補足(17)―3 不破の異常性格考−オオウソつき性と私物化性
 ここにきて、不破の異常性格ともみなせるウソツキぶりが暴露されつつある。爾来その場凌ぎの弁明の英才である不破は、それ故に窮地に立つことは無かった。しかし、党中央に君臨して三十年近くもなると、過去の言説との比較もされ易くなる。不破の異常性格は、過去の言説との食い違いを認めることがさらさらなく、今の言説をその昔も為していたと180度反転した詭弁を弄することにある。こういう芸当は誰しも出来る訳では無かろう。

 不破の異常性格のもう一つに私物化性がある。私物化は、左派運動の原点において有り得て成らないものであるが、いともやすやすとこれをクリヤーしている。これは恐らく宮顕直伝の手法であり、学んではならないところを学んだことを意味する。今日的段階ではもはや厚顔無恥を通り越して破廉恥をも通り越して無様である。

 2003.6.27日 れんだいこ拝


『さざなみ通信』の剽窃を嗤う(一)−−恥ずかしげもない盗作−− 火河渡(2002.9.15)
 不破の異常性格に焦点を当てた火河渡氏の[JCP−Watch!]掲示板 投稿をここに掲げ追跡してみる。
 ふとしたことから、私は『さざなみ通信』のホームページに飛び、−−普段はこのような低水準の日共批判は読まないのだが−−たまたま最近出た27号の第一「論文」(と言っても中学生の作文のような水準だが)を読んでみた。そこで驚いたのが、その内容が過去にこの掲示板で行った私の投稿内容とあまりにも酷似している点である。一読して分かるように、それは以下のような内容であった。参照↓
http://www.linkclub.or.jp/~sazan-tu/sazanami/027/00.html

@94年「従属国規定」転換とそれに関する批判
A「ハンガリー動乱」に関する歴史の偽造
Bチェルネンコ「レーニンに次ぐ平和の闘志」
Cルーマニア・チャウシェスク政権への美化
D「社会主義の復元力論」の引用
E『前衛臨時増刊 日本共産党16回大会特集』

 @からEまでの全てが、かつて私がこの掲示板で実証的に批判したのと同内容である。しかも、BやEでは、私がかつて行った引用箇所と同じ箇所からの引用なのである(!)79年から91年までのソ連追随ぶりをあげつらっているが、それを言うのであれば、ソ連イデオロギー担当官僚フェドセーエフの受け入れ(84年2月)や日ソ共産党宣言(84年12月)など、非常に重要な諸点がいくらでもあるはずである。ルーマニアを出すのであれば、ポーランドの連帯へのヤルゼルスキー政権による弾圧(81年)を代々木が弁護したこともあるのだ。しかし、『さざなみ通信』はこれらについては黙して語らない。それもそのはず。盗作ゆえに他人の語ったこと以外は語れないのは当然である。(ちなみに、これらの諸点について私は過去の投稿で詳しく述べていなかった。)

 それにしても、二箇所にわたって引用箇所まで全く同じとは、あまりにも恥ずかしいのではないか(嗤) 小人閑居して不善をなす、との諺があるが、『さざなみ通信』には小人閑居して盗作をなす、と言うべきか。
『さざなみ通信』の剽窃を嗤う(二)−−アフガン侵略をめぐる不破の嘘を免罪−−
 『ばかなみ通信』が批判対象としている不破の講演「日本共産党創立80周年記念講演会 二つの世紀と日本共産党〈上〉」
http://www.jcp.or.jp/jcp/80th_koen/fuwa_0708_a.html
では、次のように述べられている。

「一九七九年のアフガニスタン侵略の場合でも、社会主義の立場とは絶対に両立できないものとして、徹底的にこれを批判しました。」
「一九七九年十二月のアフガニスタン侵略は、実は、さきほど申しましたように、十五年たってソ連が干渉の誤りを認めた、その会談の後
で起こったことでした。ですから、わが党が直後の一九八〇年二月に開いた党大会にソ連代表も出席したわけですけれども、私たちはその面前で、ソ連の行動が、いかに許されざる不当な侵略行為であるかということを全面的に糾弾したものであります。」

 偽造者・不破哲三によれば、日共はソ連覇権主義と徹底的に闘い、ソ連代表者の面前で、ソ連のアフガン侵略を名指しで批判したのだそうである。 ところが、これも当時の資料を詳細に見てみれば単なる大ボラでしかないことが分かる。

 そもそも、ソ連がアフガンに侵略したのは1979年の年末であるが、日共はこれに何の反対もせず、2週間にわたって沈黙を決めこんでいたのである。そして、年明け年頭の1.10常任幹部会声明においては、何と!ソ連のアフガニスタン侵略に「同意はしないが抗議もしない」というマヌーバー的な態度を打ち出し、これを黙認していたのである!これが薄汚い日共の本性である。嘘だと思う諸君は、自分の目で当時の常任幹部会声明を読んでいだたきたい。

