521 宮本顕治論 第1部 序文

 (最新見直し2006.5.23日)

投稿 題名
「宮本顕治論の緊急性」について序章
1の補足 「宮本顕治論の緊急性」について補足
「宮本顕治論」その1.宮本氏の党史的地位の重要性について
補足 加周義也「リンチ事件の研究」より抜粋
補足 浜田幸一「一人独裁の宮本顕治は、即みそぎを」より抜粋


題名/宮本顕治論の緊急性」について序章

 除名後の袴田は、長年の喉のつかえを降ろしたか、次のように云っている。

 「小畑を殺した問題についてはこれ以上逃げられない。いままで逃げてこられたのは、私が懸命にかばってきたからだ。すぐれた共産主義者は、身内に虚偽をかかえていてはならない。それをいくら巧妙に隠しても、やがて大衆に見抜かれる。いや、大衆に見抜かれる前に、既に自らの内部に良心のうずきがなければならない」、「以後40年の間、私の良心は折に触れてうずいた。だが、一体宮本自身には良心のうずきがあっただろうか。徹頭徹尾、自らの行為をごまかしてきたばかりでなく、平気でそのごまかしを正当化さえする。そして、今や共産党の最高指導者でありながら、相変わらず平気でウソをつく。こう云う態度を続ける限り、日本共産党は永遠に国民大衆の信頼を勝ち取ることが出来ない、と云っても決して過言ではないだろう」、「党の上に自分を置き、自分に対する批判を一切許さない。そういう男が党をいかに歪めるのか」(袴田里見「昨日の同志宮本顕治へ」)。

 袴田は野坂に対しても次のように云う。

 「実際、野坂ほど怪しげな男はいない。翻って考えてみて、いったい野坂は、日本共産党の発展に、どれほど貢献したと云うのか。何もありはしない。むしろ野坂は、常に日本共産党の進むべき道を誤まらせてきた不吉な怪物でしかなかった」。
 「凡そ(戦前の)野坂の行動は内務省警保局に筒抜けだった」、「ジョー・小出は、日本政府、アメリカ政府、コミンテルンにそれぞれ情報を送っていた三重スパイだった。そのジョー・小出の背後に、モスクワ以来、常に野坂参三が存在していた」、「1964年、中国を訪問し、北京空港を立つ時、周恩来が『野坂には気をつけた方がよい』と、わざわざ忠告をしてくれたことがあった。ついでにいえば、1960年、モスクワで開かれた81ヶ国会議に出席したときには、既にソ連の政治局の同志からも『我々も中国の同志達も野坂をまったく信用していない』と云われた」。
 「はっきり云えば、野坂はその思想からいっても、人柄から云っても、日本共産党に紛れ込んできた怪しげな非マルクス主義的転向・異分子なのである」。

 袴田はかように述べているが、無視されている。袴田の暴露が虚偽であったとするなら、何の利益があって袴田はかような証言を為したのだろうか。れんだいこは、長年、宮顕の切り込み隊長として関わってきた自身の立場をも自己否定するこの訴えに耳を貸さない我等がサヨ御仁の無能に恐れ入るばかりである。

 米国に亡命したソ連の高級官僚として知られるレフチェンコは、ソ連の共産党史を次のように皮肉っている。

 「高校時代から大学時代にかけて、私はソ連の共産党史に関する様々な本を読んだ。それらの本は全て内容が全く違っていた。スターリン版の党史では、トロッキーやジノービエフやカ ーメノフといった有名な革命の指導者たちについて、一言も言及していなかった。フルシチョフの時代には、こういう歴史的な人物が再登場したが、今度はスターリンに関することはほとんど何も知ることができなくなり、スターリンは正史からほとんど抹殺されてしまった。やがてブレジネフが権力の座に着くと、新 しい歴史の教科書はフルシチョフについてほとんど何も触れな くなった。したがって、とても信じられないと思われるかも知れないが、ソ連の若い世代の人々はソ連の社会主義制度が誕生 してから比較的短い間の歴史についてさえ、知ることを禁じられているのである」(「KGBの見た日本」レフチェンコ回想録.180P)。

