戦前日共史(九)「小畑中央委員査問リンチ致死事件」概要
宮顕生存中にリンチ事件の解明をせよ!するのが党の政治責任

  (最新見直し2007.8.15日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「宮顕リンチ事件」は遠い昔のことであるが、「宮顕犯罪の象徴的原形」である故に解明されねばならない。ここのところが分からない向きの者が多く、れんだいこの宮顕解明作業を趣味域のこととして片付けてしまうきらいがある。そうではない。「宮顕リンチ事件」は「宮顕政治の型」であり、この原形を解くならばそれ以前以降の宮顕政治の本質を見抜くことが出来る。そういうインパクトがある。宮顕政治のあれこれを批判するのは資料的には意味あることであるけれども、個別の全てを収集できる訳ではないので、結局は「宮顕政治とは何か」という本質問題に帰らざるを得ない。そうなると「宮顕リンチ事件」が俄然政治的意味を帯びるという構図にある。

 
特に、宮顕生存中にこれを為しておくことが、日共の政治責任であると思われる。日共がこの問題に蓋をしたまま政治的にキレイゴト発言し続けている様は不正である。この問題を解決せぬままの政治的発言及び行為をし続けていくことは、資格の点で疑義が生じる。不破よ、君がよく言うところの科学的社会主義で、この事件を解析してみよ。その結果、「宮顕無罪、小畑自己責任急死」説を説くなら、君の科学的社会主義のお里が知れよう。以降一切、君の説く科学的社会主義は神通力を欠こう。徳れんだいこはそのように考えている。

 2005.7.1日現在のところ、「れんだいこの小畑中央委員査問リンチ致死事件考」を凌ぐ研究本は見出されない。故に、学ぶべきである。これはれんだいこを売り込みせんとして述べているのではない。事件の重要性を思う故に、捻じ曲げられた事件観が流布されており、それが余りにも有害と思う故にである。

 この事件に付き「宮顕がスパイ小畑をテロったとする通説」は排斥されねばならない。スパイ宮顕派が総員出動して生粋の労働者派の最後の党中央委員小畑をテロったとする観点に立たないと真相が見えてこない。疑問に思うものは尚更読まねばならない。

 
今までは事件資料が乏しく噂の域を出なかった。今日は違う。まだまだ不開示のものも多数あるけれども、凡その見当がつく程度の資料が漏洩している。そうなっても、事件資料が乏しい時点の諸見解を護持し続けることは知の怠慢である。党内にはそれなりのインテリが多いと思われるのに、知の怠慢に耽っているのはどうしたことか。れんだいこは強くなじりたい。

 
何もれんだいこ見解に立てと云っているのではない。今日開示されている資料に目を通し、各自が見解を出し、れんだいこ見解に対する見解を持つぐらいの知の営為をせよと望んでいるに過ぎない。そうすれば、れんだいこ見解に立たずとも、党中央の弁明が如何にウソまみれなものであるのかぐらいは判明しよう。それで良い。宮顕ー不破系党中央の「ウソまみれの詭弁」常用癖を見抜き、その眼を他の論考にも向ければ良い。そういう叩き台として「宮顕リンチ事件」は教材的意味がある。

 「宮顕リンチ事件」について、れんだいこは恐らく本邦初のユニークな視点を打ち出している。同様の観点はままあるにせよ、これほどに強く主張し、それなりに論証したのはれんだいこが初めてであろう。この云いはれんだいこを自尊しようとして述べているのではない。れんだいこ見解が奇異に受け取られるほどに、既存の論は逆に大きく捻じ曲げられているのだということを強調せんがために為せる謂いである。

 どこがユニークかについてここで述べておく。まず、宮顕ー袴田グループが党内スパイ摘発過程で発生した事件であり、小畑、大泉両中央委員はスパイであったからご時世上止むを得ない面もあるという通説を否定したい。漏洩された各資料から読み取れることは、真相は、宮顕ー袴田グループこそがスパイ派であり、小畑、大泉両中央委員を同時査問し、大泉はスパイであることを白状したものの小畑は最後まで否認し続け、その余力でスパイ派による白色テロと闘い、主として宮顕の柔道術による締め上げ技で圧死させられたのではないのか。なお、小畑こそが生粋の労働者畑の戦前最後の中央委員であり、してみれば「宮顕リンチ事件」とは、スパイ派による労働者派の査問テロであったということになる。

