3251−6 不破理論解析考(一)党建設論、組織論、民主集中制論

 不破は2002.9月の「北京の五日間」で、中共と党建設論、組織論を廻って遣り取りしたことを明らかにしている。その中で興味深い次の一説があるのでこれを引用してみる。「日本共産党が党建設で力を入れていることとして、六つの点」を挙げている。次の通りの内容である。
(一) 学習活動  党員の理論的・政治的な確信を強める学習活動。これを基本にしてこそ、困難にぶつかっても、展望をもって活動することができる。ここで、私たちが、一九七六年の党大会で、マルクス・レーニン主義という呼び方を廃止して、「科学的社会主義」という呼び名で統一することにしたこと、その理由は、どんな偉大な先輩でも、個人の発言の内容には歴史的な制約があり、その精神と基本的な見地をうけつぐことが大事だからだということも、解説した。
(二) 機関紙活動  機関紙である「しんぶん赤旗」で国民と結びつく努力。これは、テレビなど、マスコミが非常に高度に発達している日本では、特別に大事な課題であること、日本ではすべての新聞が各家庭に新聞をとどける配達網をもっており、そのことをぬきにしては、新聞の発展はありえないこと、この立場から、わが党は、党員一人ひとりが大変な労苦をはらって全国的な独自の配達網をつくっており、そのこつこつした活動に十四万の党員が参加していること、そういう不断の努力が二百万の「しんぶん赤旗」をささえていること、などを、詳しく話した。
(三) 「支部が主役」

 党の組織活動では、全国二万五千の支部が、日本共産党と国民との結びつきのなによりの土台をになっていること、国会論戦や政策活動は非常に大きな力になるが、身近なところで国民各層に働きかける支部の活動なしには、しっかりした国民の支持はえられないこと、その意味で、「支部が主役」が私たちの合言葉であり、党機関の活動でも、上から「さあやれ」というだけでなく、支部の意見をくみ上げる「循環型」の活動を強調していること、などを説明した。

 また、私たちが大事な問題を国民に訴えようとするとき、全国四千八百万のすべての世帯に「赤旗」号外をとどける活動をするが、これは「支部が主役」の力を発揮するからこそできる活動であること、国会の議席数ではまだ第四党の日本共産党が、地方議員の数は四千四百人、抜群の第一党となっているのも、すべての市町村に党支部や党員がいて活動しているその力の現れであることなども話した。

 中国の党の組織活動にあたっている人たちだけに、「支部が主役」という話は、大きな関心を引いたようだった。私たちは、支部が国民のなかで本当に“草の根”の力として働けるように、支部会議の定期化、支部党員の日常の結びつき、「しんぶん赤旗」の配達・集金の体制づくりなど、どこでも苦労しながら力をつくしているが、こうして外国の党に説明してみると、そういう努力の値打ちがいっそうはっきりしてくるように感じられる。

(四) 選挙活動  日本では選挙戦が政治闘争の中心になっており、これらの選挙戦で力を発揮できる党機関、党支部をつくることは、党建設の重要な柱になること。
(五) 反共攻撃との闘争

 日本の政治はヨーロッパと違って、反共攻撃との闘争がきわだった位置をしめること。反共攻撃では、ソ連の諸事件や中国の「文革」など、私たちと関係のない国際的な出来事も最大限に使われてきたことも話した。

(六) 自立した財政的基盤の確立  日本共産党は、企業・団体の政治献金を受け取らず、国民の税金を不当に分け取りする政党助成金の受け取りも拒否し、国民の支持に依拠した自立した財政的基盤の確立に努力していること。党のその清潔さが、国民のあいだに信頼を広げる大きな力となっていること。

 上記六項目の見出しを見ればなるほどの観点を打ち出している事がわかる。問題は、この六観点をなぜ不破式に換骨奪胎せしめていくのかにある。何を為さねばならぬのかは分かっており、且つそれを歪める方向に指導することは決して偶然では出来ない。つまり確信犯ということになるが、ここに不破の特異性があると云うべきだろう。


