徳川家家訓、北条家家訓、毛利家家訓、伊達家家訓その他

 更新日/2018(平成30).2.17日

【徳川家家訓】
 江戸三百年の基礎を築いた徳川家初代将軍・徳川家康の遺訓。家康は、1616(元和2).4.17日、息を引き取った(享年75歳)。

 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なし。心に望み起ここらば困窮したる時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思へ。勝つ事ばかり知りて、負くる事を知らざれば害その身に到る。己を責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり」。

(私論.私見)

 家訓は他にも色々あるが、「徳川家康の遺訓」がなぜ人の心を捉えるのか。それは、簡潔にして明快、要点を押えているからに他ならない。為に暗誦し易く、肝に銘じるに相応しい。まさに珠玉の名言集足り得ている。そう思う。

 2010.1.12日 れんだいこ拝

 意訳概要「わしの生涯で、恐ろしい人、格別ありがたい人が四人おった。一人は武田信玄公。わしに戦(いくさ)のしぶりを教えてくれた。次は織田信長公。なんと恐ろしい名であったろう。だが、このお方はわしに人間を信じさせてくれた。その次は我が師、太閤であった。太閤は我等に時の流れの変化を、その変化に、どのような姿で対処せねばならぬか教えてくれた。(伊達政宗に向かって)次がお許よ。お許は、今少し早く世に生まれてあったら信玄公、信長公、太閤にもけっして劣らぬ器量の生まれつきである。お許の器量は、今なればこそ光り出さねばならぬはず。我が亡きあと、我が将軍家を頼むぞ。(伊達政宗が泣くのを受けて)泣く事はあるまいぞ。人は死ぬが必定。死は決して恐るるに足らず。この世にあるものは命の大樹じゃ。我等は、その大樹にはえた枝なのじゃ。信玄公も信長公も太閤も、どんなに優れた人物だからとて所詮は枝の一つにすぎぬ。それが枯れたからといって大樹が枯れたわけではない。大樹そのものは年ごとに育ち、年々花を咲かせ、小枝一つが枯れ落ちても、それが肥やしとなり、さらにその大樹を繁らせていく。その身の処し方、その人の思想が後々の人々の心の支えとなり、大勢の生命の大樹を益々繁らせていくのじゃ。お許も今後はその大樹の中に入って、いかに大樹を繁らせていくかを考えればよい。肉体が滅んでも、その人の生き様が生き続けていれば死んだとはいえぬ。そう考えると生死は拘るほどのことではないのじゃ」。

【毛利家家訓】
 我が毛利家は、版図の保全のみを願い、天下を望むなかれ (天下を競望せず)。天下を支配する者は如何に栄耀栄華を誇っても、何代かのちには一門の枝折れ、株絶えて、末代の子孫まで続くことは無い。天下に旗を翻して武名を一世に挙げるよりは、むしろ六十余州を五つに分けてその一つを保ち、栄華を子々孫々まで残せ。
 三本の矢
 ある日、元就は三人の息子(隆元・元春・隆景)を枕元に呼び寄せ、1本の矢を折るよう命じた。息子たちが難なくこれを折ると、次は3本の矢束を折るよう命じたが、息子たちは誰も折ることができなかった。元就は一本では脆い矢も束になれば頑丈になるということを示し、三兄弟の結束を強く訴えかけた。これが有名な「三本の矢」の逸話である。