 これは上記の書で私が一番注目した一節である。党史の語都合主義的書き換えは、ソ連のことだからと思って済ますわけにはいかないのではないかというのが私の主張となる。先の投稿文でも少し触れたが、すでにわが日本共産党においても、徳球書記長時代の記述がずたずたにされている。手柄話のようなところでは宮顕がわざわざ出てくるという具合に恣意的な構成になっている。仮に近未来に党の現執行部の腐敗が暴かれる時代がやってきたら、当然の事ながら今の党史は大きく編纂し直されることが必至であろう。こんなことになるのはなぜなんだろう、こうなるともはや共産主義者の病気の一種と考えた方がよいのかもしれない。恐らく、「真理の如意棒」を持っているという認識の仕方と唯々諾々主義が原因なのではなかろうか。

 私に言わせればこういうことになる。ある客観事象を捉える場合、各自共通の認識の仕方がありえそうでありえないと考えた方がよいのではなかろうか。大雑把な共通認識は出来ても、微にいりさいにいろうとすれば違いが生じてしまうのが自然だ、と考える方が良いのではないのか。同じ局面にあっても、人にはそれぞれ急進気質と穏和気質があって、本当に革命を起こす気があるのならどちらも有用であって排除してはならないのではないのか。お互いがマナーを確立して大義に殉ずるべきではないのか。悪意の場合には別の論が必要かも知れないが。

 例えば、同じ景色を見ても、歩いてみた時のそれと、自動車に乗って見たばあいのそれと、トラックの場合と、川岸のボートに乗って見た場合とでは、それぞれ景色が幾分かずつ変わる。むしろ、この差が大事ではないのだろうか。プロレタ リアートの視点といったって、同じ視角からみんなが皆見れるというものでもないだろう(ちなみに、プロレタリアートの厳密な定義が私にはわからない。生産手段の話と社会の所得階層の話と公民間の話と子どもはどうなるのか等々がごっちゃになって分からなくなっています。同じ事はブルジョワジーの定義についても云えます。どなたか説明していただけたらありがたい)。ましてや、マルクス主義が対象にする社会の変革という場合の社会は、弁証法的変化の中にあるものであって、汲めども尽きぬようなある固定化した「真理の井戸」ではないのだし――。

 したがって、党史にせよ事実は事実で列挙すればよいのであって、有利不利な情報仕訳により取捨選択しない方がよいのではないのか、ということになる。つまり、その時々の事実の記録こそが後世の者に対する信義なのではな かろうか。時の指導部は見解とか方針の確立をなしえる権限を付託されているということであって、その理論の弁証性によって党員をぐいぐい引っ張っていくのが望ましく、納得しない者を納得させようとして統制化していくのは単に執行部のエゴなのではないのか、ということになる。話しにせよ、行いにせよ、絶対的‐‐‐うんぬんという如意棒が振り回され出したら警戒した方がよい。左翼陣営にありがちなそういう偏狭さが一般大衆を遠ざける原因になっているのではないだろうか。

 庶民が仕事を終えてビールを飲みながらプロ野球を観戦する。のほほんと見てると思ったら大間違い。選手と監督の動き、選手間の連携と個性、投手と捕手の呼吸、打者の論理、投手の論理、監督の采配・選手操縦術、監督によるその違い、球団の体質と比較等々にわたって、あたかも自己の仕事になぞらえて興味深く味わっているのではなかろうか。こうして得た智恵で諸事についても応用的に考える。ここにプロ野球観戦の効用がある。むろん草野球で自ら実践すればなおよく見えるかも。仕事の段取りから人間関係づくりにも役立っているに相違ない。仮に、党の動きとか組織論について考えてみた場合にも参考になる。その結果は、「党員の皆様ご苦労さん、頑張ってください。私は遠くから見守らせていただきましょう。何か窮屈そうで世界が少し違うようです。失礼致しやす」ということになっているんではないかしら。選挙における最近の党支持投票の増加は、世間の風がそれほど厳しく、その分党のかってのイメージに対する期待が大きいということであって、現下党中央の政策に支持が寄せられているのとは違う気がします、と言ったら党員を不機嫌にさせてしまいますか。

 最後にもう一つ。ソ連共産党20回大会でフルシチョフの「スターリン批判」演説を聞いた直後にトリアッチが指摘した一節はこうである。

 「全ての悪を、スターリンの個人的欠陥として告発することだけに事実上終わっているから、(批判が)個人崇拝という枠内に留まっているのである。以前は、あらゆる正しさは一人の男の超人的な才能に負っていた。そして今は、あらゆる誤りはその同じ男の、他に類を見ない恐るべき欠陥のせいなのである。どちらの場合をとっても、マルク ス主義の本来の判断の基準からはずれているではないか」

