32512 社会分析論その三、階級闘争論に基づく唯物史観

 唯物史観とはなにものか、これを簡潔明解に記すことは難しい。がさすがにマルクスは創始者だけのことがある。1859年の「経済学批判序文」で、次のように記している。「一つの社会構成は、それが生産諸力にとって十分の余地を持ち、この生産諸力が全て発展しきるまでは、決して没落するものではなく、新しい、さらに高度の生産諸関係は、その物質的存在条件が古い社会自体の胎内で孵化されてしまうまでは、決して古いものにとって代わることはない。それだから、人間は常に、自分が解決し得る課題だけを自分に提起する。なぜならば、もっと詳しく考察してみると、課題そのものは、その解決の物質的諸条件が既に存在しているか、又は少なくとも生まれつつある場合にだけ発生することが、常に見られるであろうからだ。大づかみに言って、アジア的、古代的、封建的及び近代ブルジョア的生産様式が経済的社会構成の相次ぐ諸時期として表示されうる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の最後の敵対的形態である。敵対的というのは、個人的敵対という意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味である。しかしブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対の解決の為の物質的諸条件をもつくりだす。従って、この社会構成でもって人間社会の前史は終わる」

 マルクスは、 
「ダーウィンが生物界の発展法則を発見したように」(エンゲルスのマルクスの葬儀の際の弔辞)剰余価値論で資本主義的経済システムの基本構造を分析し、それに続く「有機的社会構造論(下部・上部構造論)」で社会体制の基本構造を分析し、その総仕上げとして人類社会の歴史法則を考察した。その結果、生産に関わる支配−被支配関係を基底とする階級の存在を認め、その階級間の抗争史こそ長いレンジでの歴史の流れであることを晒しだした。この一連の過程での認識の仕方を唯物史観という。以下、これについて考察する。

 唯物史観は、マルクスによる当代一流の学問的山脈(イギリス経済学の15年にわたる徹底的な研究等々)の研究と批判を通じて獲得されたものであり、それはドイツ的であると同時に世界的なものとして生み出された。エンゲルス曰く、概要
「マルクスの発見した史的唯物論は、人間社会の歴史全般に通じる見方なのであって、それは自然科学を除いた全ての社会科学の共通の『導きの糸』となるべき理論であった。以降、この『導きの糸』に従って研究していくことが学問的水準となったが、唯物論的見解をただ一つの歴史的事例についてだけでも展開することは、多年にわたる落ち着いた研究を必要とする」と述べ、唯物史観の意義を語るとともにその軽々しい公式的適用態度を戒めている。

 注意を要することは、社会の発展史には自然の発展史と通底する部分と本質的に異なっている部分があり、これを統一的に理解することがよほど難事であったが、マルクスはこれに果敢に挑みある面で成功した。自然の場合にはまさに自然な一般的な法則に貫かれており、人間もその自然的存在である限りにおいて同様である。人は先ず飲み、食い、住み、着なければならぬ。しかる後に政治や科学や芸術や宗教等々に携わることができる。マルクスは、人間が否応無く依拠しているこの物質的生活基盤の社会的基礎性に着目した。社会史の場合には往々にして個々の人々の意思や行動、意欲、熱情、あるいは気まぐれ等々によって歴史が創られているかのように見える。
「人間は、各人が意識的に意欲された自分自身の目的を追うことによって、結果はどうなろうともその歴史をつくる。そして、様々な方向に働いているこうした多数の意志と外界に加えられるこうした意志の多様な作用との合成力が、まさに歴史なのである」としたものの、マルクスは、歴史を創る上でのそういう衝動は相応に認めつつも、「こうした動機の背後に更にどのような推進力があるのか、どのような歴史的原因が行為する人間の頭の中であのような動機に変形するのか」を問うた。

