研究1 【事件へ至るまでの歩み】

 (最新見直し2007.3.7日)

「善隣学生会館」とは

 事件の舞台なる「善隣学生会館」とは、戦前旧「満州国」が日本への留学生のための学生寮として旧「満州国」政府拠出の財団法人満州国留日学生補導協会が建設し、運営していた建物である。この「満州国留日学生会館」が戦後になって外務省に移管され、1953(昭和28)年に設立された財団法人善隣学生会館が日中友好を進める目的で引き継いだ鉄筋5階建ての建物であった。

 この会館に、1963年日中友好協会が事務所を移した。その他日中両国人民の友好の建物として倉石中国語講習会、日中学院などを加え、日本と中国の相互理解をふかめる日中友好のセンターになっていった。3,4階を中国人学生の宿舎とし、1,2階は日中友好の事業のために使用されることになった訳である。なお、財団法人善隣学生会館は1983(昭和58)年に改組され、名称も「財団法人日中友好会館」と改められ、建物は1984(昭和59)年から1988(昭和63)年にかけて建て直された。

 「善隣学生会館」は、1965年頃までは日中共産党の友好関係により円満に利用されていた。ところが、1966.3月の毛・宮本会談で、日中共産党の歴史的決裂が刻印された。その直後、中国で文化大革命が発生し、それと共に両党共産党の関係が急速に悪化し、断絶状態に陥った。こうして、日中友好運動に大きな混乱が発生し、「善隣学生会館」はその影響をまともに被ることになる。

 日中両党の共産党の断絶は、中国共産党が中国の政権党であるという事情から、日本共産党と中国の対立に直結した。「1966年から日共は日中友好運動の分裂、破壊に狂奔し、日中友好諸団体に対する分裂、破壊策動を行ったばかりでなく、華僑の経営する亜細亜通信社ののっとりをも策し、失敗するや破壊の手段にでたが、愛国華僑によって排除された」(華僑報1999.9.5日「戦後華僑・留学生運動史」)とある。



日共の日中友好運動への敵対開始される
 日中両共産党の歴史的決裂は、各界へ様々の影響を及ぼすことになった。日中友好協会をはじめ日中友好関係諸団体の中にも、それまで日共党員が多数所属していた。日共は、これらの団体に所属する党員たちを通して、その団体に対し日共の反中共方針を押しつけにかかった。この場合、当時の実情からして反中共が反中国となり反日中友好となるのは自明だ。

 日中友好協会はここに大きな苦悩を抱えることになった。日中友好協会は、特定の政党に属する団体ではなく、日中友好の発展を願う各界各層の人たちによって結成されている大衆団体である。政党でいえば当時、社共両党から自民党に所属する人たちまで参加していた。そのような性格の団体に対して、中共と日共の方針が露骨に持ち込まれ始め、大混乱となった。中共と日共は互いに互いを大衆団体に特定の路線を持ちんだとして批判していくことになったが、最も苦境に立ったのは友好協会に所属していた日共党員であろう。中国政府が支持するのは中共系日中友好運動であるから、これに団結するのか日共の方針に従うか、板挟みの苦しい立場に追い込まれることになった。

 そのころ、日中友好活動の分野でどんな問題が起きたか、わかりやすい一、二の例をあげれば、まず中国との交流。1965年の成功に続いて66年に、中国で第2回日中青年友好大交流が開催されることになり、中国から800人にのぼる招待を受けた。日中友好協会や日本青年団協議会など関係諸団体で派遣準備活動をはじめたところ、日共が参加に反対する方針をとったばかりでなく、日共の指示に従った団体が、参加を阻止するためにいろいろと妨害工作を行った。佐藤内閣にとっては、もともと許可したくない大規模な青年代表団の派遣に関して、招待された関係団体の内部で対立が起きていることは、もっけの幸いであった。9月、いっさい旅券の発給を認めない方針が決定された。

 この年11月から12月にかけて、日中双方の貿易関係諸団体の主催により、北九州市と名古屋市で中国経済貿易展覧会が開催されることになり、日本側では貿易関係諸団体と日中友好協会などで協力会を結成し、半年ほど前から準備活動をはじめた。ところが、日共が同展に協力しない方針をとるとともに、関係団体に所属している党員を通して、規模を大きくさせないとか、展覧会場で「毛沢東選集」をはじめ中国を宣伝する書籍の販売や展示をさせない、などの妨害工作を行った。党員たちの中には、日中友好協会や国際貿易促進協会など日中友好関係諸団体で、重要なポストについている人物もいるので、彼らの言動が関係者たちに与える影響も少なくはなく、このため現地ではさまざまな混乱が起きた。

 日中友好協会の中では、日共指導部のとる方針に疑問を抱く幹部たちが情勢を憂慮していたが、8月の段階では、まだ最悪の事態を避けようと努力していた。8.20日の毎日新聞が、日共の動向をもとに「日中友好協会、分裂へ」との見出しの記事を掲載したときも、宮崎世民理事長が8.22日、会員の動揺をおさえるため「日中友好協会に対して、何の理由もなしに中国との交流をやめろということは、豆腐屋に豆腐を売るなというのと同じであって、共産党がそんなバカな指令をするはずはありません。……どんな干渉も、圧力も、デマも、日中両国民間の友情を破壊することはできません」との趣旨の談話を発表した。


呼びかけ「22氏声明」

 9.26日、各界の著名な人びと32名(黒田寿男、中嶋健蔵、堀井利勝、小林雄一、佐々木更三、坂本徳松、元法政大学総長・大内兵衛、立命館大学総長・末川博、評論家・亀井勝一郎、法律家・海野晋吉、歌人・土岐善麿、写真家・木村伊兵衛、大阪外語大学学長・金子二郎、文学座・杉村春子、俳優座・千田是也、日中文化交流協会理事長・中島健蔵、前総評議長・太田薫、総評事務局長・岩井章ら)が、内外の諸情勢がきわめてきびしいときに、日中友好運動が分裂するような事態になってはことが重大だと考え、「内外の危機に際し、再び日中友好の促進を国民に訴える」との声明(「三十二氏の声明」)を発表、名指しは避けながらも日共指導部に対し、反省と自重を求めた。

