補足(17)―4123 不破理論解析考(十二)政治闘争論

2002年10月24日(木)「しんぶん赤旗」北京の五日間(37)中央委員会議長 不破哲三 29日 王家瑞副部長とともに(中)

労働者出身の経済学博士

 いまの中国の指導部には、理工系統出身の幹部が多い。経歴の一覧をみると、江沢民総書記は電機学部(上海交通大学)、胡錦涛さんは水利工学部(清華大学)、朱鎔基首相は電機製造学科(清華大学)、李鉄映さんは物理学部(チェコ・カリシ大学)、明日お会いする予定の趙啓正さんは近代物理学部(科学技術大学)といった具合である。李軍さんにその話をしたら、「中国では建設が政治の中心問題ですからね」と言い、「王家瑞さんは、労働者出身ですよ」と付けたした。

 一覧を見ると、王家瑞さんの職歴は、「長春市郵政局の配達員」から出発している。同時に、経済学や工業経済学で博士の資格を持つことも、そこには記録されている。「労・知両道」というか、ユニークな経歴の持ち主である。

話題は日本の政局から世界政治まで

 会食の席では、日本の政局から世界政治のあれこれまで、話題は多彩なものだった。

 王さんとは、三月の訪日のさいに、会ったことがあった。当時は、国会が一連の疑惑のただなかにあった時で、私はこれらの疑惑のいきさつを詳しく解説した。

 そんなことから、まず口火を切ったのは、「加藤(紘一)さんはどうなりましたか。鈴木宗男さんはどうなりましたか」という王さんの質問だった。私が「加藤さんは国会議員をやめ、鈴木さんは国会はやめないで目下“獄中闘争”中(笑い)ですよ」と答えたあと、鈴木氏がその“獄中闘争”の手引書を本会議場に持ち込んで“学習”中、その現場をマスコミのカメラに撮影されて大きな話題となったこと、「しんぶん赤旗」のカメラが鈴木氏を追跡しているつもりで、ちょっとした角度のぶれから、別の自民党議員の口利き疑惑の証拠文書を撮影してしまい、その議員(副大臣)が辞任のやむなきにいたったことなど、日本の複雑な国会状況についての話題が広がった。

 やがて、王さんが、ペルー、コロンビア、チリなど訪問したばかりのラテンアメリカ諸国の最新の状況を説明、「あなたがたは、ラテンアメリカの動向をどう見るか」と、私に質問の矛先をむけてきた。

 私は、それらの国ぐにを訪問したことはないが、チリの革新派との接触の経験は、いろいろある。とくに一九七三年、アジェンデ民主連合政権がピノチェトらによる軍事クーデターで打倒され、アジェンデ大統領自身も殺された時には、チリの共産党、社会党の代表が日本を訪問し、私はそれぞれ会談したことがあった。また連帯組織として、アジェンデ大統領夫人を日本に迎えたこともあった。

 その当時の思い出を簡単に話したあと、私は、ラテンアメリカ問題を語るとき、忘れるわけにゆかない出来事――一九八四年にキューバを訪問してカストロ首相と会談したときの問答を紹介した。

一九八四年、三つの質問でカストロ首相の真意をただす

 「私は、以前から、キューバが、『ラテンアメリカは一つ』というゲバラ流の考えをいまでも持ち、各国の革命運動の自決権を認めていないのではないか、という疑念を持っていました。八四年のキューバ訪問の一つの意図は、この疑念を直接ただしたいというところにありました」。

 中国側の出席者たちは、興味をかきたてられたようで、まじまじと私の顔を見る。

 「私たちは、野党だから、外交的な気兼ねの必要はあまりないのです」。こう前置きして、私は、訪問の最後の夜、カストロ首相と会談した時に、民族自決権にかかわる三つの問題について、直接、キューバの真意をただしたことを話した。

 第一は、いまのべた問題、つまり、「あなたがたは、ラテンアメリカ各国の革命運動の自主権を認めているのかどうか」だった。カストロ首相の答えは明確なもので、「われわれは、各国の革命運動の自主権を尊重する。干渉的なやり方はキューバの方針ではない」というものだった。

