60年安保検証2、清玄派対児玉派の対峙

 結局、田中清玄考の下りで述べることになったが、60年安保闘争当時、ブント運動を廻って、「清玄派対児玉派の対峙」が見られた事を指摘しておかねばならない。当時においてはどちらも民族派右翼とみなされていたが、歴史は下って、児玉派は民族派という衣装を着けた買弁派に過ぎなかったことが判明している。

 それはともかく、当時の状況はこうであった。岸首相は政権護持の観点から児玉誉士夫系右翼を活用した。岸と児玉の関係は、共に巣鴨プリズン帰りであり、戦犯追放解除時にCIAと何らかの特殊エージェント契約していた可能性が強く、そういう意味で根の深い仲間内ということになる。

 児玉は岸の意向を受け、「左翼から国会を護る」為に諸右翼団体の他に主だったヤクザに右翼連合の結成を指示した。 稲川会の集結は石井進に、山口組のそれは田中清玄に話をもっていった、とのことである。稲川会はじめ当時のヤクザ連合が馳せ参じた。しかし、山口組の田岡氏は、「極道は極道で、政治に手を出すのは下の下だ」といって、絶対に参加しなかった、とのことである。これは、あるいは田中清玄との繋がりで抑制されていたのかも知れない。

 これに対し、田中清玄は、「配下の武道家集団を全学連の護衛につけ、児玉系右翼の襲撃から護っていた」。ブントを廻る右翼団体との暴力戦に抗するために、田中清玄は秘書・藤本勇氏の空手グループを動員し、「突き、蹴るの基本から訓練」をして備えた。「日大の空手部のキャプテンで、何度も全国制覇を成し遂げた実績を持っていた。彼をボスにして軽井沢あたりで訓練をさせたんだ。藤本君がデモに行くと、一人で十人ぐらい軽く投げ飛ばしてしまう。『お前は右翼のくせに左翼に荷担してなんだ』なんて、だいぶ言われていたけど、『なにを言ってやがる。貴様らは岸や児玉の手先じゃねえか』って言ってね。デモをやると右翼が暴れ込んでくるんだ。それを死なない程度に痛めつけろ、殺すまではするなと。それでしまいには右翼の連中も、あいつらにはかなわんということになった」。

  田中清玄はその後、東声会の銃弾に倒れる。東声会は児玉系であり、読売の渡辺恒雄の名も一時役員に名を連ねている。つまり、児玉の配下に狙撃されて、危うく一命をとりとめたことになる。

 これらの史実は貴重ではなかろうか。れんだいこなりに評すれば、政府自民党のタカ派系が活用したのが児玉系右翼、ハト派系が活用したのが清玄系右翼で、この両者は暗黒社会でイニシアチブを廻り暗闘し続けていたのではなかろうか。

 2004.8.14日 れんだいこ拝




(私論.私見)

「突破者」 宮崎学   南風社

投稿者 くま 日時 2000 年 12 月 30 日 07:47:29:

http://www.google.co.jp/search?q=cache:7tmQE7TOkAoJ:www.asyura.com/sora/bd12/msg/89.html+%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%B8%85%E7%8E%84&hl=ja

ところで、竹下登の皇民党事件は次のようなものでもあったようである。
稲川会というのは、検察庁の初代の検事総長が退官後この暴力団の顧問弁護士になってもいるように、佐川急便疑獄が起きなければ、今頃巨大に肥え太り国家的な権力を持つに至っていたであろうとも言われている暴力団である。しかし,この佐川疑獄では東京佐川の渡辺社長のヒモであったと言われている小沢一郎も、また中曽根も何故か検挙されていない。そして、後にこの連中は「皇民党事件」で再び浮上するのだが、皇民党を裏で手繰ったのは他ならぬその中曽根だと言われている。彼は「世界平和研究所」なる軍事シンクタンクに竹下が予定通り資金援助をしなかったことに腹を立てたらしいということである。
この軍事シンクタンクは、軍事や原爆の解析用に使用するNTTのスパコンの輸入が本来は核心であった「リクルート事件」を発生させているのだが、その構成メンバーをみれば、日本において、軍事というものが財界と如何に密接に関与しているかということがよくわかるものにもなっているのだが・・・・・。

