日共不破の人民的議会主義論の犯罪的役割考
 (れんだいこのショートメッセージ) 
Re:れんだいこのカンテラ時評その94 れんだいこ 2005/09/06
 【2005総選挙に於ける日共のイラマカシ考】

 2005.9.11総選挙は、稀代の弱脳首相小泉の爬行的裁断により突入した。今自民党内は未曾有の分裂に揺れており、小泉政権イエス派とノー派が血で血を洗う抗争過程に入っている。この時、我が日共の不破ー志位ラインは如何なる選挙戦略戦術に耽っているのか。彼らは選挙後、こたびの事象をも逆風とみなすのだろうか。

 その昔、不破は人民的議会主義なる標語を打ち出し、その後の選挙戦略戦術の指針としてきた。その結果は、70年代には登り竜したもののその後一進一退し始め、ここ10年のスパンでは明らかに退潮傾向をみせている。この間、日共は、選挙専一運動に転換しており、選挙及び議会闘争で見るべき成果を生み出さなかったら党的存在根拠は何もない。そう断定してよいほど畸形化した党運動を続けている。

 今や、不破式議会主義の功罪を総括せねばなるまい。

 今頃になってと云うべきか、日共の小選挙区しただけ立候補による野党内分裂方式の愚行が批判され始めている。もとより野党第一党の民主党が人民大衆的に見てメガネに叶うとは思えない。しかれども、確実に政権交代のチャンスが訪れており、この機会を失するならば逆に自公磐石体制が長期安定的に敷かれることが予想される故に、日共の選挙戦術に関心を持たざるを得ない。

 そういう中にあって、2005.9.5日、日共委員長・志位は、日本外国特派員協会で記者会見し、「郵政法案再提出の場合、反対勢力結集目指す。法案に反対するすべての政党に国会共闘を呼びかけたい」と述べたとのことである。

 他方、「郵政民営化そのものに反対をつらぬく日本共産党がのびることが、小泉・民営化法案をほうむるうえでも、いちばんたしかな力になることを訴えて、選挙戦で大いに前進を期したい」と強調し、国会共闘との関係で、選挙後の野党の政権共闘の可能性について質問が出されるや、「政権協力の余地はない」と改めて否定したとのことである。

 要するに民主党その他野党諸党をイラマカシていることになる。国会共闘の引き出しと、政権協力の余地はない引き出しを交互に操りながら、分裂選挙を仕掛けて独善しつつ辻褄の合わないことを饒舌している。

 その志位は党首の面子に賭けて小選挙区で闘うこともせず、南関東ブロックの比例第一位に鎮座し、執行部の責任数値を設けず、「オラが正しい、オラのところが一番」とラッパを吹いている。以上まとめて、そったらバナナな話が有るだろうか。

 日共の当選見込みのないしただけ立候補戦術と野党間の分裂選挙の恒常化は、果たして左派運動の戦略戦術からみて適正なのだろうか。その参考になるのがマルクス・エンゲルス共著の「共産主義者の宣言」の示唆であろうと思われるので以下これを検証する。「共産主義者の宣言」の指針と如何にかけ離れているかとくとご照覧あれ。

 以下は、「日共不破の人民的議会主義論の犯罪的役割考」(http://www.marino.ne.jp/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron_hosoku17_gikaisyugico.htm)に記した。

 2005.9.6日 れんだいこ拝

【「共産主義者の宣言」から汲み取るべき政策考】
 「共産主義者の宣言」の指針するプロレタリア運動の選挙政策について確認する。現下の社共運動が如何に逸脱しているか、現下の新左翼運動が如何に逸脱しているかを晒してみたい。手前味噌ながら「『共産主義者の宣言』考」(http://www.marino.ne.jp/~rendaico/marxismco/marxism_genriron_gensyo_sengen.htm)をテキストとする。

 1948年、国際的組織として結成された共産主義同盟同盟の綱領として発表された「共産主義者の宣言」は、各国各地の共産主義者に次のような態度を採るよう指針させた。


 「第1章、ブルジョアとプロレタリアート」の項で次のように述べている。
 プロレタリアの階級的組織化、結果として政党への組織化は、労働者間の競争により何度も生み出されては潰える。しかし、何度も試行錯誤するうちにそのたびにより強く、より強固に、より有力なものになっていく。この組織化は、ブルジョワジー間の分裂をうまく利用することによって、労働者の特定の利害を法的に承認するよう迫る。こうしてイギリスでは十時間労働法に取り組んだ。

(私論.私見) 
 これによれば、プロレタリア運動は、大衆運動から政党運動へ乗り出し、何度も試練を経ながら「労働者の特定の利害を法的に承認するよう迫る」。イギリスに於ける十時間労働法はその成果である、として肯定的に述べていることが判明する。


