32517 過渡期論
過渡期論の識別考
 マルクスは、概要「歴史的意味における一時代の『過渡期たる社会主義国家』を過ぎて、『完全な共産主義社会』が実現すれば、プロレタリア独裁の必要性はなくなる」と述べている。ということは、『完全な共産主義社会』の前段階として『過渡期たる社会主義国家』社会があるということになる。この認識を受けて、レーニンは、社会主義を共産主義の第一段階とみなし、この過程にプロレタリア独裁の必要論を導入していた。それでは一体、プロレタリア独裁の期間はいつまで続くのか、それが不必要となる際のメルクマールは何なのか、この考察が本来の過渡期論であるように思われる。

 だが、実際には、このような過渡期論が眼前の課題となった例は今のところ無い。通常云われているところの過渡期論とは、社会主義社会志向的権力樹立へ向けての革命(これが通常社会主義革命と云われる)前の時期における左派的闘争の在り方為し方的戦略戦術論のことが云われている様である。これを仮に@・プレ過渡期論と命名することができる。次に、社会主義革命が為されたとしていきなり社会主義政策を実施していくには難が有り、いわば地均し期という時期が想定できる。これを仮にA・生成期過渡期論と命名することができるように思われる。この時期を越して、本格的に社会主義社会への移行期が始まる。これより以降がマルクス-レーニンが想定していたB・真性過渡期論であると思われる。マルクス主義における過渡期論とは、言い回しが妙であるがこの真性過渡期論のことであり、実際にはその前にプレ過渡期論、生成期過渡期論が介在するようである。

 少々ややこしいのであるが、当面の眼前の課題に最も関心が強まることからして、革命未遂国における過渡期論の関心は、プレ過渡期論、生成期過渡期論に集まる。ロシア十月革命後のソ連邦での関心は、生成期過渡期論、真性過渡期論であった。なお、マルクス・エンゲルスが専ら語ったのは真性過渡期論であり、レーニンが語ったのは生成期過渡期論であった。これらの区別をしないと過渡期論を語るにも話が噛み合わない。

 マルクス・エンゲルスの真性過渡期論は、社会主義-共産主義社会論の項で述べることにして、ここではレーニンが語った生成期過渡期論を明らかにしていくことにする。生成期過渡期論とは、社会主義社会志向権力が樹立された後の社会主義国家建設時代の過渡期政策を廻る様々な論のことを云う。
 


生成期過渡期論その一、経済政策について
 レーニンは、次のように述べている。その是非論は別にして、レーニンがどのような政策展望を持っていたのかをまず確認しておくことにする。

 『国家と革命』(1917年8―9月)文中より。「マルクスは、人間の避けがたい不平等をきわめて正確に予測しているばかりでなく、生産手段を社会全体の共有財産にうつす(普通の用語法での社会主義)だけでは、まだ分配の欠陥と『ブルジョア的権利』の不平等とが除去されず、労働に応じて』生産物が分配されるかぎり、この権利が支配しつづけることをも予測している」。

 「消費財の分配についてのブルジョア的権利は、もちろん、不可避的に、ブルジョア国家の存在を予想する。なぜなら、権利というものは、権利の基準の遵守を強制できる機関なしには、ないのも同然だからである。そこで、共産主義のもとでも、ある期間、ブルジョア的権利がのこっているだけでなく、ブルジョア階級のいないブルジョア国家さえのこっていることになる! 」。

 「共産主義社会の第一段階(これが普通には社会主義と呼ばれている)では、『ブルジョア的権利』は、完全に廃棄されるのではなく、部分的にだけ、すでに達成された経済的変革の度合に応じてだけ、すなわち生産手段に関してだけ廃棄されるのである。『ブルジョア的権利』は、生産手段を個人の私有財産としてみとめる。社会主義はこれを共有財産にする。そのかぎりでは、 ―そのかぎりにおいてのみ― 『ブルジョア的権利』はなくなる。しかし、この『ブルジョア的権利』は、その他の面では社会の成員のあいだの生産物の分配と労働分配の規制者(決定者)として、やはりのこっている。『働かざるものは食うべからず』 ―この社会主義的原則は、すでに実現されている。『等しい量の労働に等しい量の生産物を』― この社会主義的原則もまたすでに実現されている。だが、これはまだ共産主義ではない。そして、これはまだ、不平等な人間の不等(事実上不等の)量の労働にたいして、等しい量の生産物をあたえる『ブルジョア的権利』を除去していない」。