 声明は、次のように訴えている(要旨)。

 日本と中国の友好・交流をすすめ、両国人民の団結をつよめることは、戦後の日本において、真に国を愛するすべての人にとり、一日もなおざりにできない重大事である。それはまた、かつて軍国主義が歩んだ侵略から破滅への道を、決して繰り返さないと心に誓う、圧倒的多数の国民の願いを反映したものである。

 (米国のべトナムに対する戦争の拡大と、べトナム支援に関する中国の決意について述べたうえ)このような情勢の発展によって、われわれの日中友好・交流、両国人民団結の運動は、これまでにもまして緊急で重要なときを迎えている。……日中友好運動をとりまく環境はこんご、これまで以上に厳しいものとなるであろう。もっぱらアメリカ政府への追従をこととする勢力が、友好・交流にたいする妨害、圧迫をつよめてくることは疑いない。

 それと同時に、いま日中友好・交流の運動をさらに前進させるためには、日本の運動の内部に生まれている障害をのりこえなければならない。われわれの運動の内部には、最近、さまざまな口実を設け、友好・交流の発展を極カ妨げようとする傾向が生まれている。このような傾向は、米日反動勢力を喜ばせ、かれらの反中国政策に手をかすものにほかならない。

 私たちこの声明に参加した者は、広範な国民のみなさん、各界各層の国を愛するすべての人に、確信をもって日中友好の大業をさらに前進させるよう訴えるものである。


その後の対立

 同9.28日柏木日中友好協会福岡県連副会長は、記者会見で、小林重光同県連事務局長、梶原允同理事長らを「悪質幹部」として「追放」したという「声明」(「日中友好協会福岡県連合にたいする悪質な分裂策動を断固粉砕しよう」)を発表。趙安博中日友好協会秘書長は、訪中経済友好視察団にたいして「現在の日中友好協会のなかの一部は、反中国である」と語る。

 同9.30日、廖承志事務所主催の中華人民共和国創立17周年記念レセプショ<ンで、孫平化同事務所東京駐在首席代表は「日中友好がこれまで発展したのも毛沢東思想の<みちびきによる」と語る。

 10.1日、中国建国記念日・国慶節

 10.3日、北京での中日友好協会創立三周年記念レセプションで廖承志同会長が演説し、その中で、「中日友好を破壊する分子を足げにし、けとばしてしまえ」とのべる。

 10.5日、郭沫若、劉寧一、廖承志ら52名の中国各界の大衆団体代表が、「32氏の声明」に応える形で支持声明「中国各界、各大衆団体代表五十二氏の声明」を北京で発表した。続いて、国慶節に参加した日中友好協会代表団、アジア、アフリカ連帯委員会代表団は10.12日、中日友好協会代表団、中国亜非団結委員会代表団との間に共同声明が調印された。

 10.5日、日中友好協会東京連合会第4回常任理事会、「統一と団結を守り、日中友好運動を発展させる決議」を発表。北京で中日友好促進の大集会で廖承志中日友好協会会長は「最近、一部の人たちは、口先では中日友好をとなえながら、行動のうえでは、米帝国主義、ソ連現代修正主義、日本反動派とグルになって、中日友好にやっきになって反対している。これらの人びとは、実際には中日友好に反対する隊列に参加している」とのべた。

 これらに対し、赤旗が、主張「日中友好協会をめぐる分裂策動を粉砕し、組織の統一を守ろう」を発表。

 10.12日、日中友好協会と中日友好協会が北京で「共同声明
調印。この声明は、@・日中友好運動の発展のために、アメリカ帝国主義およびその手先(ソ連を中心とする現代修正主義など)とのたたかいが重要であること。A・中国の文化大革命と紅衛兵の行動を革命的行動として評価し全面的に支持すべきものであること。B・協会内部の反日中友好・交流勢力と闘うべきとしていた。

 10.20日、人民日報が、「中日友好協会の各地の指導者は、日中両国の友好協会の共同声明を熱烈に歓迎している」として、「一切の障碍をとりのぞき、日中友好運動は大きな発展をとげるだろう」と報道。

 10.23日、赤旗が、主張「日中友好運動と日中友好協会の分裂に反対し、その統一と団結を守りぬこう」を発表。続いて、10.24日にも主張「真の国際友好とはなにか、だれがこれを阻害しているか」を発表。


【原水爆禁止世界大会へ波及】

 また昨年七月の原水爆禁止世界大会において今までと違った路線が打出され、修正主義者の世界民青連の代表を強引に参加させたために、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ等の16ヶ国代表(外国代表の大多数)が大会から退場した。同じころに、日中青年大交流の参加をめぐって、各団体の中で日共党員による参加阻止の動きが活発になり、「民青」が不参加を正式に表明するに至って、妨害者に対する闘争が表面化した。そして「民青」を除く、日中友好協会を始め殆んどの友好団体、労組が参加を決定した。中日友好運動、貿易促進運動に対する妨害、破壊活動はこれで終わったわけではなく、むしろ益々熾烈になり、北九州−名古屋で開かれた中国経済貿易展覧会に飛火し、日共党員による、計画的で悪質な妨害、破壊活動が行われた。十月二十五日、日中友好協会が分裂したのをはじめ、日中貿易促進会、アジア、アフリカ連帯委員会、日本ジャーナリスト会議、ジャパンプレス、中国婦人をお招きする会、等々が次々と分裂した。

 一方華僑の文化事業の一つである「亜細亜通信社」に対する日共党員による、妨害、破壊活動が公然と行われ、11.14日、遂にストを以て「亜細亜通信社」を徹底的に破壊しようと企んだ。しかし良心的な真に中日友好を願う日本人民と愛国華僑が一致団結して、これらの破壊分子を排除したが、かれらは一層狂気じみた卑劣な手段をつかって引続き外から破壊活動を行っている。

 この様な事態が起ったのは決して偶然ではない。中国共産党のソ連現代修正主義指導グループに対する一連の批判論文でも明らかな様に、米帝国主義のベトナム侵略に対するソ連の態度は、表面でベトナム人民の抗米救国の闘争を支持すると言いながら実質的には米帝国主義と結託して、欺瞞的「平和交渉」をもてあそんでいる。さらに、こともあろうに、ベトナム人民の強固なうしろだてとして、最大の民族的犠牲を払ってもベトナム人民を支援する7億中国人民に対し、ソ連修正主義はそのさまざまな新旧追随者を従え、米帝国主義と結託して反中国一大キャンペーンを展開している。

