補足(17)―41172 不破理論解析考(七―A)経済政策論



【2002年10月1日(火)「しんぶん赤旗」北京の五日間(15)中央委員会議長 不破哲三 中関村科技園区(上)】

 ハイテク技術開発の最前線

 北京に到着して三日目、今日の午前は、「中関村(ちゅうかんそん)科技園区(サイエンスパーク)」の訪問である。訪問先は、ハイテク技術をはじめ、中国の技術開発の文字通り最前線に立つ地区で、開発は一九八八年に始まり、現在すでに七十の大学、二百を超える研究機関、一万一千社のハイテク企業が集中している。しかし、「中関村科技園区」という名称および開発の大方針が決まったのは一九九九年、必要な条例や組織をととのえたのは二〇〇一年一月というから、本格的な開発としてはまだ最初の段階にあるといって、よいのだろう。

 出発前に読んだ『文芸春秋』誌の八月号に、ちょうどこの地区を紹介した文章が出ていた(「シリコンバレー中関村ルポ」)。また、電子工業界のある企業の中国事業戦略室が出した小冊子『中国市場環境』を拝見したら、「北京中関村の状況」という大項目を立ててその全ぼうが詳しく解説されていた。日本でも、大きな注目が寄せられつつあるようだ。車が地区に入ると、建設中の工事現場があちこちに目立つ。まさに開発ラッシュ、砂ぼこりのなかにも明日への息吹の感じられる情景だ。

 「孵化園」――ベンチャー企業家の育成が任務

 まず案内されたのは、「中関村国際孵化(ふか)園」。海外への留学から帰ってきた科学者・技術者がベンチャー企業を起こすのを、援助する施設である。若い新しい企業家を育成するから「孵化園」というわけで、なかなか愉快なネーミングだ。

 出迎えてくれたのは、「科技園区」管理委員会の夏潁奇(かえいき)副主任、さっそくビデオを使って、「孵化園」が、若いベンチャー企業家たちを援助するために、どんな事業をしているかの説明に入る。ビデオの一こまに、卵が孵(かえ)るイラストがあるのには、笑いを誘われた。

 海外に留学・流出した“頭脳”は約四十五万人、そのうち帰国した“頭脳”は約十五万人、中国はまだまだ豊富な潜在的“頭脳”を海外に持っている勘定になる。

 スローガンは「失敗を恐れるな」

 ここのスローガンは「鼓励成功、容認失敗」。「鼓励(これい)」とは、「鼓舞激励」のこと、“成功を鼓舞激励する”というのは普通だが、それに“失敗を容認する”、つまり、「失敗を恐れるな」が加えられているあたり、ベンチャー精神をよく考えた気配りである。

 この施設の援助を受けて、去年一年間に立ち上がったベンチャー企業の数は、三千六十社。そのすべてが成功の軌道に乗るわけではなく、「失敗を容認」せざるをえなくなる企業も出るだろうが、この数字に示された活力には、たいへんなものがある。

 さきに紹介した小冊子『中国市場環境』によると、この「科技園区」に立地している企業の全体が、「官製ベンチャー」(つまり政府系の企業)、「外資系企業」、「民間ベンチャー」(海外留学組など新世代による起業)に、三分類されている。「国際孵化園」は、その三番目、「民間ベンチャー」を発展させるための、根拠地といえるのだろう。

【2002年10月2日(水)「しんぶん赤旗」北京の五日間(16)中央委員会議長 不破哲三 中関村科技園区(下)】

 急成長の巨大企業「連想集団」

 続いて訪問したのは、中国最大のパソコン製造企業「連想集団」である。中国科学院が出資し、一九八四年に研究者が中心になって創業した企業で、さきの三分類によれば、「官製ベンチャー」ということになる。最初はごく少ない投資で出発したが、急成長をとげ、現在ではパソコンでは中国で抜群の第一位、売上高では、世界でも第七位の巨大企業になった、という。