 「宮顕リンチ事件」の本質はここにある。ここさえ弁えれば誤魔化されることはない。史実は、この本質を歪めるために様々に脚色され、故に多くの者が誑かされている。繰り返して述べるが、資料開示が少ないときは止むを得ない面もあった。しかし今や、70年代末の一斉の資料開示により、れんだいこ的見解に立つことは難しいことではない。なのに敢えてその労を執らないインテリは本当のそれではなかろう。

 
思えば、「宮顕リンチ事件」の本質に迫るその営為は、他の諸問題にも使える。ということは、「宮顕リンチ事件」の本質に迫らない営為は、一事万事と云う訳で、他の諸問題にも同様にピンボケの評論でお茶を濁しているのではないかという推察に繋がる。れんだいこが今敢えて「宮顕生存中にリンチ事件の解明をせよ!」という意味は、まさにこのことを指弾している。

 
2005.7.2日、2007.8.15日再編集 れんだいこ拝


 これより前は戦前日共史(八)宮顕の党中央潜入と「スパイ摘発闘争」の実態考

【「小畑中央委員査問リンチ致死事件」の真相について】
 「宮顕派による党中央委員・小畑の査問テロ致死事件」に対し、次のような解説が為されている。
 「転向ブームの間も検挙は続き、中央委員も含めて続々と逮捕されていった。こうした追い込まれた状況の中で、次々と続く検挙の裏には共産党の中にスパイが潜んでいるからに違いない、という推測が生まれ、お互いがスパイではないかと疑うような風潮になった。党員がスパイだと疑われると、上部の指令で査問としてスパイかどうかの確認が行われるのだが、それらの多くは、スパイだと決めつけた上でその自白を求めるだけのことが多く、自白を引き出すためにリンチが用いられることが多かった。これらはスパイリンチ事件と呼ばれたが、スパイと目された党員の中にはスパイでない者も多く含まれたいた。こうして、党員たちの動揺と疑心暗鬼を深める結果になった」。

(私論.私見) 「宮顕派による党中央委員・小畑の査問テロ致死事件」に対する良識派風見解について

 上記説は俗耳に入り易い良識派風見解であるが、正論足りえるだろうか。れんだいこは、この説を採らない。なぜなら、「小畑中央委員査問リンチ致死事件」の真相は、真性スパイ派の宮顕派が小畑中央委員にスパイの冤罪を被せてテロっているとみなすべきであるからである。となると、度重なる弾圧に屈せず、最後の党線を維持していた日共指導部が、真性スパイ派の宮顕派の登壇によって内部から白色テロが見舞われ始め、これにより戦前の党中央が最後的に解体された事件とみなさねばならない。

 こう理解するには、上述の解説はあまりにも無力な駄弁でしかないことになる。しかし、上述の理解が一般的であり、それだけ激しく歪んでいる訳であり、これを逆転させるのは至難の業でもある。 

 2004.12.23日、2007.8.15日再編集 れんだいこ拝


【れんだいこの事件解析】
 「査問リンチ致死事件」とは、1933(昭和8).12.23日、当時の日本共産党中央委員会内部に発生した「僅か5名のうちの2名の大泉・小畑両中央委員被リンチ査問、小畑致死事件」のことを云う。なぜこの事件が重要な意味を持っているかというと、ポスト徳球後の戦後の日共を指導することになる宮顕が直接的に指揮し、小畑の死亡にも直接的に関与しているという重大性によってである。この事件がもし小畑の冤罪リンチ死であったとすれば、宮顕はそれだけで党史生命が断たれる。その後の宮顕の党活動の軌跡が疑惑の目で再精査されねばならないことになる。

 凡そトンデモ人間を戦後もまたのうのうと党中央に登壇させ、以降長い間宮顕独裁を敷きせしめたということになる。そのような宮顕をよりによって参議院議員を務めさせたことは、これ一事で天下に詫びを入れずんば事は収まらない、収まらしてはならないということになる。

 そういうパンドラの箱的意味を持つ重要過ぎる事件であることによって「査問リンチ致死事件」は隠蔽されてきた。しかしそれはそれで、同時代の左派人の節穴ぶりを物語っていることになるだろう。あるいは多少知りつつ臭いものに蓋をしたとしたら、それだけでその人の左派的生命は曇り始め本来のものではなくなるだろう。しかし現実はそのように推移して今日に至っている。

 この事件のあらましはこうであった。当時中央委員候補であった袴田が発案したとされており、同じく中央委員候補であった秋笹も同調し、これを中央委員であった宮顕がすぐさま支持し、逡巡したもう一人の中央委員逸見を何とか巻き込んで数次の謀議を重ねた。宮顕−袴田ラインであった木島他を警備役として取り込み、他にそれぞれのハウスキーパーを見張り役として利用した。これが総数であり、宮顕がリーダーとして指揮することになった。

