32512 | れんだいこのマルクス主義論(原理論評価と批判、俗流批判の批判) |
(最新見直し2007.4.7日)
Re:れんだいこのカンテラ時評280 | れんだいこ | 2007/04/06 | ||
【れんだいこのマルクス主義出藍宣言の辞】 れんだいこは、若い頃マルクス主義にかぶれた。運動の期間としてはそう長くは無い。今50歳を越す身になって思うことは、あの時私の胸中を捉えたマルクス主義とは一体いかなる思想であったのかということである。今から5年ほど前になるが、れんだいこはそう書いている。私が被れるに値があったのかなかったのかの見極めをしてみたいと云う思いが忽然と湧いてきている。世間で云われているような既に用済みの時代遅れの思想であり主義に過ぎないと言うのであれば、それに被れたれんだいこは単におぼこかったということになる。しかし、果たしてそうであろうか。れんだいこほどの者を夢中にさせた限りには、もっと何らかの内実があったのではないのか、という思いのほうが禁じえない。 そういう思いと同時に次のことも踏まえねばならないように思うようになった。世上で流布されているマルクス主義は実はマルクス主義ではなかったのではなかろうか。このことに関しては、マルクス自身が存命中に、「私はマルクス主義者ではない」と語っていたというエピソードを想起すれば更に補強されるだろう。世上にマルクス主義が流布されてより百数十年、この間人民大衆の抵抗運動の際の有力な思想的武器となってきた。 しかしながら、余りにもマルクス主義理論のまばゆさに魅惑され、土着の一揆思想を放擲したのは惜しいことであった。願うらくは、伝統的土着思想の土壌を基盤にしながら、自由自主自律的にマルクス主義を批判的に受容すべきであった。後付けで見えてくることではあるけれども。 1917年のロシアにおける十月革命はマルクス主義の実践的勝利でもあった。以降、ソ連邦体制の国際的広がりとその抑止に対するせめぎ合いが世界史的テーマとなってきた。しかし、旧権力打倒の革命には成功したが、建国継続革命は首尾よくは進展しなかった。結果的に、革命前の宣伝文句の魅力に反して実践的には正反対物を生み出してしまった。その原因は未だ充分には検証されてない。故に総括を為し得ていない。廻り廻って、今日ではソ連邦体制の方があえなく崩壊するという憂き目を見るに至っている。 れんだいこが思うに、そういう史的結果の遠因を訪ねるのに、理論が未熟だということにあるのではなかろうか。更に、この間のマルクス主義運動が、マルクス主義の何たるかについて肝心なところを明らかにせぬままあるいは理解されぬまま任意な自己流の、あるいは政党のご都合主義風のマルクス主義が真性のマルクス主義として喧伝され、失敗するべくして失敗したのではなかろうか。その挙句、マルクス主義そのものが古くなったとか、間違いであるとか、破産したとか敗北したとか多種多様に評論されているのではなかろうか。 そういう意味において、れんだいこは、マルクス主義を一から構築し直したい。れんだいこが憧憬し理解したマルクス主義の一番肝要なところは、例えて云えば我々の頭脳のシワを増やすものであり、そうでなければならなかった。本来のマルクス主義はこれに大いなる功績があり、人類史上の営みを要点整理し、新時代の息吹をメッセージするその手法において、人類の認識の大いなる前進を刻印していたのではなかったか。 従って、マルクス主義的観点を持つか否かで世界史が変わるほどの、マルクス主義登場以降の人類の歩みに大きな寄与を為す勲一等的貢献を為す思想的営為ではなかったのか。そういうものとしてマルクス主義を位置づけ受け止めたいと思う。その実感を得ようと思えば、各自がその著作に触れれば良い。豊かな泉からこんこんと湧き出る清水に目を洗われであろう。 この見解を補強するかのように、エンゲルスが、マルクス死去の翌日アメリカに住むF・A・ゾルゲに宛てた手紙の中で次のように書いている。
だがしかし、史上に現れたマルクス主義の実際は、我々の頭脳のシワを増したであろうか。否、却ってのっほぺらぼうなものにしたのではないのか。ここに反省すべき最肝要な課題が横たわっているのではなかろうか。いわゆる理論面での非弁証法的な公式主義、図式主義と実践面での統制主義にまみれ、一握りの指導部に唯々諾々さえすれば良い、すべきだ、異論・異端は許さない式の、凡そ本来のマルクス主義とは正反対物に転化したマルクス主義が正調として史上に跋扈し、多くのマルキストがそれを信奉して自惚れに浸ってきたという欺瞞的な反マルクス主義の歴史を経過させてきただけなのではなかろうか。 そういう似て非なるマルキスト達によってマルクス主義運動が担われてきた。このことを大胆に客観視すべき頃ではなかろうか。こうした事情から、「マルクス主義の歴史は、その成立当初からして分裂抗争気味であり、マルクス主義の実践的成果自体はなはだ疑問の昨今であるが、それもそのはずでマルクス主義者を自認する者たちの間でも、その解釈が非常に多義的であり、いずれが正統理論であるのか解明されていない」と述べられるようになっており、この云いには説得力があるのではないだろうか。 しからば、正味真性のマルクス主義とはそもどのようなものであるのかという関心でもって本章を構成してみたい。あたかもマルクス・エンゲルスと対話するかのように。それは骨の折れることではある。何しろ相手は史上稀なる天才たちで、こちらは世間に名も無き凡人でしかないから。それはそうだけど、れんだいこの方にも有利な点がある。れんだいこはそれ以降の歴史の流れを知っているということと、50有余歳になるまでたっぷりと世間の中で泳いで生きてきたという実感である。思えば、マルクス・エンゲルス理論に問題があるとすれば、それが実践理論だとはいうものの学究的なあまりに机上論な面があるのではなかろうか、という気がしないでもない。そういう対話を得て、素面のマルクス主義を露わにしてみたい。有用有益な思想に違いないから。 次に為すべきこととして、本来そうであるべき労働者大衆向けの普及本づくりに向けて時間を見つけ次第ぼちぼちでも取り組んでみたい。しかし、これを平明に語るということは難しい。なんとなれば、まずもってれんだいこが咀嚼していなければ為しえないであろうし、今から全文献に目を通すなどという芸当はできっこない。従って、少し危険では有るが、判明しないところも含めてむしろれんだいこなりに合点させて、そういうフィルターでのマルクス主義を綴ってみたい。そして多くのマルクス論者に試論として呈示し、批判検討の中から更なる試論へと突き進めて生きたい。更に云うならば‐‐‐という思いもあるがそれは云うまい。 追記。小室直樹氏の最新の著書「数学嫌いな人の為の数学」で、次のような興味深い指摘が為されている。
