第40部−211 当時の民族主義考
三谷 博 (みたに ひろし)『明治維新とナショナリズム――幕末の外交と政治変動』(山川出版社)
1950年、広島県福山市生まれ。
東京大学大学院人文科学研究科博士過程単位取得退学。
学習院女子短期大学助教授などを経て、現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。
著書『明治維新の革新と連続』(共著、山川出版社)、『地域史の可能性』(共著、山川出版社)など。

 「明治維新とナショナリズム」というテーマそのものは、けっして目新しいものではない。しかし、これまでの幕末・維新の政治史は、どうかすると、明治政府の中核を構成する薩長を中心とした尊王攘夷運動に偏って叙述されてきた。そして、維新におけるナショナリズムの問題も、いわば維新の勝者の側に引き寄せて論ぜられることが多かった。本書の最大の功績は、そうした傾向の中にあって、幕末の徳川家・幕府有司・大名等の動向に考察の力点を置き、それによって維新におけるナショナリズムの問題に新しい光を当てたところにある。

 著者は、まず最初に、最近の欧米におけるナショナリズムの研究にも目配りしながら、すでに18世紀の日本に「プロト・ナショナリズム」と呼ぶべきものが成立していたと説く。ここで著者が「忘れ得ぬ他者」という観念を用いながら、中華帝国への対抗意識が日本のナショナリズム形成の重要な契機をなしたと論じているのは、貴重な卓見である。ついで著者は、19世紀初期の会沢正志斎・古賀 庵の書物を紹介し、彼らに時の世界の現状に対するかなり正確な認識、日本についての激しい危機意識、そして危機への対応策があったことを明らかにする。

 ここまでの序論的な考察を踏まえた上で、本書の叙述は、アヘン戦争からペリー来航を経て1860年代に至るまでの幕府外交の綿密な分析へと移ってゆく。それを通じて著者が力説するのは、一般に説かれるように幕府はまったく無準備のままに黒船来航を迎え、無定見のうちに外圧に翻弄されたわけではなかったということである。たとえば幕府内部では、ペリー来航の10年余り前から、アヘン戦争後の国際環境の激変を睨みながら、西洋の通商要求にどう対処すべきかが真剣に議論され、ほぼ一貫した対応の枠組みが出来上がっていたのである。

 続いて本書は幕末の内政について多面的な考察を進めるが、ここでも著者の分析は、とくに次のような点において大いに独自性を発揮する。(1)幕末の政治運動として幕府有司による強兵・集権運動を重視していること。(2)ペリー来航直前から始まる有志の大大名たちの「公議」運動の意義を再評価していること。(3)幕末の徳川将軍家における人材登用と「家」身分制の変化に注目していること。重要なのは、これらの諸点のいずれもが、おのずから幕末・維新期におけるナショナリズムの進展という大きな歴史的脈絡の中に位置づけられていることである。

 著者自身の結論部分での要約によれば、幕末・維新期の政治主体をなした武士や公家たちは、「強兵」「尊攘」「公議」等の運動に分かれていようとも、「外圧対抗のための国家機能の強化」という共通のナショナルな課題を至上視し、その意味でナショナリズムを共有していた。明治維新がフランス革命などに比較して例外的に犠牲者が少なく、また、武士という身分が比較的簡単に消滅したことなども、そのことによって説明できると著者は説く。
 全体として、「ナショナリズムの革命」としての明治維新の研究に新たな境地を開いた、実証的であると同時に独創性のゆたかな書物と評価することが出来よう。
野田 宣雄(南山大学教授)評