3251213 社会分析論その3、統治論としての君主制打倒論






(私論.私見)

国際情勢の分析と予測


「帝国以後」の著者のエマニュエル=トッドはフランス革命の真実を隠蔽するユダヤ金融資本家の走狗
イスラエル・ユダヤ / 2006-06-11 09:59:40
◆日本人に謝りたい〜 あるユダヤ長老の懺悔 〜

だがここで日本人に謝らなければならないのは、戦前において我々の認識不足から、天皇制を最大限に攻撃し、なんとかこれを打倒しようと努力してきたのも我々ユダヤ人である、ということなのである。全く穴があれば入りたい気持ちである。

フランス革命でフランスの君主制を打倒したのが、我々の最初の大事業であった。つづいて、ヨーロッパの主な君主制を打倒することが至上任務となるのである。

何故そうなるのかということは、マルクス主義の国家論をお考え頂ければ十分と思う。マルクス主義というものは別章で詳しく述べる如く、ユダヤ人が自己の民族的解放事業のための道具として編み出した虚構論理なのである。マルクス主義の国家論はご存知のように、国家とは破壊、転覆すべきものであるということを根本原理としているものである。国家というものがあるためにユダヤ人は過去幾千年、迫害、虐殺をくり返されていたものである。自己をこのような悲惨な境遇から救うためには、国家というものを転覆することが唯一の方法であったのだ。

つまり、それによりユダヤ人が権力と財産──後にこれは生産手段という社会科学的用語にかえられたが──を奪取することによってのみ解放されるということである。これがマルクス主義の根本原理なのであるが、この国家の破壊という大事業の前に最も邪魔になるのが君主制という制度であったのだ。そのため特に、君主制の打倒ということが最大の目的となったわけである。


今世紀に入ってからは、第一次大戦時に、ヨーロッパの主な三つの王冠、ドイツ、ロシア、オーストリア=ハンガリーにおける君主制の打倒に成功したのであった。さて後に残された有力な君主制は、東洋の一角に燦然と輝く日本の天皇制だったのだ。ユダヤ人は、これの打倒に全精力を注ぐことになったわけである。

ただここで、日本人は一つの疑問をおもちになることと思う。ヨーロッパでは各国でユダヤ人が王制のもとに苦しんでいたのであるからこれらを打倒するのはわかるが、では何故にユダヤ人のいない日本で天皇制を打倒しなければならないのかという疑問であろう。

ユダヤ人の単純な教条主義的思考なのか、君主制と名のつくものはすべて敵であるとする単純な発想からくる誤ちなのか。答は否である。このことは日本人はいまだほとんどご存知ないだろうが、ユダヤ人には天皇制を打倒する理由があったのである。それについては別章で述べる機会があると思うので、今は触れないでおこう。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe801.html



◆「ルイ16世は誇り高く死んだ」死刑執行人の手記が競売に

[ロンドン 9日 ロイター] フランス王ルイ16世は誇り高く死んだ。1793年1月、王が革命の暴徒たちとギロチン台を前にして正気を失ったという風評を訂正するために、死刑執行人はそう記している。パリが革命後の恐怖政治になだれ込みつつあった時代の死刑執行人、シャルル・アンリ・サンソン直筆の手紙が、6月7日にロンドンのオークションハウス「クリスティーズ」で競売にかけられる。落札価格は最高12万ポンド(およそ2480万円)が予想されている。ルイ16世の9カ月後に処刑された王妃マリー・アントワネットは、飢えた国民に「パンが無ければお菓子を食べればいいのに」と言ったとされている。

サンソンはルイ16世の様子を詳細に記している。その手記はある家族に保管されており、200年近く公の目に触れることがなかった。その内容は、ルイ16世がギロチンへ向かうのに同行した、フランスで活動した英国人司祭ヘンリー・エッジワースの証言と重なるものだ。サンソンは1778年から1793年4月に引退するまで、2900人以上の処刑を行った。ギロチン台の足場に立ったルイ16世は、礼儀作法上の理由からコートを脱ぐことに抵抗したものの、最終的に自分で脱いだとサンソンは記している。

ルイ16世は手を縛られることも拒否したが、説得されて従ったという。「真実に敬意を表するため、彼は落ち着きをもって堂々と持ちこたえ、我々全員を感嘆させた」と、サンソンは当時のメディアに宛てて書いている。さらに、「私はいまでも、王は誰よりも深い信仰からこの心の平安に至ったものであると確信しています」と加えている。

最後にサンソンの手紙が確認されたのは、1826年のシャトーブリアンだという。その内容は、銃を突きつけられてギロチン台にかけられたルイ16世が「わからない、わからない」と叫んだという、当時人々のあいだで伝えられていた話とは矛盾するものだ。ギロチンの刃が降ろされる前の最後の瞬間に、ルイ16世は群衆の方を向き、「民よ、私は潔白で死ぬ」と言ったと、サンソンは記す。そして王は死刑執行人に向かって、「紳士よ、私は告発のすべてに関して無実です。私の血によって、フランス国民の幸福が確固たるものとなることを願います」と言ったそうだ。

この手紙には「パリ、1793年2月20日、フランス共和国最初の年」と日付が入れられており、サンソンはこう締めくくる。「市民よ、これこそが最も偉大な日の真実なのだ」
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081144672691.html

◆東条英機の遺書

大東亜戦争の遂行責任者であった東条英機は、東京裁判で死刑となることを予感しており、いくつかの遺書を残しています。文体は薫り高い当時のものですが、現代の人々には残念ながら読みづらいものとなっています。そのため、故東条英機には申し訳ありませんが、現代でも読みやすいよう意訳を施してここに提供しておきます。


《英米諸国人に告げる》

今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。この深刻な事実は私も固より、これを認めるにやぶさかではない。しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、正理公道による勝利ではない。私は今ここに、諸君に向かって事実を列挙していく時間はない。しかし諸君がもし、虚心坦懐で公平な眼差しをもって最近の歴史的推移を観察するなら、その思い半ばを過ぎるものがあるのではないだろうか。我れ等はただ微力であったために正理公道を蹂躙されたのであると痛嘆するだけである。いかに戦争は手段を選ばないものであるといっても、原子爆弾を使用して無辜の老若男女数万人もしくは数十万人を一挙に殺戮するようなことを敢えて行ったことに対して、あまりにも暴虐非道であると言わなければならない。

もし諸般の行いを最後に終えることがなければ、世界はさらに第三第四第五といった世界戦争を引き起こし、人類を絶滅に至らしめることなければ止むことがなくなるであろう。

諸君はすべからく一大猛省し、自らを顧みて天地の大道に恥じることないよう努めよ。


《日本同胞国民諸君》

今はただ、承詔必謹する〔伴注:終戦の詔を何があっても大切に受け止める〕だけである。私も何も言う言葉がない。

ただ、大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、私は国家の生存と国民の自衛のため、止むを得ず受けてたっただけのことである。この経緯は昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔に特筆大書されているとおりであり、太陽の輝きのように明白である。ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。不幸にして我が国は力不足のために彼の国に敗けたけれども、正理公議は厳として我が国あるということは動かすことのできないことである。

力の強弱を、正邪善悪の基準にしては絶対にいけない。人が多ければ天に勝ち、天が定まれば人を破るということは、天道の法則である。諸君にあっては、大国民であるという誇りを持ち、天が定まる日を待ちつづけていただきたい。日本は神国である。永久不滅の国家である。皇祖皇宗の神霊は畏れ多くも我々を照らし出して見ておられるのである。

諸君、願わくば、自暴自棄となることなく、喪神落胆することなく、皇国の命運を確信し、精進努力することによってこの一大困難を克服し、もって天日復明の時が来ることを待たれんことを。

《日本青年諸君に告げる。》
《日本青年諸君各位》

我が日本は神国である。この国の最後の望みはただ諸君一人一人の頭上にある。私は諸君が隠忍自重し、どのような努力をも怠らずに気を養い、胆を練り、現在の状況に対処することを祈ってやまない。

現在、皇国は不幸にして悲嘆の底に陥っている。しかしこれは力の多少や強弱の問題であって、正義公道は始終一貫して我が国にあるということは少しも疑いを入れない。

また、幾百万の同胞がこの戦争のために国家に殉じたが、彼らの英魂毅魄〔伴注:美しく強い魂魄〕は、必ず永遠にこの国家の鎮護となることであろう。殉国の烈士は、決して犬死したものではない。諸君、ねがわくば大和民族たる自信と誇りをしっかり持ち、日本三千年来の国史の導きに従い、また忠勇義烈なる先輩の遺旨を追い、もって皇運をいつまでも扶翼せんことを。これこそがまことに私の最後の願いである。思うに、今後は、強者に拝跪し、世間におもねり、おかしな理屈や邪説におもねり、雷同する者どもが少なからず発生するであろう。しかし諸君にあっては日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。

真骨頂とは何か。忠君愛国の日本精神。これだけである。

参考 《東条英機封印された真実》佐藤早苗著  講談社
http://www.1gen.jp/GDOH/ISYO.HTM

◆元ソ連外交官が語る「ロシア−ユダヤ闘争史」の全貌: ハザール=ユダヤ人とロシア人の関係について
ロシア革命もソ連崩壊もユダヤ人がロシアの政府を乗っ取るための革命であったというこの主張は陰謀論と笑い飛ばすには余りに説得力がありすぎる。スターリン後のソ連がユダヤ人からロシア人が権力を取り戻す過程であったのと同様に、プーチンのロシアもユダヤ人から権力を取り戻しつつあるという見方ができる。

ところで、1929年のウォール街発の世界恐慌は米国政府をユダヤ系金融資本が支配するFRBを介してユダヤ人が乗っ取る第一次ユダヤ革命という性格を持っていた。2001年のブッシュ政権成立と同時多発テロの自作自演はネオコンが米国政府を乗っ取る第二次ユダヤ革命とも言える。ロシアでの革命に十年余り遅れて米国で革命が起きるというユダヤ革命の歴史が繰り返されている。
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/5ab949cb298af2e8171984653a942c15
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/15b76a2076de63ce95416b1ce8ebae7a

◆コール元独首相:イラン大統領の「ホロコ−ストは作り話」の件に関し、「心底から賛成する」と発言する
http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/773.html



【私のコメント】
最初に断って置くが、「日本人に謝りたい〜 あるユダヤ長老の懺悔 〜」でユダヤ人が皇室の歴史を賞賛しているのは、愚かな日本人を騙して皇室のもとに団結させて中国と戦わせて儲けることが目的ではないかと思われる。中世以降の日本の歴史を見るとき、皇室は藤原氏や歴代征夷大将軍等の権力を認定する権威に過ぎず、決して主役ではなかった。ユダヤ人による言論はこのような悪意が隠されていることが多いので要注意である。

「フランス革命でフランスの君主制を打倒したのが、我々の最初の大事業」という言葉は重要である。これは、ユダヤ人が迫害から解放されること、ナポレオン戦争に関連して大儲けできること(実際にロスチャイルドは情報操作で大儲けして英国を乗っ取った)の二点でユダヤ人に利益があったと思われる。ルイ16世が死刑直前に取り乱したというこれまでの定説も、ホロコーストと同様にユダヤ人が流したウソであろう。

ここで私が連想するのは、ユダヤ系フランス人で「帝国以後」http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4894343320/の著者であるエマニュエル=トッドである。彼は一時期シラク大統領のブレーンで、独仏両国の強固な同盟や、欧州とロシアの友好関係を主張していると言われ、現在のフランスの外交にも大きな影響を与えている。その彼が1990年に書いた「新ヨーロッパ大全」http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4938661594/で、トッドは欧州各地域の家族形態に注目し、「フランス革命はフランス北部の平等主義的家族という家族形態が反映されたものである」と主張し、フランス革命からロシア革命に至るマルクス主義的史観に打撃を与えた。
http://www.bekkoame.ne.jp/~n-iyanag/AABMFJ/conferences/ishizaki.html

しかし、その後に革命が起きて帝政が倒れた大帝国であるドイツは直系家族、オーストリアは直系家族+共同体家族、ロシア・清・オスマントルコは共同体家族であり、平等主義とは何の関係もない地域である。つまり、トッドの言う「フランス革命は家族制度の反映」という主張は、ユダヤ人が差別打倒と金儲けの二つの目的でフランス革命を扇動し実行させたという真実を隠蔽することが目的ではないかと思われる。トッドの言う独仏連合強化、欧露同盟という政策提言も何らかの悪意が隠されている可能性がある。そして、ユダヤ人のトッドに外交政策を事実上乗っ取られかけているフランスという国の外交戦略についても注意が必要だと思われる。

ルイ16世と東条英機という、死刑台の露と消えた二人の国家指導者の最後の言葉は感動的である。そして、東条英機率いる日本に原爆を投下し大東亜戦争での敗北に追い込んだルーズベルトはユダヤ人であり、ルーズベルト政権とスターリン政権は共産主義思想のユダヤ人に支配されていた。
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/1a0c3b7e2224527f1592131a44c022bc

我々は今こそ、フランス革命以後の世界の歴史についてユダヤ人が行ってきた犯罪行為を全て見直す必要がある。日本史においても、明治維新時の孝明天皇暗殺疑惑を含め根本から見直される必要があるだろう。ホロコースト捏造を暴くことは最終目標であってはならない。それはユダヤ人の犯罪行為の氷山の一角にしか過ぎないのだ。
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ミアシャイマーとウォルトのイスラエルロビー批判論文の日本語訳part8
イスラエル・ユダヤ / 2006-05-08 23:15:22

 6.結論

イスラエル系圧力団体の勢力を抑制することはできるのか?イラクでの大失敗、アラブとイスラム世界での米国の印象を改善する必要性の明白さ、アメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)の当局者が米国政府の機密をイスラエルに伝えていたことが最近暴露されたことを考えれば、人々はそう考えたくなる。アラファトの死とより穏健なムハマッド=アッバスの選出によって、米国政府は平和条約を結ぶように強力かつ公平に働きかけるようになると考えるものもいるだろう。簡単に言えば、イスラエル系圧力団体から距離を置き、より広汎な米国の国益により合致した中東政策を採用する十分な余地が指導者には存在する。特に、米国の力を用いてイスラエルとパレスチナの間に公平な平和を達成することは、この地域の民主主義の運動を増進させる助けになる。

しかし、その様なことはどうせ近い内には起きないだろう。アメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)とその仲間たち(キリスト教徒のシオニストを含む)は圧力団体の世界で重大な敵を持たない。彼らはイスラエルの主張を行うことは今日ではより困難になってきていることを理解しており、職員を受け入れて彼らの活動を拡大する事で対処している。おまけに、米国の政治家は引き続き選挙献金や他の形式の政治的圧力に非常に敏感であり、主要な報道機関は何が起きようとも引き続きイスラエルに同情的な傾向である。

イスラエル系圧力団体の影響力は幾つかの分野で波乱を起こしている。イスラエル系圧力団体は欧州にある米国の同盟国を含む全ての国家が直面するテロリストの危険性を増加させており、また、イスラエルとパレスチナの紛争を終結させることを不可能にしている。その状態は過激派が人を募集する為の強力な手段になっており、テロリスト予備軍とその支持者の数を増加させ、欧州とアジアでの急進的イスラム主義に貢献している。

同様に憂慮されることだが、イスラエル系圧力団体のイランとシリアでの政権転覆を求める運動は米国を両国に対する攻撃に導く可能性があり、それは悲惨な結果になりかねない。我々はもう一つのイラクを望まない。少なくとも、イスラエル系圧力団体のシリアとイランに対する敵意のために、米国はアル・カイーダやイラクの反乱に対する戦いへの両国の協力を大いに必要としているにもかかわらず、それを求める事が殆ど不可能になっている。

ここには倫理的要因も存在する。イスラエル系圧力団体の御陰で、米国はイスラエルの占領地域への拡張政策の事実上の成功要因となっており、パレスチナ人に対して犯される犯罪の共謀者になっている。この状況は米国政府が外国に民主主義を普及させる努力を損ない、外国に対して人権を尊重するように要求するときに米国が偽善者として見られる事になっている。米国が積極的にイスラエルの核武装を承認していることを考えると、米国が核兵器の拡散を制限しようとする努力も同様に偽善的と見られており、それはイランや他の国が同様の能力を追求する事を勇気づけるだけである。

それに加えて、イスラエル系圧力団体がイスラエルに関する論争を抑制しようとする運動は民主主義にとって不健全である。ブラックリストと不買運動で懐疑論者を沈黙させる-又は批判者は反セム主義であると主張すること-は民主主義が頼みとする公開討論の原則を侵害するものだ。米国議会がこれらの重要な問題について誠実な論争を行うことが不可能になっており、全ての民主的討議が麻痺してしまっている。イスラエルの支持者は自由に主張し反対者に異議申し立てを行うべきだが、脅迫によって議論を鎮圧すると言う努力は徹底的に批判されねばならない。

最後に、イスラエル系圧力団体の影響力はイスラエルにとって有害である。イスラエル系圧力団体が米国政府を説得して拡張論者の政策を支持させる能力のために、イスラエルは自国民の生命を救いパレスチナ人過激派の地位を下落させるであろう機会?シリアとの平和条約や、オスロ合意を即座に完全に履行することを含む-を掴むことを阻止してしまった。パレスチナ人の正当な政治的権利を否定することでイスラエルは確実により安全でなくなった。そして、ある世代のパレスチナ人の指導者達を殺したり政治的に無視したりする長期的な運動はハマスの様な過激派集団に力を与え、公平な和解を受け入れて機能させることのできるパレスチナ人指導者の数を減少させる結果となった。もしイスラエル系圧力団体がより弱体で米国の政策がより公平であったならば、イスラエル自身がもっと良い状態になっていたことだろう。

しかしながら、希望の光は存在する。イスラエル系圧力団体が強力であり続けるにもかかわらず、その影響力の弊害はますます隠せなくなっている。強国は欠陥のある政策を暫くの間は維持することは可能だが、真実を永遠に無視することは出来ない。必要なことは、イスラエル系圧力団体に関する率直な議論と、この重要な地域における米国の国益に関するより開かれた討論である。イスラエルの幸福は米国の利益の一つであるが、イスラエルのヨルダン川西岸地区の継続的な占領やより広汎な地域政策は米国の利益に含まれない。公開討論によって米国の一方的な支持に関する戦略的・倫理的な主張の限界が明らかになるだろう。そして、米国をより自国の国益、この地域の他の国、そしてイスラエルの長期的な国益にも合致した位置に移動させることができるだろう。