【北条家家訓】
 可信佛神事。仏神を信じ申すべき事。
 朝早可起事。朝はいかにも早く起くべし。遅く起ぬれば、召仕ふ者迄由断しつかはれず、公私の用を欠く也。果たしては必ず主君にみかぎられ申すべしと深く慎むべし。
 夕早可寝事。ゆふべには、五つ以前に寝しづまるべし。夜盗は必ず子丑の刻にしのび入る者也。宵に無用の長雑談、子丑に寝入り、家財を取られ損亡す。外聞しかるべからず。宵にいたづらに焼すつる薪灯をとりをき、寅の刻に起行水拝みし、身の形儀をととのへ、其の日の用所妻子家来の者共に申し付け、さて六つ以前に出仕申すべし。古語には子に伏し、寅に起きよと候得ども、それは人により候。すべて寅に起て得分あるべし。辰巳の刻迄臥ては、主君の出仕奉公もならず、又自分の用所もかく。何の謂かあらむ、日果むなしかるべし。
 手水事。手水をつかはぬさきに、厠厠より厩庭門外まで見巡り、先掃除すべき所をにあひの者にいひ付け、手水をはやくつかふべし。水はありものなればとて、只うがひ捨つべからず。家のうちなればとて、たかく声ばらひする事、人にはばからぬ体にて聞にくし、ひそかにつかふべし。天にかがまり地にぬきあしすといふ事あり。
 拝事。拝みをする事の行ひ也。只心を直にやはらかに持ち、正直憲法にして上たるをば敬ひ、下たるをば憐れみ、あるをばあるとし、なきをばなきとし、ありのままなる心持ち、仏意、冥慮にもかなふと見えたり。たとひ祈らずとも、この心持ちあらば、神明の加護の有るべし、祈るとも心曲がらば、天道にはなされ申さんと慎むべし。
 刀衣裳事。刀、衣裳、人のごとく結構に有べしと思ふべからず。見苦しくなくばと心得て、なき者をかり求め、無力重なりなば、他人の嘲成べし。
 結髪事。出仕の時は申に及ず、或は少し煩所用之れ在り、今日は宿所に在るべしと思ふとも、髪をはやくゆふべし。はふけたる体にて人々にみゆる事、慮外又つたなきこころ也。我身に由断がちなれば、召仕ふ者までも其振舞程に嗜むべし。同たふの人の尋来るにも、ととつきまはりて見くるしき事也。
 出仕事。出仕の時、御前へ直に参るべからず。御次に伺公して、諸朋輩の躰を見つくろひ、扠御自通に罷出べし。左様になければ、むなつく事あるべし。
 受上意時事。仰出さるる事あらば、遠くに伺候申たり共、先はやくあつと御返事を申、頓て御前に参、御側へはひはひより、いかにも謹で承べし。さて、罷出、御用を申調、御返事は有のままに申上べし。私の宏才を申べからず、但又事により、此御返事は何と申候はんと、口味ある人の内儀を請けて申上べし。我とする事なかれといふことなり。
10  不可爲時事。御通りにて物語などする人のあたりに居べからず。傍へよるべし。況、我身雑談虚笑などしては上々の事は申すに及ばず。傍輩にも心ある人にはみかぎられべく候也。
11  諸事可任人事。数多まじはりて事なかれということあり。何事も人にまかすべき事也。
12  讀書事。少の隙あらば、物の文字のある物を懐中に入れ、常に人目を忍びて見るべし。寝ても覚めても手なざれば、文字忘るる事あり。書くことも同じき事。
13  宿老祇候時禮義事。宿老の方々御縁に伺候の時、腰を少々折て手をつき通るべし。はばからぬ体にて、あたりをふみならし通る事以の外の慮外也。諸侍いづれも慇懃にいたすべし。
14  不可申虚言事。上下万人に対し、一言半句にても虚言を申べからず。かりそめにも有のままたるべし。そらごと言つくれば、くせになりてせらるる也。人に頓てみかぎらるべし。人に糺され申ては一期の恥心得べきなり。
15  可學歌道事。歌道なき人は無手に賤しき事也。学ぶべし。常の出言に慎み有るべし。一言にて人の胸中しらるる者也。
16  乗馬事。奉公のすきには馬を乗ならふべし。下地を達者に乗ならひて用の手綱以下は稽古すべきなり。
17  可撰朋友事。よき友をもとめべきは手習学文の友也。悪友をのぞくべきは碁将棋笛尺八の友也是はしらずとも恥にはならず、ただいたづらに光陰を送らむよりはと也、人の善悪みな友によるといふところ也。三人行時、かならず我が師あり、その善者を撰びて是にしたがふ、其よからざる者をば是をあらたむべし。
18  可修理四壁垣牆事。すきありて宿に帰らば、厩面よりうらへまわり、四壁垣ね犬のくぐり所をふさぎ拵さすべし。下女つたなきものは軒を抜て焼、当座の事をあがなひ、後の事をしらず。万事かくのごとく有べきと深く心得べし。
19  門事。ゆふべは六ツ時に門をはたとたて、人の出入によりあけさすべし。さ様になくしては、由断に之有り、かならず悪事出来すべき也。
20  火用心事。ゆふべには、台所中居の火の廻り我とみまはり、かたく申付、其外類火の用心をくせになして、毎夜申付べし。女房は高きも、賤しきも、さ様の心持なく、家財衣裳を取ちらし、由断多きこと也。人を召仕候共、万事を人に斗申付べきとおもはず、我とてづからして、様体をしり、後には人にさするもよきと心得べき也。
21  文武弓馬道事。文武弓馬の道は常なり。記すにおよばず、文を左にして武を右にするは古の法、兼て備へずんば有べからず。

