時田氏の労作から学ぶ現代文革論諸氏の見解考その1、ポスト文革政権考
(「文革後のケ小平系走資派中共党中央権力規定」考)

 (最新見直し2005.5.27日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 れんだいこは、「れんだいこの文革考」でれんだいこ文革論を構築せんとしている。この時、サイト「解放の通信の氏の「時田研一、中国の「新左派」・「自由主義」論争――文革の評価をめぐって」( 2003・4・10、以下「第一論文」と云う)に遭遇した。時田氏は更に続篇として「中国の「新左派」・「自由主義」論争 NO.2――「二つの文革」論をめぐって」(2004.7、以下「第二論文」と云う)を書き上げている。

 本文はサイトを見ていただくとして、れんだいこが勝手に意訳し整理してみる。とはいえ折々になりそうである。なぜなら、取り扱う内容そのものが濃くて、これを読み解くのは至難の業であるから。そういうことが分かるかられんだいこは読み取りを控えてきたが、そろそろ立ち向かって生きたい。現代中国知識人の最高の頭脳が結集している筈であり、それは楽しいに違いないから。

 それにしても中国人は史書的議論を好むことが分かる。遠い昔からこの傾向が有り、れんだいこにはそれが羨ましい。我々日本人は反対に、大東亜戦争論も戦後ハト派論もロッキード事件論も総てを時間の風化に任せて何らの教条をも持たぬまま平気で歴史を渡ることができる。そういう日本的特性の良さもあるのだろうが、それは小児性とも云い為しえるだろう。どちらが良いのか分からないがお国柄の違いを見て取ることができる。

 それにしても難しすぎる。作業経過のものをアップするのは忍びないが、自宅で読み返す際に為のなるので転送しておく。

 2005.5.18日再編集 れんだいこ拝


(私論.私見) 【戦後日本の国家権力規定考】

 日本左派運動はそろそろ「文革後の中共党中央権力と今日の中国」の社会科学的規定を獲得せねばならない。これは、日本左派運動が今後の中国及びその中共政権とどう関わっていくべきかというマルクス主義的意味での国際主義的方針の打ちたて、舵取りに関係してくるからである。

 れんだいこは、戦後日本の国家権力規定を次のように見立てる。
 戦後日本とは、市場性プレ社会主義という史上未踏の体制に最も接近していた稀有な資本主義国家であった。その権力内部は次第に、ネイティブ権力系ハト派とシオニズム系タカ派に収束されていった。ハト派は田中角栄的なるものに集約され、タカ派は中曽根康弘的なるものに集約されていき、両派の釣り合いと抗争の両建て権力が戦後日本の政治構造となった。政治には多くのモニュメントが見受けられるが、真に実体的であったのはこの両派の抗争であり、他の如何なる政治ドラマもこの両派の闘いに比しては色褪せる故に、この両派の抗争こそより本質的であったように思われる。

 この闘いは、戦後直後から1980年初頭の鈴木政権までの三十年間をハト派が主導し、その巨頭田中角栄がロッキード事件禍で政界追放されていく度合いに応じてタカ派の威勢が強まり、ポスト鈴木政権として中曽根政権が登場してより以来今日の小泉政権までの二十数年間をタカ派が領導しつつある。

 留意すべきは、戦後タカ派は、戦前タカ派が米英ユ同盟を鬼畜米英と看做してこれと闘ったのに比して、敗戦後遺症と云うべきか戦勝側の米英ユ同盟に馴致されており、より実態的には今や世界を牛耳るユダヤ裏権力のエージェント的タカ派として登場していることである。

 れんだいこのこの規定がなぜ重要なのか、それは中国の国家権力規定を同じようにに見立てることが出来るからである。なぜそうなるのか。それは、世界が同じコマで廻っているからであろう。

