研究3 (れんだいこ私論.私観)「善隣学生会館事件」について

(れんだいこ私論.私観)「善隣学生会館事件」について

 こうして、「日共中央幹部が襲撃を陣頭指揮」という重要史実が刻まれている。日共側の堂々たる「正当防衛権の行使」であった。この時、「寮生の襲撃と不法監禁」に対抗する自衛措置との『正当防衛権の行使』弁明が為されている。果たして、ここまでの経過に対して、「寮生の襲撃」が存在しただろうか。華僑学生側の主張では華僑学生側からの暴力とか不法監禁なぞはなかったとしており、謎となっている。

 もう一つ指摘せざるを得ないことがある。機動隊は、目前で日共の武装暴力団が、身に寸鉄をおびない中国人学生や正統派会員におそいかかって頭を割り、血まみれにするのを、手をこまねいて見ていたことになる。危機の事態に本質が現れるとしたもので、日共系の当局との内通性を見事に飾っていないだろうか。

 問題は、赤旗の報道姿勢である。この明白な事実に対し、全く逆な見方をし、全くさかさまな言い方をした。単なる報道記事ではなく、赤旗はその「3.4日付け主張」で概要「在日華僑学生、日本中国友好協会の脱走分子・反党対外盲従分子・一部の在日華僑などは徒党をくんで、連日日本中国友好協会を襲撃し、なぐるけるの暴行を加え、重軽傷をおわされたものは判明しているだけでも十数名に達しています。日本の首都東京での一部の外国人による、このような白昼の傷害行為は、まったく常識では考えられない無法きわまるものです」と、逆さま見解を堂々と報じている。

 商業新聞各社の報道振りは、善隣学生会館で起こった流血事件について大きく報道するものの、事件の正確ないきさつに触れる社は無く、「中国人学生と日共派が乱闘」というかたちで、内ゲバ事件として記事が構成されていた。もっとも甚しいのは毎日新聞の「東京で紅衛兵運動」という記事(3.2日の朝刊、夕刊)で、「紅衛兵運動の影響が日本で直接行動に現われたのははじめてである」として、中国留学生等による紅衛兵運動であるとする逆さ報道であった。同紙はまた日共系日中友好協会員の語ったこととして「親中共派学生は電話線を切ったり、事務局員を監禁状態にするなどひどい挑発行為で、民主勢力のかく乱をねらっている」とのコメントを載せていた。こういうかなり悪質な報道が為された。

 「いかにニセ日中友好協会側がこういったからといって、その内容の真偽も確かめず、ウソっぱちを並べたたわごとをそっくりそのまま記事にするのが、真相を国民に知らせることを使命とする報道人のすることでしょうか」と、批判されている。

 「3.2日善隣学生会館事件」を廻って、互いに相手側を襲撃者といい、自分達の方が被害者だと主張している。この種の食い違いは、部落解放同盟との抗争の際にも立ち表われている。あまりにも多くこうしたことが起る点で、この事件をも正確に解明しておきたい。

 考えてもみよう。この見解は二律背反であろう。どちらかがウソを付いている。この種の事件で「真相は藪の中」は馴染まない。どちらかが公然とウソを付いている。その側が確定できたとして、連中はもはや左翼運動を担う品格も資格も無かろう。この事件は、そういう意味での見逃せない事例となっている。これが「3.2日善隣学生会館事件」に対するれんだいこの位置付けである。

 さて、どちらがウソをついているのだろうか。多くの者は迷路に誘われるであろう。しかし、「戦前党中央委員小畑氏のリンチ致死事件」を解明してきたれんだいこにはそう事は難しくない。宮顕のスパイ性、黒を白と言いくるめる居直り論理に接してきたれんだいこは、宮顕側が「3.2日善隣学生会館事件」でも同じようなウソを付き、そのウソにウソを重ねていることが分かる。日共側の批判は、宮顕得意の白黒逆裁定論法を忠実に真似たものでしかない。