”だから、NTTの民営化の真相に触れた二冊の本が、圧力により発売禁止になった事実が示すように、スパコンと核の関係に触れることは最大のタブーだった。核武装を実現したい中曽根はエネルギー政策を踏み台に使い、プルトニウムの蓄積を推進すると共に、スパコンの核実験による解析技術が欲しかったのであり、世界平和研究所がデータベースを完全に握って、支配の地歩を築くためにスパコンが必要だったのである。

”この(リクルート事件)疑獄はスパコンがらみのNTT事件だったのであり、世界平和研究所の軍事研究に使うスパコンの問題に加え、リクルートと日経がNTTと組んで、新しい情報中枢を作って民間参謀本部になる、きわめて巧妙な陰謀までが関係していた。
そこには日本の将来にとって危険な企みがあり、その野望が改憲を狙う国家主義のグループと結んだ、なし崩しの再軍備に発展する意図を秘めていた点で、巧妙に仕組まれたソフトなクーデターでもあった。

T型(技術集約型産業社会)時代の汚職はジーメンス事件やロッキード事件のように、ハードの代表である兵器が主体になるが、リクルート事件の場合は同じハードでも、情報商売と結びついたコンピューターが主役で、K型(知識集約型産業社会)社会の到来と密着したパターンを持っていた。だが、民活を使った土地投機と結んだだけでなく、未公開株を使った金儲けと関係していたために、陰謀は実現せずに買収と収賄からなる汚職で終わり、すべてがウヤムヤな形で雲散霧消したのである。[日本が本当に危ない/藤原肇著]”


竹下は何者かのマスコミへのリークにより、目白台の田中角栄宅に行き門前払いをくらわされるところをテレビで放映され天下の物笑いにされているのだが、この皇民党というのは、そもそもロッキード事件の時に田中角栄を盛んに攻撃していた右翼団体の系列に属しおり、田中角栄の味方気取りはおかしいとい


1987年、川崎市が「ハイビジョン都市づくりへ向けて」という宣言を発表し、翌88年には郵政省が、川崎市を先例とする「ハイビジョン・シティ構想」を発表するが、
このリクルート事件にはもう一つの信じ難い事実も>あります。それは、この事件は、神奈川県警の共産>党員宅の盗聴事件で最初動いていた朝日の川崎支局の人間に、その神奈川県警の捜査ニ課の警部が「川崎駅前のリクルート・テクノピアを調べた方が、盗聴事件より大きなスキャンダルがものに出来る」と>言ったのが事件発覚の発端となったというものです。

中曽根康弘の、「世界平和研究所」は、政官財の錚々たるお歴々が役員に名を連ねていて、それは何故「ケイザイ」の「日経」などが戦争を考えるのか?という疑問が氷解するようなメンバーなのである。また、岸信介は首相時代の1957年に「日本は核兵器保有が可能である」と発言しているが、その4年前には、「誘導弾懇談会」が発足しており、これは無論核弾頭を装備する誘導ミサイルの製造計画のことであった。この極秘軍事ビジネスは、三菱が主導しこんにちに至っているが、現在は行革委員会委員長となった三菱重工の飯田庸太郎にそれは引継がれている。

ひとたび事故が起ればアジアが廃墟になるほどのプルトニームが集まる青森県・六ヶ所村の、核燃料サイクルも当然の如く主幹事会社は三菱重工であり、また、プルトニーム「平和」利用の口実として使われ、莫大な税金がそそぎこまれてきた、1995年にナトリーム洩れ事故を起こして破綻した敦賀の「もんじゅ」も、三菱重工が主幹製造会社である。