ネオ・シオニズム拝跪理論を弾劾せよ

 (最新見直し2007.3.14日)

【日共理論のネオ・シオニズム拝跪性を弾劾する】
 宮顕−不破−志位系党中央の理論の特徴について考えたことがあるだろうか。れんだいこは、この党中央の変態性に気づいているのでいつでも客観化している。その目で見ると、日共理論は、マルクス主義と云うよりネオ・シオニズムに酷似していることに気づかされる。案外とこのことが知られていない。

 一体全体、宮顕−不破−志位系党中央の理論で、組織論でも運動論でもマニュフェストでも歴史論でも、ネオ・シオニズムのそれと食い違う箇所を探すのはよほど困難である。日共理論は、一から十までネオ・シオニズム理論を下敷きにしている。果たしてこういうことが偶然に起こるだろうか。

 それにも拘らず、多くの者は、現下日共理論をマルクス主義の現代的創造的適用と了解したがっているように思える。しかし、それは、そう受け取る者達のマルクス主義的理解の貧困さを物語っているだけのことである。思えば、原典を離れての注釈書流行りの時代だから仕方ないのかもしれない。

 ここでは、日共の第二次世界大戦歴史観を検証する。第二次世界大戦史観とその後の反戦平和理論は対のものであるが、マルクス主義のそれと云うよりは如何にネオ・シオニズムの観点丸出しであるかを確認してみたい。これが如何に酷いものであるかは、試みに、日共の中東問題理論を炙り出せばよい。彼らがどのような見解を披瀝しているのか、イスラエルとどう関わろうとしているのか確かめればよい。透けて見えてくるのは、彼らのいわゆるテロ批判が、イスラエルの建国以来の国家テロには向かわず、イスラムのレジスタンス派のテロをのみ殊更に採り上げて批判を集中していることである。

 彼らの第二次世界大戦論を見よ。不破のそれは特に「民主主義対ファシズムの闘い」であり、前者の連合国が後者の枢軸国を破った聖戦として意義づけられている。これにより、連合国を極力美化し、枢軸国を極力ファナティックなものとして描くことになる。その例証は枚挙にいとまない。次の一例を示しておこう。

 2007.4.15日付け赤旗は、「ナチ擁護 独首相が批判 “問題直視さけられない”」なる次の記事を掲載している。

 【ベルリン=中村美弥子】

 ドイツ南西部バーデン・ビュルテンベルク州のエッティンガー州首相(キリスト教民主同盟=CDU)が、第二次世界大戦中のヒトラー・ナチ政権下で海軍法務官を務めたフィルビンガー元同州首相を擁護する発言をしたことが、強い批判を招いています。メルケル首相は十三日、電話でエッティンガー州首相を厳しくたしなめました。

 州首相発言 内外から辞任要求

 エッティンガー氏は十一日にあったフィルビンガー氏の葬儀で、「フィルビンガー氏はナチ時代、人を死に至らしめるような判決を下したことはなかった」と述べ、ナチ支配下で従属を余儀なくされた被害者だと主張しました。

 しかし、この発言はこれまでに明らかにされてきた歴史的事実と異なります。一九六六―七八年にバーデン・ビュルテンベルク州首相だったフィルビンガー氏は、ナチ政権下、海軍法務官として兵士二人に死刑を求刑しました。同氏はこの事実がメディアに暴露されたことをきっかけに、州首相の座から失脚しました。今月一日に九十三歳で死去したフィルビンガー氏が、自らの過去を悔い改めたことはありませんでした。

 エッティンガー州首相の発言について、CDU党首でもあるメルケル首相は、元州首相としてのフィルビンガー氏の功績を認めながらも、「ナチ時代の重大な問題についても問われてきた」と表明。ナチ被害者の感情をくみ取るならば、この問題を直視することは避けられないとの考えを示しました。

 独ユダヤ人中央評議会のクノブロッホ会長は、エッティンガー州首相の発言を「危険であり、(ナチによる迫害の)生存者にとって侮辱的な歴史のわい曲だ」と非難。ドイツ国内外から同州首相の辞任を求める声が上がっています。


 これのどこが問題なのかと云うと、第二次世界大戦を「民主主義対ファシズムの闘い」と位置づけ、戦後60年余の今もなおナチスに対する徹底征伐思想に依拠しているところにある。「同氏はこの事実がメディアに暴露されたことをきっかけに、州首相の座から失脚しました。今月一日に九十三歳で死去したフィルビンガー氏が、自らの過去を悔い改めたことはありませんでした」とあるように、ナチス派は死してなお鞭打たれんとしている。それでいて、ナチスの犯罪についての歴史検証が十分かと云うとそうでもなく、問答無用式に断罪され続けている。

 これまで何万ベンとなく、ユダヤ人ガス殺600万人説やアンネの日記を引き合いに出して、ナチスのユダヤ人迫害が如何に酷いものであったかが語られてきた。その根絶を目指すため、今日でも世界中でプロパガンダされており、ナチス残党狩りが演ぜられている。しかし、今日の思潮は、「ナチスのユダヤ人迫害の実態」を廻って論争過程にある。むしろ、「己を絶対善、政敵を絶対悪」として描きプロパガンダし続けるネオ・シオニズム特有の勝者の論理ではないかとの疑惑を増しつつある。

 この観点から、ナチスドイツと同盟した日本帝国主義も断罪されている。ユダヤ人ガス殺600万人説に相当するのが日本では南京大虐殺事件である。他にも百人斬り事件、従軍慰安婦事件、三光作戦等々がある。いずれも、日本軍部の犯行を極力ファナティックなものに描くことに特徴が認められる。靖国神社問題はこれらに関係している。

 しかしこれは、マルクス主義のものではない。ネオ・シオニズムのものである。日共は、ネオ・シオニズム理論を振りまきながら、マルクス主義的なそれであるかのように見せかけている。日本の戦後歴史教育も又概ねこの構図での学習を標準としてきた。故に、反戦平和運動を担う者はごく自然にユダヤ人ガス殺600万人説、南京大虐殺説を反戦平和運動の基点として学ばされてきた。その癖、米英ユ軍の無差別都市爆撃、原爆投下については調法なロジックで免責している。

 れんだいこが思うに、本来の反戦平和運動は、ユダヤ人ガス殺600万人説、南京大虐殺説を足場に構築する必要はない。日本的立場としては、幕末維新以来の富国強兵化の道のりを検証し、二度と不戦の誓いを立てるほうがより肝腎だ。最初の被爆国としてノーモア広島・長崎的原水禁運動を世界に広げた方が値打ちがあろう。西欧諸国なら、近代以来の絶えざる国家間戦争と世界植民地化の道のりを総括するのが良い。

 これらを為すには歴史検証が必要で、人民大衆が個々に歴史に通暁する以外に方法が無い。左派運動は、そういう運動を創りだすべきであった。実際には、歴史検証を怠り、ごく安易にユダヤ人ガス殺600万人説、南京大虐殺説を唱えることによって反戦平和の橋頭堡としてきた。かく駄弁するのが反戦平和運動かの如く装ってきた。これは安逸であり、ネオ・シオニズムに操作されたものでしかない。今やそう知るべきだろう。

 2007.4.17日 れんだいこ拝


 



(私論.私見)