 またビデオを使っての概要説明のあと、展示室を案内された。子ども向け、家庭向け、企業向けなど、用途を考えた斬新なデザインが目立つ。案内の女性が「デザインは専門のセンターがあってそこで開発しています」という。「若い人が多いんでしょう」と聞くと、もちろんといった顔でうなずく。

 若い研究者、技術者の活気が目立つ

 さきほどの説明では、社員の平均年齢二十八歳とあった。とにかく若さがみなぎって見える企業である。私たち一行が歩いている社内のあちこちに、丸テーブルがあり、そこに三人、四人とたむろして話しこんでいる。筆坂さんがのぞきこむように様子を見ていたが、休憩しての雑談などではなかった、ノートにメモしながらの議論の最中で、この企業の、自由で活気に満ちた雰囲気を強く感じた、という。

 「連想集団」は科学院がつくった企業だが、大学がつくった企業も多く、北京大学は「北大方正」などの企業群をつくり、清華大学は「清華同方」、「清華紫光」などの企業群をもっている。ここは訪ねる機会はなかったが、おそらく、若い研究者、技術者の集団が、生産と経営の中心に立って、企業を動かしている点では、共通の特徴をもっているのではないだろうか。

 感じたこと、考えさせられたこと

 正午からは、唐家〓(とうかせん)外相主催の昼食会が予定されており、「中関村科技園区」の視察は、そのごく一角に触れただけに終わったが、短時間の接触のなかでも、いろいろなことを感じたし、また考えさせられた。

 感じたことの第一は、若さに満ちた活力と、それにささえられた中国ハイテク産業の急成長ぶりである。

 また、考えさせられたのは、「社会主義市場経済」のるつぼのなかから、何かたいへん新しいものが生まれつつあるのでは、という予感である。

 「連想集団」の視察を終えての車のなかで、同乗している中連部の人たちに、「中国は、いまの中国経済の構成を『公有制を中心にした多所有経済』と特徴づけている。科学院や大学が創業したこれらの企業は、所有制としては、何にあたるのか」と聞いたが、的確な答えはえられなかった。

 科学院にしろ、北京大学、清華大学にしろ、政府が管轄する一部門だから、全額出資かどうかは不明だが、「公有制」に近い企業形態に属することは間違いないだろう。しかし、そこでは、ソ連型の国有企業とは違って、外から配置された官僚集団ではなく、研究者や技術者が創業と経営の中心となり、現場に直結した若い力が経営を動かしているように見える。

 そういう企業がこれからの発展のなかで、どうなってゆくのか、そこには多くの未知の要素があり、飛躍的な前進もあれば、後ろ向きの後退もあるだろうが、少なくとも注意して見てゆきたい新しい問題がここにある、そんなことを考えながら、釣魚台の国賓館に向かった。



【2002年10月13日(日)「しんぶん赤旗」北京の五日間(27)中央委員会議長 不破哲三 李鉄映さんとの三時間(二)抜粋

 二十一世紀論について語る

 私は、李鉄映(りてつえい)さんの問題提起に答える形で、いくつかの理論問題について話した。

 二十一世紀を迎えて、資本主義が体制的にも深刻な矛盾にぶつかっていること、私はその矛盾の代表的な現れとして、これまで、(一)周期的な恐慌・不況から抜け出せないでいる問題、(二)アジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの広大な国ぐにが、資本主義の枠内では、自分たちの発展の将来がないことを強く感じつつあること、(三)人類の生存の保障である地球の「生命維持装置」が利潤第一の経済活動によって破壊されようとしていること、の三点を話してきたが、最近、もう一つの重大な矛盾として付け加えようかと思っているということについても語った。それは、「市場万能主義」を売り物にするアメリカが世界資本主義の盟主になって、資本主義の害悪と醜さが一気に噴きだしつつあることである。

