3251614 民族自決権について


「マルクス主義における民族の問題」 

 マルクスおよびエンゲルスが、民族自決権のような「権利」を認めていたかどうかについては疑問視されている。

〈エンゲルスにおける「「歴史なき民族」の理論〉

 民族自決権を認められるのはあくまでもヨーロッパの歴史的大国民のみであり、「歴史なき民族」や「諸民族の残片」は、これらの生命力ある大国民の中に吸収されてしまうのが歴史の必然である。[3]

 マルクス、エンゲルスが民族自決権を唱えていたとは言いがたい。マルクス主義は国際主義の立場にたち、階級闘争を中心に歴史の動きを見てきたため、国際主義と民族主義が両立するのは難しく、民族的利害の強調がプロレタリアートによる階級利害のさまたげになると考えていた。[4]

 

【レーニンおよびスターリンにおける民族自決理論の相違

 マルクス主義の中で、民族自決権を協力に主張したのはボルシェビキのレーニンとスターリンである。両者理論はその後の、日本共産党を大きく揺り動かしていくことになる。

 レーニンにおける民族自決権の捉え方

民族自決権とは「各民族が自分の運命を自分で決定する権利」であり、抑圧民族は被抑圧民族に対して無条件に民族自決権を認めなければならない。かつ、被抑圧民族内部でのプロレタリアートの自決を促進する。

スターリンにおける民族自決権の捉え方

 「自決権とは、民族の運命を決める権利を持つものは民族自身だけであるということ、民族の生活に強制的に干渉し、民族の学校その他の施設を破壊し、その風習や慣習をうちやぶり、その言語を圧迫し、その諸権利を制限する権利を持つものはだれひとりいないということ、である」。だが、民族の問題とプロレタリアートの利益が敵対しあった場合は、プロレタリアートの利害を優先する。

 →民族自決権は革命の利益に従属すべきであるという一民族内での真理を国際次元に拡大する時、プロレタリアートの利益のためには、他民族の自決権をいくらでも侵害しうるという論理。

 レーニンもスターリンも、辺境の非ロシア諸民族が、ロシアに見習って、それぞれの民族内部での革命を遂行すること、また分離の権利を与えたのちも社会主義諸国の自由連合のメンバーとして自発的にもう一度ロシアと結びつくことを期待していた。しかし、現実にはそのように展開しなかった。

 所感派:日本民族は太古の昔からある。古くからの民族文化を重視すべきだ。→広島への原爆投下による進歩史観への懐疑と民衆が政府の意のままに教育可能な人形のようにあやつられるにすぎないと言う描き方に対する批判。[6]→「皇国史観」であると批判される。

