不破理論解析考(十八)「2004不破綱領」考

「2004不破綱領」考 れんだいこ 2004/01/24
 2004.1.13日、日共の第23回党大会が開かれ、「1961宮顕綱領」を更に右傾化させた「2004不破綱領」を採択した。このことにコメントしておく。

 こたびの日共第23回党大会の歴史的意味は次のことに有る。

 その一つは、情況的折柄における反動性である。我が日本は、小泉首相ラインの下で戦後初の公然軍事派兵を強行しつつある。これに最も果敢に闘わねばならない時、何と日共党中央は自衛隊の「当面容認、将来に任す論」をぶち上げ、間接的に且つ露骨にイラクへの自衛隊派兵を容認したことにある。

 その論法は、政府自民党と最も徹底的に闘うと云いながら、各選挙区に当選見込みも無い候補者を立てることにより、政府自民党を利する戦術を駆使している様と相似している。「最も政界変動を好まない官僚主義的にして衆愚政治の水先案内人、口先とは別に裏からの体制補完勢力として機能している」日共をそれとして凝視せねばなるまい。

 れんだいこは、この党中央を全く信用していないので驚きはしないが、普通の感性さえあれば、自衛隊論を最も厳しく展開せねばならない折柄にあっては、その自衛隊の容認論を説くような論議は暫く棚上げするのが常識であろう。しかし、この党中央はいつも肝心なときに逆のことをやる。結果的に国旗国歌法案の呼び水役を果たしたのもこの党であり、全てにおいて云うこととやることが背反しているという底なしの裏切り性をそれとして疑惑せねばなるまい。

 付言すれば、戦前党運動史上の1936(昭和11).7月頃、モスクワに居た野坂がコミンテルン指示として次のような「日本共産主義者への手紙」を送って来ている。この時の指針がこたびの不破の遣り口と似ていることに気づかされる。

 「日本共産主義者への手紙」は、当時の党の一般的見解を復唱したあと、現段階の重要戦術として、反軍闘争を融和させる次のような詭弁を弄している。概要「反戦反ファシズムのための全人民の人民戦線の結成である。その為には、左翼、農村はもとより自由主義、進歩主義の団体より進んで官製組織、青年団、在郷軍人会にまで潜入し、幹部を孤立せしめ大衆を獲得しなければならぬ。その際、合法場面の利用、偽装に努めるとともにアジプロ活動は高度な観念的なるものを排し、時と場合に応じ大衆生活に即したものを取り上げ、常にこれを戦争反対、ファシズム反対に結合するを要する」。

 注意を要するところであるが、野坂の指示は、要するに左翼用語を使いながら「投降型の運動」を指針させたということである。「進んで官製組織、青年団、在郷軍人会にまで潜入し、幹部を孤立せしめ大衆を獲得しなければならぬ」というのは方便で、要するに「これまでのように官製組織、青年団、在郷軍人会と敵対するのではなく、加盟して上手ににやれ」というところに眼目がある。

 しかして、その結果は、戦争協力動員への加担である。彼らは、この真意を上述のような話法で行う。バカな者はいつも口先に騙される。

 ついでに、次の一文も紹介しておこう。1961.1.14日アカハタは、「16日にはデモの形で羽田動員を行わないとする国民共闘会議の決定を、これを支持する我が党の方針は、多くの民主勢力によって受け入れられている」声明を発表している。

 1.16日、岸全権団の渡米阻止のための大衆運動計画が立てられるや、党中央は、信じられないことだけども、岸全権団の渡米にではなく、渡米阻止闘争に猛然と反対を唱えて、全都委員・地区委員を動員して、組合の切り崩しをはかったという史実がある。

 この時の論法がこうだ。「(岸首相の渡米出発に際しては)全民主勢力によって選出された代表団を秩序整然と羽田空港に送り、岸の出発まぎわまで人民の抗議の意志を彼らにたたきつけること」(アカハタ.60.1.13)。

 考察されることが皆無であるが、この時のアカハタ主張「(岸首相の渡米出発に際しては)全民主勢力によって選出された代表団を秩序整然と羽田空港に送り、岸の出発まぎわまで人民の抗議の意志を彼らにたたきつけること」とは何という詭弁だろう。

 @・選出代表団で、A・秩序整然、B・「送り出し」とくれば何もしないという意味である。ところが、C・人民の抗議の意志を彼らにたたきつけることとなる。つまり、言葉尻だけの戦闘性であるが、こういう話法をうまく使う。この調子のペテン論理に騙されてきたのが宮顕系党中央下の党員であるということになる。

