「幕末政変王朝交代論考」

 (最新見直し2005.11.15日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 日本史が世界に誇る回天事業である幕末維新の歴史的総括はまだ定まっていない。れんだいこはそう考えるようになった。1・幕藩体制の腐敗過程の検証、2・幕末志士活動の歴史的意義、3・民衆レベルでの幕末回天運動の意義、4・幕末創生民衆宗教の果たした役割、5・封建制から資本制への転換の検証、6・重大政変の検証、7・ネオ・シオニズム外寇の検証等々がそれぞれテーマになるが、どれ一つも定まっていない。

 ここでは、「幕末重大政変の検証」をサイト化する。れんだいこは、このテーマをこれまで見過ごし過ぎて来た。最近になり、小ネズミ政権の余りな売国政治ぶりを見せられるにつき、その淵源としての「幕末重大政変」の案外な重要性に気づき始めた。「幕末重大政変」の背景を探らねば、その後の日本史の歩みが正確に理解できないのではなかろうか、と思うようになった。既成の歴史本はこの視点をからきし欠いている。だからいくら学んでも歴史の真相が見えてこない。ならば、いつもの調子で、れんだいこが論述してみたいと思うようになった。

 れんだいこには、この方面の知識はまだまだ足りない。碩学の力を借りて今後ますます充実させていきたい。請うご支援を。

 追記。いざ検索してみたら、結構議論されているんだなこれが。一応書き付けてみたが、新摂取知識により書き換えを余儀なくされてしまう。その結果分かりやすくなればよいけど、量の膨大さで却って理解し難くなる可能性も有る。困ったことだ。

 2005.10.15日 れんだいこ拝


目次

関連サイト 幕末回天運動の研究】、【天皇制論】、【歴史再検証論(主義)考
天理教教祖中山みき論】、【明治維新の研究】、【大正天皇考
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関連著作




(私論.私見)



「三種の神器」についての北畠親房以来の致命的に危険な謬論を超克しなければならない。 [週刊日本新聞]
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/590.html
投稿者 乃依 日時 2003 年 8 月 29 日 18:33:18:YTmYN2QYOSlOI

(回答先: 昭和二十年八月十五日の日本の降伏のあと、日本の国体が護持されたのが、それともそうでないのか。[週刊日本新聞]〜平泉澄以下のペテン的皇国史観派 投稿者 乃依 日時 2003 年 8 月 28 日 00:10:13)

「三種の神器」についての北畠親房以来の致命的に危険な謬論を超克しなければならない。
http://www.pavc.ne.jp/~ryu/

平成15年08月29日(金) 07時49分
太田龍の時事寸評
平成十五年(二〇〇三年)八月二十八日(木)
(第六百八十三回)

○「文藝春秋」平成十五年九月号、四百六十六頁以下。立花隆「東條が心酔した平泉澄(さとし)の皇国史観 − 私の東大論(49)」

○ここに、平泉澄(さとし)が、北畠親房の「神皇正統記」を国史の典拠とした経緯が書かれて居る。北畠親房は、南北朝時代、南朝こそ正統の皇室であることを論証するために、三種の神器(鏡、玉、剣)を持ち出した。つまり、三種の神器を保持して居る南朝天皇にこそ、正統の皇位あり、と言う。

○もう一つの論拠、天孫降臨の神勅については、ここでは省略する。三種の神器についての北畠親房の説は根本的におかしい。しかし、その誤謬である理由を完膚なきまでに論証した人は、苗代清太郎である。苗代著では、古事記神代巻、天孫降臨の段。かがみ つるぎ たま○いずれも、もともと、漢字で表現された、モノの名として、出てくるのではない、と言う。この三つのことばは、家族共同体、民族共同体、国家共同体を作り上げて行くための、基礎となる思想と論理を表現したことたまである、とする。

○そして、その思想と論理をモノに託して、漢字の鏡、剣、玉、とする。古いやまとことばのことたまは、庶民の中では、ずっと後代になっても、大切に保存された。しかし、漢文にかぶれたインテリ権力者は、早くから、やまとことばを忘れた。従って、やまとことばで書いてある古事記の内容を、彼らは理解することが出来ない。

○南北朝時代の北畠親房には、やまとことばは皆目分らない。要するに、既に、日本人ではなくなって居る。北畠親房は、中国かぶれした、非日本人である。こう言う阿呆な人物の本を、国史の最大の典拠とは、笑止千万。更に、北畠親房の「神皇正統記」の精神を継承する、「大日本史」。○これが、実は、中国の一番悪いところにかぶれたニセモノ日本史、以外の何物でもない。中国の一番悪いところとは何を意味するか。これはここでは省略する。

 (了)


苗代清太郎編「苗代清七回想伝」(昭和五年刊) [週刊日本新聞]
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/592.html
投稿者 乃依 日時 2003 年 8 月 29 日 23:44:25:YTmYN2QYOSlOI

(回答先: 「三種の神器」についての北畠親房以来の致命的に危険な謬論を超克しなければならない。 [週刊日本新聞] 投稿者 乃依 日時 2003 年 8 月 29 日 18:33:18)

苗代清太郎編「苗代清七回想伝」(昭和五年刊)
http://www.pavc.ne.jp/~ryu/

平成15年08月29日(金) 23時14分
太田龍の時事寸評
平成十五年(二〇〇三年)八月二十九日(金)
(第六百八十四回)

○苗代清太郎国学の調査研究を進めて行くと、その第一前提として、苗代清太郎(明治三十七年 − 昭和五十八年)の伝記的知識が必須となる。ところが、「萬象の根元」(昭和三十一年)以降の戦後の著作には、明治三十七年大阪府生れそれから茨木中学校卒業、國學院大学卒業(昭和二年)、とあるのみで、その中味は何も分らない。

○大阪府(今の)箕面(みのう)市に生まれて、國學院大学を卒業するまでのことを知りたい。と念じて居たところ、このほど、昭和五年、苗代清太郎編苗代清七回想伝と言う、ガリ版(謄写版)印刷の貴重な文書を閲覧する機会を得た。苗代清七、とは、苗代清太郎先生の父上。この清七回想録で興味深いところは、日露戦争当時の状況である。日本軍が満州の陸戦で勝ち、日本海海戦で大勝すると、新聞の論調にも煽り立てられて、日本国民は、ウラルまで取れ、少なくともバイカル湖以東のシベリアを日本が取ることは自明、そして、ロシアから数十億の賠償金を取れ、と言った気分であったと言う。

○従って、ロシアとの講和条約の条件が公表されたときに、日本国民は、ただただ、呆然とした、と、清七回想録には述べられて居る。

○この「条件」とは、(1)南樺太を日本領に。(2)賠償金はなし。(3)朝鮮独立の保障。(4)旅順大連港は日本管理。(5)満州についてはロシアが若干、後退する。と言ったものである。

○苗代清七の長男、清太郎が出生したのは、まさにこの日露戦争の時代である。それにしても、当時の日本の新聞、そして新聞の論調を形成する日本のインテリ階級の軽佻浮薄なること、お話しにならない。しかし、ここでは、この件は省略する。

○日本の西洋かぶれインテリは西洋帝国主義の毒に、骨の髄まで、犯されて居る。この時代に生まれた苗代清太郎が、どのように学び、生長して行くか、いかなる思いで、國學院大学に進学することにしたのか。興味のあるところである。更に、続報する。

 (了)