 次のことも指摘したい。元中央委員亀山幸三は、「代々木は歴史を偽造する」のあとがきの中で次のように述べている。

 「私は、平野氏がこの袴田調書を入手して、直ちに公表するとか、またはそれを現実の党の重大事項であると考えて、神山氏とか、その他の人々に見せていてくれたら、党の在り方、党中央の全ての事態はかなり現在とは違ったものになっていたであろうと考える。もしも15年前に公開されていれば、少なくとも、神山氏と私は、そのままにしておくはずがない。党はかなり大きな別の変化と発展を遂げたであろうというのは決して空想ではないと思う。私は三一書房の竹村氏や平野氏に、現時点においても、公刊されたことに心からの敬意を表すと同時に、その公刊までの経過があまりに長きにわたったことに、一言厳重な抗議を云わざるを得ない」。

 今日我々は、十分でないまでも亀山が手にしたよりも多くの資料を得ている。にも関わらず、現実はこれらの資料が精査されていない。この現象をどう了解すればよいのだろう。「もしも15年前に公開されていれば、少なくとも、神山氏と私は、そのままにしておく筈がない」となるところが、何事も無く平穏に経過させてきている現実がある。これを知性の貧困というべきか、怯堕(きょうだ)いうべきか分からない。しかし、いつまでも許すわけにはいかないことは確かであろう。という訳で、以下、れんだいこが及ぶ限り解析してみたい。日本左派運動の手痛い教訓の墓標として!

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 題名/ 宮本顕治論の緊急性」について補足
 今日でも「宮本顕治論」に取り組む意義についてこれを過去のこととして否定する見解がある。「過去に拘ることにはあまり意味が無く、過去ばかり見つめる後ろ向きな議論は賢明ではない。過去を蒸し返したところで、反動勢力を悦ばせるだけであり、新たな攻撃を強める結果にしかならない」とする立場である。果たしてそうであろうか。というより、この論に拝跪させられる者は、この論がエセ左翼理論であり、極めて悪質・反動的且つご都合主義的なそれであることに気づいているだろうか。この言い回しによれば、歴史はあって無きが如くに都合の悪い史実はいつでも切り捨てられることになる。

 この論調を、旧大戦の総括のセンテンスに置き換えてみればよい。「過去に拘ることにはあまり意味が無く、過去ばかり見つめる後ろ向きな議論は賢明ではない。過去を蒸し返したところで、反動勢力を悦ばせるだけであり、新たな攻撃を強める結果にしかならない」が、果たしてアジア諸国民に通用するだろうか。けったいな優越者論理であり、如何に強者日帝側の傲慢な見解であるか唖然とさせられるであろう。韓国、中国が今なお靖国神社参拝問題、歴史教科書問題に不快感を覚えているのは、この論理に含まれているメンタリティーに対して向けられているのではなかろうか。典型的な居直り論理であり、「臭いものに蓋」の心情ではなかろうか。

 私が「宮本顕治論」に取り組む意義は、まさにこのような論調と対決するためにある。この論理の敷設者こそ宮顕であり、氏の党中央簒奪によって党に定式化されたものである。今や、この論理が党全体を蝕んでしまい、下部党員まで納得させられてしまっている。何ら史実を実証しないまま「50年問題」の総括もこの調子でやられた。これが宮顕の行くところ向かうところに立ち現れる公式論理の特徴である。

 「宮本顕治論」については次のように考える必要がある。それは決して過去のこととして済ませられることではなく、宮顕が党中央時代に敷いた総路線が今日の不破−志位執行部に丸ごと継承されており、今なおこのラインから外れることが許されていない。党内検察官が特高の目をもって徘徊している様子は伝えられているところである。

 このことによって、現代党中央批判は、ことごとく淵源として宮顕にたどり着かざるを得ないという相関関係にある。従って、「過去に拘ることにはあまり意味が無い」という姿勢は、宮顕の免責とその系譜である現下党中央の擁護を意図した露骨な御用理論である。逆に云えば、史実に拘り特に宮顕の党史的履歴を暴くことは、鋭く現下党中央批判につながっているということになる。

 その卑近な例を挙げようと思う。宮顕の戦前の悪業「小畑中央委員リンチ査問致死事件(以下、単に「リンチ査問致死事件」と云う)」の際展開された論理が如何に今日にも引き継がれているか、を明らかにさせてみたい。「リンチ査問致死事件」について、戦後の宮顕の釈放に当たって免責されたのだからその時点で解決済みであり、今更これを蒸し返すことには意味がない、反動勢力を悦ばせるだけであるという論調がある。

