| ホツマツタヱ序文 |

(最新見直し2009.3.7日)
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| 【ホツマツタヱ序文】 |
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「ほつまつたゑ」を宣(の)ぶ 天地(アメツチ)の 開けしときに 二神(フタ神)の トホコにオサム。民増して 天照神の 御鏡(ミカガミ)を 足して三種(ミグサ)の 御宝を 授く御孫の 臣民(トミタミ)も み安ければや、臣が祖(オヤ) しいるイサメの。 |
| ホツマ序文A |
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| 畏れ身に 隠れ棲みゆく 陶(スエ)つ身を。今召さるれば その恵み、天に帰りの 詣で物。ホツマツタヱの 四十紋(ヨソアヤ)を 編み奉り、君が代の 末の例(タメ)しと ならんかと。畏れ身ながら つぼめおく、 これ見ん人は。 |
| シワカミの 心、ホツマと なる時は、花咲く御代の 春や来ぬらん。磯の輪の 真砂はよみて 尽くるとも、ホツマの道は 幾代尽きせじ。三輪の臣 オホタタネコが 奉げんと、234才(フモミソヨトシ)のとし 謹(つつし)みテヲス。 |
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織りつけの うわの印と 花押しを 添えて捧げる 言宣べの歌 久方の 天(あめ)が下しる 我が君の 代々に伝わる 冠は 天照神(アマテルカミ)の 造らせて さおしか(勅使)やつの 御耳に 聞こしめさる |
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朝政(アサマツリ) あまねく通り 天照 ををん宝の いもやすく 安国(やすくに)宮と 称えます 八万年(やよろとし)経て 肥え(豊饒の意)内の 伊雑(いさわ)の宮に をわします 御子おしほみは 日高見の 多賀の国府(こう)にて |
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国治む。孫のホノアカリは カグヤマ(香久山)の 飛鳥の宮に わします 弟のニニギネは 新田を開墾し 新治の宮の そやよろに 新民(にいたみ)増えて 名も高き ハラミの宮に たみおたし 遂に磯輪上(しわかみ) ホツマなる むそよろとしの |
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世をしりて 雷(いかつち)わくる いつのかみ ときに御神 のたまうは いまニニキネの 先御霊 クニトコタチの わさみたま 現れ出つと かがなえて わけいかづちの アマキミ(天皇)と 名付け賜る 世の始め 天皇(いますへらぎ)の |
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アマキミ(天皇)は、皆ニニキネの 稜威(いつ)による 御子、孫、ひ孫の 末までも、天照らします ををん神 百七十万(ももなそよろ)の 年おえて 元の日の輪に かえまして 青ひと草を 照らします この故君も とみたちも いおやすくぬる(昼働き、夜寝ることができるのです)。 |
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(アマテルカミの)御恵み 世にあらわせる その文(文書)は ホツマツタヱに すくるなし 今世に残る 家々の 文もそれぞれ 変わりある たれをまことと 為し難し かれにひとつを(ここに、一つの例を) あげ記す ふそむのあや(26アヤ(章))に |
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「鴨破れて トヨタマヒメも 渚にて 猛き心に 泳がせば 龍や蛟の 力得て 恙も無みの 磯に着く」(鴨船が難破したとき、トヨタマヒメは岸にたどり着こうと、勇猛心を奮い起こし懸命に泳いだ。その泳ぐ様は、まるで龍や蛟の力を得たように力強いものであった) その姿に励まされ供の者達も皆無事に岸に泳ぎ着くことが出来た。この歌も、他の書記では 「船破れて・・・ 龍と蛟の 力得て・・・」 トヨタマヒメは龍と蛟の力を得たように・・・と記されており、これはテニヲハの誤りである。「or」と「and」の違い。この様に全て(の伝記)で、それぞれ(七家)に伝わる記録が間違ってたり、異なってたりするのは |
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初の添え歌を記す。カカンなす 春の等しく 廻り来て 磯の真砂は 磐となる 世世のんてんの(その間幾代にも渡って、祝詞や神楽で守り伝えられて来たのが) 「ホツマツタヱ」の文である。纏向の日代(日代の宮=景行天皇の宮居)の御代に 三笠臣 伊勢の神臣(カンヲミ) オオカシマ(大鹿島命、大暁島命) 247歳 花押を捧げる クニナヅ(オオモノヌシを始祖とするオオタタネコの家に伝わった記録がホツマツタヱであり、アマノコヤネを始祖とするオオカシマの家に伝わった記録がミカサフミである) |
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(私論.私見)