32512−6 社会分析論その七、歴史における偶然と必然

 エンゲルスは、「W・ボルギウスへの手紙」の中で次のように述べている。「人間は自分の歴史を自分でつくるが、しかしこれまでのところ、一つの全体的計画に従って全体の意志でもってつくるのではなく、明確に輪郭づけられた所与の一社会の中でつくるのでさえもない。人間の努力はぶつかりあっており、そしてそうした全ての社会においては、まさにそのために、偶然性がその補足と現象形態を為すところの必然性が支配する。ここで一切の偶然性を通じて自己を貫徹する必然性は、これまた結局は経済的必然性です」

 「次に、いわゆる偉人が問題になってきます。こういう偉人、しかも他ならぬこの偉人が、この特定の時代に、この所与の国に出現するということは、勿論全くの偶然です。しかし、我々が彼を抹殺してしまっても、代わりの者に対する需要が存在し、この代わりの者は見つけられます。良かれ悪しかれ、だが長い間には見つけられます。ナポレオン、他ならぬこのコルシカ人が、自己の戦争によって疲弊したフランス共和国が必要とした軍事独裁者であったということは、偶然でした。しかし、ナポレオンのような人物がいなかったなら、もう一人のそのような人物がその地位を埋めたであろうということは、人物が必要とされたときには、その都度それが見つけられることによって、証明されています。すなわち、カエサル、アウグストゥス、クロムウェルなどです」


 1894.1.25日付のハインツ・シュタルゲンブルグへの手紙の中では次のように述べている。「すべてにおいて必然性が支配する。この必然性の補足であり、現象形態であるのが偶然性である。ここでいっさいの偶然性を貫いて自己を貫徹する必然性は、究極においては経済的、社会的運動法則である。ナポレオン、ほかならぬコルシカ人が、自国の戦争で疲弊したフランス共和国が必要とした軍事独裁官であったということは偶然であったが、ナポレオンがいなかったとしたら、別のナポレオン式の人物がその地位をみたしたにちがいないことは、こうゆうふうな人物が必要となりしだい、いつでも見いだされたということによって証明される」と。

 エンゲルスは、「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」第三版への序文で次のように述べている。「青天のへきれきのような政治界全体の不意を打った事件、あるものは道徳的な憤激の声たかい叫びをあげて断罪し、またあるものはみなあ然として見ているばかりで、誰一人理解するものがなかった事件を、マルクスは、短い寸鉄人を刺すような叙述を発表し、事件は歴史が生み出した必然の結果でしかないことをあきらかにした」。


 「日本人民戦線」「科学思想の核心をつかめ」
の中では次のように云われている。「つまり、歴史の法則は必然である。だがその過程と各段階に出現する事物は偶然性のつみ重ねである。必然は科学的法則であり偶然は形態である。必然は真理であり理論であり、偶然は運動形態であり経験と実践である。故に正統マルクス主義者、真の共産主義者は、目先の利害にとらわれることなく、真理を堅持し、原理原則を高くかかげ、王道を貫くことであり、何を得るかではなくいかに正しく生きぬくかであり、ここに最後の勝利者たる道がある」。

 れんだいこが思うに、「必然は真理であり」の箇所の「真理」を乱用せず、「歴史の合法則的な歩み」とでも言い換えれば、その通りであるように思われる。

 20004.12.3日 れんだいこ拝




(私論.私見)