 私はこれにも異論があるが、それはさておくとして問題は次のことにある。宮顕が事件の弁明で展開した論理が今日の党理論の下敷きになって今も生きており、これが為に党運動を変調にさせている。であるが故に「リンチ査問致死事件」の清算は未だに為されていないし、これを黙過させる訳にはいかないということだ。

 私の解明によれば、「リンチ査問致死事件」は、社会通念はもちろん当時の党規約によっても理不尽な暴力致死事件である。にも関わらず、宮顕は今日に至るまで体質性ショック死により思いがけなくも突然死したのであり、むしろ我々特に私は蘇生に努力したものである、蘇生しなかった小畑のほうに問題があるとまで言い張っている。この黒を白といいくるめる詐欺的詭弁論理の変態性が、今日の党中央理論の核心に宿っている。党組織の最高指導者のこうした姿勢は全党に影響を及ぼすことになる。

 この論理あるいは姿勢の影響は、物事を正視してそこから教訓を生み出し、自己批判も交えながら事態の好転に向かわせるという当然の姿勢を欠落させる。あらゆる場で自己を正当化し肯定する論に立脚させ、状況に合わせてその場凌ぎのご都合論理で糊塗することに終始させるという作法を生みだしていく。このことは党史を見れば無数に例証し得るところである。今や、こういう安易愚劣な手法が党の習い性となっている。こうして宮顕以来、この党は、上級機関へ行けば行くほど本音の語りが為しえず、裏表のある口舌で世渡りする人士の巣窟となった。このことが宮顕が党中央に与えた最大の犯罪である、ということに気づかねばならない。

 「リンチ査問致死事件」は、小畑の死亡を廻っての逆裁定論理だけに問題があるのではない。査問を正当化する組織論も宮顕特有の倒錯論理で構成されており、この理論が今日にも引きずられていることが知られねばならない。但し、これは、党内の有象無象イエスマンには発生しないので、そういう者は気づかないところである。

 どういうことかというと、宮顕が先輩格の大泉・小畑両名の査問にあたって次のように述べていることが該当する。
 正当聖戦論
 「リンチ査問致死事件」はスパイ摘発闘争であったとする正当聖戦論。だがしかし、両名がスパイであったかどうかについては、大泉は確定しているが、小畑については疑問が強過ぎる。おかしなことにスパイであった大泉の方の査問が緩やかで、最後まで否認した小畑の方が致死させられてしまっている。今日の研究あるいは一部漏洩された予審調書、公判調書から推定できるところは、小畑は有能な労働者畑党員であり、容疑は全て冤罪であった余地が十分にある。してみれば、党中央は今からでも小畑の検証に向かわねばならない党的責務がある。

 もう一つ、宮顕式正当聖戦論の「正当」性を誰が判断し得るのか、その法理が早急に解明されねばならないところである。が、史実は宮顕一人に解釈権を握らせてきたという経過がある。ちなみに、この正当聖戦論は、60年代後半の善隣学生会館事件に採用されたところの理論であり、決して過去のことではない。
 党内規約論
 党中央には査問権があり、各党員はそれを承知で入党しているのであるから外部の者からとやかく文句をいわれる謂れはないとする入党時承認済み党内規約論。この論理が如何に変調なものであるかは云うまでも無かろう。よしんば、組織維持上査問権が認められるにせよ、機関によって適正な手続きと手法で為されるべきであり、当然のことながら両者の陳述が正確に結果報告されるべきであろう。「リンチ査問致死事件」に見られるのは、卑怯卑劣姑息な査問手法と、勝者側の「勝てば官軍」論理のプロパガンダばかりである。宮顕及びその同調グループ以外にこのような査問権を認めるものはいない。

 この論理は、党組織論の民主集中制とオーバーラップすることにより、党中央の反対派駆逐に絶大な役割を果たしてきたし、この解釈は今日もなお生き続けている。これを知らず、今日のソフトスマイル路線で新規入党紹介にいそしむ者あるとするならば、責任問題が発生するであろう。
 正当防衛論
 この時の査問は緊急有事型の正当防衛権の発動であった論。その為に小畑の過去の履歴がデッチ上まで含めてフレームアップさせられ、さもらしくスパイであった論を捏造させた。小畑の方が死亡したのにも関わらず大泉のスパイ性といかがわしさが強調され、その論理を通じて小畑致死当然論まで発展させられており、論旨のすり替え、後付け的な虚偽が多用されている。

