第40部−27―2 講座派・労農派の明治維新の位置付け

明治維新について

 昨今、「自由主義史観」やら、「従軍慰安婦問題」やら、日本近代史については政治がらみのセクト的議論がかまびすしい。困ったことである。理性を欠いた感情論が論壇を支配しており、安心してものも言えない雰囲気が生まれている。私たちはこのような現状にふりまわされることなく、確固とした自らの足場を構築しなければならないだろう。そのためにも、「明治維新史」の研究は現代的な重要性をもっていると考える。

 戦前における明治維新史の展開は、やはり基本的には政党の戦略論争の過程を基礎としていた。そのため、それだけ熱が入っていたとは言えるし、精緻な論理が組み立てられて行ったとも言える。それらは肯定的な側面であるが、反対にきわめてセクト的な宗教論議的様相を示したことも否めない。

 野呂榮太郎なども初期の著作においては明治維新のブルジョア革命的性格について書いていたりするものの、その後の講座派的理論の展開においてはそうした側面は急速に失われ、明治維新すなわち絶対主義天皇制の形成という議論にステロタイプ化していった。党派的議論の行き着く先として当然と言えば当然である。

 何よりも32テーゼという金科玉条を裏付けるための研究という性格が、明治維新史研究のゆがみを生み出したと言えるであろう。

 そしてこうした傾向の決定版となったのが、山田盛太郎「日本資本主義分析」である。

 そして、これはある種の「教団」の「聖典」となった。彼は、明治維新によって成立した日本社会を「半封建制」の一色で塗りつぶすことに腐心した。

 彼の文章は難解と言われ、そのためかえって神秘的な人気を呼んだようであるが、実際のところ、たしかに日本語としては変な文章だとは言えるが、スタイルは気取っているとはいえ、別に分かりにくい文章ではない。

 彼の言わんとすることはきわめて単純である。絶対主義天皇制は半封建制の上に立っていて、半封建制は絶対主義の絶対的な必要条件であるから、半封建制の解体とともに絶対主義天皇制も崩壊する、とするものである。当時、ブルジョア革命を当面の革命としていた某政党にとっては都合の良い理論である。

 しかしながら、この議論においては「天皇制」なるものが、「絶対主義」とのセットにおいてのみ理解されており、古代以来連綿と続いてきた「天皇制」はまったく無視されている。講座派を理論的立脚点とする政党は、「天皇制打倒」をかかげていたわけだが、ここでは「絶対主義」と「天皇制」とは必ずしも同一ではないことが失念されている。「天皇制」は「絶対主義」に解消されるものではない。もう少し具体的に言えば、「ブルジョア革命」と「天皇制打倒」とは同じではない、ということになろうが、今ここでこの種の議論に深入りするのは避ける。この問題だけでもひとつの研究テーマにはなるだろう。

 さて、講座派を立脚点とする政党は実際には1935年には活動を停止した。日中戦争、太平洋戦争期には何の活動もしていなかった。というより、この党からの転向者たちは積極的にこの戦争に協力していた、ということからすれば、「反戦をつらぬいて何十年」とかいう戦後のこの政党の宣伝文句はいかにも白々しく響くわけだが、それはさておき、戦後、この学派の「明治維新論」はいかに展開したか。

 戦後、講座派「明治維新史」の定番はまず遠山茂樹「明治維新」であろう。当然のことながら明治維新=絶対主義の成立なる基本的なパースペクティブに変化はない。というより、彼はこの見地をさらに理論的に「深化」させたといえよう。

 彼によれば、維新変革とは、下からの農業革命を圧殺した上からのブルジョア的改革=絶対主義の成立、ということになる。彼によって維新政治史はますます封建制一色に塗りつぶされることになったといえよう。まさに純粋講座派の嫡子と言うべきか。

 ところで、同じ頃、同じ講座派から一種の異端児が登場した。井上清「日本現代史T明治維新」である。

 彼も、明治維新=絶対主義論をとることにかわりはないが、そのような議論は二の次とし、幕末維新期をもって日本の半植民地化の危機が進行していた時期とし、維新をもってこの危機に対する民族的抵抗運動とする側面を強調した。

 従来、講座派においては一般的に明治維新を否定的に評価してきたのと比べれば、明治維新のある種の積極的評価であり、戦前の羽仁五郎あたりの説に近いといえる。

 従来ほとんど無視されてきた側面に注目させたのは功績かも知れないが、実のところ、某政党の「反米帝」への戦略変更と合わせて出てきたものだけに、ある種の胡散臭さがともなっているのはやむを得ないことである。要は、民族主義を高揚させたいという政治的意図が見え隠れする。

 なにしろ、このころ岩波史上最悪の講座とされる「日本資本主義講座」が刊行されたりして、経済学でも「買弁資本に対して民族資本の育成」が強調されたり、日本古代史でも「英雄時代論」などが出てきて、「ヤマトタケルは民族の英雄」などとされていたわけだから。井上維新論もこの種の流れのなかにあるわけだ。どうも昔から社会科学や歴史学は政治とは切っても切れない関係にあるようだ。困ったことだとばかり言っていられない面がある。

 その後の維新史研究は、戦前の服部之総の流れを受けて、堀江英一らを先駆けとして主として幕末のブルジョア的発展についての経済史的研究が主流をしめるようになっていき、明治維新を総体として論究するようなものは少なくなってしまった。

 しかし、政治史では藩単位の実証的なものが増加していることもあり、今後はこれらの総合的検討が必要になるだろうと思われる。

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