補足(17)―4114 | 不破理論解析考(四)軍事・防衛論 |
【2002年10月3日(木)「しんぶん赤旗」北京の五日間 (17)中央委員会議長 不破哲三 唐外相と外交政策を論じる (一)抜粋】 |
話し合いは「台湾問題」からあいさつのあと、「先日、アーミテージ国務副長官がやってきて話し合った」(唐外相)というところから、台湾問題に入った。 唐「そこで、『アメリカは、台湾独立の態度は支持(サポート)しない』と言明したのに、同行の記者に『支持しないとは、反対することか』と聞かれて、言葉に窮したと聞いた。『支持しない』が『反対もしない』というのは、言葉の遊びではないか」 不破「アメリカは『一つの中国』の立場を守る、といっているが、国内的には『台湾関係法』で、自分の手を反対の方向に縛ることをしている。この矛盾が、言葉のごまかしに現れるのではないか」。 こんなやりとりのあと、「この続きは食事をしながらやりましょう」というので、「その提案に『支持しない』ではなく、『賛成』します」と答えると、「その言葉づかいはアメリカ流ですね」(唐)。一同の笑いのうちに、食事の席に移った。 |
【2002年10月4日(金)「しんぶん赤旗」北京の五日間 (18)中央委員会議長 不破哲三 唐外相と外交政策を論じる(二)抜粋】 |
中国の外交政策のキーワードは……
会食が始まって間もなく、唐外相は、中国の外交政策、その根底にある考え方について、まとまった話をしはじめた。それは、通り一遍のものではなく、大いに傾聴に値するものだった。 私は、中国の外交政策を見るとき、最大のキーワードは、平和的な国際環境を求める強烈な願望だと思っている。四年前の訪中の時、中国側は中国の発展の現段階を、次のように説明していた。 ――中国の経済建設は、現在、社会主義の「初級段階」にある。この「初級段階」は、約百年続く予定で、その間、五十年ぐらいの時点では、経済の発展はだいたい世界の中進国の水準に追いつくことを、目標にしている。 ――経済建設、社会建設を成功させるためには、平和的な国際環境がどうしても必要である。そういう国際環境を確保するために、あらゆる努力をつくすことに、中国外交の最大の任務がある。 苦難の経験を経て到達したリアリズム「社会主義初級段階」、しかもその期間として百年を予定しているという話は、さまざまな苦難の経験をへた上でのそのリアリズムが、よく理解できた。 四十年前、社会主義のより高度な社会であるはずの「共産主義」に、この道を進めば短期間で到達できる――こう思いこんで毛沢東が発動した「大躍進」およびその中核となった「人民公社」運動が、中国社会に悲劇的な災厄をもたらしたこと、さらに、そのより異常な延長戦をなした「文化大革命」のもとで、言語に絶する災害が全土をおおったこと、こういう極限的な困難を経験したからこそ、前途を百年を単位としてはかるようなリアリズムを、国の方針としえたのだろう。 「建設のための平和的な国際環境」の確立への切望また、それだからこそ、この経済建設に全力を集中できるだけの平和的な国際環境を確保したい、という願望の切実さも、痛いほどに理解できた。建国直後、外的な事情から、巨大な負担をになわざるをえなくなった朝鮮戦争への参戦。それが終結して以後、今度は、内部的な誤りが引き起こした「大躍進」、「文化大革命」などの連続した動乱の二十年。それらを経てようやく、見通しのある経済建設の軌道を確立したのである。 ふたたび、戦争によって、この軌道が狂わされるようなことがあったら、建国の事業そのものがたいへんな痛手をこうむることになる。 自分たちの建国の方針、外交の方針の短い解説ではあったが、その言葉を、革命勝利後五十余年の歴史と重ねあわせてみて、私が、内心、つかみとったのが、「建設のための平和的な国際環境の確保」――ここに、中国外交を理解するキーワードがある、ということだった。 今回、唐外相自身の口から、まとまった形で聞いた国際情勢論、外交政策論も、私のその見方を裏づけるものだった。 |
【2002年10月5日(土)「しんぶん赤旗」北京の五日間(19)中央委員会議長 不破哲三 唐外相と外交政策を論じる(三)】 |
アメリカの「国際戦略調整」をどう見るか