 「資本主義市場経済」を経験してきた立場から

 二十一世紀の体制変革の過程を進める世界的な三つの流れを論じるなかで、「社会主義をめざす国ぐに」の取り組みにも、話はおよんだ。

 「私は、二十一世紀の世界的な前途を展望するなかで、中国の『社会主義市場経済』の取り組みに以前から注目してきました。しかし、この問題で、苦労し、経験を積み、そのなかで問題点をつかみ、解決に力を集中するのは、あなたがたです。私たちに、この問題でなにか発言する立場があるとすれば、私たちが『資本主義市場経済』のなかで暮らし、その善しあし――市場経済にどんな特徴があり、あるいは否定面があるのかをよく知っていることです。その立場から、いくつかの意見は言えるかもしれません」。

 生産力の発展の「させ方」での優位性が大事になるのでは……

 こう前置きして、私は、市場経済は必ず富めるものと貧しいものとの格差を大きくし、利潤第一主義で労働者の健康や安全も、雇用も保障しない「あとは野となれ山となれ」式の本性をもっていること、そういう傾向に反対する労働者と国民のたたかいを背景に、資本主義の枠内でも、社会保障や災害防止のしくみなど、一定の「歯止め」のしくみがつくられてきたこと、などについて話した。

 その立場から、「社会主義市場経済」が、「資本主義市場経済」にたいして、優位性を発揮するとすれば、生産力そのものの量的な発展の面での優位性を追求すると同時に、生産力を発展させるいわば「発展のさせ方」という面で、社会主義らしい力が発揮されるようになることが、歴史の方向ではないか、具体的にいえば、格差の拡大をおさえ、社会的な保障を充実させ、労働者の健康と安全をまもるなどの面の位置づけが、いよいよ大きくなってくるだろうということを、一つの理論問題として提起した。

【2002年10月16日(水)「しんぶん赤旗」北京の五日間(29)中央委員会議長 不破哲三 李鉄映さんとの三時間(四)】

 政府の電子工業相としての経験から

 李鉄映(りてつえい)さんは、会食のなかで、彼が政府の電子工業相だった当時の思い出を話しはじめた。経歴を見ると、「一九八五〜一九九三年、電子工業部長」とあるから、およそ一九九〇年前後の話と推察される。

 「私は電子工業相のとき、日本の企業と話し合ったが、中国にたいする技術移転には非常に消極的だった。このため、中国はみずから国産化の努力をして、電子部品の研究を強化し、その後、大きな発展をとげることができ、カラーテレビ生産量九百三十万台とか、そういう前進をかちとってきた。ところが、いまでも、いろいろな産業界に、同じような消極的態度が見られる。なぜ、そうなのか。私は“困惑”するだけだ。どうして中国の発展をはかりながら、日本自身も発展するという考えにならないのだろうか。ここでも、『脱亜入欧』から、アジアにもどらなければいけないのではないか」。

 中国市場での立ち遅れは、日本でも大問題になりつつある

 この話を聞きながら、私は、一カ月ほど前の朝日新聞(七月二十日付)に、「日本経済再生の戦略を考える」では「中国パワーを視野に」、という特集が組まれていたことを思い出した。そこで、ある論者は、携帯電話の問題をとりあげ、携帯電話の中国市場はすでに二兆円を超しているのに、そこでの「日本企業のシェアは悲惨な状態だ」、携帯電話のブランドで評価されている外国企業といえば、ヨーロッパやアメリカの企業ばかりで、残念ながら松下もソニーも出てこない、「日本企業が中国をまともな市場と見ていなかったからではないか」と、痛烈な批判の弁を展開していた。

 そこで、私は、李さんに言った。

 「日本の経済界でも、最近、なぜこれだけ中国進出で立ち遅れたかということが、問題になり始めている。そこには、日本の財界・資本家に、長い視野での戦略目標を立てる姿勢がなく、まちがった政治の風に流されやすい、という問題がある。そのことが、あなたを“困惑”させた原因ではないか」。