50年問題によって、所感派が支持されたため「民族の見解」が一転する。

 「民族」は近代の産物であるというそれまでの認識が、「民族」が古代史や中世史を含むものへ


民族問題を考える

 冷戦体制崩壊後の世界において、民族問題はもっとも注目される問題である。とりわけ、民族問題を解決したと自称していたソ連を中心とする社会主義体制の崩壊の結果、民族問題は旧ソ連、旧ユーゴスラビアなど旧社会主義諸国においてより激しく顕在化し、かつてのいわゆる社会主義は決して民族問題を解決していたわけではなく、単に抑圧し、隠蔽していたにすぎなかったことを暴露した。
 しかしながら、一言で民族問題とはいうものの、一体民族とはなんであるかということになると、必ずしも明確ではない。一般的にはスターリン「マルクス主義と民族問題」における定義が定説化しているが、これはかなりの問題を含んだ定義である。
 基本的にスターリンが民族の定義としてあげたもろもの指標、すなわち言語、地域、経済生活、心理状態等の諸指標はいわゆる近代的民族に限定された定義というべく、現実の民族問題からはかなり抜け落ちるものがある。この定義ではいわゆるユダヤ民族というようなものは問題外の存在となってしまうし、アメリカ合衆国の国内における人種問題も見えなくなる。なぜなら白人も黒人もおなじ「アメリカ民族」とくくられてしまうことになるが、しかし「アメリカ民族」というようなものを考えるのは何か異様な感じがするのは否めない。基本的にスターリンの定義というものは、ドイツ、フランス、イタリア等近代民族国家が典型的に成立した地域についてのみ妥当する定義であろう。
 現実の世界においては、近代民族国歌が典型的な成立を見た地域よりは、そうでない地域の方が広大であると考えるべきで、そのように考えた場合、スターリンの定義はほとんど普遍性をもたないものとなってしまう。より一般的には、個々の民族について、それぞれ具体的な指標を考えた方が妥当な見方が出来ると思う。
 たとえば、「言語」はかなり重要な指標であり、ヨーロッパの諸民族を考えた場合、たとえ「経済生活」の分裂(国家の分裂)があったとしても、同一言語を使用するある集団を一つの民族と考えることは妥当性があるだろう。しかし、それが普遍的に妥当するかといえば、そうとも言えない場合があり、たとえばユダヤ民族は言語によって区別される民族ではない。ユダヤ民族という民族は単にユダヤ教という宗教(文化)によって区別される民族にすぎないからである。要するに、何か単一の指標を定め、これを民族の指標として割り切ることにはかなりの無理があり、より個別具体的に考察される必要があるということである。民族を画一的にとらえるのではなく「言語にもとづく民族」、「宗教にもとづく民族」というような多様な捉え方があっても良いのではないだろうか。つまり一般化して言えば、民族とは何か古くからある歴史的・基底的に重要なもの(具体的にそれが何であるかは場合によって異なる)を共通にし、それによって生じた相互の同一性の意識、および他の集団との異質性の意識によって結ばれた人々の集団であるというようなことになるのではなかろうか。われながら無内容だとは思うが、それくらいの定義が妥当であろう。
 民族問題そのものは原始・古代社会にもあったのかもしれないが、歴史的に見て民族問題として考察されることはない。つまり具体的な民族問題はかなり近代に限定された問題である。そうなってきたのは、近代民族国家の成立が民族問題を顕在化させたからであろう。多民族を包含する古代帝国においては、民族の雑居・複合的存在が常態であって、民族問題が顕在化することはなかった思われる。
 一般に最古の民族問題とみなされるのは、アイルランド問題である。アイルランド問題には民族問題のさまざまな要素が複合して現れる。アングロ・サクソンとは異なるケルト諸部族の混血によって生じたアイルランド人(ゲール人)という人種の違いが基底に存在し、かつイギリス国教会とは異なるカトリックという宗教の相違がその上に重なる。さらに異民族支配の抑圧という問題がさらにその上に重層し、民族問題の元基形態、典型とも言える問題であろう。
 アメリカ合衆国とプエルト・リコ問題はまたアイルランド問題とは異なる様相をもつ民族問題である。人種的にはスペイン系白人を中心とするプエルト・リコは、米西戦争以後アメリカ領となり、一時はアメリカ合衆国からの分離独立運動もあったとはいえ、第二次大戦後は合衆国への移住が急増し、最近ではアメリカ合衆国の州への昇格運動が盛んである。アメリカ合衆国自体が移住多民族による国家であることもあり、プエルト・リコ問題は民族問題という側面よりは南北問題というべき性格が強く現れている。
 また、カナダのケベック問題も先進国の国内における民族問題として事例としてはかなり独特な民族問題であると言える。人口の約3割がフランス系住民でその大半がケベックに住み、イギリス系住民と単一の国家を構成しているわけだが、ケベックの分離独立はさしあたり回避されたとはいえ、常に火種を抱えているようなものである。
 旧ソ連の解体によって、これを構成していた主要な民族はそれぞれ民族国家としての独立を達成したが、元来旧ソ連には百以上の民族があるとされ、各種の少数民族がロシア連邦内部にとどめられた。多民族国家の解体、諸民族国家の成立の流れの中で長く虐げられてきた少数民族が独立を求めるのは自然の流れではあるが、ロシア側からすれば国家の解体にもつながりかねず、ここでの悲劇・紛争はさらに長く続くことであろう。
 旧社会主義国の民族問題としては、旧ユーゴスラビアの民族問題が激烈かつ残忍な殺し合いとなって噴出したことは記憶に新しい。ユーゴスラビアといえば、パルチザンの英雄チトーを大統領とし、自主管理社会主義と称される独自の体制をとり、ソ連とは異なる社会主義体制としてある種の理想が実現されているかのように見る人もいた国である。そこでは民族のモザイクと言われながらも、諸民族が仲良く平和に暮らしていると考えられていただけに、誰もが驚き、かつわけが分からなくなってしまったのも当然である。35年にわたるチトーの時代も、民族の対立を解消することはできず、ただ潜在させていただけだったのだろうか。チトーの死と共産主義者同盟の支配という政治的枠組みがはずれて一挙に噴出した感のあるユーゴスラビアの民族衝突は旧ユーゴ国内における経済格差がひきがねとなったとみられ、その意味ではいわば国内における南北問題が各民族のエゴイズムを噴出させ、民族対立を競争的に激化させたものと考えられる。単なる民族の相違が生みだした問題というわけではないであろう。民族問題もある種の条件が複合するときわめて悲惨な結果を招くことがあるということの代表のような事例である。