 ところが、その年は衆参同時選挙の年として知られているように、ブルジョア選挙が行われ、選挙前には支持率調査や世論調査が行われたのであるが、ソ連のアフガン侵略を黙認した日共の支持率は−−いうまでもなく−−急落したのである。これに焦った代々木官僚が2月の15回党大会においてちょっぴり非難がましい言葉を述べる立場に転換したというのが事実である。

 不破によると、この15回党大会では、「その(ソ連代表の)面前で、ソ連の行動が、いかに許されざる不当な侵略行為であるかということを全面的に糾弾した」のだそうである。(丸括弧による挿入は引用者)

 ところが、当時の党大会の資料を読んでみると、ソ連の軍事介入を単に「軍事ブロック型介入」とアリバイ的に言っているだけなのである。なんとも、ご都合主義も甚だしいではないか!

 その後、日共は選挙に向けた2中総(4月)においてソ連の覇権主義を非難する立場へと転換する。そして、6月22日の選挙が終わるやいなや、ソ共と親しかった濤聴を政策委員会委員としてソ共の慰撫にあたらせたのである。

 これが、日共のアフガン侵略に対する真実である。『ばかなみ通信』は、メイン「論文」(実は盗作に基づく作文)において、 不破も言及しているアフガン問題に明示的に触れながらも、その嘘を何ら暴き出せない低水準である。 やれルーマニア、やれハンガリー、盗作に基づくピンボケの駄文が続くばかりである。

 もっとも、盗作にもとづいて論文と称する作文を書きなぐっている輩に、このような批判は豚に真珠なのだが。

(私論.私見)「アフガン侵略時の日共見解の変転」に関するれんだいこ見解

 ここではさざなみ通信に対する火河氏の批判部分を除いて、不破のウソツキ批判の個所を検討することにする。それによれば、ソ連のアフガン侵略の際の当時の日共党中央の態度と今日不破が弁明している話との間に「とてもでは無いが整合しない」面があることを指摘し、「大ボラ」であると批判している。

 それに拠ればこうである。当初はソ連のアフガニスタン侵略に同意はしないが抗議もしないという態度であった。翌年の2月の第15回党大会においてちょっぴり非難がましい言葉を述べる立場に転換したというのが事実である。今日不破が、この時の党大会で、「その(ソ連代表の)面前で、ソ連の行動が、いかに許されざる不当な侵略行為であるかということを全面的に糾弾した」というのは真っ赤なウソである! ということになる。

 不破のこういう180度反転弁明は珍しくない。ソ連のアフガン侵略の際のみならずその気になって調査してみれば、一事万事がこういう騙りになっている。ここに不破の異常性格があると云えよう。「青瓦台事件に対する日共見解の破廉恥なすり替え考」
「原水禁運動における詐術」も然り。その他宮顕との合作であるが、「善隣学生会館事件考」「原水禁運動に対するデタラメ指導と詐術総括について」「八鹿高校事件」「ルーマニア問題」等々も然りで、この種のことを拾い出すときりが無い。

 思えば、「戦前小畑中央委員リンチ致死事件」のクロシロ逆裁定弁明以来の伝統的宿あのような気がする。れんだいこがなぜ宮顕を追跡するのかの理由がここにある。決してスターリニズム批判一般では包摂できない「異常性」があるというのがれんだいこ観点である。早々にこの認識が共有化されんことを願うばかりである。

 世の中とは変なもので、こういう手合いが殊更に道理とか道徳を好み吹聴する。不破のように組織の指導者とまでは行かなくても同種人間が、先生先生と云われながら道徳倫理を饒舌し、その癖自分の権益は反道理的にがっちりキープしているというのが多い。こう云う手合いをどうもてなすのか、それが問われているのでは無かろうか。


 2002.9.15日 れんだいこ拝


【不破の多重舌性考】
 「さざなみ通信」「科学的社会主義」欄に2002.8.12日岩本兼雄氏により「不破の多重舌性」に関する貴重な論考が発表されている。お断りしていないがここに転載させていただく。何卒ご理解の程をば。結論を先に述べれば、不破にあっては言説はいつもマヌーバーであり、しかも常に有害無益な方向へと捻じ曲げる癖がある。岩本氏はこのことを見抜き次のように述べている。

 不破哲三氏の過去と現在の議論について(その1) 2002/8/12岩本兼雄

1、はじめに

 私はかねがね不破哲三氏のレーニン批判(「レーニンと資本論」−雑誌「経済」に、1997年から3年間余にわたって連載された)に疑問を感じてきたのだが、最近、氏の著作を読み直してみて、率直に言って驚きの連続であった。その驚きの一部を書いてみることにする。