 さらに彼らは、自らの革命に対する裏切りを押しかくし、世界人民の眼を誤麻化すため、ベトナム「支援」の「共同行動」を提唱している。革命を支持し、正義の闘いを支持する中国人民が真向からこれに反対するのは当然である。ところが日共は、口ではソ連の修正主義に反対するといいながら、実際はこのように革命を裏切ったソ連の主張に同調、ソ連をも含めた「国際統一戦線」を提唱、自らの変質を隠すため、「共同行動」に断固反対する中国を陰に陽に避難し、さまざまな形で卑劣な非難を弄し、中日両国人民の交流と友好関係を破壊しようと企み、その反中国運動は益々露骨を極めている。 


中共系の日中友好運動への必死の取り組みと日共系の妨害

 これらの真に中日友好運動の基本方針を決めた諸声明が日共の拒否する処となり、友好運動の分裂が形の上でも表面化した。今、日本全国で真の中日友好を勝ち取る為に中日友好を妨害し破壊する反動勢力に対する闘いが日増しに熾烈化し、真の中日友好を願う勢力が日増しに増大し、強化されつつある中で幾つかの具体的な例をあげてその実態を紹介しよう。
第一回日中青年大交流の記録映画「団結こそ力」の上映VS阻止
 日本から約400人の青年が中国各地の青年と楽しい交歓交流をしている場面や、この映画の圧巻である日本青年たちが、毛主席との感激の会見をする場面をとったこの映画は、中国から日中友好協会へ送られ、日本各地で奪い合いの大人気の映画であったが、突然あちこちで上映中止の申し入れが友好協会に来たので本部で調査した処、共産党の各県委員会から「あの映画を上映してはならぬ」と指令があったことが分かった。同じ頃共同映画が全国各地で長期上映計画を立てていた、三千人の舞台構成による中国革命史詩劇「東方紅」が同じく共産党の指令で上映が不可能になった。
中国青年代表団訪日VS阻止
 日中友好協会中心に一昨年青年大交流に招待された日本の数十団体によって結成された「中国青年代表歓迎実行委員会」が中国青年代表団(銭大衛団長)を招いたが、日本政府の誓約書要求の為香港で五十日も待たされた揚句、祖国へ引き返したが、その直後社会党系の社青同の正体ですぐ日本に入国した。これは日中友好協会がしようとする手続方法に対し共産党系の「民青」が反対した為であることが後で分かった。
青年大交流に対する阻止

 昨年六月、中日友好協会、中華全国青年聯合会から日本の諸団体に招待状が送られた。これに対し日本共産党は各都道府県委員会は勿論、各友好大衆団体の党員に対し、阻止の指令を出し、招待された各団体の役員会で共産党は公然と反対を唱えた。

 今迄最も積極的であった「民青」はいち早く不参加の態度を「赤旗」紙上で表明した。各団体の役員会における共産党員の公然たる反対は勿論、すでに参加を決定した個人に対し、参加しないように説得が行われ、拒否されると強迫するようなことがしつように行われた。

日中友好協会に対する破壊活動

 昨年7.11日、日中友好協会の第11回常任理事会は青年交流が中心課題であった。共産党員を除く絶対多数の意見で代表選出が決定された。これに対し共産党は全国統一戦線部長会議を飛行機賃中央持ちで召集し党の全組織力を動員して、日中友好協会の決定をくつがえすため、同協会の下部組織に働きかけるよう号令した。続く8.29日、30日の二日間の第12回常任理事会で、再び共産党員による激しい妨害が行われたが、圧倒的多数で青年交流を促進することが決定され、共産党側の妨害は斥けられた。

中国経済貿易展覧会妨害破壊活動
(1)日本共産党の展覧会に対する妨害・破壊の事実

 昨年、七月二十九日、日中貿易促進会事務局の日共細胞総会で日共本部の某氏が出席し「中国展には積極的に協力しない、大動員もしない、これは党の一般方針として全国的に指示している」と述べてる。

 更に七月二十二日長野県松本で国際貿易促進議員連盟の総会が開かれたがその前夜共産党議員グループ会議で日共本部の先の某氏が出席し党中央の方針として「今回は党機関は細胞に至るまで直接には協力しない。わが党が動員その他に協力しなければ、みじめな失敗に終るだろう。これが党の方針である」と指示している。

 日共のいう「非協力」とは展覧会をみじめな失敗に終らせるようにすることであることは次の事実によってはっきり証明される。
(2)中国展全国協力会における日中貿易促進会の一部幹部の妨害活動

 協力会副会長隅井正典(日中貿易促進会常務理事)同協力会事務局長長岡三郎(同促進会常務理事)らは北九州会場の開幕を一ヵ月後に控えながら、九月末までに一枚のポスターもニュースも発行せず、大衆宣伝など一回も行わなかった。即売問題についても金額、数量、種類等を決定することを引延ばし、中国側のたびたびの催促に対しても日本側で自主的に決めることであって、中国側に相談する必要はない」と握りつぶす有様。

 また日中貿易促進会は事の重大さに数回会議を開いて彼らの責任を追及したが彼らは反省しようとしないので彼ら一派を排除するため十月二十六日の臨時総会で解散を決議し、十一月十五日、日中貿易会設立準備会が発足した。
(3)中国展北九州会場に対する妨害

 西日本協力会に日中友好協会福岡県連から警備接待部長法小沢和秋(共産党福岡県議員)や事務局次長(候補)の小林金光や宣伝動員部員が出されていたが彼らは九月中旬になっても動員宣伝をやらず開幕を二週間後にひかえて警備計画も立てないので社会党員、地評が独自の警備計画を立ててもって行くと「警備部長の指示に従え」と要求する始末、その為会場は中国の代表団員と華僑も夜警せざるを得ない破目になった。

 そればかりではない。中国側で雇った労働者やアルバイト学生に対しさぼるように扇動したり解任されるや記者会見をやったり、会場で反中国のビラをまいたりして「右翼」顔負けの妨害を行った。名古屋会場においても大橋満男(日中友好協会愛知県連事務局長)らは妨害の数々を尽くした。このような彼らの妨害・破壊活動を終始一貫弁護し激励しているのは、日共の機関紙「赤旗」である。