 こうして大泉・小畑両中央委員がアジトに呼び出され、この二人をスパイ容疑者として査問するという事件が発生した。この経過で査問二日目の午後小畑が逃亡を図り、これが査問側5名によりよってたかって押さえ込まれ死亡するという突発的な不祥事が起った。この時のそれぞれの関わり方が重要であるが未だ明らかにされていない。真相は後に袴田が明らかにしたように宮顕の無慈悲なまでの押さえ込みが主因であったように思われるが、当の宮顕当人は今日もなお持病によるポックリ死などと言い逃れしている。

  査問は頓挫し、責任転嫁と事後処理の打ち合わせが行われた。唖然とすべきは、小畑の死体が放置されたその場であったか階下であったかは別にして、その直後居残り組最高指導部となった宮顕と逸見の協議により袴田と秋笹が中央委員に、木島が中央委員候補に任命されると云う論功行賞を受けている。これが戦後になって吹聴され続けている「戦前最後の党中央委員宮顕−袴田コンビの誕生秘話」である。おぞましいと感じるのはれんだいこだけでせうか。

 新たに中央委員となった袴田と秋笹で事後処理を話し合ってそれぞれ散会することとなった。小畑の死体は床下に隠されることになった。翌翌日の12.26日に宮顕はいち早く検挙された。大泉とそのハウスキーパー熊沢はその後も翌年の1.15日まで監禁され続けられることになった。この間二人は心中を申し出、遺書を上申した。これを査問側も認め、心中決行のため新アジトに二人を移したが、決行当日不思議なことに監視員が木島のハウスキーパー唯一人という状況になり、大泉は隙を見て逃げ出し当局に転がり込むこととなった。

 こうして事件が発覚し、マスコミが猟奇的に大きく報道するところとなった。事件の報道は各界に衝撃をもたらし、党の権威と運動が大きく損なわれることになり、実質上党中央は崩壊させられるに至った。それを思えば、戦前党運動の最終的瓦解は、宮顕の手によって為されたことを確認すべきだろう。しかし、その宮顕は戦後も党運動に関わり、戦後直後の党を指導した徳球派と死闘を演じた挙句党中央を簒奪し、その系譜が今日まで至っている。我々はこういう情況を知らねばならない。
 この事件が今日においてなお重大であり尾を引き続けているのは、党中央執行部員同志による致死を伴った査問事件であったという重大案件であるにも関わらず、この事件に対して党内的な総括が未だになされているとは言い難く、事件の全貌もまた未だヴェールに包まれていることにある。それは、査問の首謀者が今日の党を指導する宮顕であったことによる政治的複雑性と、査問の経過中での小畑死亡原因をめぐって当事者の主張一人一人に隔たりが見られ、未だに解釈が一定していないという事情が横たわってることにも原因があるようである。

 今日の党執行部を支持する者は、概ね宮顕の強く主張する平穏無事な査問経過中の「体質的ショック死」に転嫁させ、他方反宮顕系の者は「リンチ査問死」であり宮顕に結果責任を負わそうとする傾向にあるという具合に、今日においても著しい政治的色彩を帯びている。


 この件に関するれんだいこの考えはこうである。「査問事件」は宮顕にとって触れられたくない事件であろうが、臭いものに蓋をせず、公党の責任問題として党史的に総括しておくべき事柄のように思われる。今日までの隠蔽姿勢は党内の自浄能力の欠如を疑わせるものとして受け止められるであろうし、アキレス腱として事あるごとに利用され続けられることになるであろう。決して党百年の計のために役立たない。是非生存中に事案処理をされんことを望む。55年に「50年問題について」で徳球執行部を総括したように、「いわゆる査問事件について」を党内論議的に総括しておく必要があるのではないのか、と思う。

 このことを中野重治は彼らしく一般論的な言い方で次のように述べているらしい。
 「いわゆるリンチ≠フ件にしてみれば、おれは殺さなかったぞと誰かがヤミクモ言い張ることで事が解決されるのではない。そこへと追い込まれて行ったのには、追い込まれた側に決定的な大きな原因があったことを正面からつかむこと、これが党再生の道だろうと思う」(雑誌「通信方位」1976.1月号の「歴史の縦の線」)。

 にも関わらず、「査問事件」が今日までタブー視されている不自然さには、「査問事件」の全面的な解明に対して熱心でない宮顕の姿勢が大きく関係している。それがために、時に応じてかえって猟奇的事件としての興味をかきたてられるというシーソー関係にさらされている。