 れんだいこの云いたい事はもうお分かりだろう。こたびの「2004不破綱領」は、全編こういう類の論法に貫かれているということだ。しかし、それでも有り難く拝戴しておべんちゃらを云い続ける党員に事欠かない。もう好きにせい、という気分になるのもむべなるかな。

 もう一つ、こたびの新綱領採択に纏わる歴史の不思議にも触れておこう。「2004不破綱領」は、宮顕系日共運動の最終的到達点であり、その本質を露骨にさらけ出している。見るものから見れば、その腐敗ぶりが満展開されており、採択直後から既に死臭を漂わせている。

 戦後日共運動は、敗戦による獄中共産党員の釈放から始まる。この時代は徳球系執行部によって担われた。ところが、1947年の「2.1ゼネスト」に挫折し、1949年の「10月革命」に全てを賭けるがこれまた失敗に帰する。

 戦後革命が流産したことを見て取ったスターリンが、1950年初に「スターリン論評」を発表する。論評は、野坂の提唱していた「議会主義的平和革命」の虚構を激しく非難していた。

 この批判にどう対処するのかを廻って党内は「1950年分裂」に陥る。徳球系執行部は自主独立的に乗り切ろうと図ったが、反主流各派は「スターリンの指導に服することが国際主義である」とする見地から、「スターリン論評」を全面的に受け入れるよう批判を開始した。

 こうして、党内は、徳球系(所感派)と宮顕系(国際派)に二分され、二重執行部状態に入った。この時期に朝鮮動乱が発生しており、日共はこれに対して何らの有効な対応が取れないと云う無能さを呈することになった。

 この分裂は、北京に亡命した徳球の客死、続くその忠実な後継者伊藤律の幽閉と云う事態を経て徳球系の敗北で終息する。代わりに党中央を乗っ取ったのが宮顕であり、当初はおずおずと登場してきたもののやがて未曾有の独裁体制を敷き始める。「1961年宮顕綱領」はその凱歌であった。

 反徳球系で轡(くつわ)を並べていた春日(庄)派、志賀派、神山派、親中共派は各個撃破的に次々と放逐され、その度に宮顕独裁体制は強められていった。宮顕独裁体制はその後継者に不破を生み出し、今日まで至っている。

 この系譜誕生の端緒が1954年であり、「2004不破綱領」が採択された2004年から見て丁度50年前のこととなる。歴史の不思議なところであるが、思えば「2004不破綱領」はまさに半世紀目の節目に己の悪行を完遂させたことになる。

 かくして、「2004不破綱領」が歴史に記録されることになった。「2004不破綱領」は、日本左派運動のみならず国際左派運動からみても極右派系綱領として、今後嘲笑され続けていくことになるだろう。ヨイショする者はし続ければ良かろう、追って沙汰が為されよう。

 2004.1.24日 れんだいこ拝

 この記念碑的「2004不破綱領」を以下検証する。

 補足しておけば、
さざなみ通信トピックス欄でS・T編集部員より次のような指摘が為されている。これにれんだいこのコメントをつけながら紹介しておく。まず、「2004不破綱領」を評して、「今回の綱領改定案の採択によって、日本共産党が最終的に過去の革命的伝統と決別し、改良主義的な社会帝国主義政党へと変質することになることはほぼ間違いない。これは、事実上、共産党清算大会である」と評している。「1961宮顕綱領」を「2004不破綱領」の「先駆け」と見なしていない点で同意し難いが、云わんとしている趣旨は分かる。

 「共産党幹部に政治的良心や人間的誠実さを求めるのは、自民党議員に政治倫理を求めるのと同じぐらい愚かなことなのである」と述べている。事実その通りなのだが、いわゆる共産主義者の指導部がそのような人種に牛耳られているのは偶然なのだろうか、更に問い掛けたい。

 「不破哲三の真の師匠はベルンシュタインである。不破は、ベルンシュタインの主著を読めば、自分の発見と思い込んでいた理論がすでにそこに見出されることを知るだろう。ただベルンシュタインの場合と決定的に違うのは、まず第一にベルンシュタインが当時のドイツ社会民主党の右派少数派にすぎず、その左には中央派と左派という有力な多数派潮流が存在していたのに対し、日本ではベルンシュタイン派が党の最高指導者であり、その左には何も存在しないことである。つまり、日本共産党は理論的・政策的には純粋なベルンシュタイン主義の党になった。