書店関係

従来中国の図書、三誌(北京周報、人民中国、中国画報)毛沢東選集等を扱っていた、極東書店、大安書店、内山書店、ナウカ書店、采華書店は日共が三誌、毛選を読むな取り扱うなとの指令により、混乱を起こしていたが、遂にナウカ、采華は、日共に屈服し、極東は新たに東方書店を新設し、断固日中友好事業を続けることになった。そして北九州、名古屋の中国展で大きな成果を上げた。

 他の団体にも変動、分化が行われているが、帰する処、日共が中日友好を妨害すればするほど日本人民は益々勇気を出し、中日友好運動は一層発展していくのである。

(本文の資料は主として中国研究所、日中友好協会正統本部、各団体の資料、声明をもとにしてまとめたものである)


日中友好協会に内紛発生、中共系が「日中友好協会(正統本部)」を結成

 以降の歩みについて、日中出版刊「中国研究」80号(1977年3・4月合併号)併号)の「日中友好協会本部襲撃事件の経過(1966.9〜1967.3.31日)」が時系列に細かくつづっており、これらを参照する。

 日中友好の証として拠点化されていた「善隣学生会館」で、毛沢東中共派と宮顕日共派のイニシアチブ闘争が起こり始めた。

 1966.10.25日、日中友好協会第13回常任理事会においてついに日中友好協会は中共支持派と日共支持派が全面的な対立に陥った。この時の様子につき、[社]日中友好協会編「日中友好運動五十年」(2000年6月東方書店)」の「友好協会、日共系と決別、表面化した協会内部の対立・抗争」が次のように明らかにしている。

 この会議の中心議題は、中国の第17回国慶節に参加した日中友好協会代表団が、中日友好協会とのあいだで調印した共同声明の承認だった。共同声明は、べトナム問題をめぐる国際情勢や、これに関連する日中関係などについて検討したうえ、とくに次の三点の重要性について確認したものだった。概要「一、今日の情勢において日中友好の発展と、共同の敵米帝国主義およびその手先に対する共同のたたかいが、これまでになく重要になってきたことの確認。二、日中友好・ 交流に対するさまざまの中傷とひぼうの阻却。三、日本各界知名人三二氏の声明と、中国各界人士および人民団体責任者五二氏の声明の発表(注5)に立脚し、日中友好運動を進める」。

 中国各界人士および人民団体責任者52氏の
主な顔ぶれは次のとおり。郭沫若(全国人民代表大会副委員長、中日友好協会名誉会長)、劉寧一(中華全国総工会主席)、張奚若(中国人民外交学会会長)、廖承志(中日友好協会会長)、楚図南(中国人民対外文化友好協会会長)、李徳全(中華全国婦女連合会副主席)、許広平(同)、蔡廷?(国民党革命委員会副主席)、胡愈之(中国人民外交学会副会長)、周培源(中国物理学会理事長、北京大学副学長)、張春橋(評論家)、姚文元(中華全国青年連合会委員)、謝南光(中国人民外交学会理事)、馬純古(中華全国総工会副主席)、張香山(中国アジア・アフリカ連帯委員会副主席)、趙安博(中日友好協会秘書長)、肖向前(中国人民外交学会副秘書長)、陳永貴(大塞農業英雄)、王進喜(大慶油田英雄)、荘則棟(世界卓球男子チャンピオン)

 「文革」を支持する役員がこの共同声明への賛同を打ち出したのに対し、日共系が反対し議事が混乱した。常任理事50数名のうち共同声明に反対したのは日共系13名に過ぎなかったが、この13名が議長席をとりかこみ、採決反対を怒号し、議場は収拾つかない状態に陥入った。これに構わず43対13で共同声明は承認された。だが、日共系は採決そのものを認めないと主張し始めた為、宮崎理事長は「もうこれ以上あなたがたと一緒にはやれません。賛同できない友好妨害者とはともに行動はできない」と怒りを露に退場した。13名の反対派理事をのぞいて全常任理事がそれに続いた。

 奇妙なことに、当時日中友好協会内では中共派の方が多数派であった。常任理事会レベルにおいてもそうであった。その多数派の方が中国留学生が寝泊りする「善隣学生会館」というどこから見ても有利な拠点から退去したということになる。この判断ミスが「善隣学生会館事件」の伏線となっていく。この経過に対し、日共系の日中友好協会は、これを「脱足」と評しており、かくて中共及び中国政府の意向と反する側が善隣学生会館内の旧日中友好協会の事務室に居残るという変則事態となった。

 ここに日中友好協会は分裂し、ここが変調の始まりであるが中共系の方が善隣学生会館から出て、翌10.26日、新たに新宿に事務所を移転して「日本中国友好協会(正統)本部」を発足させることになった(中国研究月報1968年11月号36P)。

 会長松本治一郎、副会長黒田寿男、伊藤武雄、三島一、吉田法晴、理事長宮崎世民、副理事長、大森真一郎、岩崎三千夫、事務局長三好一の体制を選出し、黒田副会長、宮崎理事長、三好事務局長らが記者会見し、「日中友好運動の刷新についての声明」を発表し、「妨害者と完全に関係を断絶し、新組織をつくる。事務所はすでに東京新宿のみよしビルに用意してある」と述べ、さらに今後「日中友好協会(正統)本部」と名のることを公表した。そしてただちに、全会員の再登録作業に着手するなど、組織の再編成を進めた。概要「その後、事務所の契約、預金通帳、第三種郵便物などの名義を事務局長三好一から新事務局長・和田一夫の名義に書き換えた。これはかれらがもう協会には関係ないからと、印鑑を返したからです」とある。

 旗織を鮮明にした友好協会は、協会内外に対して「協会を本来の姿にとりもどし、広はんな国民各界各層の方々の日中友好の願いを基礎に、共同声明を柱として友好運動を大々的に発展させる」とする声明を発表したが、中日友好協会からすぐに、友好協会(正統)を支持するメッセージが寄せられた。が、これを境に日中友好協会内は抜き差しなら無い泥沼的対立を生み出していった。 