 何よりも、科学的社会主義の「本家」筋が、しかも、当時の日本共産党幹部会委員長がレーニンを公然と批判したことは、理論の発展にとって歓迎すべきことである。そして、このような批判が党内でも活発な議論を呼ぶことを願うものである。党内での活発な議論こそ、社会主義諸国が崩壊した今日、社会主義の再生にとって何より必要なことであろう。

2、ソ連崩壊の原因について

 崩壊したソ連について、日本共産党は、あれは社会主義とは無縁のスターリンによる専制国家であるとしており、また科学的社会主義に立脚する日本共産党とも無縁であると主張している。私にいわせれば、縁のあるなしでいえば、これほど縁の深かった国もないのではなかろうかと思うのだが、それはさておき、不破氏は今年1月6日から「赤旗」連載のインタビュー「21世紀はどんな世紀になるか」において、ソ連崩壊の原因の一つとして次のように述べている。

 「ソ連社会は”ともかく社会主義だった”という人が、よくその理由とするのは、生産手段を国家がにぎっていた、だから経済の型からみて社会主義だ、という議論です。しかし、国家が経済をにぎっていさえすれば社会主義なのか、社会主義の最大の経済的特質は生産手段の国有化なのか、というと、これは理論的にも、大きな間違いです。

 科学的社会主義の事業がめざす社会主義の目標とは、国家を経済の主役にすることではありません。『資本論』のなかで、マルクスは、社会主義、共産主義社会の話をいろいろなところでやっていますが、国家が中心となった社会といった描写はどこにも出てきません。

 マルクスが、社会主義、共産主義の社会を語るとき、経済の主役をになうのは、いつも「結合した生産者たち」です。生産者、つまり、労働者のことですが、生産にたずさわる直接の当事者が力をあわせて生産手段をにぎり、生産を管理する、これが、マルクスが描き出した社会主義、共産主義の社会の基本的な仕組みです。」

 つまり、不破氏は本来社会主義国はその生産手段と生産の管理を国家ではなく生産者にゆだねるべきなのに、ソ連はそれをやらなかった、だから、ソ連は社会主義国ではないんだと主張しているわけである。

3、不破氏の40年前の議論

 ところが、不破氏は40年前には、まったく反対のことを言っているのである。不破氏は1963年に「ユーゴスラビア修正主義批判」という論文を『前衛』誌上に発表した。この論文は不破氏の著作「マルクス主義と現代修正主義」(大月書店)に収録されている。ユーゴスラビア綱領(1958年採択)は社会主義諸国の経済に関し、二つの型が現存し、一つは国家管理のソ連型、もう一つは生産者管理のユーゴ型があるという。不破氏によればユーゴ綱領は次のようにいう。

 「1、ソ連などの社会主義国では、生産手段の国家的所有を基礎にして、国家が経済生活全体を管理し指導する役割を果たしているが、これは、社会的所有の低次の形態であり、むしろ、国家資本主義の要素をなすものであって、発達した社会主義のもとでは、国家的所有が解体され、「より直接的なより真実の社会的所有」である、生産者自身による集団的所有におきかえられなければならない。」

 「2、生産手段の国家的所有を基礎とした社会主義は、不可避的に、国家機関と官僚の手に強大な権力を集中し、労働者階級にかわって、官僚が国家を支配する「官僚国家主義」に到達する。個人崇拝、民主主義の侵犯、ヘゲモニー主義(他国を支配し搾取しようとする傾向)などは、この制度のもたらす必然的な産物である。」

 「3、「国家の死滅」とは、政治的には、国家機関を漸次「直接民主主義」と「社会的自治」の諸機関でおきかえてゆくことであり、経済的には・・・国家的所有を解体して、経済生活から社会主義国家をしめだしてゆくことである。」

 ユーゴ綱領はこのように、社会主義国崩壊後の今日からみれば注目すべき見解をもっていた。そこで不破氏の批判を聞こう。

 「このように、ユーゴ綱領が、ソ連・中国などの社会主義に対置して、ただ一つの真の社会主義として売り込んでいるユーゴ型社会主義とは、一口にいえば、社会主義国家なしの社会主義である。ユーゴの修正主義者たちは、しばしば、マルクス、エンゲルス、レーニンなどを引用することによって、自分たちの「社会主義」がマルクス主義の科学的社会主義の理論の正統な後継者であるかのようにみせかけようとしているが、このような欺瞞は、マルクス=レーニン主義の社会主義理論についてまったく無知なものにたいしてしか通用しないだろう。