 2005.5.21日 れんだいこ拝

(私論.私見) 【戦後中国の国家権力規定考】
 戦後建国された中国は、中共一党独裁により運営された。その権力は、上述のれんだいこ式日本規定になぞらえれば、毛沢東的なるものとケ小平的なるものの闘いであった。この両派が釣り合いつつ抗争する両建て権力であった。他の如何なる政治ドラマもこの両派の闘いに比しては色褪せる故に、この両派の抗争こそより本質的であったように思われる。戦後日本を最初に取り仕切ったのがハト派であったように、この時期中国では毛沢東派が権勢を握っていた。戦後日本がハト派からタカ派に転換したように中国でも毛沢東派からケ小平派に衣替えする。つまり、日本のハト派と中国の毛沢東派、日本のタカ派と中国のケ小平派が互いにハーモニーしていることになる。

 留意すべきは、毛沢東派は、今や世界を牛耳るユダヤ裏権力と対峙していたのに比して、文革後に政権を握ったケ小平派は親通しており、より実態的には帝国主義的西欧諸国家を模範としその仲間入りを目指す新現実主義戦略にあり、日本と並ぶ否日本をも呑み込むアジアの盟主的地位を目指しつつあるように見える。

 四人組追放により最終符を打った文革後の中共党中央は華国鋒政権を経由してケ小平政権に移行した。ケ小平政権は口先ではマルクス主義を唱えつつとめどない「脱マルクス主義」の道を歩み始めた。「改革開放路線」とは、マルクス主義の呪縛からの改革開放であり、シオニズム的世界へ接近していく道のりであった。今や遂に「資本家層の入党」を認める方針まで打ち出すに至っており、中共政権の変質は眼を覆うばかりとなっている。早晩内部崩壊が免れ難いように思われるがこれは分からない。

 考えてみるのに、この方向は、戦後の国共内戦で、蒋介石の国民党派が勝利していたなら容易に辿り着いた道である。しかし歴史はかの時、毛沢東の共産党派が凱歌を上げ、蒋介石派が台湾に逃げ込むことで休戦した。歴史の皮肉なところであるが、内戦に勝利した共産党派による中華人民共和国建国後の歩みは失政に継ぐ失政を繰り返した。そういう事情から毛沢東派が隠居し劉少奇ーケ小平派が舵取り始めた。

 しかし、劉少奇ーケ小平派の舵取りは、毛沢東派からみて許容し難い社会主義からの裏切りの道であった。これを「走資派」と呼び、これに異議を唱え抗議の政治革命を遂行したのが文化大革命であった。この間、日本では自民党の池田ー佐藤ー田中が政権を握り、高度経済成長時代を向え、比類なき国富を蓄積しつつあった。この間中国は、日本の奇跡的復興と発展を横目に見ながら、毛沢東派とケ小平派両派の熾烈な抗争を続けるという国益上由々しき事態に陥っていた。

 しかし、毛沢東の盟友・林彪派の失脚、毛沢東の死去、後継を約束されていた四人組の失脚という政治ドラマを通じて、漸くと云うべきかケ小平派が勝利することで文革十年の混乱に終止符を打った。今日、ケ小平派は、「戦後の国共内戦で、蒋介石の国民党派が勝利していたなら容易に辿り着いた道」を歩み始めている。

 この一連の過程をどう評するべきか。中国知識人はこの分析に精力的に向っている。ここに中国知識人の能力の高さが認められると云うべきか。れんだいこはかように考えている。

【自由主義派の「文革後のケ小平系中共党中央権力規定」考】
 ポスト文革後の中共党中央権力規定は、「今日の中共党中央考」で検証する。以下、中国知識人がこの問題にどう対応しあるいは立ち向かっていっているのかを考察する。

 ケ力群らの「党内左派」、「太子党」左派の一部は、文革後の中共党中央の右傾化路線に対し、「社会民主党、改良主義党への道だ」と批判し、「中共の社会民主党への変質論」を述べている。これを仮に社民化論とする。何清漣は「現代化の落とし穴」(草思社、2002年)において中国の現在的実態をリアルに描き出している。

 しかし、社民化論には異論がある。外民運派の胡平(「中国民主団結聯盟・主席」)は、次のように述べて社民化論を否定している。
 概要「中共が社会民主主義化しつつあると見立てるのならば、社会民主主義の特質である『社会主義』と『民主』を両建て傾向を認めねばならない。しかし、中国共産党のこの間の変化はそういうものではなく、一つの全体主義党として、その党員の社会的要素にどんな変化があろうともその全体主義的性格に実質的な影響を及ぼすことはありえない。よって、『中共の社会民主党への変質論』は見立てが誤っている」(「中国共産党の資本家入党の許可を評す」)。