 次のようにも述べている。
 内容においてではなく形式上は、プロレタリアートとブルジョワジーとの闘争は、まずは国内闘争である。個々の国のプロレタリアートは、もちろんなによりもまず、自国のブルジョワジー相手に諸問題の片をつけなくてはならない。
(私論.私見) 

 これによれば、プロレタリアートとブルジョワジーとの闘争が、まずは国内闘争として展開されることを指摘している。各国に於いて、国内間のこの階級闘争に勝利することが要請されている。

 次のようにも述べている。
 プロレタリアートの発展のもっとも一般的な諸段階を描写するとすれば、我々は、現下の社会内で盛んになっているのに多かれ少なかれ隠されている市民戦争(内乱)を跡づけて、内乱が公然たる革命を勃発させ、ブルジョワジーの暴力的打倒がプロレタリアート支配の基礎を築く地点に到達する。
(私論.私見) 

 これによれば、階級闘争の激化がいずれ市民戦争(内乱)に至り、内乱が公然たる革命を勃発させ、ブルジョワジーの暴力的打倒を通じてプロレタリアート支配の基礎が築かれることを見通していることになる。

 「第2章、本文2、プロレタリアと共産主義者」の項で次のように述べている。
 共産主義者は、どういう関係において全体としてプロレタリアの人々を支持するのか? 共産主義者は、他の労働者階級の諸党派に対立するような別個の党派を組織するものではない。共産主義者は、全体としてプロレタリアートの人々と分離したりその一部でしかないような諸利益を持たない。共産主義者は、どのようなものであれ特殊(セクト的)な諸原則を提起しない。セクト的な諸原則は、プロレタリア運動をその型にはめこもうとするものである。
 共産主義者が他の労働者階級の諸政党から区別されるのは、ただつぎの点だけである。すなわち
(1)  異なる国々でのプロレタリアの国内闘争において、共産主義者は、全プロレタリアートの共通の、一切の民族主義に左右されない利益を全面に押し出しつらぬく。
(2)  労働者階級のブルジョアジーに対する闘争の様々な成長段階において、共産主義者は常に且つどこにおいても運動全体の利益を代表し体現する。
(私論.私見) 

 これが、マルクス主義者の運動論の骨格でありエッセンスである。共産党と云う独自の党派を結成して、唯我独尊セクト的に政治活動するものではないと示唆している。逆に云えば、「他の労働者階級の諸党派」を左から支える運動を推進することこそが肝要と述べていることになる。これに照らせば、人民的議会主義という名の下に展開されてきた日共不破式独善主義的議会主義運動は、犯罪的な党派運動を推進していることになろう。

 次のようにも述べている。
 だから、共産主義者は、実践面では、あらゆる国の労働者階級の党のもっとも進んだ自覚的な部門であり、全ての他の者達の前衛として推進していく部門であり、理論面では、大多数のプロレタリアートよりも、プロレタリア運動の進むべき道筋や条件、究極の一般的成果をはっきりと理解している点で優れている者達である。
(私論.私見) 

 これによれば、「他の労働者階級の諸党派」を左から支える運動を推進する」ことの出来る共産主義者は、故に実践面でも理論面でも秀でている者達で無ければならない、ということになる。

 次のようにも述べている。

 共産主義者はさらに、国家(祖国、country)と民族性(nationality)を廃止しようと望んでいるとして非難されている。労働者は国家(祖国)を持たない。持ってもいないものを、取り上げることなどできない。

 プロレタリアートは、なによりもまず、政治的支配権を獲得せねばならない。国家の支配階級にまで成り上がらねばならない。自らが国家として、更に云えば、言葉上ブルジョワ的な意味とは又違うそれ自身が国家的なものとして形成されねばならない。

(私論.私見) 

 これによれば、共産主義者は、国内闘争に責任を持つ立場であるが、排外主義的な国家主義、民族主義には陥らない。そういう見地からプロレタリアートの政治的支配権獲得闘争を支援し、革命政権を樹立し、国際主義的協調政治を追及する国家を形成することを責務とせねばならない、ということになる。

 次のようにも述べている。
 労働者階級による革命の第一歩は、プロレタリアートを支配階級の地位へ持ち上げること、民主主義を廻る闘争で勝利を収めることである。
(私論.私見) 

 これによれば、労働者階級の革命運動は、「プロレタリアートを支配階級の地位へ持ち上げること、民主主義を廻る闘争で勝利を収めることである」。

 次のようにも述べている。
 プロレタリアートは、政治的支配権を使って、ブルジョアジーから全ての資本を次第にねじ伏せるようにして奪い取り、支配階級として組織されたプロレタリアートの権力を使って全ての生産用具を国家の手の上に集中せしめるよう、意欲的に使うべきだ。そして、全生産能力を可能な限り急速に増大させるようにし向けねばならない。
(私論.私見) 

