325123 ネオ・シオニズム系社会主義とマルクス主義の相似と異質考

 (最新見直し2006.3.27日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 れんだいこは従来、マルクス主義を真のマルクス主義と俗流マルクス主義の二本立てで捉え、真のマルクス主義の再興をという観点で論及してきた。しかし、ここへ来て「真のマルクス主義」というものの内実に疑問を覚えるようになった。「真のマルクス主義」の内包する哲学、思想、社会科学性がネオ・シオニズムのそれと近似していることに注目し、相似と異質性を剥離させねば「真のマルクス主義」にはならないと思うようになった。曖昧なままでは、当人がマルクス主義と思って為している営為がネオ・シオニズムの手助けに過ぎない結果に陥いる愚を繰り返すということに気づき始めた。

 そういう訳で、ネオ・シオニズムの考究に向わざるを得なくなった。ところが、ネオ・シオニズムの解析これが難しい。今一歩一歩解き解しているが対象が広がるばかりで道に迷いつつある。しかし誰かがやらなければならないだろうし、幸い太田龍・氏が未踏の先人として道を切り開いているので、手探り状態という訳ではない。数年するうちに何がしかの論考を生み出せると思っている。請うご期待を。

 れんだいこが気づき始めたのは、れんだいこがこれまで批判してきた俗流マルクス主義とは、マルクス主義を衣装させたネオ・シオニズム系社会主義に他ならず、これを嫌悪してきたれんだいこの感性は正しかったということである。更に云えば、「真のマルクス主義」そのものが多分にネオ・シオニズム系社会主義に汚染されているので、これを剥離させた「真のマルクス主義」というのは蜃気楼になる恐れがあり、「真のマルクス主義」を追い求めるのなら現代バージョンで再創造せねばならない、ということにも気づき始めた。

 それやこれやで、れんだいこの能力では手に負えないのであるが、他に誰がやろうとしているのだろう。故に、やらずんば居れない。実際にはそういう方が居られるのだろうと思う。しかし、ある観点抜きには困難で、その観点を保持している者は稀であろうから、やはりれんだいこの価値は高い。そう自負している。その観点とは何ぞ。これを種明かしすれば、マルクス主義を東洋思想で読み取るということになる。

 従来、東洋思想を捨て去る対価としてマルクス主義を学んできた。しかし、マルクス主義の西洋思想性、ネオ・シオニズム性が透けて見え始め、西洋思想性、ネオ・シオニズム性の限界が露になりつつある今、東洋の我々こそが、捨て去った東洋思想の叡智を呼び戻し、練り合わせる必要があるのではなかろうか。もっとも、東洋思想と云っても、インド、中国を始めとする様々の思想がある。それらに一々精通することは出来ないので、れんだいこは、日本思想特に古神道、更に中山みきの思想を援用して練り併せてみたい。これが又大変なのであるが、れんだいこなら出来そうな気がする。

 以上を前口上として、以下論及する。

 2006.3.27日 れんだいこ拝





(私論.私見)