 第1の問題は、生産手段の国家的所有を否定し、社会主義国家による「記帳と統制」をはなれて社会主義経済を建設しようとするユーゴ理論が、マルクス=レーニン主義をアナルコ・サンジカリズムの理論でおきかえるものだということである。

 社会主義が、高度に発展した生産力を基礎に、国民経済を単一の全体として管理し計画化することを要求する以上、生産手段を国家の手に集中し、経済全体の国家的統制と計画化をおこなうことは、社会主義経済の存立の基礎をなす大原則である。マルクスとエンゲルスは、科学的社会主義の最初の綱領的文書である『共産党宣言』のなかで、社会主義的改造の基本的な内容を簡潔に定式化して「プロレタリアートは、その政治的支配を利用して、ブルジョアジーからつぎつぎにいっさいの資本を奪い取り、いっさいの生産用具を国家の手に、すなわち、支配階級として組織されたプロレタリアートの手に集中する」とのべている。」(不破「マルクス主義と現代修正主義」41、42ページ)

4、不破氏の過去と現在の議論

 さて、不破氏の二つの議論、現在と40年前のそれは、どのように考えても整合させることはできないのではなかろうか。むろん、40年前には社会主義国の崩壊など予想できなかったから、ここに書いたユーゴ綱領の注目すべき見解の評価は別として、@、社会主義社会における経済管理の基本は何か、という点と、A、それについてのマルクス、エンゲルスの見解はどうであったのか、という二つの論点に関しては、不破氏の見解はまったく逆であることは明らかであろう。

 40年前の議論からすれば、今年、正月の不破氏はアナルコ・サンジカリストであり、今年の不破氏が40年前の自分の議論を評価すれば「理論的にも、大きな間違い」ということになる。今日、不破氏が、マルクスはいつも「結合した生産者」を語ったとインタビューでいうとき、無人の野を行く風情であるが、40年前の議論をみると、別のマルクスが出てくるのでは颯爽とした風情も幻のごとくである。

 不破氏が過去と現在の二つの議論に架橋をしようとすれば、時代の変化を持ち出すしかない。国家に生産手段を集中し「記帳と統制」をはかることは社会主義国崩壊という現実によって否定されたのだから、40年前の議論は訂正しなければならない、とでもするしかなかろう。するとまた、40年前に不破氏が引用したマルクスもまた否定しなければならなくなるように思われるが、どうであろうか。

 しかし、ほかでもない『共産党宣言』の文章だぞ、これを否定するのか? ということになると、問題が大きくなる(マルクスは間違っていた!)から、不破氏の引用が間違っていたのだとでもするしかあるまい。

4、理論的にいえば

 実際には、どのように議論すべきであったのか、といえば、理論的には国家か、生産者かという2者択一の対立はないのであり、現実の経済管理システムとして両者をどのように組み合わせるかが問題であったにすぎない。資本主義国の国家独占資本主義という現実が形式の上ではその一例を提供していることを考えればわかりやすいであろう。あるいは、レーニンの有名な言葉を思い出してもよい。

 「1918年になるころまでには、社会主義の二つの片われを、国際帝国主義という一つの殻のうちに、ちょうど未来の二羽のひよこのように、ならべて生み出した。ドイツとロシアとは、1918年には、一方では社会主義の経済的・生産的・社会=経済的諸条件の、他方では、その政治的諸条件の、物質的実現を、なによりもはっきりと体現した。」(「食料税について」全集32巻)

 むろん、どのように組み合わせるかは、現代的な問題(社会主義的市場経済・中国など)でもあるが、不破氏はこの点を忘れて(見ずに)、40年前も、現在も一面的な見地から、国家か、生産者か、という見地から議論をするから自分で自分を批判することになるのである。

 不破氏がなぜ、40年前も、現在も一面的な見地から議論することになるのかといえば、問題それ自体が要請する見地(ここでは両者の組み合わせ)からではなく、その時々の必要性から議論をするからである。40年前は構造改革論の元祖・ユーゴを批判する必要性から、今日ではソ連を社会主義から「無縁」とする必要性から。その結果、あれこれ述べているマルクスの言説のうち、その時々の必要性に合う言説を引用するということになり、マルクスを不破氏の「コンビニ」におとしめてしまっているのである。

6、何を学ぶか

 マルクス、エンゲルス文献についての博覧強記でつとに有名な不破氏の議論にも、このような議論があるのだということである。しかし、これだけではないということは、いずれまた述べるとして、ここにみられる不破氏のマルクスからの引用は、あれこれの文献を恣意的に引用しているということに尽きる。