 マルクスは、それらの諸要素がその時々の時代の経済的発展段階に照応していることを見ようとした。そして、それらの背後に貫かれている歴史における動力的な要因として次のような条件を設定した。
「もし問題が、歴史のうちで行動する人間の背後にあって−意識されてあるいは意識されないで、そして多くの場合意識されないで−歴史の真の究極的動力を為している原動力を研究することにあるとすれば、肝要なことは、どんなに優れた人間であろうと、個々の人間の動機よりも、むしろ大衆を、諸民族の全体を、そして各民族においてはその民族の諸階級全体を動かす動機である。それもパッと輝いて束の間に消えてしまう線香花火のような行動への動機ではなく、持続的で、大きな歴史的変化をもたらすような行動への動機でなければならない」

 歴史に対するこうした関心の寄せ方がマルクスの偉大なところであった。実際にはヘーゲルによって切り開かれたのであるが、それまでの歴史家達は、こうした歴史を動かす唯物論的なモーターに思いが向かわず、歴史は神の御手、意志、同様に英雄の御手、意志、あるいは「理性の狡知」によって動かされているとしていた。そういう意味において、ヘーゲルの歴史観、それをより徹底して継承したマルクスの歴史観及び「発見」は、それまでの歴史叙述家の愚昧さを浮き立たせ、彼らの常識を覆す衝撃を与えることになった。

 ヘーゲルの歴史観の功績に対して、エンゲルスは、「空想より科学へ」の中で、次のように述べている。概要
ヘーゲルは、自然・歴史・精神の全世界を、一つの過程として説明すべく方向付けたところに偉大な功績が認められる。彼は、自然・歴史・精神が不断の運動、変化、変形、発展の中にあると説き、そういう運動と発展の内的関連の証明を試みた。人類の歴史は、人類の発展過程そのものであるとし、あらゆる迷路を通じてこの発展過程の斬進的段階を探求し、あらゆる外見的な偶然性を通じて、この発展過程の内在的法則性を証明すること、を思惟の任務とした。このことが歴史的に思惟の任務とされることに以降なった

 マルクスは、この観点から歴史の考察に向かった。その際天才マルクスが着目したのは、ヘーゲル的な「社会外在的な理念の歩み」ではなく、
「社会に内在的な歴史の推進モーター」の探求であった。このことに成功したのが、マルクスをしてマルクスたらしめている所以のものである。では、マルクスは、どう観たか。マルクが観たものは、概要「政治的諸闘争の要因として、社会に『階級』の存在を認め、この階級間が経済的利益を廻って対立しており、政治権力はそれを促進する単なる手段として用いられたに過ぎない」ということであった。且つ、経済的利益を廻って旧権力と新興勢力とが対立して行く過程を『矛盾』として把握した。更に、「我々は、近代の歴史においては国家の意思は、全体として見て、市民社会の要求の変化によって、どの階級が優勢であるかによって、そして結局は生産諸力と交換関係の発展によって、決定されることを見出すのである」と述べ、近代市民社会が内包している矛盾を洞察した。

 こうして、マルクスは、自然界のみならず人間がつくりだす社会・歴史もまた不断なる生成・消滅の過程のうちにあること、社会の構造は下部に経済があり、これが基底を為して政治的宗教的イデオロギー的上部構造が形成されていること、この経済的諸関係に規定された階級間の闘争が存在し、この階級闘争を通じて社会の進歩がもたらされているという唯物弁証法的観点からこれまでの歴史を把握し、資本主義の次に来る未来社会のグランドデザインを描いて見せた。世に云われる社会主義、共産主義社会像を提起した。

 マルクスは、歴史の中から必然的な過程の契機を捉えようとし、人類の歴史が原始共産制から古代奴隷制へ、古代奴隷制から中世封建制へ、そして封建制から資本主義へと進み、更に資本主義から社会主義へと進んでいくし、いかざるを得ないことを見通した。マルクスは、こうした社会の発展を生産力と生産関係(人間生活の物質的基礎の生産は、社会的生産としておこなわれるのであり、この生産をおこなうにあたって人間の結ぶ社会的関係のこと)との矛盾において説明する観点を確立した。こうして獲得された歴史観が通称「唯物史観」(史的唯物論とも表現される)と云われている。