【2002.9.26日赤旗、「北京の五日間(10)中央委員会議長 不破哲三 日本での党建設を聞きたい(上)」抜粋】

 日本での党活動を研究した「友好代表団」の経験(二〇〇〇年一月)

 海外を訪問して、相手の党の中央組織部と特別の会談をやるというのは、私のこれまでの経験にはないことだが、事前の日程連絡にあたった緒方さんの話によると、ともかく「日本共産党の党建設の経験を知りたいんだ」という説明だったとのこと。ただ資本主義国の共産党の活動ぶりを見たいというだけでなく、中国での党建設の参考にしたいという意欲もあるようだ、という。

 緒方さん自身の経験でも、一昨年一月、わが党の招請で中国共産党の友好代表団(団長は中連部の李成仁〈りせいじん〉副部長)が訪日したさいは、支部活動を研究したいといって、仙台市では、市内の居住支部(片平支部)の支部会議にも参加、出席していた新入党者に入党の動機をたずねたり、「支部が主役」の党活動への取り組みを具体的につっこむなど、たいへん活発な“調査”活動だったとのこと。しかも、翌日早朝には、六人の代表団全員が、「しんぶん赤旗」の配達を見学したというから、私たちの党活動への関心は、ほんものである。

 政権党と政権をめざす党との違いはあるが……

 会談では、まず最初に、中国での党建設の概況について、李景田(りけいでん)副部長から簡潔な説明があった。中国が党建設でどんなスローガンをかかげ、どこに力点をおいているかが、要領よく分かる説明だった。「八つの堅持と八つの反対」、「四つの必ず」、人事管理の「四つの任務」など、党活動の大事な方針を、すべて中国流に定式化しているのが面白い。

 私は、政権党と政権をめざしている党との活動の違いは大きいが、「それぞれの国で社会の進歩と変革のために働き、その事業への国民の支持を広げるために活動する」ということは共通のもので、その点で、おたがいの経験からくみ取るべきものをくみ取る機会にしたい、として、日本共産党が党建設で力を入れていることとして、六つの点について話した。

 (一)党員の理論的・政治的な確信を強める学習活動。これを基本にしてこそ、困難にぶつかっても、展望をもって活動することができる。ここで、私たちが、一九七六年の党大会で、マルクス・レーニン主義という呼び方を廃止して、「科学的社会主義」という呼び名で統一することにしたこと、その理由は、どんな偉大な先輩でも、個人の発言の内容には歴史的な制約があり、その精神と基本的な見地をうけつぐことが大事だからだということも、解説した。

 十四万党員が労苦をいとわぬ活動で“配達網”をつくっている

 (二)機関紙である「しんぶん赤旗」で国民と結びつく努力。これは、テレビなど、マスコミが非常に高度に発達している日本では、特別に大事な課題であること、日本ではすべての新聞が各家庭に新聞をとどける配達網をもっており、そのことをぬきにしては、新聞の発展はありえないこと、この立場から、わが党は、党員一人ひとりが大変な労苦をはらって全国的な独自の配達網をつくっており、そのこつこつした活動に十四万の党員が参加していること、そういう不断の努力が二百万の「しんぶん赤旗」をささえていること、などを、詳しく話した。

【2002.9.27日赤旗、「北京の五日間(11)中央委員会議長 不破哲三 日本での党建設を聞きたい(中)」】

 「支部が主役」の活動とは

 私は、報告を続けた。

 (三)党の組織活動では、全国二万五千の支部が、日本共産党と国民との結びつきのなによりの土台をになっていること、国会論戦や政策活動は非常に大きな力になるが、身近なところで国民各層に働きかける支部の活動なしには、しっかりした国民の支持はえられないこと、その意味で、「支部が主役」が私たちの合言葉であり、党機関の活動でも、上から「さあやれ」というだけでなく、支部の意見をくみ上げる「循環型」の活動を強調していること、などを説明した。