これは卓見のように思う。 最後に。れんだいこは最近になって「シオン長老の議定書」の存在を知り、対話するようになった。これは衝撃的であった。以来、史観が代わり、「シオン長老の議定書」派が織り為してきた近代から現代に至る歴史的役割に着目している。こちらの方が、真に歴史を動かしている実在力だと思うようになった。こう認めないと現代史が読み取れない。興味深いことは、「シオン長老の議定書」の基本テキストは、ロスチャイルド1世の講演議事録のようで、そのロスチャイルド1世とマルクスが直接的にか間接的にか関係しているらしきことである。少なくとも同時代人には間違いない。 そういうことから、マルクスが、「シオン長老の議定書」的ネオ・シオニズム世界観のクビキの下でマルクス主義的教説を説いている可能性を詮索するようになった。そう思えば、マルクス主義とネオ・シオニズムの論理構造が酷似していることに気づかされる。違うとすれば、ネオ・シオニズム的選民理論に拠らずほのかに共生理論を打ち出していたことだろうか。その限りにおいてイエスキリスト教的である。しかしながら、マルクスが最終的に指針させたプロレタリア独裁論はユダヤ的感性特有のもので、我々が許容してはいけない危険過ぎる教説であることに思い至るようになった。 こう確信して以来、れんだいこは、マルクス主義からの出藍を決意するようになった。大変なことであるが歩一歩やり遂げていかねばなるまい。ちなみに、出藍とは、ドイツ語のアオフへーベン(Aufheben)のれんだいこ訳である。従来の止揚に対して、さる日福本和夫氏が揚棄を造語したが、それよりもなお語彙が近いと得心している。誰か、日本哲学史上のこの功績を認めてくれないだろうか。以降、他の誰彼も出藍と表現してくれないだろうか。 2007.4.6日再編集 れんだいこ拝 |
【木村愛二氏の指摘】 | ||
木村愛二氏は、「真相の深層」bUの「カール・マルクスの大罪・序章」で次のように述べている。
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【前置き】 |
マルクス主義理論をれんだいこが批判しきるなどというだいそれた試みに挑戦せざるを得ないことに、れんだいこは実はワクワクしている。尤も、れんだいこの場合否定的な批判ではない。マルクス主義を高く評価し愛するが故に、足らざるところの何かを補足したいという動機から始まっている。 ところが、始末が悪いことに、今やそういうれんだいこの思いはマルクス主義の方法論の域へまで進もうとしている。こうなると、補足のレベルではなく、はっきりと批判にならざるを得ないというジレンマにたどり着いている。しかし、このことを能く為し得るには嗚呼脳力が足りない。それを承知で挑もうとするれんだいこの未来に幸いあれかし。 マルクス主義について思う事は次の感慨である。囲碁の用語に「定石は習って忘れろ」という言葉がある。れんだいこは、この意味でマルクス主義を咀嚼しようと思っている。ならば、原典に当るに限る。ところが、この原典開示が非常に抑制されている。その癖、日共辺りは、あのくだらない綱領、規約、方針に馴染まない者を見つけるや反共呼ばわりで得々としている。 全くナンセンスの極みであるが、マルクス主義の原典に近づかせないよう姑息な策動にうつつを抜かしている現下日共党中央こそ反共主義者の巣窟であるように思われる。この珍現象に激怒する者はれんだいこ一人であろうか。 だがしかし、この了解が共通認識されているかというと心もとない。その様は、己のええ加減さを隠すいちじくの葉として日共党中央を矢面に立たせて安堵しているかのように見える。申し訳ないが、マルクス主義をそういう処世法で利用するのは馬鹿げている。もっと正々堂々とこれに正面から取り組み、一人一人の気づきで差異を生み出すべきだ。ご利益信心の向きの方に良いことを教えてあげよう。論旨展開の精密さを習うとすればマルクス主義には効能が多すぎる。ためらわずに学ぶべきだ。 さて、マルクス主義を喧喧諤諤するのはそれからのことだ。この理論を学び、対話し、思案を深めよう。そして。どこかに捩(ねじ)れがあるとすればその地点まで立ち戻ろう。よしんばそれがマルクスの地平にまで至ろうとも。マルクスもまたそれを望んでいるはずだ。うん良いことを云ったと思う。 2003.8.25日再編集 れんだいこ拝 |
【目次】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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【マルクス主義評価その1、マルクス主義の白眉性について】 |
マルクス主義の秀逸性についてこれまで云い古されてきているが、その評するスケールが小さくしっくりしない。そこで、れんだいこなりの評価をしてみる。これを個々の理論において評するのはキリがなくなるので総論において述べる。 そうなると見えてくるのは要するに次の事である。史上の聖人は洋の東西にわたり輩出し、いずれも「人類の救済」というテーマに付き独特の見解を披瀝し、その見解の質に応じて同調者を生み出してきた。この意味では、マルクスもその同じ土俵に上がって思索しており、その上達者であると云えよう。 マルクスのどこが上達者であるのかというと、マルクス以前の聖人はいずれも、世界観と修身論の二元話法でこれを説き、これを如何に良く為すかにおける類稀なる聖者であったが、マルクスの偉大さは、聖人ぶること一切無く聖人たちのレベル以上のものを語り実践したことにある。ここにマルクス主義の真価がある。 聖人たちのレベル以上のものとは、世界観と修身論の二元話法の限界を越えて「社会」という別途の質があることを発見し、その動態分析に踏み込み、人間が如何にその法則に規定されているのか、もし自由を得んと欲すれば如何なる社会創造に向かうべきかまでを青写真化させたことにある。社会の動態分析は近代西洋思想の成果である。マルクスは、そうした観点の集成者としてまさに思想の大変革を為した点で不朽の功績を残している。こうして、いわゆるマルクス主義の創始者となった。 マルクスのこの功績は、21世紀初頭の今日色褪せていない。というかむしろますます重要性を帯びつつあるように思われる。何ゆえかというと、世界観と修身論の二元話法からは捉えられない社会という質が大いに威勢を持ちつつあるからである。社会は長い歴史の行程を経由して資本主義を生み出した。その資本主義がますます成長し爛熟しつつあり、レーニン規定に拠れば帝国主義の時代に突入しており、それに応じて人民大衆に対する生活規制が強化されつつあり、いわば首尾よく革命主体さえ形成されればいつでも革命前夜を迎えている。 生産力の巨大な発展が遂げられつつあるにも拘わらず、その果実の分配において天文学的な不平等をもたらしつつあり、早晩革命を遂行せずんばこの流れが止まらない局面に入っている。なお、飽くことなき資本主義的資本蓄積体制が今や地球資源を食い潰し、その循環サイクルを破壊しつつある。なお且つ世界に戦争を持ち込み、絶えず紛争を発生させつつある。現代の科学技術がこれに強権的に奉仕させられ、本来それらが持つ可能性をいびつなものにしている。 この時代にあっては、過去の聖者達の「人類の救済思想」だけではとても有効なものにはならない。社会という別途の質を科学するマルクス主義の「人類の救済思想」を今一度呼び起こし、文明の再編をし直さなければ、人類の危機が止まらない。それは、過去の聖者達の「人類の救済思想」を軽視せよというのではない。それらをも学び、且つその限界を見て取り、その限界を突破する新たな叡智思想としてマルクス主義の価値を認め、これからも学ばねばならない、と云いたい訳である。 2003.8.25日再編集、2005.10.30日再編集 れんだいこ拝 |