<終>

イスラエルの主要政治家に関する訳者注釈:

デービッド=ベングリオン(1886-1973) 1948-1954と1955-1963に首相。初代首相。Mapai党

ゴルダ=メイア(1898-1978) 1969-1974に首相。第4代首相、労働党。

イツハク=ラビン(1922-1995) 1974-77と1992-1995に首相、労働党。第5代首相。オスロ合意に署名した事に反対する和平反対派のユダヤ人青年に銃撃され死亡

イツハク=シャミル(1915-)1983-1984,1986-1992に首相。第7代首相。リクード党。1996年に政界引退。

シモン=ペレス(1921-) 1984年-1986年、1995年-1996年に首相。第8代首相。労働党。2001年-2002年には外務大臣。2005年にシャロン首相の元で副首相。そして、11/29に党首であった労働党を脱退し、シャロン首相(当時)の結成したカディマを支援すると表明。

ベンジャミン=ネタニヤフ(愛称ビビ,1949-)1996年4月-1999年5月に首相。第9代首相。リクード党。2005-シャロン離党後のリクード党党首。

エフード=バラク(1942-) 1999-2001に首相、労働党。第10代首相。

アリエル=シャロン(1928-)1972年まで軍人。1973年政界入り、1998年外相、1999-2005リクード党党首、2001-2006年首相。第11代首相。2005年に11月21日にリクード党を脱退して中道政党カディマを結成するが、1/4に脳卒中で職務不能となり、エフード=オルマートが首相代行に就任。

エフード=オルマート 2006年1月4日より首相代行,4月15日より暫定首相に就任。カディマ党首代行。

シャウル=モファズ 2002-2006にシャロン政権で国防大臣。リクード党。

ベンジャミンベンーエリゼール 2001-2002年国防大臣。労働党。2001-2002労働党党首。

エフライム=ハレヴィ 元国家安全保障会議議長、元モサド長官。

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これらは、下記の阿修羅掲示板の投稿を再掲したものです。

ミアシャイマー等のイスラエルロビー批判論文の日本語訳(その一)
http://www.asyura2.com/0601/war79/msg/701.html

ミアシャイマーとウォルトのイスラエルロビー批判論文の日本語訳(その二)
http://www.asyura2.com/0601/war79/msg/726.html

ミアシャイマーとウォルトのイスラエルロビー批判論文の日本語訳(その三)
http://www.asyura2.com/0601/war79/msg/834.html

ミアシャイマーとウォルトのイスラエルロビー批判論文の日本語訳(その四)
http://www.asyura2.com/0601/war80/msg/603.html
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ミアシャイマーとウォルトのイスラエルロビー批判論文の日本語訳part7
イスラエル・ユダヤ / 2006-05-08 23:09:41

      D)シリアを付け狙う

2003年4月にイラク政府が崩壊すると、シャロン首相とその副官たちは米国政府に対してシリア政府を標的にするよう催促し始めた。4月16日にはシャロン首相はイエディオット・アハロノット紙(訳者注:イスラエル最大の発行部数のヘブライ語新聞)との会見で、米国に対してシリアに「非常に強い」圧力をかけるように呼びかけている。その一方で、彼の政権の国防大臣であったシャウル・モファズマアリヴの会見で「我々にはシリアに要求する問題の長い一覧表があり、それは米国人を通じて実行されるのが適切だ。」と語った。エフライム=ハレヴィはワシントン近東研究所で聴衆に向かって「今や、米国にとってシリアに乱暴するのが重要だ」と語った。そして、ワシントンポスト紙は、イスラエルはシリアの大統領であるバッシャール=アサドの行動についての情報報告を米国に与えることで、シリアへの反対運動に「火を注いで」いると報道した。

イスラエル系圧力団体の重要な構成員も同じ主張を行った。ウォルフウィッツは「シリアでの政権転換は必ず行われねばならない」と宣言し、リチャード=パールは記者に「次はお前だ」という「二つの単語からなる短いメッセージ」が他の敵対政権に届くだろうと述べた。4月始めには、ワシントン近東研究所は超党派の報告書を発表し、その中でシリアは「サダム様な無謀で無責任で傲慢な行動を続けるならば、彼と同じ運命を辿ることになるというメッセージを無視すべきでない」と主張した。4月15日にはヨッシー・ クライン=ハレヴィ(訳者注:ニューリパブリック誌特派員、エルサレムのシンクタンクであるシャレム・センターのシニアフェローはロサンゼルスタイムズ紙に「次はシリアに一層圧迫を加えよう」と題する記事を書き、次の日にはZev Chafets(訳者注:エルサレムポスト紙の特別寄稿者)はニューヨークデイリーニュース紙に「テロと親密なシリアにも変化が必要だ」と題する記事を書いた。ローレンス=カプラン(訳者注:ニュー・リパブリック誌主席編集者)も引けを取らず、ニューリパブリック誌に4月21日に「シリアのアサド大統領は米国にとって深刻な脅威だ」と書いた。

国会議事堂では、下院議員のエリオット=エンジェルが「シリアの実施責任とレバノンの主権回復法」を再提出した。それは、シリアがレバノンから撤退せず、大量破壊兵器保有を諦めず、テロを支援するのを止めない場合は制裁を科すと脅す内容であった。そして、シリアとレバノンに対して、イスラエルと和解するための具体的な方法を採ることを呼びかけていた。この立法はイスラエル系圧力団体、特にアメリカ・イスラエル公共問題委員会の強い支持を受けていた。そして、Jewish Telegraph Agency(訳者注:イスラエルの通信社)によれば、「議会の中のイスラエルの最高の友人たちによって組み立てられて」いた。ブッシュ政権はこれに対し殆ど熱中しなかったが、反シリア法案は圧倒的多数(下院では398対4、上院では89対4)で可決され、ブッシュ大統領が2003年12月12日に署名して法が成立した。

ブッシュ政権自体はシリアを標的にすることの賢明さについて未だに意見が内部で分かれていた。新保守主義者たちはシリア政府に因縁を付けることを渇望していたが、CIAや国務省はこの考えに反対であった。そしてこの新しい法案に署名した後でさえ、ブッシュ大統領はその執行は慎重に行うと強調した。彼のためらいは理解できる。第一に、シリア政府は9/11以後アル・カイーダに関する重要な情報を提供し続けていただけでなく、米国に対してペルシャ湾地域でのテロリストの攻撃計画を米国政府に通報し、9/11のハイジャック犯の一部を採用した疑惑のあるモハメッド=ザマーをCIAの調査官に面接させた。アサド大統領の政権を標的にすることはこれらの貴重な関係を台無しにして、その結果広義の対テロ戦争を損なうものであった。

第二に、シリアはイラク戦争の前は米国政府と不和状態ではなかった(シリアは国連決議第1441号に賛成さえした)し、シリア自体が米国にとって何ら脅威ではなかった。シリアに厳しい処置をとることで、アラブ国家を殴り倒すことへの飽くことのない欲望を持ったいじめっ子と米国が受け取られてしまう。第三に、シリアを敵の一覧表にのせることはイラクで問題を作り出すことへの強い動機をシリア政府に与えることになる。たとえ仮に圧力をかけることを求めていたとしても、まずはイラクでの仕事を終えることが良識というものだ。しかし、議会はシリア政府に焼きを入れることを主張し続けた。それは、主にイスラエル当局者やアメリカ・イスラエル公共問題委員会の様な集団からの圧力への反応であった。もしイスラエル系圧力団体が存在しなかったならば、シリア実施責任法は存在せず、米国のシリア政府に対する政策はもっと米国の国益に合致したものになっていただろう。

      E)イランに照準を合わせる

イスラエル人はあらゆる脅威を最も硬直した言葉で表現するが、イランは彼らにとって最も危険な敵であると広く認識されている。それは、核兵器を持つ可能性が最も高いためである。ほぼ全てのイスラエル人は、核兵器を持った中東のイスラム教国は自分達の生存への脅威であると認識する。「イラクは問題だ・・・しかし、もしあなたが私に質問するのならば、あなたは今日イランはイラクより更に危険であると言うことを理解すべきだ。」と国防大臣のベンジャミンベンーエリゼールはイラク戦争の一ヶ月前に述べた。

シャロンは2002年11月に、タイムズ紙の記者会談で米国に対してイランと対決するよう働きかけ始めた。イランを「世界のテロの中心であり、核兵器を保有しようとしている」と述べ、ブッシュ政権はイラクに勝利した後にイランを強奪するべきであると宣言した。2003年4月末、ワシントン駐在のイスラエル外交官はイランの政権交代を求めているとハアレツ紙は報道した。サダム政権の転覆は不十分であり、米国はゴルフのスイングを振り切らねばならない、我々はシリアとイランからの大きな脅威を未だに受けている、と彼は言った。

新保守主義者達もまた、テヘランの政権転覆への主張を直ちに始めた。5月6日国策研究会(AEI)は共にイスラエルを支持する民主主義防衛基金とハドソン研究所と共同でイランについての一日がかりの会議を後援した。演者は皆強硬な親イスラエル派であり、多くは米国に対してイランの政権を転覆して民主主義にするよう求めた。いつもどおり、有力な新保守主義者達の論説の一団がイランを狙うことを主張していた。ウィリアム=クリストルは5月12日にウィークリースタンダード誌に「イラクの解放は中東の未来に向けての最初の大戦争であった。しかし、次の大戦争は?我々は軍隊による戦闘を望まないが-イランに対するものになるだろう。」と書いた。

米国政府はイスラエル系圧力団体の働きかけに対して、イランの核計画を停止させる為に余分に働くことで答えた。しかし、米国は殆ど成功せず、イランは核兵器を製造する決断を行っている様であった。結果として、イスラエル系圧力団体は圧力を増大させた。論説記事やその他の記事は現在、核武装したイランによる差し迫った危険を警告し、「テロリスト」体制へのあらゆる譲歩を戒め、外交交渉が失敗した場合の予防的行動を暗に示唆している。イスラエル系圧力団体は米国議会に対して、現在の制裁を拡張する法律であるイラン自由支援法案を成立させるよう働きかけている。イスラエルの当局者は、もしイランが核の道を進み続けるならば先制攻撃を行う可能性があるとも警告し、一部意図的に米国政府の注意をこの問題に引きつける為に脅迫している。

米国自身にイランの核武装を防ぎたいという理由があるのだから、イスラエルとイスラエル系圧力団体は対イラン政策への大きな影響力を持たないという議論もあるだろう。そこには幾ばくかの真実が含まれている。しかし、イランの核武装は米国への直接的脅威にはならない。米国が核武装したソ連や核武装した中国、更には核武装した北朝鮮とすら共存できたのであれば、米国は核武装したイランとも共存できる。そして、これこそがイスラエル系圧力団体がイラン政府と対決するように政治家に圧力を加え続けねばならない理由である。イスラエル系圧力団体が存在しないならば、イランと米国は同盟国になることはまずありえないが、米国の政策はより穏和なものとなり、予防的戦争は重要な選択枝にはならないであろう。

      F)まとめ

イスラエルと米国のイスラエル支持者がイスラエルの安全に関する全てのあらゆる脅威に対処するように求めるのは驚きではない。米国の政策を方向付けるための彼らの努力が成功するならば、イスラエルの敵は弱体化するかあるいは転覆させられ、イスラエルはパレスチナ人を自由裁量で取り扱う事が出来、米国は戦闘と戦死者と再建と支出の大部分を引き受けることになる。しかし、もし米国が中東の体制転換に失敗して、ますます先鋭化するアラブとイスラム世界との争いに巻き込まれたとしても、イスラエルは結局世界唯一の超大国に保護されることになる。これはイスラエル系圧力団体の視点からは申し分のない結果とは言えないが、米国政府がイスラエルと距離を置く政策、あるいは米国がその影響力を用いてイスラエルにパレスチナと和平を結ぶように強制する政策よりも好ましい事は明らかである。

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ミアシャイマーとウォルトのイスラエルロビー批判論文の日本語訳part6
イスラエル・ユダヤ / 2006-05-08 23:05:44

     B)イスラエル系圧力団体とイラク戦争

米国国内では、この戦争の推進力は新保守主義者の小さな集団であり、その多くはリクードとの関係があった。しかし、イスラエル系圧力団体の主要組織の指導者たちはこの運動への発言を引き受けた。「ブッシュ大統領がイラクでの戦争を(国民に)受け入れさせようとした時、米国の最も重要なユダヤ系組織は団結して彼を弁護した。共同体の指導者達はサダム=フセインと彼の大量破壊兵器を世界から取り除くことの必要性を強調する声明を次々と発表した。」とフォワード誌は報道した。その論説は「イスラエルの安全への関心は当然なことに、主要なユダヤ系団体の討議という因子に因数分解された。」と続けた。

新保守主義者や他の圧力団体の指導者達はイラク侵略を渇望していたが、米国のユダヤ系共同体全体はそうではなかった。戦争開始直後、サミュエル=フリードマンは「ピュー調査センターが行った全国規模の世論調査によれば、ユダヤ系は国民全体に比べてイラク戦争への支持が52%対62%でより少ない傾向にあった」と報告した。イラクでの戦争の責任を「ユダヤ人の影響」のせいにするのは明らかに間違いだ。むしろ、それはおおむねイスラエル系圧力団体、特にその中の新保守主義者たちの影響力のせいであった。

新保守主義者たちはブッシュが大統領になる以前からサダムを打倒することを決意していた。彼らは早くも1998年にサダムを権力の座から追放することを呼びかける二通の公開書簡をクリントンに送ったことで騒ぎを起こしている。その署名者の多くは安全保障問題ユダヤ研究所やワシントン近東研究所などの親イスラエル団体と親密な繋がりを持つ者であり、エリオット=アブラムス、ジョン=ボルトン、ダグラス=フェイス、ウィリアム=クリストル、バーナード=ルイス、ドナルド=ラムズフェルド、リチャード=パール、ポール=ウォルフウィッツ等を含む。彼らはクリントン政権を説得しサダムを追放するという総合的な目標を容易に採択させた。しかし、彼らはその目的を達成するための戦争を受け入れさせることが出来なかった。彼らはブッシュ政権初期にもイラクに侵略することへの熱狂を作り出すことが出来なかった。彼らは目的を達成するための助けを必要としていた。9/11とともにその助けが到来した。その日に起きた出来事がブッシュとチェイニーに進路を反転させ、予防的戦争の強い支持者にした。

9月15日のブッシュとの重要な会合で、ウォルフウィッツはアフガニスタンの前にイラクを攻撃することを提唱した。サダムが米国への攻撃に関与したという証拠が無く、ビン=ラディンがアフガニスタンにいると分かっていたのにも関わらずである。ブッシュは彼の忠告を拒否し、アブガニスタンの後に回した。しかし、イラクとの戦争は深刻な可能性があると見なされ、9月21日には大統領は軍隊にイラク侵略の具体的計画を作成するよう命令した。

一方、その他の新保守主義者たちは政治権力の中心で働いていた。我々はその完全な内容は知らないが、プリンストン大学のバーナード=ルイスやジョンズ=ホプキンス大学のフォアド=アジャミーのような学者たちが戦争が最良の選択であるとチェイニーを説得するのに重要な役割を果たしたと伝えられる。しかし、チェイニーの部下である新保守主義者たち-エリック=エーデルマン、ジョン=ハンナ、チェイニーの首席補佐官で政権の中で最も有力な者の一人であったスクーター=リビー-もまた彼らの役割を果たした。2002年の初めにはチェイニーはブッシュを説得していた。そして、ブッシュとチェイニーが乗ったことで戦争は不可避になった。

政権の外部でも、新保守主義の専門家たちは迅速にイラク侵略が対テロ戦争への勝利に必要不可欠であると主張した。彼らの努力は部分的にはブッシュへの圧力を継続するため、あるいは政権内外の戦争反対勢力にうち勝つためであった。9月20日には有力な新保守主義者とその友人の団体が別の書簡を公開した。それは、「米国への攻撃とイラクとの間に直接の関係がないとしても、テロとその後援者を根絶するためのいかなる戦略も、イラクの政権からサダム=フセインを追放するという断固たる努力が必要不可欠だ」というものだ。その書簡はまた、ブッシュに「イスラエルは国際的なテロに対抗するための米国の最も忠実な同盟国であったし、これからもそうであり続ける」ということを思い起こさせた。10月1日には、ウィークリースタンダード誌の記事でケーガンとクリストルはタリバンを米国が打ち破ったらすぐにイラクの政権交代が必要と主張した。同じ日に、チャールズ=クラウトハマーはワシントンポスト紙で米国のアフガニスタンでの作戦が終わったら、シリアが次であり、その後はイランとイラクであり、我々が「世界で最も危険なテロリスト体制を」終結させるとき、「テロに対する戦争はバグダッドで完了」すると論じた。

これはイラク侵略への支持を得るための容赦のない広報活動運動の始まりに過ぎなかった。そして、その決定的に重要な部分はサダムが差し迫った脅威であるかの様にみせかけるという情報操作であった。例えば、リビーはCIAの分析官に対して戦争に賛成する主張を支持する証拠を見いだすよう働きかけ、現在コリン=パウエルの評判を落としている国連安保理での説明の準備を支援した。国防総省内では、反テロリズム政策評価グループがアル・カイーダとイラクの繋がりを見いだすよう命令されが、情報機関はそれに失敗したと思われる。その鍵となる二人の重要人物は、筋金入りの新保守主義者であるデービッド=ワームサーと、パールと親密な絆を持つレバノン系米国人のマイケル=マルーフである。特別計画室と別の国防総省のグループは、戦争を受け入れさせるのに利用できる証拠を発見する職務を与えられた。これはウォルフウィッツと長期間関係を持つ新保守主義者であるエイブラム=シュルスキーが指揮を執り、親イスラエルのシンクタンクから募集された人々が参加していた。両方の組織は9/11の後に作られ、ダグラス=フェイスに直接報告を行った。