 「中国共産党は社会民主党に変化しつつあるのか」も同じような観点を披瀝して次のように述べている。
 「中国共産党は戦車と機関銃によって民主運動を鎮圧し、その後は専制的な鉄腕をもって私有化改革を推し進めてきたことにより、政治的には専制と暴虐を、経済的には腐敗と貪婪を一身に集めた怪物へと変化した」。

 つまり、文革後の中共党中央の右傾化路線を認めつつも、それを「社会民主党、改良主義党への道だ」とする見解に対し、「民主無き右傾化路線」を推し進めているのであるからして、「社会民主党、改良主義党への道ではない。むしろ規定しようの無い怪物への道を歩み始めている」と見立てしていることになる。

 康暁光は、第三の観点を披瀝している。同氏は、北京大学教授で、1963年生まれの政治的異論派でもなければ、自由派、「新左派」でもなく一人の体制寄りの学者である。康暁光は、「三つの代表論をもって中国はどこへ向おうとしているのか」を問い、次のように分析している。
 概要「今日中国共産党は、集権主義体制から権威主義体制へと変化してきており、その社会的基礎を成しているのは政治エリートを中核とする統治集団と経済エリートと知識エリートとの同盟なのだが、実のところこの政治エリートは誰をも代表していない」。

 「今後3−5年の中国大陸における政治的安定性の分析」は次のように述べている。
 概要「エリート政治をもって中国政治の本質とすることはできない。実際のところあらゆる政治はエリート政治である。中国大陸の特色は統治の任務をおこなう党と政府の官僚集団そのものがすなわち統治階級であり、統治集団すなわち統治階級、代理人すなわち委託者というところにある。政治エリートはいかなる階級も代表していない。彼らは一切の階級を凌駕しており、すべての階級に権威主義的統治をおこなっている。彼らは只々自己の利益に責任を負っているだけである」。

 康暁光は、「いかなる階級も代表していない」統治集団とは一体何者なのかを問い、これら「統治集団」の実態と今後の予見される動向に言及し、驚くべき次のような見立てを披瀝している。
 「元々のイデオロギーは破産したのだが、新たなイデオロギーはまだ生み出されていない。今日の共産党について言えばマルクス主義、レーニン主義、毛沢東思想はただその正当性を粉飾するものでしかなく、恥部を隠す役に立たないベールでしかない。その手中にある精神的資源としては『ケ小平理論』すなわち『実用主義』があるだけである」。
 「イデオロギーの終焉は一連の重大な結果をもたらした。その一は中国共産党が『革命党』から『執政党』へと変貌したことである。現在、中国共産党の組織目標は『資本主義を消滅させる』ことではなく、ただただ『執政』あるいは『統治』である。その二は中国共産党の正真正銘の『理性的経済人』への変化である。大統治集団の既得利益を維持ないし拡大できさえすれば、いかなる理論、進路、原則、価値をも受け入れ可能である。その三は個々の党員、幹部たちに道徳なく、理想なく、人生の意義と帰結を知ることもないことである。絶大多数の党と政府の党員および幹部を生活と仕事に駆り立てているのは、人類の最も原始的な生物学的欲望である」。
 「『八九』〔天安門事件〕のあと、中国共産党は政治的反対派の活動と独立した社会組織を情け容赦なく鎮圧した」。
 「中国共産党はその極端な専制によって一切の政治的対抗者を消滅させてしまっており、国内で中国共産党に取って代わったり任を引き継ぐ勢力が一つも生まれることがないようにさせた」。
 「中国大陸で最も重要なのは政府の安定性である。政府が打ち倒されたとき、統治者と彼らが奉じる政策、擁護する現行制度もすべて徹底的に葬り去られるかもしれない。そして政府の不安定は全面的な不安定、たとえば経済の崩壊、社会動乱、民族的衝突、分裂、内戦、ないしは国際的衝突を引き起こす可能性がある」。