 大事なことは、権威を無条件に信じることではなく、疑問に思ったことは納得するまで、時間を惜しまず、自分の頭で考え、調査、研究してみることである。社会主義諸国が崩壊し、共産主義の理想がユートピアになるどころか、地に堕ちたかにみえる現在、時代はマルクス、レーニンの時代とはまったく異なった様相を見せ、すべては暗中模索、すべての試みは歴史的にも新たなチャレンジという色彩を帯びてくる以上、指折り数えられる頭脳にすべてを託す他力本願では事態は如何ともしがたい。

 不破哲三氏の過去と現在の議論について(その2) 2002/8/16岩本兼雄

1、不破氏の引用のパターンについて

 不破氏が、マルクス、エンゲルス、レーニンの文献についてかなり恣意的な引用をやっていることについては、<さざ波>への投稿でもいろいろと指摘されているところである。たとえば、川上慎一氏の投稿<「荒れ」ていないレーニンに「荒れ」を見いだす不破氏の荒れ>(2000.9.23)にみられる。川上氏の指摘する不破氏の引用は、不破氏による曲解をレーニンに押しつけているところにある。この曲解=民主主義を軽視するレーニン、という批判は、不破氏の大著「レーニンと『資本論』」のメイン・テーマなのであるが、この問題は別に詳細に検討すべきものである。不破氏が「議会で多数をえての革命」を基礎づけるためにどんなに悪戦苦闘しているか、その正否はおくとして、よくわかる著作である。

 私が前回指摘した不破氏の引用の仕方は、川上氏が指摘したそれとは引用のパターンが違うので、ここで前回指摘した不破氏の引用の仕方を少し立ち入って検討してみることにする。というのは、不破氏が自説を権威づけるために用いる引用にはいくつかのパターンがあり、そのパターンが不破氏の思考方法を明瞭に示しているからである。

2、矛盾した引用がおきる原因

 前回みたように、40年の歳月を経た同じ問題・社会主義経済建設・管理の基本についてのマルクスの二つの引用、今年のそれは「結合した生産者たち」であり、40年前は生産手段の国家による掌握であった。

 こうした矛盾した不破氏の説明とその引用が起こるのは、前回述べたように、その時々の必要性(むろん政治的必要性のことであるが)の見地から問題をとらえていることに原因があるのであるが、しかし、一般的にいって政治的必要性の見地から批判することが、必ずしも不破氏のような矛盾を引き起こすわけではない。不破氏のように政治的必要性の見地から批判して、しかも矛盾に陥るのはもうひとつ別の事情があるからである。

 不破氏の場合、国家か生産者かという矛盾が起こるのは、国家と生産者が思考の中で現実から分離されていることに原因があり、現実から分離された国家と生産者が、不破氏の頭脳の中で自由に動き回り、政治的必要に合わせて任意に一方が選択されるという関係になっているのである。

3、いささかこむずかしいが

 この点をもう少し説明しよう。社会主義経済の建設を考える場合、現実には国家も生産者も必要であり、どちらを欠いても社会主義経済建設を考えることはできないのである。こんなことは誰でもわかることである。だから、社会主義経済建設を問題にする限り、国家も生産者も必要なのであって、両者をどのように組み合わせるか、これが問題の中心であり、両者を切り離して論ずることはできないということも自明のことなのである。ここでいう両者の切り離しとは二重である。両者を現実から切り離すことはできないということと、国家と生産者を切り離すことはできないということ、これである。

 思考の中では両者を自由に分離することができ、その各々を独自に抽象的に考察できるのであるが、現実にはそれらはある一定の諸関係のうちに存在しているのであって、両者の組み合わせをどうするかという現実の問題を考察する場合には、抽象的に、分離された両者の組み合わせをあれこれと現実と離れて論じることはできないのである。

 したがって、ユーゴ綱領が1958年に国家管理から「結合した生産者たち」の経済管理に主体を移すと述べたことを批判するためには、ユーゴの経済がどうなっているか、その現実の分析を前提にしないかぎり、ユーゴ綱領の社会主義経済建設論批判はできないこともまた自明のことなのである。

 ところが、不破氏はユーゴ綱領の社会主義建設論を批判するにあたり、このことがわからなかった。あるいは気がつかなかったといってもよい。レーニンらは、このことがわかっているから、政治的必要性から批判する場合でも不破氏のように一面的な見地から批判して矛盾に陥るということがないのである。

 このことがわからないで、ユーゴ経済の分析抜きにユーゴ綱領の社会主義経済建設論を批判するということは、不破氏の思考の中では、両者はすでに述べた二重の意味で分離された抽象的な国家と生産者たちであることを示しているのである。あるいは逆に次のようにいうこともできよう。現実から分離された抽象的な国家と生産者を考えているから、両者の組み合わせを単純に国家か生産者か、あるいは国家中心か、生産者中心かとして、ユーゴ経済の現状分析ぬきにユーゴ綱領の社会主義経済建設論を修正主義と批判することができたのだと。