ほぼ全ての新保守主義者と同様に、フェイスもイスラエルに深く関与しているし、リクードとも長期的な関係を有している。彼は1990年代に入植地を支持しイスラエルが占領地区を保持すべきだと主張する記事を書いた。より重要なことは、パールやワームサーと共に1996年にあの有名な「突然の中断」を、当時首相になったばかりのネタニヤフに書いたことである。その中ではネタニヤフに「サダム=フセインをイラクの権力の座から追放することはイスラエル自身の権利において、重要な戦略目標である」と勧めている。更に、中東全体を並び替えることをイスラエルに対して呼びかけている。ネタニヤフは彼らの忠告に従わなかったが、フェイス、パール、ワームサーは間もなくブッシュ政権に対して同じ目標を実行するよう要請していた。ハアレツ紙の特別寄稿者のアキバ・エルダルは、フェイスとパールは「米国への忠誠心とイスラエルの国益の間の細い線の上を歩いている」と警告している。

ウォルフウィッツもまた等しくイスラエルに関与している。フォワード誌はかつて彼を「政権の中で最も強硬な親イスラエル派」と描写し、2002年に自覚的にユダヤの現状改革主義を追求する50人の有名人の筆頭に選んだ。同じ頃、安全保障問題ユダヤ研究所はウォルフウィッツにイスラエルと米国の強い友好関係を増進させた事に対してヘンリー・M・ジャクソン殊勲賞を授与した。エルサレムポスト紙は彼を「心から親イスラエル」と評し、2003年の「最も活躍した人物」と名付けた。

最後に、新保守主義者たちの戦争前のアフマド=チャラビ(訳者注:イラク国民会議代表)への支持については簡潔な言葉で述べるのが適当だろう。彼はイラク国民会議の代表を務めていた恥知らずの亡命者だった。彼らがチャラビを支持したのは、ユダヤ系米国人の集団と親密な関係を樹立しており、政権を握った暁にはイスラエルとの良好な関係を育むと誓ったからである。これこそまさに、親イスラエルの体制転換擁護者たちが聞きたかったことであった。マシュー=バーガーはユダヤジャーナル誌でこの掘り出し物の真髄に酔っている。「イラク国民会議は関係改善を米国政府とイスラエル政府におけるユダヤ人の影響力への打診を行うための方法と考え、その理由のために支持の増大を喚起している。もしイラク国民会議がサダムフセイン体制の後任に関与した時には、ユダヤ系グループは彼らとしてはイスラエルとイラクの間の良好な関係に道を開くための機会を見つけたのだ。」

新保守主義者たちのイスラエルへの献身、イラクへの執着、彼らのブッシュ政権における影響力を考えると、多くの米国人がこの戦争は更なるイスラエルの国益のために計画されたのではないかと疑うのは驚きでない。昨年3月、米国ユダヤ人委員会のバリー=ヤコブは、イスラエルと新保守主義者たちが共謀して米国を対イラク戦争に持ち込んだという信念が情報機関の中で拡散していることに同意した。しかし、そのことを公式の場で口に出す人はほとんど居なかったし、それを行った人の大部分-アーネスト=ホーリングズ上院議員や-ジェームズ=モーラン下院議員を含む-はその問題を取り上げたことを糾弾された。マイケル=キンスレーは2002年に「イスラエルの役割に関する公的な議論が欠如していることは、部屋の中の象(訳者注:非常に目立つが、都合上無視される問題)の諺のようだ。」と述べた。彼は、それに関する議論に気が向かない理由は、反セム主義者と呼ばれることへの恐れであると分析した。イスラエルとイスラエル系圧力団体が開戦の決定の大きな要因であることはほとんど疑いの余地がない。彼らの努力なしには、米国がその決定を行う可能性は遙かに小さかったことだろう。

     C)中東地域の体制転換という夢

そして、この戦争は単なる第一段階として予定されていた。開戦直後のウォールストリートジャーナル紙の一面の「大統領の夢:単なる政権転換ではなく、地域の転換:親米的な民主主義地域こそ、イスラエル人と新保守主義者が応援する目標」という見出しが全てを語っている。

 親イスラエルの勢力は長年に渡って、米軍を中東にもっと直接的に関与させることに関心を持っていた。しかし、彼らは冷戦期間中には限定的な成果しか挙げられなかった。米国がこの地域ではオフショア=バランサーとして行動していたからである。中東地域に配備された緊急展開部隊の等の部隊は地平線の向こうの安全な所に駐留していた。これは、現地勢力を別れさせ相互に対立させて、米国に好ましい均衡状態を維持するためである。レーガン政権がイランの革命政権に対抗するサダムをイラン・イラク戦争の期間中支援したのもこれが理由である。

この政策は湾岸戦争の後で変更され、クリントン政権は「二重封じ込め政策」を採用した。かなりの量の米国の軍事力がイランとイラクの両方を封じ込めるためにこの地域に駐留し、以前の相互に監視するという政策は放棄された。この二重封じ込め政策を作ったのは他ならぬマーチン=インディクである。彼は1993年5月にワシントン近東研究所 でこの政策を起草し、その後は国家安全保障会議の中東・南アジア地域の責任者として政策を実行したのだ。

1990年代の半ばには、二重封じ込め政策に対する相当な不満が聞かれるようになった。この政策により米国は相互に憎み会う両国の宿敵となり、米国政府は両方の敵を封じ込めるという重荷を負うことを強いられたからだ。しかし、この戦略はイスラエル系圧力団体にとっては好ましいものであり、彼らは継続するように議会に活発に働きかけた。アメリカ・イスラエル公共問題委員会や他の親イスラエル勢力の圧力を受けて、クリントン大統領はは1995年春にこの政策を強化し、禁輸措置を科した。しかし、アメリカ・イスラエル公共問題委員会や他の圧力団体は更なる措置を求めた。その結果が1996年のイラン・リビア制裁法令であり、イランやリビアの石油資源の開発に関して4000万ドル以上の投資を行った外国企業全てに制裁を科すものであった。ハアレツ紙の軍事問題記者であるゼーフ=シフは「イスラエルは大きな構想の中ではほんの小さな要素に過ぎないが、この環状道路の中(訳者注;ワシントンの環状道路の事を指す)でその構想に影響力を及ぼせないと見くびってはならない。」とその時書き留めている。

1990年代末には、新保守主義者たちは二重封じ込め政策では不十分であり、イラクの政権転換が必須だと議論していた。サダムを追放してイラクを力強い民主主義国にすることで、米国は中東全体を転換するという遠大な過程を引き起こすだろうと彼らは主張した。同様の意見の方針は新保守主義者たちがネタニヤフに向けて書いた「突然の中断」でも明らかであった。イラク侵略が最優先であった2002年には、地域全体の転換は新保守主義者の集団の中ではもはや信条となっていた。

チャールズ=クラウトハマーはこの雄大な構想をナタン=シャランスキーの独創的な考えと述べている。しかし、あらゆる政治領域のイスラエル人は、サダムを追放することは中東をイスラエルに有利に変化させることであると信じていた。アルフ=ベン記者はハアレツ紙でこう述べている(2003年2月17日付)。「イスラエル国防軍の高官と、国家安全保障補佐官のエフライム=ハレヴィのようなアリエル=シャロン首相に近い人々は、イスラエルが戦争の後に期待できる素晴らしい未来のバラ色の光景を描く様になった。彼らはサダム=フセイン体制の崩壊に続いて他のイスラエルの敵も崩壊し、これらの指導者と共にテロや大量破壊兵器も消失するというドミノ効果を想像した。」

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元ソ連外交官が語る「ロシア−ユダヤ闘争史」の全貌(その2)
イスラエル・ユダヤ / 2006-05-01 08:53:12
第4章:ロシア文化を徹底的に破壊したハザール=ユダヤ人

革命はロシアの頭脳を流出させロシアの文化・宗教を破壊した

ロシアの「頭」はこうして切り落とされた。では彼らの次の目標は何か。その次に彼らは何をしなければならなかったのだろうか。

ロシアの伝統、習慣、歴史と、それを存続させている貴族を殺すこと、それが彼らの次の課題であった。が、ロシアの貴族はそのとき、幸か不幸かほとんどが国外に亡命していた。少なくとも300万人の貴族がアメリカやヨーロッパなどに脱出したが、彼らはいわばロシアの頭脳ともいえる人々だった。要するに、革命によってロシアの頭脳が全て国外に流出してしまったのである。◆

アメリカには世界でも有数の技術を発見した学者たちが多くいる。あまり知られていないことだが、それらの学者たちの中にはロシア人が最も多いのである。少なくとも彼らロシア人が20%を占めている。

たとえばヘリコプターの発明者のシコルスキー、ノーベル賞をもらった経済学者ワシリー・レオンツェフ、また作曲家のラフマニノフなど、挙げていけばきりがないほどだ。ロシアの頭脳はほとんどアメリカに行ってしまったのであった。アメリカは革命によってロシアの頭脳を獲得したのである。

優秀な実業家、デミドフ、ストロガノフ、エリセエフなども外国に行ってしまった。ロシアはユダヤのために優秀な実業家たちをすべて失ってしまった。ロシア人の「頭」の代わりにユダヤ人の「頭」が、ロシアの体、すなわちロシア人の国家の上に乗せられたのである。◆

さらにロシアの古い伝統、習慣、文化をもっているのは誰か。農民である。彼らは個人の農地をもっていた地主であった。しかしユダヤ人は革命を推し進めるためには、農業システムを破壊しなければならないとして、各地にコルホーズ(集団農場)やソホーズ(国営農場)をつくっていった。その結果、ロシアの農業システムがすべて破壊されたのである。

こうして、文化人も、優秀な実業家も、伝統的な農民もロシアからいなくなった。全部ユダヤ人のやったことである。またロシア正教もほとんど壊滅の状態にまで弾圧された。ロシア正教はロシア人にとって最も神聖な宗教である。少なくとも1000年の歴史をもっており、ロシア人に大きな精神的影響を与え続けてきた。しかし革命後、ユダヤ人はロシア正教会の90%を破壊してしまったのである。

 ロシアでは10〜11世紀にかけて、ロシアの伝統的な建築技法によって美しい多くの教会が建てられた。今では12世紀に建てられた教会が、わずかに破壊されずに残っているが、古い教会のほとんどがユダヤ人によって破壊されてしまった。破壊されたものの中には、建物以外に絵画や9〜11世紀のイコンもたくさんあった。

こうした破壊はロシアにとっては耐えがたい残酷なる悲劇であった。 

軍幹部と知識人の粛清

第二次世界大戦が始まる前に、ユダヤ人たちはもう一つの陰謀を企てていた。それはロシア軍隊の幹部たちを粛清することだった。少なくともその当時、約3万人の将軍や将軍クラス、大佐クラスの軍人が殺された。彼らはちょうど第二次世界大戦が起こる1、2年前に殺されたのである。◆

ユダヤ人たちはヒトラーからの侵略の脅威を感じなかったのだろうか。ロシアを外敵から守る必要がありながら、なぜ優秀な軍人を殺すことに躊躇しなかったのだろうか。

彼らにとっての問題は国外ではなく国内にあったからである。ロシア人の将軍や大佐などが赤軍を指導し、反ユダヤ感情が高まってきたために、ユダヤ人たちは危険を感じて軍隊の幹部たちを殺した。実に第二次世界大戦が起こる直前のことであった。それら将軍の中にはユダヤ人も交じっていたが、ユダヤ人であろうとも、不穏な動きを一掃するためには無差別に殺されていったのであった。◆

戦争が始まった。優れた司令官をすでに失っていたロシア軍は、はじめの1、2年間は敗北を重ね、モスクワまで撤退して敵を迎え撃つ戦法をとることにした。そして、後のモスクワ戦線では激烈な戦闘の結果、最終的にロシアが勝利を収めたのだが、そのときには、ようやく世代交代がなされ、次世代の優秀な軍人たちが指揮をとっていた。それらの指令官の中でも、最も優れた司令官がジューコフ元帥だった。◆

1941年10月、ドイツ軍はモスクワ大攻撃を開始した。それに対して、その年の12月、ジューコフ元帥の率いるロシア軍が大反撃を行なったのである。これをロシアでは「モスクワの祖国戦争」という。戦争は1943年2月まで続いたが、ついにドイツ軍は降伏し、ロシア軍の勝利の第一歩が印された。ジューコフ元帥の果たした役割は、すべての戦争において最も大きいものだった。

 戦争が終わると、急速にロシア人の民族的自覚が高まっていった。ドイツとの戦争で勝利を勝ち取ったからである。ユダヤ人はロシアを恐れた。

危機を感じたユダヤ人は1948年、ロシア人に対して攻撃を開始した。優秀な政治家たちを次々と裁判に送り、ロシア人知識階級を殺していったのである。カガノビッチがそれらの指揮をとっていたが、スターリンもそれに同調していた。 


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第5章:スターリンとジューコフ元帥の反乱

ユダヤから離れて暗殺されたスターリン

スターリンはその頃からユダヤ人のやり方に反発するようになった。スターリンの妻はカガノビッチの妹であり、その前のスターリンの2番目の妻も同じくユダヤ人だった。それにもかかわらず、スターリンはユダヤ人に対抗していった。戦争の勝利で自らのイメージが上がったこともあり、ユダヤの横暴なやり方に我慢できなくなって、反ユダヤの態度をとりはじめたのであった。1949年から亡くなる1953年までの間、スターリンは実際にそうした行動をとり続けていった。 

スターリンの身辺には常にベリヤがいた。ベリヤは国家保安省のリーダーであり、スターリンと同じくグルジア人だったが、ユダヤとのハーフであった。ベリヤは終始スターリンの見張りを怠らず、スターリンの行動をすべてカガノビッチに報告していた。そのため、スターリンはベリヤに隠れて密かに反ユダヤの陰謀を画策していった。◆

1952年、「医者事件」が起こった。「医者事件」とは、1948年、ユダヤ人の医者たちが多くのロシア人の新生児、それも男児を毒殺した事件である。そのときに殺された男児の数はかなりの数に上った。とくに大都会のレニングラード、モスクワ、キエフなどで多くの男児が殺された。

なぜユダヤ人たちはこのような暴挙をやるのか、このまま多くの男児が殺されるならば、いったいどのようなことになるのか──。

スターリンは1952年、この事件に関係した医者をすべて逮捕し、ユダヤ人自身がつくった収容所に送って、その半数を殺したのであった。◆

スターリンは更に大きな反ユダヤのプランをもっていた。シベリアの極東地方にビロビジャンというユダヤ人の自治州があったが、彼は大都会からすべてのユダヤ人を集めて、シベリアのビロビジャンに送ろうとしたのである。が、それが実行に移される前に、彼はベリヤによって暗殺された。1953年3月のことであった。 

スターリンは自然死であるという説があるが、実際はそうではなかった。ユダヤ人による暗殺であった。ベリヤによってスターリンは殺されたのである。スターリンの息子ワシーリーは空軍の将校だったが、彼はこの事実をよく知っていた。彼は隣人にこの経緯をすべて話している。しかしワシーリーもまもなく暗殺されてしまった。 

ソ連の全権を握ったカガノビッチ

ユダヤ人は強大な力をもっている。彼らは世界的な規模で力をもっており、ユダヤ民族が不利な状態になったときには一致して攻撃に出ることができる。スターリンは強力な独裁者といわれたが、その実は彼らに操られたロボットであり、自ら独裁者ぶりを発揮したとたんにユダヤによって暗殺されたのである。◆

スターリンが亡くなって後、ベリヤはカガノビッチの真の右腕になった。カガノビッチはハザールの王であり、、この2人はスターリンが暗殺されてから130日間、実質的にロシアを支配していた。この間、彼らは何をやろうとしていたのだろうか。それは、ソ連の分裂への策謀であった。ベリヤが逮捕されて後に、こうした計画のあったことが発覚している。 

今から40年前の1953年、カガノビッチは当時のソ連の全権を掌握した。このとき、ロシアは本当のユダヤ国家になってしまったのである。

ロシアのユダヤ人とアメリカのユダヤ人たちはこうした事態を大いに喜んだ。なぜならば、ロシアのユダヤ人もアメリカのユダヤ人も、いずれもアシュケナジー・ユダヤ人という同胞であり、すっきりと手を組むことができるからだった。

ユダヤ人たちはソ連とアメリカという2つのユダヤ国家が力を合わせれば、全世界を支配できると考えた。当時の誰がこのような陰謀を阻止できただろうか。

その当時、国家保安省のエージェントはあらゆるところにいた。そして、密告が制度として国民の義務となっていた。当時のロシア人は、こうしたユダヤのネットワークには、何らの抵抗するすべをもたなかった。

 ユダヤ権力を壊滅させたジューコフ元帥

しかし奇跡が起こった。第二次世界大戦におけるファシズムとの戦争で勝利をもたらしたジューコフ元帥が、1953年にユダヤとの戦いでも勝利を収めたのである。

1953年7月27日、モスクワ郊外でジューコフ元帥は陸上演習を行なっていた。この演習の途中で、ジューコフ元帥は突然、自ら戦車部隊二個師団を率いてモスクワ市内に入り、国家保安省本部に向かって進撃を始めたのである。国家保安省はこの動きをまったく感知していなかった。そのため、ジューコフはあっという間に国家保安省本部の占拠に成功することができたのであった。

 ジューコフ元帥はまずベリヤを逮捕した。そしてその次にカガノビッチらを逮捕した。これはまったく異例の事態であった。ロシア人の民族性からすると、こうした過激な反発行動に出ることはあり得ないことであった。しかしジューコフは、誰にも相談せずに、自らの判断で直ちに戦車部隊二個師団を動かし、モスクワに入って国家保安省本部を乗っ取ったのである。

そのときからロシアは新政府となり、ユダヤ人は国家保安省や軍隊の司令部を含めて、あらゆる組織から追放された。少なくとも1960年まで、ほとんどの政府機関からユダヤ人が一掃されたのである。

 ようやく、ロシアをロシア人が指導するところとなった。一時的にではあったものの、明らかにロシア人の勝利であった。このとき1953年から、1985年にゴルバチョフが書記長となり、翌年にペレストロイカ(改革)が始まるまでの間、ロシア国内にハザール国家は存在することがなかったのである。ユダヤ人たちはそのままロシアに住んではいたが、もはやユダヤ人たちが国家内国家をつくるようなことはなかった。