 当然というべきか、日中友好協会中共派が活動拠点たる善隣学生会館から逃亡したことに対して、内部で問題とされたようである。「中国研究」1977年3・4月合併号(80号)所収の「造反団ニュース1号」(1967.2.1日発行)は次のように述べている。
 「君たちが放棄した会館が、日中友好の妨害者に占拠され、さまざまな悪事をかさねるかれらの拠点となっている。在日華僑青年は、同会館をとりもどすために立上がっている。君たちは何をしているのか。大胆に会員と人民大衆に訴え、奪還闘争の先頭になぜ立てないのか、それは、君たちが妨害者の力を恐れ、正統会員と人民大衆の力に信頼を寄せていないからだ。君たちは他人に迫られてからでなく、自分ですすんで、このような思想にきっぱりと造反し、指導部としてのたたかう姿勢を早急に確立すべきである 」

 事実、中共系からは、「日共、友好破壊画策会館一角を実力占拠」と見なしており、「このように日中友好事業の破壊を企む日共反中国集団は、善隣学生会館一階西側の一室(日中友好協会本部)を実力で占拠するに至った。彼らは、一般的には“ニセ日中”と言われ、日中友好協会の名を騙って反中国活動を行っていた日共中央指揮下の反中国集団である」(華僑報1999年9月5日「戦後華僑・留学生運動史(149)」)と規定している。 


中共系と日共系の抗争激化
 10.26日、日共系は第4回全国理事会で「統一と団結の決議」を満場一致決定。中共派の〔日中友好協会(正統)本部〕は、「理事(正統)懇談会、今後の方針を決定」。

 10.27日、中日友好協会趙安博秘書長、王暁雲副秘書長は、黒田寿男日中友好協会副会長などに「日中友好協会正統本部を断固支持する」との支持電を送り、その中で「現代修正主義と分裂分子に断固反対して日中友好を貫くあなたがたの行動に対し最大の信頼と断固たる支持を表明する」そして「われわれは友好の旗をうちふり友好に反対するさまざまな現代修正主義とあらゆる往来を断絶し、彼らの仮面を徹底的にはぎ取ることをあなた方に保証できる」と述べた。

 10.31日、人民日報は、「日中友好を破壊するものはだれであろうとはきすてられる」と報道。

 11.2日、人民日報は、論評「中日人民の友好の勢いを押し止めることはできない」を発表。
 
 11.21日、日共系和田一夫日中友好協会事務局長談話「統一と団結の旗をかかげ分裂策動を粉砕しましょう」を発表。 

 11月末、華僑青年学生は、中日友好と文化交流を目的にしなければならぬという会館の使用趣旨にもとづいて、「本館は中日友好と文化交流を目的にしており、中日友好を妨害するものがこの会館にいることは全く道理に反している」という意味の大字報をはり出した。

 1967.1.1日、「日中友好新聞」が、論評で「いわゆる(正統派)は日中友好運動の破壊者である」と声明。

 1.10日、「共同声明」に調印した日中友好協会代表団の一員であった橋本信一氏が、「『共同声明』の調印は誤りであった」という手記を公表。

 1.16日、日共系「日中友好協会」は会館二階の会議室で、亜細亜通信社の日共系極東書店労働組合と日中貿促労働組合など諸団体の組合員を召集し、反中国活動を堅持するようテコ入れした。

 1.24日、日共の赤旗が、「紅衛兵の不当な非難に答える」という無署名の論文をのせ反論掲載。

 1.25日、日中友好協会(正統)内部で宮崎、三好らの官僚主義を批判し、彼らを「実権派」と攻撃する「造反団」が誕生。

 1.28日、野坂参三が、「自民党が紅衛兵運動を利用しておこなっている反共宣伝に答える」という談話を発表。

 1.29日、「長周新聞」が前掲「大地報」を転載。

 1.29日、会館の玄関にはってあった華僑青年学生の大字報(11月末の大字報と同文)が、日共系「日中友好協会」の反中国分子によってやぶられた。

 1.30日朝、華僑青年学生は、「大字報を破った卑劣漢を糾弾する」という題で、日修がアメリカ帝国主義、ソ連現代修正主義および各国の反動派と同じ立場に立っていることをバクロした大字報を会館の玄関にはりだした。

 同日夕方、日共系「日中友好協会」は、寮の食堂の前と文化室に反中国の脅迫ビラを投げ込み、さらに便所の壁に、「反毛沢東、反紅衛兵」という反中国スローガンをかきつけた。


中共系と日共系の暴力事件発生
 1.30日、中共系日中友好協会の20名が、擬装解散、不当解雇反対闘争中の日中貿易促進会労働組合事務所を襲う。1.31日、中共系日中友好協会の60名が、前日に続き日中貿促労組事務所を襲う。「第二組合の対外盲従分子ら二十人、不当解雇反対闘争中の亜細亜通信労組員に暴力をふるう」ともある。

 この背景を日中友好協会パンフは次のように説明している。
 「中貿易促進運動の中心となって活動してきた日中貿易促進会という団体がありました。去年の八月のすえ、中国展の展覧団の中国人幹部が促進会の幹部を名ざしで攻撃して日本側の展覧会協力会事務局から排除するという暴挙を行なったのをきっかけに、促進会は加盟していた独占資本の手によって偽装解散されました。これに対して労働組合は退職金を要求して事務所にがんばってたたかいましたが、この事務所へ一月二十八日に突然なぐり込みがかけられました。その先頭に立ったのは日中友好協会の三代前の事務局長であった長谷川敏三です。かれらはまず電話線を切って外部との連絡ができないようにしてなぐり込みましたが、そのとき長谷川はドアのガラスを棍棒でたたきわり、暴行の先頭に立ちました。ところがそのあと何日もたたない新聞には、長谷川が社長をしている呉山貿易という会社が中国から製鉄用原料炭一万トンの輸入わりあてをもらったと発表されました。呉山貿易は従来原料炭などあつかったことはないのですが、その権利を大手商社にまわすだけで、三〇〇〜四〇〇万円の利益がころげ込むわけです。いま業界では「ガラス一枚一万トン」ということばがはやっています。数千万円あるいは億をこえる反共・分裂資金がどうして出てくるか、また貿易会社の幹部や脱走分子がなぜ目の色を変えて分裂と暴力行為に走りまわるか、大体想像がつくというものです」。

中共系が奪還闘争を呼号し始める
 2.1日、「造反団ニュース」第一号発行。このなかで、華僑学生は善隣学生会館内の日中友好協会本部事務所"奪還"を掲げている。「君たち(正統本部)は何をしているのか。大胆に会員と人民大衆に訴え、奪還闘争の先頭になぜ立てないのか」と主張。

