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「東京遷都(せんと)」 |
1868年江戸を東京とし首都を京都から東京に移した。 |
A |
版籍奉還(はんせきほうかん) |
1869(明治2).6月政府は大名(だいみょう)が支配していた土地と人民を朝廷に返還させた。これを版籍奉還と云う。木戸が維新前から持っていた構想で、薩長土肥4藩主から建白する形で版籍奉還を実現させ、中央集権国家の体を整えていった。が、これは形式だけのことであり、実際に各藩はそのままの形で残っており、藩主も知藩事(ちはんじ)という名前に変えられただけで、領内の運営は全て藩が行っていた。 |
B |
廃藩置県(はいはんちけん) |
1871年には藩(はん)を廃止して府(ふ)と県(けん)をおき、政府の任命した府知事(ふちじ)・県知事(けんちじ)をおいた。これにより、政府の命令を地方にもいきわたらせることができるようになり、全国を一つにまとめる政治のしくみが整えられた。版籍奉還に次ぐ廃藩置県には、薩摩藩主の父島津久光が猛反対したという。こうした武士の不満を抑えるには、切れ者ではなく、人望のある西郷が必要だった。維新後、鹿児島に戻って悠々の生活を送っていた西郷を、大久保は自ら鹿児島に行って中央政界に引き戻した。
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C |
四民平等(しみんびょうどう) |
政府は士農工商の身分制度をやめ、国民は全て平等であるとした。そして、人々は誰でも名字(みょうじ)を名乗り職業や住む場所を自由に選べることにした。しかし、天皇の一族は皇族(こうぞく)、公家(くげ)や大名(だいみょう)は華族(かぞく)、武士(ぶし)は士族(しぞく)、農工商などは平民(へいみん)とよばれ実際には差別は完全には無くならなかった。 |
D |
学校制度 |
全国に小学校を設け、国民は6歳になれば誰でも教育を受けるようになった。 |
E |
生活の洋風化 |
生活の変化:西洋文化(せいようぶんか)が急速に入り生活に大きな変化がみられた。洋服や靴が普及1し、牛肉を食べる2ようになり牛乳も飲むようになった。テーブルやいす3も生活の中に用いられるようになった。ちょんまげ4を切り、刀も持たなくなった。1872年には太陽暦(たいようれき)、一日24時間制1週7日制を採用した。 |