ブレジネフの時代はロシア人にとって歴史上非常に安定した時代であったといえる。ユダヤ人たちはこの時代を「停滞」時代という。革命が起きていなかったので、彼らにとっては「停滞」と呼ぶにふさわしい時代なのである。 


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 第6章:ソ連崩壊の舞台裏 (ロシア人とユダヤ人の対立)

1991年8月のクーデターは「ユダヤ第二革命」だった

共産主義体制崩壊後のロシアの政治を、日本では、改革派(民主系)と保守派(旧共産党系)の対立を軸にしたものとしてとらえ、そこに中間派系、民族派系などの諸派が絡んだ政争の流れとして見ている。しかし、本当の問題は民族闘争なのである。ロシア人とユダヤ人の対決、それがロシアで起きていることの根本にあることである。◆

1991年8月、世界を揺るがしたソ連のクーデターはあっけない失敗に終わった。しかしその結果起きたことは、紛れもない革命だった。これはユダヤ人によるクーデターであり、「ユダヤ第二革命」と呼ぶべきものだった。過激派のユダヤ人たちは、穏健なゴルバチョフ政権を倒して自らが政権を握ろうとしたのである。クーデター失敗後、エリツィン・グループが政権を握ったが、エリツィン大統領を取り巻くロシア政府高官のほとんどがユダヤ人であった。

エリツィンはユダヤ人の妻を持つが、彼自身は純粋のロシア人である。しかし彼は頭が悪く、しかもアルコール中毒である。彼は使われているロボットにすぎない。彼の補佐官は80%がユダヤ人であり、彼の補佐官の中には20人のアメリカ人がいた。そのアメリカ人の中でも指導的な役割を果たしているのは、ジェフリー・サックスというハーバード大学の教授であり、もちろんユダヤ人である。

 ロシア国内のユダヤ人たちは、8月クーデターでロシア政府内の実権を握ったことを幸いに、次に海外のユダヤ人と相呼応して、ロシア経済を支配下に置こうとした。そのため、欧米の、中でもアメリカのユダヤ資本が怒涛のようにロシアになだれ込むことになったのである。

エリツィンと取り巻きのユダヤ人たちは、8月クーデター以後、急進的な市場開放路線を議会で承認させると、ガイダル政権を発足させた。そして年末の連邦崩壊・CISの形成を経るや、一気に市場開放、価格自由化というショック療法を実行に移したのである。その結果ロシアでは、国際派ユダヤ人による猛烈な「ゴールド・ラッシュ」が起きた。1991年8月クーデター以後しばらくの間、ニューヨークからモスクワ行きの飛行機は、ほとんどユダヤ人たちに占められていた。

やがてロシア人の解放運動が巻き起こるだろう

8月クーデターで、彼らユダヤ人たちは再びロシアの権力を握ったと思っているだろう。しかし、70年余年前の10月革命のときとは、その事態には根本的な違いがあることに彼らは気付いていない。

ユダヤ人たちは1917年10月革命当時には大きな力をもっていた。しかし今日のロシアのユダヤ人たちには力がない。彼らは二度目の革命を起こしたが、今日のロシア人は75年前のロシア人とは異なっている。当時のロシアは農業国家であった。多くの農民たちは読み書きができなかった。しかし今は違う。共産主義時代に受けた教育レベルは非常に高いものである。ロシア人の年輩者もそして若い人たちも、ますますユダヤ問題がわかってきている。そして愛国心の高まりとともに、ユダヤ人に反発する行動をとるようになり始めているのである。◆

ユダヤ人はモスクワやサンクト・ペテルブルグ、キエフなどの大都会では力があるが、農民や労働者の中にはユダヤ人は一人もいない。これは喜ばしいことである。さらに、ユダヤ人たちの影響はまだ地方にまでは及んでいない。ロシアの地方には本当のロシアが残っている。

ロシア人たちの反発は、ロシア人によるユダヤからの解放運動として、すでに地方に広がりはじめている。ロシア人たちは必ず自分たちのロシア人のリーダーを選ぶだろう。

以前ゴルバチョフはペレストロイカは地方からの革命ではなく「上からの革命」であると言った。しかしこれは「革命」というよりは反ロシア的な陰謀であった。決して下からの解放運動、革命ではなかった。

私たちロシア人はすでに革命の歴史をもっている。最初の10月革命、これは明らかにユダヤ革命だった。そしてまた、2年前の1991年8月にあった革命も、ユダヤ革命であった。ロシア人たちはユダヤ革命はもう十分だと思っている。我らはもうこれに我慢できない。ロシアのユダヤ人たちは、ロシアにおいて悪質なことをやってきたし、今もやっている。しかし彼らはすでにやりすぎている。

今後、ロシア人とユダヤ人との闘いは、もっと激しくなっていくにちがいない。やがてロシア人の解放運動が巻き起こるだろう。私(イワノフ)は固く信じている。〈後略〉

http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb500.html
http://www.gameou.com/~rendaico/marxismco/marxism_gissenriron_roshiakakumeiko_urashikan.htm
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【私のコメント】
ロシア革命もソ連崩壊もユダヤ人がロシアの政府を乗っ取るための革命であったというこの主張は陰謀論と笑い飛ばすには余りに説得力がありすぎる。スターリン後のソ連がユダヤ人からロシア人が権力を取り戻す過程であったのと同様に、プーチンのロシアもユダヤ人から権力を取り戻しつつあるという見方ができる。

ところで、1929年のウォール街発の世界恐慌は米国政府をユダヤ系金融資本が支配するFRBを介してユダヤ人が乗っ取る第一次ユダヤ革命という性格を持っていた。2001年のブッシュ政権成立と同時多発テロの自作自演はネオコンが米国政府を乗っ取る第二次ユダヤ革命とも言える。ロシアでの革命に十年余り遅れて米国で革命が起きるというユダヤ革命の歴史が繰り返されている。

この文章は下記の阿修羅掲示板の投稿の再録です。
http://asyura2.com/0505/holocaust2/msg/884.html
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元ソ連外交官が語る「ロシア−ユダヤ闘争史」の全貌(その1)
イスラエル・ユダヤ / 2006-05-01 08:47:55
元ソ連外交官が語る「ロシア−ユダヤ闘争史」の全貌: ハザール=ユダヤ人とロシア人の関係について。

元ソ連外交官が語る「ロシア−ユダヤ闘争史」の全貌

ハザール=ユダヤ人とロシア人の関係について。
──元ソ連外交官が語る「ロシア−ユダヤ闘争史」の全貌──

1993年夏

 

旧ソ連時代、駐日ソ連大使館に勤務する外交官だったアレキサンドル・イワノフ氏は、1993年夏に日本を訪問しました。そして全国各地で講演を行ない、これまでのロシアでは何が起きていたのか、今のロシアで何が起きているのか、そもそもロシアのユダヤ問題とは何であるかについて、熱を込めて語りました。

イワノフ氏はモスクワ大学を卒業し東京大学大学院を修了した、日本事情にも詳しいロシア人外交専門家です。彼の講演には、私たち日本人がおよそ耳にすることのなかった驚くべき内容が数多く含まれていました。彼は私たち日本人に、知られざるハザール=ユダヤ人とロシア人の戦いの歴史を余すことなく語ってくれたのであります。

以下は、彼が行なった講演内容をまとめたものです。


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第1章:ハザール王国 vs ロシア帝国

8〜9世紀、ロシア人はハザール王国と戦った

6世紀後半、中央アジアのヴォルガ川流域に強力な民族が台頭しはじめた。のちにハザール(カザール)王国を形成するハザール民族である。「ハザール王国」は7世紀にハザール人によってカスピ海から黒海沿岸にかけて築かれた巨大国家である。9世紀初めにユダヤ教に改宗して、世界史上、類を見ないユダヤ人以外のユダヤ教国家となった。一方、当時はロシアもまだ帝国としては存在していなかったが、ロシア人はすでにキエフなどに定着していた。

6世紀から8世紀にかけて、ハザール民族はカスピ海の北方に進出すると、ロシア人とたびたび衝突するようになった。ハザール人はロシア人を支配下におき、奴隷にして、カスピ海の北にあるイティルというハザール人たちの首都に連れて行った。イティルでは当時、ロシア人の奴隷がいとも安価で売買されていたという。

 8世紀になり、ビザンチン・キリスト教とイスラムの圧迫を受けたハザール民族は、王から奴隷にいたるまで国を挙げてユダヤ教に改宗し、ハザールはユダヤ国家になった。そして彼らは自らをユダヤ人と名乗るようになったのである。現在、世界のユダヤ人の大半を占めるアシュケナジー・ユダヤ人は、このハザール人の子孫である。

8世紀から9世紀にかけて、ロシア人とハザール王国は数回にわたって戦争をしたが、965年、ついにロシア人がハザール王国を占領した。そして、首都イティルをほとんど壊滅させてしまった。それ以来、ハザール国家は再びかつてのような強国となることはなかった。

13世紀に入ると、タタール(モンゴル)がハザール王国を完全に滅亡させた。ユダヤ教徒ハザール人、すなわちアシュケナジー・ユダヤ人たちはロシアが近かったので、その多くがロシア領内に逃げ込んだ。

ロシアのユダヤ教徒ハザール人たちは、すでに12世紀に、ロシア国家の中でロシアに対する陰謀を画策するようになっていた。そして1174年、彼らはロシアの最も有名な皇帝、アンドレイ・ボゴリュプスキー皇帝を暗殺したのである。当時のロシアは多くの国々の集合体だったので、それぞれの国の皇帝が集まり会議が行なわれた。その結果、彼らはロシアにいるユダヤ教徒ハザール人を弾圧することに決定した。そして、多数のユダヤ教徒ハザール人が殺されることになったのである。

ポーランドへ移ったハザール=ユダヤ人

ヨーロッパの歴史を振り返ると18世紀の末、1772年から3回にわたって、ポーランド分割が行なわれている。ポーランドは3つに分けられ、当時の強国であったロシア帝国はポーランド領の一部を自らの領土内に組み込んだ。ところがそのポーランドに、ハザール=ユダヤ人たちが「国家内国家」を形成していたのである。◆

大規模なユダヤ・コミュニティは、15世紀まではスペインの中にあった。もっとも、このスペインにいたユダヤ人は、そのほとんどすべてが聖書でいう本当のユダヤ人、すなわちスファラディ・ユダヤ人であった。1492年、スペイン政府がスファラディ・ユダヤ人を国外に追放したことによって、スペインの中のユダヤ国家は消滅した。スペインを追われたスファラディ・ユダヤ人たちは主に、北アフリカ、オランダ、イギリスなどへ渡って行った。  

一方、ロシアから追放されたユダヤ教徒ハザール人たちは、そのほとんどがポーランドに移っていた。そのため、15世紀にはユダヤ教徒ハザール人たちの政府はポーランドの中に設けられていたといってもよい。

15世紀の終わりから16世紀にかけて、ポーランドのユダヤ人たちはポーランド人よりも強大な力をもつようになっていた。彼らは実際、ポーランドの国内に自分たちの政府、自分たちの国会、自分たちの教会などをつくっていた。

一般のポーランド人たちはもちろんのこと、ポーランド政府でさえも、そうしたユダヤ人たちの国家内国家に対しては、一切手をつけることができない状態にあった。 

■■ポーランド分割でロシアへ入ったハザール=ユダヤ人

ロシアは18世紀の終わりに、こうしたユダヤ人の国家内国家が存在するポーランドの領土の一部を自国の領土としたのであった。領土を得たのはよかったが、領土とともにユダヤ人の政府をも取り込んでしまったのである。このときにロシアは、きわめて危険な毒を飲み込むことになってしまった。

こうして、18世紀からロシア国家の内部には、再びユダヤ問題が生じるようになったのである。◆

ロシアのユダヤ人問題は昔も今も、最も難しい民族問題である。それは、ロシアにとってのユダヤ問題が、10世紀以来のロシア対ハザールの確執を含んでいるからである。ロシアが抱え込んだユダヤ人は、スファラデイ・ユダヤ人ではなく、アシュケナジー・ユダヤ人であり、彼らはユダヤ人ではないにもかかわらずユダヤ人と称する人々である。つまり彼らがユダヤ教徒ハザール人であるところに、この民族問題の複雑さがある。

その当時、ロシアに入ったハザール=ユダヤ人は300万人ぐらいであった。そのほとんどがロシアの西側、すなわちウクライナ、西白ロシア、あるいは旧ポーランド領に住んでいた者たちである。

それでも、ユダヤ問題は18世紀には、まだそれほど大きな問題ではなかった。19世紀の終わり頃から、ロシアのユダヤ人たちは熱心に革命運動に参加するようになった。革命運動を指導していた政党、社会民主党や社会革命党などのリーダーおよび活動家たちは、ほとんどすべてがハザール=ユダヤ人であった。◆

古来からロシア人は戦闘的、革命的な要素をもたない民族であった。一方、ユダヤ教徒ハザール人にとってロシアは敵国であり、ロシア文化は敵国の文化であった。したがって、彼らはロシア国家に対しては常に戦闘的、革命的であった。

ユダヤ教徒ハザール人たちは、古い過去の歴史をすぐに引き合いに出す。現在の歴史と古い歴史を同じように並べたて、3500年前の「出エジプト」(エジプトで奴隷となっていた古代ユダヤ人がモーセに率いられてエジプトから脱出した)の事跡などを持ち出してくる。

ユダヤ人は過去の歴史の中に生きているといってもよいだろう。だからこそ、ユダヤ教徒ハザール人は、かつてロシア人がハザール王国を崩壊させたことをよく覚えている。そのためユダヤ人の中には、常にロシアに対する復讐の思いがある。ロシアで革命を起こし、国家を転覆させることは、ユダヤ教徒ハザール人にとって最も重要な課題であった。◆

当時のロシアの知識人の中には、すでにそうしたユダヤ教徒ハザール人の動きをキャッチしていた人々がいた。たとえばロシアの作家、ドストエフスキーの著作を読むと、彼は繰り返し「ユダヤ人は革命を起こすだろう、ユダヤ人はロシアの中に入った毒であり、悪魔だ」と強調している。ドストエフスキーは「必ずユダヤ革命が起きる」と断言していた。

しかしロシア政府は、そうした動きをまったく感知していなかった。そして、ほとんどのロシアの知識人たちは、ユダヤ人と戦わずにユダヤ人と一緒になって革命を準備したのだった。 


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第2章:ロシア革命はユダヤ革命だった

日露戦争を画策したハザール=ユダヤの狙い

1905年、日露戦争が勃発した。日露戦争はユダヤ人の画策により、隣同士の2つの国が衝突することになった戦争である。当時、イギリスのユダヤ人が挑発的な行動に出て、日本もロシアも知らないうちに戦争に巻き込まれていった、というのが実際のところである。日本とロシアの歴史的な関係は、決してよい関係とはいえないかもしれない。が、そこにユダヤ人の画策があったことを考慮に入れなければならない。そう主張するロシア人は少なくない。たとえば、ロシアで出ている『日露戦争におけるユダヤの役割』という本なども、そうしたユダヤ人の動きを論じたものだ。

日露戦争当時、ユダヤ人たちは「ロシア政府の敗北」というスローガンを掲げて革命運動を展開した。このスローガンによって、ユダヤ人の革命家たちは、ロシア政府の敗北を望む日本やアメリカから革命資金を導入することを容易にもしたのである。日本の資金力はそれほど大きなものではなかったため、主にアメリカの資本が投入された。アメリカの大資本家であり、アシュケナジー・ユダヤ人であるヤコブ・シフが、ロシアのアシュケナジー・ユダヤ人の革命家たちに多額の援助を与えたことは知られている。

こうして第一次ロシア革命の嵐がロシア全土を襲ったが、1906年5月、ロシア政府はストルイピンを首相とする新政府を構成した。

このストルイピンという人物は、民族主義者・国家主義者であったため、強固な反ユダヤ的な政策をとって革命運動を鎮圧していった(そのためレーニンもジュネーブに亡命している)。ストルイピンは「強いロシアをつくろう」というスローガンを掲げて、今日のロシアの「改革」とはまったく異なる、ロシア人によるロシア人のための政治・経済改革を進めていった。

 しかし残念なことに、1911年9月、ストルイピン首相は暗殺されてしまった。ストルイピンがキエフに行った際に、ニコライ2世とともに劇場でオペラを見ていたときのことである。彼の席の近くにボグロフというユダヤ人がいた。彼は反体制派、社会革命党の党員で政府の警察のエージェントでもあった。彼はストルイピンの席近くへやって来るや、ニコライ2世の面前で、ピストルを2発、ストルイピンめがけて撃ったのである。◆

ストルイピンが亡くなったことによって、ロシア人によるロシア人のための改革も終わってしまった。

その頃、ロシアの資本主義経済はかなり強くなっていた。すでに、世界の資本主義諸国の中でも、決して引けをとることのない資本主義国家になっていた。当時のロシアの経済成長率は11〜15%で人々の生活水準も高かった。それは10月革命以前のことである。

 ユダヤ人が担ったロシア10月革命

ストルイピンが暗殺されると、ユダヤ人たちはもう一つの革命の準備に入った。1917年11月6日の「10月革命」である。

この10月革命はユダヤ人による革命であった。これは疑いの余地がない。いうまでもなく、革命を指導した者のほとんどがユダヤ人だからである。10月革命の前に、トロツキーをリーダーとする70人のユダヤ人グループが、ニューヨークからやって来ていた。アメリカのユダヤ人資本家ヤコブ・シフは、このトロツキーのグループを支援していた。ユダヤ人金融業者ヤコブ・シフは、アメリカ・ユダヤ人の中心的存在だった。ロシアのユダヤ人革命家たちに多額の援助を与えた。

そのときロシアは、ドイツとの戦争の真っ最中であった。第一次世界大戦である。ドイツの方面からも、レーニンのグループがロシアに入った。このグループもまた、ほとんどがユダヤ人だった。10月革命は、アメリカとドイツの金によってユダヤ人が実行した革命であった。

 それにしても、ロシア革命はなにゆえにひと握りのユダヤ人指導者の下に、容易に推し進めることができたのだろうか。ロシア人は黙って見ていただけなのだろうか。当時の革命政府には、ロシア人はほとんど参加していなかったのである。レーニン自身がその事実を述べている。