【マルクス主義評価その2、マルクス主義の値打ちについて】 |
ところで、マルクス主義の値打ちはどこにあるのか。この点を一風変った別の視点から明確にさせておきたい。これを述べれば次のように云える。 俗に、「ろうそく例え話」というのがある。ろうそくが知識であり、そこからしたたり落ちるのが知恵だと云う諭しである。これは知っておいて損の無い話であるが、やや平明過ぎる。マルクス主義者は、そこから更に次のように話を進める。したたり落ちた知恵を更に練り上げる方法が要るのではないのか。本当に知恵化するには、何らかの認識法、その作法、史観というのが無ければ知恵が生きないのではないのか。こう問うのがマルクス主義者の基本スタンスである。 しかし気をつけなければならない。特定の認識法、その作法、史観が意固地なものであると却って害になる。我々がマルクス主義以前のそれらに見出すものはそういう類の認識法、その作法、史観である。そういう訳で、認識法、その作法、史観こそ磨き上げられねばならないことになる。そういう情熱から生み出されたのがマルクス主義であると考える。 しかし、皮肉なものである。左様なマルクス主義もやがて硬直化され公式主義化され図式化され始める。こうなるとそもマルクス主義の精神に反しているのに、変調マルクス主義がマルクス主義の冠をもって通用していくことになる。この点、マルクス主義者の歴史には不幸な史実が積み重なっている。このことは踏まえておかねばならないだろう。 ところで、もしマルクス主義が無かりせばということを考えてみよう。我々は相も変らず古典的な1・血統史観、2・気質論、3・修身論、4・血族閥族論、5・平天下済世論、6・帝王学等々を学び実践する域から抜け出せなかっただろう。西欧ではユダヤ教学、キリスト教学が、東洋では儒教、道教的なものがこれを補完しているが、それでもなお足りないだろう。これらは素養として知っておくべきであり、有益な知恵が伝授されることもままあるのは事実であるが。 しかしながら、それらの学問には致命的な欠陥がある。まず、認識法、その作法においてマルクス主義ほどには研ぎ澄まされていないという恨みがある。やはりマルクス主義の伝授するように唯物論的世界観、弁証法的認識論、それらに基づく作法というのが要るのではなかろうか。対照的な観念論的世界観、形而上学的な認識論、それらに基づく作法というのは「人が頭で立っているような倒錯」の渦中にあるのでは無かろうか。そういう倒錯論から生み出される史観はやはり倒錯せざるを得ないのではなかろうか。 マルクス主義の英明なところは、学問の基礎をあるがままの客体を客観化するところに措いていることにある。であるが故に、本来は実践に使えることになる。そこから生まれた史的唯物論により、人類の歩みが総括できるようになり、今後どのように歩みを進めていくのかの指針まで生み出すことになる。これにどこまで成功しているかは別として、ここまで論及できる学問はそうざらにはない。というか、仮にあったとしても粗雑なものばかりであろう。マルクス主義の値打ちは、本来学問が備えておくべきこれを学べば役立つという有効性に正面から取り組んでいることに有る。これが本来のマルクス主義にならねばならない。 だがしかし、実際にはそうならなかったという史実が刻まれている。というか、とんでもの史実ばかりを聞かされたり目にして来た。この事態に直面して、マルクス主義は古いと云う者も生まれている。あるいは間違っているという者も有る。あるいは改変せねばならぬという者も有る。今日はやりの創造的適用論者という者も有る。いずれにしても、マルクス主義が獲得した水準、その地平からの後退ないし脱落は許されないのだが、この観点抜きにあれこれ批判が先走っている気がしてならない。 今我々が本当にせねばならぬことは、マルクス主義の認識法、その作法、史観の止揚であり、この姿勢抜きにあれこれ云っても詰まらないだけなのではなかろうか。だとするなら、止揚されるべき当の対象のマルクス主義の水準、地平を明らかにし、その認識法、その作法、その史観を再精査することでは無かろうか。それほど値打ちが有るのがマルクス主義であるという認識を持ちたい。だがしかし、これを為そうとしたとき立ちはだかるのが、あまりにもお粗末なマルクス主義研究の実際である。 なるほど学者的に精緻に論及されたものが有るには有るのだろう。しかし、血となり肉となり滋養となるような研究であるのかどうかとなると疑問があると云うべきだろう。なぜなら、もしそのように研究が為されているのなら、それが実践され、多少は世界史を変えている筈だろうから。マルクス主義の学問というのは、そういう類のものであるから。 現実が少しも左派的になっていない以上、否むしろますます保守化傾向を強めている局面にある以上、マルクス主義研究者の水準が高いとは認めがたい。という風な問題意識から、やや尻切れトンボ的であるが、れんだいこ流のマルクス主義再考に挑む辞とする。 2003.1.21日 れんだいこ拝 |
【マルクス主義評価その3、マルクス主義とネオ・シオニズム」との相関について】 |
マルクス主義を学ぶべきもう一つのテーマがある。それは、現代世界を席巻しつつある「シオン長老の議定書」派的ネオ・シオニズム思想(これを仮に「ネオ・シオニズム」と命名する)とどう相関したかという見極めである。或る論者は、マルクス主義はネオ・シオニズムの別働隊だと云う。れんだいこは、そういう面が大いにあると思い始めている。 しかし、何事も相似と差異を嗅ぎ取らねばならない。確かにマルクス主義とネオ・シオニズムは同じような論理構造をしている。但し、マルクス主義は幾分かネオ・シオニズム的枠組みから抜け出そうとしている面があり、ここの部分が功績なのではなかろうか。面と向ってはネオ・シオニズムの非を警鐘乱打しなかったけれども、ネオ・シオニズムを対自化させ、その典型的な「悪の論理」を見据え、「ネオ・シオニスト」どもを選良とする他の人類の家畜的序列化思想」と闘いきる思想及び実践を生み出す萌芽的なものを用意しつつあったのではなかろうか。故に、マルクス主義はネオ・シオニズムの有力な対抗思想になり得る面もあつたのではなかろうかとも思う。その為に社会を科学する緻密さにおいて今のところはマルクス主義以外に見当たらない。マルクス主義の歴史的意義はここに認められると思っている。 しかし、歴史は、マルクスのこの萌芽的功績を受け継がなかった。後続マルキストは、マルクスの一群の著作をもって完結真理本だとみなし金科玉条化させてきた。それも、マルクスの言説において理解するのではなく、自分たちの矮小な能力に合わせて変造し改竄してきた。いわゆるマルキストの反マルクス主義性がここに萌芽している。そういう変調マルキストが結成した党派の組織、国家の反マルクス主義性には目に余るものがあり、マルクスが生前これを目の当たりにしたらきっと卒倒するであろう運動を生み出してきた。 マルクス主義の卑属化は危険である。これについてコメントしておく。