 2.5日、華僑学生ら新たな壁新聞を貼り出す。「ニセ日中は出ていけ」、「宮本修正主義はアメ帝ジョンソンとソ修コスイギン・日本反動と手をむすんで反中国活動に血なまこになっている」等々と書かれていた。(正統)支部の倉石班、同日中学院支部が、日中友好協会を誹謗するビラをまく。

 2.9日−2.21日、日共は、赤旗に中国のプロレタリア文化大革命、紅衛兵運動に対する攻撃の文章を発表するとともに、ほこ先を日本の革命人民と留日華僑青年学生にむけ、暴力をふるうことを鼓舞した。

 2.10日、劇団「はぐるま座」の「紅衛兵」、「造反団」を自称するグループ11名が、同劇団争議事務所を襲撃、争議団員を暴行(れんだいこ注真偽不明)。

 2.10日、北京において日中文化交流協会代表と中国人民対外文化友好協会代表との間で「文化交流にかんする覚え書き」が調印された。これは西園寺公一氏が署名し、大塚有章が参加した中でおこなわれたもので、文中で日共に対して「日本の修正主義分子」と規定し、批判していた。してみれば、日中共産党の対立が抜き差しなら無いところまで進行しつつあったということになる。

 2.15日、中共系の15名が、日中貿易事務所を襲撃、とある(れんだいこ注真偽不明)。

 2.16日、赤旗の一面トップに、「中国留日同学会の不当な干渉と非難を断固糾弾する」という日共京都府委員会の文章を掲載。

 2.17日、赤旗は一面トップに中国の紅衛兵運動を攻撃した論文「『紅衛兵』のわが党にたいする下劣な攻撃について」を掲載。

 2.19日、会館内の日中友好協会(正統)本部倉石(中国語講習会)班および同日中学院支部、後楽寮自治会は、共同主催で、「毛主席、百万の紅衛兵と会見」と、日本の教職員訪中団が撮影した訪中記録フィルムを上映したあと、岩村三千夫氏は席上「プロレタリア文化大革命と紅衛兵」について講演した。

 2.19日、赤旗が、いわゆる「暴力による正当防衛」を鼓舞した主旨の主張を発表。


赤旗が突如「正当防衛論」掲載
 2.21日、赤旗に奇妙な論文が掲載されている。日共中央委員会法規対策部長・青柳盛雄中央委員(弁護士)が「反党盲従分子の暴力には正当防衛を」なる「正当防衛論」に関する署名論文を発表し、文中で「正当防衛というのはその反撃の結果、相手が傷ついたとしても、それは自業自得であって、傷つけたこちら側には責任はない、罰せられないということである」との扇動的正当防衛論を展開している。これを転載しておく。
 以下の資料は、1967年2月21日付け「赤旗」第2面の「反党盲従分子の暴力には正当防衛を」という記事で、日本共産党中央委員会法規対策部長青柳盛雄氏の署名論文です。この論文は、日本共産党が「対外盲従分子(あるいは彼らのいうトロツキスト)」に対する「実力行使」つまりは暴力的な「反撃」を行う場合の理論的根拠である「正当防衛論」を法律の面から解説しているものと思います。縦書きを横書きに改めました。
2000年8月14日 猛獣文士

反党盲従分子の暴力には正当防衛を
日本共産党中央委員会法規対策部長 青柳盛雄

(一)
反党対外盲従分子どもが、わが党と民主勢力にたいし、暴力をふるいはじめたことは、「赤旗」がしばしば報道しているとおりであって、その凶暴ぶりは目にあまるものがある。これにたいし、われわれが断固として反撃をくわえなければならないことは、「赤旗」の主張が述べているとおりである。かれらは理性を失った連中だから、民主主義も基本的人権も無視して、自分らと意見を異にしている者にたいしては、みさかいなく暴力をふるうという点では、米日反動の走狗(そうく)となっている右翼暴力団と同じである。

われわれはどう対処したらよいか、党員はもちろん党支持者でも、かれらの暴力を黙って放置しておいてよいとか、かれらの暴力によって怪我(けが)をするようなことがあっても、これをがまんしなければならないとかと考えていない。ただちに断固として反撃をくわえ、これをくいとめるとともに、被害を未然に防止しなければならないと考えている。これはあたりまえのことで、党を支持していない人びとでもそう考えている。

かれらを説得して暴力をふるわせないようにすることも必要だが、これはそう簡単にできることではないし、なによりもかれらが「頭にきて」暴力をふるっているときに、こちらが冷静に説得しようとしても、かれらはすぐ暴力を思いとどまるものでもない。かれらの頭を冷やすのには、その場で話し合いをしようなどとのんきなことをいっているのではだめで、こちらの実力でかれらの暴力を圧服してしまうことである。それは、大声をあげてかれらをしかりつけその気勢をくじくことも効果的であろうが、ただそれだけでなく、狂犬のように襲いかかってくるのにたいしては、やはりプロレタリアートの実力を発揮して、かれらを「ひとひねり」にしてしまわなければならない。

このような闘争では、怪我人は双方にでるし、味方も傷つくかもしれないが、闘争である以上、まったく損害をうけないでワンサイドゲームで勝つというわけにはいかない。味方の損害をさけるという立場から、かれらの暴力による侵害を黙視するならば、味方の損害はもっとひどいものになるであろう。

日本の労働者階級は、ストライキやデモなどにたいする官憲の不当な干渉にたいして、断固これとたたかってきた歴史をもっている。それは正当防衛として無罪をかちとった例もたくさんある。

(二)
正当防衛という法律概念は、現行法規の規定としては、刑法第三六条につぎのように定められている。

急迫不正ノ侵害ニ対シ自己又ハ他人ノ権利ヲ防衛スル為メ已ムコトヲ得サルニ出タル行為ハ之ヲ罰セス

物理的な暴力をふるって、人の身体を傷つけようとしたり、物を破損しようとする行為は、それ自体犯罪行為であって、だれが考えても、この「急迫不正ノ侵害」に該当することはまちがいない。

このような暴力が自分自身の身体または所有物や占有物にくわえられようとした場合はもちろん、他人の身体または所有物や占有物にたいしてくわえられようとした場合に、即座に断固としてこれをくいとめることができなかったとしたら、憲法で保障されている基本的人権はまもれるものではない。