10月革命が起きてのち、ロシア人は新政権の成立にはほとんど関わることをしなかった。ロシア人としては、このような反民族的なシステムには入りたくなかったのである。

 レーニンは、政府の官僚として誰を起用するかをじっくりと考える必要はなかった。当時は戦争中だったので、西側からユダヤ人が続々とロシアの中央に移って来た。ソ連の新政権にユダヤ人は約150人参加した。そして、政府のトップ・クラスの人々はすべてユダヤ人であった。政権内部のロシア人は2〜5%ときわめて少なかったのである。

レーニンの祖母はユダヤ人だった。レーニン自身がユダヤ人とのハーフだったのである。ロシア10月革命後の新政権では、そのメンバーのうち99%をユダヤ人が占めていた。しかし、アメリカとドイツからロシアにやって来たユダヤ人たちは、革命家、あるいは共産主義者であり、ほとんどがユダヤ教を信仰していたわけではなかった。◆

その頃のユダヤ運動には2つの流れがあった。1つは共産主義である。共産主義者、革命家たちはユダヤ教を信奉しない。もう1つはシオニズムである。シオニズムとは、ユダヤ教徒が自分たちの宗教本部であるエルサレム(シオン)を中心として、自分たちこそ世界を支配しなければならないとする思想である。そのような人々をシオニストという。

 10月革命後、ユダヤ人たちはこの2つの流れでともにロシアを支配していたのである。やがてそうしたユダヤ人の中に摩擦が生じるようになった。

1920〜1930年代、アメリカやドイツからやって来た共産主義者のユダヤ人たちと、ロシアにいた150万人のユダヤ教徒との間に、激烈な闘争が巻き起こったのである。革命家たちはユダヤ教を信仰していないため、ユダヤ教徒たちは共産主義者を批判し共産主義者と闘うようになった。

レーニンやトロツキーたちとともに来た人々は、この戦いでほとんど消えてしまった。革命政府の中心にあった者たちは、ほとんど殺されてしまったのである。こうして第二次世界大戦勃発以前に、このユダヤ人の間の闘いには決着がついたのであった。 
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 第3章:ハザール王室直系の子孫、カガノビッチの暗躍

スターリンを操ったモンスター、カガノビッチの正体

10月革命以降、特に1920〜1930年代に、ユダヤ人はロシアで「国家内国家」をつくっていった。それはまさしく、8世紀〜10世紀ごろに栄えたハザール王国の再現であった。

ロシアにはハザール王国の皇帝の子孫がいたのである。スターリンは傀儡であり、ユダヤ人たちのロボットであった。スターリンは表向きの指導者であって、ユダヤ国家には陰の指導者がいたのである。その陰の指導者がすべての実権を握るほんとうの支配者であった。

それは誰か。 世上、スターリンの片腕といわれたユダヤ人、ラーザリ・カガノビッチである(カガノビッチはいかにもロシア的な姓のように「ビッチ」を付しているが、祖父の時代にはカガンと名乗っていた)。カガン(可汗)とはハザール人たちの言葉で、ユダヤ教の宗教の指導者、皇帝などを意味している。ハザール王国もハザール・カガン国と名乗っていた。カガノビッチの元の姓がカガンであるということは、彼がかつてのハザール王国皇帝の直系の子孫であることを示している。

ハザール王国は数世紀前に消滅したが、その皇帝の直系の子孫が生きていたのである。

 スターリンは共産党書記長というポストについていたが、カガノビッチはただの書記にすぎなかった。しかし、実際にはカガノビッチやカガノビッチの補佐官が、すべての政策を取り仕切っていた。スターリンはこのカガノビッチの政策の執行者にすぎなかった。

ハザール王国では宗教的権威をもつカガン(皇帝)のほかに、実際の政務を行なうビャク(執行者)があった。その意味でも、当時のソ連政府はまさしくハザール王国の再現であった。

一般に「スターリンの独裁」とよくいわれるが、事実はハザール人のハザール王国の指導者による独裁だったのである。この事実は決して触れられることがない。 

ハザールの王・カガノビッチがロシアを支配した

カガノビッチはどのようにしてロシアの国家内国家、すなわちユダヤ国家を指導していったのだろうか。共産党によったのではない。共産党も表向きの形式にすぎなかった。実際には裏の組織があった。それが国家保安省(後の国家保安委員会=KGB)である。国家保安省の幹部のすべてがユダヤ人だった。トップだけではなく、中間層も下層も、ほとんどがユダヤ人で占められていた。

国家保安省にはベリヤというきわめて危険な人物がいた。彼はユダヤ人とのハーフで、グルジアの北コーカサス出身のユダヤ人であった。ベリヤはカガノビッチの従兄弟にあたる。カガノビッチはベリヤ、すなわち国家保安省を通して、ロシア=ハザール国家を支配していったのであった。 

またその頃、ユダヤ人は国家保安省の中に収容所という新しいシステムをつくった。ソルジェニーツィンの著書『収容所群島』には、このシステムについて詳しく述べられている。各収容所の所長は9割がユダヤ人だった。収容所システムを初めに導入した人物は、フレンケルというユダヤ人の革命家である。収容所はロシア人の奴隷を収容するためにつくられた施設だった。

革命が成功すると、ユダヤ人たちはロシア人を完全に支配下におこうとした。そのためにはロシアの「頭」を切り落とさなければならない。「頭」というのは日本でいえば天皇であるように、ロシアでいえばツアー、すなわち皇帝であった。

 ユダヤ人はまず当時のツアー、ニコライ2世を家族もろとも全員暗殺した。革命の翌1918年7月、ユダヤ人はウラル山脈のエカテリンブルグ(現在のスベルドロフスク)のある家の地下室で、ツアーとその家族をすべて銃殺に処した。

そして、その家の壁にサインを書き残したのである。それはヘブライ語で「皇帝は暗殺された、国家は破壊された」と書かれていた。私(イワノフ)はそのサインを自分の目ではっきりと見ている。

エリツィン大統領は当時、その町の第一書記だったが、このエリツィンの命令によって、ツアーが殺害された家は完全に破壊されてしまった。今はもう誰もこのサインを見ることはできない。家も壁も残されていないからである。
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ミアシャイマーとウォルトのイスラエルロビー批判論文の日本語訳part5
イスラエル・ユダヤ / 2006-04-01 23:00:36

 5.主客転倒

     @)悪霊として描かれるパレスチナ人

2001年秋、そして特に2002年の春にブッシュ政権は、イスラエルの占領地域での拡張主義者政策を停止させパレスチナ国家の創設を提唱することにより、アラブ世界の反米感情を減少させてアル・カイーダの様なテロリスト集団への支援を弱体化させようと試みた。ブッシュは反対する者に対する非常に有効な説得の手段を持っていた。彼はイスラエルに対する経済的・外交的な支援を減少させると脅すこともできたし、米国民は恐らく大部分が彼を支持しただろう。2003年5月の世論調査によれば、米国人の60%以上は紛争を和解せよという米国の圧力にイスラエルが抵抗する場合は援助を保留する事に同意した。その比率は「政治的に活発」である人々の間では70%に上昇した。実際、73%の米国人はどちらの側も好きでないと述べた。

しかし、米国政府はイスラエルの政策を変更させる事に失敗し、結局イスラエルを支援することになった。やがて、米国政府はイスラエル自身の自己正当化論を受け入れ、その結果米国の説明はイスラエルの説明を模倣したものになり始めた。2003年2月には、あるワシントンポスト紙の見出しが状況を要約したものになっていた。「ブッシュとシャロンは中東政策でほとんど一致している」この方向転換の主な理由は、イスラエル系圧力団体だ。

この話は2001年9月の末から始まる。その時、ブッシュはシャロンに占領地域で自制を示す様に説得しはじめていた。ブッシュはアラファトの指導性に非常に批判的であったにも関わらず、シャロンに対してイスラエルの外務大臣であったシモン=ペレスがヤセル=アラファトと会うのを認めるよう圧力をかけた。ブッシュはパレスチナ国家の創設に賛成すると公式の場で発言しさえした。警戒したシャロンはブッシュを「我々の負担でアラブに譲歩すること」を試みていると非難し、イスラエルは「チェコスロバキアにしてはならない」と警告した。

ブッシュはチェンバレン英首相と比較されたことに激怒したと伝えられる。ホワイトハウスの報道担当官はシャロンの発言を「受け入れられない」と言った。シャロンは形だけの謝罪を申し出たが、即座に米国政府と米国民を「米国とイスラエルはテロリズムからの共通の脅威に直面している」と説得しようとするイスラエル系圧力団体に加勢した。イスラエルの担当者とイスラエル系圧力団体の代表は、アラファトとオサマ=ビンラディンの間には実際には差はない、米国とイスラエルはパレスチナ人の選出した指導者を孤立させるべき、アラファトとは無関係であるべきと主張した。

イスラエル系圧力団体は議会にも働きかけた。11月16日、89名の上院議員がブッシュにアラファトと会っていないことを賞賛しイスラエルがパレスチナ人に報復することを制止しない様要望する手紙を送った。米国政府はイスラエルを後援すると公式に述べるべきだと彼らは書いた。ニューヨークタイムズ紙によれば、その手紙は「米国のユダヤ人共同体の指導者達と重要な上院議員たちの間で2週間前に行われた会合から由来」しており、アメリカ・イスラエル公共問題委員会は「その手紙について助言することに特に熱心」であったと付け加えていた。

11月末には、イスラエル政府と米国政府の関係は見違えるほど改善した。これは部分的にはイスラエル系圧力団体の努力のおかげであるが、米国のアフガニスタンに於ける緒戦での勝利がアル・カイーダに対処する際に必要であると認識されていたアラブの支持の必要性を減少させたことも原因である。シャロンはホワイトハウスを12月初旬に訪問し、ブッシュと友好的な会合を持った。

2002年の4月に再度問題が発生した。イスラエル軍が防衛障壁作戦に着手し、ヨルダン川西岸の主要なパレスチナ人地区のほとんど全てを再び支配し始めたのだ。ブッシュはイスラエルの行動がイスラム世界での米国の評判を損ない、テロに対する戦争を弱体化させる事を理解していた。それ故、ブッシュはシャロンに「侵略を停止して撤退を始める」ことを要求した。ブッシュは2日後にこのメッセージを強調し、イスラエルが「遅れなしに撤退する」ことを望むと発言した。4月7日には当時は国家安全保障担当大統領補佐官であったコンドリーザ=ライスが、報道陣にこう語った。『「遅れなしに」というのは遅れなしと言う意味だ。今、と言うことだ。』 同じ日に、コリン=パウエルは全ての関係者を説得して戦闘を停止させ交渉を開始させるために出発した。

イスラエルとイスラエル系圧力団体は直ちに行動を開始した。ロバート=ケーガンやウィリアム=クリストルの様な新保守主義の専門家とともに副大統領の事務所や国防省に在籍する親イスラエルの職員はパウエルに激怒した。彼らはパウエルを「テロリストとテロリストと戦う者の区別をほとんどなくしてしまった」とまで非難した。ブッシュ自身もユダヤ系の指導者とキリスト教福音主義者たちに圧力をかけられた。トム=ディレイとディック=アーメイは特にイスラエルを支援する必要について歯に衣を着せず主張し、ディレイと上院の少数派の指導者であるトレント=ロットはホワイトハウスを訪問してブッシュに退却するよう警告した。

ブッシュの降伏の最初の兆候は4月11日-ブッシュがシャロンに撤兵するよう命令した一週間後-に表れた。大統領官邸の報道官は、大統領はシャロンを「平和の人物」であると信じていると言った。ブッシュはこの声明を、パウエルの失敗に終わった派遣任務からの帰国の時に公式に繰り返した。そして、自分が直ちに全員を撤退させる様に電話した時、シャロンは満足げに返事したと記者に話したのだ。シャロンはそんなことは決してしなかったが、ブッシュはもはやそれを問題視する意志はなかった。

その一方で、議会もまたシャロンを支援するため動いていた。5月2日には大統領の反対を押し切ってイスラエルへの支援を再確認する決議を通過させた(上院の投票は94対2、下院の決議は352対21であった)。この二つの決議は共に米国に「イスラエルと連帯」し、下院決議の文章を引用すると「テロリズムに対する共通の戦いに現在関わっている」と考えるものであった。下院の決議案は更に「ヤセル=アラファトによる、現在進行中のテロに対する支援と連携」を非難していた。そこではアラファトはテロ問題の中心部分として描かれていた。二つの決議は共にイスラエル系圧力団体の支援によって起草された。数日後には、イスラエルでの事実調査の任務に関する超党派的な議会の代議員団が、シャロンはアラファトと交渉すべきと言う米国の圧力に抵抗すべきだと述べた。5月9日には、下院の政府予算小委員会が、テロリズムと戦うためのイスラエルへの2億ドルの追加援助を考慮するために開かれた。パウエルはその政策に反対したが、イスラエル系圧力団体はそれを支持しパウエルは敗北した。

一言で言えば、シャロンとイスラエル系圧力団体は米国大統領と対決して勝利したのだ。イスラエルのマアリヴ紙の記者であるヘミ=シャレフは「パウエルの失敗もあり、シャロンの救援は彼らの満足を隠すことは出来なかった」と報道した。「シャロンはブッシュ大統領が白目を出すのを見た。そして大統領が最初に瞬きした」と彼らは自慢した。しかし、ブッシュを打ち負かすのに重要な役割を果たしたのはシャロンでもイスラエルでもなく、米国内のイスラエルの擁護者であった。

それ以後、状況はほとんど変化していない。ブッシュ政権はそれ以後、アラファトとの取引を行うことを決して二度としなかった。アラファトの死後に米国政府は新たなパレスチナ人の指導者であるマーモウド=アッバスを承認したが、彼を助けることはほとんど行わなかった。シャロンはガザからの「解放」と一体となったヨルダン川西岸での拡張政策の継続に基づき、パレスチナ人に対して一方的な入植地を押しつけるという計画を推進し続けた。アッバスとのの交渉を拒否し、彼がパレスチナの人々に目に見える利益をもたらすことを不可能にすることによって、シャロンの戦略は直接、選挙でのハマスの勝利を導いた。しかしながら、ハマスが権力の座に就くことで、イスラエルは交渉しないためのもう一つの言い訳ができた。米国政府はシャロン(及びその後継者であるエフード=オルマート)の行動を支持してきた。ブッシュは占領地域での一方的なイスラエルの併合すら承認し、リンドン=ジョンソン以来の全ての大統領の国策を反転させた。

米国政府関係者はイスラエルの行動の幾つかに対して穏やかな批判を行ったが、生存可能なパレスチナ国家の建設を援助することはほとんど行っていない。元国家安全保障担当大統領補佐官であるブレント=スコウクロフト氏は2004年の10月に、シャロンはブッシュを「自分の小さな手のひらで包み込んだ」と語った。もしブッシュが米国とイスラエルの距離をおこうとしたならば、あるいは占領地区でのイスラエルの行為を批判しようとするだけでも、イスラエル系圧力団体と議会にいるその支持者たちを激怒させることは覚悟せねばならない。民主党の大統領候補はこのことを人生の現実であると理解している。ジョン=ケリーが2004年に純粋なイスラエルへの支援を誇示することを厭わなかったのも、ヒラリー=クリントンが現在同じ事をしているのも、それが理由である。

イスラエルのパレスチナ人に対する政策への米国の支持を維持することはイスラエル系圧力団体に関する限りは最も重要である。しかし、その野心はそこでは止まらず、イスラエルが支配的な地域大国であり続けることを支援することも米国に求めている。イスラエル政府と米国内の親イスラエル集団は共同で、米国政府の中東の並び替えという壮大な構想はもちろんのこと、イラク、シリア、イランに対する政策をも方向付けるために働いた。

      A)イスラエルとイラク戦争

イスラエルとイスラエル系圧力団体からの圧力は2003年3月のイラク攻撃を決定した唯一の要因ではないが、決定的に重要であった。この戦争は石油のための戦争と信じている米国人もいるが、その主張を支持する直接的な証拠はほとんどない。そうではなく、この戦争はおおかたのところ、イスラエルをより安全にしたいという欲望が動機であった。大統領の外交諜報審議会の元代表であり、911委員会の常任理事であり、今はコンドリーザ=ライスの相談役であるフィリップ=ゼリコフによれば、イラクからの「真の脅威」は米国にとっては脅威ではなかった。この「公表されない脅威」は「イスラエルに対する脅威」であったと、ゼリコフは2002年の9月にバージニア大学で聴衆に向かって述べた。そして、「米国政府は誇張してそれに頼りすぎる事を望んでいない。人気があることではないからだ」と付け加えた。

2002年の8月16日、ディック=チェイニーが対外戦争の退役軍人に強硬派の演説を行って戦争を求める運動を開始する11日前、ワシントンポスト紙は「イスラエルは米国の当局者に対し、イラクのサダム=フセインへの軍事攻撃を遅らせない様に要請している」と報道した。シャロンによれば、この点によってイスラエルと米国の間の戦略的連携は「前例のない次元」に至った。そして、イスラエルの情報機関の当局者は米国政府にイスラエルの大量破壊兵器計画に関する様々な警戒すべき報告を与えた。ある引退したイスラエルの将軍はこう表現した。「イスラエルの情報機関はイラクの非通常兵器能力に関しては、米英の情報機関が提示する実態について完全な仲間である。」

イスラエルの指導者達はブッシュは安保理に戦争の承認を求めると決めた時非常に心配した。サダムが国連の査察官を復活させたときは更に困惑した。「サダム=フセインに反対する運動は無くてはならないものだ。査察や査察官はまともな人にはよいものだが、不誠実な人は容易にそれを切り抜けてしまう。」とシモン=ペレスは2002年9月に記者に述べた。

同じ頃、エフード=バラクはニューヨークタイムズ紙の論説に寄稿して「現在の最大の危険は、行動に移さないことだ」と警告した。彼の前任の首相であるベンジャミン=ネタニヤフもウォールストリートジャーナル紙に「サダム打倒論」と題する同様の記事を書いた。「今サダムの体制を破壊することほど役に立つことはない。私は、イスラエル国民の圧倒的多数がサダムの体制に先制攻撃を加えることに賛成であると信じる。」と宣言した。ハアレツ紙も2003年2月に「イスラエルの軍隊や政治家の指導層はイラクでの戦争を渇望している」と報道した。