マルクス主義はそもそもネオ・シオニズムと同時代的に併行しながら、それの別働隊でありながらそれをも凌ぐ思想として形成されてきた。しかしながら、後続マルクス派はこの高みを理解せず、専らネオ・シオニズムによる国際主義運動に利用される形で在地国家打倒の反体制運動を展開してきた。その責任はマルクスにも一半の責任があるように思われるが、マルクスなら気づき次第に改めたところであろう。ここは見解が分かれるところであるが、れんだいこはそう思う。 後続マルクス派は改めるどころか、意図的にネオ・シオニズムに操作されてきた。現代世界の各国共産党の主流派はなべてこの傾向に陥っている。ここに現代マルクス主義の混迷の真因があるように思われる。これを思えば、ネオ・シオニズムによる国際主義運動に抗する形でのマルクス主義の萌芽的原像及びその秀逸性を今一度再確認する作業が待ち望まれているということになろう。その上で、現代マルクス主義をどう創造していくのかが問われていることになりはすまいか。 纏めとして云いたいことは、「『文明論的な人類の救済思想』というスケールにおいて『叡智的現代マルクス主義』を創造せよ」である。この大前提から離れたちまちました遣り取りは学者の専売にさせ、我々は時代の開拓者精神、革命精神で武装しつつ邁進せねばならない、ということである。 先行社会主義国家の失政の原因を検証し、その限界から出藍する現代版マルクス主義を創造せねばならない。マルクス主義は時代のカンテラであり、その価値は今も失っていないばかりか、ますます意味を持ちつつあるという認識が欲しい。もし、マルクス主義にその能力が無いのなら、新しいイズムを出藍せねばなるまい。れんだいこはそう思う。 2003.8.25日再編集、2007.4.8日再編集 れんだいこ拝 |
【マルクス主義批判その1、その机上学性について】 |
最初に。マルクス主義の中味に立ち入る以前の問題として、マルクス主義が思想の社会的実践性を重視する割には象牙の塔内(書斎)から生み出されてきた青二才的理論体系であるというパラドックスが踏まえられねばならない、と思う。あまり指摘されていないが、れんだいこが思うのに、卑俗に云ってもしマルクスが大学卒業後適宜などこか民間企業に就職し一定期間俗世間との交流を経た後に一連の著作活動に入ったとしたなら、恐らく内容の変化がもたらされる箇所もあるのではなかろうか、と思案する。 分かりやすく言えば、マルクスをもう少し下世話な俗世間に揉ませたかった。そうすればマルクスは、俗世間秩序の奥深くに流れている摂理を見出し、そこから蓮華の思想を汲み出して行ったであろう、そうして欲しかったという思いが禁じえない。 事実は、ライン新聞等へのジャーナル寄稿で生計を経ていた時期はあるものの、「青年マルクス」の感性がそのまま純粋培養されつつの生涯の軌跡であったのではなかろうか。このことがマルクス主義の功罪を相半ばさせているとは言えないだろうか。歴史におけるイフ(if)であるが、惜しまれることであるように思われる。この指摘はれんだいこ史観の白眉なところである。 2003.8.25日再編集、2005.6.12日再編集 れんだいこ拝 |
【マルクス主義批判その2、そのルネサンス精神の欠如について】 |
次に、これもマルクス主義の中味に立ち入る以前の問題になるのだが、れんだいこはマルクスの一連の研究の中にルネサンスへの言及を知らない。マルクス主義が人類の叡智を結集し、有為な何かを紡ぎだしたとするなら、ルネサンスへの言及が無いのはおかしな現象ではなかろうか。マルクス主義の三つの源泉として、「1・イギリスの経済学、政治思想。2・フランスの政治思想、啓蒙哲学。3・ドイツの近代哲学」を挙げるとき、これらのどれもが中世末から近代への橋渡しの黎明期を準備したイタリア発ルネサンスの影響無しには語れない。 だがしかし、マルクス・エンゲルスは不思議なほどにルネサンスを語っていない。レーニン然りである。これはマルクス主義の致命的な知的欠損部分ではなかろうかという思いを深くする。三つの源泉から汲みだしたという割にはそれらを否定し出藍せんとするあまりに安易にブルジョアイデオロギーという冠詞を被せ過ぎたのではなかろうか。この課題も未考察な気がしてならない。 もっとも、マルクスは、長女ジェニーの「あなたの好きな詩人は」という質問に、「シェイクスピア、アイスキュロス、ゲーテ」と答えており、そのゲーテがイタリアルネサンスを憧憬していた人物である事を思えば、間接的にしろマルクスにもルネサンス精神も見て取る事ができよう。従って、マルクス精神におけるルネサンスの称揚は前提として当たり前すぎて、それ故に触れる事少なかったのかも知れない。それは、ユダヤ・キリスト教的道徳律と同じで、自ずから備わった精神のバックボーン故に対自化することが不要であったのかも知れない。れんだいこは、そのようにも受け止めている。 しかし、マルクス主義を受け継いだ後続学派は、マルクスのこの精神のバックボーンを共有していない。故に、マルクスが当然として敢えて触れなかったルネサンス精神を見過ごし、反ルネサンス的マルクス主義という本来のマルクス主義とは違う種類のマルクス主義をいわば勝手に創造し懸想したのではないか、それに対してマルクス自身をして「私はマルクス主義者では無い」と云わしめたほどの変調マルクス主義の舞台を拵えてしまったのではなかろうか。れんだいこは、そのように了解している。この指摘も又れんだいこ史観の白眉なところと云えよう。 2004.3.1日再編集 れんだいこ拝 |
【マルクス主義批判その3、「唯物弁証法」の欠陥について】 |
次に、いよいよマルクス主義の内容に立ち入るが、マルクスの思想家としての不朽の名誉に値する「唯物弁証法」について言及してみたい。「唯物弁証法」こそマルクス主義の核心を為しているが、確かに、唯物論と観念論、弁証法と形而上学という対置では唯物論と弁証法の方が正学であるように思われる。 問題は、マルクス当時は漸く細胞学の端緒期であり仕方なかった面があるものの、今日的水準においては「唯物論と観念論の論争」におけるマルクス的決着のつけ方はかなり強引であったと思えることにある。我々は、そろそろこのことに気付くべきではなかろうか。「唯物論と観念論の論争」とは、「存在と意識、物質環境と観念のどちらをより究極的な規定要因とするかの論争」であるが、今日においては生物分子学の発達で遺伝子の存在と構造が明らかにされつつあり、新しい視点が提供されつつある。 これによると遺伝子上のDNA情報は第三の規定要因であることが判明しつつある。今や、遺伝子論の登場によって、従来式の唯物論と観念論という二項対立の構図が大幅に見直される時期に至っているということになるが、この課題も未考察な気がしてならない。この指摘も又れんだいこ史観の白眉なところと云えよう。 2004.3.1日再編集 れんだいこ拝 |
【マルクス主義批判その4、「唯物弁証法」のその後の発展の貧困について】 |
マルクス主義以降顕著に発展した科学に物理学がある。宇宙物理学におけるビッグ・バーン理論然り、アインシュタインの光量子エネルギー理論、相対性理論然り、究極素粒子物質論然り、波動理論然り。前述の遺伝子論然り、他にも多々あろう。マルクス主義がその後のこれらの学問的成果を吸収し得ないなどという馬鹿げたことがあっては堪らない。然るに現実はこれらに正面から挑んだ論考を知らない。果たして、こういう態度をマルクス主義と云えるだろうか。この指摘も又れんだいこ史観の白眉なところと云えよう。 2003.9.11日 れんだいこ拝 |