【島津家の日新公いろは歌曜】
 「日新公いろは歌について」。(れんだいこアレンジ)
 「日新公いろは歌」は、島津家中興の祖で、島津義弘の祖父でもある島津忠良(ただよし)(号は日新斉・じっしんさい)が、5年余の歳月をかけ完成させたという薩摩藩の「郷中(ごちゅう)教育」の基本の精神となったとなったといわれる47首の歌である。義弘も多大な影響を受け、その後も薩摩武士、士道教育の教典となったこの「日新公いろは歌」は現代の私たちにも通じる多くの示唆を含んでいる。ここで、その47首を大意とともに確認しておく。
いにしへの 道を聞きても 唱へても わが行に せずばかひなし
昔からの為になる教えや学問も、習い口に唱えるだけでは役に立たない。実践、実行せずんば意味がない。
楼の上も はにふの小屋も 住む人の 心にこそは 高きいやしき
御殿に住んでいようと粗末な小屋に住んでいようとも、それは問題ではない。住む人の心のあり方によってこそ真価が決まる。
はかなくも 明日の命を 頼むかな 今日も今日と 学びをばせで
命は儚く明日のことは誰にもわからない。勉学修行を明日に引き延ばしてはいけない。今この時を大切にして学ぶべきだ。
似たるこそ 友としよけれ 交らば 我にます人 おとなしきひと
人は自分と似たような人と仲良くしがちだが、それだけでは宜しくない。自分より優れた見識を持つ者と交わらねばならない。
仏神他に ましまさず 人よりも 心に恥ぢよ 天地よく知る
神仏はよそにいるのではない。心の中にいるのだ。恥ずべき行動をしたら自分の良心に恥じよ。天網恢恢疎にして漏らさずである。
下手ぞとて 我とゆるすな 稽古だに つもらばちりも やまとことのは
自分は下手だと卑下して努力を怠ってはならない。稽古を積めば少しづつ進歩して遂には上手になれる。ちりも積もれば山となる。継続は力なり。
とがありて 人を斬るとも 軽くすな 活かす刀も ただ一つなり
科(罪)のないものを切ってはならないのは当たり前。罪があって刑を行うにあたっても軽々しく行ってはいけない。どう処罰し、どう加減するか、これを正しく適切に行わなければならない。
知恵能は 身につきぬれど 荷にならず 人は重んじ はづるものなり
知恵や芸能は重荷にはならないので励むべきだ。見る人はその人を登用し、己の及ばない事を恥じ尊敬するものである。
理も法も 立たぬ世ぞとて ひきやすき 心の駒の 行くにまかすな
道理が通らない乱世であっても、己は正道を行きなさい。流れにあわせて勝手放題するものではない。
盗人は よそより入ると 思うかや 耳目の門に 戸ざしよくせよ
盗人は他所から入ると思うかもしれないが、本当の意味での盗人は耳や目から入ってくるものだ。目や耳によく戸締りをせよ。
流通すと 貴人や君が 物語り はじめて聞ける 顔もちぞよき
貴人や君の何度も聞かされている話でも、初めて聞くという顔で聞くのがよい。
小車の 我が悪業に ひかれてや つとむる道を うしと見るらん
人は己の怠け心に引っ張られ勝ちで、やがては仕事が辛くなり悪癖となって下落してゆく。人はそれぞれ職分を守って、真面目その業に務めるべきである。
私を捨てて 君にし むかはねば うらみも起こり 述懐もあり
君主に仕えるには全く一身をささげて我を捨てなければ、恨みも起こり不平不満もでる。自分の一身をささげて君主に仕えよ。
学問は あしたの潮の ひるまにも なみのよるこそ なほ静かなれ
学問をするには朝も昼も間断なく修めなければならない。特に夜は静かで勉強しやすい。しっかり勉強するべきだ。
善きあしき 人の上にて 身を磨け 友はかがみと なるものぞかし
人は自分の行いの善し悪しを知ることは難しいが、他人の行いの善悪は目に付く。日頃、友人を見て良いことはこれを見習い、悪いことは反省せよ。
種子となる 心の水にまかせずば 道より外に 名も流れまじ
私利私欲にかられて世の中の事を行えば、道に外れた悪い評判もたつ。この悪の種を刈り取って、神仏の教えに従って正道を行くべきだ。
礼するは 人にするかは 人をまた さぐるは人を 下ぐるものかは
人に礼を尽くす事は、自分を正しくして己を敬う事でもある。天を敬い己を慎む心を養え。
そしるにも 二つあるべし 大方は 主人のために なるものと知れ
家臣が主人の悪口を言うのは二通りある。主人を思うあまり言う悪口と自分の利害から来る悪口である。主人たるものは良く判断し、反省の資とすべきだ。
つらしとて 恨かへすな 我れ人に 報い報いて はてしなき世ぞ
相手の仕打ちがどんなに辛くても相手を恨み返してはならない。恨みには徳を持って対処すべきである。人には無限に尽して行くのが良い。
願わずば 隔もあらじ 偽の 世に誠ある 伊勢の神垣
誠を持って事にあたれば相応の人生を歩むことができ、不正を持って事に対処すれば結局は地に落ちる。人は欺けても、天は公平に人を見ている。
名を今に 残し置ける 人も人 こころも心 何かおとらん
後世に名を残した偉人も、人であって我々と違いはない。心も同じであるから我々とて及ばないということはない。奮起して努力することが必要である。
楽も苦も 時過ぎぬれば 跡もなし 世に残る名を ただ思ふべし
苦も楽も永久的な事ではなく、一時が過ぎれば跡形もない。困難に耐えて世の為に身を粉にして尽くすべきだ。後世に名声を残す事を心がけよ。
昔より 道ならずして 驕る身の 天のせめにし あはざるはなし