しかしながら、ネタニヤフが言ったとおり、戦争への欲求はイスラエルの指導者たちだけには限定されなかった。サダムが1990年に侵略したクウェートを別にすれば、イスラエルは政治家も一般国民もともに戦争を好む唯一の国だった。報道記者のギデオン=リビーは当時イスラエルを「イスラエルはその指導者が遠慮なく戦争を支持し、戦争以外の意見が発言されない西側で唯一の国」であると観察した。事実、イスラエル人は余りに熱狂的であり、米国の同盟軍はその誇張を鎮める様に要求した。さもなくば、この戦争はイスラエルの利益のために行われるかのように見えたことだろう。

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ミアシャイマーとウォルトのイスラエルロビー批判論文の日本語訳part4
イスラエル・ユダヤ / 2006-03-27 22:55:13

     E)マスメディアの操作

イスラエル系圧力団体の物の見方は主流派のマスメディアでも優勢である。「中東専門家の間の討論はイスラエル批判を想像することすら出来ない人々に占拠されている」とジャーナリストのエリック=オルターマンは記している。彼は反射的かつ無制限にイスラエルを支持すると期待できる61人の特別寄稿者(コラムニスト)と解説者を列挙する。逆に、彼はイスラエルを一貫して批判するかあるいはアラブの立場を承認する専門家をたったの5人しか見つけられなかった。新聞は時折イスラエルの政策に挑戦する特集記事を載せるが、意見の均衡は明らかに逆側にある。このような記事を米国国内で主流派のマスメディアが報道することは想像するのも難しい。

ロバート=バートレイはかつて「シャミル、シャロン、ビビ-彼らが求める物は何であれ、自分にとってはとても素晴らしいことだ」と言った。彼の新聞であるウォールストリートジャーナル紙がシカゴサンタイムズ紙やワシントンタイムズ紙などの他の有力紙と同様に定期的にイスラエルを強く支持する論説をのせることは驚きではない。コメンタリー誌、ニューリパブリック誌、ウィークリースタンダード誌のような雑誌もあらゆる機会にイスラエルを擁護する。

編集上の偏向はニューヨークタイムズの様な新聞でも見られる。そこでは時折イスラエルが批判され、パレスチナ人の不平は正当なものだと認めることもある。しかし、それは公平ではない。ニューヨークタイムズ紙の元編集責任者であったマックス=フランケルは回顧録で、自分自身のものの見方が編集上の決定に与える影響を告白している。「私は自分が大胆に主張したよりもずっと遙かにイスラエルに献身的だった。私のイスラエルに関する知識やイスラエルでの友人関係によって強化された状態で、私は中東に関する論説の大部分を書いた。ユダヤ系よりもアラブ系の読者がより理解している様に、私はそれらの論説を親イスラエルの視点から書いた。」

新聞記事はより公平である。それは部分的には、記者が客観的であろうと努力することによる。しかし、イスラエルの現地での行動を知らないと占領地区の事件を取材するのは困難であることも理由だ。好ましくない報道を阻止するために、イスラエル系圧力団体は反イスラエル的と見なすマスコミに対し投書運動や示威運動、不買運動などを組織的に行う。あるCNNの幹部は、自分は時々報道内容に批判的な6000通の電子メールを受け取ると語った。2003年5月には、親イスラエルの「米国での正しい中東報道のための委員会(CAMERA)」は33都市でナショナルパブリックラジオ局の周りで示威運動を組織的に行った。中東報道がよりイスラエルに同情的になるまでナショナルパブリックラジオ局への寄付を差し控えるよう資金寄付者を説得することも試みた。ボストンのナショナルパブリックラジオ局であるWBURはそのおかげで100万ドル以上の寄付金を失ったという。米国議会にいるイスラエルの友人からは、中東報道に関する監視に加えて内部監査を要求する更に深刻な圧力がナショナルパブリックラジオ局に加えられた。

     F)単一の方向にしか思考しないシンクタンク

イスラエル側は実際の政策だけでなく公開討論会を方向付けることに重要な役割を果たすシンクタンクも支配している。イスラエル系圧力団体は1985年に自分自身のシンクタンクを作った。マーチン=インディクはその時ワシントン近東研究所を創設した。ワシントン近東研究所はイスラエルとの繋がりをもみ消そうとするが、中東問題について「公平で現実的な」視点を提供すると主張するどころか、イスラエルの政策を推進することに深く関与した人々によって設立され運営されている。

しかしながら、イスラエル系圧力団体の影響力はワシントン近東研究所をはるかに上回る。過去25年間に親イスラエル勢力は国策研究会(AEI)、ブルッキングズ研究所、安全保障政策センター、外交政策研究所、ヘリテージ財団、ハドソン研究所、外交政策分析研究所、安全保障問題ユダヤ研究所(JINSA)で支配的な存在を確立した。これらのシンクタンクは米国のイスラエルへの支援を批判する者は仮に存在するとしてもほんの僅かしか雇用していない。

ブルッキングズ研究所を例に挙げよう。長年に渡ってそこでの中東政策の上級の専門家は、元NSC職員で当然ながら公平であるとの評判のウィリアム=クヴァントだった。現在、ブルッキングズ研究所の中東研究部門は、イスラエル系米国人実業家で熱烈なシオニストであるハイム=サーバンにより資金調達されているサーバンセンターを介して運営されている。このセンターの管理者は至る所に顔を出すマーチン=インディクだ。かつては無党派的な政策研究所であったものが、今や親イスラエルの合唱の一部となっている。

     G)学問の世界の取り締まり

イスラエル系圧力団体が最も困難を感じていたのは、大学校内での論争の息の根を止めることだ。1990年代にオスロ平和プロセスが進行中であった時、イスラエルに対する批判は穏やかなものだけであった。しかし、オスロの崩壊とシャロンの政権奪取とともにそれはより強いものになり、2002年の春にイスラエル軍がヨルダン川西岸を再占領し、大量の人員を動員して第二次インティファーダを鎮圧した時には非常に騒がしいものになった。

イスラエル系圧力団体は直ちに「大学の敷地を奪還する」ために動いた。イスラエル人の講師を米国の大学に派遣した民主主義の隊商の様な新たな集団が出現した。ユダヤ公共問題評議会やヒレル(訳者注:ユダヤ人の大学生活のための財団法人 http://www.hillel.org)の様な既設の集団が参加した。イスラエルの主張を提示する事を現在追求する多くの団体を調整するために「大学連合の上のイスラエル」という新たな集まりが作られた。最後に、アメリカ・イスラエル公共問題委員会大学の活動家を監視し若い擁護者を訓練するための計画の予算を三倍以上に増やした。それは、「全国的な親イスラエルの試みに大学内で関係する学生の数を莫大な数に増やす」ためだ。

イスラエル系圧力団体は教授が何を書き教えるかも監視している。2002年の9月、マーチン=クレーマーとダニエル=パイプスの二人の情熱的な親イスラエルの新保守主義者は大学観察と言うウェブサイトを立ち上げた。そこでは容疑者である研究者の人物調査書が投稿され、イスラエルに敵対的であると見なせる発言や行動を報告することが学生に推奨された。学者を要注意人物名簿に載せて恫喝するというこの明白な企ては厳しい反応を引き起こし、パイプスとクレーマーは後日その人物調査書を削除した。しかし、ウェブサイトは未だに学生に「反イスラエル」の行動を報告することを勧めている。

イスラエル系圧力団体は、特定の学者や大学にも圧力を加える。コロンビア大学が最も頻繁に標的とされたが、それは最近までエドワード=サイードが教授陣に在籍していたためであることは疑いがない。元学務担当副総長のジョナサン=コールは「傑出した文芸批評家であるエドワード=サイードがパレスチナの人々を支持するあらゆる公的声明が、我々にサイードを糾弾し、制裁又は解雇することを要求する何百もの電子メール、手紙、新聞や雑誌の記事を誘発していると我々は確信する。」と報告した。コロンビア大学が歴史家のラシッド=ハリディをシカゴ大学から招聘した時も同じ事が起きた。それは、数年後にコロンビア大学を辞任するハリディを口説くことをプリンストン大学が考慮した時にも起きた問題であった。

学問の世界を取り締まろうとする努力の古典的な実例が2004年の年末に起きた。デービッド=プロジェクトが、コロンビア大学の中東研究の教授陣は反セム的であり、イスラエルのために立ち上がったユダヤ系の学生を脅迫していると断言するフィルムを制作したのだ。コロンビア大学は叱りつけられたが、告発の調査を任命された教授会の委員は反セム主義の証拠はないことを見いだした。唯一記録に値するであろう事件は、ある教授がある学生の質問に「怒りを持って返答した」ことであった。その委員は、該当する学者達自身が明白な脅迫作戦運動の対象であったことも発見した。

これらの中で最も有害であった点は、おそらく、ユダヤ系の集団が米国議会に教授の発言を監視する機構を設立するよう圧力をかけたことであろう。もし彼らが何とかこの議案を可決させるならば、反イスラエル的な偏向があると判定された大学は連邦政府の資金援助を拒否されていただろう。彼らの努力は失敗に終わったが、討論を支配することの重要性を示す証拠となっている。

数人のユダヤ系慈善家は、大学にイスラエルに友好的な学者の数を増やすために、(およそ130ものユダヤ研究所が既に存在するのに付け加えて)最近イスラエル研究所を設立した。2003年5月、ニューヨーク大学はタウブイスラエル研究センターの設立を発表した。同様の計画はバークレーやブランダイス、エモリーでも設立された。これらの研究所の責任者はその教育的価値を強調するが、実際には大部分はイスラエルの評判をよくすることが狙いである。タウブ財団の代表であるフレッド=ラッファーは、ニューヨーク大学の中東研究で有力であるアラブ的な視点に対抗するのを助けるために財団を設立したことを明らかにしている。

     H)巨大な消音器

反セム主義であるという告発、という最も強力な武器についての説明を、イスラエル系圧力団体に関する議論から省くことはできない。イスラエルの行動を批判する者、親イスラエルの集団が米国の中東政策に重大な影響力を持っていること-アメリカ・イスラエル公共問題委員会が祝福する影響力である-を議論する者は誰でも、反セム的と名付けられる十分な機会を持つ。事実、イスラエルの報道機関が米国でのイスラエル系圧力団体の存在に言及しているにもかかわらず、イスラエル系圧力団体が存在するとしか主張しない人間も皆、反セム的であると告発される危険を負う。言い換えれば、イスラエル系圧力団体は最初はその影響力を豪語し、その後でそれに注意を促そうとする人は誰でも攻撃する。これは非常に有効な戦術だ。反セム主義は誰も批判されたくない事柄だ。

欧州人は米国人に比べてより自発的にイスラエルの政策を批判する。それを欧州での反セム主義の復活のせいにする人もいる。2004年の初めに米国の駐EU大使は「我々は1930年代と同じぐらい悪い状況に到達しつつある」と述べた。反セム主義を測定することは複雑な事柄であるが、重要な証拠はそれとは逆の方向を示している。欧州の反セム主義に対する非難が米国で溢れていた2004年の春、米国に基盤を持つ反名誉毀損同盟とピュー調査センターが別々に人々や報道機関に行った世論調査では実際に衰えていることが分かった。対照的に、1930年代には反セム主義は全階級の欧州人に広く広まっていただけでなく、非常に結構なことだと見なされていた。

イスラエル系圧力団体とその友人達はフランスを欧州で最も反セム的な国家として描くことが多い。しかし、2003年にフランスのユダヤ人共同体の代表は「フランスは米国よりも反セム的ではない」と語った。最近のハアレツ紙の記事によれば、フランスの警察は、2005年には反セム主義の事件はほぼ50%減少したと報告している。フランスが欧州の国々の中で最大のイスラム教人口を抱えるにも関わらず、だ。最後に、一人のユダヤ系フランス人がイスラム教の悪党に殺された時、数万人の示威運動者が通りに溢れて反セム主義を糾弾した。ジャック=シラクとドミニク=ドビルパンは共に犠牲者の追悼会に出席して結束を示した。

欧州のイスラム教徒の間に反セム主義が存在することは誰も否定できないし、その一部はイスラエルのパレスチナ人に対する振る舞いやに誘発されているし、一部は素直な人種差別主義者だ。しかし、これは現在の欧州が1930年代の欧州と同様であるかどうかということとは別の事柄であり、ほとんど関連はない。悪性の土着性の反セム主義が欧州に依然として少し存在する(米国でもそうであるように)ことも誰も否定できないが、その人数は少なく、それらの視点は欧州人の大多数から拒絶されている。

単なる断言を越えることを要求されたとき、イスラエルの擁護者は「新たな反セム主義」が存在すると主張する。彼らはそれをイスラエルに対する批判と同一視する。言い換えれば、イスラエルを批判すればあなたは定義上は反セム主義なのだ。英国国教会の宗教会議が最近、パレスチナ人の住宅を取り壊すためにイスラエル人に使われているという理由でキャタピラー社を追放するために投票を行った時、ユダヤ教指導者の代表は「これは英国でのユダヤ教徒とキリスト教徒の関係に最も不都合な反応をもたらすだろう」と苦情を述べた。一方、改革運動の代表であるユダヤ教指導者のトニー=ベイフィールドは「反シオニスト的-反セム主義にほとんど等しい-な態度が草の根に、そして教会の中級幹部にまで出現しているのは明白な問題だ。しかし、英国国教会は単にイスラエル政府の政策に講義しているから有罪なのだ。」と言った。

批判者はイスラエルに対し不公平な基準を持っているとか、イスラエルの生存権に異議を申し立てているという点でも非難される。しかし、それらも捏造された告発だ。西洋のイスラエル批判者がイスラエルの生存権に異議を申し立てる事は滅多にない。彼らはイスラエル人自身も行っているように、イスラエルのパレスチナ人に対する振る舞いに異議を申し立てているのだ。イスラエルが不公正に裁かれているのではない。イスラエルのパレスチナ人に対する取り扱いが非難を顕在化させているのは、それが広く受容された人権の概念や国際法、そして民族自決権の原則に反しているからだ。そして、イスラエルはそれらを根拠とする鋭い批判に直面する世界でほとんど唯一の国である。
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ミアシャイマーとウォルトのイスラエルロビー批判論文の日本語訳part3
イスラエル・ユダヤ / 2006-03-27 22:44:53

4.イスラエル系圧力団体

      @)イスラエル系圧力団体とは何か?

その説明は、イスラエル系圧力団体の並ぶもののない力にある。我々は「イスラエル系圧力団体」と言う言葉を、米国の対外政策を親イスラエルの方向に導くために活発に活動する個人や組織の緩やかな連合の意味で使う。これは、「イスラエル系圧力団体」が支配的な指導力を有する統一された運動であることを示すものではないし、組織内の個人がある事柄について異議を唱えないことを意味するものでもない。全てのユダヤ系米国人がイスラエル系圧力団体に参加している訳でもない。というのも、彼らの多くにとってイスラエルは大きな問題ではないからだ。例えば2004年の調査では、36%のユダヤ系アメリカ人は「全く」又は「ほとんど」イスラエルに心理的に帰属していないと答えている。

ユダヤ系米国人は個々のイスラエルの政策に関しても意見が異なる。例えばアメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)や主要なユダヤ人組織の議長の会議のようなイスラエル系圧力団体の中の重要な組織の多くは一般にリクード党の拡張政策(オスロ合意への敵意を含む)を支持する強硬論者に運営されている。一方で米国のユダヤ民族の大部分はパレスチナ人により譲歩する傾向がある。そして、ユダヤの平和の声の様な幾つかの集団はそのような処置を強く支持する。これらの相違点にも関わらず、穏健派と強硬派は共にイスラエルへの忠実な支持を与える。

意外なことではないが、ユダヤ系米国人の指導者は頻繁にイスラエルの担当者に相談して、彼らの行動がイスラエルの政策目的を前進させることを確認している。ある大規模なユダヤ系組織出身の活動家によれば、『「これはある問題に関する我々の政策だが、我々はイスラエルがどのように考えているか確認する必要がある」と話すのは日常的であった』という。イスラエルの政策を批判することには強い偏見が存在し、イスラエルに圧力を加えることは常軌を逸していると見なされた。世界ユダヤ人会議の議長であったエドガー=ブロンフマンは2003年半ばにブッシュ大統領に論議を呼ぶ防護フェンスの建設を制限するようにイスラエルを説得することを手紙で要請した時に「不誠実さ」を非難された。彼を批判する者はこう言った。「世界ユダヤ人会議の議長にとって、米国大統領に対してイスラエル政府が現在推進している政策を阻害するように働きかけるのはいかなる時であっても反道徳的である。」

同様に、イスラエル外交評議会の議長であるセイモア=ライシュが2005年にコンドリーザ=ライス国務長官に対して、ガザ地区を横断する重要な境界線を再開するように頼むことを助言した時、彼の行動は無責任であると糾弾された。彼の批判者は「ユダヤ人の主流派にとって、イスラエルの安全保障に関連する政策に批判的な議論を行う余地は絶対に存在しない」と述べた。

ユダヤ系米国人は米国の対外政策に影響力を行使するために多数の強力な組織を作り上げた。その中でもアメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)が最も強力で有名である。1997年にフォーチュン誌が米国の国会議員とそのスタッフにワシントンで最も強力な圧力団体を列挙するように依頼したところ、アメリカ・イスラエル公共問題委員会は米国退役軍人協会に次いで二番目に挙げられ、AFL-CIO(米国労働総同盟産業別組合会議)や米国ライフル協会より上位であった。ナショナルジャーナルが2005年3月に行った研究でも同様の結果となり、アメリカ・イスラエル公共問題委員会はワシントンでの「影響力番付」で全米退職者協会と同点の二位であった。

