日本語に於けるカタカムナ語の基底的機能考

 (最新見直し2009.3.22日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「日本語に於けるカタカムナ語の基底的機能」を確認する。日本語は、カタカムナ言語を母語として、その後漢字を吸収して行くことでより豊かになったと思われる。更に、平仮名、カタカナを創案することで、世界に例のない調和文字となった。この過程で、漢字の音義学的日本語への影響が為され、今日ではカタカムナ言語の母語的確認がしづらい面がある。しかしながら、カタカムナ言語の日本語の影響が牢として認められる、重要な概念はほとんどカタカムナ言語に負っていることを確認したいと思う。

 2009.3.22日 れんだいこ拝


【カタカムナ図象とカタカナ文字の関係考】
 カタカムナ声音符とカタカナ文字の関係を確認しておくと次のような類似が認められる。

 =オ、=キ、=ク、=サ、=ス、=ソ、=タ、=チ、=ヌ、=ホ、=ユ、=ヱ、=ラ、=リ、=ル、=ヰ、=ヲ、=ン

 これを見れば、カタカナが、漢字の偏や旁(つくり)から採ったというよりもカタカムナの声音符を原形としているとみなすべきではなかろうか。

【豊国文字とカタカナ文字の関係考】
 「上記」・「竹内文献」原文に使われていたり、宮崎県の天岩戸神社境内より出土の岩戸蓋石にも刻まれている豊国文字となるとカタカナとの繫がりがもっと直接的になる。書体には豊国古体象字と“豊国新体象字”が存在しており、古体象字は一種の象形文字であり、越文字やサンカ文字」に酷似している。新体象文字は更に力タカナと類似点がある。力タカナを作ったのは吉備真備と云われているが、その際「上記」を参考にしていたことが十分考えられる。

 豊国古体象字

 豊国新体象字

【カタカムナ文字のア-ン順並べ】
 カタカムナ文字のア-ン順縦書き左右順表を図示しておく。
ア・あ カ・か サ・さ タ・た ナ・な ハ・は マ・ま ヤ・や ラ・ら ワ・わ ンん
イ・い キ・き シ・し チ・ち 二・に ヒ・ひ ミ・み ヰ・い リ・り ヰ・ヰ
ウ・う ク・く ス・す ツ・つ ヌ・ぬ フ・ふ ム・む ユ・ゆ ル・る ウ・う
エ・え ケ・け セ・せ テ・て ネ・ね へ・へ メ・め ヱ・ゑ レ・れ ヱ・ゑ
オ・お コ・こ ソ・そ ト・と ノ・の ホ・ほ モ・も ヨ・よ ロ・ろ ヲ・を

【カタカムナ文字のアカサタナ横並べ】
 カタカムナ文字のア-ン順 横並べ上下順表を図示しておく。
ア・あ イ・い ウ・う エ・え オ・お
カ・か キ・き ク・く ケ・け コ・こ
サ・さ シ・し ス・す セ・せ ソ・そ
タ・た チ・ち ツ・つ テ・て ト・と
ナ・な 二・に ヌ・ぬ ネ・ね ノ・の
ハ・は ヒ・ひ フ・ふ ヘ・へ ホ・ほ
マ・ま ミ・み ム・む メ・め モ・も
ヤ・や ヰ・ヰ ユ・ゆ ヱ・ゑ ヨ・よ
ラ・ら リ・り ル・る レ・れ ロ・ろ
ワ・わ ヰ・ヰ ウ・う ヱ・ゑ ヲ・を
ン・ん

【「カタカムナ図象」と「カタカナ」との対照の原点:「ヒフミ歌」】
 

 この歌を解読すると次のようになる。「アマ始元量には、正と反の旋転・循環する性質があり、それは極限までくりかえしつづくものである。そして、万物万象が統合したり、分化したり、崩壊したりする性質も、アマ始元量の本来の性質に基づく自然則であって理屈ではない。アマ始元量のこれらの性質が万物万象に受け継がれて、すべてのものが発生するが、その根源は潜象世界のヌシであるカタカムナである」。力の変遷の位相が簡潔に示されている。

 「ヒフミヨイのウタ」は、天然自然の諸現象の成り立ちを示すヤタノカカミ図象の横線を地平線とすれば、縦線は中央に人が立って見ていることになる。ヒガシ(東)からヒ(日)が昇り、上の半球はヒル(昼)、下の半球はヨル(夜)を表わす。「ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト」とは、ヒはヒガシの日の出であり、そこから順にフミヨとマワリながらイの日没となり、更にメクルことによりムナヤコトと変遷して行くことになる。ヒフミヨイは正を、ムナヤコトは反を意味し、宇宙のすべてのものは天体から極微の世界まで正と反の旋転(自転)と循環(公転)の動きによる球(タマ)の性(マリ性)によって抽象されることを表わしている。

【ひふみ数え歌の哲理】
 昔からの数え歌の「ひふみよいむなやこと」を解析する。これには次のような深い哲理が秘められている。(「ひふみ(一二三)の教え」)
【「一二三の理」】
 古神道では、言葉は言霊である。「こと」とは「息」の古語であり、「ば」は口を開けた状態を指している。これにより「息の発露」が言葉の原義となる。そこに魂、霊が宿っているとしており、言葉が言霊となる。万葉集の中で、歌人の柿本人麻呂が次のように詠っている。
 「志貴嶋(しきしま、敷島)の倭(わ、やまと)の国は、事霊(ことだま、言霊)の佐(たす)くる国ぞ、真福(まさき)く在りこそ」。