 今、こういう状況下にあって私がこの事件の解明に向かおうとすることの意味は、一つは、「査問事件」の発生が党の組織問題としての「スパイ・挑発者に対する摘発闘争」の一環として生じたという歴史的経過を踏まえ、この事件が党の責任において党史的に総括されねばならないと思うことにある。このことを、栗原幸夫氏は、「日本共産党史の一帰結」で次のように述べている。
 概要「この問題は、再発を防ぐための今後の教訓としても、問題を歴史的全体性の中で捉え直される必要があるのではないか。 少なくとも、当時の味方の中に無限に敵を発見していくスパイ摘発闘争の悪循環を見据えつつ戦前日本共産党史の一帰結として『査問事件』を捉え、日本共産党の過去の革命的運動の反省という環の中での総括が必要なのではなかろうか」。

 
れんだいこは、更に次の視点を添えたい。「スパイ摘発闘争の悪循環」は、当時の特高のシナリオに沿った宮顕派による党中央の簒奪劇であったということと、この時点において最後の砦として維持されていた戦闘的党員ないし大衆団体殲滅戦に狂奔するために応用されたものではなかったか。しかし、こういうことになると、宮顕に真相を明らかにせよなどとねだることは無理が過ぎるというものか。

 もう一つは、この事件を単に猟奇的に見るのではなく、宮顕の政治的立場にまつわる胡散臭さの逃れようのない証拠事件として解明しようということにある。宮顕は、この事件ではからずも黒幕から直接の下手人の一人としての役目を果たすことになった。それは突発的であったので、氏の冷静なシナリオを狂わして自らをして手を染めさせてしまったのではないか、と思っている。

 「これは予期しない、不幸で残念なできごとだった」(「私の五十年史」)と宮顕自身語っているが、私は「残念」の意味するところを「氏の冷静なシナリオを狂わして自らをして手を染めさせてしまった故の残念」と受け取る。以来、この事件は宮顕の政治的活動の致命的なアキレス腱として内向させられているのではなかろうか、と思われる。
 最後の一つは、「査問事件」の前後の解析を通じて、宮顕の警察・予審調書が存在しないということに関連させての「完全黙秘・獄中12年・非転向タフガイ神話」の虚像を暴くことにある。なぜなら、戦後直後の有能且つ戦闘的活動家に立ち塞がってきたのがこの神話であり、この如意棒が振りかざされることによって、転向組が沈黙を余儀なくされてきている経過があるから。ありえなかった虚構を暴くことはこの意味で必要となっている。

 ちなみに、「さざ波通信」編集部の方たちにあってさえこの神話が無条件に措定されている文章を読んだことがある。この現実を突破することからしか抜本的な党の再生はあり得ないというのに、というのが私の視点となっている。


 ところで、とり急ぎここで指摘しておきたいことは、果たして査問の間じゅう小畑・大泉に食事が提供されていたのかということについてコメントしておきたい。実際には与えられていないように推測されるので、小畑・大泉両名は食事抜きのまま丸一昼夜と翌日の午後まで5食分が抜かされたまま査問が継続されていたことになる。加えて充分な睡眠も与えられず、捕虜同然の姿で手足を縛られたままの消耗著しい姿勢で経過させられていたことになる。

 宮顕は、こういう査問状況についても否定しているのだろうか。仮に「体質的急性ショック死」を認めたにせよ、これらの事実はその大きな因果になっているのではないか、と容易に推測し得ることである。それとも何か、宮顕並びにその同調者は、テーブル越しに会議でもしているかのようにして査問がなされ、経過経過で食事を与え用足しもさせていたとでも言っているのだろうか。「JCPウォッチ」に「立花氏の日本共産党研究の批判」なる論文を晒していた土佐高知なる者は、この問いに答えねばならない。

 2003.9.24日再編集 れんだいこ拝
 2005年になって新たな情報が明らかになっている。木村愛二氏の「憎まれ口」の「日本共産党犯罪記録」の2005.7.1日付「偽の友代表格・日本共産党のカリスマ『宮本顕治"獄中12年の嘘"』」に貴重情報が書き込まれていたので要約整理しておく。

 それによると、月刊誌「WiLL」の2005年8月号に、立花隆と兵本達吉特別対談「宮本顕治"獄中12年の嘘"」が掲載されており、日共党中央が頻りに「暗黒裁判」とか「判決はデッチ上げ」とか、しきりにいいふらすのに対し、ロッキード事件で活躍した法務省の安原刑事局長が怒り、「再審請求すればいいじゃないか、再審請求で無罪になった吉田厳窟王もいる。国会でそれを言うぞ」と言ったところ、日共は、正森弁護士を法務省に飛んで行かせて、「もう今後デッチ上げってことは言わない。だから国会で再審請求しろと言わないでほしい」と頼み込み、以後、日本共産党は、「デッチ上げとは言わなくなった」という。