唐外相の話を聞いて、私は、「十二項目」のなかで、中国側が、アメリカ問題を「アメリカの国際戦略調整について」と題していた意味が腑(ふ)に落ちた。私は、最近の戦略的な変化の研究かと思っていたが、そうではなくて、ソ連崩壊後のアメリカの戦略の変化(調整)について意見を交換しよう、との意味だったのである。 唐外相の話を、私は、多少不破流のまとめになるかもしれないが、次のように聞いた。 ――ソ連の崩壊後、「米ソ対決」という国際対決の最大の緊張の根源はなくなった。本来なら、アメリカにとっても、ソ連や中国を「潜在的脅威」と見てこれとの対抗を重点とする従来型の戦略は必要なくなったはずだし、実際的にも、戦略課題をテロ反対とか大量破壊兵器の拡散防止、アメリカ本土防衛などに移そうとする変化もある。また世界の大国間の協調を重視する考え方を打ち出してもいる。ブッシュ大統領は、四カ月間に二回も中国に来ており、十月には江沢民総書記の訪米で三回目の首脳会談をおこなうことになっている。 ――だが、そういう変化の半面、一国主義の行動、覇権主義の姿勢などは変わらないし、ロシアや中国をひきつづき戦略的な目標とする動きも、表だってではないが、続いている。また、イラクにたいする軍事攻撃の世論づくりも強まっている。 ――こういうなかで、中国としては、外交分野においても、自国の経済建設の路線と方針を重視し、国の総合的な力を強化しなければならないという観点に立ってすすめている。中国の発展は、安定した国際環境を必要としており、外交は、そういう方向に向けなければならない。しかし、原則までも譲歩するわけにはゆかない。 平和的な中米関係への願望とその覇権主義への批判と平和な国際環境づくりのもっとも重要な要として、安定した中米関係への強い要望、そしてまた、それに矛盾するアメリカの一国主義的な行動は抑制しなければならないという現実政治の要請――このなかで、的確な道を模索する努力が、そこには、にじみ出ていた。 聞きながら、私は、四年前の首脳会談の際に、クリントン大統領の訪中で「米中の戦略的パートナーシップ」を確認しあったことを、喜んで語った江沢民総書記の表情を、そしてまたその翌年、アメリカが先頭に立って対ユーゴ戦争を開始し、ベオグラードの中国大使館が爆撃された時、「人民日報」に発表された評論員論文「アメリカ覇権主義の新たな発展を論ず」(一九九九年五月二十七日付)の鋭い論旨を、思い浮かべた。 昨年の対テロ報復戦争で、全体としては協調的な姿勢をしめしてきた中国が、今年一月、ブッシュ大統領が、一般教書演説で、イラク、イラン、北朝鮮への「先制攻撃」をほのめかす「悪の枢軸」発言をしたとき、新華社の論評(二月三日付)と外務省報道官の論評(二月四日)で、これを、国連憲章の基準にてらして許されない軍事計画として批判したことも、あわせて私の頭に浮かんだ。 呉・越の戦いでの“臥薪嘗胆”の教訓とは唐外相が、さらに話を続け、中国の古代の呉・越の戦い(前五世紀)のなかから、“臥薪嘗胆(がしんしょうたん)”の歴史を引いたことは、深い印象を刻むものだった。“臥薪嘗胆”とは、戦いに敗れて父を失った呉の太子・夫差(ふさ)が、毎夜薪(たきぎ)の上に寝て再起を誓い、その夫差に敗れて会稽(かいけい)で降伏した越王勾践(こうせん)が、今度は、いつも苦い胆(きも)を身近においてこれを嘗(な)め、ついに呉を打ち破って「会稽の恥」をそそいだという、春秋時代の故事から来た言葉である。唐外相が、「二千年のあいだには情勢は変わった。中国と越との国際的地位には雲泥の差がある」と断りながらも、あえてこの故事を引いたのは、平和をまもるために必要とあれば、たえがたいことでも、がまんすべき時がある、という意味だったと思う。 日本で中国通といわれるなかには、中国を、これが自分の立場と決めたら、テコでも動かない頑固派のように描きたがる論者も少なくない。しかし、現実の中国外交は、勾践の精神も歴史の教訓の一つとしてくみ取りながら、なにがベストの選択かという問題について、真剣な模索と探究を続けている――そのことを強く感じさせる話だった。 |
【2002年10月6日(日)「しんぶん赤旗」北京の五日間 (20)中央委員会議長 不破哲三 唐外相と外交政策を論じる (四)抜粋】 |