【マルクス主義批判その5、「理論の体系化」の貢献と不即不離的欠陥について】 |
次に、マルクス・エンゲルスの共同による「唯物弁証法」的観点による社会の生態と動向分析は、「資本論」へ結実していく過程で無謀にも体系化され過ぎたのではなかろうか、という思いが禁じえない。実際には、「資本論」は未完に終わったが、未完で終わるには然るべき事由があったのではなかろうか。あまり読んでもないのでそう云い切ることをためらうが、マルクスが世の中(社会全般)を深く追えば追うほど手に余ったようなことがあったのではなかろうか。 いつの日か「資本論」を再読していく予定であるが、巷間伝えられている「資本論」的世界は、聖書以来の真理の聖典として受け止められており、れんだいこを始め多くの者が途中で投げ出しているにも関わらずかように認識して憚らない現象がある。マルクス主義の下部構造−上部構造論、人間疎外論、商品分析論、資本運動論、社会主義趨勢論等々珠玉のテーマがここで関連付けられ体系化させられているが、マルクスはこの労作によって一つの失敗もしたのではないのか。 何を失敗したのかというと、マルクス主義が本質的に思想でありそうであるが故に開放系のカオス構造に止めるべき所を、体系的なあまりに完結的閉鎖系の図式的公式的ロゴス構造に落とし込んでしまったのではなかろうか。しかして、この体系への執着はヘーゲル的手法そのものであり、更に云えば「初めに言葉ありき」に象徴されるユダヤ・キリスト教的聖書的世界そのものであり、更に云えばアングロ・サクソン的ゲルマン的気質のなせる技であり、マルクスといえどもそういうDNA及びお国柄の気質から免れるという例外足り得なかったのではなかろうか。 その後のマルキストの弊害として公式主義がはぴこることになったが、その要因にこのマルクスの手法そのものが関係していたのではなかろうか、という思いがしている。しかして、「唯物弁証法」は開放系の構造においてこそよりよく駆使できるのであり、発見者マルクスが反転させていることにやや疑問無しとはし得ない。否マルクス自身はこの辺りにつき用意周到に書き記しているのかも知れない。しかし、後世のマルクス主義者が俗流に認識していったのは史実である。この指摘も又れんだいこ史観の白眉なところと云えよう。 2004.3.1日再編集 れんだいこ拝 |
【マルクス主義批判その6、「歴史における階級闘争論」満展開の危険性について】 | |
次に、マルクスが抽出し仕上げた「歴史における階級闘争論」にも考察の余地があると考える。れんだいこは、これに対するスタンスは功罪相半ばと観る。功の面の称賛は尽くせないほどの価値がある。世に、幾多あまたの思想家が登場したが、社会ないし歴史を一つの生き物として別の質で捉え、これを流れる貫通変動力を経済的生産力及びその支配被支配関係の矛盾に見据え、そこに階級を見出し、階級間の抗争こそ世の争いと歴史進歩の真因であると見なし、そうした歴史の流れから趨勢的な次の歩みの青写真まで洞察したマルクスの慧眼は、史上マルクスを措いて以外誰も為しえなかった。それが証拠に、西欧はもとより日本の中国のインドに聖人・智者が数多く輩出したが、その誰もかように理論を形成することが出来なかった一理を見れば判然とするであろう。 但し、光があれば陰があるのは世の付き物だ。そうしたマルクスの「歴史における階級闘争論」は、それを強調するあまりに「歴史における相互扶助論」を後景へ追いやり過ぎはしなかったか。歴史の合理をどう観るかということになるが、人は人の寿命の中で生命充足しようとしているのであり、汎階級的に関わりあう面(というか階級的云々では捉えられない面)もかなり重要な要素ではなかろうか。 あるいは次のような言い回しのほうが適切かも知れない。「歴史における階級闘争論」も、人類史に流れている摂理を踏まえてのものであり、その摂理の自己の階級側への利用乃至は奪い合いの闘争として貫徹されているのであって、その底流に厳粛に流れている摂理的なものを無視することは出来ない。このことをそれとして見て取るべきではなかろうか。 あるいはマルクスはその際の捻じ曲げを見ていたのかも知れないが、巷間のマルクス主義は、社会事象の全てを階級概念で説明しようと「階級還元主義」に陥ることにより、却って「歴史における階級闘争論」を安直的公式主義的なものにしてきたのではなかろうか。ここの認識はまだ整理しきれていないが、かようなことが云いたい気持ちがれんだいこにはある。この指摘も又れんだいこ史観の白眉なところと云えよう。 中野徹三氏は「社会主義像の転回」の中で次のように述べている。
2004.3.1日再編集 れんだいこ拝 |
【マルクス主義批判その7、「搾取理論」の貢献と不即不離的欠陥について】 |
ここで追記しておくことがある。マルクスは、資本の自己運動としての増殖過程の中に利潤と搾取のカラクリを暴いて見せた。手段と目的とが逆転して、資本に拝跪して行かざるを得ない人間疎外現象を解析したが、この分析過程で資本と資本家とを等値し過ぎたのではなかろうか。 なるほど資本の特性はそうかも知れない。しかしながら、現実の諸関係として向き合う資本家と労働者の関係においては、搾取の面と雇用の面の二方向のベクトルが相互依存的に機能しているのではなかろうか。しかしてマルクス主義には、資本主義的経営が持つ雇用の面からの普遍的意義を抽出することに関心を払い無さ過ぎたという政治主義的な面がありはしなかったか。この指摘も又れんだいこ史観の白眉なところと云えよう。 2004.3.1日再編集 れんだいこ拝 |
【マルクス主義批判その8、「市場経済否定理論」の貢献と不即不離的欠陥について】 | |
このことは同様に、市場の自由主義的普遍性にも関心が接続していくことになる。資本主義と経済の市場主義とを等値し過ぎることによって、あまりに直接対蹠的に国有化理論を展望し、その結果後続マルクス主義者達の経済統制主義理論に道を開き過ぎはしなかったか。 国営、共同管理経営論はそれはそれで理想ではあろうが、人が人として持つ生存的な欲望のあれこれに対してあまりにもピューリタン的な精神による聖と俗との二項対立で俗の面を切り捨てようとし過ぎたのではなかろうか。但し、これは仮説である。今一度資本論の世界を探索し、マルクスが経済を如何に認識しようとしていたのか解析しようとは思う。 これにつき最近の気づきであるが、「共産主義者の宣言」を読む限り、マルクスの国有化理論は、例えば銀行、運輸、通信のような社会の中枢基幹産業における中央集権主義を政策としているが、それもその下位に民間企業の自由市場主義的活動の必要性の弁えを保持しているようである。つまり、民間的企業活動をあまねく否定し国有化するという論では無いような気がする。ということは、世情で了解されている国有化論式マルクス主義が本当のマルクス主義であるのかどうか精査されなければならないということになる。これらの指摘も又れんだいこ史観の白眉なところと云えよう。 次のような記述が為されている。