イスラエル系圧力団体にはゲーリー=バウアー、ジェリー=フォルウェル、ラルフ=リード、パット=ロバートソンなどの著明なキリスト教福音主義者に加えてディック=アーメイやトム=ディレイなどの米下院の多数派の指導者達が含まれる。彼らは全員、イスラエルの復活が聖書の預言の成就であると信じており、イスラエルの拡張主義政策を支持する。そうしないならば神の意志に背くことになると彼らは信じている。ウォールストリートジャーナル紙の元編集者であるジョン=ボルトンやロバート=バートレイ、元教育省長官であったウィリアム=ベネット、国際連合の外交官であったジーン=カークパトリク、影響力のあるコラムニストであるジョージ=ウィルなどの新保守主義の異邦人たちもまた忠実な支持者である。

      A)力の起源

米国政府の形態は活動家に対して、政策過程に影響力を及ぼす多くの方法を提供している。利益集団は選出された国会議員や行政機関の構成員に働きかけたり、選挙献金を行ったり、選挙で投票したり、世論を形成しようと試みたりすることができる。人々の大部分が無関心な問題に関与するときには、彼らは不釣り合いなまでに大きな影響力を持つことになる。政策立案者はその問題に関心のある人々を、たとえ人数が少ないとしても、他の人々がそれを行うことを罰しないという自信がある場合は受け入れようとする傾向がある。

基本的には、イスラエル系圧力団体の活動は農業系圧力団体や鉄鋼系圧力団体、織物業労働者組合系圧力団体、その他の民族系圧力団体と同様である。米国の政策に影響を与えようと試みるユダヤ系米国人や彼らのキリスト教徒の友人達には不適切な事は何もない。イスラエル系圧力団体の活動はシオン長老の議定書(訳者注:19世紀にロシア秘密警察によって作られた反ユダヤ文書)の様な小冊子に描かれた類の陰謀とは異なる。その構成員である個人や団体はおおかたのところ、単に他の特殊利益集団が行っていることを実行しているだけだが、しかしながらそれは他よりもずっとよく実行されているのだ。対照的に、親アラブの利益集団は多少なりとも存在するが、弱体であり、その為にイスラエル系圧力団体の任務は更に容易になっている。

     B)成功への戦略

イスラエル系圧力団体は大まかに二つの戦略方針を追求している。一つ目は、その著しい影響力をワシントンで行使し、議会と行政機関の両方に圧力をかけることだ。個々の立法者や政策立案者の視点がどのようなものであっても、イスラエル系圧力団体はイスラエルを支持することを「利口な」選択枝にしようと試みる。二つ目は、その建国の神話を繰り返すことや、政策を巡る討論でイスラエルの主張を宣伝することによって、公開の講話でイスラエルが肯定的な視点から描かれることを確実にしようと奮闘することだ。その目標は、政治の領域で公平な公聴会からイスラエルに批判的な意見を抑制することにある。討論を統制することは米国の支援を保証するために最も重要である。それは、米国とイスラエルの関係に関する率直な討論は米国人に別の政策を支持させる可能性があるからだ。

     C)議会への影響力行使

イスラエル系圧力団体の実効性の大黒柱は、その米国議会での影響力にある。そこではイスラエルは事実上批判を免除されている。議会が異論の多い問題を嫌がって触れないことは稀であるから、それ自体が注目すべき事である。しかしながら、イスラエルが関与する場所では、批判者になる可能性のある人間は沈黙する。その主要な構成員に、2002年の9月に「自分の外交政策の最優先課題はイスラエルの防衛だ」と発言したディック=アーメイの様なキリスト教徒のシオニストが含まれることも一つの理由だ。あらゆる下院議員にとって、最優先課題は米国の防衛であると考える人もいるだろう。ユダヤ系の上院議員や下院議員には、米国の対外政策がイスラエルの利益を後押しすることを確実にするために働いているものもいる。

もう一つのイスラエル系圧力団体の力の起源は、親イスラエルの議会職員を利用することにある。元アメリカ・イスラエル公共問題委員会の委員長であったモリス=アミタイがかつて認めたように、「ここ、国会議事堂には、たまたまユダヤ人に生まれ、ある問題を自発的に自分がユダヤ人であるという観点から見ようとする大勢の人間が実務レベルで存在する。彼らは彼らの上院議員のためにそれらの分野で意志決定を行う立場にあるものばかりだ。あなたは職員の段階だけでも非常に多くのことを成し遂げることができる。」

しかしながら、アメリカ・イスラエル公共問題委員会自身が米国議会でのイスラエル系圧力団体の影響力の核心を形成している。その成功は、国会議員と国会議員選挙立候補者のうちでアメリカ・イスラエル公共問題委員会の政策を支持する者に報酬を与え、反対する者には罰を与えるという能力に由来する。米国の選挙では資金は必要不可欠(ロビイストのジャック=アブラモフのいかがわしい行動が思い出される)であり、アメリカ・イスラエル公共問題委員会は友好的な者には多くの親イスラエルの政治活動委員からの強力な資金援助を確証する。イスラエルに敵対的であると見なされる者は全員、アメリカ・イスラエル公共問題委員会がその政敵に対する選挙献金の命令を確実に行うことになる。アメリカ・イスラエル公共問題委員会は投書運動も行い、新聞の編集者が親イスラエルの候補者を支持するように働きかける。

これらの戦術の有効性には疑いの余地はない。ここに一つの例がある。1984年の選挙で、アメリカ・イスラエル公共問題委員会はイリノイ州から、ある有名な圧力団体の人物によると、「我々の関心事について無神経さと、更には敵意まで示した」チャールズ=パーシー上院議員を打ち負かすのに一役買った。当時アメリカ・イスラエル公共問題委員会の代表であったトーマス=ダインは何が起きたかを説明した。「米国にいるユダヤ人は、東海岸から西海岸まで全員が、パーシーを追放するために集まった。そして、米国の政治家-現在公的地位に就いている者と、それを熱望する者-はそのメッセージを受け取ったのだ。」

アメリカ・イスラエル公共問題委員会の国会議事堂での影響力は更にずっと深刻なものだ。元アメリカ・イスラエル公共問題委員会の職員であったダグラス=ブルームフィールドによると、「米国下院議員とその職員が情報を求めている時、議会の図書館や議会の調査部門の委員や政府の専門家に電話をかける前に最初にアメリカ・イスラエル公共問題委員会に頼ってくるのはごく普通のこと」であり、更に重要なことには、「アメリカ・イスラエル公共問題委員会はたびたび、演説の草稿を書いたり、法律制定に取り組んだり、策略について助言したり、調査を行ったり、共同の資金援助者から集金したり、票を集めたり」している。

重要なことは、事実上外国政府の代理人であるアメリカ・イスラエル公共問題委員会が米国議会を締め付けており、その結果議会では米国の対イスラエル政策が、例え全世界に重大な影響を及ぼす場合ですら、議論されないことだ。言い換えれば、政府の三部門の一つはイスラエル支持を断固として表明している。元上院議員であったアーネスト=ホーリングズが引退時に「あなた達はアメリカ・イスラエル公共問題委員会から与えられるもの以外の対イスラエル政策を持つことはできない」と語った様に。または、アリエル=シャロンが米国人の聴衆にかつて「『どうすればイスラエルを支援できるのか」と質問された時、自分は『アメリカ・イスラエル公共問題委員会を支援しろ』と答えている」と話したように。

     D)行政機関への影響力行使

部分的にはユダヤ系の有権者の大統領選での影響力のおかげなのだが、イスラエル系圧力団体は行政機関にも重大な勢力を持っている。ユダヤ系住民は全体の3%未満の人口しかいないのだが、彼らは民主党と共和党の両方の候補者に多額の選挙献金を行う。ワシントンポスト紙は、民主党の大統領候補は選挙資金の60%をユダヤ系の支援者から得ているとかつて推計した。そして、ユダヤ系の有権者は投票率が高く、カリフォルニア・フロリダ・イリノイ・ニューヨーク・ペンシルバニア等の重要な州に集中しているために、大統領候補者は彼らの反感を買わないための努力を厭わない。

イスラエル系圧力団体の中でも重要な組織は、イスラエルへの批判者が対外政策に関連する重要な職に確実に就かないようにすることを実行している。ジミー=カーター元大統領はかつてジョージ=ボールを国務長官に任命することを望んでいたが、彼がイスラエルに批判的と見なされておりそれ故にイスラエル系圧力団体がその任命に反対するであろう事を理解していた。この様に、政策立案者への野心を持つ者は皆、公然とイスラエルを支持することを奨励される。これが、イスラエルの政策に対する公式の批判者が対外政策に関する組織で絶滅危惧種になる理由である。

ハワード=ディーンがアラブとイスラエルの対立においてより公平な立場に立つことを米国に求めた時、ジョセフ=リーバーマン上院議員は彼をイスラエルに対する裏切り者として非難し、彼の発言は無責任であると言った。米国下院民主党の最上層の者はほぼ全員がディーンを批判する文書に署名した。そして、シカゴユダヤスター紙によれば、イスラエルにとってディーンはともかく有害であると十分な証拠もなく警告する電子メールを匿名の攻撃者達が全米のユダヤ系の指導者に送りつけて彼らの受信箱を溢れさせた。

この憂慮は馬鹿げていた。ディーンはイスラエルの問題については実際に強硬派であった。彼の選挙運動の共同議長はアメリカ・イスラエル公共問題委員会の議長であり、ディーンも自分の中東政策は平和を求める穏健な米国人たちのそれよりも、アメリカ・イスラエル公共問題委員会のそれをより反映していると発言していた。彼は単に「面と面を合わせるため」には米国政府は仲介役になるべきと提案したにすぎない。これは決して過激な考えではないが、イスラエル系圧力団体は公平であることを許容しないのだ。

クリントン政権時代、米国の中東政策は主にイスラエルと緊密な関係を持つ担当者や有力な親イスラエル組織によって形成された。その中には、アメリカ・イスラエル公共問題委員会の研究所の元副所長であり、親イスラエルのワシントン近東政策研究所(WINEP)の共同創設者であったマーチン=インディク、2001年に政府を退職した後にワシントン近東研究所に加わったデニス=ロス、イスラエルに住んでおり頻繁にイスラエルを訪れるアーロン=ミラーが含まれる。この3人はいずれもオスロ和平プロセスを支持し、パレスチナ国家の設立に賛成していたが、彼らの行動はイスラエルが許容する範囲内に限られていた。米国の代表団はエフード=バラクから手がかりを得て、事前にイスラエルとの間で交渉の立場について調整を行い、独自案を提案することはしなかった。パレスチナの交渉者が「二つのイスラエル人集団-一方はイスラエル国旗を掲げ、もう一方は米国国旗を掲げる-と自分達は交渉している」と不満を述べたのは驚きではない。

この状況はブッシュ政権では更に目立つ。ブッシュ政権の上層部にはイスラエルの運動の熱烈な擁護者であるエリオット=アブラムス、ジョン=ボルトン、ダグラス=ファイス、I・ルイス・スクーター(訳者注:リビー氏の愛称)=リビー、リチャード=パール、ポール=ウォルフウィッツ、デービッド=ワームサーが含まれる。周知のことだが、これらの担当者は一貫してイスラエルに支持される政策を強く要求し、イスラエル系圧力団体に支援されてきた。

もちろん、イスラエルに対して供与している援助の水準について米国民に疑問を抱かせる可能性があるため、イスラエル系圧力団体は公開討論会を好まない。結果的に親イスラエル組織は国民世論の形成を主に行う公共機関に影響力を行使するために精を出している。

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ミアシャイマーとウォルトのイスラエルロビー批判論文の日本語訳part2
イスラエル・ユダヤ / 2006-03-26 22:34:48

 3.縮小する倫理的な主張

問題はイスラエルの戦略的価値だけではない。イスラエルの支援者は、イスラエルは弱体で敵に囲まれているために無条件の保護に値すると主張する。これは民主主義だ。ユダヤ人は過去の犯罪行為により苦しんだ、それ故、特別な取り扱いを受けるに値する。そして、イスラエルの振る舞いはその敵対者の振る舞いに比べて倫理的に優位にある。周到に観察すれば、これらの主張はどれ一つとして説得力がない。イスラエルの存在を支持する強い倫理的主張は存在するが、それは危機的状態にあるわけではない。客観的に見て、イスラエルの過去及び現在の行動からはパレスチナ人よりも優遇されるべき道徳的根拠は何ら認められない。

      @)負け犬への支援?

イスラエルはゴリアテに直面したダビデとして描かれることが多い。しかし、その逆がより真相に近い。一般に信じられているのとは逆に、シオニストは1947-1949の独立戦争でも規模・装備・指揮の点でより優れた軍隊を保有していた。そして、イスラエル防衛軍が1956年にはエジプトに対し、1967年にはヨルダンとシリアに対し素早く容易に勝利した。これらは全て米国の大規模な援助が始まる前のことだ。現在、イスラエルは中東で最強の軍事力をもつ。その常備軍は近隣国のそれを遙かに上回り、この地域で唯一の核兵器保有国でもある。エジプトとヨルダンはイスラエルとの平和条約に調印し、サウジアラビアも平和条約調印を申し出た。シリアはソ連という後援者を失い、イラクは三回の悲惨な戦争によって荒廃し、イランは数百マイル遠くにある。パレスチナ人はイスラエルに脅威を与える軍事力はおろか、有効な警察力をかろうじて保有するのみである。テルアビブ大学のジャッフェ戦略研究センターの2005年の調査によれば、戦略的な均衡は決定的にイスラエルに有利であり、その軍事能力と抑止力における近隣諸国との量的格差は拡大し続けている。負け犬を支援することが已むを得ない動機であるのなら、米国はイスラエルの敵を支援しているだろう。

      A)民主主義の仲間への支援?

イスラエルが民主主義国の仲間であり敵対的な独裁国家に囲まれていることも現在の援助水準を説明できない。世界には多数の民主主義国家があるが、イスラエルと同等の惜しみない援助を受ける国は存在しない。米国は自国の国益を向上させると考えたときは過去にあった民主的政府を転覆させて独裁者を支持してきた。それは現在存在する専制国家の数とよく相関する。

イスラエルの民主主義は幾つかの点で米国の中核的な価値観に対立する。人種・民族・宗教に関わらず人々が平等の権利を教授するとされる米国とは異なり、イスラエルは明らかにユダヤ人の国家として設立され、その市民権は血統的親族関係の原則に基づいている。このことを考えれば、130万人のアラブ人が二流市民と扱われていることや、最近のイスラエルの委員会が「彼らに対しイスラエルが無視と差別をもって取り扱っている」ことを発見したのは驚きではない。イスラエルの民主主義的な地位はパレスチナ人に生存可能な彼ら自身の国家又は完全な政治的権利を与えることを拒否していることによっても弱体化させられている。

      B)過去の犯罪行為への償い

三つ目の正当化は、キリスト教を信仰する西洋におけるユダヤ人の苦難の歴史、特にホロコーストの期間のそれである。ユダヤ人は何世紀にも渡って迫害され、ユダヤ人の祖国でしか安心することができないために、イスラエルは米国から特別な扱いを受けるのが相応しいと多くの人々は今信じている。イスラエルの建国がユダヤ人に対する長期間に渡る犯罪行為に対する妥当な反応であったことは疑いの余地はない。しかし、それはおおむね罪のない第三者であるパレスチナ人に対する生々しい犯罪行為もまたもたらした。

このことはイスラエルの初期の指導者にはよく理解されていた。デービッド=ベングリオンは世界ユダヤ会議の議長であったナハム=ゴールドマンにこう語った。

「もし自分がアラブ人の指導者ならば、自分は決してイスラエルと仲直りしないだろう。それは自然なことだ。我々は彼らの国を奪った・・・我々はイスラエル出身だが、それは2000年前のことだ。そして、それは彼らにとって何か意味があるのだろうか? 反セム主義、ナチス、ヒトラー、アウシュビッツもあった。しかし、それは彼らの誤りなのか? 彼らはただ一つのことだけを見ている。我々がここにやってきて彼らの国を盗んだ。何故彼らがそれを受け入れねばならないのか?」

それ以後、イスラエルの指導者達は繰り返し、パレスチナ人の国家という野心を拒否する事を追求してきた。ゴルダ=メイアが、彼女が首相であった時に「パレスチナ人などと言うものは存在しない」と語ったのは有名である。過激派の暴力行為とパレスチナ人の人口増加からの圧力により、その後のイスラエルの指導者達はガザ地区を解放しその他の領土的譲歩を考慮することを強いられた。しかし、イツハク=ラビンですら、パレスチナ人に自立可能な国家を与えることには乗り気ではなかった。エフード=バラクがキャンプ=デービッドで行ったと噂される寛大な申し出は彼らに事実上イスラエルに支配された非武装の「バンツースタン(かつての南アフリカ内の黒人国家)」の集まりを与えただけであった。ユダヤ人の悲劇的な歴史があるからといってイスラエルを無条件に支援することを米国が強制されることはないのだ。

      C)高潔なイスラエルと邪悪なアラブ

イスラエルの支持者はイスラエルをあらゆる機会に平和を追求する、たとえ挑発されても偉大な自制心を示す国としても描く。対照的にアラブ諸国は大いなる悪意を持って行動してきたと言われる。しかし、地上においてイスラエルの足取りは敵対者のそれと区別できない。ベングリオンは、初期のシオニストは彼らの侵略に抵抗したパレスチナのアラブ人に対して慈悲深さからはかけ離れた態度であったことを知っていた-それは、シオニストがアラブの土地に彼ら自身の国を建設しようと試みていた事を考えれば全く驚くべき事ではない。同様にして、1947-48年のイスラエル建国はユダヤ人による死刑執行・虐殺・強姦を含む民族浄化活動を伴っていた。それに引き続くイスラエルの行動は残忍であることが多く、高い道徳性へのあらゆる要求を裏切るものであった。例えば1949年と1956年の間、イスラエル軍は2700人から5000人の間の人数のアラブ人の侵入者を殺した。イスラエルは10万人と26万人の間の数のパレスチナ人を新たに勝ち取ったヨルダン川西岸から追放した。そして、ゴラン高原から8万人のシリア人を追いやった。

初回のインティファーダの間、イスラエル軍部隊に杖を支給し、パレスチナ人の抵抗者の骨を砕くことを奨励した。「セーブ・ザ・チルドレン」の組織のスウェーデン支部の推計によれば、23600人から29900人の子供がインティファーダの最初の2年間に打撲傷に対する医療を必要とした。彼らの三分の一近くは10歳以下であった。二回目のインティファーダへの反応はもっと暴力的であり、主要紙であるハアレツが「イスラエル軍は殺人を行う機械に変身しつつあり、その効率性は畏怖を抱かせ、衝撃的である」と宣言したほどである。イスラエル軍は蜂起の最初の日に百万発の銃弾を発射した。それ以後、一人の殺されたイスラエル人のために、イスラエルは3.4人のパレスチナ人を殺した。死者の多くは罪のない傍観者であった。パレスチナ人の子供の死者のイスラエル人のそれに対する比率は更に高いもの(5.7対1)であった。シオニストが英国人をパレスチナから追い出すためにテロリストの爆弾に頼ったこともまた記憶に留めておく価値がある。そしてかつてはテロリストであり後日首相となったイツハク=シャミルは「ユダヤ人の倫理もユダヤ人の伝統も戦闘の手段としてのテロリズムを不適当と見なすものではない」と宣言した。

パレスチナ人がテロリズムの手段を執ったことは誤りであるが驚くべき事ではない。パレスチナ人は、自分達はイスラエルに譲歩させるテロリズム以外の方法はないと信じているからだ。エフード=バラクが「もし自分がパレスチナ人に生まれていたならば、テロリスト組織に参加していただろう」とかつて認めた様に。

そして、もし戦略論も道徳論も米国のイスラエルに対する支援を説明できないとすれば、我々はどうやってそれを説明するのか?