 康暁光のこの指摘をどう窺うべきか。れんだいこが思うに、現下中共党中央の動きはせいぜい良くてもケ小平派の私物化の動きが認められ、彼らは既に脱マルクス主義であり、故に従来式のマルクス主義的階級分析論では捉えられない別の生態を見せていることを言外に込めているのではなかろうか。しかしてこの権力が今や世界を牛耳る米英ユ同盟と結託しているとしたらどうなるか。こういう風に読み取れば、これはこれで卓見かも知れない。

 これには批判もある。何家棟、王思叡の「社会階層の分析と政治的安定の研究」は次のように述べている。
 概要「この分析はジラスの『新階級』理論に依拠したものであり、スターリン―チト−―毛沢東の時代の社会的現実には大体符合しているが、目下の社会的現実には不適応である。まさに康暁光論文が述べているように『八〇年代後期、中国大陸では集権主義体制から権威主義体制への転化が完成した』のである。全能主義体制の転型につれて一元化されていた統治エリートは政治エリート、経済エリートと知識エリートに分化し、政治エリートの代表的、『代理人』的性格が顕著になり、少なくとも彼らは自己の同盟軍―経済エリートと知識エリート―を代表することが必要となった。これこそが『三つの代表』の真諦なのである」。

 何家棟、王思叡の「社会階層の分析と政治的安定の研究」の指摘は、現下の中共党中央の右傾化路線の本質を何とかして従来式のマルクス主義的階級分析論の範疇で規定しようとしているのだと思われるが、如何なものだろうか。れんだいこには、康暁光の言外の推理の方がより的確な指摘をしている気がする。

 時田氏は、次のように述べている。
 だが、康暁光の分析が、「改良主義党化論」などでは押さえきれない今日の中国共産党の奇怪な性格を見ていくに際して一つの重要な示唆を与えているのは確かである。

 胡平は、康暁光の指摘を「『六四』〔天安門事件〕以降の13年間の中で最も重要なもの」と高く評価しつつ、しかしそれは「中国共産党の専制擁護の絶唱」なのだと言う。と言うのも、ここまで冷徹に今日の中国共産党政権を分析した康暁光のこの文章の結論はつぎのようなものだったからである。
 「自己の根本的利益を維持し守るためには、中国共産党は必ずエリートの利益を適当な限度に制限する必要がある。それはエリート間の連盟の破裂を引き起こし瓦解させる可能性がきわめて高いことから、現在の政治的安定を維持する重要な基礎なのである。すなわち、中国共産党の手中にあるのは『諸刃の刃』なのであり、安定性の問題を力で威嚇して解決しようとすることは往々にして安定性の基礎を破壊することになるからである」。
 「見方を変えれば、中国大陸の安定性は中国共産党の理性と民衆の忍耐力によって決まるのである。もし中国共産党が理性を備えており、問題を終始大衆が容認できる範囲内に制限することができるなら政治的安定の維持は可能である」。

 ここでの「適当な限度に制限する」という言い方に注目しつつ胡平は康暁光論文が「専制擁護の絶唱」ある所以をこうまとめている。
 「ますます厳重となる社会的不満に直面して康暁光たちが政府に提出した建議のすべてはつぎの一言に帰結する。すなわち『われわれは節度をもって彼らを搾取しようではないか』」(「中国共産党の専制擁護の絶唱」)。

 胡平のこの指摘は、康暁光の現下中共党中央論の本質を鋭く衝いているのだろう。しかし、康暁光の「もっとうまくやれ式体制擁護論」は付け足しのものであり、れんだいこ意訳概要「現下党中央の政治はケ小平派の私利私益のものであり、国内のどの階級の利益を代表しているというようなものではない。この一派が国際シオニズムと通底して帝国主義国家への仲間入りを目指しているというのが実相だ」とそっと暗喩しているとしたら、康暁光のこの指摘こそこれはこれで値打ちものであるように思われる。


【「現代中国における自由主義派、新左派の論争概観」】
1990年代に入っていわゆる「新左派」と「自由主義」の論争が開始された。この論争は、政府の「三つの代表論大キャンペーン」の背後で、それと微妙な関係をもって展開された。「両世紀にまたがる大論戦」と云われるこの論争は今後の中国の動向を見ていく上で重要であるように思われる。