 第二に、ベルンシュタインがあくまでも党内民主主義を尊重し、多数派の意見に反対して自己の信念を公然と語る勇気と人間的誠実さを持っていたのに対し、日本のベルンシュタインは、党内民主主義を一顧だにせず、何十年も宮本多数派への面従腹背を行ない、自己の信念を隠しとおし、左派の振りをして指導権を握り、そして最高指導権を握るやいなや過去の伝統と決別し始めたということである。日本のベルンシュタインは、本家のベルンシュタインの100倍も卑劣であり、100倍も不誠実である」。

 これは良い指摘である。但し、不破路線が日本式ベルンシュタイン運動かカウツキー主義運動か議論の余地はありそうである。

 2004.12.24日 れんだいこ拝


 2004.1.13日、共産党の第23回党大会が、平成12年11月以来3年2カ月ぶりに開かれた。前回党大会当時に比べ党員数は4万3千人増の40万3780人、機関紙「しんぶん赤旗」の総発行部数は同27万部減の173万部に落ち込んだことが公表された。

 概要「海外の代表と外交団は、アメリカ、イタリア、インド、キューバ、チェコ、中国、チュニジア、ドイツ、ニカラグア、ハンガリー、フランス、ベトナム、メキシコ、ラオスの14カ国の代表が参加(24名)。他に、アンゴラ、インドネシア、ウクライナ、キューバ、タイ、中国、チュニジア、パレスチナ、ブルガリア、ベトナム、ベネズエラ、ラオス、リビア、ロシアの14カ国の大使あるいは外交官が参加」。

 この大会の眼目は、「2004不破綱領」の採択如何にあった。綱領は党の理念や基本的な政治路線を定めた党の憲法とも云うべきもので、現「1961宮顕綱領」は、1961(昭和36)年に宮本顕治(当時議長、現名誉役員)の主導で採択された。今回の改定は、過去4回の一部改定を経て43年ぶりの全面改定となる。

 
宮顕が引退した1997年以降、不破議長−志位委員長が進めてきた「現実・柔軟路線」の総決算となる。これを証するように、不破議長が挨拶と綱領改定案の報告、志位委員長が大会決議案についての報告を行なうなど不破―志位コンビが終始大会をリードした。

 理論面を担当した不破は、概要「現綱領の基本を受け継ぎながら、その内容をより現代的、合理的に発展させた」ことを自負し、実践面を担当する志位は、「憲法9条を守り抜く国会勢力をどれだけ前進させるか。参院選で目標達成を勝ち取り、改憲勢力に痛打を浴びせる結果を出そう」と呼び掛けた。
 1.17日、大会最終日となり、新綱領が採択された。採決は、1006人の代議員の挙手で行われ、1人が反対したものの、残りは賛成だった。この一人の反対者は、京都府の30代の男性代議員で、概要「内容に異論はないが、文章の書き方に納得がいかない。民主主義革命を規定した章では政策を並べるのではなく、現綱領のように、『党は何々する』という書き方にすべきだった」との趣旨から反対した。

 同党によると、綱領の改定をめぐって反対者が出たのは61年の第8回党大会以降では初めてとのことであるが、凡そヤラセの反対であり、反対意見の内容を見れば検閲済みの愚劣極まるものでしかなく、この党中央の「開かれた党」演出の精一杯の小細工であることが分かる
 1.17日午後、役員選考委員会、役員選挙管理委員会、資格審査委員会の報告をうけ、役員選挙の投票がおこなわれた。投票の結果、中央委員百二十九人、准中央委員十九人を選出、新中央委員会の成立を確認した。幹部人事は、不破哲三議長、志位委員長、市田忠義書記局長の続投、3人の副委員長の留任となった。選出された常任幹部会委員21人は次の通り。(敬称略、新は新任)荒堀広、石井郁子、石灰睦夫、和泉重行(新)、市田忠義、岩井鉄也、上田耕一郎、上田均、太田善作、大幡基夫、緒方靖夫、小池晃(新)、穀田恵二、志位和夫、関口孝夫、西口光、浜野忠夫、広井暢子、不破哲三、若林義春、和田一男。

 大会の締めくくりに、「7月の参院選に向け、(1)・党員50万人、(2)・「しんぶん赤旗」読者30%増−を課題とし、12議席の獲得(選挙区7、比例代表5)の獲得」を指針させた決議を採択した。決議では、「2大政党制では政治は変えられないことを明らかにする」との独自路線が強調されている。