 この変則話法は、はるか遠く今日の党中央のマルチ舌へと発展している。付言すれば、この正当防衛論は60年代後半の対全共闘運動、70年代の部落開放同盟との抗争事件の際にも持ち出された特殊理論である。
 階級裁判批判論
 この事件の裁判闘争での階級裁判にはなじまない論。当時4名しかいなかった先輩格の小畑中央委員を致死させ、床下に遺棄したという歴然とした事実があるにも関わらず、宮顕が弁明したのは、@・査問は正義であった。A・死因は体質による急性ショック死である。B・蘇生に努力したのは専ら私である。C・死体遺棄には私は関知していない、というものであった。これの検証を行おうとする法廷の当然の流れに対して、階級裁判にはなじまないとして逃げ続け、格別の配慮で為されつづけた法廷陳述の際には国際情勢論、スパイ摘発の正当性論を述べ続け、肝心の査問致死の実質審議に向かわせなかった。

 してみれば、全く得手勝手な隠れ蓑理論として階級論が利用されていることになる。この「こちら免責、相手有責論法は今も党中央に息づいている。共産党が政権党あるいは他の野党を批判するのは無制限であるが、反対に批判される場合に持ち出されるのが反動派呼ばわりであり、恫喝である。
 変態投降理論
 闘う砦に対し専らスパイ論と挑発論で摘発側に廻り、権力側には従順な子羊を申し出る変態投降理論。これも多言を要しない。宮顕運動の軌跡を要約すればこの認識に尽きる。宮顕が闘ったのは党内反対派と大衆的戦闘団体に対してであり、権力闘争に対しては吐き気を覚える右傾化路線で対応している。しかも、その権力を満開にさせた時期からの右派ぶりは世界の共産主義者運動の中に他に例を見ないものがある。

 この変調指導によって、我が左翼は党内のみならず、社会党左派、新左翼運動、戦闘的大衆団体、青年団体のことごとくが「左」から弾圧、分裂せしめられ、勢力を削がれてきた。もっともこれは宮顕一人で為されたとまでは云うつもりも無いし、やられた方の無能性もないとはいえないであろうが。
 党史歪曲
 党史歪曲。、その学習軽視理論活動の規制論。このように過去を引きずる宮顕にとって史実を直視することができない。替わりに用意されるのが党中央お膳立ての公式論であり、その押し付けローラーであり、その素性を隠すために核心のない饒舌と長広告論文の多様である。
 学習軽視
 こうした事情から、党中央の一手専売で作成される公式論のみが許容され、「知らしむべからず、拠らしむべし」的党運営、下級党員による「寄らば大樹の陰」的党活動が行われることになっている。だかしかしこの手法は権力発想、支配、秩序そのものであり、その容認ではなかろうか。ここにある作法はマルキストの正反対のそれであろう。
 理論活動の規制論
 当然に党員個々の見解、論文発表は掣肘される。党員相互の横断的な交流は堅くご法度とされる。この公式論はどこから見てもドグマであり、となるとその押し付けからもたらされるものは一種宗教的な偏執狂気でしかなかろう。

 党員相互の自主的な理論活動は次の理由によって排斥される。@・現状分析研究の制約。これは、もっとも根幹的には宮顕が定めた現綱領の対米従属規定の間違いとその反動的狙いが暴露されることになるからである。A・天皇制研究の制約。これは、その機構メカニズムにおいて宮顕法皇批判に通底してくるからである。B・官僚制研究の制約。これは、その機構メカニズムにおいて代々木官僚批判に通底してくるからである。

 その他等々の理由によって、宮顕運動は、いつのまにか共産党運動が瑞々しく持っていた感性と抵抗精神と現状を把握する理論を失ってしまい、本来的党運動の反対物に転嫁してしまった。こうして、体制を批判してやまない共産主義者の元来の運動が、その批判している当のものを身に纏いながら相も変わらず「階級敵」を批判し続けるという変態化せしめられてしまっている。その弊害は、「左」から為されていることにより仲間意識を背後からズタズタにさせていくことにあり、してみれば「右」からのそれらより却って始末が悪い。

 以上、
「宮本顕治論の緊急性」が古くて新しい命題としてあるということが説明できたであろうか。

 
もう一つ追加するとすれば、宮顕その人が野坂同様スパイであったとしたらどうなるかという重要な問題も残されている。この点は全く解明されていないが、れんだいこは数々の傍証によって確信している。もしそうであるとするならば、「50年問題」発生以降今日に至る党運動はその評価が根底から覆されねばならないことになる。怖い話だがそういう可能性が充分にある以上「宮本顕治論」に背を向けることは許されない。今日我々が共産党中央に覚える不快感は、全てこの辺りの事情から発生していることが理解されねばならない。