昔から道に外れて奢り高ぶった者で天罰を受けなかった物はいない。人は正道をふんでおごりを遠ざけ、神を敬い教えを守っていきなさい。
憂かりける 今の身こそは さきの世と おもへば今ぞ 後の世ならん
嫌なことの多い現世は前世の報いの結果である。現世の行の報いは後の世の姿である。現世の行いを大切にしなさい。すべては因果応報である。
亥に臥して 寅には起くと 夕露の 身を徒に あらせじがため
亥(午後10時)に寝て、寅(午前4時)に起きると昔の本にある。朝早く起きて夜遅く休むのも、それぞれの勤めを果たすため。時間を惜しみ勤労すべきだ。
遁るまじ 所をかねて 思ひきれ 時にいたりて すずしかるべし
君や国のため命をかけなければならないときがやってくる。日ごろから覚悟を決めておけば、万一の場合にも少しの未練もなく気持ちが清らかであろう。
おもほえず 違うものなり 身の上の 欲をはなれて 義を守れ人
私欲を離れて、正義を守って行動せよ。私利私欲を取り去って心の鏡を明らかにすると迷うことはない。
苦しくも 直進を行け 九曲折の 未は鞍馬の さかさまの世ぞ
どんなに苦しくても、悪事を行ってはいけない。正道をいきなさい。鞍馬のつづら折の道のように曲がった道を歩んだものは、まっさかさまに闇の世界に落ち込むような目にあうものである。心正しい正道を歩みなさい。
やはらぐと 怒るをいはば 弓と筆 鳥に二つの 翼とを知れ
穏やかと怒るをたとえれば、文と武である。これらは鳥に二つの翼があるように自由に飛ぶために必要な二つの要素である。どちらか欠いても役に立たない。寛厳宜しく使い分けて政治を行うべきである。
万能も 一心とあり 事ふるに 身ばし頼むな 思案堪忍
ことわざに「万能一心」というのがある。いかに万能に達するとも一心が悪ければ役にたたない。自分の才能に自慢めいた言動をしてはならない。
賢不肖 用い捨つる といふ人も 必ずならば 殊勝なるべし
賢者を登用し、愚者を遠ざけて政治を行えと口に唱える人も、それを実行できるならば素晴らしいことである。だが、実行はなかなか難しい。
不勢とて 敵を侮る ことなかれ 多勢を見ても 恐るべからず
少数だからといって侮ってはいけない。また大勢だからといって恐れるに足りない。少人数でも一致団結すでれば大敵を破ることができる。
こ  心こそ 軍する身の 命なれ そろふれば生き 揃はねば死す
心・士気こそ戦争する者の命である。自分たちの軍隊の気持ちが一つにまとまっていれば生きることができ、揃っていなければ死を招く。
廻向には 我と人とを隔つなよ 看経はよし してもせずとも
死者を弔って極楽往生を祈るには敵味方分け隔てなく、等しく祈りなさい。読経するもよし、しなくてもよいのである。
敵となる 人こそ己が 師匠ぞと 思ひかへして 身をも嗜め
自分にとって敵となる人こそわが師匠と思いなさい。思い直して冷静に観察すれば反面教師として見えてくるだろう。すなわち手本ともなるものである。
あきらけき 目も呉竹の この世より 迷はばいかに 後のやみじは
光あふれる世界である現世でさえ迷っていては、死後の闇の世界ではますます迷うだろう。神仏道を修めて悟りを開きなさい。
酒も水 ながれも酒と なるぞかし ただ情あれ 君が言の葉
酒を与えても水のように思う者や、少しの酒で奮い立つ例もある。要は与え方の問題である。人の上にたつ者は思いやり深く、情け深くあれ。
聞くことも 又見ることも こころがら みな迷なり みなさとりなり
我々が見たり聞いたりすることはすべて己の心の持ちようで、迷いともなり悟りともなる。
弓を得て 失ふことも 大将の こころひとつの 手をばはなれず
軍隊の結束力をまとめるのも失うのも、すべて大将の心一つにある。
めぐりては 我が身にこそ つかへけれ 先祖のまつり 忠孝の道
祖を祀ることや、忠孝の道に尽くすということはやがて自分にめぐりめぐってくるものである。おろそかにしてはならない。
道にただ 身をば捨てんと 思ひとれ 必ず天の 助けあるべし
正しい道であれば一身を捨てて突き進め、そうすればかならず天の 助けがあるはずである。
舌だにも 歯のこはきをば しるものを 人は心の なからましやは
舌でさえその触れる歯の硬いことを知っている。ましてや人においてはなおさらなことである。交わる相手の正邪善悪を察する心がなくてはならない。
えへる世を さましてやらで 盃に 無明の酒を かさねるはうし
この迷いの世の中、その上に杯を重ねて酔いしれ、迷いの上に迷いを重ねて歩くのは情けないことである。真っ直ぐに先を見据え歩くべきだ。
ひとり身を あはれとおもへ 物ごとに 民にはゆるす 心あるべし
たよる者がない老人、孤児、寡婦に対しては情けをかけて一層いたわれ。人に対しては仁慈の心で寛大に接しなさい。
もろもろの 国やところの 政道は 人にまづよく 教へならはせ
治める国や村の掟は、まず民に良く教えさとした上で政治を行え。教えないで法を犯したものを罰するのは不仁の仕方である。
善に移り あやまれるをば 改めよ 義不義は生れ つかぬものなり
善にうつり、過ちは改めよ。元来、義不義は生まれつきのものではない。心のありようで義にも不義にもなる。悪いと気づいたらすぐに改めよ。
少しきを 足れりとも知れ 満ちぬれば 月もほどなく 十六夜の空
少し足りないぐらいを満足とすべし。月も満月の次の十六夜の月は欠け始める。足るを知って楽しむ心が大事である。禅の「吾唯足知」に通じる教訓。