 康暁光はこう述べている。
 概要「90年代、新左派は理論上重大なことを成し遂げた。実際上、彼らは膨大な理論体系を構成しており、それは一つのイデオロギーへと発展し、さらには中国大陸の権威主義的政治に合法性を提供する論説となる大いなる可能性を持っている。この意義でみれば、90年代中国共産党の最大の収穫はイデオロギー再建の分野において初歩的な成功を獲得したことだと言うこともできる」。

 つまり、体制当局側の「文革徹底否定」と「改革開放」路線の展開のなかでイデオロギー的空白が続いていた事態に抗するかのごとくに「新左派」理論が登場し、「新左派と自由主義派の両世紀にまたがる大論戦」が為されたことの意義を認め、「今後の中国の動向を見ていく上で重要であるように思われる」と評論していることになる。

 「新左派と自由主義派の両世紀にまたがる大論戦」考察前作業として先ず、自由主義派の由来とその理論を見ておく。自由主義派とは、文革終焉後生み出されたケ小平派政権支持派であり、ポスト文革後の中共党内改革派と連携していた自由派知識人達のことである。

 しかし、自由主義派は、1989年の天安門事件と1992年のケ小平「南巡講話」で躓く。彼らはそれまで、毛沢東派を批判することで成り上がったケ小平派を支持していた。その彼らをケ小平派が大弾圧したのが天安門事件の真相であった。ケ小平派の天安門事件での大弾圧は、毛沢東派によって引き起こされた文革過程でのどんな弾圧に比しても「問答無用式の手法に於いても戦車導入による弾圧の仕方に於いても異常なる無慈悲なもの」であった。しかも、天安門事件以後、運動を担った活動家層の中核部分は執拗に追捕され、獄中に入るか「海外流亡」を余儀なくされた。

 かくてその後の中国思想界を覆ったのは無力感と「失語症」であった。この時期それを覆いつくすかのように「改革開放」が全面展開へと向かい、知識人たちの間でも「下海」が流行となる。

 しかし次第に「失語症」からの回復が始まり、思想が再形成されていく。そこには三つのベクトルがあった。その一つは、ケ小平体制をも急進主義権力と見立てた上での「急進主義批判」のベクトルであり、その二は「中国の資本主義化の肯定的評価」のベクトルであった。もう一つは、これまで社会主義中国のもとで一貫して批判の対象だった資本主義とそのイデオロギーの見直し、評価が進行する。いずれにせよ、結果的にケ小平派体制の擁護に繋がるものであり、「これまでのような体制変革の道は誤りだった」とするところに共通の観点が見られる。こうしてこれまで体制批判で一体感を保持していた自由派知識人の間に分岐が起こり、その一部は体制支持へ移行する。
 これら思想の再編の中からいわゆる「自由主義派」が形成されていく。この時期、彼らが読込んだのは、バークの「フランス革命論」、トックヴィルの「アメリカにおけるデモクラシー」、ハイエクの「隷従への道」、バーリンの「自由論」、アレントの「革命について」、ポパーの「開かれた社会とその敵」、等々であった。こうして、中国近代史のなかから急進主義、民衆主義(民粋主義)とは異なる自由主義の系譜が発掘され始め、顧准、陳寅恪等の再評価がなされている。

 この現象につき、時田氏は次のように述べている。
 「一つのエポックを画する運動の挫折の後の光景はいずこも同じなわけである。七〇年代、われわれもまたこれらの著作を手にしたではないか」。
 これらの流れにアンチする立場から「新左派」が生まれた。「新左派」は1990年代に新たに登場した「自由主義」に対抗して形成された。ここで、「新左派」とは何者なのかのおおよその輪郭をつかんでおく。

 「新左派」は、日本では「改革派」との対比で「保守派」と訳されたりしているが適切ではない。それは、文革崩壊以降、中国において「左派」という言葉は貶義である事情に関係しているのかも知れない。それはともかく、「新左派」の多くは文革を知らない若い世代だという。もっとも「新左派」と言ってもその内部は均質ではなく、外国在住派と国内派、毛派と必ずしもそうでない者、ナショナリックな傾向派とそうでない者との間にニュアンス上かなりの見解の差がある。但し、「自由主義」批判では一致している。

