32515 | 革命論 |
(最新見直し2006.5.20日)
マルクス主義の精髄は、革命論にある。その革命論とは、旧体制の改良にエネルギーを費やす愚昧さを退け、真に生産階級にして資本主義の進むところ否応無く圧倒的な人口を構成することになる労働者階級に社会の主人公としての自覚を与え、新社会の運営能力を啓発させ、そのウェイブを巻き起こすことを通じて旧体制を転覆させ、新社会体制を構築させるという論にある。 そのプロセスには旧権力の抵抗が不可避であり、否応無く暴力革命的にならざるを得ない、又その渦中から新社会体制構築能力を形成していかねばならない、と示唆しているところに白眉なものがある。そういう意味で、マルクスの「労働者階級の解放は、労働者階級自身の事業である」、「歴史は一瞬にして数世紀を飛躍する」という名言は不朽の金言であろう。 次のレーニンの言葉も味わい深い。レーニンは世界の、とりわけロシアの革命の経験を総括して「革命的情勢の指標」について次のように述べている。
今日段階で云える事は、マルクスは社会主義革命の歴史的不可避性に言及していた。しかし、その具体的展開は後世に委ねた。後世の者は己の理解の仕方に応じて、マルクス主義を右派的にあるいは左派的に適用せんとしていった。右派系は、ベルンシュタイン、カウッキー、ロシアのプレハノフ等が代表し、西欧民主主義との兼ね合いを重視していったように思われる。今日に続く構造改革論、先進国革命論はこの系譜であろう。これに対し、ロシアのレーニンは暴力革命こそマルクス主義の真髄であるとして一瀉千里に建国革命へと雪崩れ込んでいった。この時打ち立てられたソビエト連邦は50年後あえなく潰えることになったものの。毛沢東の中国建国革命もこの系譜に属する。 この両経過について今日様々に評価されているが、革命の成功事例は暴力革命の系譜以外に無いことを史実として確認しておかねばならないだろう。もっとも、このことは、いわゆる先進資本主義諸国の議会統治制度の活用に背を向け、その欺瞞を暴くのが革命的闘争であるという錯覚に陥ることを意味していない。左派運動にいつも現われる傾向であるが、そういうのを小児病的教条主義と云うのだろう。労働者階級は武器を選ばない。革命に有利な状況をこじ開ける為に、「あれもやってみなはれ、これもやってみなはれ」で何ら構わない。 問題は、議会闘争活用論者がその美名の下で大衆闘争との結合を切り離す悪意にこそある。日共不破式「人民的議会主義論」なるものはその典型的な教本であった。例に漏れず玉虫色に書き上げているので真意が分からなくされているが、その狙いが議会活用を誇大宣伝し、大衆闘争を逼塞させる代償の道具としての論にあったことが今日明白である。そうではないのだ。議会を活用することが他の諸闘争を排撃しない形で併用すればよいという単純な話なのだ。相互に立て合ってそれぞれの闘争がより機能化させるような活用を心掛けるべきなのだ。 エセマルキストは難しく理屈をこねて二者択一式に持っていこうとする。その結果、右派は議会専一万能論を唱え、左派は議会排撃論を主張するという按配で棲み分けしようとする。申し訳ないが、革命闘争はオマンマの種にするものではない。我々の生活と人生の充足を賭けて、もっと大袈裟に云えば人類史の未来を賭けて、野蛮な時代を終わりにさせようとする極めて能動的戦闘的な営為に関わる運動なのだ。その任に耐えざる者は党派の指導者になるべきではない。己の痴愚を歴史に押し付けようとするとはあまりに傲慢不遜であろうから。 2003.1.22日 れんだいこ拝 |
【マルクスの革命論における言及と不言及について】 | ||||||||
マルクスは、「哲学の貧困」の最後の結びで次のように述べている。
「共産主義者の宣言」では次のように述べている。
暴力革命の必然性を明確に指針させていることになる。 |
【エンゲルスの革命論における言及と不言及について】 |
【レーニン主義としての暴力革命論】 | |||||||
レーニンは、来る革命の態様について次のように述べている。
これによれば、「革命には多様性が有る」ということであろうか。「革命の多様性」も革命方式論(戦略論)、革命手法論(戦術論)の両面において考察される必要がある。 爾来、この問題は、「過渡期論」的に議論されてきているところのものであるが、れんだいこ観点に拠れば穏健派系革命論と急進主義派系革命論に仕分けして整理する方が分かりやすい。穏健派系革命論は次々に編み出されており、1・ブルジョア民主主義革命経由論、2・構造改革論による漸次社会主義化論、3・議会主義的先進国革命論の三分類できるようである。これに対して、急進主義派系革命論の方は、1・武力闘争的人民民主主義革命経由論、2・内乱・武装蜂起型暴力革命的直接社会主義革命への雪崩れ論のどちらかで定式化されている。これらを革命方式論(戦略論)とすれば、革命手法論(戦術論)として様々の共同戦線論がある。1・反帝・反ファシズム闘争論、2・労農学による共同戦線論、3・議会制民主主義論、4・ゼネスト論等々。 このことを踏まえつつレーニンは、既存国家がなぜ暴力的に破壊されねばならないのかについて次のように語っている。
つまり「出来合いの国家機関」を利用するのではなく、「革命政府による新国家機関の創出」の必要を説いていることになる。 レーニンは、祖国ロシアの革命的情勢を「左」から引き寄せていったが、その時の理論は次のようなものであった。
プロレタリアートが資本主義制度を打倒して社会主義制度を確立する為には、資本主義制度の階級支配を維持する為の暴力装置であるブルジョア国家機構を粉砕して、それに代わるプロレタリア国家機構を樹立しなければならない。その為に欲求されるのが暴力革命という構図になる。 レーニンは、マルクスの暴力革命論を継承し、「プロレタリア国家のブルジョア国家との交代は暴力革命無しには不可能である」、「暴力は新しい社会を孕んでいるあらゆる旧制度の助産婦である」と、革命的プロレタリアートによる暴力革命を指針させている。 スターリンによる「レーニン主義の基礎」でも、これが継承され次のように書かれている。
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【暴力革命論の概念の確定考】 |
【マルクス、エンゲルス、レーニンの平和革命の可能性論】 | ||||
マルクスは、1872年、オランダのアムステルダムにおける労働者集会で、次のように述べているとのことである。
エンゲルスは、1891.6月、ドイツ社会民主党のエルフルト綱領草案に対する批判(カウッキー宛ての手紙)の中で、次のように述べているとのことである。
マルクスは、1891.6月、「ドイツ社会民主党のエルフルト綱領草案批判」の中で、次のように述べている。
「資本家階級が、その制度を擁護するために必ず反抗を起すであろうことは間違いない」との留保条件もつけている。
これを「限定的条件下にその可能性を望ましいとしていた」とする見解にまで導くのは無理筋だが、若干の気遣いはしていることになる。 |
【フルシチョフ路線】 |
1956.2月ソ連共産党第20回大会において、フルシチョフ路線、内戦を伴わずに権力を握る可能性が生まれてきたとして、革命の平和的移行の可能性を提起し、大会の承認を求めた。 |
(私論.私見)