 レーニンは、『ロシア共産党(ボ)第十回大会』(1921年3月)文中で、次のように述べている。「取引の自由とはどんなことか。取引の自由とは、商業の自由であり、商業の自由とは、資本主義への後退を意味する。取引の自由や商業の自由は、個々の小経営主間の商品交換を意味する。少なくともマルクス主義のイロハを学んだわれわれは誰でも、この取引と商業の自由から不可避的に現われてくるのは、商品生産者が資本の所有者と労働力の所有者とに分化し、資本家と賃金労働者とに分化すること、すなわち資本主義的賃金奴隷制が復活することだということを知っている。このような制度は、天から降ってくるものではなく、全世界においてほかならぬ商品的農業経済から成長してくるものである。われわれはこのことを理論的によく知っている。そしてロシアでは、小農の実生活とその経営条件を注意深く観察してきたものなら、誰でもこのことに気づかないわけにはいかない」、「ブルジョア階級は商品生産から生まれてくる。商品生産の条件のもとで、自分の家族用として必要な量以上の余分の穀物を数百プードももっていながら、飢えた労働者をたすけるためにそれを労働者国家に貸そうとせず、投機にまわしている農民は、いったいなんであろうか。かれらはブルジョア階級ではないだろうか。ブルジョア階級はこのようにしてうまれてくるのではなかろうか」。


【生成期過渡期論その二、政治体制について】
 『偉大な創意』(1919年6月)より。「明らかに、階級を完全に廃絶するには、搾取者、すなわち地主と資本家を打倒する必要があるばかりでなく、かれらの所有制を廃止する必要があるばかりでなく、さらに、生産手段のあらゆる私有制を廃止する必要があり、都市と農村の差異,肉体労働者と精神労働者の差異をも廃絶する必要がある。これは、ひじょうに長い年月を要する事業である」。

 『労働組合第二回全ロシア大会での報告』(1919年1月)より。「われわれは、すでに開始し、2年にわたってすすめてきた革命を断固として最後までやりぬく決意である。(拍手)この革命は、われわれが新しい階級への権力の移行をなしとげる場合にだけ、ブルジョア階級、資本主義的奴隷所有者、ブルジョア・インテリゲンチア、すべての有産者つまり所有者の代表にかわって、新しい階級が国家管理,国家建設、新生活指導のあらゆる面に、下から上まで参加する場合にだけ、可能であり、実現できるのである」。
 『全ロシア中央執行委員会の会議』(1918年4月)より。「そうだ。われわれは地主とブルジョア階級をうち倒して道を掃ききよめはしたが、まだ社会主義の建物をうちたてたわけではない。そして、ふるい世代を一掃した土壌のうえには、歴史的にたえず新しい世代が現われてくる。なぜなら、この土壌は数多くのブルジョアを過去に生み出したし、現在も生みだしているからである。そして、資本家にたいする勝利を、小所有者が見るように見ているものは、『かれらはボロ儲けした。こんどはおれの番だ』といっている。こういう人間はみな、ブルジョアの新しい世代の源ではないか」。

 『ロシア共産党(ボ)第八回大会』(1919年3月)より。「経済分野の諸事実に大変くわしい同志ルィコフは、わが国に存在する新しいブルジョア階級についてのべたのである。これはほんとうである。新しいブルジョア階級はわれわれのソビエトの職員のなかから生まれているばかりではなく ―かれらのなかからも、わずかながら生まれる可能性はあるが― 、資本主義的銀行のくびきから解放され、いま鉄道輸送から切りはなされている農民や手工業者のあいだからも生まれているのである。これは事実である。諸君はどうやってこの事実を回避しようというのか。それを回避するのは、ただ自分の幻想にふけるものか、あるいはまだ十分に消化していない本の知識を、はるかに複雑な現実のなかにもちこむものにすぎない。現実が示していることは、ロシアでさえ、すべての資本主義社会と同じように、資本主義的商品経済がまだ生きており、活動し、発展しており、ブルジョア階級を生みだしつつあるということである」。