 「新左派」は、「自由主義」の主張(「急進主義批判」、「民衆主義批判」、中国に於ける資本主義的発展の積極的評価、市場主義、その先に政治的自由と民主の展望する等々)への批判者として登場している。

 但し、「新左派」について二点を留意しておく。その一つは、「新左派」もまた広義の自由派知識人の流れにあり、彼らによる「自由主義」批判が結果として中国共産党政権による自由派への批判、圧迫と交錯することがあるとしても、それを一緒くたにはできず、この論争は自由派の分岐としての性格を持っていることである。

 もう一つは、「新左派」の内部には明らかに異なる二つの傾向があり、人的に見れば一方の汪暉、崔之元らのどちらかと言えば学者派と、他方での李憲源、粛喜東ら「民衆派」との間の見解、出身階層、社会的基礎のちがいである。「自由主義」の王思叡は、「今日の中国の左派のスペクトル」で、李憲源らを「新左派」、そして党内の「老左派」とも区別して「中左派、毛主義」と名づけている。

 演劇「チェ・ゲバラ」の製作者・張広天、黄紀蘇らは典型的な「中左派、毛主義」であり、張広天は著書「『新左派』と革命の問題から私の文芸観を語る」の中で、「新左派」の学者部分が「革命」について語ることのないのを皮肉っている。

【「新左派対自由主義派の論争概観」】
 「新左派」と「自由主義」が論争を開始した。1997年頃から両派の論争が公然化した。本格的な論争の始まりは1998年に発表された韓毓海の「『自由主義』というジェスチャーの背後で」という文章であった。争点は多岐にわたっており、その全容をつかむにはかなりの準備が必要である。それに現在主として雑誌やインターネット上で展開されているこの論争が中国の人民諸層の動向とどのように繋がっているのか、さらに中国共産党当局が今のところそれを放任しているかに見えるのはいかなる政治的判断によるのか、等々事態はなかなかつかみ難い。

 但し、1989年以降、真実を公に語ることは実際には不可能なのであって、誠実な思想は地に籠っており、表に出ているのは多かれ少なかれシニックな日和見的なものであり、この両派の主張をもってこの時期の思想を代表するものとするのは正しくないという見解(任不寐「『日和見主義』の理性的境界」)もある。

 それに中国での知識人世界と広大な大衆世界とは今なおわれわれの想像を越えて隔絶したものであるようであり、それに「インターネット論壇」を賑わしているこの論争も伝統的なメディアでは人目を惹いているわけでは決してないという証言もある。だが中国共産党指導部がこの論争を注視しているのは確かである。

 ここではそれらは今後の課題として、「自由主義」の代表的な論客である徐友漁、朱学勤の整理を参照する。徐友漁の「知識界は一体何を争っているのか?」によれば対立点は次の諸点をめぐっている。
「市場経済と社会的不公平」
「グローバル化とWTOへの参加」
「中国の国情について」
「大躍進、人民公社、文革等々をどう取り扱うか」
「八〇年代の思想解放運動と五四新文化運動をどう取り扱うか」

 見られるようにこれらの論点の背後にあるのは、文革終焉以降の「改革開放」の評価、1989年の天安門事件、東欧・ソ連社会主義の崩壊の総括の仕方、そしてグローバリゼーションと「九・一一」のもとでの中国の内外政策という大きな問題である。

 朱学勤は、「新左派と自由主義の争い」の中で次の三つにまとめている。 1.中国の「基本的国情の判断をめぐって」、 2.「社会的弊害の判断をめぐって」、3.社会的弊害をいかに解決するかをめぐって」。

 この論争につき、時田氏は次のように述べている。
 概要「以上の諸点はひとり中国にとどまらず、日本のわれわれにとっても大きな関心事である。しかし今までのところこの論争は日本でそういうものとして取り上げられ検討されてきたわけではない。この論争に注目した日本での数少ない作業の一つに緒形康「現代中国の自由主義」(『中国21』Vol.9 風媒社、所収)がある。興味ある人は参照すべし」。




(私論.私見)