4、不破氏によるユーゴ社会主義建設論批判の性格

 そこで、もういっぺん、不破氏によるユーゴ綱領批判を見直してみよう。
 こうした不破氏による考察の欠点が前回述べた不破氏の議論のどこに現れているかというと、ユーゴ綱領が社会主義経済建設の二つの型について述べているのに対し、不破氏は社会主義建設の一般論の見地から批判するということに現れているのである。一般論の見地からすれば、ふたつの型はいっさい考察の視野から抜け落ちてしまい、ユーゴの経済建設論批判の前提として現状分析が必要だという意識すら不破氏の頭脳には発生しないことになるのである。

 不破氏にとっては二つの型は社会主義建設の一般論における経済建設の主体のあれか、これかに解消されてしまっているのである。こうして、不破氏によるユーゴ批判の政治的必要性という見地は現実のユーゴにおける社会主義建設の問題を一般論に解消して考察するという見地と結びついておこなわれているのである。この結びつきのうちに不破氏による議論の仕方の特徴があるのである。しかし、本来的にはそうした結びつきは何らの必然的な関連も持っていない、批判の政治的必要性は二つの型の検討へと進むこともできたのである。ところが不破氏の思考方法がすでに述べたように二重に抽象的なために不破氏の頭脳の中では一般論と結びつく必然性が発生するのである。

 そしてまた、40年を経て同じ誤りが今度は社会主義諸国の崩壊という現実を間にはさみ繰り返されるわけである。いずれも一面的なそれ、不破氏の頭脳の中では、半世紀を越える大戦と冷戦の現実を経たソ連の現実もここではユーゴ批判と同様、一般論の見地から、すなわち、現実とは切り離して今度はその政治的必要性という見地は国家ではなく「結合した生産者たち」を発見するわけである。

5、不破氏の構造改革論批判を40年後に検討する意義

 不破氏がユーゴ経済建設論の批判にあたり、すくなくとも氏の思考の表象にユーゴ経済が思い浮かべられていれば、こうした誤りに陥らなくともすんだのであり、自分の思考方法の欠陥も自覚できたはずなのである。そして、すでに見たように今日不破氏が評価する「結合した生産者たち」を40年前に発見できたかもしれないのである。

 しかしまた、そうであれば逆に不破氏の大量な批判論文(構造改革論批判等)の数々も生まれなかったであろう。不破氏が今日、「結合した生産者たち」というとき、40年前の思考様式が今日に生きていることを疑いもなく示しているのである。

 その特徴は、現実から切り離された諸範疇の自由な駆使ということにある。マルクスにはマルクスが向かい合った現実があり、レーニンにはレーニンが向かい合った現実があった。彼らの向かい合った現実に我々が遡航するとき、その現実はすでに歴史であり、不破氏が現実を捨象する思考方法を駆使するとき、マルクス、レーニンらの理論は歴史を捨象された理論に転化することになろう。

 すでに建設を開始した社会主義国ユーゴが1958年に経済建設の具体策を打ち出したことにたいして、こともあろうに、パリ・コミューンすら未だ見ることのないマルクス、エンゲルスが1847年に『共産党宣言』で、打ち出した抽象的な規定「支配階級として組織されたプロレタリアート」に「生産用具」(生産手段という範疇すら確立していない!)を集中せよと述べたことを引き合いに出す没歴史性をみてほしい。

 こうした誤りは、誰にでもある若気の勇み足ということもできようが、その若気の勇み足が是正されることなく今日に生き延び、有名な理論家として大きな影響力をふるっている以上、不破氏がレーニンを歴史的に読む作業をやったのと同様、我々もまた不破氏を歴史的に読む必要があるのである。不破氏の理論家としての出発点も構造改革論(批判)にはじまり、今日また構造改革論でその有終の美を飾ろうとしているかに見えるからである。

 岩本兼雄氏へ、不破に関して 2002/8/15 KM生、40代、公務員

 どうも詳細なレス有難うございました。

1) 私は、不破は理論家ではなく、「単なるマルクス=エンゲルス=レーニン全集生字引的文献引用主義者」に過ぎないと思ってきました。
2) 少なくとも宮顕単独指導だった60年代までは、(宮顕に不破程の文献引用能力がなかったこともあり)「その時々の党の政策を全集の都合のよい個所を取出してきて権威付け正当化する」というような手法は汎用されませんでした。70年に不破が書記局長に就任して指導するようになってから、こうした手法が常套化してきました。
3) しかし、こうした手法がもたらしたものは「党中央(不破)=考えて指令を出す頭」と「下部党員=指令に従って動く手足」の分離でした。少なくとも(不十分とはいえ)60年代まであった「全員が頭となり、全員が手足となる」風潮は著しく廃れました。
4) 党員の理論水準も低下しました。「全集」を読まなくなり、「党の決定」や「幹部の著作」しか読まなくなりました。
5) そして現在に至っては、「党の決定や幹部の著作さえ読まない党員」が多数を占めています。
6) 結論的に、私は「マル=エン=レーニン科学的社会主義」を現在の日本共産党の「理論的基礎」にすることが正しいのかさえ疑問です。しかし、何よりも大事なのは、貴方の御指摘のように「党員一人一人が理論的問題を党首任せにせず、自分の頭で考え行動するようになる」ことだと思います。