トップに戻る


系統的に学習したこともなければ、わずかに学習できたことを実践したこともありませんが、1・マルクスレーニン主義が労働者階級を解放する理論であること、2・この理論は、多くの労働者農民の戦いの経験を総括するなかから生まれたもの、なによりも、労働者の立場にたった被支配者側の理論であること、3・革命の核心は権力問題であること、が私の頭にこびりついています。(宗教的と笑わないで下さい。)


民族と経済

トロツキー/訳 西島栄

【解説】この論文は、民族自決の問題と経済の世界的な集中傾向という問題とをどのように統一させて考えるべきかを原理的に扱った論文である。この論文の中でトロツキーは、一方では民族自決の権利を擁護しながら、他方では、この権利を絶対化することを戒め、この権利を世界経済の中央集権的要求に対置することを拒否している。民族国家の枠組みが経済発展にとっての桎梏となったという、『戦争とインターナショナル』以来、何度となく論じられているテーマをここでも詳細に繰り返すとともに、その矛盾を解決する政治形態として、先進諸民族の民主主義的連邦、具体的にはヨーロッパ合衆国を提出している。注目すべきは、トロツキーがこの論文の中で、民族の永続性についてかなり肯定的な回答を与えていることである。民族が資本主義そのものよりも長生きするだけでなく、社会主義制度の中でこそ真の完成を見るという考えを提示している。この場合の民族はかなり文化的な概念であり、ある程度、オーストリア・マルクス主義の影響を見てとることもできよう。

 マルクス主義と民族問題についての詳しい考察を試みているミッシェル・レヴィは、トロツキーのこの論文を、あまりにも経済主義的に民族を論じているとして批判している。その批判は一定当たっていると思われる。また、新自由主義的グローバリズムが世界を席巻している現在の地点から見るならば、関税障壁をなくしてできるだけ自由な経済発展を志向することが無条件に進歩的であるかのように論じているこの論文の基調は、必ずしも肯定できない。たとえ帝国主義戦争という形をとらなくても、経済の過度の世界化は現在、さまざまな地域の人々の暮らしを破壊し、環境を荒廃させ、莫大なエネルギーを浪費させている。このことを考慮するなら、社会進歩のイメージを、経済の世界化と重ね合わせることは、今ではかなり時代遅れになっている。とはいえ、この論文が書かれたのは、現在から見ればはるかに経済が地方的で局所的であった時代であり、トロツキーが今の時代に生きていたならば、現在必要なのは、経済の世界化をいっそう進めることではなく、反対にそれを労働者人民の国際的・国内的闘争によって民主主義的に制約することであるのを認めることだろう。

 なお、今回アップするにあたっては、『ナーシェ・スローヴォ』のオリジナル・テキストにもとづいて一通り訳文を再チェックし、必要な修正を加えておいた。

Л.Троцкий, Нация и хозяйство, Наше Слово, No.130, 135, 1915.7.3, 9.