 「ひふみよいむなやこと」は「天の数歌」、「ひふみ神歌」、「ひふみの数霊祝詞」とも呼ばれる。
【「一の理」】
 「一」は、霊叉は日、火を意味しており、全てのものの始まり、全てがこれより生ずと云う根源の意味を持つ。

 天台座主の山田恵諦師は次のように述べている。
 「一がちゃんと支えられている時、世の中は平和で全ての人類は幸福だ。一を支えるためには三本の脚が大切で、その長さは同じでなければ、傾いたり、ひつくり返ってしまう。その三本の脚とは、政治、経済、宗教だ。この三本の脚が揃ってしつかりしていさえすれば国は栄える」。
【「二の理」】
 「二」は、風、増えるの意味であり、一の対となる。全ての根源である霊が陰と陽の二つに分かれる理合いを表わしている。夫婦の意味を持つ。
【「三の理」】
 「三」は、水、身、実を意味しており、二以上のたくさんのという意味を持つ。
【「四の理」】
 「四」は、世を意味しており、四方八方の広がり、充満に繋がる。
【「五の理」】
 「五」は、命、息を意味しており、三とは叉別のたくさんのという意味を持つ。手指、足指が5本の理とも関係する。
【「六の理」】
 「六」は、産(むす)び、結びの意であり、命が発展していくさまを表わす。
【「七の理」】
 「七」は、成る、鳴るの意であり、三、五とは叉違うたくさんのという意味を持つ。七宝、七賢、七福神に使われる等聖なる数としても使われる。人の寿命の節として使われる。その最初が「七五三」、7の倍の14が元服、3倍の21が成人、4倍の28が厄、5倍の35が女厄、6倍の42が男厄、7倍の49が厄、8倍の56、9倍の63、10倍の70.11倍の77、12倍の84、13倍の91、14倍の98。15倍の105、16倍の112まで続く。
【「八の理」】
 「八」は、弥栄の意であり、発展、前進、末広がりの意味を持つ。
【「九の理」】
 「九」は、凝る、窮極の意味を持つ。

 実践的弁証法
 窮鼠猫を噛む(諺)。窮すれば通ず。窮通の理。艱難汝を玉に成す。窮すれば、即ち乱するものは、小人である。達人は窮しても通ず。生を必して戦うものは死し、死を必して戦うものは生く。背水の陣。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。活路。血路。捨て身。体当たり戦法。貧すれば貪(鈍)す。弱り目に祟り目。九死一生。百尺竿頭に立つ。七転び八起き。「死なんと戦えば生きるもの也。生きんと戦えば、死ぬるものなり」。背水の陣。大死一番。
 窮寇は迫るなかれ。死地に陥れて、而してのち生行く。死地には即ち戦え(孫子の兵法)。

 窮の語彙は、穴の中に身を入れ、屈して弓なりになっている様。弓は弾力を意味する。窮力は弾力である。窮は、究に通ずる。究とは、穴の中に身を窮して九となるを究と云う。窮中の究は、穴の中の九、穴の中の九は、糾合力究明力である。窮身は、一転して通身になり揚棄される。窮通しようと欲するものは、窮に向って弓を射ることが肝要である。窮に向って大いに弓を射るは、窮を射破る所以、窮を夷(たい)らげる所以である。夷は、大いに弓を射るの義である。(夷の字を分解すれば、大弓である)

 人は気力、迫力、弾力が無ければならぬ。屈するが為に屈するのではなく、伸びるために屈する。空気が然り。空気を圧縮すれば驚くべき力を発する。圧縮するは窮迫せしめるのである。

 九が通じて十(トオ)になる。十は十全の意である。身はミ、三である。三々五々、ばらばらの力が窮して九(キュウ)となる。三々が九は、糾合であり、求心である。山河
【「十の理」】
 「十」は、止の意味であり、十全の意味を持つ。

 「11」は、「とおまりひと」、「12」は「とおまりふた」、以下順に同じように数える。このルールで、「111」は、「ももあまりとおあまりひと」と云う。「20」は「はた」と数え、「二十歳」は「はたち」、「二十日」は「はつか」と読む。「30」は「みそ」と数え、「三十路」は「みそじ」、「三十日」は「みそか」、一年年の最後の三十日は「大晦日(おおみそか)」と云う。「三十一文字」は「みそひともじ(五、七、五、七、七:和歌のこと)」と読む。その後は、よそ、 いそ、 むそ、 ななそ、 やそ、 ここのそとなる。
【「百、千、万の理」】
 「100(百)」はモモ、「千」はチ、「万」はヨロヅ。

 「100(百)」は「もも」と読む。二百以降は「お」となり、二百(ふたお )、みお、 よお、 いお、 むお、 ななお、 やお、 ここのおとなる。これにより、「八百屋」は「やおや」と読む。

 「1000(千)」は「ち」と読む。二千以降は、ふたち、 みち、 よち、 いち、 むち、 ななち、 やち、 ここのちと読む。

 「10000(万)」は「よろず」と読む。大和言葉の上限となる。中国語では、十、百、千、万、億、兆、京、垓・・・・最後は不可思議、無量大数でお終いとなる。これにより、「八百万」は「やおよろず」と読む。






(私論.私見)