【北朝鮮による拉致事件に関する弁明考】
 2002.9月の小泉首相訪朝による首脳会談で、金総書記から拉致事件の謝罪が為されるや、それまで北朝鮮政府の拉致事件不存在の弁に依拠してきた社会党は面目を失った。不破はこれにどう対応したか。又もや論点をすり替え、「1999年に私が衆院で代表質問したから、今回の小泉訪朝に結び付いた」と自慢話に切り替えた。こうして一片の自己批判もなく逃げおおせている。こうなると厚顔無恥というより病的であり、恐らくもう死ぬまでこの芸当を止めないだろう。しかし、とんだ人物が党中央に30年も棲みついたものだ。
 「1999年に私が衆院で代表質問したから、今回の小泉訪朝に結び付いた」の弁を以下検証してみる。2000.10.22日の赤旗が「『拉致疑惑』の森首相発言/なにを根拠に『重大』問題としてきたか その真意さえ疑わざるをえなくなる」記事を掲載している。それによると、当時の森首相時代の「拉致疑惑」解明の姿勢に対して、次のように述べている。

 「いずれにしても森首相の今回の発言は、政府が拉致疑惑について、口を開けば日朝間の「重大な懸案」として強調するが、実際にはそれにふさわしい認識も解決への対策も持っていないことを、さらけだしました。政府がいわゆる拉致疑惑を真剣に『重大』問題と考えているのなら、拉致問題の重大性を抽象的に強調するだけでなく、国民の前で、いったい日朝交渉で拉致疑惑を問題にする根拠となる客観的な事実はどこにあるかを明らかにし、日本政府としてどんな解決策を北朝鮮側に求めているかを、具体的に説明すべきです。森発言のような、良識も熟慮もない軽率な発言は、政府みずからが日朝正常化交渉に困難をもちこむものと言われても、仕方がないでしょう」。

 2000.10.26日の赤旗は、「日朝交渉・『拉致疑惑』/現在の捜査の到達点にふさわしい交渉が必要/党首討論 不破委員長が提起」記事を掲載している。それによると、「『拉致という問題は国家犯罪であり、相手の国が国際犯罪を犯したと告発をするわけだから、よほどの足場を固めていないと問題提起できない』とのべ、立証責任は日本政府にあることを指摘。そのうえで、政府が拉致の可能性があるとする七件十人の事案について、外務省や警察庁に聞いても、『北朝鮮に拉致された疑いと可能性がある』というもので、結論がでているものは一件もないことを指摘しました」とある。同日の主張欄では、「日朝交渉で『拉致疑惑』を問題にする根拠となる客観的事実はどこにあるのか、その根拠をただした不破委員長に、首相は政府のいう『七件十人』という『拉致疑惑』案件について、いずれも捜査当局が『疑いありと判断した』もので、それにたって交渉しているという答弁に終始しました。ふさわしい交渉と解決を 首相答弁でも、いま政府が「拉致疑惑」として持ち出している案件で、証拠や物証にもとづき拉致という結論が出たケースは一件もないことがあらためてわかりました。案件が発生して二十年以上たってもなお「疑いあり」というにとどまっているのが実態です。不破委員長が党首討論で提起したように、いまこそ政府は、いわゆる『拉致疑惑』をめぐり、いまの到達段階にふさわしい交渉のやり方と解決の仕方を真剣に検討すべきです」とある。

 その他当時の論調として似たり寄ったりの発言を繰り返している。これを普通の国語力で読解すれば、意訳概要「日朝正常化交渉は進めるべきであるが、現段階で『拉致疑惑』問題を殊更取り上げるのは、賢明でなく軽率である」との二つの文意から構成されているとみなせるであろう。
 これを踏まえれば、今回の金総書記による拉致事件謝罪に対して日共党中央が執るべき態度は、拉致事件に対する見識の不明の反省から入るべきであろう。ところが、不破はどうすり替え詭弁を弄しているのか。「我が党は、早くより日朝正常化交渉を促してきたのであり、このたびの日朝共同声明はその努力の現われである」との論調で居直っているに過ぎない。