その場に、警察官がいてそのような犯罪行為を適法に阻止し、被害をくいとめるならば、それによって人権はまもられるかもしれない。しかし、対外盲従分子がわが党や民主勢力にたいし暴力行為をおこなおうとする場合に、つねに警察官がその場にいてこれを防止するであろうなどと期待するのは非現実的である。かれらが襲撃してきた場合、一一〇番でパトカーをよぶこともできる。しかし、警察官がくるまでの間に、かれらは暴力をふるってその目的を達し逃げてしまうことも考えられる。こうなれば、被害者は完全に後手(ごて)の立場に立たされる。あとになって加害者は罰せられるかも知れないし、損害の賠償をさせられるかも知れない。しかし、それはいわば「残務整理」であって、被害者の人権は完全にまもられたことにはならない。あとからでは被害者はつねに不利である。どうしてもその場で機敏に反撃し、被害が現実に起こらないようにしなければならない。「已ムコトヲ得サル」というのはこのことである。

(三)
正当防衛の形態としては、相手が武器をもって襲いかかったときでも、こちらは素手(すで)で立ち向かわなければならないというものではない。相手の武器に対抗できる武器を使うことは、人権を確実にまもるうえで必要である。相手の人数よりも多い人数で対抗することもゆるされる。「決闘」のように一対一でなければならないというものではない。味方の数が多いほど正当防衛は確実で効果的である。

正当防衛というのは、その反撃の結果、相手が傷ついたとしても、それは自業自得であって、傷つけたこちら側には責任はない、罰せられないということである。相手を傷つけないで、やんわりと追い払うというのは、それが可能な場合は、妥当な戦術であろうが、それは正当防衛以前の問題であって、それができないような状態のもとで、やむなく実力で反撃し、相手を傷つける場合に、はじめて正当防衛の問題が起こってくるのである。

ただ、この場合でも、刑法第三六条の第二項につぎのような規定があることは注意しておく必要がある。
防御ノ程度ヲ超エタル行為ハ情状ニ因リ其刑ヲ減軽又ハ免除スルコトヲ得

これはいわゆる「過剰防衛」の問題である。すなわち、相手が参ってしまっているのに追い討ちをかけたり、こらしめの目的で、防衛の必要以上の打撃をくわえたりする場合の過剰防衛は一応罰せられることになっているが、刑は軽くされるか免除される。どの程度が過剰といえるかは、具体的な状況で判断されるので、一概にはなんともいえないが、だいたい常識でわかることであって、過剰になりはしないかなどと心配して、適切な反撃をひかえるのでは、正当防衛の権利を行使するというかまえではない。

(四)
民主陣営のなかで、よく「挑発にのるな」ということばが使われる。それ自体抽象的にはまちがっていないであろう。敵側では味方を弾圧する口実をつくるために、いやがらせや妨害をやって味方を怒らせ反撃するように仕向けてくる。だから、このような敵の陰謀にやすやすとのって弾圧の口実をつくらせないという意味では一応正しい面もある。

しかし、敵の挑発的行為、不正な人権侵害行為でもすべて反撃しないという「無抵抗主義」が正しいということではない。もしそういうことになれば、敵はいつでも「挑発」というかたちで。勝手放題に、見方の人権を侵害することができることになり、民主的な運動は、暴力の前につぎつぎと後退し、しまいには民主運動それ自体もできないようになるであろう。戦前がそうだったし、戦後でもたとえば公安条例などの弾圧法規を利用した敵の弾圧政策のもとで、民主運動を委縮させようとしている。

われわれは、トロツキストなどが、「革命的」な言動で、善意の大衆を敵にけしかけていること、それがけっして民主勢力をつよめることではなく、逆に弱める効果をねらっているものであることを知っている。「挑発にのるな」というのは、そういう場合にも必要なことである。

しかし、このことばを機械的にどんな場合にもあてはめて、適切な反撃をおこなわないとしたら、それは正しくない。たとえば、対外盲従分子が、その頭をいくらか働かせて、わが党や民主勢力を敵権力の不当な弾圧にさらさせようという陰謀をくわだて、みずからの身体を味方の正当防衛による反撃にさらすことを覚悟のうえで、暴力をふるって挑発してきた場合、われわれがその手にのらず、たくみに相手の暴力をかわしてしまうことができればよいが、それが可能でない状況のもとでは、やはり断固として適切な反撃をくわえなければならない。かれらのこのような陰謀は、弾圧機関としめし合わせておこなうおこなう場合もあるだろうし、そうでないとしても弾圧機関はこれを悪用するであろうことは十分予想される。

しかし、われわれは、いまの日本が南ベトナムや南朝鮮のような状態でないこと、労働者階級をはじめとする民主勢力が一定の民主的力量をもっており、憲法の事実上の改悪をくいとめて、民主主義と人権をまもっているという現状をみる必要がある。弾圧機関といえども、まだ完全には憲法と法律を無視できない状態にある。

つまり、弾圧機関、とくに裁判所などは、刑法の定めている正当防衛の規定を無視することはできない。対外盲従分子が暴力で味方を襲ってきた場合、われわれが適時に適切な反撃をくわえるという実力行使にでたときに、弾圧機関もそれを正当防衛として、弾圧できないし、またわれわれもそれを許さないであろう。

だから、われわれは、「事なかれ主義」で、対外盲従分子の大した力もない暴力の前に、「隠忍自重」し、かれらの横暴を放置してはならない。かれらはなんの権力ももっていないし、権威もない連中だから、われわれが断固としてこれに対処するならば、敗退しさることはあきらかである。(赤旗1967年2月21日)

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(私論.私見) 青柳盛雄論文「反党盲従分子の暴力には正当防衛を」考

 
これを考察するのに次のような粗雑な法理論と正当防衛権の行使を煽る変調内容となっている。概要「反党対外盲従分子に対し、われわれが断固として反撃をくわえなければならないことは、赤旗の主張が述べているとおりである」として、党中央の見解に添うものであることを明らかにした上で、「われわれはどう対処したらよいか」と問題を立てる。

