経済的私人としての角栄の有能考


◇理化学研究所とは

 今回の事件に登場する理化学研究所の歴史は、1917(大正6)年にさかのぼる。渋沢栄一氏ら財界人の提唱で「総合科学研究所」の機運が高まり、政府や皇室、産業界の支援を受けて東京・駒込に設立された。
 当初は土星型原子モデルで有名な長岡半太郎、当時の世界最強磁石「KS鋼」を発明した本多光太郎、ビタミンB1を分離した鈴木梅太郎の3氏が在籍し、「理研の三太郎」と呼ばれた。ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹、朝永振一郎両氏も理研で研究の礎を築いた。

 昭和初期から終戦にかけては理研の発明を工業化するさまざまな事業体(通称、理研コンツェルン)があり、産業基盤の強化に寄与した。製品はエンジンのピストンから感光紙、飛行機用部品、ウイスキーに及び、「理研」の名は一般にもなじみが深かった。OA機器メーカー「リコー」などこの企業群にルーツを持つ会社は現在もある。

 敗戦で理研コンツェルンはGHQにより解体された。また原子核物理学者の仁科芳雄氏が開発した円型加速器「サイクロトロン」はGHQから軍事研究の嫌疑を受け、東京湾に沈められるという事件もあった。

 戦後、理化学研究所法の施行により特殊法人化され、施設は埼玉県和光市に移った。現在の理研は脳科学や遺伝子解析、発生・再生学、放射線の高度利用などの先端分野に力を入れる。研究拠点は国内に計7カ所あり、研究スタッフは約2000人に上る。
 昨年発足した「横浜研究所」(横浜市鶴見区)は、日本有数の「ゲノム研究拠点」として国内外に知られる。日本原子力研究所と共同で兵庫県内に建設した大型放射光施設「SPring―8」は、和歌山市・毒物カレー事件の亜ヒ酸の鑑定に使われ、注目を浴びた。





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