この記述が何処まで正確なのか分からないが、そういう面があったことは確かなように思われる。問題は、「政治革命による社会全体の協同社会化と、そのもとでの生産諸力の高度の発展による生産物の圧倒的な豊富化の道」の具体的手法であろうが、これを官僚統制的国有化論として了解し導入したことにより失政に帰せしめたのではなかろうか。 2004.3.1日再編集 れんだいこ拝 |
【マルクス主義批判その9、歴史法則論と主体性論の齟齬について】 |
次に、マルクス主義の致命的欠陥とでも云えるものだが、マルクスは歴史法則論を生み出すことにより、個々の人間が主体として歴史とどう関わるのかについて、多くの未考察な面を残していることが見据えられねばならないのではなかろうか。これについては多くの論者が既に試論しているようであるが、未だ成功しているようにも見受けられない。 個々の人間の主体としての歴史参加は、各々の寿命の中で意味を持っているのであって、そのサイクルの中で具体的には家庭、地域、組織、前衛党と関わっていくことになる。雄大な歴史サイクルの流れの中に歴史法則論を見出したとしても、個人の短いライフサイクルにあってはさほど意味を持たない。 そこに何らかの禁欲を強いるなら、その際の有効な処世論の提示無しには蟷螂の斧でしかないのではなかろうか。かってのマルクス主義党に普遍的に存在し今日の日本左翼に牢として維持されている、「幹部集中制」の偽名でしかない「民主集中制」一つのより合理的な規約造りへの改編が為しえない状況では、「マルクス『風』歴史法則論」は害の方が多いと見なすべきではなかろうか。 「マルクス『風』歴史法則論」の検討も要する時代に入ったことは確かであろう。この場合、マルクスは実際にはどのように来る社会を構想していたのか、その趨勢と不可避性と必然性との精密な調査をそろそろしてみるべきではなかろうか。先行社会主義実験国家ソ連邦の崩壊は、その変質と崩壊過程を今一度検証し総括せずんばマルクス学徒足り得ないことは自明である。 残念ながら、世界の労働党、社会主義政党、共産党がこの喫急の課題に取り組んでいるとは風聞さえ無いのが現状のように思われる。それだけ、既にマルクス主義の有効性への信頼が失われているのかも知れない。この指摘も又れんだいこ史観の白眉なところと云えよう。 2004.3.1日再編集 れんだいこ拝 |
【マルクス主義批判その10、主体性論と生命哲学の不言及について】 |
さて、最後に。マルクス主義の未考察面について論及しておきたい。マルクスの労作エネルギーは専ら哲学、歴史、社会分析、社会主義運動の指導、指針作りに向かった。それは超人的であったが故にこれ以上マルクスに他の分野の考究をもねだるのは酷かも知れない。だがしかし、肝心の眼目を欠いている恨みがある。それは、歴史に関わる主体性の在り方の問題とも通底しているが、個々人の生命哲学、人生哲学とでも云える分野に対して未考察過ぎるのではなかろか。れんだいこはこの方面でのマルクス・エンゲルスの言及を知らない。それは、マルクスが語らなかったのか語り得なかったのか微妙なところであるように思える。 生命哲学、人生哲学とは何か。それは、個体としての各人の生の誕生から死亡に至るまでの健康と寿命に対する営為、生命活動の旺盛な時期に発生する性衝動と結婚、子孫づくり、幸福観、運命観、処世観等々に対する思想的営為のことである。れんだいこが思うに、マルクスは、階級概念を構築することにより、これらの考察への興味を失ったのではなかろうか。 あるいは思う。階級概念を核とした歴史観、社会観という人類未踏の思想確立を際立たせる為にも、かの時期においては捨象せざるを得なかったのではなかろうか。とすれば、その間隙を埋めるという残された仕事に向かうのは、後世の我々の責務ではなかろうか。 嗚呼しかし、そのようにマルクス主義を受け止め喧喧諤諤し、そういう作風でマルクス主義の継承を図る者が少なすぎた。誰しもはっきりしつつあるのに作風を変えようとしない多くのマルキストは、今や、マルクス主義を標榜しつつ当のマルクスが闘った頑迷な伝統墨守的体制派の側に移行しているやに見受けられる。 奇妙なことだが、公認マルキストの側にマルクス主義者がいない。そこには自衛閉塞的なマルキストが自己耽美する世界があるばかりではなかろうか。このジレンマに立ち向かうもう一つのナルシズムこそれんだいこ史観かも知れない。この指摘も又れんだいこ史観の白眉なところと云えよう。 2004.3.1日再編集 れんだいこ拝 |
【マルクス主義批判その11】
いわゆるマルキストの陥穽としての宗教的真理理論化について |
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史上マルクス主義がマルキストによりどのように受け止められていたのか、格好の文章が見つかったので参考に記す。著者はしまねきよし氏で、「日本共産党論序説-その一」(1946・9の「情況」9月号「日本共産党批判」の中で、自身の思想的位相を次のように描き出している。
そのようなマルクス主義に対する盲信態度が、日本共産党という党に対する態度においてもそのままつながっていた。次のように述べている。
日本共産党の自己肯定論理についても次のように述べている。
れんだいこには、まことによく整理された名文であるように思われる。さて、この論の主意とどう議論すべきだろうか。 2005.6.12日再編集 れんだいこ拝 |
【マルクス主義批判その12】
いわゆるマルキストの陥穽としてのエリート的統制主義の立ち現れについて |
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しまねきよし氏は、1946・9月号「情況」の「日本共産党論序説-その一」の「日本共産党批判」の中で、松沢弘陽氏の「日本社会主義の思想」の一文を紹介している。この内容もなかなか的確なものであると思われるので以下書き付けておくことにする。 松沢氏は、日本共産党の伝統的特徴を次のように指摘している。
この観点を受けて、しまねきよし氏は、次のように分かりやすく批評している。
松沢氏は他方で、「全く奇妙なことに、それと裏腹に、マルクス主義は比較的に大衆性を持っていた」として次のように述べている。
問題は、このようなエリート的マルクス主義学が俗流マルクス主義化した地平で考究且つ実践されていったことであろう。この場合、エリート学性の是非論と俗流マルクス主義批判の二観点から検証しなおされねばならないだろう。 2005.6.12日再編集 れんだいこ拝 |
【マルクス主義批判その13】
いわゆるマルキストの陥穽としての「階級出自決定論」について |
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いわゆるマルクス主義は、その運動の担い手の階級的出自を盲目的に絶対化する観点を産み出した。これには一定の根拠があるが、労農階級出自であれば真性のマルクス主義者になれるなどというような単純にものではない。しかるに、マルキスト間にそういう風潮が醸成される事になり、エリート階層出自を隠そうとする奇態を生むことになった。 そうした公認マルクス主義を嘲笑する次のような名漫才がある。どこで誰から仕入れたのか分からなくなったが、以下記す。