【伊達家家訓】
 

 仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。礼に過ぐれば諂い(へつらい)となる。智に過ぐれば嘘を吐く。信に過ぐれば損をする。気ながく心おだやかにして、よろづに倹約を用い金銀を備ふべし。倹約の仕方は不自由なるを忍ぶにあり。この世に客来たと思へば何の苦しみもなし。朝夕の食事はうまからずとも褒めて食うべし。元来客の身になれば好き嫌いは申されまじ。今日行くをおくり、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇(おいとま)申すがよい。


【岩崎家家訓】
 小事に齷齪(あくせく)するものは大事ならず。宜しく大事業を経営するの方針を執るべし。一度着手した事業は必ず成功を期せよ。決して投機的の事業は企つるなかれ。国家的観念を以って総ての事業に当たれ。奉国至誠の赤心は寸時も忘るべからず。勤倹身を持し、慈恵人を持つべし。能く人柄技能を鑑別し、適材適所に用いよ。部下を優遇し、事業上の利益は成るべく多く彼等に分与すべし。創業は大胆に、守成には小心なれ。

 子は親を見て育つもの、親は子を育てて育つもの、子育ては親子の一大事業。家族は幸せになるためのチームだ、みんなで協力し合おう。小さい時のしつけは一生の宝物、子のしつけは親の努め。

 お金や名声よりも大切なものを持て。毎日心がけよう笑顔の挨拶、元気のいい挨拶。家族の問題からは決して逃げるな、心を合わせてみんなで解決しよう。








(私論.私見)