 もう一つ追加する。「小畑中央委員リンチ致死事件」時の小畑圧殺の際に宮顕の果たした役割は、ある意味で宮顕の人となりを象徴しているのでは無かろうか。数日の絶食状態に陥らせてられていた小畑が最後の抵抗を挑んだ時、宮顕は馬乗りになって背後から腕を捩じ上げ悶絶死させていったが、小畑を革命運動の聖戦士と仮託すれば、何を隠そう宮顕はその絞殺者ではないのか。この一例が宮顕の役割の万事をシンボライズしていないだろうか。そういう意味でも「小畑中央委員リンチ致死事件」は古くて新しい。

 ここに、上記を補足する恰好の投稿([JCP−Watch!]掲示板 )がある。無断であるが拝借したい。

認識不足と認めずに認識が発展したという詭弁(KM生(01/5/26 08:25)

> 改めて聞くけれど、今、日本共産党はそんなことを考えていないですよね。 だったら、以前にいったトンでもないことについて、総括はしているのでしょうか。共産党の人はどう思っているのだろう?

> そりゃ、共産党だって失敗があると思います。 核兵器のこともそうだし、ソ連のヨイショもそうだし、北朝鮮の問題もそうでしょう。 でも、間違いがあったら、それを認めて修正したら良いだけだと思います。 なぜ、そうしないのだろう。

 小生が大学入学当時(1974年)「核問題に対する我党の御都合主義者振り」を党の会議で批判したところ、先輩党員から「おまえの議論は米帝を免罪する議論だ。党を批判する暇があったら、もっと党勢拡大に励め」といわれました。実際当時は、日韓問題についても、日本共産党離党学生が韓国で逮捕された民青学連事件や朴大統領夫人射殺事件があり騒然としていました。後者については、確か赤旗は韓国の自作自演説に近い立場をとっていましたが、私は「どう考えても大統領自身も射殺された可能性もあるのに、自作自演説は無理がある」と思っていました。

 その他日共は1956年のハンガリー問題についても長らく「反革命説」をとってきました。1968年のチェコ事件や1980年のポーランド事件を経て、ようやく1982年になってのこのこと「日本共産党の60年」で一言の反省の弁もなく「民衆蜂起」と認定したのです。

 1965年のインドネシア9.30事件については、未だに公式見解を出していません。インドネシア共産党と日共は因縁浅からぬ関係にあったのですが(1964年新日本新書蔵原惟人著「今日のインドネシア」等による)。そして一般的には「組織擁護主義者の宮顕がインドネシア共産党の壊滅を見て、恐怖のあまり中国流の人民革命論の放棄と議会主義を決意して、これが翌1966年の日中両国共産党訣別に繋がった」といわれていますが。せめて宮顕さんには、この辺の事情を釈明してから鬼籍に入って欲しいところですが、彼の軟化した脳では最早無理でしょうか。

 何れにせよこれらに共通していえるのは、初期に出した見解がその後の情勢の進展によって誤りだと明らかになっても、「認識不足だった」と反省せずに「認識が発展した」と強弁して自己正当化ばかり図る点です。無論こんな出鱈目な態度では、広範な国民から信頼されず、過去の誤りから謙虚に学ぶことが出来ず、結果的に未来の党の発展にも何等生かしていくことが出来なくなるのです。


 何といってもこの手の日共の「お断りなし見解変更」の際たるものは、94年の20大会の「旧ソ連等は社会主義ではなかった」決議でしょう。今まで社会主義だといっていたものをいきなり「実は社会主義ではなかった」といわれても、矛盾を感じるのが普通だと思います。しかしろくな討議もなしに全会一致で可決されているのです。確か私が70年代学生時代に受けた講義では、「現行の社会主義国を社会主義でないという奴はトロツキストだ」といわれたのですが。


 題名/ 宮顕の党史的地位の重要性について

 現在の党の在り方について疑問を覚え、そのよってきたるところにメスを入れようとすれば、どうしても第8回党大会から解きほぐさないと解明できない。 先の党創立記念講話で、いみじくも不破委員長が、「日本共産党の今の路線というのは、いろんな呼び方をされていても、実は、38年前に第8回党大会で決めた綱領の路線そのものなんです」と言っているように、この大会で満場一致された綱領路線のカメレオン化が今日の党の姿であるからにほかならない。ところで、第8回党大会に照準を合わせようとすれば、どうしてもこの大会で採択された綱領の起草者であり、且つこの大会でナンバー1の地位を獲得した宮本顕治氏に注目せざるをえないことになる。私の宮顕に対する関心はここから始まっている。