公認マルクス主義は様々に揶揄されている。その名文句としては「マルクスはマルクス神社の神主」という命名であろう。次のようにも弄ばれている。
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【マルクス主義批判その14、「ユダヤ人問題」からの意図的逃避について】 |
2005.4.26日、「マルクスのいわゆる『ユダヤ人問題」からの意図的逃避」を書き加える。マルクスは、「ユダや人問題について」なる論考を著している。しかし、その文章はかなり込み入っており適訳も無い。そういう事情によりマルクスの「ユダや人問題について」に対する検討が為されていない。 れんだいこは、英文訳を通して全く不十分ではあるがマルクスの論点を踏まえたつもりでいる。その結果云える事は、マルクスが執拗に批判したバウワーの観点こそよほど真っ当なユダや人問題論であり、マルクスの云う如き社会変革によって自ずと解決される論の方がイカガワシイのではないかという気がする。 マルクスのこの態度はどこから生まれ、何故その後のマルクスは自身の視野から「ユダや人問題について」を排除したのか。これは一種の闇である。歴史はあれから百年、今日「ユダや人問題について」が誰の眼からも見過ごせない歴史問題になりつつある。然るに、マルクスの消した「ユダや人問題について」が後続マルクス主義者をも規制し、見事に論及能力零に導いている。 これはマルクス主義の陥穽ではなかろうか。れんだいこはそういう気がしている。 2005.4.26日 れんだいこ拝 |
【マルクス主義批判その15、革命に至る戦略戦術論の不明確性について】 | |
木村愛二氏の論考「カール・マルクスとその亜流の暴力革命思想への徹底批判(その1)」は次のように述べている。
多少後付け批判の気味があるが、指摘はその通りである。 2005.4.26日 れんだいこ拝 |
【マルクス主義批判その16、資本主義体制論のすり替え性について】 |
れんだいこは、マルクス主義的いわゆる資本主義及びその体制論について疑問を覚えるようになった。マルクス主義的理解によると、人類史の歩みは、古々代共同体社会、古代王権貴族社会、中世封建社会、近代資本制社会、未来社会主義社会、未々来共産主義社会と展望しているが、そのそれ゛ぞれのコメントする訳には行かないので、ここでは近代資本制社会の必然的到来性について愚考することにする。 れんだいこは、近代資本制社会は果して必然的に到来したように思わなくなった。いわゆる中世から近世への橋渡し時のルネサンス、近代的諸産業及び工業の勃興は、必然的に近代資本制社会に向ったのではなく、近代資本制社会に向かわせられたのではなかろうか、と思うようになった。なぜなら、ルネサンス、近代的諸産業及び工業の勃興は、旧体制に孕まれ、そのくびきを断ち切って新社会を創造したのは必然だったにせよ、新社会が近代資本制社会とは又別の例えば日本の幕末維新期の新体制最初期の如く、一概に近代資本制社会とは云えない新社会を創造することは可能だったからである。 結局は、欧米式の近代資本制社会へと向うことになったが、それはかなり意図的且つ強引に誘導されての成り行きでそうなったのではなかろうか。日本帝国主義化も然りで、歴史的必然で必ずしもそうなるというようなものではなく、或る主体による働きかけによって誘導され日本帝国主義化を余儀なくされたのではなかったか。 れんだいこ史観に拠ると、戦後日本は在地型のプレ社会主義として始発したが、戦後日本のその後の歩みは在地型のプレ社会主義を強める方向で自己発展しつつあったのを、強引に現代資本主義の枠内へと向わせられたのではなかったか。これを歴史的必然と看做すのは、或る主体による働きかけによって誘導されている事実を隠蔽することに資するのではなかろうか。れんだいこはそう思うようになった。 ルネサンス、近代的諸産業及び工業の勃興から現代的諸産業及び工業の発展は、その富をよほど下手な政治をしない限り人類の豊かさに還元されるはずのものであろう。ところが、実際には、その富が一部の特権階級の手に集中し、庶民大衆は相も変わらず常に辛吟を余儀なくされている。これは意図的な政治を通じてしかできない現象ではなかろうか。れんだいこはそう思うようになった。 ならば、経済発展の還元を歪め、政治を歪めている主体を探索し、彼らの動きをセーブして見ればよい。そして、現代的な社会秩序を模索してみれば良い。恐らく人類は世界各地に在地型のプレ社会主義を生成せしめるだけの生産力、産業力を獲得しているはずである。客観的物質的諸条件が揃っているのであるから、それをさせない諸要因と諸勢力を掣肘すれば良いだけのことではなかろうか。 論をこのように立てねばならないところを、公式的な歴史法則論はむしろこの見立てを封殺することに役立っている。とならば、公式的な歴史法則論を盲信するところから抜け出すことこそ現代左派運動の責務であるということになろう。思いつくままに。 2006.6.24日 れんだいこ拝 |
【マルクス主義批判その17、階級闘争論のすり替え性について】 |
れんだいこは遂に、マルクスの階級闘争論に疑義を覚えるようになった。最大の箇所は、封建制から資本制への移行の必然性である。階級社会の発生から王権制への移行、王権制から封建制は良い。いずれも支配者の頭数の変更問題として考えられるからである。官僚制へいたる社会的合理性の歩みが確認できるからである。しかしながら、封建制から資本制への移行となると、それまでの移行と性質が違いすぎていないだろうか。支配者の頭数問題が資本の増殖問題へと収斂帰着されていることになるが、本当に史的必然性合理性が認められるのだろうか。れんだいこは違うと思うようになった。その理由を以下記す。 我々が従来マルクス主義教本に於いて資本制と看做しているものは実は資本制ではなくて、端的に云えばロスチャイルド制とでも云えるものなのではなかろうか。ロスチャイルド制の意味が分からなければ、ロスチャイルドの履歴を学べばよい。れんだいこは、「ロスチャイルド考」で考究している。それによると、我々が従来資本制と呼んでいたものは、なべてロスチャイルド制と受け止めたほうが的確なのではなかろうか。ロスチャイルド制には果して史的必然性合理性が認められるのだろうか。社会の発展方向が、ロスチャイルド制により大きく捻じ曲げられており、してみればロスチャイルド制とは人為性のものなのではなかろうか。そう気づくようになった。 ルネサンスから近代性資本主義的発展までは、史的必然性合理性であろう。しかし、その先、近代性資本主義的発展は本当に世界の植民地化、戦争、不断の軍事競争を史的必然性合理性にしていたのであろうか。科学及び技術の発展は、それまでの社会構造ないしは秩序ないしは体制をも変える力を持つものである。しかし、その立ち現われは、各国それぞれ固有の歴史的伝統、発展段階に規定されつつ自律的に変革されていく筈ではなかったか。丁度日本の幕末維新、明治新政の如くに。 そして、各国は、互いを尊重しつついわば健全な商取引、交流で相互作用し合えたのではなかろうか。