 次に、「ただちに断固として反撃をくわえ、これをくいとめるとともに、被害を未然に防止しなければならない」とした上で、次のように物騒な物言いしている。

 「かれらの頭を冷やすのには、その場で話し合いをしようなどとのんきなことをいっているのではだめで、こちらの実力でかれらの暴力を圧服してしまうことである。それは、大声をあげてかれらをしかりつけその気勢をくじくことも効果的であろうが、ただそれだけでなく、狂犬のように襲いかかってくるのにたいしては、やはりプロレタリアートの実力を発揮して、かれらを『ひとひねり』にしてしまわなければならない」。
 「このような闘争では、怪我人は双方にでるし、味方も傷つくかもしれないが、闘争である以上、まったく損害をうけないでワンサイドゲームで勝つというわけにはいかない。味方の損害をさけるという立場から、かれらの暴力による侵害を黙視するならば、味方の損害はもっとひどいものになるであろう」。

 次に、こうした正当防衛権の行使が法的に認められていることを次のように解説する。刑法第36条「急迫不正ノ侵害ニ対シ自己又ハ他人ノ権利ヲ防衛スル為メ已ムコトヲ得サルニ出タル行為ハ之ヲ罰セス」の「已ムコトヲ得サル」の情況を説明し、次のように煽っている。

 「正当防衛というのは、その反撃の結果、相手が傷ついたとしても、それは自業自得であって、傷つけたこちら側には責任はない、罰せられないということである。相手を傷つけないで、やんわりと追い払うというのは、それが可能な場合は、妥当な戦術であろうが、それは正当防衛以前の問題であって、それができないような状態のもとで、やむなく実力で反撃し、相手を傷つける場合に、はじめて正当防衛の問題が起こってくるのである」。

 次のように正当防衛の行使の要領まで言及している。

 「正当防衛の形態としては、相手が武器をもって襲いかかったときでも、こちらは素手(すで)で立ち向かわなければならないというものではない。相手の武器に対抗できる武器を使うことは、人権を確実にまもるうえで必要である。相手の人数よりも多い人数で対抗することもゆるされる。『決闘』のように一対一でなければならないというものではない。味方の数が多いほど正当防衛は確実で効果的である」。

 次に、刑法第36条の第2項の規定「防御ノ程度ヲ超エタル行為ハ情状ニ因リ其刑ヲ減軽又ハ免除スルコトヲ得」の説明に入り、次のように又もや物騒なことを云う。

 「これはいわゆる『過剰防衛』の問題である。すなわち、相手が参ってしまっているのに追い討ちをかけたり、こらしめの目的で、防衛の必要以上の打撃をくわえたりする場合の過剰防衛は一応罰せられることになっているが、刑は軽くされるか免除される。どの程度が過剰といえるかは、具体的な状況で判断されるので、一概にはなんともいえないが、だいたい常識でわかることであって、過剰になりはしないかなどと心配して、適切な反撃をひかえるのでは、正当防衛の権利を行使するというかまえではない」。

 「断固として上手にやれ」と教唆していることになる。

 次に、「挑発にのるな」論を批判し、日頃の「挑発にのるな」論はこの際好ましくないのだと次のように言い聞かせる。

 「敵の挑発的行為、不正な人権侵害行為でもすべて反撃しないという『無抵抗主義』が正しいということではない。もしそういうことになれば、敵はいつでも『挑発』というかたちで。勝手放題に、見方の人権を侵害することができることになり、民主的な運動は、暴力の前につぎつぎと後退し、しまいには民主運動それ自体もできないようになるであろう」。

 こうして、「やはり断固として適切な反撃をくわえなければならない」と煽る。「弾圧機関、とくに裁判所などは、刑法の定めている正当防衛の規定を無視することはできない。対外盲従分子が暴力で味方を襲ってきた場合、われわれが適時に適切な反撃をくわえるという実力行使にでたときに、弾圧機関もそれを正当防衛として、弾圧できないし、またわれわれもそれを許さないであろう」と語り、何のことは無い当局との通謀が出来ているから心配するなとお膳立て論にまで言及している。

 締め括りはこうだ。

 「われわれは、『事なかれ主義』で、対外盲従分子の大した力もない暴力の前に、『隠忍自重』し、かれらの横暴を放置してはならない。かれらはなんの権力ももっていないし、権威もない連中だから、われわれが断固としてこれに対処するならば、敗退しさることはあきらかである」。

 こういう理論を何と云うのだろう。「相手は弱い与し易い」論であるが、先述の当局との通謀の下りを踏まえると、これはまさに弾圧教唆理論そのものではなかろうか。驚くべき暴論であるが、これが公党である日共の機関紙赤旗紙上に堂々と開陳されていることを凝視すべきではなかろうか。


中共系と日共系が一触即発状態に入る
 2.22日、日共系の亜細亜通信労組員が襲われ、暴行される、とある(れんだいこ注・真偽不明)。

 2.24日、日中友好協会会議室で中国映画(「農奴」)鑑賞会開かれる。この入口に華僑学生が「中国人入るべからず」の壁新聞をはっているところを、協会員が発見、追及したところ、「いわれてやった」と述べる、とある(れんだいこ注・真偽不明)。

 2.24日、日共系「日中友好協会」は、「第16回日中友好協会全国大会」に出席する反中国分子を動員して、会館内で、反中国活動をおこなった。華僑青年は、この挑発的行動に憤激して「本会館を反中国の目的に使うな!、」「日中友好の旗をかかげて日中友好に反対する破壊分子は会館から出て行け!」などのスローガンをはり出した。

 疑問をもった華僑青年は、確かめるために入場を申し出たところ、相手はすぐさま、横暴にも、「君たち中国人は、映画を見たいのなら、『正統』へ行け!」といった。華僑青年は、「日中友好協会」の反中国分子に対し抗議した。深夜十二時、華僑青年の呉平安、林盛雄はその目でニセ「日中友好協会」の腕章をつけた反中国分子が、寮生のはり出した大字報と寮自治会の声明文を破って、持ち去るのを見た。その場で、大字報を返せと要求したら、かれは事務所に逃げこんだ。

 2.26日、日中友好協会第16回全国大会が東京千代田公会堂で開かる。この時、華僑学生十数人が同大会に「抗議文」をもって押しかける。また同抗議文を壁新聞にして善隣学生会館にはり出す。

 2.27日、後楽寮自治会は、ニセ「第十六回大会」につきつけた抗議文を大字報にして玄関にはり出した。「日中友好協会」の機関紙「日中友好新聞」は、「後楽寮自治会の妨害を排除する」という文章を一面トップに掲載した。





(私論.私見)