 真相が逆転させられ、これを強引に罷り通らせるのが宮顕論法の特質である。「戦前の小畑中央委員リンチ死事件」が台本となって、あらゆる事例に真似られている。「3.2日善隣学生会館事件」もその一つの演習版であろう。これを我々の側から云えば、「戦前の小畑中央委員リンチ死事件」を未解明にしているツケがこのような時にも影響する、ということであろう。いずれにせよ、宮顕系党中央の宿あのような事件であり、今日なおこの系譜の執行部が続いていることが見据えられねばならない。

 しかしその後の推移を見るのに、日中正統本部側も又然りであるが、宮顕一派の悪質さを見抜くことに失敗している。一応左派仲間という認識の上で宮顕修正主義路線を糾す的位置付けで闘っている。この認識の弱さが却って自陣営の日和見を生ませている観がある。宮顕―不破一派を批判しつつ美化するようなそういう半端な批判は却って有害であり、正しくその異邦人性を認識せねばならない。願うらくは、「戦前の小畑中央委員リンチ死事件」の時点で、「善隣学生会館事件」の時点で、その他諸々の契機で、そういう認識の獲得に到達すべきであった。認識正しからざれば運動は発展しない、これが「善隣学生会館事件」の教訓とされるべきであろう。


 もう一つ、「善隣学生会館事件」考察の意義がある。この時満展開された「正当防衛論」が、当時澎湃と湧き起こりつつあった全共闘運動に対しても適用されていったという流れがある。その意味で、「正当防衛論」の論理構造と実際の適用例として考察する意味があると思われる。

 もう一つ補足しておきたい。中共は、文化大革命当時頻りに「宮本修正主義集団」呼ばわりしてきた。今日、日中共産党の合意により自主独立路線の相互尊重と内政不干渉が合意されているが、この経過で見せた解決手法は安易過ぎよう。かって中共指導部が公然とかような言辞を振り撒いた訳であり、これに根拠が無かったとするなら中共は深く詫びるべきである。日共側からすれば詫びさせるべきであろう。

 問題は次のことにある。その後中共も指導部の交替が起り、当時の毛沢東―周恩来路線を踏襲しようとしていない。ならば毛沢東指導部の行き過ぎとして詫びても良さそうなものだが、それがそうはいかない。面子によってそうなると云えばそれまでだが、僅かに次のような問題が残されている。つまり、「宮本修正主義集団」規定は当時も今も正しいのではないのか。むしろ、国際主義の観点からむしろ婉曲に「修正主義」表現しているのであって、それはまだしも公党間の誼としての遠慮がちな批判言辞ではないのか、この後は日本人民自身が判断し行動すべきことである。かような含意が残されているのではなかろうか。

 それ故に、日共側が中共に詫びを入れさせるためには、当時の「宮本修正主義集団」規定そのものの吟味をせねばならないことになる。日共側にとってしかしそれは薮蛇を突付くことになる。つまりは出来ない相談なのだ。

 もう一点付言しておく。宮顕の胡散臭さが決定的になったのは、80年代になっての戦前のリンチ事件の調書漏洩によってであった。ということは、「善隣学生会館事件」が発生した60年代の時点では、中共が「修正主義」批判に留めざるを得なかったのもいささか仕方ない。事は公党間の事ゆえ推測では批判できないから。

 但し、戦前のリンチ事件の調書漏洩以降は認識が革められるべきであろう。今我々ははっきりと宣言すべきである。1955年の六全協による「野坂―宮顕コンビ」の執行部登壇は、スパイ系列の党内権力再掌握であった。これが為に、如何に日本の人民闘争が歪められ消耗させられてきたことか。

 それを思えば、中共の「宮本修正主義集団」規定時にそれを鵜呑みするばかりでなく、我々の言葉を紡ぎ出す必要があった、のではなかろうか。これこそが本来的に問われていた自主性では無かったか。だがしかし、史実は、日共側につくのか中共側に付くのかというどっちにしてみてもさほど意味の無い運動合戦に終始してしまったことが残念である。

 2003.5.15日再編集 れんだいこ拝




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