そうやって東西交易はつつがなく経緯してきていたではないか。逸早く資本制に移行した西欧列強はなしてあれほど戦禍にまみれねばならなかったのか。これらは全て仕組まれ、誘導され、今日ある如くに秩序立てられたのではないのか。それは極めて人為的な流れではないのか。そう思うようになった。 マルクス主義的階級闘争論は、封建制から資本制への移行を歴史的必然としたことにより、実際には人為的ロスチャイルド制であるのに、その流れを目くらましする効果を伴っているのではなかろうか。 してみれば、歴史に於けるマルクス主義的階級闘争理論、歴史理論もそろそろ対自化せねばならないのではなかろうか。我々は、安逸に階級闘争論を掲げるべきではない。もっと精緻に歴史を検証し、史的必然性と合理性と人為性を精査し直さねばならないのではなかろうか。 このことに気づいた直接の理由は、ブッシュ派のこのところのアフガンーイラク戦争で、彼らが使用した多種多様な軍事兵器のおぞましさ、凄惨さを見て、彼らがかような暴虐的兵器を日常的に研究開発、準備していることの異常性にれんだいこのアンテナが作動したことによる。 元々科学及び技術の発展そのものには階級性は無い。それをどう開発、活用、利用するのかに階級性が現われる。しかし、現代に於いては階級性だけでは言葉が足りない。ロスチャイルド制というのを付け加えなければならない。ロスチャイルド制ではピンと来ないのであれば、ネオ・シオニズム性と云い代えても良い。こう認識しないと歴史の実相が見えてこない。 そういう訳で、れんだいこは、マルクス主義的階級闘争論、歴史発展論を一歩引いて眺めることにした。これについては今後更に検証する。 2006.10.28日 れんだいこ拝 |
【マルクス主義に対する様々な寸評について】 | ||||||||||||||||||
マルクス主義は諸氏からいろんな風に云われてきている。好評価の側からの言として、サルトルの「克服不可能な思想体系」、E・H・カーの「独。英、仏の哲学、経済学、政治学の統合である」という観点がある。悪評価の側からの言として、公明党の「憎悪の哲学」、久保田政男の「呪詛の哲学」という観点がある。してみれば、毀誉褒貶甚だしいものがあると云える。 トロツキスト系活動家として知られるコルネリュウス・カストリアディスとクロード・ルフォールの言も参考になる。雑誌「社会主義か野蛮か」を発行(1949−1965)し、その中で次のように指摘されている。
いかように云われようとも、「ルネッサンスからフランス百科全書派までの200年間の特徴」を半ば後継し、半ば自ら破っているように思われる。何を後継したかは次の通り。
2005.6.12日再編集 れんだいこ拝 |
【マルクス主義的予見の齟齬その1】
資本主義的生命力又は延命力の見通しの甘さについて】 |
マルクスは、近代資本主義体制の生命力、延命力についての判断が大きく間違っていた。同じことは、レーニンを含めた後続世代のマルクス主義者、革命家についてもあてはまる。 2005.6.12日再編集 れんだいこ拝 |
【マルクス主義的予見の齟齬その2】
資本主義体制よりも抑圧的な社会体制を導入した結果責任について |
ソ連邦、東欧諸国、その他社会主義圏の政治支配体制が、「プロレタリア民主主義」なる標語だけで、その内実はまったく逆に「ブルジョア民主主義」以下の、人民大衆の基本的人権は保障されず、政治的参加も形式主義に堕し、異端に対する政治的弾圧も凄まじいという、凡そ期待はずれに終始している。前衛党の組織原理も然りで、「民主集中制」とは名ばかりの「一握りの党幹部権力集中制」に堕しており、総じて統制社会を産み出してしまった。それは、近代を経由して生まれた「ブルジョア民主主義」よりも歴史発展的に後退した中世の王権権力への復古主義的様相を見せている。 |
【マルクス主義的予見の齟齬その3、民族主義と国際主義の不整合について】 |
ロシア10月革命後、レーニン率いるボリシェヴィキは国際共産主義運動組織として第三インターナショナル(コミンテルン)を結成し、各国の革命闘争を国際主義的に担う統一指令組織を構築した。しかしながら、レーニン死後いわゆるスターリン権力の登場による捻じ曲げも理由ではあろうが、民族自決権の社会主義的解決が為された試しが無く、各国の共産党の「自由、自主、自律」的な運動を通じての国際主義が生まれたことも無い。ひたすらコミンテルン拝跪型の統制運動を生み出してしまった。 |
【マルクス主義的予見の齟齬その4、中産階級の出現について】 |
第二次世界大戦後、いわゆる先進国において中産階級なる富裕な労働者階層が生み出された。それは、体制矛盾を少しも解決しないが、資本主義体制下での生産力の発展がもたらした「富の分配」であり「準公平的合理的分配」の成果であったと考えられる。中産階級の生態は、いわゆるマルクス主義の窮乏化理論と齟齬している。これを教条的に批判したところで、中産階級の存在が無くなる訳ではない。帝国主義的おこぼれにせよ、新たな解析が為されねばならないことは自明であろう。 この現象は、マルクス主義の社会主義・共産主義論の検証を要請しており、「マルクス主義的階級闘争論」の内実をより精緻に再吟味せねばならないということを要請しているように思える。 2005.6.12日再編集 れんだいこ拝 |
【マルクス主義的予見の齟齬その5、企業における所有と経営の広範な分離について】 |
資本主義の発展は、資本主義的企業活動における所有者と経営者、株主の分離現象も出来させてきている。これも精査されねばならないであろう。 この現象は、マルクス主義の社会主義・共産主義論の検証を要請しており、「マルクス主義的経済学論」の内実をより精緻に再吟味せねばならないということを要請しているように思える。 2005.6.12日再編集 れんだいこ拝 |
【マルクス主義的予見の齟齬その6、「原始共同体」仮説の崩壊について】 |
マルクスの論説に歴史学的な色合いを加えたエンゲルスは、名著「家族、私有財産及び国家の起源」で、成員は平等だったとする「原始共同体社会」の存在を仮説した。しかし、その後の考古学的研究は、「原始社会」における階級差別の厳然とした存在の方を証明しつつある。 この現象は、マルクス主義の社会主義・共産主義論の検証を要請しており、「マルクス主義的原始共同体社会論」の内実をより精緻に再吟味せねばならないということを要請しているように思える。 2005.6.12日再編集 れんだいこ拝 |
【何の為にマルクス主義を見直すのかその1、サヨの跋扈について】 | |
れんだいこは新たに「何の為にマルクス主義を見直すのか」を取り上げることにする。その理由は、いわゆるサヨの跋扈により、その悪影響によるマルクス主義離れが進行し過ぎているからである。マルクス主義そのものの再検証という必要があるところへ、サヨの跋扈が重なることにより、ますますマルクス主義が曖昧模糊にされている気配が認められる。そこで、「サヨの跋扈について」の項を作り、サヨ批判しておく。 まず、サヨの定義をしておく。次のように云えるのではなかろうか。
2006.4.20日 れんだいこ拝 |
宮地氏の不破哲三の宮本顕治批判
(私論.私見)