 但し、この唯物史観という命名に対しては当時から一部不評であったようである。これに対し、エンゲルスは次のように説明している。
「あらゆる重要な歴史的事件の究極の原因や大きな推進力を社会の経済的発展のうちに、生産、交換様式の変化のうちに、それによって社会が別々の階級に分裂することのうちに、またこれらの階級の間の闘争のうちに求める歴史過程の見方をあらわすのに、他の多くの国語でそうしているように、英語でも『史的唯物論』という用語を私が用いても、イギリスのお上品な人々も、あまりひどく怒らないようにと希望するものである」(「空想より科学へ」英語版への序文)


 唯物史観が世に公然と打ち出されたのは、1848年の「共産党宣言」によってであった。「共産党宣言」は、過去の宗教的教説のドグマ、形而上学的、宿命論的、予定調和的なあまたの歴史観・世界観を退け、唯物史観を世に問うた。唯物史観はマルクスの発見とも云えるもので、その後1859年の「経済学批判」の中でより精緻に展開され、資本論に組み込まれていくことになる。

 唯物史観は、唯物弁証法もそうであるが、「『当時の時代において』「最先端最深部の総合的な『科学的』認識に基づく、当代に一等秀でた社会分析ないし歴史観」であった。と云う意味合いで捉える必要があると思われる。

 この「唯物史観」とは如何なる社会認識・歴史観なのかもう少し詳しく検証してみる。唯物史観は、弁証法的理解を誤まると硬直した決定論になり、又は俗悪な経済史観に染まるという面があり、正確な理解を要する。
社労党の社会主義入門を下敷きにしながられんだいこ風に纏めてみることにする。

 日本大百科全書(小学館)には「史的唯物論」(historischer Materialismusドイツ語)について次のように解説している。概要「史的唯物論とは、マルクスとエンゲルスによって提唱された唯物論的歴史観=唯物史観のことであり、史的観念論ないし観念論的歴史観ならびに非歴史的・機械論的唯物論に対立する。それは、マルクス主義ないし科学的社会主義の哲学の重要な構成部分である」とある。

 「史的唯物論」は次の6節から構成されている。(芝田進午氏の纏め方を参照した)
(1) 社会の法則性の発見  宇宙・天体・地球・生命などについての自然史的世界観を前提として、人間社会をも自然史的過程としてとらえる。もちろん、人間は、自然界とは違い、意識をもち能動的に歴史をつくる。しかし、人問は、自然的諸条件と、先行する世代の達成とを前提とし、それに制約されて、歴史をつくる。また、人問は、能動的に行動するが、その行動が衝突し相殺しあって、無数の「力の平行四辺形」の合成力のように、人問の意識から独立した結果がもたらされる。このようにして、社会の歴史においては、無数の人間の行動、意欲、偶然性に媒介されつつ、自然史的・必然的な法則性が貫徹する。
(2) 生産活動の意義の発見  社会の歴史を究極的に規定するものは、人間の「現実の生活の生産と再生産」、より具体的には、〔1〕労働による生活手段・生産手段の生産、〔2〕生殖による次の世代の生命の生産という2種類の生産であるが、歴史の発展とともに、〔1〕が〔2〕を規定するようになる。
(3) 生産力と生産関係の発見  類人猿から人間を発展させ形成させた活動は労働である。自然史的前提と労働が社会の発展のもっとも基本的な原動力である。労働が自然を支配する能力を(a)生産力という。この生産力は、生産諸力(具体的には、労働対象としての自然諸条件、人問の労働能力、技術、自然科学、その応用能力、人口、労働組織、交通手段など)によって決められる。この生産諸力の結合の様式が(b)生産様式ないし労働様式(たとえば、農業、手工業、大工業、大規模農業など)である。そして、この(a)(b)に規定されて、(C)生産諸関係すなわち生産手段の占有・所有諸関係が形成される。それぞれの社会におけるこの生産諸関係の総体が社会の「経済構造」ないし「経済的社会構成」とよばれる。それは、人間の意識から独立に形成される物質的社会関係である。
(4) 階級社会の発見と分析  人間社会は、初め、低い生産力に制約されて、すべての人が共同で労働する原始共同体であった。しかし、生産諸力の発展、分業、私的所有、商品交換の出現によって、共同体の崩壊が始まり、人々は諸階級に分裂し、階級社会が生まれた。私的所有の生産諸関係すなわち階級関係に照応して、(d)国家を中心とする法律的・政治的上部構造、(e)社会的意識諸形態ないしイデオロギー(社会心理、宗教、哲学、芸術など)が形成された。前述の物質的社会関係に対して、(d)(e)はイデオロギー的社会関係とよばれる。(a〉(b)(c)が(d)(e)を基本的に規定するが、後者も相対的独自性をもち、前者に反作用する。
(5) 階級闘争の発見と分析  この階級社会の主要な形態は、奴隷制、封建制、資本制であり、その出現以来、歴史は階級闘争の歴史である。階級闘争の形態は、(a)(b)(c)に規定される。(c)は(a)(b)の発展に規定されるが、(c)が(a)(b)の発展に照応できず、その桎梏(しっこく)になるとき、(c)はより適応できる形態に変革される。これとともに社会革命の時代が始まり、(d)(e)も徐々に、あるいは急速に変革される。
(6) 社会主義の歴史的必然性  資本制社会が敵対的階級社会の最後の形態である。その胎内で発展する(a)生産力ないし生産諸力(とくに多数の個性をもつ労働者主体の形成、技術革命、科学革命、労働の社会化、交通手段の全面的発展など)、(b)生産様式大工業)が、この敵対の解決の物質的条件をつくりだす。それらを前提として、労働者階級が国家権力を掌握することによって、資本制社会は変革され、長期の過渡期を経て、搾取・収奪・暴力・階級支配がなく、「各人の自由な発展がすべての人の自由な発展の条件である」ような共同生産制社会が実現される。これとともに人類の前史が終わり、本史が始まる。