 また、私たちが大事な問題を国民に訴えようとするとき、全国四千八百万のすべての世帯に「赤旗」号外をとどける活動をするが、これは「支部が主役」の力を発揮するからこそできる活動であること、国会の議席数ではまだ第四党の日本共産党が、地方議員の数は四千四百人、抜群の第一党となっているのも、すべての市町村に党支部や党員がいて活動しているその力の現れであることなども話した。

 中国の党の組織活動にあたっている人たちだけに、「支部が主役」という話は、大きな関心を引いたようだった。私たちは、支部が国民のなかで本当に“草の根”の力として働けるように、支部会議の定期化、支部党員の日常の結びつき、「しんぶん赤旗」の配達・集金の体制づくりなど、どこでも苦労しながら力をつくしているが、こうして外国の党に説明してみると、そういう努力の値打ちがいっそうはっきりしてくるように感じられる。

 (四)日本では選挙戦が政治闘争の中心になっており、これらの選挙戦で力を発揮できる党機関、党支部をつくることは、党建設の重要な柱になること。

 (五)日本の政治はヨーロッパと違って、反共攻撃との闘争がきわだった位置をしめること。

 反共攻撃では、ソ連の諸事件や中国の「文革」など、私たちと関係のない国際的な出来事も最大限に使われてきたことも話した。

 (六)日本共産党は、企業・団体の政治献金を受け取らず、国民の税金を不当に分け取りする政党助成金の受け取りも拒否し、国民の支持に依拠した自立した財政的基盤の確立に努力していること。党のその清潔さが、国民のあいだに信頼を広げる大きな力となっていること。

 中国側のみなさんは、実に熱心にこれらの話に耳をかたむけ、メモをとっている。「日本共産党の党活動をよく知りたい」という気持ちが、その姿にまざまざと現れていた。

 入党の基準、宗教者との共同など

 最後に、私は、いま中国で企業家の入党問題が議論され、李さんの報告でもそのことに触れられたことを考えて、新しい党規約で、この問題をどう位置づけているかを、解説した。規約が、一連の革新的な目標および「日本の進歩的未来のために努力しようとするすべての人びとにその門戸」を開くとしているが、これは、入党の条件を、階級的区分ではなく、政治的信条におく立場だということを、かなり詳しく説明した。

 関連して、宗教者の入党の問題について、ここでも政治的信条が入党の基準であることを話し、最近大きく広がっている共産党と宗教者との「現世での共同」の状況についても紹介。私自身、京都で仏教の宗派の本山にあたるところで、仏教、キリスト教など各派の宗教者との懇談会を、二年にわたって開いてきた経験も語った。

 なかでも、頭を丸めた若い住職が代議員として党大会に出席、仏教の教えと共産党の活動が一致すると発言して、諸外国の代表たちからも注目を集めたこと、京都での宗教者の会で、どうも頭の形に見覚えのある坊さんが目の前の席にいると思ったら、やはりそのご当人だったこと、その坊さんがその席で発言にたって、宗教者党員としての信条を語るとともに、「志ある方はどうか同じ道をあゆんでほしい」と先輩の宗教者の方々に堂々と訴えたことなどを話すと、日本で現実に展開されている生きた経験は、参加者のあいだに大きな興味を引いたように見えた。

 「私も、日本に行って、配達活動に参加してみたい」

 李景田(りけいでん)副部長は、「人民との結びつきの強化」という点を、私の発言からいちばん大事なこととして受け取ったようで、そのことに触れたうえで、「貴党の『赤旗』が二百万も出ているというのは、驚くべきことだ。これは、大きな可能性ではないか」と述べた。

 あとで聞いたことだが、この会合に出席していた中連部の若い一員は、私の発言を聞いて、「私も日本に行って、『赤旗』の配達に参加してみたい」と、感想をもらしていたという。

2002.9.28日赤旗、「北京の五日間(12)中央委員会議長 不破哲三 日本での党建設を聞きたい(下)」

 「執政の党」としての旧ソ連の経験

 最近の中国では、「長期にわたる執政の党」とか「政権党」とかの特徴づけの言葉がよく聞かれる。私は、中国滞在中、中央組織部との交流も一つのヒントにして、政権についた党の基礎組織の、国民のあいだでの活動のあり方という問題を、いろいろ考えていた。