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ミアシャイマーとウォルトのイスラエルロビー批判論文の日本語訳part1
イスラエル・ユダヤ / 2006-03-26 22:01:01

イスラエル系圧力団体  LRB Vol.28 No.6

ジョン・ミアシャイマーとステファン・ウォルト

原文はhttp://www.lrb.co.uk/v28/n06/print/mear01_.html(2006年3月23日公表の要約版)ですが、わかりやすくするために翻訳者の判断で要約前の全文版(2006年3月15日公表)の各章ごとの見出しを挿入してあります。

なお、要約前の全文版は http://ksgnotes1.harvard.edu/Research/wpaper.nsf/rwp/RWP06-011
または http://papers.ssrn.com/abstract=891198で入手可能。

最近の数十年間、特に 1967年の6日戦争以後, 米国の中東政策の最重要課題はイスラエルとの関係であった。イスラエルへの確固とした支持とそれに関連した「民主主義」を地域全体に広めようという努力はアラブとイスラムの世論を興奮させ、米国の安全のみならず米国以外の国々の多くの安全まで不安定化させた。この状況は米国史上前例がない。何故米国は自国や多くの同盟国の国益を 顧みずに別の国の国益を追求するのか?この二国の関係は共通する戦略的利益に基づいているとか、倫理的な要請のために已むを得ず行動していると想像する者もいるかもしれない。しかし、そのいずれの解釈も、米国がイスラエルに与える物質的・外交的な支持を説明できない。

そうではなく、この地域での米国の政策の要点はほとんど全てが国内政治に、特にイスラエル系圧力団体の活動に由来している。他の特殊利益集団は外交政策を何とか歪曲させてきたが、どの圧力集団も米国の国益が支持する政策を方向転換させようとはしなかった。しかし、イスラエル系圧力団体は同時に米国と外国-この場合はイスラエル-の国益が本質的に同一であると米国民に信じさせた。

 1.偉大な恩人

1973年の10月戦争以後、米国政府は他国への援助を矮小化させるほどの水準の援助をイスラエルに供与してきた。それは直接の経済的・軍事的援助としては年単位で見て1976年以降は最大の被援助者であり、合計額で見ても第二次大戦後の最大の被援助者である。その総額は2004年のドル換算で1400億ドルを越える。イスラエルは毎年約30億ドルの直接援助を受ける。これは対外援助予算のほぼ五分の一であり、イスラエル国民一人あたり約500ドルに相当する。この金額の多さは、イスラエルが今やスペインや韓国と等しい国民所得水準の富裕な工業国であるということを考えれば注目に値する。

他の被援助国は四半期ごとの分割払いで資金を受け取るが、イスラエルは全額を年度の初めに受け取り、それにより利息収入を得る。多くの軍事目的の被援助国はその全額を米国で支出することを必要とされるが、イスラエルは配分額の約25%を自国の軍需産業への補助金に使うことを許されている。イスラエルは援助がどのように支出されたかを説明する必要のない唯一の被援助国であり、その為に援助が米国の反対する目的、例えばヨルダン川西岸での住宅建設などに使用されることを防ぐことが実際に不可能になっている。更に、米国は30億ドル近くの金を武器システムの改善の為に供給し、ブラックホークヘリコプターやF-16戦闘機などの最高位の武器を入手させてきた。最後に、米国はNATOの同盟国に与えないような機密情報をイスラエルに供与し、イスラエルが核兵器を保有することに目をつぶった。

米国政府はイスラエルに継続的な外交的支持も与えてきた。1982年以降、米国はイスラエルを批判する32の安保理決議に拒否権を行使したが、これは他の常任理事国の拒否権行使の合計よりも多い。米国はアラブ諸国がイスラエルの核兵器をIAEA(国際原子力機関)の議題にすることを妨害してきた。米国は戦時にはイスラエルを助け、和平交渉時にはイスラエルの立場に立った。ニクソン政権はソ連の干渉の脅威からイスラエルを守り、10月戦争の時にもそれを再供給した。米国政府はこの戦争を終結させた交渉と、その後の段階を追った長期に渡る過程の両方に深く関与した。それは、米国が1993年のオスロ合意に先行する交渉と合意後の交渉に重要な役割を果たしたのと似ている。いずれの場合でも米国とイスラエルの担当者の間には時折摩擦が見られたが、米国は一貫してイスラエルの立場を擁護した。2000年のキャンプデービッドの米国人参加者の一人は後に「我々は余りに頻繁に働いた・・・イスラエルの弁護士として」と語っている。結局、ブッシュ政権の中東を体制転換させるという野心は少なくとも部分的にはイスラエルの戦略的状況を改善させることを狙っているのだ。

 2.戦略的な重荷

この驚くべき寛容さはイスラエルが米国にとって重要な戦略的資産であるか、あるいは米国が支持すべき、心を動かされるような道徳的主張が存在するのならば理解可能だろう。しかし、いずれの説明も説得力がない。イスラエルが冷戦期間中に資産であったとの主張もある。1967年以降米国の代理人として働くことによりイスラエルはソ連の拡張をこの地域で封じ込めるのを助け、エジプトやシリアといったソ連の顧客に屈辱的な敗北を与えてきた。イスラエルは時にはフセイン国王のヨルダンなどの他の米国の同盟国の防衛を助けてきた。また、イスラエルの軍事的能力は、ソ連の顧客である国々を支援する為にソ連により多くの支出を余儀なくさせてきた。イスラエルはソ連の能力についての有用な情報を供給してきた。

しかし、イスラエルを支援する事の対価は決して安くはなかったし、イスラエル支援は米国のアラブ世界との関係を複雑なものにした。例えば、10月戦争の期間中に行われた22億ドルの緊急軍事援助の決定は西側諸国の経済に重大な影響を与えたOPECの石油禁輸の引き金を引いた。それにもかかわらず、イスラエルの軍事力はこの地域での米国の国益を守る立場につくことはなかった。例えば米国は1979年のイラン革命で石油の供給への懸念が高まった時にイスラエルに依存することは出来ず、その代わりに自分で緊急展開部隊を作り出さねばならなかった。

第一次湾岸戦争はイスラエルが如何に戦略的な重荷になっているかを明らかにした。米国は反イラク同盟を破壊することなしにはイスラエルの軍事基地を使用することができず、イスラエル政府がサダム=フセインに敵対する同盟に悪影響を与えることを防ぐためにパトリオットミサイルの発射台などの資源を振り向けることを余儀なくされた。2003年にも同じ事が繰り返された。イスラエルは米国のイラク攻撃を待ち望んでいたが、ブッシュ大統領はアラブ諸国の反対の引き金を引くことなしにはイスラエルに援助を頼むことはできなかった。それ故、イスラエルはまたもや傍観者となった

1990年代に始まり、そして9/11以降更に顕著になった傾向であるが、米国のイスラエル支持はアラブとイスラム教世界に起源を持つテロリスト集団と、それらの集団を支持し大量破壊兵器を求める「ならず者国家」に両国が脅威を受けているという主張によって正当化されてきた。この主張はイスラエル政府がパレスチナ人を自由裁量で取り扱うのを米国政府が認め、全てのパレスチナ人のテロリストが投獄されるかあるいは死ぬまではイスラエルに譲歩するよう圧力をかけないことを意味するだけではなく、米国はイランやシリアの様な国を追求すべきであることも意味する。このようにして、イスラエルの敵は米国の敵であるからと言う理由で、イスラエルはテロへの戦争において決定的な同盟国と見なされている。実際には、イスラエルはテロへの戦争と、ならず者国家に対処する為の広汎な努力においては重荷になっている。

「テロリズム」は単独の敵ではなく、広汎な政治的集団の隊列が従事する戦術である。イスラエルに脅威を与えるテロリスト組織は米国には脅威を与えない。例外は、米国が彼らに干渉する場合である(1982年のレバノンの様に)。更に、パレスチナ人のテロリズムはイスラエルや「西側」に反対する手当たり次第の暴力ではない。それは、おおむねイスラエルのヨルダン川西岸やガザ地区に入植するという長期に渡る運動への反応である。

もっと重要なことは、イスラエルと米国が共通するテロリストの脅威により結びつけられているという主張は因果関係を逆転させているということだ。米国のテロ問題の多くは米国がイスラエルと非常に親密な同盟国であることによるのであり、その逆は成り立たない。イスラエル支持派反米テロの唯一の原因ではないが重要な原因であり、それによってテロに対する戦争に勝利することはより困難になっている。オサマ=ビン=ラーディンを含む多くのアル・カイーダの指導者達がエルサレムでのイスラエルの存在やパレスチナ人の窮状に動機付けられていることには疑問の余地はない。米国のイスラエルへの無条件の支持は過激派に大衆の支持を集め人材を募集するのをより容易にしている。

中東のいわゆるならず者国家について言えば、彼らはイスラエルにとっての脅威であるという点を除いては米国の重要な利益にとって差し迫った脅威ではない。もし仮にこれらの国々が核兵器を保有したら-それは明らかに望ましくはないが-米国もイスラエルも脅迫されることはない。それは、脅迫者は圧倒的な報復を受けることなしには脅威を実行することができないからだ。核兵器がテロリストの手に渡る危険も同様に起こりそうにない。ならず者国家は核兵器譲渡を察知されない、あるいは後で非難され罰を受けることがないという確信が持てないからだ。イスラエルとの関係は米国がこれらの国々に対処するのをより困難にしている。イスラエルの核兵器はその近隣国の一部が核兵器を欲する理由の一つであり、彼らを体制転換で脅すことは単にその欲望を増大させているだけである。

イスラエルの戦略的価値を疑う最後の理由は、イスラエルが忠実な同盟国としては行動していないことにある。イスラエルの当局者は米国の要求を頻繁に無視し約束を破る(住宅建設を止めるとかパレスチナ人の指導者の暗殺を差し控えるという約束を含む)。イスラエルは細心の注意を払うべき軍事技術を中国のような米国の潜在的な対抗者に供与してきた。国務省の査察官はそれを「体系的で増大傾向にある、公的に承認されない供与」と呼ぶ。また、会計検査院によれば、イスラエルは「米国の全ての同盟国の中で米国に対し最も活発なスパイ活動を行って」いる。1980年代初めに多量の機密物質をイスラエルに与えたジョナサン=ポラードの例(それは伝えられる所ではソ連のユダヤ人の出国ビザの増加の引き替えにソ連に譲渡された)に加え、2004年には米国国防省の重要な担当者であるラリー=フランクリンが機密情報をイスラエルの外交官に渡したことが明らかになって新たな物議をかもした。イスラエルは米国に対して諜報活動を行う唯一の国であり、自国の重要な後援者に対し諜報活動を行う意欲はその戦略的価値により深い疑いを投げかける。

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米国の中東政策をイスラエルが支配していることを批判する論文を米国の著名な保守系政治学者が発表!
イスラエル・ユダヤ / 2006-03-25 21:18:38

2003年にイラク戦争開戦に反対した米国の著名な二人の保守系政治学者(リアリスト:現実主義者と呼ばれる学派の重鎮)が、対イラン・シリア戦争を直前に控えた3月10日に、米国の外交政策がイスラエル系の圧力団体に支配されていることを批判する論文「The Israel Lobby and U.S. Foreign Policy」を発表した。

論文の要約版はこちら。近日中に日本語訳もupします。
http://www.lrb.co.uk/v28/n06/print/mear01_.html

全文はこちらからダウンロード可能
http://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=891198

aljazeerah.infoではこの様に紹介されている。
http://www.aljazeerah.info/News%20archives/2006%20News%20Archives/March/21%20n/Two%20Distinguished%20US%20Professors,%20Walt%20and%20Mersheimer,%20Show%20How%20the%20Pro-Israel%20Lobby%20Manipulates%20American%20Foreign%20Policy.htm

私見だが、米国の対中東戦争は石油ドル体制の防衛による世界覇権維持という一面と、イスラエルの安全保障という一面があると思われる。3/22のイランでのユーロ建て石油市場開設の無期限延期により石油ドル体制の崩壊の危険は一時的に遠のいている訳であり、もし米国が本当にイランやシリアに対する戦争を仕掛けるのであれば、それは米国政府は石油ドル体制防衛による世界覇権維持(米国の国益)よりもイスラエルの安全保障(イスラエルの国益)の方を重視しているということの証拠になるだろう。

その様に考えると、イラン大統領が「ホロコーストは嘘だ」と繰り返し主張していること、ドイツのヘルムート・コール元首相が「それに同意する」と発言したと報道された(後日否定報道もあったが真偽は依然として不明)こと、今回ミアシャイマーやウォルトが米国の中東政策がイスラエル系の圧力団体の強い影響下にあり、事実上米国の国益よりもイスラエルの国益が追求されている事を批判したことはイスラエルに対する強い攻撃の連続である。これは、911以降の米国の対中東政策の最大の原因が米国の世界覇権ではなくイスラエルの安全保障問題であるという認識に基づいて、それを攻撃し叩き潰そうとしている様に思われる。

現実主義者(リアリスト)陣営のミアシャイマー・ウォルトと新保守主義者(ネオコン)陣営がの直接対決: 米国の対イラク戦争開戦直前の2003年の2月に、大手シンクタンクである外交評議会(Council on Foreign Relations:CFR)の主催で「ネオコン」対「リアリスト」の直接対決の討論会が行われた。その詳細は以下のリンク参照。国際政治というのはすべて権力の力学による闘争なのだ!」と現実的(realistic)に考える現実主義者であるミアシャイマーとウォルトの二人が米国の国益の観点からイラク戦争に反対したことは実に興味深い。
http://fuku41.hp.infoseek.co.jp/k5/151116.htm
http://fuku41.hp.infoseek.co.jp/k5/151122.htm
http://fuku41.hp.infoseek.co.jp/k5/151129.htm
http://fuku41.hp.infoseek.co.jp/k5/151206.htm
http://fuku41.hp.infoseek.co.jp/k5/151213.htm
http://fuku41.hp.infoseek.co.jp/k5/151220.htm
http://fuku41.hp.infoseek.co.jp/k5/151227.htm
http://fuku41.hp.infoseek.co.jp/k6/160103.htm
http://fuku41.hp.infoseek.co.jp/k6/160110.htm
http://fuku41.hp.infoseek.co.jp/k6/160117.htm
http://fuku41.hp.infoseek.co.jp/k6/160124.htm
http://fuku41.hp.infoseek.co.jp/k6/160131.htm
http://fuku41.hp.infoseek.co.jp/k6/160207.htm
http://fuku41.hp.infoseek.co.jp/k6/160214.htm

イラク戦争は結局ミアシャイマーとウォルトの言うとおりの失敗に終わった。そして、新たな対イラン・シリア戦争が開戦直前となっている今、リアリストの巨人であるこの二人が発表したこの論文は2003年の討論会の第二部という見方もできる。この論文は米国の政策にどのような影響を与えるのだろうか? ブログ「地政学を英国で学ぶ」の作者で、「地政学―アメリカの世界戦略地図」の著者であり、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4772704019/

ミアシャイマーの主著である「Tragedy of Great Power Politics」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0393978397/
の日本語版(近日発売予定とのこと)の翻訳者でもある奥山真司さんのコメントは以下の通り。

Commented by 一読者 at 2006-03-24 20:28 x

The Israel Lobby and U.S. Foreign Policy JOHN J. MEARSHEIMER University of Chicago - Department of Political Science STEPHEN M. WALT Harvard University - John F. Kennedy School of Government

http://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=891198
あのミアシャイマーがイスラエルロビ-が米国政府に及ぼす巨大な影響力を批判する論文を公開しました。イラン侵攻を目前に控えた今この論文を発表することが米国の政策にどのような影響を与えるのか等、コメントを頂けると幸いです。

Commented by masa_the_man at 2006-03-25 08:35

>イスラエルロビ-が米国政府に及ぼす巨大な影響力を批判する論文

おお、これは面白くなってきましたねぇ!

>イラン侵攻を目前に控えた今この論文を発表することが米国の政策にどのような影響を与えるのか

この論文が読めないのでなんともいえませんが、タイミング的にはブッシュ批判でバッチリだと思います。ミアシャイマーはFA誌の編集サークルにも近いですし、フクヤマもネオコンから離れた今、どうやらこういうことをしても大丈夫だという状況判断があったのでしょう。これでブッシュはそうとう政治的な立場が厳しくなりますね。これがどういう風に政策に影響するのかはわかりませんが、インパクトがあることは間違いないですね。ベトナムの時はリアリストがうとましがられたのとは大違いで、ミアシャイマーはけっこううまく立ち回っていると思います。
http://geopoli.exblog.jp/4280687/

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これは、阿修羅掲示板に投稿した以下の内容を再掲したものです
米国の中東政策をイスラエルが支配していることを批判する論文を米国の著明な保守系政治学者(ミアシャイマー等)が発表!
http://www.asyura2.com/0601/war79/msg/682.html

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