 大会最終日、中央委員会を代表して志位委員長が大会決議案についての討論の結語を、不破議長が綱領改定案についての討論の結語を、それぞれおこなった。赤旗は、「新しい時代を開こうとする開拓者の集団として綱領を大いに語っていきたい」、「希望ある未来社会論を国民に語れるのは日本共産党だけ。帰ったらすぐに街頭から訴える」、「悩んでいたが。青年・学生のパワー結集へ勇気をもらった」なる代議員の感想やら決意を恣意的に紹介している。

 最後に不破議長が閉会のあいさつをのべた。不破は、大会準備の過程でも「不屈の党」、「科学の党」の真価が発揮されたとのべ、党大会の成果として(1)新しい綱領が二十一世紀における社会進歩の事業の道しるべとなる。(2)課題に挑戦する勇気のある決断が会場にみなぎった。(3)海外の代表と日本共産党との間の連帯が深まるすばらしい機会となったと強調。「全党の英知と努力、奮闘によってかちとった党綱領と大会決議をかかげ、二十一世紀における日本共産党とその事業の躍進と当面する参院選挙で確実に前進めざして、知恵と力のすべてをつくそう」とよびかけた。



【「2004不破綱領」考】

 「2004不破綱領」の要旨は次の通り。
【「革命の方式規定」を廻って】
 「1961宮顕綱領」(旧綱領)の「非強行転化式二段階革命論」(民主主義革命に着手すべきで、次に社会主義、次に共産主義社会の実現をめざすという論法で、社会主義、共産主義を直接的には目指さないとする右派化された革命論)を引き続く基本路線として継承した。つつ、更に右傾化させ、民主主義革命から社会主義への過渡期論をほぼ完全に切り捨てた。
【「打倒対象敵論としての二つの敵論」を廻って】
 旧綱領は、「アメリカ帝国主義」と「日本独占資本」を「二つの敵」として民族独立・民主主義革命によって打倒するという、いわゆる「二つの敵論」に基づいていたが、新綱領では曖昧玉虫色にされた。
【「革命の性格規定論」を廻って】
 当面の革命を「反社会主義型民主主義革命論」として純化させ、社会主義・共産主義的運動をほぼ完璧に彼岸化させた。

 次のように述べている。「現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義敵な改革の実現を内容とする民主主義革命である。それらは、資本主義の枠内で可能な民主的改革であるが、日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢力から、日本国民の利益を代表する勢力の手に国の権力を移すことによってこそ、その本格的な実現に進むことができる」。

 これに伴い、私有財産の保障を明記した。但し、私有財産について、その資本主義的生産に関わる私有財産制と個人財産的私有財産の識別をせぬままに「私有財産の保障」としており、その腐敗の度を深めている。
【「前衛党的任務の放棄論」を廻って】
 前衛党としての役割を公然と放棄した。次のように述べている。概要「社会主義・共産主義への『前進』には国民合意が前提」云々。
【「革命の青写真不要論」を廻って】

【「改良運動の定式化」を廻って】
 運動論として、「資本主義の枠内で可能な民主的改革」、「(当面は)資本主義の枠内の改革」論を打ち出し、更なる右傾化路線を定式化させた。
【「民主連合政府論」を廻って】
 概要「幅広い勢力と連携して民主連合政府の樹立を目指す」方針は堅持した。但し、過去の期限明示にも関わらず不発したことの弁明の無いままに、引き続きの任務として掲げた。

 「第三に、日本共産党が前進・躍進してこそ、自民党政治を変えるしっかりした野党戦線を築く道も開かれる」、「単独政権でなく、統一戦線を基礎にした民主連合政府をめざす党である。国政における日本共産党の政治的比重を大きく高めることは、やがては民主的政権をになう政党間の連携をつくりあげていく力となって働くだろう」。

 このように説いてはいるが、本来なら「70年代の遅くない時期の民主連合政府樹立論」から「21世紀初頭の民主連合政府樹立論」へと変遷し、今日では時期の明示がし得ない民主連合政府樹立論に帰着していることについてお得意の「科学的」分析が必要であろうに。

【「議会制民主主義論」を廻って】
 反対党を含む複数政党制、選挙で多数を得た政党が政権を担当する政権交代制を明記した。但し、民意の結果に対する政党執行部の責任論は不問にしている。
【「民主的社会にふさわしい市民道徳の規準の確立論」を廻って】