 民主主義を廻る闘争で勝利を収め政治基盤を確保した次に向うのは、政治的支配権を使って、生産用具の社会化(国家化)に向わねばならない、ということになる。留意すべきは、それが「全生産能力を可能な限り急速に増大させる」方法であり道筋である、と云う。「全生産能力を可能な限り急速に増大させる方法としての生産用具の社会化(国家化)」は不即不離という認識が必要なように思われる。

  次のようにも述べている。
 これらの方策は、勿論、国が異なればいろいろなものになるだろう。とは言っても、もっともすすんだ国々では、つぎの諸方策がかなり一般的に適用されるであろう。
土地所有を廃止し、全ての地代の分配を公共目的に充当する。
重い累進税又は等級制所得税。
あらゆる相続権の廃止。
全ての国外移民者(亡命者)及び反逆者の財産没収。
国家内の諸銀行の信用(クレジット)を中央集権化する。国家資本と排他的独占権を持つ国立銀行を通じて為される。
通信、交通及び運輸機関の国家の手への中央集権化。
国家に帰属する工場及び生産用具の拡大。未開拓地の開墾及び総合的な共同と計画による土地改良。
労働に対する万人の平等な義務。産業軍の編成、とくに農業の為のそれ。
農業と近代産業の結合。国中の民衆に対するより平等な分配を通じての都市と農村の差異の漸次的解消。
10 公教育の場での全児童に対する無料教育。現在の形態での児童の工場労働の廃止。教育と産業的生産との結合、等々。
(私論.私見) 

 これによれば、「全生産能力を可能な限り急速に増大させる方法としての革命政権の青写真政策」として、土地占有制、累進課税、相続権廃止、海外移住者の国内資産の没収、官営中央銀行の下での官民共存、通信・交通・運輸の官営化、官営企業の拡大、国家的総合開発計画の策定、平等な労働義務、都市と農村の格差是正、無料義務教育、児童労働の禁止、産学協同が掲げられている。

 今時の問題で云えば、「官営中央銀行の下での官民共存棲み分け、通信・交通・運輸という主要産業の官営化」は社会主義的基盤作りから必要で有り、戦前の戦争遂行体制化によりたまさかそういう仕組みになっている戦後社会主義的要素のものを民営化へ向けるのは、歴史的逆行ということになろう。官の腐敗は、それはそれとして質せばよく、民にすれば解決するという問題でもなかろう。

 「第4章、種々の抵抗党に対する共産主義者の立場」の項で次のように述べている。

 共産主義者と、イギリスのチャーチストやアメリカの農地改革派のような現存する労働階級党との関係を明らかにした。共産主義者は、労働階級が直面している利害を擁護せんとして目下緊急の目的を達成するために闘う。しかし当面の運動の中にあっても、運動の未来を気にかけている。

(私論.私見) 

 これによれば、共産主義者は、党派的利益を追い求めるのではなく、「常に運動の未来を気にかけ」、全体の情勢を左からこじ開けていくことを任務とすべし、と指針している。

 次のようにも述べている。
 フランスでは共産主義者は、保守的ブルジョワジーや急進的ブルジョワジーに対抗して、社会民主主義者と同盟している。しかしながら、大革命から伝統的に受け継いだ空文句や幻想については、批判的立場をとる権利を保持している。

 スイスでは、共産主義者は急進派を支持している。しかし、この党が、フランス的な意味での民主社会主義者党の一部、急進的ブルジョワ党の一部のような対立する諸要素から構成されていることを見落としてはいけない。

 ポーランドでは、共産主義者は、国民解放の第一条件として農業革命を主張する党を支持している。この党は1846年のクラカウ反乱を引き起こした党である。

 ドイツでは、共産主義者は、ブルジョワジーが絶対君主制、封建的地主階級、プチ・ブルジョワジーに対抗して、革命的にふるまっている限りで、ブルジョワジーと共闘している。

(私論.私見)

 これによれば、共産主義者は、常に批判的立場をとる権利を保持しつつ、フランスでは社会民主主義者と同盟し、スイスではブルジョア急進派を支持し、ポーランドでは農業革命派を支持し、ドイツでは革命的ブルジョワジーと共闘すべし、と指針している。つまり、共産主義者が各国各地に共産党を創設するまでは良いとしても、独善主義に陥ることなく「歴史的判断」で共同戦線運動を展開するよう示唆していることになる。