 ところが、この宮顕自身に関する情報が極めて少ない。著作はそれなりに出されているものの党外の者に影響を与える程にはなっていない。当人または出版社が控え目なのか、単に人気を呼ばないだけなのかよくわからない。他方、宮顕を論じたウオッチ本もまた極めて少ない。どこの国でも党指導者ともなれば、レーニン・スターリン・毛沢東は言うに及ばず誰彼となく賛批両論で論評されている状況を思えば珍しい現象ではなかろうか。宮顕が自身をカリスマ化させることを好まなかったという「正の面」もあるのではあろうが、不自然な思いが禁じえない。

 そういう乏しい情報の中からまして時間も能力も足りない私が「宮本顕治論」を試みることにはなおさら困難が強いられる。 とはいえ、
現在の党を指導する不破−志位執行部の是非を問おうとすれば、どうしても元締めである宮顕論に帰着することになり、ここから扉を開かねば党の再生方向も見えてこないような気がするゆえに立ち向かわざるをえない。

 折に触れて党内批判が漏れてくることがあるが、党内純化が完成した66年の第10回党大会以降においては、それらのいずれもが宮顕に対する忠誠を証した上での信任争いの風があり、私の視点とは違うという思いしか湧かなかった。十年ほど前であっただろうか、書店で確か諏訪グループ(?)による党内批判の冊子を見かけたことがある。東大細胞内の指導権争いで志位氏との内部抗争で敗れた恨みつらみの部分が目を引いた。今日私が『さざ波通信』 と関わりながら党についてあれこれ発言していることを思えば、パラパラとめくっただけで済ましたことがあたら惜しいことをしてしまったように思える。手元にその時の冊子があれば、党内民主主義のあり方等々をめぐっての何らかの貴重な資料になっていた可能性があったように思える。

 私はまるで知らなかったが、伊里一智という方が党大会か何かの会場で宮顕退陣を要望する批判ビラを撒いたことがあったらしい。ビラの内容の粗筋でも知りたいが、こういうものは伏せられるのが現在の党執行部の習癖であるからしかたない。推測であるが、宮顕の権力的な介入が党活動上大きな桎梏になっているということを指摘していたのではないかと思われる。この場合、 宮顕の活動履歴を一応肯定的に評価した上でこれ以上の介入には害があるとしているのか、そもそも宮顕の活動履歴を肯定しないのかという二つの見方が考えられる。恐らく伊里一智氏は前者であり、私は後者の立場にある。

 新日和見主義批判の問題もあった。これは一方的に査問され始末書を取られただけのことだから、意識的に党批判活動をした前二者の例とは異なる。ただし、党内に及ぼした波紋の大きさという意味では執行部批判の流れに入れても差しつかえないと思われる。本筋とは関係ないが私の目の前で起こった事件であっただけに感慨深いものがある。言えることは、党の新日和見主義批判論文なるものは、批判しやすいように得手勝手に措定された新日和見主義者たちが前提にされており、とてもまともなものではない。リクエストがあれば、私論を提供することが出来ます。

 これらのことに触れる理由は、今日の党内のあれこれの腐敗現象に対して、執行部の総入れ替えに向かわない限り解決しないのではないかと思うからである。不倫とか万引きとか横領とかの類の不祥事はどこの世界でもあることだから、いくらそんなことを聞かされてもこのこと自体をもって党の評価を下げようとは思わない。問題は 、そういう腐敗現象の奥底に現在の党綱領路線の間違いが起因になっている面があるのではないかと憶測しうることにある。国家の従属規定の変チクリンから始まる「二つの敵論」の馬鹿馬鹿しさが影響しているのではないか、と思われることにある。どう考えても講和条約とその後の一連の過程で日本は国家的に独立したのであり、それを従属規定で押し切った現綱領路線は、一見アメリカ帝国主義と闘う姿勢を強調したものではあるが、客観性から離れた情緒的な認識でしかない。むしろ、その後の日本独占資本のフリーハンドな資本蓄積に貢献したドグマでしかなかったのではないか。国家再建のためにはここまでは良かった面もある。ただし、日本独占資本の海外進出が 国際資本との厳しい競争の中で行なわれている今却って弱点になっているようにも思う。なぜなら国内で労資が揉まれた経験を持たぬまま浪花節的な労務管理を押しつけていくことになる訳だから、海外現地での雇用軋轢を至る所に発生させてしまう。既に中国市場で次第に米系資本が優勢になりつつあることはその証左であろう。