Translated by Trotsky Institute of Japan


 ロシア社会民主党の綱領にある、すべての民族の自決権の承認は、民族的ブルジョア民主主義の革命闘争の時代にその起源を有している。この要求は、究極的には、すべての民族の国家的独立の権利の承認を意味している。したがって、このことから、民族ないし民族諸片の同居を強制しているどんな体制にも反対し、――時、条件、場所に応じて――他民族の圧政に対する民族と民族諸片による闘争を促進するという社会民主主義者の義務が出てくる。しかしそれ以上ではない。社会民主主義は、最も野放図な社会帝国主義者たちの望んでいるのとは違って、けっして民族民主主義の綱領を放棄したりはしない。民族国家の分裂状態が経済発展を麻痺させるからといって、国家的強制によって諸民族グループを強大な国家体に編入するようなやり方と社会民主主義は和解することはできないし、そうするつもりもない。しかしながら社会民主主義は同時に、この分裂状態をいっそうひどくすることを自らの任務とはしていない。すなわち、民族原理を何らかの超歴史的な絶対的理念に変えることはしない。

 社会民主主義が経済発展の利益をいつでもどこでも擁護し、それを遅らせる可能性のあるすべての政治的処置を妨害することは完全に正しい。しかしながら社会民主主義は、経済発展を自足的で生産技術的な非社会的過程として取り上げるのではなく、民族政治的な上部構造等を伴い、諸階級に分裂した人間社会の発展の土台として取り上げる。この観点は、結局のところ、他の諸地方や諸国の資本主義に対する局地的ないしは民族的資本主義の優位性を保障することにではなく、自然に対する人間の力の系統的発展を保障することに帰着するが、こうした広い歴史的観点からすれば、プロレタリアートの階級闘争はそれ自体、プロレタリアートを帝国主義的袋小路から社会主義の広大な舞台へと引き出すことを通じて、生産諸力のいっそうの発展を保障する最も重要な要素として現われるのである。

 諸民族ないし民族諸片に対する抑圧的国家(ロシアやオーストリアなど)は疑いもなく、その諸民族にとってのより大きな国内市場を創出することによって、ある期間は生産諸力の発展を促進することができる。しかし、民族抑圧国家は、国家権力への影響力をめぐる諸民族グループの激しい闘争を生み出すことによって、もしくは「分離主義的」傾向、すなわち国家組織からの分離のための闘争をもたらすことによって、経済的およびあらゆる歴史的進歩にとって最も重要な力たるプロレタリアートの階級闘争を麻痺させる。プロレタリアートは、すべての人為的な関門と税関を取り除くことや経済発展の自由な活動舞台をできるだけ拡大することに深い利害関係を有しているが、しかしながら、プロレタリアートはこの目標を獲得する上で、何よりも自分自身の歴史的運動を混乱させ、まさにそれによって現代社会の最も重要な力たるプロレタリアートの力を弱め卑しめることを代償にすることはできない。

 現在の社会帝国主義者、主としてドイツのそれが、民族自決の理念を過去の「センチメンタルな」偏見として投げ捨て、経済発展の鉄の必然性に従うよう勧めているがゆえに、彼らは、民族の歴史的に制限された要求に対して、経済的進歩の何らかの無条件的な必要性を持ち出すのではなく、それの歴史的に制限された形態を、すなわち、帝国主義の姿をとってわれわれの前に現われ、現在の戦争において、さらなる経済的進歩の要求との矛盾だけでなく、人間存在の最も根本的な土台との矛盾のいっさいをさらけ出している形態を、最高の基準として持ち出すことになるのである。