 何の事は無い。社民党ほど旗幟鮮明に拉致事件不存在を主張してこなかったことを自慢しているに過ぎない。とんだところで玉虫色見解が役立つという好見本だ。これが不破の一事万事の所作であり、党中央在籍不倒王の秘訣でもある。しかし、れんだいこは云わねばならない。政治をそういう風に弄ぶものではない。恥を知ること、不明の自己批判を素直にすること、これは誰に教わるのでもない指導者が弁えねばならない道理である。これが出来ないものが人に道理やら道徳を説きまくる。これほど無茶なことがあるだろうか。

 2002.9.29日 れんだいこ拝
 不破の大ウソつき性異常性格はとどまるところを知らない。2002.11.4日付けしんぶん赤旗に、「日本共産党の値うちを大いに語ろう 躍進のつどいでの不破議長のあいさつ」の記事を見れば、不破は次のように語った、とある。

 「現実政治のなかでの日本共産党の活動を見てください」の見出しで、以下の文面となっている。「外交ではどうでしょうか。日本共産党は、この分野でも国民の利益と道理にたった外交戦略をもって、一貫した活動をすすめてまいりました。北朝鮮問題でも、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)がテロ事件や拉致事件など、無法な国際活動に乗り出した時、正面から厳しくこれを批判したのは日本共産党だけでした。また、これらの問題を解決するために、北朝鮮の無法をしっかり批判しながら、拉致問題などを含めた包括的な国交正化交渉のルートを開くことを、先駆けて提唱してきたのも日本共産党です。そういう批判や提唱が、まさにいま、現実の政治に生きているではありませんか。(拍手)」。

 これをどう評するか。全文詐術であるからして脳軟化も極まれりと云うべきだろう。歴史的に見て、日共は北朝鮮労働党と友党関係にある。その意味で、「北朝鮮と包括的な国交正化交渉のルートを開くことを、先駆けて提唱してきたのも日本共産党です」は当たり前であり、その友党関係を如何に形成ないし相互検証してきたのか、そこが問われているのではないのか。そういう党故に為すべき対応が他党とはまた違うものがあって当然であり、我々はそこの弁明を期待しているのである。

 「北朝鮮がテロ事件や拉致事件など、無法な国際活動に乗り出した時、正面から厳しくこれを批判したのは日本共産党だけでした」などという論理は、それが実際だったとしても自慢にもならない。ましてもこの言い草がペテンだとすれば何をかいわんやではないか。政治的スタンスが全く狂っているとしか云いようが無い。

 2002.11.10日れんだいこ拝


木村愛二氏の「日本共産党犯罪記録 」考】
 木村愛二氏の「日本共産党犯罪記録 」も秀逸だ。2002.9.15日付けの原子力問題では、共産党の「原子力平和利用方針」を鋭く批判している。以下はサイトをご照覧あれ。


Re:日本共産党の嘘を絶対許してはいけない(とろ、2002.11.12日付け「JCPウオッチ」

 共産党が嘘の塊なのは明らかですよね? でもそれは治りません。心理学的にいうと(共産党を一人の人間に当てはめてみた場合)「エントラップメント」というそうです。

 一度小さな嘘をつくと、それをフォローするためにまた嘘をつく。それの繰り返しで最終的には取り返しのつかないところに陥ってしまう。共産党の「始めの一歩」がどこなのかはわかりませんが、もう彼らは嘘を嘘で塗り固めていくしか方法が無いのです。どんなに「嘘だ!」と追及されても、嘘で反論するしかないのです。そしてまた意味の無い嘘を積み重ねていくのです。

 おそらく不破、志位などはもう思考が麻痺していて嘘を嘘だと理解できてなくて、自分の口から出る言葉はすべて「真実」だと思い込んでるのではないでしょうか? 一種の夢遊病でしょう。(夢遊病=眠っているうちに起きだし、何らかの行為をして再び眠ってしまい、あとでその行為について全く記憶していないこと。)あとは衰退の一歩でしょう。いつ消滅するか楽しみでしょうがありません。

(れんだいこ評)

 なかなか的確且つ簡潔要領を得た指摘だと思います。ちなみに、こうした宮顕―不破―志位系のウソツキは従前だと明るみに出なかった。今日インターネットで過去の言説が保存されるようになったことから、その場凌ぎの連中の詭弁が忽ち明るみに出るようになったと云えるかと思います。「実に恐ろしきはインターネットなり」であります。問題は、不破―志位系にはこれに対応しえる柔軟さが無く昔ながらの手法で平然とウソツキしていることにあります。「愚かというも惨めというも憐れなり」でせう。

 2002.11.14日れんだいこ




(私論.私見)