 「脱亜入欧」から「アジア回帰」へ――二十一世紀の戦略的な課題

 「ただ、私は、日本の電子工業界は、技術移転に消極的だったことで、結果的にはあなたがたを“援助”したことになった、と思う。日本企業がそういう態度をとったからこそ、あなたがたは奮起して、技術面でも自主的な発展につとめ、今日の状況をつくりあげてきた。

 おそらく日本側は、中国の発展能力を過小評価し、技術移転によって中国の競争力を強化することを恐れて、そういう態度をとったのだろうが、その結果は、思惑とは逆の結果となった。中国の電子工業界は発展し、日本の電子工業界は中国市場への進出に決定的な立ち遅れをきたした。これは、目先の利害だけにとらわれて、長期の大局を見失うと、結局は大損をするということ。これが、市場経済なんですよ」。

 電子工業相の経験者であるだけに、「脱亜入欧」ではなく「アジアへの回帰」を日本経済界に求める李鉄映さんの訴えには、事実がもつ切実な響きがあった。

 いま、マスコミの上でも、経済界自身のなかでも、いろいろな動きや議論が広がっているが、日本の経済が二十一世紀にアジアに本当の意味で根をおろそうと思ったら、その場その場の対症療法的な対応ではなく、二十一世紀にふさわしい戦略的な視野をもって、日本と中国の経済関係の構築にあたることが、避けるわけにゆかない、緊急切実な課題となるだろう。

【2002年10月19日(土)「しんぶん赤旗」北京の五日間(32)中央委員会議長 不破哲三 29日 農業にもハイテクの風が 抜粋】

 技術者の起業によるハイテク農業会社

 四季青郷が誇りとしているのは、ここに、中国でも有数のハイテク農業の拠点があることだ。

 私たちは、敬老院に続いて、ハイテク農業の視察に向かった。着いてみると、「北京錦綉大地農業股分有限会社」という物々しい名称の会社である。例の三分類でいえば、「民間ベンチャー」の農業版という位置づけになろう。

 副総経理、つまり副社長の王玉忠さんの案内で、まず花の促成栽培の「工場」、ついで野菜の水耕栽培の「工場」と広い社内を歩いた。どこも、「工場」の名にふさわしい広大な規模をもっている。花の栽培で普通五年かかるものが、新方式では三カ月でできるなど、現場で一つひとつ説明されるその生産性の高さは、科学・技術の十分な裏付けをもっているようで、技術者のグループの役割を思わせた。ここには博士の資格をもつ技術者、研究者が四人いるとのこと。案内してくれた王副社長も、その四人の博士の一人だと、あとで聞いた。

 大海の一滴であったとしても、それは中国の経済的活力を示す

 「生産性の高さは分かるが、従来方式とくらべて、コスト面ではどうか」、「この種のハイテク農業を応用する可能性はどれだけあると思うか。気象条件など、地域的、環境的に特別の条件は必要か」。私のこれらの質問に、王さんは、「コストは大幅に低下した」、「環境条件に特別の制約はない」など、自信をにじませて答えるが、同時に、この種の企業は、現実には中国ではまだきわめて少数で、この会社が、大きな流れを背景にもった存在ではなく、全国的にみて突出した性格をもっていることの説明も、くわえてくれた。

 帰りぎわにもらった資料を見ると、私たちが視察したのは、この会社が取り組んでいる事業のごく一部らしい。

 もちろん、説明にあったように、こうしたハイテク農業は、現在の中国では、量的には、農業全体の大海のなかの、貴重な一滴でしかないのだろう。何回となく話に出るように、中国の農業人口の大部分をしめる内陸部では、労働力への依存度の多い従来型の農業が、支配的だという。その意味では、これは、突出した実験的な企てという位置づけになるかもしれない。しかし、そういう実験的な試みがあえておこなわれ、それが現に企業化されているところに、私は、新しい課題に大胆に挑戦しようとしている中国の「社会主義市場経済」の活力を印象づけられた。






(私論.私見)