 次のようにも述べている。
 しかし、共産主義者は、労働階級に、ブルジョワジーとプロレタリアート間の敵対について、できる限り明確に認識することを教え込むことを、一瞬たりとも止めない。それは、ドイツの労働者がただちに、ブルジョアジーがその支配とともに不可避的にもたらさざるをえない社会的および政治的諸条件を、そのまま武器としてブルジョアジーにむけることができ、こうしてドイツの反動的諸階級をたおしたのち、ただちに、ブルジョアジー自身にたいする闘争を開始するようにするためである。
(私論.私見)

 これによれば、共産主義者は、批判的立場をとる権利を保持しつつブルジョアジーとの共闘をも含めて情勢の左傾化に向けて尽力すべし、と指針している。

 次のようにも述べている。
 共産主義者はその注意を主にドイツに向けている。なぜなら、ドイツが、ヨーロッパ文明のもっと進んだ状態の下で、また17世紀のイギリスや18世紀のフランスよりももっと発展したプロレタリアートをもって行われるブルジョワ革命の前夜にあるからである。それにまた、ドイツでのブルジョワ革命は、その後直ちに引続くプロレタリア革命の序曲でしかないからである。
(私論.私見)

 これによれば、共産主義者は、ブルジョワ革命の前夜を直ちに引続くプロレタリア革命の序曲として取り組むべし、と指針している。

 次のようにも述べている。

 手短に言うと、共産主義者はどこでも、現存する社会的、政治的秩序に対するあらゆる革命的運動を支持する。こういう運動のすべてで、共産主義者は所有問題を、その時それがどんな発展度合にあろうとも、それぞれの運動の主要問題として、前面に立てる。最後に、共産主義者はどこでも、あらゆる国の民主主義諸政党との同盟と合意に向けて骨折り労を為す。

(私論.私見)

 これによれば、共産主義者は、どこでも、あらゆる国の民主主義諸政党との共同戦線を引き受け、現存する社会的、政治的秩序に対するあらゆる革命的運動を支持して骨折り労を為すべし、と指針している。蛇足ながら、自己都合的統制主義的な統一戦線理論ではない。

 次のようにも述べている。
 共産主義者は、自分の見解や目的をかくすことを恥とする。共産主義者は、自分たちの目的が、現存する社会的諸条件を暴力的に転覆することによってのみ達成できることを、公然と宣言する。支配階級をして共産主義者革命のまえに戦慄せしめよ! プロレタリアは鉄鎖のほかに失うものも何も無い。プロレタリアには、勝ち取るべき世界がある。
(私論.私見)

 これによれば、共産主義者は、自分の見解や目的をかくすことを恥とし、暴力革命の必然性をも論証しつつ理論活動に邁進すべし、と指針している。

【「共産主義者の宣言」から何を学ぶべきか考】
 以上見てきたような「『共産主義者の宣言』から汲み取るべき政策」から、我々は何を学ぶべきだろうか。れんだいこは何を語ろうとしているのか。賢明な者には既に解説不要だろう。

 肝要なところのみ述べれば、今や共産主義者は自前の党派結成を当たり前としているからしてそれは歴史的事情として受け止めるものの、問題は、真性の左派運動は不断に共同戦線を求め、縁の下の力持ちとなって汗を流す運動を組織すべきであるということであろう。それらの諸活動を通じて活動家の能力と党的能力を高めていくような運動を目指すべきではなかろうか、ということになる。

 それを思えば、日共の独善主義路線が如何に「共産主義者の宣言の指針」から外れていることか。逆に、権威主義、排他主義、統制主義、お山の大将主義を押し出していることか。それらは全ては邪道と心得るべきではなかろうか。今現在の問題で云えば、日共の野党内分裂主義による結果としての自公体制補完戦術こそ最も唾棄される手法ではなかろうか。我々は、口先では「ホンモノの野党」を饒舌し、実践的に権力安定に奉仕するかような遣り方に憤然と抗議すべきではなかろうか。

 この間の日共の選挙戦術は社会党を喰ってきただけのことではないのか。その社会党が極端に細った為に共倒れしてしまい、お陰でこの間右派勢力を肥大させている。つまり、この間の日共の議会闘争は、右派勢力増進剤の役目を果たしたのではないのか、という視点が欲しい。これを偶然の所為と見るのか意図的故意とみなすべきか、意図的と凝視するのがれんだいこ史観である。

 とはいえ、それを指をくわえて見過ごしたその他左派政党のお粗末さも言語道断であろう。未だそういう日共にとって代わる運動を創出しえていないではないか。つらつら思うにまず手始めに左派圏内に覆う狭量主義を切開せよ。認め合うところは認め合い批判しあうところはしあうという最低限の公理の確認から再スタートせねばなるまい。そして目指すべきは共同戦線であり、その切磋琢磨の中から新時代造りのエネルギーが生まれるとみるべきではないのか。果実は未来に託す、それで良いではないか。

 2005.9.3日 れんだいこ拝




(私論.私見)