 何の事はない、党内では「暗黒裁判」とか「判決はデッチ上げ」と洗脳するが、決して表で通用する論法ではないことを党中央が認めていることになる。そういえば、「JCPウォッチ」でかって「立花氏の日本共産党研究の批判」なる論文を晒して頻りに宮顕正義論を述べていた土佐高知なる者がその後現われない。彼は、「立花隆と兵本達吉特別対談、宮本顕治"獄中12年の嘘"」に答えねばならない。

【れんだいこの事件解析総まとめ】
 最後に、この事件の総ざらえをしておく。宮顕系の流れにある日共党中央は、事件を次のように見立てている。

 査問致死はスパイ摘発闘争の過程で起こった。それは、当時の情勢ではやむをえないものであり、正義の闘争であった。
 小畑は大泉同様にスパイであることを認めた。
 小畑の急死の死因は持病併発による突発性心筋梗塞のようなものであり、宮顕には責任は無い。
 死体を床下に埋めたことに関して、宮顕は聞知も関与もしていない。
 事件関係者はその後逮捕されたが、宮顕一人が予審調書一つ取らせず完全黙秘を通した。
 公判で、宮顕一人が縷々正義の弁明をしており、獄中闘争の鏡である。
 戦後に於ける釈放-復権は当然であり、この経緯に何らいかがわしさは無い。
 
 日共党中央は、概略以上のように述べ、党中央盲従派は何の疑問も沸かさず唯々諾々してきている。が、れんだいこ検証に拠れば全てが違う。次のようになる。

 査問致死はスパイ摘発闘争の過程で起こったが、それは、当時の情勢ではやむをえないものであるというより極めて危険な闘争であった。当時の宮顕派のスパイ摘発闘争の胡散臭さを見て取らねばならず、そういう名目で、最後に残っていた党内有能分子を摘発していた形跡がある。即ち、宮顕派こそスパイグループであり、そのスパイグループにより、党内有能分子摘発闘争が組織されていたというのが実際である。ここを理解しないと、この問題は解けない。
 小畑は大泉同様にスパイであることを認めた、というのは大ウソである。大泉は別系統のスパイであり、そのことが明らかになったが、小畑のスパイ性は最後まで確認できなかった。当然、当人が否定し続けたからである。そして最後のその時を迎えることになる。
 小畑の急死の死因は持病併発による突発性心筋梗塞のようなものであり、宮顕には責任は無い、というのも大ウソである。現場にいた当事者の全てが宮顕の主導的関与を認めている。それによると、宮顕の柔道の締め技により、小畑が断末魔の声を上げながら果てたことが証言されている。
 死体を床下に埋めたことに関して、宮顕は聞知も関与もしていない、というのも大ウソである。当時の組織系統に於いては、党中央の指示に従う以外には床下遺棄なぞできるはずがない。小畑死亡直後の死体のあるその場での党中央委員会で指導権を握った宮顕の指示なしに、出来るわけがない。事件発覚後、知らぬ存ぜぬと言い張ることは、指導者としてあるまじき居直りである。
 事件関係者はその後逮捕されたが、宮顕一人が予審調書一つ取らせず完全黙秘を通した、というのも大ウソである。恐らくは、詳細な報告をしているはずであり、調書が採られていないとすれば、当局のスパイであったから不要であったからであろう。このどちらかになる。
 公判で、宮顕一人が縷々正義の弁明をしており、獄中闘争の鏡である、というのも大ウソである。合同公判の際に俄か病となり、事件のカギを握っていた秋笹が死亡して後に、単独公判の場で滔々と「正義」の弁明をしている。その様子はヤラセ公判となっている。
 戦後に於ける釈放-復権は当然であり、この経緯に何らいかがわしさは無い、というのも大ウソである。危篤状態でもないのに危篤との診断で、他の被告の一斉釈放より一日早く釈放されている。しかも、政治犯と刑事犯の複合犯であることから、事前確認で釈放不可とされていたにも拘らずである。胡散臭くない訳が無い。

 これが実際である。こういう履歴を持つ宮顕がその後党中央を牛耳り、長年最高指導者として君臨してきた。一時、参議員にもなり、国政に関与してきた。解党的総括無しには済まされまい。

 2007.4.19日 れんだいこ拝

 これより後は戦前日共史(十)袴田執行部時代





(私論.私見)