 『ソビエト権力の当面の任務』(1918年3―4月)より。「いま、ソビエトの代議員を『国会議員』に変えようとするか、あるいは官僚に変えようとする小ブルジョア的な傾向が存在している。このような傾向とは、ソビエトのすべての代議員を実際の管理活動に参加させることによって、たたかわなければならない。多くの地方では、ソビエトの各部局が、しだいに人民委員部と合体しつつあるような機関に変わってきている。われわれの目的は貧民をひとりのこらず実際の管理活動に参加させることである。そしてこれを実現するためのあらゆる方策 ―それは多様であればあるほどよい― は詳細に記録され、研究され、体系化され、より広はんな経験によって点検され、法制化されなければならない。われわれの目的は、勤労者のひとりひとりに八時間の生産的労働の『日課』をおえたあと、さらに無償で国家的義務を遂行させることにある。このような制度に移行するのはとくに因難であるが、この移行を実現しないかぎり、社会主義の最終的確立を保障することはできないのである」。
 「共産主義内の『左翼主義』小児病」(1920年4―5月)より。「ソビエトの技師、ソビエトの教師、ソビエトの工場で特権をもつ、すなわちもっとも熟練した、もっとも地位の高い労働者の内部で、ブルジョア議会制度につきものの、すべての否定的な特徴がたえず復活しているのを見うけるが、われわれは、プロレタリア階級の組織性と規律性をもって、くりかえし、うまずたゆまず、長期にわたり、ねばり強くたたかうことによってはじめて、この害悪を ―徐々に― 征服することができるのである」。

 『ロシア共産党(ボ)モスクワ全市会議での土曜労働についての報告』(1919年12月)より。「『共産主義的なもの』は、土曜労働が出現するときにのみ、生まれるものである。このような労働は、いかなる政府つまり国家によってもノルマとされていない、個人によって公共のために広はんな規模でおこなわれる無償の労働である。これは、農村によくみられるような隣人の助け合いではなく、全国家的な必要のためにおこなわれる。広はんな規模で組織された、無償の労働である。だから、『共産主義』という言葉を党の名称につかうだけでなく、われわれの生活のなかで真に共産主義的なものを実現しつつある経済現象に、もっぱらそれを適用することが、いっそう正しいであろう。もし、ロシアの現在の制度にもなにか共産主義的なものがあるとすれば、それは土曜労働だけであり、その他のものは、資本主義に反対し社会主義を強化するための闘争にすぎない。社会主義が完全な勝利をおさめたのち、はじめて、われわれが土曜労働から見たような、書物上のものではなく、生きいきとした現実の共産主義が成長してくるであろう」。


【生成期過渡期論その三、その期間について】
 メリニチェンコ「レーニンと日本」に、「資本主義から社会主義への移行期間」を廻っての興味深い遣り取りが紹介されている。会見時に布施氏は「封建制から資本主義に移行するには、多年を要した。だから、資本主義から社会主義に移行するにもやはり多年を要するだろうと、あなたは云われました。これにはほぼどれくらいの期間を要するか、あなたのお考えを聞かせてください」と尋ねている。レーニンは、次のように答えたとのことである。「総じて期間を決めることは難しいことです。古い制度を打ち倒すことには、多くの時間を必要としないが、新しい制度を短期間に打ち立てることは不可能です」。続いて、「電化しなければ共産主義制度も実現出来ません。ところで、我々の電化計画は、最も有利な条件のもとでも十ヵ年の期間を見込んで作成されています。これが、我々の新制度を打ち立てる為の最小限の期間です」と述べている。

 捕捉すれば、1921年末、第9回全ロシア・ソビエト大会においてレーニンは、次のように述べている。「この部面(社会主義経済建設の過程-れんだいこ注)では、我々は突進したり躍進したりすることは出来ないし、期間も別である。ここでは、期間は数十年を単位として測られる。経済戦争で、しかも我々の隣人から援助を受けるのではなく、敵意を受けている条件の下に成功を勝ち取るには、これくらいの期間が必要であろう」。

 メリニチェンコ氏は、「晩年を迎えたレーニンが、『完全に社会主義国となるためには一時代丸ごとが必要とされる結論に達していた』。レーニンは社会主義及び共産主義が間もなく勝利を収めるというロマンチックな考えや冒険主義とは完全に無縁だった」と推定している。
 



(私論.私見)