 民主主義はプロレタリアートの発展の条件であり、プロレタリアートが国家権力を獲得しうる唯一の形態であるし、現在でもそうである。それは、何よりも大衆の文化的・政治的自主性の成長、広い活動舞台の上での彼らの経済的・政治的交流、国の運命に対する彼らの集団的干渉を前提とする。まさにそれによって、人類にとっての交流の道具たる民族言語は、ある発展段階においては必然的に民主主義のための最も重要な手段となるのである。それゆえ、民族統一の志向はブルジョア革命期の運動にとって不可分なものである。そして、アジアやアフリカだけでなく、ヨーロッパの後進地域においても、歴史的に後進的な諸民族の覚醒がわれわれの目の前で起こっている以上、そうした志向は必然的に民族統一と民族独立のための闘争という形態をとり、帝国主義的志向、すなわち民族的に制限された資本主義経済の枠組みを乗り越え、軍事的強制の手段によって世界帝国を創出せんとする志向と真っ向から衝突することになった。

 この過程において、社会民主主義は、差し迫った社会的・歴史的課題を解決する際に帝国主義が用いる内的に矛盾した方法と、自らの方法とを、いかなる意味でも同一視しはしない。しかしながら、帝国主義に対して、ましてや帝国主義が利用している歴史的に進歩的な要求に対して、社会民主主義が抽象的な民族理念を対置するなどということは、それ以上ではないにしても同じくらいありえないことである。たとえ実際にエルベ式の惨めな小ブルジョア的ユートピア主義が次のように考えているとしても、そうである。すなわち、ヨーロッパの国家地図がその民族の地図と一致するならば、すなわち地理的条件や経済的諸関係とは無関係に、ヨーロッパが多かれ少なかれ完全な民族国家的諸細胞にばらばらにされるならば、ヨーロッパと全世界の発展の運命は完全に保障されると考えているにしても、である。

 フランスやドイツは、過去の時代において民族国家の型にしだいに近づいていった。しかしながらこのことは、その植民地政策や、国境線をライン河ないしはソンム河まで移動させようとする現在の計画をけっして妨げはしなかった。独立ハンガリーないしは独立ボヘミア、独立ポーランドもそれと同じく、イタリアがセルビア人を犠牲にしてそうしたように、もしくはセルビア人がアルバニア人を犠牲にしてそうしたように、他民族の権利を侵害することを通じて海への出口を探し求めるであろう。資本主義によって目覚めさせられた民族民主主義は、できるだけ多くの数の民族的要素を一つの経済的・文化的共同体のうちに統一しようとするだけでなく、この資本主義自身が、それが根を下ろしたあらゆる所で、国内市場の限界の幅をできるだけ広げようとし、世界市場へ向けたできるだけ好都合な出口を探し求め、農業的な経済構造をもった地方の上に自らの支配を打ち立てようとするのである。

 民族原理は民族資本主義にとってけっして絶対的な理念でもなければ、最終的な到達点でもない。それは、世界国家に向けた新しい跳躍のための一階梯に過ぎない。ある発展段階において民族理念が封建的地方割拠主義の野蛮ないしは他国の軍事的圧迫に対する闘争の旗になるとすれば、その次の段階では、その理念そのものが、民族的エゴイズムの自足的心理を生み出しつつ、より遅れた民族を資本主義奴隷にするための道具となり、帝国主義的野蛮のためのかけがいのない道具となるのである。

 したがって、課題は、民族の自治的要求と経済発展の中央集権的要求とを調和させることにある。

 

 社会民族主義は、その強力な力によってすべてを打ち破り、そして何よりも自分自身を打ち破った。すなわち、それは、戦争の第一期において、ほとんど抵抗もなしにプロレタリアートの最も強力な党と組織を支配した。しかし、この突然に露わになった力と並んで、それのはなはだしい、まったくもって恥ずべき思想的貧困さも露わになった。理論的につじつまを合わせようとする真剣な試みはただの一つもなかった! 社会主義の生死を左右する決定と行動とは、矛盾に満ちた偶然的な考えでもって説明され、正当化された。そして、その考えにおいては、すべての理論から手を切った政治的目測判断が最も重要な役割を演じているのである。

 労働者党の社会民族主義的政策を根拠づけている主要な論拠は「祖国防衛」の理念である。しかし、これまでのところ、社会愛国主義者のうちの誰一人として、実際に祖国において何に対する危険が迫っているのか、