 このようにして史的唯物論は、社会の歴史の必然性と偶然性、個人と大衆の役割を初めて科学的に説明し、社会諸科学、歴史科学の科学的基礎を確立した。

 「その史的唯物論ないし唯物史観の核心は何か。それは、〈変革対象である現実世界=資本主義社会の全面的解明にむけた、資本の生成・発展→資本主義の成立の歴史を貫通軸とする、人類社会の歴史的・総括的解明〉の試みであり、その結論は、〈資本主義(大工業)は、客体的にも(巨大な世界的生産力)主体的にも(プロレタリアートの世界史的形成)必然的に共産主義を準備しているから、プロレタリアートは自らの主体的実践によって革命を闘いとらなければならない〉というものである」(「マルクス主義原典ライブラリー」新訳刊行委員会
 )。 

 (その後の発展)

 マルクスとエンゲルス以後、史的唯物論の研究は、とくに国家論、イデオロギー論、革命論などの分野でいっそう深められた。この点で、レーニン、グラムシ、ルカーチ、戸坂潤(とさがじゆん)、永田広志(ながたひろし)らの貢献が高く評価される。史的唯物論は完成されたドグマではない。その諸基本概念とそれらの相互関係のいっそうの解明をはじめとして、なお研究さるべき課題に満ちた発展過程の学説である。


 今日、唯物史観による人類の歴史分析つまり原始共産制から古代奴隷制へ、古代奴隷制から中世封建制へ、そして封建制から資本主義へ、更に資本主義から社会主義へと云う規定がどこまで史実に即応しているのかを廻って疑義が出されている。特に問題となるのは、原始共産制社会を廻ってであるが、「資本主義的生産に先行する諸形態」を廻っても論議がある。

 
マルクスには、『資本論』の準備草稿が何種類かあり、もっとも学問的価値が高いとされている「経済学批判要綱」(1857〜58年、専門家はこの草稿のドイツ語の最初の言葉をとって、“グルントリッセ”と呼ぶ。1953年にロシア語訳から日本語に訳された)の中に、「資本主義的生産に先行する諸形態」という部分の記述がある。そこでは、資本制生産に先行する所有諸形態として、アジア的所有、ローマ=ギリシャ的(古典古代的)所有、ゲルマン的所有という三形態が提起されており、広義経済学における所有論のみならず、日本を含む前近代の所有諸形態をどう理解すべきかの問題をめぐる参考文献として、歴史学者の間でもさかんに論じられるテーマとなっている。




(私論.私見)