 第二は、当時キューバが、アンゴラ、モザンビークなどに軍隊を送っていたことについて、どんな立場、どんな考えから派遣しているのか、という質問である。カストロ「要請があるから軍隊を送ったが、私たちが送りたいのは、本当は医師と教員なのだ」。実際、キューバでは、国内で必要とされる以上の医師と教師の養成がおこなわれており、その人たちが「国際主義者(インターナショナリスト)」と呼ばれていることを、私は知っていた。(つづく)


2002年10月25日(金)「しんぶん赤旗」北京の五日間(38)中央委員会議長 不破哲三 29日 王家瑞副部長とともに(下)

アフガニスタン問題は自分たちの“十字架”だという回答

 私がカストロ首相にただした第三の質問は、より深刻な意味を持つ問題――アフガニスタン問題だった。

 「あなたがたは、アフガニスタンにたいするソ連の軍事侵略を、どういう立場から支持しているのか」。私のこの質問には、カストロ首相は、実に苦悩に満ちた表情で答えた。「ソ連に要求されたからではない。これは、社会主義国として、われわれがになうべき“十字架”なのだ」。

 “十字架”という言葉の意味は、のちに日本を訪問したキューバの党の国際部長が説明してくれた。当時、キューバは非同盟諸国会議の議長国であり、その加盟国であるアフガニスタンにソ連があのような軍事攻撃をくわえたことで、キューバ自身が非常に困難な立場に立たされたのだ、とのことだった。

 以上のいきさつを私は、かいつまんで紹介し、「私は、その答えを聞いて、これらの問題に答えたカストロ首相の誠実さを、強く感じました」と結んだ。

 私自身は、隣にいる王家瑞さんの顔を見るわけにゆかなかったが、同行の人たちの話によると、カストロ首相に面とむかって三つの質問をぶつけたことにも、カストロ首相が正面からそれに答えたことにも、本当に驚きの表情を見せ、真剣に耳を傾けていたという。

チリ問題とイタリア共産党の右傾化

 王家瑞さんは、ふたたびチリの近況について語り、アジェンデ夫人はいまだに広く尊敬を受けているが、ピノチェトへの尊敬も別の階層のあいだでは強く、国を「二分」している様相がある、と語った。

 「国が二分している」という言葉から、私の頭にすぐひらめいたのは、チリのこの状態こそが、イタリア共産党の右寄りと変質への全経過の一つの出発点になったことだった。そして、ヨーロッパ情勢を理解する参考になればと思って、私は話した。

 ――イタリア共産党は、チリの民主連合政権が軍事クーデターで倒されたのを見て、イタリアで自分たちが「国を二分する」ような形で政権についたら、同じ悲劇が繰り返される、と考えた。

 ――そこから引き出されたのは、政権党であるキリスト教民主党との連合による政権をめざすという、「歴史的妥協」の路線だった(一九七五年)。その連合のために邪魔になる政策は取り除かなければならない、ということで、一九四九年のNATO発足以来一貫してまもってきた「NATOからの脱退」という方針も捨てた。

「歴史的妥協」でも、政権参加を許されなかった

 ――しかし、これだけ譲歩しても、地方自治体でのキリスト教民主党との連合がある程度できただけで、国政レベルでは政権への参加はできなかった。一九七八年にはキリスト教民主党と政策協定を結んだが、政権への参加は認められず、共産党が政策的に手をしばられただけの結果に終わった。

 ――この経過を見ると、チリの教訓だということで持ち出された「歴史的妥協」という路線転換が、その後のとどまるところを知らない右傾化と、ついには一九九一年の党解体にいたる出発点となったことは、明らかだと思う。

 私たちは、資本主義国で活動する共産党として、少なくとも主要な資本主義国で活動している諸党については、その足跡はいつも注意深く探究している。しかし、中国では、社会主義をめざす国の政権党として、資本主義各国の党の動きのそこまでたちいった追跡はやっていない様子だった。それだけに、イタリア情勢の基本にかかわるこの歴史情報の提供にも、大きな興味を示してくれた。

 こんな調子で話しているうち、「会見と宴会」方式の三時間はあっという間に過ぎた。(つづく)






(私論.私見)