何を防衛しなければならないのかを説得的に説明することを自分の仕事としたものはいない。フランスの社会主義者は、共和国と革命的伝統について語っている。すなわち、彼らは過去を防衛しているのである。ドイツの愛国者は、社会主義の土台としての自国の強大な国内産業を引き合いに出している。すなわち、彼らは現在を防衛しているのである。最後に、「わかり切ったことを繰り返し、2人分の嘘をついている」わが祖国の社会民族主義者は、ロシアの今後の経済的発展の利益を引き合いに出している。すなわち彼らは未来を防衛しているのである。

 彼らのうちのそれぞれが、多かれ少なかれきっぱりと、自国の「民族的」利益を人類にとっての最上の国際的利益として宣言しようと試みている。しかしながら、このような試みは、状況にいっそう絶望的な混乱を持ち込むだけである。答えは2つに1つである。すなわち、国際的利益がドイツ(ないしはロシア)の粉砕を必要としているのか――その場合には祖国防衛について語ることに意味はない、なぜならドイツとロシアを祖国としている人々はこの世に残るであろうからである。それとも、反対に、祖国の防衛がプロレタリアートの政策とは別個の原理なのか――その場合には、祖国防衛の課題を、国際プロレタリアートの行動を縛る一般的方針と調和させようとする試みは絶望的であろう。なぜなら、ある一つの祖国の防衛が他の祖国の相応の破壊を前提としているのだから。

 カウツキーは戦争のはじめの頃、プロレタリアートにとって、その階級的独立性を祖国防衛の血の生け贄に供するに値するような根本的な善とは何かについて定義しようと試みた。カウツキーによれば、その善とは民族国家である。論文の前半でわれわれは、民族的・文化的共同体が歴史発展にとってどれほど重大な要因であるかについて語った。だとしたら、国家が民族国家の型に近づきつつある以上、国家(すなわち祖国が)を防衛する義務があると言わなければならないはずだ――まさにこのようなものがカウツキーの問題の立て方である。しかしながらその場合、問題が生じる。すなわち、いかなる意味においてオーストリア=ハンガリーのプロレタリアートは――そしてかなりの程度ロシアのプロレタリアートも――、自らの祖国を守ることができ、守らなければならないのか? カウツキーの観点からすれば、ドナウ君主制のさまざまな民族からなるプロレタリアートは、明らかにハプスブルク国家に関していかなる義務も負っていない。カウツキー自身はこうした結論をほのめかしている。しかし、現在の国際的同盟関係にあっては、ドイツの防衛はオーストリア=ハンガリーやトルコの防衛を前提としており、同様に他方では、フランスの民族統一のための闘争は、ロシアや世界的植民地国家たる大英帝国のために諸民族の強制的結合を永久化することを前提としているのである。

 多民族国家と並んで、ずっと不完全な民族的統一を、一方では他の多民族国家との同盟によって、他方では植民地の民族独立を蹂躙することによって補っている国家も存在する。民族の概念による祖国ないしは国家の概念のすり替えもまた、プロレタリア政党の社会愛国主義的政策を正当化するのに用いられる最も普及した論拠である。

 現在の戦争は、その発展傾向のうちに示されているように、民族そのものではなく、民族の歴史的住居である国家の方を脅かしている。資本主義は、民主主義と同じくらい少ししか民族の統一を成し遂げなかった。それは民族統一への要求を目覚めさせたが、同時に、その要求の実現を妨げる傾向をも生み出した。他方、民族は、人間の文化における強力で非常に安定した要素である。民族はこの戦争を耐えて生き残るだけでなく、資本主義そのものよりも長生きするであろう。そして、社会主義制度の中で、国家経済への従属の道から解放された民族は、長期にわたって精神文化の最も重要な源泉であり続けるであろう。なぜなら、この文化の最も重要な源泉たる言語が、民族の自由裁量下に置かれるからである。