 私は、中国の党のそういう活動について具体的な知識はないが、変質し崩壊したソ連は、この問題でも大きな教訓を残している。

 スターリンだって、あのような抑圧型の専制社会を、はじめから設計図をもって、意図してつくったわけではないだろう。決定的転機になったのは、二〇年代末から三〇年代はじめにかけて強行された穀物の強制収奪と「農業集団化」だったが、その根底には、ソ連共産党が「政権党」でありながら広大な農村に大きな党組織をもっておらず、上からの行政的、強制的手段以外に、農民に働きかける手段をもたなかったという事情が、一つの大きな要因としてあった。

 歴史の本を見ると、農村から都市への穀物の供給が不足し、「穀物危機」が起きたとき、ソ連の党は、全国に百万の党員しか持たず、しかも大部分が都市に集中して、人口一億二千万にのぼる広大な農村地域には、わずか三十万の党員しかいなかった。

 このとき、スターリン指導部がとったのは、「危機」を農民との平和的な話し合いで解決することではなく、都市から、強制的な執行権限をもったいわゆる「外人部隊」を送りこんで、穀物の強制徴収をするという「非常措置」だった。これは、「新経済政策」のもとでは許されないとされ、また農民を自発的意思によって社会主義の事業に結集しようとするなら絶対にあってはならない強制手段だった。

 スターリン指導部は、この非常手段を、次の段階では強制的な「農業集団化」による農村での抑圧型の支配体制の確立にひろげ、さらにこの体制が気に入って、それを全社会に広げていった。

 私は、ソ連社会が専制主義の体制に変質してゆく過程の、重要な一側面がここにあったと考えている。

 移動中の車中での対話から

 この角度からみると、政権党である中国共産党が、日本共産党のような資本主義国での党活動、なによりも国民のあいだでの活動の仕方に目をむけはじめていることには、注目すべき大事な方向づけがあるように思う。

 私は、この問題について、移動中の車に同乗する機会の多かった中連部のみなさんを相手に、いろいろな対話を試みた。

 ――「私の若いころ、中国革命や中国共産党の経験をはじめて耳にしたとき、最初に知った言葉は『大衆路線』という言葉だった。革命の形態は戦争だったが、この戦争をたたかった解放軍が、『大衆路線』を最大の行動原則にして、国民各層との結びつきに最大限の注意をはらったという話に心を打たれたものだった」。

 ――(ソ連の失敗の経験も話しながら)「いま中国には六千五百万をこえる党員がいると聞いたが、これは、本当に大きな力だ。もしこの人たちが、二十人の国民の心をとらえる活動をしたとすれば、算術計算だが、その影響は十三億に中国国民全体に広がるじゃないか」。

 草の根での国民との結びつきが政権党をささえる、という問題提起は、かなり分かってもらえたように思う。

 そこに大きな将来的意味を感じる

 四年前の訪中のさい、私は胡錦涛(こきんとう)さん(政治局常務委員・国家副主席)に、将来の展望に関連して、次の問題を投げかけた。

 「将来的には、どのような体制であれ、社会にほんとうに根をおろしたといえるためには、言論による体制批判にたいしては、これを禁止することなく、言論で対応するという政治制度への発展を展望することが、重要だと考えます。レーニン時代のロシアでも、いろいろな権利制限の措置がとられましたが、レーニンは、それは革命の一局面の過渡的な制限であって、将来は制限をなくすということを、理論的にも政治的にも明確にしていました。将来的なそういう方向づけに注目したい、と思います」。

 体制批判の言論を強制力ではなく、言論で克服するということは、草の根での言論の力を持たないとできないことだ。そういう意味で、六千数百万の党員を持つ中国の党が、資本主義国での共産党の支部活動に目を向けているということは、かりに当事者の現在の問題意識がどこにあろうと、それを超える将来的意味を持ちうるのではないだろうか。私は、少なくとも、そのことを強く感じている。





(私論.私見)