原と浅野を同格に批判するのはやり過ぎというものだろう。志位は、こまごまとした資料で宮城県知事時代の実績をこきおろしていたが、あの資料が今流行のアルアル捏造に近いものだったとしたらどうなるか。ただでは済むまい。

 その日共は、吉田の善戦総括で頬かむりしようとしている。赤旗コメントを読めば、お役目御免とばかりに、このまま逃げ切りしたがっていることが分かる。れんだいこは、この党中央の常習性癖とみなしているので改めて追撃する気もないが、教訓だけは再確認せねばならない。かっての社共がこれだけへこんでいる以上、もはや批判する時代は逆に終わったのではなかろうか。もはや相手にせず、むしろチャンスとして我々が主体的に左派共同戦線を構築し、統一候補を押し立てなければならない。無所属ではなく、れっきとした党派を母体にさせ、各派が相乗りせねばならない。

 仮に民主党-国民新党系を支援するのであれば、公明党が自民党を支援しているように当選の決め手となる基礎票を生み出さねばならない。そうやって左支えすれば良いではないか。単純な話ではないか。最低限の条件は護憲であり、少なくとも拙速を許さない論憲であろう。外治より内治優先政治であろう。はげたかファンドの優良企業乗っ取りを放任せず、万事にフェアトレードの確立であろう。これ以上設けるときりが無いので、タイムリー的にはこの三政策あれば良かろう。

 こたびの都知事選の総括は凡そ以上のようなことをを指針させていると愚考する。いかんせん、左派グループの共同戦線化の試みが遅れ過ぎている。各派から立候補者を出せば、各派とも貸し借りお相子になるのだから難しく考える必要は無い。マニュフェストも走りながら考え、次第にすり合わせしていき整序していけば良いのではないのか。分裂能力が飛びぬけて高く結合能力がからきし弱い日本左派運動ではあるが、さすがに最近になってこういう観点からの試みが生まれつつあるようにも聞く。6.15日には赤帽かぶってぜひ行ってみたいと思う。

 2007.4.11日 れんだいこ拝



 



(私論.私見)