 話を戻して、現在の党の運動理論は、国家の従属規定から始まってここから あらゆる事象の認識にボタンの掛け違いを招いているのではないか。執行部 もまた、この間違いを覆い隠そうとして、いたずらに統制的手法で党内整列を余儀なくされているのではないか。以来50年近くなろうとしており、反対派掃討の結果何の不安もなく本質をむきだしにする局面に至っている。今日的状況としては右翼的暴走の観があるが、もはや場当たり主義で理論らしきものさえない。旧社会党路線よりも右よりの旧民社党的路線に進みつつあるのではないか、と思われる。こうした方向に進みつつある不破−志位体制批判をしようと思えば、宮顕体制そのものから解析しなければ解けないのではないのか、というのが私の視点である。

 
というわけで、この観点から当人にまつわる公的な面について研究してみようと思う。ただし、『さざ波通信』誌上は宮顕にトータルにアプローチする場ではないので、最小限宮顕を論ずる場合に避けては通れない重要事項についてのみ接近してみたい。その1番目の課題が、「敗北の文学」に見られる氏の特殊感性に対する分析になる。以降順次項目が立つがとりあえずここから入ってみようと思う。既に長文になっておりますので、以下は次回に投稿したいと思っています。

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 題名/ 加周義也「リンチ事件の研究」より抜粋

 加周義也氏の「リンチ事件の研究」に次のような一節がある。私もそのとおりであると思うので以下ご紹介させていただく。

 「共産党は、宮本が現に犯した犯罪事実を認めるべきである。認めれば、受ける打撃は甚大であろう。しかし、それでもなお、事実は事実として率直に認め、反省すべき点は潔く反省し、その証として取るべき責任は取った方が良い。そうして党の道義と良識を天下に明示した方が、国民の信頼をつなぎ止めうる点で、はるかに有利である。

 今、国民が共産党に求めているのは、ただひとえに、公党の当然持つべき『モラル』なのだ。政治、経済の論理よりも、『人間の論理』を求めているのである。仮に共産党の政治、経済の論理の優位性を認めることができたとしても、一片の反省すらできない『モラル』、『人間の論理(倫理)』を欠落した政党を、どうして国民が信頼し、日本の将来を託すことになるだろう。

 共産党にしても、真に議会を通じての革命路線を進む気でいるならば、国民の信頼を勝ち取ることは不可欠の条件であろう。それなら、『モラル』の回復こそ何よりも最優先すべき急務である。

 この点で、宮本の犯罪事実を認めるのか認めないのか、潔く反省するのかしないのか、−共産党がこのどちらを選択するかは、宮本の個人的利益の問題を越えた、党全体の利益に関わる問題であることは、あらためて指摘するまでもない明白な事実である。まさに、一歩の判断の誤りは、党にとって取り返しのつかない万歩の誤りに通じている」。

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 題名/ 浜田幸一「一人独裁の宮本顕治は、即みそぎを」より抜粋
 浜田幸一氏は、著書「日本をダメにした九人の政治家」(講談社、1993年初版)の「一人独裁の宮本顕治は、即みそぎを」の中で次のように述べている。
 「そういう宮本氏を幹部として戴き、国政に関与させてきた日本共産党の姿勢に、大きな懸念を禁じえないのである。日本共産党は、一党独裁の政治を日本に実現しようとしている政党であり、その考えは今も捨てていない。正森君は『公党の最高幹部である我が党の宮本議長』と言っているが、『公党』だからこそ余計に、殺人者であり、かつその罪を償っていいない人物を最高幹部にしていることに疑念と危険性を感ずるのである」。

 「共産党の非民主的な体質は、恐らく宮本議長がいる限り、今後も変わらないだろう。宮本議長のような不明朗な人間が、国民のみそぎも受けない形で公党の実権を握り、国会議員を思いどおりに操っているのは、どう考えても許されざることだ。私は、いかなる役職名であれ、少なくとも宮本氏が党の事実上の権限を握って君臨している限り、共産党との闘争をやめる気は無い。こういうやり方は、第二章で述べた中曽根・竹下の院政政治とよく似ており、日本の政治家のこういった発想・手法が日本をダメにしているのだ」。




(私論.私見)