できるだけ論点をかみ合わせて 次は私が発言する順序になる。唐外相の詳しい説明に感謝しつつ、「アメリカの国際戦略調整」についての、私たちの見方を話した。 私が話した大筋は、第一日に戴秉国(たいへいこく)部長との会談でも話したことにつながるが、今度は中国側の問題意識が示されたあとなので、できるだけ論点をかみ合わせることに努めた。まず私が「アメリカの戦略は、外交上の戦略・戦術の面では複雑な動きがあるが、この間の軍事戦略には明りょうな一貫性があると思う」と言うと、唐外相は深くうなずく。それから、その軍事戦略がどこから始まり、現在どこまで来ているかについて、かいつまんで話す。 ――父親の方のブッシュ大統領の時期、一九八九年に、ソ連崩壊にそなえた新しい軍事戦略を立てよ、との指示が、統合参謀本部に出されていた。その眼目は、アメリカの覇権的地位を誰にも脅かさせないために、巨大な軍事体制を維持しつづけることを、何をもって正当化するか、という点にあった。 「ならずもの国家」論から「先制攻撃」戦略まで――軍部が最初に出した答えは、「ソ連にかわる敵」は見つからない、というもの。それではダメだと検討をかさね、ブッシュ政権の最後の時期に、結局、いくつかの国を「ならずもの国家」に指定し、それと対抗するという新戦略に落ち着いた。 ――この新戦略は、クリントン政権にうけつがれ、アメリカの「死活の利益」をまもるためには、国連の決定を待つ必要なしという一国行動主義などに具体化された。一九九九年にヨーロッパにおける「新戦略概念」の採択や日本へのガイドライン立法の押しつけはこの線上のものだった。 ――対テロ報復戦争は、この本筋とは別個のもので、アフガニスタンは「ならずもの国家」のリストに入っていなかった。また、私たちは、テロにたいして戦争という手段で対抗することに反対したが、アメリカはこの報復戦争については、国連の権威や「自衛」論をもちだすなどして、その正当化につとめた。 ――だが、イラクなど三国を名指しして攻撃の対象とした「悪の枢軸」発言以来、問題は新しい段階に入ってきた。標的が「ならずもの国家」にもどったというだけでなく、アメリカの単独行動から、さらには「先制攻撃」の権利まで主張するようになった。これは、まったく国連憲章にもとづく平和のルールをくつがえす行為となる。 中国まで“核先制攻撃”の対象国家に指定される――さらに重要なことは、今年国防総省が発表した「核態勢見直し報告」(一月)と「国防報告」(八月)が、中国を名指しで、核先制攻撃の対象になりうる国家として、あげたことだ。理由は、“中国がやがてはアメリカの軍事上のライバルになる可能性をもっている”ということだけ。世界のどんな国であれ、国連憲章のルールを破らせないようにしなければならない。国連憲章が明白に破られるときに、もしも世界がそれを黙認してしまったら、世界は安定性を失い、乱れた国際社会になってしまう。 ――私たちは、中国が、ソ連解体後の世界平和の新しい枠組みとして、軍事同盟によらない、そして国連憲章のルールをまもることを柱にした、「新安全観」を提唱してきたことに注目してきたが、二十一世紀の世界の平和秩序をきずく上でも、いまは重大な地点に立っている。 私は、こういう提起をしたうえで、国連憲章のルールの破壊を許さない、という点では、いま世界で共同の戦線を大きく広げることができるだろうということを、私たちの外交活動の経験もまじえながら話した。 地方をふくめ、中国の複雑な現実をよく見てほしい唐外相は、問題提起に直接には答えず、「昨日、イラクの大使と会ったが、いい会談ができた」と述べて、主題を日本の政局論などに移す。これは、“続きはあとの首脳会談で”という意思表示と読めた。しかし、発言中の中国側出席者の表情やうなずき方には、この対話で双方の問題意識のかみ合いぶりが、十分に表れていたように思う。 会食での最後の話題は、私たちの今回の訪問の日程のことになった。「今回は会談が中心で北京だけ」と説明したことから、唐「それは残念だ。ぜひ北京以外、とくに遅れた地方を見てほしい」、不破「今回は“話す”こと専門の訪問だったが、次回は“見る”こと専門の訪問にしようか」、唐「いや、不破さんが来て、そんなことは不可能だ」、不破「では、“話す”ことと“見る”ことを組み立てた日程を組もう」。 こんな問答になった。地方行き――それもいわゆる観光のためではなく、中国の複雑な現状を見るための視察は、今回会ったほとんどの人から口ぐちに勧められたことである。 |
(私論.私見)
Re:68年の「安全保障政策」追加 |
ハーヴェスト(04/2/17 21:05)
前回省いた、論文「日本の中立化と安全保障についての日本共産党の構想」について、要旨をご紹介します。 |