 だが、国家については別だ。それは、王朝的、帝国主義的、民族的利害が交差し合った結果つくられたものであり、一時的な物質的力関係によって形成されたものである。国家は、民族と比べて比較にならないほど不安定な、歴史発展の要素である。過去の時代において、とてつもないこじつけによって「民族的」と称されている資本主義国家のうちに、経済発展は自らの住居を見出した。ほとんど常に分裂している民族の文化的発展もまた、この同じ国家=祖国のうちに自らの住居を見出した。そして、その民族は、国家機構を通じて、他民族を収奪しているか、もしくは収奪しようとしているのである。資本主義的発展にとって国家の枠組みが窮屈なものになったため、この住居は併合と植民地的増築によって補われた。植民地獲得をめぐる闘争、すなわち後進諸国の経済的・民族的独立の蹂躙は、いわゆる民族国家が実施している対外政策の主たる内容をなしている。植民地をめぐる競争は資本主義国家同士の闘争を導いた。国家の枠組みは生産諸力にとって完全に窮屈なものになってしまった。現在の「民族」国家は脅威に直面しているが、この脅威は、すでに達成された生産諸力の発展と民族国家の限界との矛盾から生じている。つまり脅威は、外部の敵からではなく内部から、すなわち経済発展そのもののからきている。そして、その経済発展は、世界戦争の言葉でわれわれに、「民族」国家が発展の障壁となってしまったということ、それは破壊されるべき時にきているということを語っているのである。

 この意味で、祖国の防衛、すなわち時代遅れになった民族国家の防衛という理念は、きわめて反動的なイデオロギーである。民族はそれ自体、けっして経済発展を麻痺させもしなければ、経済が全ヨーロッパ的・世界的規模にまで成長するのを妨げもしない。しかし、社会愛国主義者たちがこの民族の運命と閉鎖的な国家軍事組織の運命とを結びつけている以上、われわれ国際主義者は、民族独立の歴史的権利と、民族が民族国家の保守的な「愛国主義的」防衛者に抗して発展する権利の擁護を、自らに引き受けなければならない。

 資本主義は民族をも経済をも国家の枠組みのなかに押し込めようとしてきた。まるまる一時代にわたって民族と経済にとっての発展舞台として役立ってきた強力な構成体は、資本主義によってつくり出されたものである。しかし、民族も経済も矛盾に陥った――国家との、そしてお互い同士の矛盾に。国家は経済にとってあまりに窮屈なものになってしまった。制限を広げようとして、それは諸民族を蹂躙した。他方では、経済は、その力と手段の自然運動を、地球上の各民族グループによる分配に従わせることができない。国家の土台は経済組織であり、したがって国家は経済発展の要求に順応せざるをえない。閉鎖的な民族国家に代わって、不可避的に、すべての関税障壁の撤廃にもとづいた先進諸国の広範な民主主義的連邦が登場しなければならないのである。

 文化的発展の要求に根ざしている民族共同体は、けっしてこれによって廃棄されないだけでなく、反対に、先進諸国の連邦共和制にもとづいてのみ完成の域に達することができる。そのための不可欠の条件は、経済の枠組みから民族の枠組みが解放されることであり、またその逆でもある。経済は、世界を組織化する基軸としてのヨーロッパ合衆国の広大な舞台の上に組織されるだろう。ただ連邦共和制のみが、どの民族も最も自由にその文化的能力を発展させることのできる弾力的で柔軟な政治形態なのである。

 ドイツやその他の社会併合主義者とは反対に、われわれは民族自決権の承認をけっして放棄しはしない。それどころか、われわれは、この権利がついに現実のものとなる時代が近づきつつあると考えている。他方で、われわれは、経済の中央集権的要求に対し各々の民族グループの「主権」を対置するような考えから無限に遠い。しかし、歴史発展の歩みそのもののうちに、われわれは両「要素」、すなわち民族的要素と経済的要素の弁証法的和解を発見する。全民族の自決権の承認は、われわれにとっては必然的に、すべての先進諸民族の民主主義連邦制のスローガンによって、ヨーロッパ合衆国のスローガンによって補完されるのである。

『ナーシェ・スローヴォ』第130、135号 1915年7月3日、9日  『トロツキー研究』第1号より


構造改革論の思想的意義と現実的課題 目次次へ

一. 社会主義とナショナリズム





 

(私論.私見)