 「民主的社会の形成者にふさわしい市民道徳の規準を、国民的な討論と合意で確立していくことは、今日とくに重要である」としている。「わが党も、一九七〇年代、八〇年代に、教育の場で、学力、体育、情操とともに、市民道徳を身につける教育の重要性を呼びかけ、九七年の第二十一回党大会決議では、市民道徳にふくめるべき内容として、十項目の諸点を提起してきた。こうした努力にもかかわらず、“何を市民道徳の規準とするか”という問題について、必ずしも国民的合意が存在しているとはいえないという現状がある」

 くだらないこと書き付けるより、筆坂セクハラ失脚問題に対し、市民が納得行くような説明と解決する方がよほど市民道徳形成に役立つだろうに。


【「日米安保条約」を廻って】
 「日米安保条約を、第10条の手続き(米国政府への通告)によって廃棄し、アメリカ軍とその軍事基地を撤退させる。対等平等の立場にもとづく日米友好条約を結ぶ」としており、単なる願望を述べている。

 なお、不破は、80年代に社会党が自衛隊容認論に転換したときの批判をどう整合させるのか。云い放しの云い得では無いか。
【「憲法」を廻って】
 護憲的姿勢を引き続き担保した。「現行憲法の前文をふくむ全条項を守り、とくに平和的民主主義諸条項の完全実施をめざす」と述べている。
【「自衛隊」を廻って】
 従来の存在否定論から「当面容認」に転換させた。旧綱領で「解散を要求する」とあったのを、「(日米)安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意で憲法9条の完全実施(自衛隊解消)に向かって前進を図る」との玉虫表現で、当面の存続を容認した。「海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる」と、これまた単なる願望に終始している。
【「天皇制」を廻って】
 従来の否定論から「当面容認」に転換させた。「憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」と、天皇制存続を当面容認させた。

 ところで、不破は、第20回党大会において次のように発言している。「そういう展望にたって、世界史の流れを見るとき、君主制の廃止と民主共和国の実現が、文字どおり20世紀の人類の進歩のとうとうたる本流となっていることは、重要であります。実際、20世紀のはじめには、世界全体を見渡しても、まともな民主共和国は、スイス、フランス、アメリカの3ヵ国しか存在しませんでした。主だった国は圧倒的に君主制の国でした。君主制国家が世界の大多数をしめているというのが20世紀の出発点だったのです。それが、20世紀の90年代を迎えた今日、君主制と共和制がしめる世界的な比重は完全に逆転しました。国連加盟184ヵ国のうち、君主制の国家はわずか29ヵ国、国連に加盟していない君主制の国トンガをくわえても30ヵ国、あとは多少の色合いのちがいはあれ、すべて共和制の国家というのが、世界の現実であります。
 日本が、憲法で主権在民の原則をうたいながら、君主制が残されている世界で数少ない国の一つになっていることの意味を、この民主主義の世界史的な流れのなかで見定めることは、今日きわめて重要な問題です」。

 この論法とこたびの綱領の弁論と如何なる整合性ありや。よしんば、「従来の否定論から当面容認論に転換させるなら」それなりの弁明をしておくことが「道理有る態度」では無かろうか。


【「2004不破綱領」の表記替え考】
 「憲法の平和と民主主義の理念を生かした教育制度・行政の改革を行う」との文言を追加するなど62カ所の修正があった。他方で、革命色の強い「前衛党」、「君主制の廃止」などの表現を削除した。従前の綱領にあった「闘争」という言葉をあえて削除して「運動」という表現に置き換えた。

【「2004不破綱領」採択時の他党批判考】
 民主党に対して、「衆院選の経過から見て、民主党はルビコン(川)を渡った。憲法問題で態度を不鮮明にしていたのに、公然と改憲に踏み切った」と批判した。

【不破の「2004不破綱領」自画自賛考】
 不破は大会後の記者会見で、「(全面改定した)綱領で提起したすべてが参院選の力になる」と強調し、議会主義の観点からこれを自画自賛した。関心がここにあるのは分かるが、あまりにも視野狭窄的な位置付けであることが分かる。

 この不破の口車に乗っても、ならば「2004不破綱領」が次の参院選で力にならなかったらどうするのか、という問題が発生することになる。

【「不破式運動論に見る大衆闘争嫌悪」考】
 常に道理と道徳を説くこの御仁による運動論は結局、支配階級及び体制から見て議会主義と選挙運動への埋没を指針させるまことに結構な恭順を説法してくれるものでしかない。




(私論.私見)