研究7 日共による反日中友好活動の記録について
 日共は、日中友好運動の敵対勢力として立ち現れるに至った。その悪業の数々をここで検証する。

 1968(?).3.26日、日中旅行社関西営業所は閉鎖した。日中旅行社関西営業所が閉鎖されたが、その陰に日共の暗躍が見える。日共は、日中間の往来、交流をやっきになって破壊しようとする反中国策謀を継続的に働かせるに至った。1967年下半期に、当時の日中友好協会、日中旅行社が関係した参観団、視察団で、破壊、取りつぶしにあったものだけでも、つぎのような多数にのぼっている。調査によると、日共修正主義集団が、中国行き一般旅行に対しても破壊と妨害を加えだしたのは、やはり1967.6月の第2回日中青年友好代交流を圧殺する方針をきめたころからである。

 1、中国教育事情視察団参加者13名の首をしめる。

 1967年(?)、日教組の組合員の有志組織である教育事情研究会(会長河野密衆議院議員)が募集した130名の中国教育事情視察団が、外務省から、とどこおりなく旅券を受領し、出発に心をおどらせて準備していた矢先、日共東京都委員会の津金副委員長や、重山労対部長らが無理無礼な横ヤリを入れ、ついに党籍を持つ13名の先生たちをひきずりおろしてしまった。

 この視察団に加わった先生たちは、いずれも学校で「平和と民主教育」を真面目に守ってきた誠実な人びとであり、日本軍国主義が長年にわたって中国を侵略した責任について人一倍、民族的道義を感じており、人民が主人公になった新中国の教育事情についてつよい関心をいだいている先生たちだった。

 しかし、「教職員の中国旅行は有害」という道理にあわない「党の決定」によって旅行をとりやめなければならなかった人びとは、一人あたり数万円の負担はまぬがれなかったし、教育事情研究会でもこれらの気の毒な人びとに対して、規定をこえて多額の払い戻しをした。日共は双方に対して被害をあたえ、何らの責任をとろうともしなかった。

 また13名の先生たちは、視察団が帰国するまでの11日間は、東京にもおれず、8月末まで一時地方に姿をひそめなければならない悲劇を味あわされた。

 日共東京都委員会のムチャクチャな訪中旅行妨害事件は、はやくも一部の商業新聞にスッパ抜かれたため、東京都教育委員会の休暇証明をとりながら、旅行をとりやめた秘匿党員の先生たちは、自然に党籍をもっていることが暴露されるという結果にもなった。そして先生たちの家庭に論争がおき、家族の間から日共の理不尽なやり方に対する不信がひろがった。

 2、日共の反中国政策で、十数の視察団がつぶされた。@・中国行政視察・国慶節参観、町村長友好視察団、A・東京三多摩地区連合会の国慶節視察団、B・北海道経済視察団(小樽市を中心にした各市)、C・第二次東北・北三県友好参観団(岩手、青森、秋田)、D・東北南三県友好参観団(宮城、福島、山形)、E・和歌山県各界友好視察団、F・三重県商工業者視察団、G・三重県陶磁器業友好視察団H・長野県友好視察団(上田、須坂、長野の各市)、I・囲碁親善の旅(アマチュア棋士が中心)、J・東京商工団体連合会、K・新日本医師会視察団、L・大阪商工団体連合会、M・大阪府保険医視察団等々。以上は1967年8月から10月にかけて実施する予定だった計画のものである。


 日中旅行社の大谷会長、菅沼社長はさる3.26日、同社関西営業部を閉鎖せざるを得なくなかった事情について、概略次のように説明している(「閉鎖にあたってのお詫びとご挨拶」)。

 昨年夏いらい、日本共産党から中国旅行にたいする数々の妨害をうけ、とくに関西営業所では社員のなかに会社の方針より日共の指示に従う者がいたため、各位の不信を買い、ついにその業務をまったく停止せざるをえない事態に陥った。このため、3.26日をもって関西営業所を閉鎖するのやむなきにいたった。

 同営業所閉鎖の直接の原因、経過についての調査によれば、反中国分子の妨害活動とは次のようなものであった。

 関西営業所の吉村安弘、石田淳子、今井梅乃の三人の従業員が社の方針に反する陰険な反中国活動を続け、このため次第に関西の友好商社間で関西営業所に対する不信が高まっていった。広州の春季交易会が間近にせまった去る3.1、日本国際貿易促進協会関西本部友好商社部会常任理事会で、関西営業所には反中国分子がいるという理由で今回の交易会にあたっては、日中旅行社関西営業所を渡航手続取扱業務担当者としての指定からはずす決定が為され、その旨の通達がだされるに至った。

 これにより、関西営業所が引き受ける予定であった日本国際貿易促進協会関西本部友好代表団などの渡航斡旋業務から外されるにいたった。
これがため会社は莫大な損害を蒙り、同時に今後の関西営業所の業務について前途の見通しをもてなくなるにいたった国貿促関西本部は、日中貿易に従事する数百の企業を結集する貿易促進団体であり、その国貿促関西本部から前記のような通達をだされては、今後関西営業所の前途に、独立採算はおろか、収資の道を絶たれたも同様で、その存続すらまったく無意味となるにいたった。

 ここにおいて会社は、石田、吉村、今井の三名の従業員を有給休暇扱いにし、しばらく自宅で学習し反省を促したところ、彼ら三名は逆に日共系の者たちと大挙して営業所に押しかけ、事務所を占拠したり、大量のビラを大阪市内はもとより、近県各地に配布し、ことさらに日中関係を妨害してかえりみない態度をとってきた。かくて、万策尽き、同営業所の閉鎖を実行し、従業員すべてを解任するのやむなきにいたったとのことである。






(私論.私見)